【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』16
息子が生まれた。
心配された問題もなく母子ともに健康。産後も順調。よかった。本当によかった。
高霊力保持者の子供を出産した母親の多くが生命を落とすと聞いていた。納得だ。あんな霊力ガンガン奪われたら生きていられない。俺が霊力を注ぎ続けたこと、マコの霊力と循環させトモにも霊力を注いだことで母子共に無事な出産となった。
母の結界の外では『悪しきモノ』が大量発生していたらしい。定兼が楽しいのを隠すことなく教えてくれた。伊佐治と麻比古も「久しぶりに戦いがいがあった!」と喜んでいた。
「………おまえらがそこまで言うなんて、どんなのが出現したんだよ」
レベルが高いのはそこまでいなかったが、とにかく数が多かったと。一気に殲滅するのが「楽しかった!」と教えてくれた。
そんな中産まれた息子は、どこからどう見ても俺の子供。
「コピーかよ!」とウチの連中が爆笑した。悔しいが俺もそう思った。遺伝の恐ろしさを突きつけられた。
「少しはマコに似ればよかったのに」思わずほやいたがマコは首を振った。
「ヒデさんそっくりでボクはうれしいよ」「『ヒデさんの子供だ』ってこれ以上なく証明してくれてるんだもん」
どれだけ俺を愛してくれているのか見せつけられて歓喜しかない。俺の妻は天使だ。
出産が終わっても「三か月間は出歩かないほうがいい」「お宮参りはお百日と一緒にしよう」と母が決めた。
新生児を狙うヤツの話は俺もさんざん聞いていた。実際母の結界の外はまだ『悪しきモノ』がウジャウジャしているらしい。
「散らしても散らしても湧くんだ」父がウンザリした顔でため息をつく。
「ヒデのときより多い」「サトさんの結界があるのに、なんでわかるんだろうな?」
よくわからないが、父の夜間勤務は続くようだ。
「俺も出陣しようか?」そう申し出たが「おまえはまこちゃんから離れるな」と言われた。
「万が一があったとき、おまえが最後の砦になる」「こと高霊力保持者の赤ん坊に関しては、何が起こるかわからない」
そう言われたらそのとおりで、素直にマコとトモにくっついていた。
「『唯一』がくっついているだけで回復が違う」「とにかくまこちゃんとトモくんに霊力供給しなさい」
母にもそう命じられ、せっせと霊力を注いだ。
◇ ◇ ◇
トモが産まれたときに手にしていた霊玉はいつの間にか消えていた。「体内に納まったんでしょう」と母が言う。よくわからないが、無限収納とは違うカタチでその身に納めているらしい。
トモはしっかりと眠りしっかりと乳を飲み、しっかりと排泄する。「ヒデより偉いぞ」ウチの連中がそう褒める。なんだよそれ。
「ヒデはなかなか乳を飲まなかった」「飲んでもすぐ吐いたりね」「大変だったよなあ」
これだから長命な連中は。そんな産まれたばかりのことを言われても知るかよ。
マコは出産直後から食事量が増えた。冗談でなく毎食二人前食べている。
「なんでかおなかへっちゃって!」
「それだけ身体が損傷したということよ」母が言う。
「妊娠出産はそれは大変なのよ」「あれだけ血が出たんだもの。しばらくは回復に専念して、しっかり食べてしっかり寝るのよ」
トモが出てきてしばらく後。『後産』として胎盤が出てきた。大きめのバットに入れて見せてくれたが、正直レバーにしか見えなかった。出産時はマコに集中していて気付かなかったが、後産でもかなりの出血量だった。それでも母も助産師も出血量は「多くない」と言う。「よかった」と。それも俺が霊力を注ぎ続けマコの体内に循環させていたからだろうと母が言っていた。
あれだけの出血があっただけでも回復のために食事量は必要だ。それに加えトモに母乳をやっている。暁月が栄養価の高い食事を用意してくれている。
オムツ替えと風呂は俺がやっている。というのも赤ん坊だからか、突然霊力を暴走させることがあるからだ。
「ぴぎゃー!」と叫ぶと同時に霊力が噴き出す。それだけならまだいいが、トモは属性特化らしく風が噴き出す。それもかまいたちみたいな鋭い風。それで一度マコが手を切った。あわてて引き倒しかばったので手の甲に少しだけで済んだのは僥倖だった。
高霊力保持者の赤ん坊なので暴走の可能性は最初からあった。なので肌着に母が霊力安定の術式を書き込み予防している。
オムツ替えと風呂はその肌着を一部もしくは全部取るわけで、暴走の危険性が高い。
俺なら暴走を抑え込める。風が噴き出しても結界で自衛もできるし抑え込むこともできる。なのでオムツ替えと風呂は俺の担当になった。
「ついでにマッサージして霊力注いで循環させてあげなさい」
母に指導され、オムツを替えたあとで、風呂からあげたあとで、全身マッサージと霊力操作をしている。
一日、二日、三日と、回を重ねるごとに慣れていく。マコも乳をやるときに抱くのがだんだんと様になってきた。
『つよくなりたい』夢の中でそう言っていた。
『逢いたい』そう『願って』いた。
無事産まれ出たのだから、次は無事に成長させることが俺達大人の使命。しっかりと乳を飲ませ、キチンとオムツを替え風呂に入れ清潔を保ち保湿をし、しっかりと寝させる。
ベビーベットには母特製の札がいくつも取り付けられている。道具屋から出産祝として届いた霊力を安定させる飾りも取り付けた。さらに母は『開祖様の奥様』と呼んでいる童地蔵をトモと並べて寝させた。
どういう理屈なのか、『奥様』がそばにいればトモは安定する。霊力の動きを『視て』みると、『奥様』の白毫から霊力がにじみ出ていて、それがトモの霊力と交じり安定させていた。
『奥様』は四百年前に作られたと聞く。つまりはこの白毫は四百年以上前に作られたもの。そんなに経っているのにまだこれだけの霊力が残っていることも、生まれ変わった存在にも影響を与えることにも驚きしかない。
『開祖様の奥様』は『異世界のお姫様』だと聞くが、相当すごいひとだったんだろうなと察せられた。
そしてこの赤ん坊を、そんな『奥様』に釣り合う男にしなければならない。なかなか難易度の高い任務に思える。
「難しく考える必要はありません」あっさりと母は言う。
「誠実に、愛情を持ってお育てすればいいんです」
「ただ真っすぐにお育てすればいいんです」
「愛情を注ぎ。成長を見守り。間違ったときは正し。必要な知識を与え。身につけるべきを教える」
「なにも難しいことはありません」
「あなたや他の子達に施してきたことを、この子にも施すだけです」
「私がしてもらってきたことを、この子にもしてやるだけです」
母の教えはわかりやすい。確かにそのとおりだ。
俺がもらったものをそのままこいつにやればいい。そうすれば最低でも俺レベルにはなるだろう。その先は本人の努力次第。俺もそうだった。
「少なくともひとりで歩けるようにならないと」
「修行やら勉強やら考えるのはそれからで十分」
「今はしっかりと愛情を注ぎ、お世話をしなさい」
もっともなご意見に納得し、せっせとオムツを替えた。
◇ ◇ ◇
今のところ乳を飲んでいるときは暴走していない。が、いつ暴走するか知れないので乳をやるマコの真横で見守っている。それがいかにも過保護に映るらしく「まさかあのお義兄さんがこんなふうになるなんて」と由樹に呆れられた。
「暴走対策だよ」言いながらトモを受け取り肩に抱く。トントンと背中を叩きゲップをうながす。まさか赤ん坊がこんなに手間がかかる生き物だったとは。まだまだ知らないことが多い。
「三か月間は出歩かないほうがいい」と母が決め、産後健診も助産師に自宅訪問してもらった。産後二週間目に来た助産師は「順調」と太鼓判を押してくれた。マコの食事量を聞いたときには「そろそろ気をつけないと体重を戻すのが大変になるわよ」と忠告をくれた。トモの身長体重を計り、俺達に色々と聞き取りをし、「この調子でがんばって」と去った。
産後一か月目にはマコの産後健診とトモの新生児健診に来てくれた。ここも「順調」「問題なし」。ひとつのハードルを乗り越えた感覚に、肩の力が抜けた。
実際トモは日々大きくなる。ふにゃふにゃだった身体も日々しっかりしていく。マコも少しずつ起きる時間を増やし少しずつ身体を動かすようにした。霊力訓練も再開する。少しでも体力と体調を戻すべく、できる範囲で取り組んでいった。
◇ ◇ ◇
沙樹と美波がしょっちゅう顔を出しては色々面倒を見てくれる。食事や菓子を差し入れしてくれたり。赤ん坊の月齢に合わせたオムツやおもちゃを持ってきてくれたり。
沙樹の息子の誠一郎と美波の息子の蓮も母親に連れられて来てはトモに構ってくれる。「そろそろ二人目考えてもいいかなー」などとふたりは笑う。
十一月に俺の誕生日を迎え、俺はひとつ歳を取った。両親とウチの連中がパーティーを開いてくれ、トモも交えてごちそうを食べた。洋一達も参加したがったが「五十四歳で大人数に祝われるとか、なんだよ」と俺が断った。
十二月のマコの二十二歳の誕生日は断り切れなかった。洋一一家も交えたにぎやかなパーティーに、生後二か月になったトモもどこか楽しそうにしていた。
クリスマスイブには洋一一家と寺の連中も参加してクリスマスパーティーを開いた。気の利くウチの連中が誠一郎と蓮にクリスマスプレゼントを用意していた。俺もマコもまったく気が付かなかった。気の利く連中は「俺達みんなからだよ」と、いかにも『俺とマコも加わってます』という体で渡してくれた。おかげで俺達の面目が立った。
せめてお年玉は奮発しようとしたら母に止められた。「ちいさいうちから高額を与えちゃダメ!」
母に指示された金額だけを包み、チビふたりに渡した。親になるって面倒くさいと知った。
「マットくん達や他の研究者の方々のお子さんにはしてこなかったの?」
母の指摘にそっと目を逸らす。アメリカはクリスマスには冬季休暇に入るし。マット家はいつも帰省するし。
言い訳を重ねていたが「これから学びなさい」と言われ素直に受け入れた。
大晦日三が日と寺は嵐のような騒ぎだったらしい。が、俺達は我関せずでいつもどおりに過ごした。いつもと違うのは両親がいないことくらい。寺のほうに両親の知り合いが多く訪れることもあり、両親は寺に詰めていた。
俺達はトモ中心の生活だという以外はアメリカにいたときと変わらず、年越しそばを食い雑煮を食いおせちを食い、トモの世話をしながらではあるがのんびりと過ごしていた。
そうしてあっという間にトモが産まれて三か月が経った。
本来は生後一か月で参拝するお宮参りと百日参りを兼ね、マコの両親が世話になった神社へ。俺達も両親もキチンと着物を着、トモも白の着物と祝い着で参拝した。老神職自ら祝詞をあげ大幣で祓い清めてくれた。無事の出産と母子の健康を喜んでくれた。
その足でマコの御神木へも報告にあがった。祝い着のトモを見せ、無事出産したこと、母子共に順調であることを報告し、トモを抱いたマコとふたり樹の幹に手を当てて霊力を注いだ。
◇ ◇ ◇
やるべきをすべてやり、さっぱりとした気持ちで鳥居をくぐった。
と―――突然、景色が変わった。
田舎の住宅地にいたはずだったのに、深い森の中に立っていた。肩を抱いているマコが呆然としている。俺達の周囲にウチの連中が広がり警戒体制を取る。
俺も警戒体制を取る。気配を探り周囲を調べる。
「なにが起きた」つぶやきに久十郎から「わからない」と返る。
「鳥居をくぐる瞬間、マコの周囲に『ゆらぎ』が起きた」「咄嗟に触れたおかげで一緒に『跳べた』のだろう」
つまり、どこかに『跳ばされた』と。
久十郎の動きに他の連中も瞬時に動き、数珠繋ぎ状態になった。そしてこうして全員がひとかたまりでいる、と。
差し当たり周囲に危険はなさそうと判断したとき。ヒラリと札が飛んできた。母の札だ。
手に取り霊力を込めると母の声が流れてきた。
「ヒデさん。無事?」
「ああ。マコもトモも、ウチの連中も全員一緒だ」
「どこにいるの」
「そっちで位置情報わかんないの?」
「それがわからないのよ」
どうもどこかの結界内にいるらしい。
その結界よりも母の札のほうが強かったことで俺を見つけ結界内に侵入できたが、具体的に『どこ』とまでは母でも「わからない」と言う。
「なにが起きたんだ?」
母に質問したそのとき。どこかから視線を感じた。
「―――ごめん。母さん。またあとで」
母の札を衿にねじ込み、周囲を警戒する。―――三人―――いや、五人になったな。
どこから襲いかかられても対応できるよう、四人が四方に立つ。定兼はいつでも刀に変化できるよう俺の真隣に立った。
俺はマコを背にかばい俺達の中心に立たせる。
「マコ」「トモをしっかり抱いてろ」
俺の指示にマコは黙ってうなずいた。
俺達を囲む人数はどんどんと増えている。おそらくは母の札が結界に侵入したことを察知し、駆けつけたんだろう。
相手の姿は見えない。薄暗い森の中、木立に隠れている。ただ気配で『いる』とわかる。侵入者に対応するためだろう。それなりの戦闘力があると察せられる。
さてどうするか。こちらが侵入者なことは間違いない。どうにか穏便に事を進めたいが、まずは言葉が通じるか。
人間を喰うヤツらだった場合はどうするか。高霊力保持者の赤ん坊なんて狙われて当然。そうだ。トモ狙いで連れて来られた可能性もある。そうだった場合は一戦交えるしかない。
ともかく、どうにか状況を把握できないか―――。
そう思いながら周囲をにらみつけていた。
そのとき。
「―――ウォ、ウォオ?」
低い、かすかな狼の鳴き声が聞こえた。
それに麻比古が反応した。
「ウォウ」「ウォオ、ウォウ」
なにやら狼のように鳴き、麻比古は一歩前に出た。人間形態だった姿を黒狼姿に戻し。
「ゥオオオオーン!!」
高らかに遠吠えを響かせた。
ビリビリと空気が震える。威圧のこもった雄叫びに何事かと警戒する。
と、木立の奥から隠れていた者が姿を現した。
麻比古と同じ、黒い大きな狼。
「大丈夫だ」麻比古が言う。
「ここは、俺の故郷だ」
◇ ◇ ◇
意味がわからないままに狼達は親しげに身体を擦り寄せ、狼語でなにやら言い合う。
「敵意はないと理解してもらえた」「とはいえ、正規の道順以外からの侵入だから『長に一言挨拶しろ』と」
もっともな意見に、大人しく狼達のあとについて行った。
ふ、と境界を越えた感覚のあと、目の前が拓けた。木々生い茂る森の中だったのに、柵に囲まれた集落に出た。
木でできた家や畑、果樹も見える。山の斜面に沿って点在している。俺達のすぐ前に集落の入り口らしき門があり、その周辺が広場になっている。
「一番上が長の住まいだ」
いつの間にか人間形態に戻った麻比古が指をさす。他の狼達も人間形態になっていた。とはいえ耳と尻尾のついた半獣人型。
色々ツッコミたいことはあったが、大人しくついていく。
先触れに一頭が狼のまま駆けていった。駆けながら「ウォウ」「ウォウ」と鳴いている。その声に家々から半獣人が顔を出しては俺達を見ていた。
「麻比古!?」「麻比古!」あちこちからかかる声に手を挙げ応える麻比古。本当に麻比古の故郷だとようやく納得した。
「どうしたんだ」「久しぶりだな」「そいつらなんだ」取り囲まれ口々に問われる。が、先導の男が「長への挨拶が先だ」と押しのけ先へ進んだ。
そうして他の掘っ立て小屋よりも立派な建物に通され、広い板の間でようやく座った。
「ここ、長の住まい」「会議なんかはここでやる」「下の広場は祭りしたり武闘会したりする」麻比古が簡単すぎる説明をする。
「マコ、大丈夫?」
暁月の問いかけにマコがうなずく。
「家よりもこの集落は霊力量が多いわ」「三か月経ったとはいえ、まだ産後だから」「つらいときはすぐ言うのよ」
暁月の言葉はもっともだ。そういえばと思い出し、無限収納からペットボトルを出した。マコに飲ませようとしたら「しまっとけ」と久十郎に小声で叱られた。
「『先方が茶を出さない』という嫌味に取れる」「出すならトモのミルクを出せ」
そういえばそろそろ乳の時間だ。
麻比古が同行したヤツに「赤ん坊がいる」と説明し、ミルクをやる許可をもらった。
ペットボトルを戻し、念の為にと入れておいた哺乳瓶を出す。祝い着をはずし抱き直してからマコがトモの口に飲み口を当てた。
ちいさい手で哺乳瓶をちゃんと持ち、ゴキュゴキュとミルクを飲むトモ。かなり喉が渇いていたのか腹が減っていたのか、どんどんと中身が減っていく。
と、廊下から数人がやって来た。
狼の耳と尻尾をつけた、着物に袴の男が五人。その先頭の人物は、明らかに風格が違った。キチンと正座し手をついて頭を下げる。他の連中も同じようにした。マコだけは哺乳瓶を持っているので軽く頭を下げるだけ。
「なんだ麻比古。なにがあった?」
上座に座るなり男は口を開いた。
「いや俺にもなにがなんだかわからないんだ」「人間の街にいたんだが、急に『跳ばされた』んだよ」「黒狼村の近くだったのは不幸中の幸いだ」
麻比古の説明に男達は納得していた。
「そうか。まあゆっくりしていけ。―――そちらは?」
「人間の街での俺の家族。ヒデとマコ。ふたりの子供のトモ。伊佐治、久十郎、定兼、暁月」
麻比古が俺達をひとりずつ紹介する。頭を下げれば「ああ。あの」とあちこちから納得の声が上がった。だけでなく「いつも麻比古が世話になっているそうで」「感謝申し上げる」と丁寧に返された。
とりあえず今回は『事故』として納得してもらえ、俺達は釈放されることとなった。
「泊まっていけよ」と誘われたが「赤ん坊がいるから」と帰ることを決めた。
「麻比古だけでも残っていいぞ?」
そう言ったが「俺がいなくてどうやって帰るんだよ」と言われたらそのとおりで、全員で帰ることとした。
騒がせたお詫びにと、無限収納に入れていた酒と菓子を渡した。「人間の食い物か」「めずらしい」と喜んでもらえた。
長の住まいを出ると、半獣人に取り囲まれていた。来る途中声をかけてきた連中がそのままついてきたらしい。
背の低い者が前に、背の高い者が後ろにいるあたり、思いやりや配慮が浸透しているのだろうと察せられる。
「お騒がせしました」麻比古の挨拶に全員揃って頭を下げた。一体なんだったのか。帰ってから母と検証せねば。そう考えながらトモを抱くマコを支えながら向きを変えた。
と、最前列に立っている女の子の様子がおかしいことに気が付いた。
誠一郎や蓮より大きい。五歳くらいか。吊り目がちの大きな目をまんまるに見開き、口もポカンと開いている。耳も尻尾も毛が立ってふくらんでいる。なにより顔が真っ赤だった。
なにを見ているのかと視線を追うと、麻比古を見つめていた。その麻比古も驚いたように目を丸くして固まっている。
一体なにが、と声をかけようとしたそのとき。
「―――けっこんしてください!!!」
女の子が叫んだ!
「わたしの『つがい』」「まちがいない」「けっこんしてください!!」
「待て―――!!!」
麻比古に向け突進する女の子を長がふんづかむ。腹に腕を回され抱き止められた女の子はそれでも手足をジタバタさせて麻比古に向かっていこうとする。
「はなしてとおさま! このひとなの!『つがい』なの!!」
「「「はあぁぁあ!?」」」
……………広間に逆戻りになった。
◇ ◇ ◇
「ヒデの気持ちがわかった」「これは『受け入れるわけにはいかない』と思う」
頭を抱え麻比古がうなる。
「そんなこといわないでください」「どうぞうけいれてください」幼女がそんな麻比古に寄り添い、丸まった背を撫でる。
聞いた話をまとめると。
幼女は長の娘。長は麻比古より少し歳上で、麻比古が村を飛び出したときにはまだ独身だった。これまでに何度か帰省している麻比古だが「大人の集まりに子供は顔を出してはいけない」と言われていた彼女は表に出ることはなかったため、これまで彼女との面識は一切なかった。
そもそもこの長が長になったのは昨年末―――いや、年が明けたから一昨年末になるな。
俺とマコが結ばれたときにウチの連中が一斉に帰国した。麻比古が帰国したのは『長の代替わりの儀式のため』だった。
そのときも大人達としか交流することはなく、子供がいたことも知らなかった麻比古。それが今回の騒ぎで大人も子供も『侵入者』を見物に出てきて、初めて遭遇したと。目が合った途端『わかった』と―――。
大人達は「『番』なら」と受け入れの姿勢。父親である長は複雑そうで顔をしかめている。
「麻比古も落ち着いたし」「『番』だと言うなら仕方ないだろ」そう周囲に諭され、ますます顔つきが凶悪になっていく長。
「きみはまだ幼い」
起き上がり姿勢を正した麻比古が幼女に話しかける。
「これから楽しいことがたくさんある」「色々経験し、学び、広い『世界』を知るべきだ」「たとえ『番』でも、『番』だからこそ、きみの可能性を奪うようなことをしたくない」
「今すぐに結婚はできない」
そう告げる麻比古に幼女は顔をゆがめ、長は顔をゆるめた。
「きみがもっと大人になったとき。結婚適齢期――ふさわしい年齢になったとき。そのときになってもまだ俺を選んでくれるのならば、そのときに結婚しよう」
「………『適齢期』って、何年後くらいですか」
「七、八十年後くらいかねえ」
そばの大人に聞けばそう返ってきた。
「そんなに待てません!」途端に幼女が叫ぶ。
「いやです!」「もうはなれません!」「すぐにけっこんしてください!!」
「待て待て待て待て!!」
ちいさな幼女にしがみつかれ大きな麻比古が弱り果てている。おもしろい。が、数年前の自分を見せられているようでいたたまれない。
「ちなみに年齢差のある婚姻は『アリ』なのですか?」
「少ないが、まったくないわけではない」
「大人同士であれば七、八十年差がある夫婦もいないことはないな」
「さすがに百年以上差があるというのは聞いたことはないが」
「だがまあ『番』なら仕方ないかと」
ちなみに麻比古と幼女は百十歳差があると判明している。これだから長命種は。俺とマコの三十二歳差なんていいほうだと思えてくる。
「………結婚はともかく」
ため息を吐き出した長が言った。
「村に戻ってきたらどうだ?」
「そうすれば結依もずっとそばにいられるだろう」「我々も結依を手放さなくていい」「おまえなら守護隊でやっていけるだろう」
長の提案に幼女は喜色を浮かべてうなずき、麻比古は戸惑いをあらわにした。
「『今の生活が気に入っている』とは聞いたが」「そろそろ戻ってもいいんじゃないか?」「『番』と離れて暮らせるのか?」
長の言葉に麻比古が葛藤しているのがわかる。なんと声をかけたものか、そもそも声をかけていいのかと迷っていたら、トモがぐずりだした。
「ひとまず帰らせてもらえないだろうか」久十郎が提案した。
「このとおり赤子連れだ」「母親も休ませてやりたい」「麻比古がいないと帰り道がわからないので、今回は連れ帰らせてほしい」「一度帰って、落ち着いて、それから結論を出すのでも遅くはないだろう」
これには周囲も幼女も納得した。近々の再訪を麻比古が約束し、ようやく俺達は帰路についた。