【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』15
盆も終わり夏休みも終わり、九月に入った。
マコの腹はまた一段と大きくなった。
体調がいいからと、帰国してからずっと行きたがっていた『マコの御神木』に行った。
赤ん坊のマコが捨てられていた場所。幼いマコが苦しいとき、さみしいとき、救いを求めてすがった樹。
「『かえってきた』って報告したい」「これまで守ってくれたお礼を言いたい」帰国前からマコはずっと言っていた。
帰国直後は体調が不安定だったため行けなかった。その後すぐに盆に入り、『場』が不安定になっただけでなく高霊力保持者の胎児とその母親を狙った『悪しきモノ』が集い出したので外出させられなかった。
盆も終わり、夏休みの浮かれた空気も落ち着いた今ならば外出しても大丈夫だろうと、両親とウチの連中全員を引き連れ『マコの御神木』へと向かった。
田舎の住宅地のはずれ、鳥居と祠だけのちいさなちいさな敷地。ちいさな祠の前に大きな銀杏の樹が二本立っていた。それぞれに古びた注連縄が巻かれている。
向かって右側の一本の根元にマコが近寄る。
「ここにボクがいたんだって」
太く張った根がくぼみを作っていた。
助産師から見せられた新生児の人形を思い出す。なるほどちょうどすっぽり収まりそうだ。
「白いベビー服で、白いブランケットにくるまれて、ここにはまってたって」「持っていたのはこのお守りだけ。ほかにはなにも持ってなくて、名前もなにもわからなかったって」
そのときの服もブランケットも、児童養護施設の転所を繰り返すうちにどこかに行った。お守りだけは常に身に着けていたので今でも残っている。
「ちいさいとき、この近くの施設にいたんだ」「そこの所長さんがボクを拾ってくれたんだ」「出勤前にここにご挨拶に来るのが日課で、たまたま見つけたって」「『ここだよ』って教えてくれた」
静かに、静かにマコは語り、銀杏を見上げた。
「つらいとき。かなしいとき。くるしいとき。ここに来て話を聞いてもらった」
「さみしいとき。泣きたいとき。ここに来て抱きついた」
「ボクが生きてこれたのは、この御神木のおかげ」
「この御神木がボクの『支え』だった」
「いつも守ってくれた。いつも支えてくれた。いつもはげましてくれた」
「おかげで、ボクは生きていられた」
「アメリカに行けた。ヒデさんに逢えた。トモくんを授かった」
「『家族』ができた」
両親を、ウチの連中をぐるりと見つめ、最後に俺と目を合わせたマコ。自慢げに微笑むからうなずきを返してやった。
俺の反応にくすぐったそうに笑ったマコは、幹に両手を付き銀杏を見上げた。
「御神木様」
「これまで、ありがとうございました」
「御神木様のおかげで、ボクは今『しあわせ』です」
「こんなに素敵な『家族』ができました」
「これからも『家族』とがんばっていきます」
「どうぞ、見守っていてください」
マコの想いが伝わってきて、俺も感極まってしまった。そっとマコの横に立ち、同じように幹に両手をついた。
「彼女の夫になりました、西村秀智です」
「これまで彼女を支え守ってくださったこと、深く深く感謝致します」
「ありがとうございました」
「叶うならば、どうかこれからも彼女をお守りくださいませ」
そうして瞼を閉じ、霊力を注いだ。マコは霊力操作を学んでいることで俺がしていることがわかったのだろう。隣でマコが霊力を注ぎ出したのがわかった。
霊力量をマコに合わせ、ふたりの霊力が重なるように操作する。表皮で交じったふたりの霊力が幹深くに浸透し、樹全体へと巡っていく。
霊力が巡るのを感じていたら、ふとイメージが流れてきた。
風の冷たい日の夕暮れだった。鳥居の向こうから男女が駆け込んできた。なにかを抱えている女を男が支え、転がるように足元に倒れ込んだ。
『ここなら』『携帯は』『充電が』断片的な言葉から、なにかから逃げ回りここにたどり着いたこと、携帯電話の充電が切れどこにも連絡が取れないことがうかがい知れた。
もう日が暮れる。夜になれば『アレ』はさらに増える。実際鳥居の向こうにどんどん集まっているのがわかる。
男女は話し合い、なにかを決断した。互いに抱き合い、そっと離れた。
女は抱えていた塊を足元に置いた。白い塊。隠すように、守るように。そして自分の首からなにかをはずし、その塊に差し込んだ。
なにかには強い『護り』のチカラがこもっている。そこに女は霊力を込める。『どうか無事で』『幸運がありますように』
男も『願い』と『祈り』を込める。『どうか「しあわせ」に』『ゆるしておくれ』
そしてふたりは自分に触れた。霊力と共に強い『祈り』と『願い』が注がれる。
『どうぞこの子をお護りください』『どうぞこの子をお助けください』
顔を上げたふたりの顔立ちに、既視感があった。
男はマコと同じ目をしていた。女の鼻と口元はマコと同じだった。
あっと思ったときにはふたりは離れ、足元の塊を抱き上げ抱き締めた。さらに霊力と『祈り』を注ぎ、そっと元の位置に戻した。そのまま名残惜しそうに振り返りながら、ふたりは手を繋ぎ駆け出した。祠の裏手、『アレ』がまだいないところを狙い垣根を越え、どこかに消えていった。
久々に霊力を注がれた。自分達を護り仕えてくれていた『守護者』は『戦争に向かう』と言ったきり帰ってきていない。『守護者』不在のまま近隣の者が世話をしてくれているが、『守護者』ほどの霊力を注げるモノは未だ現れず、弱るばかりだった。
そこに注がれた霊力と強い『願い』と『祈り』。神力が湧き上がる。かろうじて、この塊ひとつくらいならば護れるくらいの神力が戻った。
『対価』を捧げ『願い』をかけたならば。『対価』を捧げ『祈り』を込めたならば。神として叶えなくてはならない。
白いちいさな塊をこのまま置いておくわけにはいかない。このままでは死んでしまうと知っていた。託せるモノを呼び寄せる。気付くよう引き寄せる。そうしてどうにかヒトの手に塊を託せた。
しばらくするとちいさな塊はちいさなヒトに成った。『さみしい』『くるしい』『かなしい』いつも嘆きかなしんでいる。
どうかかなしまないで。きみの『幸運』を、『しあわせ』を、あのふたりは『願って』いたのだから。『対価』をもらった私はきみを『しあわせ』にしなくてはならないのだから。
少しでも『しあわせ』になれと『負の感情』を吸い取る。己が穢れてしまうが、『対価』をもらっているから致し方ないと受け入れる。
そのうちちいさなヒトは少しおおきくなった。抱きついて泣くのをなぐさめる。
哀れなヒトの子。『しあわせ』にしたいのに。私の神力が弱いから。
それでも『祈る』。『対価』をもらっているから。何年も成長を見続け、愛しく思うようになっているから。
あるときからヒトの子はパタリと来なくなった。『アメリカに行く』と言っていた。『アメリカ』がどこかわからないが、ずいぶんと遠いところなのだろう。もしかしたら『願い』をかけたあのふたりのように戻ってこないのかもしれない。さみしく感じながらもあの子が『しあわせ』であるよう『願って』いた。
今日鳥居の向こうから人間達とヒトでない者達が来た。
すぐにわかった。あの子だと。
驚いた。『しあわせ』になっていた。
「御神木様」
「これまで、ありがとうございました」
「御神木様のおかげで、ボクは今『しあわせ』です」
ああ。むくわれた。私は『願い』を叶えられた。『しあわせ』にできた。
流される霊力が、感謝の念が、私に巡る。神力が満ちていく。
ありがとう。こちらこそありがとう。
どうか『しあわせ』に。これからも『しあわせ』に。あのふたりはきみの『しあわせ』を『願って』いたのだから。私もきみの『しあわせ』を『願って』いるから。
あたたかな思念に胸が震える。気付いたら額を幹に当てていた。感謝が腹の奥から湧き上がる。この樹がマコを護ってくれていた。あのふたりがマコを遺してくれた。マコがここに存在している奇跡。出逢えた奇跡。改めて教えられたそれらに感動と感謝が湧き出し震える。
「ありがとう」「ありがとうございました」
涙混じりのマコの声に目を遣れば、マコは幹にしがみつき泣いていた。
「ありがとう」を何度も告げ、ただ泣くマコを後ろから抱き締めた。そっと霊力を注ぐ。マコの中で循環し、混じったふたりの霊力をマコの掌を通じて幹に流す。感謝を込めて。これまでの御加護の御礼として。
◇ ◇ ◇
「あなたたちが『視た』男女。あれがまこちゃんのご両親ね」
幹にもたれてすぐ。俺達の変化に母は気付いた。すぐさま同じように御神木の幹に触れ、『視た』。精神系能力者の母なので、御神木がマコに伝えた『思念』を『視る』ことができた。
俺が『視る』ことができたのはマコの『番』だから。御神木が『伴侶』『守護者』と認めたからこそ「一緒に『視れた』のでしょう」と母が分析した。
状況からなんとなく察することはできたが、帰宅後母があちこちに指示を出し調査した結果、マコの両親が判明した。
偶然か必然か、マコの父親の名は『篠原 真一』、母親は『篠原 真理』だった。
中学入学で出逢ったふたり。共に『真』の字を持っていることがきっかけで仲良くなりお付き合いに発展し、そのまま結婚。マコ出産時、父親の両親はすでに亡く、親しい親族もなかった。母親の両親は存命だったが海外に赴任中だった。
母親が巫女の家系で、幼い頃から霊的トラブルに遭ってきた。『能力者』と呼べるほどではないが『ヒトならざるモノ』や邪気を『視る』ことができた。高潔な魂に巫女の血を宿していたためになにかと狙われ付きまとわれていた。それを護っていたのが夫と、とある神社でもらった『特別なお守り』。
夫は昔の洋一と同じ、無自覚に退魔の素質のある人間だった。護るべき対象ができたことで、それと知らず能力を鍛え、弱いながらも威圧をふるい妻――当時は彼女――を護っていた。
ある日妖魔に追われ逃げ込んだ神社で神職に声をかけられた。事情を話すと祈祷をしてくれ『特別なお守り』をくれた。「決して肌から離してはいけないよ」「お風呂やプールではずすのは仕方ないけど、必ず近くに置いて、すぐに身に着けるように」そう言われ、身に着けるようになってからは不思議なくらい追われることがなくなった。つきまとわれていたのもピタリと止まった。
感謝したふたりは毎月その神社に参拝し、神職に礼を伝えた。結婚式もその神社で行った。妊娠期間もその神社への参拝はおこたらなかった。戌の日の安産祈願もお願いし、出産直前にも安産祈願に参拝していた。
「退院するときは気を付けるんだよ」顔なじみになった神職はそう心配した。
「赤ちゃんにもきみの血が宿る」「出産直後は本人が弱っている」「弱い母親と新生児を狙うのがでてくる可能性がある」そう言って、日の高い時間に退院すること、なにかあればこれを使えとお守りや札をたくさん渡された。
「ここからは私の推察だけど」前置きをして母が語った。
「退院時間は午前中だった」「それなのに自宅にも戻らずお世話になった神社にも行っていないことから、病院を出た直後から襲われたんでしょう」「病院の駐車場に車が放置してあったらしいわ」「逃げて逃げて、そうして偶然ここにたどりついたのでしょう」
『神職に渡された』というお守りも札もすべて「使い果たしたんでしょう」と母は断じる。俺も同意見。
この京都は霊能都市だ。京都市の外側に結界が展開されているせいで、内から発生するあれやこれやが自然消滅しない。内にとどまり、凝り固まり、時には淘汰され時には合わさり、澱んだモノに成る。そんな『澱み』や『歪み』を解消するために神社仏閣をこれでもかと建てたものだからさらに霊的密度が上がり、結果霊的なものがおしくらまんじゅうしている都市になった。
そのせいか、とにかく霊的トラブルが多い。おかしなのが『視える』、おかしなのに付きまとわれるなんてのはごく普通。生命の危険にさらされてはじめて『問題』とされる。昨今は高霊力保持者は減ってきているが、それでも潜在的に霊力や能力や素質を宿している者は多く、そういうのを狙う連中もいる。
また普段はなんともなくても特定の条件を満たしたことで狙われることもある。一定年齢に達したとか、成長に伴い霊力が増えたとか。おかしな場所に入り込んだとか、結界と知らず壊したとか。女だったら初潮が始まったとか生理中とか。
今回マコの出産で訪問して知ったが、出産に携わる産婦人科には幾重にも結界や守護がかけられている。そのおかげで出産後入院中のマコと母親は無事だったんだろう。だが退院してその結界から出た。そうして「『巫女の血脈』に気付かれ狙われ追われたんだろう」と母が話す。
母はマコの両親の人柄についても調べていた。「お父様は建築士として働いておられたそうよ」「数学が得意だったんですって」「お母様は事務員さんをされてたんですって」「妊娠をきっかけに退職されたけど、会社の誰からもかわいがられていたそうよ」
「おふたりとも、子供が授かったことをとても喜んでいらしたって」「あんなことをしたい、こんなことをしてやりたいってうれしそうに話していたそうよ」「男の子でも女の子でも『真』と名付けたいって言っておられたそうよ」
「あなたは望まれて産まれてきたの」「あなたは愛されていたの」
「最後の最後まで、ご両親はあなたを愛し、護ろうとしてくれたのよ」
母の言葉にマコはポロポロと涙を落とす。
「ご両親が愛し、護ったあなたを、これからも大事にしなさい」
「ね?」とやさしく言われ、マコはただただうなずいた。何度も、何度も。
どうやったのか、ご両親の結婚写真まで手に入れていた。御神木の『思念』で『視た』ふたりがしあわせそうに微笑んでいた。
「ボク、愛されてたんだ」濡れた瞳でマコが笑う。
「ボク、『いらない子』じゃなかったんだ」
マコの両親はおそらく喰われ亡くなった。そこは母でも確証はとれなかった。
消息不明になったふたり。父親の会社の関係者が出社しないことを心配して手を尽くしてくれたが結局見つからず、警察が行方不明者として捜査を終えたことを受け退職とした。警察を通じて母親の両親と連絡が取れた。嘆き悲しんだ両親も手を尽くしたが最終的にはふたりの死を受け入れ、遺品整理をした。なので両親の住んでいた部屋はもう他人が住んでいる。マコの祖父母にあたる母親の両親は海外赴任を終え今は京都に住んでいる。会おうと思えば会えるが、マコは「会わなくていい」と決めた。
「突然『孫です』なんて言われても信じてもらえないと思う」そりゃそうだ。
「ボクにはもう『家族』がいるから」「だからもう、いいんだ」
少しさみしそうに、それでも吹っ切れたようにマコは笑う。
「ボク、愛されてたんだ」
「それが知れただけでも十分」
膨れた腹を見つめ、やさしく撫でる。
「『母親』を――『両親』を知らないボクが母親になれるのかって、ホントは不安だったんだ」
「でも、もう大丈夫」
「ボクには『両親がいた』って知ったから」
「『愛されてた』って知ったから」
「トモくん」
「きみを守るよ」
「ボクの両親がボクを守ってくれたように」
「ボクが必ずきみを守る」
「きみが『しあわせ』であるように」
「いつかきみが『唯一』に逢えるように、『願う』よ」
その『宣言』どおり、マコに芯が入った。また強くまぶしくなるマコに惚れ直す。と同時に、あまり魅力的になってくれるなと心配も湧く。
マコの両親の冥福を祈るべく、父と洋一が経を上げてくれた。キチンとした法要の形を執り、マコをこの世に産み出してくれ護ってくれたことに感謝を捧げた。「今後は俺がマコを護ります」「どうぞご安心ください」言葉に出して誓約する俺に、マコが涙を流して喜んでくれた。
キチンと法要を執り行ったことが、俺とマコに不思議な落ち着きをもたらした。気持ちが落ち着いたというか、芯が入ったというか。言葉に表しにくい、感覚的なものなのだが、マコの生い立ちと両親がわかったこと、両親がマコを大切に想ってくれていたことがわかったことが、人間としての裏打ちになったかんじ。厚みが出たというか、支えがしっかりしたというか。
「『根幹』がしっかりしたわね」
母に言われ「それだ」と納得した。
母の調査報告の後、マコの御神木に再訪し、改めて霊力を感謝を捧げた。
幼いマコの『穢れ』を取り込んでくれていた御神木は弱っていたので俺が浄化の術をかけ清め、そのうえでしっかりと霊力を注いだ。
両親が手を尽くし、元の『守護者』は戦死していることを突き止めた。そうして御神木の近所に住む青年に新たな『守護者』になってもらうことを依頼。元の『守護者』の系譜の青年だったからか産まれたときから親しくしていたこともあってか、祠の主も御神木達も喜んで受け入れてくれた。
『守護者』がつき定期的に霊力と祈りを捧げてくれるならば祠の主も御神木達もチカラを取り戻していくだろう。俺とマコも京都にいる限りはできる限り霊力を献上するつもりだが、『守護者』がついているというのは安心につながった。俺達も新たな『守護者』に挨拶をした。気持ちのいい青年で「このひとなら」とマコも喜んでいた。
マコの両親が世話になった神社にも訪問し、神職にも会った。
神職は母のことを知っており、母の話を信じてくれた。
マコの両親のことは残念がり悲しんでくれたが、マコが生きていること、子を授かり『しあわせ』であることを喜んでくれた。
マコの持っていた遺品であるお守りに、改めて霊力を込めてくれ、神棚に奉じて神力も込めてもらった。さらには安産祈願の祈祷もしてくれた。
「きみが『しあわせ』であることがあの子たちのなによりの『願い』」
「きみに子供ができたということはあの子たちの血脈がつながるということ」
「どうか無事に子供を産んでおくれ」
「旦那さんと子供と、『しあわせ』に暮らしておくれ」
「もし可能ならば、時々でいいから、顔を見せに来ておくれ」
両親よりも歳上のじいさんはそう言ってマコの頭を撫でた。マコは大人しく撫でられ「必ず寄らせてもらいます」と約束した。
◇ ◇ ◇
帰国してからずっとドタバタしていた気がするが、ついに産み月になった。
いつ産まれてもおかしくない状況だからか、秋祭りの時期に入ったからか、十月の声を聞いてすぐに母の結界があるのに寄ってくるヤツが増えてきた。
「ヒデさんはまこちゃんについていなさい」母に厳命され、俺はマコについている。
俺達の部屋になった一階の客間は庭が見える日当たりのいい部屋。ふたりで出産の手順の確認をし、産まれたあとのシミュレーションをした。腹のトモに「うまく出てこいよ」と語りかける。「もうすぐ会えるね」とマコはうれしそう。
十月に入ってからトモと夢で会うことが減った。「出産に備えているんでしょう」と母が言っていた。母に指示されしっかりと霊力を注ぐ。マコも霊力操作で自分の体内に霊力を巡らせるときにトモにも霊力を注ぐ。
「どうか無事に」祈りを込める。何が起きるかわからない。
暁月と久十郎と定兼が常に俺達のそばにいて、なにかと気を配ってくれている。母が俺達の部屋にさらに結界を展開した。伊佐治と麻比古は家の周りを常に巡回し、威圧を外に振りまいている。寺に居ついている連中が寺とウチの周囲を巡回し、低級だけでなく低低級も『ナリソコナイ』すらも滅してくれている。母と由樹が毎日何度も浄化を施し、安産祈願やら開運祈願やらかけてくれている。おかげで寺とウチの一帯は「神域か」と問うたくらいに清浄になった。
それでも夕暮れや夜になると面倒なのが寄ってくる。マコに宿る『巫女の系譜の血』のせいか、胎児が高霊力保持者であることのためか、あれだけ日中寺の連中ががんばってくれ母と由樹が術をかけても夜になるとどこからか湧き出てくる。なんで母の結界があるのにわかるんだろうな?
「普通なら結界の中にいれば隠せるのに」母も由樹も困惑している。
「それだけトモくんの霊力と気配が強いのだろう」「もしかしたらトモくんが私の結界を一部『無効』にしているのかもしれない」
なんだよそれ。意味わからないんだが。
寺の仕事は洋一にすべて押し付けた父が夜に退魔に励んでいる。父が現場に出ることは減っているとかで、寺にいる刀の付喪神達が「使って!」と喜び勇んで名乗り出た。もちろんウチの定兼も「玄治! 玄治!」とアピールしていた。結果、人間形態を取れる付喪神達が人間形態を取れない仲間を持ち運び、戦う父に同行。三十分ごとに交代することで話がついた。父としては安倍家の主座様が贈ってくれた愛用の一振りが一番馴染むらしいが「みんなが言うから」と使ってやっている。長さも重さも違う刀を一晩に何本も使い、そのどれもが満足するほど使いこなす父。なんで七十歳すぎてんのにそんなに動けんだよ。やっぱりこの親父バケモンだった。
「やっぱり玄治は最高だ!」頬を紅潮させて定兼はうれしそう。へいへい。俺はまだまだですよ。
◇ ◇ ◇
そんなふうに俺とマコ以外がバタバタしていた数日間。
ついにマコが産気付いた。
「結界の強度を上げる」「入れなくなるから」と通常よりも早く助産師に来てもらう。助産師と助手が到着してすぐに母が結界の強度を上げた。その勢いで低低級は消滅する。
マコにつくのは俺と母と助産師と助手、そして暁月。俺はただマコの腰をさすり手を握り、霊力を注ぎ続ける。暁月がマコの様子を診て水分や軽食をとらせる。母はひたすらに安産祈願をかけ、助産師は「こんなに清浄な分娩室ははじめてだわ~」とのんきにしていた。
陣痛の間隔が徐々にせばまる。マコの体内の霊力が乱れる。必死で霊力を注ぎマコの霊力を整える。同時にトモにも霊力を注ぐ。
どうか無事に。そう祈りながら「がんばれ」と声をかける。
「がんばれマコ」「がんばれトモ」「無事に出て来い」「がんばれ」
痛みに耐えるマコの汗を拭く。「暑い」ともらすマコをうちわであおぐ。手を握り霊力を注ぐ。どこにこんな力があったのかと聞きたくなるくらいの強い力で握り返され、鍛えているはずの俺の手がつぶれるかと思った。
のんきにしていた助産師が次第に緊張感を見せるようになった。陣痛の間隔はさらにせばまる。霊力を注いでも足りていないのがわかる。
暁月がマコだけでなく俺にも水分を取らせた。「ヒデにかかってる」「しっかり霊力を注いで」そう言う暁月も緊張が顔に出ていた。うなずき、さらにマコに霊力を注いだ。
やがてクライマックスに差し掛かった。
「もうすこし!」「がんばって!」助産師のはげましにマコがいきむ。
と、恐ろしい勢いでマコの霊力が奪われていく!
あわててマコに霊力を注ぐ。注いでも注いでも足りない! もっと! もっと!!
「マコ!」「がんばれマコ!」
叫ぶ俺に、マコが閉じていた瞼を開いた。目が合った瞬間、マコが求めていることが何故かわかり、握っていた手を離してマコの身体を抱き締めた。
必死でマコを支える。接触面が増えたからか霊力がより注げるようになった。マコは俺の背に腕を回ししがみついている。正直つぶされそう! それでも『痛い』なんて言うことはできない! 腹に負担にならないように、浮いたマコの背をしっかり支え、霊力を循環させた。
くっついているからマコの腹の状態がイメージできた。トモが出ようとしている!
「がんばれ!」叫び、霊力をトモめがけて注ぐ。
「がんばれ!」しがみつき叫ぶマコを支える。
俺の霊力はからっぽになってもいい。ふたりを守る! そう念じ、必死で霊力を注ぎ続けた。マコの霊力と循環させ、体内の霊力を整える。同時にトモに霊力を注ぐ。霊力不足はイコール『死』だ。出し惜しみなどできない!
「がんばれ!」「がんばれ!」ただ必死でマコを抱き締め支え、霊力を注ぎ続けた。
「頭が見えたよ!」「もうすこし!」助産師の声を聞きながらもただ必死で霊力を循環させた。トモに霊力を注ぎ続けた。
「出た!!」
助産師の叫び。次の瞬間。
「みゃあ! みゃあ!」「みゃあ! みゃあ!」
どこかで猫が鳴いていると思った。こんなときにどこから入り込んだのかと頭の隅で思った途端、マコの身体から力が抜けた!
「マコ!?」
あわてて片腕で支えたままマコの顔を見る。と、安心しきったような、やり遂げた満足げな表情でへらりと微笑んでいた。
猫はまだどこかで鳴いている。マコを支えたまま霊力を注ぎ続け、ようやく変化に気が付いた。
トモがいない。
―――いない?
のろりと顔を上げると、マコの足元で助産師と助手と母がなにかバタバタしていた。
「よくがんばったわねマコ」暁月がマコの汗をぬぐう。それにマコはへらりと笑う。
「ヒデもよくがんばったわね!」笑顔を向けられ、ようやく事態が飲み込めた。
「―――うまれた―――?」
「ええ! 母子共に健康! よくやったわ!」
褒められ、ようやく理解した。ちょうど母が来て、マコの胸の上になにかを置いた。
頭でっかちな、人形。
そう思った。
が、霊力を感じる。この霊力は。
「―――はじめまして。トモくん」
マコがやさしく呼びかける。そっとその身体に触れる。
「よくがんばったね」「ありがとう」
さっきまで聞こえていた猫の鳴き声はやんでいた。マコの胸の上の塊はもぞりとちいさく動く。その拍子に、その左手になにかつかんでいるのが見えた。
見たこともない、高霊力が込められた霊玉。
ピンポン玉サイズの透明な玉の中は、白い渦が踊っていた。『金』と刻まれているのが見て取れた。
『霊玉守護者』
いつか見た開祖様の手記にあった。
これが。これが開祖様の持っていた『霊玉』。
そして産まれたばかりのこのちいさな息子が開祖様の生まれ変わりであること、過酷であろう運命を背負っていることを理解したのだった。