【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』13
マットに同行してもらいマコの大学へ。マット家を出る前に連絡を入れていたためゼミの教師だけでなく飛び級の許可が必要な関係者が一堂に揃っていた。
日本語の通じない外国人に囲まれても相変わらずの母が、日本語が通じないくせにいつものように場を掌握。俺とマコの結婚と、マコの飛び級への挑戦、試験に合格し卒業論文が認められれば今年度の卒業が承認された。
そのまま研究所へ。こちらも関係者が集められていて、大学でのやりとりが再現された。無事俺の八月から一年間の休職が認められた。正確には現在取り組んでいる研究を俺の研究室の研究員に引き継ぎ、時折確認の連絡を入れ必要があれば指示を出す遠隔勤務になる。この期間に成果があったり新たに発見されたものはすべて在籍研究員の成果にしていいとし、契約書も作った。そのくらいの旨味がないと残された研究員もモチベーションが上がらないと理解できるので俺も異論はない。
一年後どうするかはまた来年の夏に話し合うこととした。俺はマコから離れる気はないので、マコがマット研に所属を希望するなら一緒に戻るし、日本に残ると決めたなら戻らない。そんな心境は明かさず、ただ「課せられる課題がどんなものかわからないので、先のことは考えられない」とだけ言っておいた。
「どんな課題が与えられるのですか」「修行とはどんなものなのですか」「おふたりも経験されたのですか」大学でも受けた同様の質問に、母は笑顔で「秘密ですわ」と返した。
「なにぶん当家は四百年の歴史がありまして」「ただ旧いだけでなく寺を守る僧侶の家系でもあるので」「明かせないことが多いんですの」「お答えできなくてごめんなさいね」
いかにも映画や漫画に出てきそうな典型的『日本のおばあちゃん』の笑顔に、どいつもこいつも魅了されてしまった。簡単に話を鵜呑みにし承諾を出しやがる。なんで言葉が通じないのに人心掌握できるんだこの母は。そして相変わらず外面がいい。いつもいつも威圧で押さえつけられていた俺にとって母は般若や鬼女のような存在だが、ほかの大多数にとっては母は聖女もしくは天女らしい。『御仏の生まれ変わり』なんて話してるのを聞いたこともある。外面詐欺だなホント。
「ヒデさん。あとでお話しましょうね。ええ。ゆーっくりと」
鬼女に笑顔を向けられ震えあがった。
◇ ◇ ◇
戸籍謄本は両親が取ってきていた。どうやったのかマコのものも。日本総領事館へマコと両親とともに足を運び手続きをした。拍子抜けするくらい簡単に受理され、俺とマコはあっさりと夫婦となった。
その足でジュエリーショップに行き、母に叱られながら揃いの指輪を購入。こちらも少し待つだけであっさりとふたりの薬指に収まった。
やはり母に叱られ宝石のついた指輪も購入。宝石箱に入れたままマコに贈った。
マット家を出る前に自宅に電話をかけ、パーティーについて連絡をした。
実際は暁月以外が隠形で俺達と同行して護衛してくれていたのだが、目の前で連絡しないとマットの奥さんが許してくれなかった。
「私は『研究者』という人種を良く知っているの」
「マットと一緒にしないでくれ」と文句を言ったが「結婚指輪も知らなかった人間がなにを言うんだ」と指摘されたらなにも言い返せなかった。
とにかく奥さんの目の前で自宅に連絡をし、今夜のパーティー開催を告げた。
「急にパーティーなんて、シャーリーが大変でしょう」「私達もなにか料理を持って行くわ」「ヒデとマコの結婚披露と、サトと玄治のウエルカムのパーティーなら、お祝いっぽい日本料理を持って行くわね」
気の利く暁月の提案に奥さんは喜んだ。そうして定兼と久十郎が護衛から離脱し買い物をして帰宅。暁月と三人で料理を作りまくった。
あれこれ済ませてマット家に戻ったときには三人による料理が持ち込まれていた。
ちらし寿司。太巻き寿司。細巻き寿司。いなり寿司。手毬寿司。刺身の盛り合わせ。焼き鳥串をはじめとした串焼き。小皿に盛り付けた煮物、和え物、酢の物。さらには天ぷらの用意もしてきた。
急に決まった話なのに、マット家族と息子たちの彼女だけでなく、研究所の人間やマコの大学関係者、母の茶道関係者やマット家の近所の人間までやってきて、かなりの人数でのパーティーとなった。マットの自宅リビングは広いので問題なく収容できた。奥さんはしょっちゅうこんなパーティーを開催しているとかで、余裕で応対していた。もちろん息子達も息子の彼女達も、ウチの料理担当の三人もくるくると働いていたからこそだろうが。
ウチのかわいい子改め俺の愛しい妻は、マット家に戻るなり奥さんとアンナに連行され、白いドレスに俺の送った真珠のイヤリングとネックレスという装いになった。それに加えて頭にはお姫様みたいな冠に薄い白いヴェールをつけ、腰回りから薄い長いひらひらを何重にもつけ、ウエディングドレスのような服装になった。
俺はといえば式典用の燕尾服。久十郎が持ち込んで、着替えさせられた。
ふたり並べばまさしく結婚披露宴のようで、こんな短時間でここまで考えて準備してくれたマット夫妻とウチの連中に改めて感謝が湧き上がった。
「人前式だ!」とマット達が仕切ってくれ、集まった一同の前で夫婦の誓いをした。購入したばかりの指輪を互いに嵌め合い、さらにマコの指に宝石の付いた指輪を嵌めた。
マコと俺の婚姻手続きが無事終わったことを報告し、夫婦になったと宣言した。「おめでとう!」とあちこちから祝福の言葉と拍手をもらった。
揃いの指輪をつけ、祝福され、満面の笑みを浮かべしあわせそうなマコを見ているうちに、ようやくじわじわと『結ばれた』ことを実感した。
告白を受け入れたときも、身体の関係になったときも『結ばれた』と感じていたが、そのときと同じくらい、いや、そのとき以上の結びつきを感じる。
あのときのような激しさはない。けれど、確実な、じわじわと染み入るようなぬくもりが、俺とマコを結び付けていくのを感じる。
ああ。なんだこれ。
なんでこんな、泣きたくなるんだ。
『しあわせ』
そんな言葉が突然浮かんだ。
ああそうか。これが『しあわせ』か。
ひとりでいたときには知らなかった。ひとりでも俺は十分『しあわせ』だった。
俺には研究があった。異国までついてきてくれてそばに居続けてくれる連中がいた。それで十分だと思っていた。こんな『しあわせ』があるとは知らなかった。
満たされる。満ち足りる。ああそうか。これが『満足』か。
心地いい温泉にでも入ったかのように、指の先までじんわりとした熱が巡る。満たされた充足感に、息を吸い込み吐き出すだけで身体の内側から浄化されていくかのよう。
「マコ」「ありがとう」
言葉が自然にこぼれ出た。
「俺を選んでくれて」「俺に出逢ってくれて」「俺をあきらめないでくれて」「がんばってくれて」
「ありがとう」「ありがとうマコ」
生まれ変わったのかと自分でも不思議なくらい、世界がキラキラして見えた。清らかなモノで満たされている。感謝が全身を包んでいる。
俺の言葉にマコは驚いた顔をしたものの、すぐに愛らしい笑顔を浮かべた。
「ボクこそ、ありがとう」
「ボクを受け入れてくれて」「ボクを愛してくれて」
「ありがとうヒデさん」「大好き」
愛しい妻が愛らしすぎる。爆発しそう。ああもう。好きだ!
あんなにあれこれ考えていたのに。何年も我慢してきたのに。初めて出逢ったときに『とらわれて』からずっと『彼女のために』と苦心してきたのに。ふたを開けてみればなんのことはない。最初から夫婦となることは決まっていたんだ。
そう納得できるくらいに『夫婦』というものを自然に受け入れていた。不思議なくらいしっくりしている。無くしていた欠片がカチリと嵌まった感覚。
年齢差も。将来の可能性も。懸念していたあれこれすべて「どうでもいい」と言ってしまいたくなる。彼女が俺の妻としてそばにいる。それだけが重要なことであり、他はすべて些事だと切り捨てられる。
わずかに残った理性が「ちゃんと考えろ」「うまく立ち回れ」と警告してくるのに、魂が「そんなん知るか」と浮かれている。まさに『呪い』。『静原の呪い』はタチが悪い。
『とらわれ』『呪われ』た俺でもこうして祝福してもらえているのは、愛しい妻ががんばってくれたおかげ。彼女が俺をあきらめなかったから。それほどに愛されていることにまた全身が歓喜に満たされる。ああもう好きだ。キスしたい。いやダメだ人前だ。帰ったらキスしようそうしよう。
そして愛しい妻ががんばれたのは、導いてくれたマットのおかげ。わかってる。ちゃんと理解してる。だから改めて頭を下げた。
「マットのおかげだ」「ありがとう」「どれだけ感謝しても足りない」「ありがとう」
素直な感謝に、善意の塊の男は強いハグを返してきた。
「マコトを頼むよ」「きみも『しあわせ』になるんだよ」「おめでとう」
善意しかない言祝ぎに、ただただ胸が熱くなった。
和食の並ぶパーティーは好評だった。父が持参していた日本酒も提供した。母の茶道関係者は数日ぶりの和食にとても喜んでいた。マット家のキッチンで作った味噌汁と鯛の吸い物に感動していた。その反応に日本人でない面々も興味を持ち、あっという間に鍋が空になっていた。
「日を改めてでもいいから、結婚式はキチンとやりなさいよ」
デザートのわらび餅を食っていたら奥さんにそう言われた。
「こんなやっつけのパーティーでなくて、キチンと準備した式をするのよ」
そう言われても、なにをどうすればいいのか。
黙っていたら母が口を出してきた。
「ウチで結婚式したらいいじゃない」
「は?」
「仏前式。洋さんと由樹さんの結婚式もウチでしたでしょ?」
「覚えてないの?」と言われたが、そんな三十年前のことなんか覚えてない。
首をひねっている間に母がマコを説き伏せ、一年後に日本の実家の寺で改めて結婚式を挙げることが決定していた。
「旅行を兼ねて来て!」とマット家族(息子達の彼女含む)まで参列することが決められた。マット家族が大喜びした。
「私も行きたい!」とアンナの友人達が騒ぎ、大所帯での参列が決定した。
そこで聞かされたのが、マコが俺を攻略するためにこの連中が協力してくれた話。それで研究所に色々話が広がってたのかよ!
帰宅してから連中が書いたという小説やマンガを読んだ。ろくでもないものばかりだった。やたら生ぬるい目を向けられていた理由がわかった! くそう!!
だがこのおかげで年齢差がある俺達の結婚が祝福されているというのも理解できる。マコが喜んでいることも。だから破り捨てたいのをグッとこらえ、頭をかきむしりたくなるのもグッと我慢し、甘んじて受け入れることとした。ただし今後俺達をモデルとした創作は禁止と命じた。なのに連中「これはあくまでもフィクションです」「偶然おふたりにシチュエーションが似ているだけの、完全なオリジナル作品です」とか屁理屈をこねて新作を出しやがった。マコが喜ぶからそれ以上文句を言えず、生ぬるい視線を甘んじて受け入れることとなった。
◇ ◇ ◇
連中の創作物とマット家のパーティーのおかげか、俺とマコの結婚は拍子抜けするくらいあっさりと周知された。
アンナが手を回してくれていて、パーティーの翌日には結婚に伴う事務処理の書類がいくつも届いた。休職に関する書類もあり、半日は書類に埋もれて処理した。
結婚と休職について研究室のスタッフに通知。一部から文句を言われたが「もう決めた」とゴリ押しした。
俺が引き継ぎその他で忙しくしている間、マコはマコで忙しくしていた。
結局ふたつめの数学賞も最優秀賞を獲ったマコに、あちこちから取材依頼が殺到。コナをつけようと他大学や研究機関、企業などからも面会依頼が殺到した。それらの対応はすべて大学の広報担当部署が請け負ってくれた。
取材はすべて拒否。面会依頼も拒否。飛び級制度を利用し今年度で大学を卒業すること、卒業後は恩師であるマットの預かりになることを公表した。飛び級の試験と卒業試験が間近に迫っているために「取材にも面会にも応じられない」との説明に、どこも納得していた。
実際マコはそのふたつの試験に向けて猛勉強をしていた。幸い母がそばにいて面倒を看てくれているおかげで心配していたほどの体調不良には陥っていない。微熱と倦怠感が続いているが「このくらいで済んでいるなら良しとしなさい」と母に叱られた。
母が俺を身ごもっていたときは「ひどく吐いてかわいそうだった」「『主』のところでいただいた聖水で作ったわらび餅しか食べられなかった」「やつれる一方で、いつ儚くなるかと毎日おそろしかった」と父が教えてくれた。それに比べればマコは、食事は普通に食えるし嘔吐もない。母の霊力操作と俺が霊力を注いでいる効果だと母が言う。
その母もかなり多忙。予定していた茶道教室以外にも在米の母の信奉者から声がかかり、毎日あちこちに出かけている。加えて「せっかくだから」と観光までしている。だからマコの調子を整えるのは夜と朝。俺が霊力を注ぐのも当然そのときになる。
日が経つにつれ腹の子は大きくなる。それはすなわち必要とする霊力量が増えるということ。毎日毎日「もっと」「もっと」と要求される。元特級の俺でも投げ出したくなるくらいの繊細な霊力操作と霊力量を求められる。正直キツイ。が、これを投げ出すことはマコの身の危険に直結する。なので必死に母の要求に応えている。
◇ ◇ ◇
精神系能力者の母なので、腹の子とやりとりができる。
母はいつも腹の子を「開祖様」と呼んでいた。俺達もそう呼んでいたが、ある日を境に「トモ」「トモくん」と呼ぶようになった。
その日、霊力を注ぎ終わったあと。休憩していたマコがふと言い出した。
「赤ちゃんの名前、『開祖様』じゃおかしいですよね」「なんて名前にしましょうか」
「それもそうねえ」と母がマコの腹に手を当てた。
「どんなお名前がよろしいですか?」
少しの間のあと「かしこまりました」と言った母。と、すぐに「わかりました」と笑った。
「お名前は『トモ』をご希望よ」
「私とヒデさんの『サト』の一文字で『智』としてくれ、と」
「前世の幼名も、前前世のお名前も『智』だったんですって」
「奥様も開祖様のことを『トモさん』とお呼びになるから『智』がいいと」
「それと、敬語でなく普通に接して欲しいって」
「子供や孫に大人が傅くのは『教育上よくないだろう』って」
「胎児のときに前世の記憶がある子供は多いけど、その記憶を持ったまま生まれ出られる子供はほんのわずかだから」
「成長したときに奥様に好きになってもらえるよう、まともな人間に育てて欲しいって」
言われれば納得の話で、それから俺達は腹の子を『開祖様』としてではなく『俺とマコの息子』として接するようにした。
俺と父は「トモ」と呼び捨てで呼んだ。息子だからいいだろう。ウチの連中も同じく「トモ」と呼んだ。母とマコは「トモくん」と呼んでいた。
呼び名が定着すると話しかけることが増えた。いつの間にか腹の子の存在を認めていた。なんだかんだと腹の中の『トモ』に向けて話をするようになっていた。
「話しかけることが胎児の成長をうながす」「情緒も豊かになる」「胎児が精神的に安定すればまこちゃんも安定する」母がそう言うこともあり、俺もウチの連中も、頻繁に『トモ』に向け話しかけた。
特にマコはしょっちゅう話しかけていた。数式を解きながら解き方を説明し、掃除をしながら話しかけ、食事をしながら話しかけていた。
まるでそこにひとり居るような、いや実際腹の中にいるんだが、『ひとりの人間』に対する対応に、くすぐったいような、当然なような、不思議な感覚を感じながら日々を重ねていった。
◇ ◇ ◇
その頃から不思議な夢をみるようになった。妊娠四か月になっていた。
俺はマコと手を繋いでいる。俺は今よりずっと若く、マコと同年代になっていると何故か認識している。
俺達の視線の先にはひとりの女性。不思議なことに、背の高低も、幼いのか若いのかもわからない。ただ女性であることだけがわかる。
その彼女が篠笛を吹いている。穏やかでやさしいメロディに聞き惚れる。
一曲終わると彼女はこちらに向け笑顔になる。顔立ちはわからない。なのに笑顔だとわかる。愛おしい人間に向けた、愛情に満ちた笑顔だと。
「トモさん」
やさしい呼びかけに胸が震える。愛おしさに目が眩む。
ぎゅ。握った手に愛しい妻の手がある。マコも俺の手を強く握ってくれる。
しあわせしかない笑顔に、なにもかもあずけてくれる笑顔に、こちらまでしあわせな気持ちになる。
《逢いたい》どこかから声が響く。
《逢いたい》切実な声。
《必ず生まれ変わって、また貴女と出会う》
《必ず見つけて、また妻にする》
《待ってて》
《待ってて》
《強くなるから》
《貴女のそばにいられるくらい、強くなるから》
《必ず貴女を探すから》
《逢いたい》
《逢いたい》
《待ってて》
《必ず》
悲壮感あふれる、切実な『願い』に、胸が詰まる。どれだけ彼女を愛しているのか、どれほど彼女を求めているのか、理解させられる。
目の前では女性がやわらかな笑顔を浮かべている。穏やかそうな雰囲気。気品ある立ち居振る舞い。肩になにか黒い塊を乗せている。その塊もこちらに好意的な目を向けている。
《逢いたい》
《逢いたい》
《待ってて》
《必ず》
《強くなる》
《貴女のそばに》
強くないと彼女のそばにいられない。彼女のそばにいるためには強くならないといけない。彼女のそばにいるためならばどれだけでも努力する。そんな決意も伝わってくる。
「わかった」
「まかせろ」
「俺が、俺達が、おまえを強くする」
「おまえを鍛え上げ、彼女にふさわしい男にする」
そう告げると、フッと空気が明るくなる。どこか焦りをにおわせていた空気が穏やかになる。
《頼む》
その声を合図に、夢から覚めるのだった。
マコも同じ夢を視ていた。
「無事に元気に産むからね」「産まれたあともしっかりお世話するからね」毎回そう告げていると教えてくれた。
母によると、それはトモの視ている夢らしい。トモの視ている夢に、母胎であるマコと、マコにくっついて寝ている俺が入り込んでいる状態。
決して悪い状態ではなく、むしろ俺の霊力がマコにしっかり注がれ、うまく循環している状態だからこその現象だろうと母が言う。
「たまにあるのよ。胎児の視てる夢に入り込むとか。夢で胎児と一緒に遊ぶとか」
母によると、高霊力保持者の胎児でなくてもあり得る現象らしい。
「逢わせてあげたいね」マコが言う。
「ボクはヒデさんに逢えて、結ばれて、とっても『しあわせ』だから」
「トモくんも、逢わせてあげたい」
それは『願い』。
マコ自身から出た『願い』。
「強くないと『奥様』のそばにいられないなら、強くなれるようにサポートしてあげたい」
「あんなに『逢いたい』って『願って』るんだから」
「『願い』を、叶えてあげたい」
マコが真剣な表情で言う。それは『宣誓』。マコは知らないだろうが、術者である俺達には『わかる』。言葉として発する『誓い』が『言霊』に成っている。
『願い』と『宣誓』がマコの思念を強くする。それは伴って霊力が研ぎ澄まされていくことになる。『トモを護る』『無事に産み出す』その想いが霊力となり、胎児の『護り』と成る。
それもあって胎児は、高霊力保持者の胎児であるにもかかわらず順調に成長していった。
飛び級の試験も卒業試験もクリアし、卒業論文も認められた。五月半ば、マコは無事に大学を卒業した。妊娠五か月になっていた。
卒業式の朝、準備をしていたとき。「わあ!」とマコが腹を押さえた。何事かと気色ばむ俺達に動揺を隠さないマコ。「ポコンて蹴られた!」と叫ぶ。
すぐさま母と俺が腹に触れる。と、内側から蹴られたのがわかった。
「大丈夫。順調に成長している証拠よ」母の落ち着いた言葉にマコは安心した。
「卒業式の間は大人しくじっとしててね」「終わったら好きに動いていいから」腹のトモに母が言い聞かせ、どうにか無事に卒業式を終えられた。
若手の登竜門と言われる難関賞を、それも最優秀賞を連続受賞し、飛び級で卒業するという快挙に、数学関係者だけでなく地元メディアと日本のメディアも取材に来た。母の提案で大学とウチの研究所の合同記者会見の場を設け、マコは卒業式直後に五分だけメディアの前に立った。
「大学に進学できたのはマット先生のおかげ」「これからもマット先生の下で数学の道を探究したい」事前に打ち合わせた台詞を述べ、さっさと撤収。これでマット研に所属すると誤認させられるだろうとの母の策略。
ウソは言っていない。だからマコも堂々と答えられた。
卒業式後は基本自宅で過ごした。
四月に入ったあたりから少しずつ膨らみ始めた腹が、卒業式が終わった直後からはっきりとわかるくらいに膨らんだ。戌の日に帯祝いをし、腹帯を巻いて僧侶である父と術者である母が安産祈願をかけた。
それからは毎朝母が腹帯を巻き安産祈願をかけている。腹帯自体がいくつもの術をかけたもので、それを巻くときに安産祈願の札を巻き込んでいる。
そのおかげか俺が心配していたようなトラブルは一切無く、マコは安定した妊娠生活を送った。
大学に行かなくなったマコだが、変わらず数式に向かい合っている。
「キラキラが『書いて』って言うんだ」
なんのことかと首をかしげた俺と違い、母はマコから詳細を聞き取り、本人の了承を得てマコを『視た』。
結果、トンデモナイことが判明。
「まこちゃんは特殊能力保持者です」
「『看破分析』。『見透す』ことに特化した能力です」
「『視た』ところ、渡米したときには特殊能力はなかった。霊力操作すら知らなかった」
「けれど、ヒデさんに出逢って毎日のハグで霊力を交わすようになった。たとえ本人達は意識していなくても、ホンの微量でも、霊力操作というものに触れるようになった」
「それがまこちゃんの能力の発芽をうながした」
「道具屋さんの眼鏡をしなくなったことで抑えられていた成長が進んだ。肉体的にも精神的にも成長していくのに伴って霊力も伸びていった」
「その成長期にヒデさんをはじめとした高霊力保持者に囲まれていたこと、己の『半身』と霊力を交わすことで霊力を引き上げられたことが、まこちゃんの霊力を伸ばしていった」
「そうやってある程度下地ができたところに、ヒデさんに告白して受け入れられなかったことで自分を追い込み鍛え上げていった」
「その限界ギリギリの努力と覚悟と『願い』が特殊能力を引き出した」
「普通に暮らしていたならば霊力も特殊能力も表に出ない」
「鍛え上げ、心の底から求め、必要としなければ発芽すらない」
「ヒデさんを求めるまこちゃんの『想い』が特殊能力を引き出した」
「『看破分析』の能力が分析したものを、まこちゃんは数学という表現方法であらわしている」
「マットくんはまこちゃんの才能を『天からの贈り物』と表現したけれど、まさにそのとおりだったわけね」
特殊能力保持者なんておとぎ話だと思っていた。まさか実在するとは。
そこまで言われてもマコには意味がわからないらしい。ただキョトンとしている。
「あなたが『視て』いる『キラキラ』は、悪いものではないわ」
「『書いて』と言うなら書いてあげなさい」
「それが天からの『望み』」
「あなたがヒデさんを得た『対価』として天が望んだこと」
「『世界』を『数字であらわすこと』が、あなたの使命」
「ヒデさんを得た『対価』」
巫術師のような母の言葉に、マコもどこか憑依状態の様相で聞き入っていた。
しばらく見つめ合っていたふたりだが、「わかりました」とマコが受け入れたことで厳かな空気は解消された。