【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』12
「よくやってくれましたまこちゃん!」「あなたは最高のお嫁さんよ!」
意味がわからずキョトンとするマコに構わず母はマコを褒め倒し、ひとりテンション高く盛り上がっている。キョトンとしている俺達を放置して。
「こうしてはいられないわ。まこちゃんの守りを更に万全にしないと」「帰国したあとの手配も足りないわ。由樹さんに連絡して、沙樹ちゃんと美波ちゃんにも協力してもらわなきゃ!」
「あれをして、これをして」と母には珍しくテンションが上がっている。
「忙しくなるわよ!」やる気に満ちた声には喜色しかない。
「早速動きなさい馬鹿息子!」「イエ、私が動くわ! 久十郎ちゃん、案内して!」
「待て待て待て待て」
飛び出そうとする母を慌てて止める。
「ちゃんと説明しろ! どういうことだ!?」
「説明したでしょ?」
母は「なにを言ってるの」と馬鹿にしてくる。
「まこちゃんのお腹に宿った赤ちゃんは、我が青眼寺の開祖様です」
「四百年、我が西村家が待ち望んだお方です」
「『開祖様』?」
「まさか忘れたとは言わせませんよ」
復唱する俺に母が凄みのある笑みを向ける。ピッと背筋を伸ばす俺に「まあいいでしょう」と母はため息をついた。
「まこちゃんには意味のわからないことですものね」
そう前置きして母は語った。
俺の実家――両親と義弟夫婦の守る寺の名は青眼寺。京都市の北西、鳴滝にある。
この寺の興りははっきりとしていない。八百年前とも千年前とも伝わるが、少なくとも四百年前の戦国期にはすっかり廃れていた。それを復興し、現在まで続く礎を作ったのが『開祖様』。
今から約四百年前。開祖様は『本山』と呼ばれる寺で修行を重ね、優れた退魔師となられた。安倍家の主座様とも親しく、青眼寺の復興は主座様から依頼されたものだった。なんでも青眼寺の周辺は霊力の集まりやすい地形で、放置しておくには「問題がある」と主座様が判断された。そこで、親しくしていた優秀な退魔師である開祖様に白羽の矢が立った。
開祖様が本山から青眼寺に移られたときに同行したのが西村家のご先祖様。『二代目様』と呼ばれ、開祖様のあと寺を継いだ。以来四百年、この二代目様の後継者が寺を守っている。養子を取ったり弟子が継いだりしているから二代目様とはもう血の繋がりはない。が、それでも寺と『西村』の『名』は四百年繋がっている。
同時に伝わっているのが『開祖様の恋の話』。
開祖様が幼い頃『唯一のお相手』と出逢った。
そのお相手は『異世界のお姫様』。守り役の黒い亀を連れておられた。
お姫様には果たさねばならぬ責務があったため、たった数か月しか共にいられなかった。けれど「お姫様のそばにいられるようになりたい」と幼い開祖様は厳しい修行に励んだ。その甲斐あって大人になる頃には優れた退魔師に成長した。
ある日、開祖様は数人の仲間とともに大物の『禍』の討伐に向かった。
どうにか封印に成功したものの開祖様以外は全滅。唯一生き残った開祖様も生死の境を彷徨った。
そんな開祖様を看病し生命を救ったのがお姫様。開祖様の危機に駆けつけてくださった。
闘病の日々の中で心を交わし、夫婦となった。けれど開祖様が回復したのを見届けたお姫様は責務に向かい生命を落とした。
遺された開祖様は深く深く嘆き悲しんだ。お姫様の姿をした童地蔵を作らせ、生涯手元に置いた。その額の白毫にはお姫様にもらった守護石を使った。
「いつか必ず生まれ変わる」「生まれ変わって必ずまた彼女に出逢う」「必ず見つけて、また妻にする」
開祖様は、そう強く強く『願い』をかけた。
二代目様は開祖様をそれはそれは尊敬していた。だから開祖様が亡くなったあとずっと、童地蔵に『願い』をかけた。「開祖様が生まれ変わって、また奥様と逢えますように」「おふたりが『しあわせ』でありますように」
「その童地蔵は『開祖様の奥様』と呼ばれていて、今でもウチにあるの」
「『奥様』にお願いをするとね。不思議と『願い』が叶うの」
「私も、私の両親も、祖父母も、ご先祖様も。『奥様』に何度も助けてもらったの」
『開祖様の奥様』と名付けられた童地蔵は俺が生まれたときには家にあった。寺でなく自宅エリアの床の間近くに大切に安置してあった。
「なにか困ったことがあったら『開祖様の奥様』に相談したらいいよ」祖父母からそう教えられた。「きっと『奥様』が助けてくださる」
「そんなにご利益のあるお地蔵様ならば寺に置いてたくさんのひとを助けたらいいじゃないか」ガキの頃、祖父に言った。
「たくさんのひとが『助けて!』って詰めかけたら『奥様』が大変じゃないか」そう言われたら「そうかも」とガキの俺は納得した。
「『奥様』は開祖様を待っておられる」「開祖様にお返しするために我が家でおあずかりしている」「開祖様を待つ間、ホンの少し手助けくださっているだけ」
「だから本当の本当に困ったことがあったときだけおすがりするんだよ」と言われた。同時に「開祖様が生まれ変わられたら必ず『奥様』をお返しするように」と。
「そんなのどうやってわかるんだよ」と聞けば「安倍家の主座様がおわかりになる」「主座様がお連れになられる」と教えられた。
『安倍家の主座様』という方はこれまでに何度も生まれ変わっておられる。四百年前は開祖様と友達だった。現在はまだ転生されていないらしいが数十年前は存命で俺の両親を助けてくれた。
主座様は転生されると必ず青眼寺を訪れ『開祖様の奥様』と呼んでいる童地蔵にご挨拶に来られる。そうして開祖様の話をし「見つけたら連れてくるからそのときはこの童地蔵をあいつに渡してやってほしい」とお願いされる。寺の裏にある開祖様の墓所に毎年墓参に来られるようになり、青眼寺の者と交流をされる。ウチの母とも母が生まれる前から親しくしてくださり、とある妖魔に『呪い』をかけられた母を救おうとした父にご助力くださった。
そんな話を幼い頃から聞いていたから『開祖様』も『主座様』も『転生者』も、存在を疑うことはなかった。が、まさか自分の子供が『転生者』で、しかもそれが開祖様だとは。
驚いていたとき、ふと思い出した。俺が留学するまでのあれこれを。
俺は特級退魔師の父と稀有な術者の母を持つサラブレッドで、実際特級退魔師として活躍していた能力者だった。ひとりっ子だった俺は当然寺の跡を継ぐようあちこちから求められた。
だが俺は研究がしたかった。『視える』ということがどういうことか知りたかった。日本国内での研究に行き詰まっていた俺は留学を希望した。が、両親は反対した。正確には「留学したかったら代わりの後継者を連れてこい」と条件を出してきた。
青眼寺は普通の寺じゃない。四百年前の開祖様の時代からずっと『対妖魔の救済所』だった。だから後継者は『能力者』でないとなれない。そのへんの人間を連れてきて「跡を継げ」というわけにはいかない。
開祖様は退魔師だったが、妖魔に対応できるだけの能力があれば別に物理戦闘をする退魔師でなくとも構わない。実際俺の母も祖父母もその上の代も術を行使する術者だった。それぞれに得意があって、結界師とか祓い師とか呼ばれている。母は有能すぎるくらい有能でなんでもできるので、先見師でもあり結界師でもあり呪具師でもあり、と、ひとつの名称に絞れない。そのせいで『術師』と認識されている。俺は『退魔師兼術師』。そう。俺もなんでもできる。
そんな俺の代わりなんてそこらに転がっているわけがない。昨今『能力者』自体数を減らしているのに、俺並の高レベルとなるとまずいない。見つけたらすぐにどこかに確保される。
「無理じゃないか」と途方に暮れたときに思い出したのが『開祖様の奥様』。藁をも掴む気持ちで童地蔵に向けて「留学したい」「代わりに寺を継いでくれる人間が欲しい」と訴え『願い』をかけた。そりゃあもう必死に。
もしかして、ご利益があったのか? あの童地蔵のおかげで洋一と由樹に遭遇できたのか??
そういえばこれまでに研究に行き詰まったときも、帰国して童地蔵の頭を撫でたり話をしたりしたら、ポンと解決策を思いついたり良いご縁が転がり込んだりした。………もしかして、それも??
「だから私達は『願って』いるの。開祖様と奥様が生まれ変わってまた出逢えることを。おふたりが『しあわせ』になることを」
「まさかその開祖様がまこちゃんに宿るなんて―――」
自分の思考に震える俺に気付くことなく母は感極まった様子でマコの両手を取る。
「ありがとうまこちゃん。本当にありがとう!」
興奮を抑えることなく母がブンブンと握手する。言われたマコは「は、はあ」とポカンとするしかできていない。
「開祖様に『奥様』を――童地蔵様をお返しすることは我が家の悲願。それを私の代で果たせるなんて」「しかも私達の孫としてお産まれくださるなんて」「生まれ変わられた奥様に巡り逢えたときに好きになっていただけるよう、しっかりとご指導するとお約束したから!」
それがさっきの『誓約』か。
「勝手に約束すんなよ」と言ったが母は平気な顔。
「開祖様は私と玄さんでお育てするから」「あなたはまこちゃんをしっかりと守りなさい」
その言葉にマコがちいさく反応した。それを見逃す母ではない。すぐにマコに顔を向け「まこちゃん」と呼びかけた。
「まこちゃんのおなかの子は、私達が京都でお育てするわ」
なにも言えないでいるマコに、母はゆっくりと説明する。
「まこちゃんには一年休学してもらいます」「その間に赤ちゃんを産んで、育ててもらいます」
「出産予定日は十月十日よ」
断言する母に「なんでわかるんだよ」とツッコめば「生理の始まった日と性行為日がはっきりわかってるから」と返ってきた。ウチの連中、そんなことまで報告してたのかよ! ていうか、なにもかもお見通しかよ!! 気付いてなかった俺が馬鹿みたいじゃないか!
「馬鹿は黙ってなさい」
「だから思考を読むな」
「読まれるほうが未熟なんです」
俺を適当にあしらい、母は再びマコに話しかけた。
「まこちゃんの学校が始まるのは九月よね」「それに間に合うようにこの家に戻りましょう」
母の説明にうなずくマコ。がすぐなにかに気付いた。
「ボクが学校に行ってる間、赤ちゃんはどうしたらいいでしょう」「学校に連れて行っちゃダメですよね?」「暁月さん達にお願いするので大丈夫ですか?」
生まれた赤ん坊も一緒に暮らすつもりのマコに、母は一瞬表情を曇らせた。
「―――残念だけど赤ちゃんは一緒に暮らせないわ」「京都に置いていって」
「―――なんで」
こぼれた言葉には絶望があった。
「ボク、赤ちゃんといたい」「ひとりにさせたくない」
「『ひとり』じゃないわ」「私と玄さんが責任を持ってお育てします」
「ボクが育てたいです」
母の言葉にかぶせるようにマコは言った。
「『おとうさん』と『おかあさん』で、子供のそばにいたいです」
「ボクが欲しかったもの、子供にあげたいです」
「ボクがして欲しかったこと、してあげたいです」
「そばにいて、抱き締めたいです。話を聞いて笑いかけたいです。『おはよう』のキスをして、『おやすみ』のキスをしてあげたいです。眠るまで添い寝して、おなかポンポンしてあげたいです」
「一緒にごはんを食べたいです。いっぱい愛情をあげたいです。おやすみの日には一緒に公園に行ったり遊びに行ったりしたいです」
「手をつないで歩きたいです」「『おとうさん』と『おかあさん』で子供をはさんで、三人で歩きたいです」
それはマコが得られなかったもの。
幼いマコが欲していたもの。
今のマコが叶えたいもの。
些細で、ごく普通で、それでもマコがずっと望んでいたもの。
必死に訴えるマコに、母はちいさく眉を寄せ、ため息を落とした。
「―――残念だけど」
ようやく出てきた母の言葉にマコは息を飲んだ。
「おなかの子が開祖様な以上、アメリカでは育てられないわ」
「―――なんで」
「奥様に逢えなくなるから」
意味がわからないらしいマコに母は話しかける。
「開祖様の奥様は『異世界のお姫様』なの」
それは童地蔵のほうの『奥様』でなく、本物の『奥様』の話。
「開祖様の奥様は実は『呪い』をかけられているの」「その『呪い』は『二十歳まで生きられない』『記憶を持ったまま生まれ変わる』というもの」
「奥様には責務があるの」「主座様からおうかがいしたことがあるんだけど、その責務のために必ず京都のどこかにお産まれになるそうなの」
「アメリカにいたら奥様と逢えなくなる」
「それに」
「開祖様――まこちゃんのおなかの赤ちゃんは『奥様の責務を果たす手助けができるだけの実力を得たい』とお望みなの」「自慢じゃないけど、玄さんは特級の退魔師。私も術者としてはそれなりだと自負しているわ」
「私達ならば、開祖様をお守りすると同時にご希望に添えるだけの教育をお授けできる」「ヒデさんとまこちゃんでは、開祖様がお望みになるチカラを与えることはできない」
母の説明を黙って聞いていたマコ。母が口を閉じてもじっと話を咀嚼していた。
やがて理解したのだろう。息を吸い込み、まっすぐに母を見つめた。
「じゃあ、ボクも京都に残ります」
「赤ちゃんが京都にいたいなら」「おとうさんとおかあさんからの教育が必要なら」「ボクも京都に残ります」
迷いなくきっぱりと言い切るマコに、母のほうが困り顔になった。
「まこちゃんはそれでいいの?」「数学者としての人生をなげうつことになるんじゃないの?」
「もともと数学者になれる立場じゃありませんでした」
そう言い切るマコはあっさりと続けた。
「ボクは中学卒業したらすぐ働かないといけない立場でした」「たまたま奨学生になれて高校に行けて、たまたまマット先生が誘ってくれて大学に行けただけです」「マット先生が誘ってくれなかったら、お弁当屋さんか工場で働くつもりでした」「だから、ボクのことはいいです」「赤ちゃんのほうが大事です」
「ボクの赤ちゃんに、ボクみたいなさみしい想い、させたくないです」
それはマコの心からの願いだと、精神系能力者でない俺でもわかる。精神系能力者の母ならばなおのこと理解しただろう。一瞬眉を寄せ、それでも穏やかな表情を作り、やさしくマコに語りかけた。
「あなたはすごい賞を獲ったと聞いたけれど?」
「あなたが数学を捨てることは、これまであなたを支えてくれたひと達を裏切ることにならない?」
その問いに、マコは開けた口を閉じた。
逡巡する様子に母は困ったようにコテリと首をかしげた。
「ウチの馬鹿息子がどうして今まであなたを受け入れなかったか、知ってる?」
「あなたの将来を守ろうとしてたからよ」
「ヒデさんのその気持ちに泥を塗ることになるわよ?」
俺の名を出され、マコはわかりやすくひるんだ。目がキョドキョドと揺れる。迷い困っているのが手に取るようにわかる。
「……………でも……………」
「……………でも……………!」
膝に乗せた手を拳に握り言葉を探すマコ。必死の表情に、折れたのは母だった。
「あなたがどうするか、それはまた開祖様がお産まれになってから考えましょう」
「まずは無事に出産することが一番だから」
「でしょ?」と微笑まれ、マコはしぶしぶというようにうなずいた。
そんなマコに母は手を伸ばし、やさしく頭を撫でた。
「昨日から突然いろんなこと言われて、びっくりしちゃったわね」
「おなかに赤ちゃんがいるっていうのだけでもびっくりしたわよね」
おそるおそるというようにうなずくマコ。そんなマコの下腹部に母はそっと触れた。
「まだ実感はないと思うけど、間違いなくここにまこちゃんの赤ちゃんがいるのよ」
「赤ちゃんを守るために、まこちゃんにはがんばってもらいたいの」
「まこちゃんにしか赤ちゃんを守れないんだから」
母の言葉にマコの表情が変わった。守るモノのある者の顔になった。
ああ。きみは一瞬で成長する。一足飛びに大人に成長する。マコの力強さがまぶしく、思わず目を細めた。
それが微笑んでいるように見えたらしい。目が合ったマコが照れくさそうに、それでもどこか得意げに笑った。ああもう。この子は。
すぐに母に顔を戻し、マコはうなずいた。
「がんばります」「ご指導のほど、よろしくお願いします」
◇ ◇ ◇
朝食のあとすぐにマットに連絡。時間をもらう約束を取り付けた。
日本総領事館へ婚姻届提出手続きについて問い合わせをし、必要書類をリストアップ。ついでに訪問予約もした。
俺があちこち手配している間に母がマコに術をかけた。霊的守護と物理守護と安産祈願。昨夜作ったという霊力補充アイテム――手首につける念珠とネックレス――を身に着けさせ、胎児を安定させる護符を腹に貼り付けた。
そうして俺にたんまりと霊力補充をさせた。
注ぎ方も注ぐ量も細かい注意が必要だった。一気に注ぐとマコが保たない。注ぐ量が少ないと循環しない。マコに注ぐ前に母と手をつなぎ注ぐ霊力量を確認し、合格が出てからマコに注ぐ。母がマコの腹に手を添え、霊力量と循環具合を確認しながら。マコは霊力操作を知らないのでそこも母がフォローする。
「まだまだ」「もっと」注いでも注いでも「もういい」と言われない。一定量を一定に注ぐのはかなり繊細な霊力操作が必要になる。柄杓で細く細く水を注ぐイメージ。同じ太さになるように。波打たないように。総量は同じでも一気に放出するほうが絶対楽。同じ水の量でもバケツをバシャーンとひっくり返せたら楽なのと一緒。
どうにか母の合格が出た。もう倒れそう。霊力量は思ったほど使わなかったが、とにかく操作がキツかった。
「今日から朝晩これをやるように」と命じられる。「まこちゃんの生命がかかってる」と脅されては「わかりました」以外の答えはない。
霊力を注いだマコは「なんか元気になったみたい」と喜んでいた。マコがいいなら俺に否やはない。がんばります。
マコの体調も回復したところでマットのところへ。自宅にお邪魔し、奥さんも同席してもらい話をした。
マットも奥さんもウチの両親とは面識がある。これまでの三十年の間に何度かマットを連れて帰国したことも、俺ぬきでマットと奥さんが実家に泊まったこともある。
「お久しぶりねマットくんシャーリーちゃん! 元気そうでなによりだわ!」
堂々と日本語で語りかける母。いつものことだ。陰から俺が通訳する。
「おかあさん! おとうさん! いつアメリカに!?」
「ゆうべ着いたのよ」
あっけらかんと答える母。通訳の俺の言葉が終わるのを待って次の言葉をつむぐ。
「ヒデさんには連絡してたんだけど。四月から四か月間、お茶の先生として派遣されたの」
「アメリカにいる間はヒデさんのおうちで暮らすから。よろしくね!」
英訳すればマット夫妻は喜んだ。「時間があれば自分達が地元の名所を案内するよ!」と張り切った。
「それよりお願いがあるの」
そう言い、母が隣に座るマコを引き寄せた。
「このまこちゃんをウチのお嫁さんにするわ」
「「『お嫁さん』!?」」
「一年休学させたいの」
「「『休学』!?」」
驚くふたりから「どういうこと!?」と詰め寄られ、母からは「しっかり訳してるの?」と責められ、板挟みになった俺は早々に降参した。
「マコ、頼む」と頭を下げ、マコにもう一度母のセリフを英訳してもらった。
「ふたりは知ってるか知らないけど、ウチって四百年続く旧い家なの」「お嫁さんに来てもらうためにいろんなしきたりがあるの」「一年間かけて色々勉強したり試練に挑戦してもらうの」「だから大学はおやすみしてもらいます」「もちろんヒデさんも一年間帰国させます」
母が急遽設定した、嘘八百な説明。この長文もマコは難なく英訳する。また英語スキルが上がってる。ホントすごい子だな。
「え。ちょ、ちょっと待って」
マットが動揺のまま頭を押さえ問いかけた。
「つまり?『マコトとヒデが結婚する』ってこと?」
「そうよ。伝わらなかったかしら」
「しっかり通訳してよ」と俺が怒られた。理不尽。
この母が理不尽なのはいつものことなので諦めている。マコが「ゴメンナサイ」とちいさくうなだれた。が「マコちゃんは悪くないわ」「馬鹿息子の最初の翻訳が悪かったのよ」と母は俺を責め立てる。ハイハイ俺が悪いですよと言うより先にマット夫妻が復活した。
「結婚!?」「ヒデとマコトが!?」驚くマットと奥さん。気恥ずかしさから口ごもってしまう。
てっきり反対されたり侮蔑されると思っていたら「おめでとう!」と祝福された。
「ようやく観念したのか!」「よかったわねマコト! がんばった甲斐があったわね!」「しあわせになるんだよ!」
マット夫妻に手放しに祝福され、ウチのかわいい子は「ありがとうございます」と照れながら喜んだ。
が。ちょっと待て。
「なんでそんなあっさり納得してんだ」
結婚だぞ!? 年齢差があるんだぞ! そりゃ冬季休暇前に「認める」と言祝いでくれたが、それとこれとはまた別だろう。
「だってマコトからずっと相談されてたもん」
「!?」
そういえば年末マコが押しかけて告白してきたときにそんなこと言っていた!
思わずマコに目を遣れば、かわいい子は気まずそうにサッと顔をそむけた!
「一年ちょっと前になるねぇ」「マコトが『ヒデが好きなんだ』と言ってきたんだ」「『告白したけど相手にしてもらえない』『どうにかヒデを振り向かせたい』『協力してくれ』って頭を下げたんだ」「そこまで言われたら協力するしかないじゃないか」
善意の塊があっけらかんと笑う。善意しかない態度に思わず頭を押さえた。
「そこは断れよ。説得しろよ。諦めさせろよ」
年末も言った文句を叩きつけたが長い付き合いの友人は平気な顔。むしろニマニマして返しやがった。
「おや。諦めさせてよかったのかい?」
「……………」
「ヒデ」
「……………」
「おめでとう」
「……………ありがとう」
くそう。憎たらしい。
が、なにもかもマットのおかげだと理解している。だから大人しく感謝を述べた。
「マット先生のおかげです」「本当に、ありがとうございます」
素直なマコは素直に頭を下げる。
「いいんだよー」
「結ばれただけでなく結婚まで決めさせるなんて」
「よかったわねマコト」
ちょっと待て。なんで『結ばれた』ことを知ってんだ!?
唖然としていたらなにも言ってないのにマットは俺の言いたいことを察したらしい。ニンマリと、いっそ腹が立つくらいの善意に満ちた笑顔でサムズアップして答えやがった。
「冬季休暇開けにマコトから報告されたよ」「『うまくいった』『ありがとう』って」
「マコおぉぉぉ!」
なにバラしてんだ!!
ガバリと立ち上がろうとしたがすぐさま父に首根っこを押さえつけられ元の位置に座らされる。
「騒々しい」「感情制御はどうした」「再修行だな」
頭を押さえつけられそう宣告される。くそう。ガキ扱いじゃないか。情けない。
「で? 結婚するためには一年修行がいるの?」
「……………そう」
英語での質問だったので俺が答えた。マコに通訳され質問を理解した両親もうなずき、すぐに母が口を開く。
「籍はすぐに入れるから、正確には『入籍後に一年間修行』ね」
「本来なら一年かけて本人の資質や適性を見極めて、合格とみなしたら婚姻の許可を出すんだけど」
「私が『視た』ところ、まこちゃんは近年まれに見るレベルで貴重な娘さんだわ」
「なによりヒデさんがベタ惚れだし。本人もヒデさんに好意を持ってくれてるし。肉体的につながっても問題は起こってないし」
「こんな良い方、二度と現れないわ」
「そりゃあ逃がすわけないでしょう」
「『これはもう一刻も早く籍を入れなくちゃ!』と、昨夜決めたの」
「一年間の修行期間の間にふたりの適性や相性やらを確かめて、色々な試練を乗り越えて結びつきを強くしてもらうの」
「入籍と修行と順序が逆になっちゃうけど、そうしてでもまこちゃんを逃がすわけにはいかないと私が判断したの」
『えっへん』と、どこか得意そうに言う母。翻訳するマコは褒め殺しに戸惑いうまく訳しきれていない。マット夫妻が『どういうこと?』と視線で訴えてきたので仕方なくもう一度通訳する。ついでにウチの事情も説明する。
「ウチの親父は入婿なんだ」
「母が跡取り娘」
「だからすべての最終決定権は母にある」
「ウチは母の命令は『絶対』なんだ」
「………ちょっと待って」
軽く言った俺に、マットはわかりやすく不快感を顔に出した。いつもニコニコしている男がめずらしくムッとしている。むしろ怒りをにじませている。ウチのかわいい子が顔を青くし身を引いた。
「………つまり?『マコトと結婚する』のは『ママに命令されたから』? きみの意思じゃないってこと?」
「そ」
『そんなわけあるか』と否定しようとして、しかし実際母に命令されたことで決断した以上『違う』と言い切れなくて、つい言葉が切れた。
そんな俺に三十年来の友人は初めて見る怒りを見せ、ソファから立ち上がった! そのまま俺につかみかかり怒鳴りつけてくる!
「見損なったよヒデ!」 「きみにならマコトを託せると信じてたのに!」「そんな不誠実な男だとは思わなかった!」
「待て! 待て待て! 話を聞け!」
「いいだろう聞かせてもらおうじゃないか! このボクが納得できる説明をしてくれるんだろうね!」
つかんでいた俺のシャツを投げ捨てるように振り払い、えらそうにドッカリとソファに座り直すマット。隣の奥さんは冷たい笑顔で固定されている。これはマズい。
「ええと」「その」どう説明しようかと迷い言葉が出ない俺に変わり、母がまたも口を出してきた。
「マットくん。シャーリーちゃん。そんなにもまこちゃんのことを大切に想ってくれてるのね」「ありがとうふたりとも」
「良いひと達とご縁があったのね。よかったわねまこちゃん」
のほほんと、穏やかに微笑まれ、マット夫妻の怒りが少し弱まる。固まっていたマコもこわばりがほどけた。
「マットくんが怒るのももっともだわ」
「私だって昨夜事情を聞いて怒りまくったもの」
そして母は俺のことをこきおろした。
「まこちゃんと結ばれたことで満足していた」「『結婚』も『入籍』も頭になかった」「将来の展望をなにひとつ持っていなかった」
「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、ここまでの馬鹿だとは思わなかったわ」
呆れ果てため息を吐く母に、父も、マット夫妻もうなずき、視線で俺を責めてきた!
「あまりの馬鹿さ加減に、思わず命令しちゃったのよ。『まこちゃんと結婚しなさい!』って」
「だって私、まこちゃんを気に入っちゃったんですもの」
「逃がしたくないわ。今すぐ日本に連れて帰りたいの」
「けどね。そう思ったのは、ふたりが『好き合ってる』ってわかってたからよ」
「実は私もまこちゃんから『ヒデさんが好きだ』ってずっと相談されてたの」
「だからまこちゃんの気持ちは知ってたの」
「ふたりが『結ばれた』ことも報告を受けていたわ」
「いつ結婚の報告が来るかと待ち構えてたのに、顔を合わせた息子は『結婚? なにそれ』ってトンチキなことを言う」
「もう、情けなくて腹立たしくて……」
そして再度マコ以外の全員から視線で責められる。俺の株は暴落一途だ。
「だから、懇切丁寧に教えてやったの」
「結ばれたら『それで終わり』じゃないって」
「で、ようやく馬鹿な息子も理解したの」
「結婚はふたりの同意のもと決めたことよ」
「安心して!」と微笑む母に、マット夫妻の怒りも少しやわらいだ。
「じゃあ、ちゃんとヒデ自身がマコトを望んだんだね? プロポーズしたんだね?」
責めの視線で問い詰めてくるマットに、どうにかうなずく。確認の視線を向けられたマコもうなずいた。
「ほほう?」信じていないのか、マットは目をすがめ、腕を組んだ。
「じゃあ、なんてプロポーズしたのか言ってごらん?」
「は?」
「まさか『ママに命令されたから結婚しよう』なんて言ってないよね?」
マット夫妻のドスの効いた笑顔の圧に逆らえず、両親からも『言え』と無言で命じられ、どうにかこうにかあの情けないプロポーズを伝えた。
「………その………『俺の―――』」
「英語で言ってくださーい」「日本語で言われてもわかりませーん」
「……………」
「……………『俺の残りの人生、マコのそばにいさせてくれ』」
「いきなりそれ言ったわけじゃないでしょ」「ちゃんと最初から!」
何度も何度もダメ出しをくらい、精神系能力者の母が余計な口を挟み、結局洗いざらい吐かされた。俺のメンタルは羞恥でボロボロだ。これなら妖魔相手に一晩戦うほうが楽だ。
それでもマコが妊娠していることは明かさなかった。事前に両親にきつく口止めされていたこともあり、マコも黙っていた。
どうにかマット夫妻の合格をいただき、改めて「おめでとう」と祝福された。
「しあわせかい?」善意の塊がそう微笑むから、悔しいが正直に「ああ」と答えた。
「ありがとう」「おまえのおかげだ」
真摯に頭を下げた。マットはうれしそうに目を細め、「マコトを頼むよ」と笑った。
「次年度一年間の休学という件だけど」
今は三月末。あと二か月ほどで今年度が終わり夏休みに入る。だからこそ母が「一年間の休学」を提案してきたのだが、マットがそれに『待った』をかけた。
「それならいっそ飛び級で卒業しちゃえば?」
年末に報告してきた数学賞の最優秀賞受賞に続き、次に応募していた別の数学賞も最終選考に残っていると連絡があったらしい。「最優秀賞ほぼ確実」だと。
普通は何年何十年と勉強しても一次選考にすらひっかからない難関賞に、初挑戦で、それもまだ学生の立場で、連続受賞確実とあって、マットの教え子でもあるマコの担当指導者と大学関係者が狂喜乱舞しているらしい。
そんなマコなので「飛び級で卒業させていいのでは」と先月から議論があがっていたとマットが話す。
「三つ目の論文。あれもよく書けてるよね」「あれ、数学賞に出さずにそのまま卒業論文として大学に出したら、多分卒業資格取れるよ」
「飛び級の試験と卒業試験は受けないといけないけど、今のマコトならいけるでしょ」
そんなすごい子なのかこの子。彼女の才能に驚くしかできない俺に対し、マコは「そんなことできるんですか!」と単純に驚いている。そしてウチの両親は「あらあらそれはいいわねえ」「安心だねサトさん」といつものペース。どれだけすごいことなのか、絶対わかってないだろ。
「マコトに飛び級の意思があるなら、今日これから申請に行こう」「早いほうがいい」
マットが動いてくれるなら話は早いだろう。「頼む」と頭を下げた。
「結婚しても、その修行? が終わったらアメリカに戻ってくるんだよね?」「ヒデの研究があるし」
マットの質問にマコの表情が陰った。子供のことが頭にあるとわかる。
「はっきりとは断言できない」「俺も一緒に帰国しないといけないから一年休職するつもり」「これから所長のところに行って相談する」「先のことは今のところ未定だ」「今取りかかってる研究はウチのスタッフに引き継ぐ」「日本からやり取りはするつもり」
俺の説明にマット夫妻は「そう」とひとまずの納得を見せた。
「所長がね。マコトが大学卒業したら研究所に入れようって張り切ってたんだよ」
「まあそうだよね。難関賞を連続受賞する若手数学者なんて、どこも欲しがるよ」
「ふたつめの賞の受賞者が正式に発表されたら、マコトの周囲は間違いなく騒がしくなる」
「獲得戦争が起きる」
「だから先に内定出そうって言ってたんだ」
「飛び級で卒業するなら、獲得戦争が早まる」
「『結婚で出身国に帰る』だけじゃ、誰も納得しないよ」
「『それなら結婚やめろ』くらいは言われるね絶対」
そしてマットはマコに言う。
「数学はやめちゃだめだよ」
「きみのその才能は『天からの贈り物』だ」
「どんな形でもいい。数学の道を探究しなさい」
「可能であれば、ボクの研究室で一緒に探究していこう」
「これまで同様にね」
ウインクするオッサンにマコが揺らいだのがわかった。
子供と暮らしたい。けれどマット研の水が心地いいのも確か。数学の道。マットに贈られた『天からの贈り物』という言葉。自身の希望と夢と、周囲の期待と見通せない先行きに、迷いが生まれている。
「まあだから、ヒデが所長に面会するならマコトのことも話しておいたほうがいいよ」
「なんならマコトも同席して、卒業後どうするか、日本での修行が終わったらどうするか、話だけでもしたほうがいい」
マットのアドバイスに「わかった」と答える。
「なにからなにまでありがとう」
「いやいや。ボクはマコトの後見人だからね」
そしてマコに「ひとまず飛び級の申請をしよう」「ボクも一緒に行くよ」と微笑んだ。「よろしくお願いします」とマコも頭を下げる。
「大学にマコトの飛び級申請して。研究所にヒデの休職とマコトの進路の話をして。それから婚姻届を出しに行く?」
奥さんの確認に頭の中でスケジュールを組み立てる。そうだな。その順がいいな。
「そうだね」と答えると「じゃあ今夜は空いてる?」と質問された。
「ふたりの結婚祝賀パーティーと、ご両親のウェルカムパーティーをしましょう!」
「もちろん我が家でやるわ!」
「マコトもおかあさんも忙しくなるでしょ? できるときにやっておかなきゃ!」
「研究所でもヒデの結婚披露パーティーをしたらいいと思うけど、まずは私達身近なメンバーでやりましょう!」
「アカツキ達も来れるでしょ!? 息子達もアンナ達も呼ぶわ!」
ウチのかわいい子は「そんな」と恐縮していたが母は「まあうれしい!」と喜んだ。母が喜ぶことならばなんでも賛成の父も当然喜んだ。
両親とマット夫妻で時間を決め、今夜マット家にて急遽パーティーが開催されることとなった。
まあ確かに、母の茶道のスケジュールもあるから今後時間はあまり取れないんだよな。ここはありがたく甘えておこう。
「じゃあヒデ」
と。奥さんに声をかけられた。
「結婚指輪も買ってきてね」
「……………まりっじりんぐ?」
『て、なんだ?』と続けようとした言葉はマコ以外の全員の威圧に飲み込んだ。
「………まさかそれも知らないの?」
「さすが研究者ね……。知識に偏りがありまくりだわ……」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど………」
「一般常識も再教育しないといけないな」
マット夫妻と両親から散々に馬鹿にされその場で教育され、ただでさえタイトなスケジュールに『指輪購入』をねじ込まれた。
「指輪なんていらない!」思わずといった様子で叫んだマコまでしっかりと教育され、俺達は結婚にまつわるあれこれの知識を得ることとなった。
自分の興味のある分野についてはものすごく詳しいし、すごい発見をしたり賞をいくつも獲ったりしているヒデですが、それ以外は信じられないレベルで無知です
マコはヒデ獲得のための勉強で知識は増えましたが、まだ二十一歳と経験値が少ないのでやっぱり色々足りません