【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』11
「久しぶりですね馬鹿息子。出迎えもなしとは―――」
現れたのは着物姿の小柄な老婆。すさまじい威圧を放ちにっこりと微笑む。
「いい度胸ですね」
骨身に染み付いた恐怖が直立不動を取らせる。
ヤバい。これはヤバい! かなりお怒りだ!
「母さん―――なんで―――」
死を覚悟しながらもつい疑問が口をついた。なんで日本に居るはずの母がアメリカに。
「知らせていたでしょう?」
母はサラリと答える。
「二年に一度の茶道師範のアメリカ派遣。今年は私が行くって。滞在中はヒデさんのおうちに泊めてねって。日程も連絡したでしょ?」
『聞いてません』とはとても言えない。『聞いてるか?』とウチの連中に目を遣る。全員『聞いてた』とうなずきを返してきた!
「―――『かあさん』―――? て、ヒデさんの―――?」
キョトンとしたウチのかわいい子のつぶやきに答えるよりも早く母がマコに近寄った!
「まあまあどうしたのこんなに泣いて!」
「え。あ、あの」
「あなたが『まこちゃん』?」
「あ。ハイ。マコトです」
「実際会うのははじめてね! 私、この図体ばっかり大きいでくの坊の母のサトよ。よろしくね!」
「あ。あの、はじめまして。え、えと」
「こっちが私の夫の玄さん。玄治さん!」
「はじめましてマコトさん。父です」
「あ。あの、はじめまして」
「私も『まこちゃん』て呼んでもいいかな?」
「は、はい。構いません」
「不便はないかい? ヒデは気が利かないところがあるから、困ってることがあるんじゃないかい?」
「そこは俺達がフォローしてるよ」
「みんなも久しぶりね! 元気そうでなによりだわ!」
きゃいきゃいと楽しそうにしていた母だったが。
「―――ところで」
ピタリと動きを止め、俺に威圧を向けてきた!
「どうして、まこちゃんがこんなに泣いているのかしら?」
顔はニコニコと笑みを作っているのに、その威圧に首を絞められ頭を押さえつけられる!
「説明、してくれるわね?」
「ハイ」以外の答えはなかった。
◇ ◇ ◇
リビングのソファに座り、数人はソファの後ろに立ち、事情説明というよりむしろ尋問が行われた。
何故かウチのかわいい子は両親の間に座らされている。そして何故か俺はひとり床に正座させられている。
マコが俺を好きになった。一昨年告白されたけど断った。マコには未来があるから。けれどマコはあきらめなかった。俺に『一人前の大人』として認識してもらいたいと難関の賞に挑戦し、見事受賞。改めて昨年末告白され、受け入れた。
受け入れてすぐに体の関係になり、しばらくしてマコの体調が悪くなった。心配していたが今日妊娠していると気が付いた。堕胎しろと言っているところに両親が来た。
そんな俺達の話を黙って聞いていた両親。
「以上です」の締めに、母が深くため息をついた。
「あなたは馬鹿ですか」
母がバッサリ斬り捨てる。
「まこちゃんを受け入れたことはいいでしょう。情を交わすのも自然な流れでしょう」
「ですが、責任を取る気もないのに避妊しないとは………。無責任にもほどがあります」
「責任を取る気がなかったわけじゃ」
「『ないわけじゃない』と言うならば」
言い訳しようにもすぐさま言葉を封じられる!
「何故結ばれて何か月も経っているのに籍を入れていないのですか」
「……………『せき』?」
「まさかプロポーズもしていないなどと言わないでしょうね?」
「……………『プロポーズ』??」
意味がわからなくてオウムのように復唱するしかできない俺を、母は心底馬鹿にした顔で見下してきた!
絶句ののち「………はあぁぁぁ………」と深く深くため息を落とす母。
「……………馬鹿だ馬鹿だと思っていましたが……………ここまで馬鹿だったとは……………」
馬鹿馬鹿言うな。
「馬鹿に馬鹿と言ってなにが悪いんです」
「思考を読むな」
「読まれるほうが未熟なんです」
母は精神系の能力者。相対する相手の思考を『読む』ことができる。
「ヒデは研究しか頭にないから」「脳の容量、研究が占めてるから他の情報が足りないんだよ」「避妊の存在自体知らなかったって」
ウチの連中のフォローだかなんだかわからない説明に「やっぱり馬鹿でしたね」と母が納得している!
「ヒデさん」
「ハイッ!」
威圧のこもった呼びかけに反射的に背筋が伸びる。染み付いた恐怖は根が深い。
「あなた、まこちゃんを引き取るときに私に言ったことを忘れたの? 一昨年養子の話をしてきたときに言ったことを忘れたの?」
「忘れてはいません!」
「じゃあなんでこんなことになってるの」
「……………それは、………その………」
答えに窮していたら「ボクが望んだんです!」とマコが叫んだ!
「ボクが望んだんです!『大人の女性として見て欲しい』って!『愛して欲しい』って!」
「ヒデさんは最初『ダメ』って言ったんです! 受け入れてくれなかったんです!」
「それをボクががんばってがんばって、受け入れてくれたんです!」
「ヒデさんは悪くありません! バカでもありません!」
「ボクの望みを叶えてくれただけです!!」
「落ち着いてまこちゃん」
「興奮したら身体に障るわ」
マコにはやさしく穏やかに対応する母。そっと肩を撫で「よくわかったわ」と微笑む様子は仏様のよう。
なのに俺に向けた顔は一変し、冷酷なものになっていた!
「何万の言葉を尽くそうが、行動が伴っていなければそれはただの言い訳です。クズの戯言です」
冷淡な言葉と霊力に殴られる!
打ちのめされる俺に母はさらに冷たく言い放つ。
「あなたの行いを客観的に表現してあげましょう」
「預かっていた若い娘さんに手を出し、籍を入れることもなくもて遊ぶだけもて遊び、妊娠がわかったら堕ろせと強要する。なにひとつ責任を取ることもなく」
反論しようと口を開くより早く母がさらに言う。
「はっきり言いましょう」
「クズの極みです」
「万死に値します」
母の口撃! 俺のメンタルはもう虫の息だ!
マコは暁月に動きを封じられ口をふさがれている。口出しできないよう母が指示したらしい。
「まこちゃんを『受け入れない』と決めたのはあなたでしょう」
「何故それを貫かなかったのですか」
「それだけの覚悟もなく発言していたのですか」
「まこちゃんに迫られたら即身体の関係になるなど、ケダモノとなにが違うのです」
「『本気』だと言うならば、『受け入れないまま守る』と決めたならば、その場で己のイチモツをちょん切るくらいの覚悟を見せなさい」
「それもせず、なにが『まこちゃんを守る』ですか」
「軟弱な」
「受け入れ流されるだけならまだしも、調子に乗ってまこちゃんをむさぼり倒すなど……。それも避妊もせず……」
「誰だったかしら。『彼女には未来がある』とか言ってましたねえ?」
「欲望に負けたケダモノが」
「どの口が『守る』などと偉そうなことを言うんだか」
淡々と並べられザクザクと刺される。正論に殴られ反論する気にもなれない。指摘されればなにもかも母の言うとおりで、うなだれる以外になにもできない。
「今からでも遅くありません。誠意を見せるためにも、落とし前をつけるためにも、制御の効かないモノはちょん切っておきましょう」
なにを言い出したのかと顔を上げれば。
「定兼ちゃん。刀に戻ってくれる? 伊佐治ちゃん。麻比古ちゃん。ちょっとそこのケダモノを押さえてて」
「待て待て待て待て!!!!」
「待ってサトさん」
母の指示に大人しく従うウチの連中に両腕を取られたところで父から声がかかった。止めてくれるのか!?
立ち上がり、刀に戻った定兼を手にした母は不満げに父に顔を向けた。父はそんな母の手からそっと定兼を取り上げ、やさしく語りかける。
「いくら息子とはいえ、大人の男の汚いモノをサトさんの目に触れさせたくはない」
「俺がやるから」
「そこは止めろよ!!!」
昔から父にとって『世界』とは『母と母以外』だ。たとえ実の息子であろうと父にとっては『母以外の存在』でしかない。マコを得た今ならばその理屈も気持ちも理解できるが、昔から「なんて親父だ」「それでも父親か」と思ってきた。
その父が定兼の刃先を俺の股間に向ける! 退魔に向かうときの冷たい表情で俺に声をかける!!
「一瞬で済む。安心しろ」
「どこに安心できる要素があるんだ!」
面白がった伊佐治が両腕を、麻比古が両足を押さえつける! ジタバタと暴れても大柄で力のあるふたりに完璧に押さえ込まれて振りほどけない!
仰向けに倒された俺に刀を持った実の父親が迫り来る!
え。まさか、本気でヤらないよな? お、親父!?
と、暁月を振りほどいたマコが俺の上に飛び乗った!
「やめて!!」
「ヒデさんを傷つけないで!!」
親父が刀を引いたのがわかったらしいマコはそのまま俺を背にかばい、両手を広げた。
「ヒデさんはボクが守る!」
「ヒデさんを傷つけるなら、ボクを殺してからにしてください!」
「マコ……」
押し倒された情けない格好のまま愛しい女の背を見つめる。胸にこみあげるのは強い愛情。そんなに俺のこと愛してくれているのか。大切に想ってくれてるのか。
感動に打ち震える俺に母が馬鹿を見る目を向けていた。
「情けない」
「守るべき相手に守られておいて、なにが『俺愛されてる!』ですか」
思考を読むな。
「読まれるほうが情けないと何度言ったらわかるのですか」
「ホントにこの愚息は……」
母はため息を落とし、頭痛をこらえるように頭を押さえた。
「もういいわ。伊佐治ちゃん。麻比古ちゃん。ありがとう。定兼ちゃん。人間形になってくれる?」
母の指示を受け俺の拘束は解かれた。やれやれと立ち上がろうとしたら「正座!」と厳しい声がかかる!
「ハイッ!」と正座をする俺の横でマコまで正座をした。
「まこちゃんはいいのよ。こっちにいらっしゃい」
やさしく微笑み自分の横をてしてしと叩く母。マコはおずおずと母を、父を見つめ、俺を気にかけていたが父にうながされソファに座らされた。
最初の状態に戻ったところで母が淡々と質問してくる。
「ヒデさん。あなたマコちゃんを娶る気はあるの?」
「………『めとる』???」
「はあぁぁぁ………」ため息を落とし頭を押さえる母。「やっぱりちょん切りましょうか……」と物騒なことをつぶやいている!
「まこちゃん」
俺を無視した母は隣のマコに話しかけた。やさしい笑顔で。
「こんな馬鹿だけど、ウチの愚息と結婚してもらえないかしら」
「………結婚!?」
母の突然の言葉にウチのかわいい子が目を丸くする。そんなマコに母はやさしい笑みを向けたまま、孫ほどの年齢のマコの手を取った。
「ヒデさんの『本当の家族』になってくれない?」
母の言葉にマコは息を飲んだ。
「―――『ほんとうの』『家族』………」
それはマコがずっと欲しかったもの。ずっと求めていたもの。
目をまんまるにしたマコが震える声でたずねる。
「―――いいんですか?」
「もちろんよ」
ケロッと答える母にマコは驚くしかできない。
「あなたはヒデさんが好きなんでしょう?」
「なら私達が文句を言うことはないわ」
「むしろ馬鹿息子が手を出した責任を取らせてもらわないといけないわ」
「『責任』なんて、そんな」
「それにね」
マコの言葉を封じ、母が続ける。
「私、まこちゃんのこと、気に入っちゃったの」
お茶目に笑う母にマコはまたしても息を飲んだ。
固まるマコの顔をのぞき込み、母は続けた。
「どうかしらまこちゃん。私の娘になってくれない?」
「こんなおばあちゃんだけど、『おかあさん』て呼んでくれない?」
マコは驚愕をはりつけ、それでも喜びに頬を染めた。震える口をどうにか開け、問いかけた。
「―――いいん、です、か………?」
「もちろん!」
ニコニコと即答する母にマコは、ためらいながらもそっと声を出した。
「―――おかあ、さん」
「ええ」
「おかあさん」
「そう」
繰り返すたびにはっきりと発音されるマコからの呼びかけに母の笑みが深くなる。
「よくがんばったわねまこちゃん。えらいわ」
「おかあさん―――!」
感極まり涙を落としたマコの頭を母が撫でる。
「もういいのよ」「まこちゃんはウチの子よ」「『おかあさん』て呼んでね」
母の言葉に、眼差しに、撫でる手に、マコはボロボロと涙を落とした。
ついには「わあぁぁん!」と声をあげ泣き出した。そんなマコを母は抱きしめ、頭を、背を撫でる。「まこちゃんはいい子よ」「かわいい子よ」「よくがんばったわね」「えらいわ」「ウチの子になってね」やさしくやさしく語りかける母にマコはわんわんと泣いた。泣いて泣いて、やがて寝てしまった。
「―――さて」
マコが完全に寝落ちたところで母が声をかけてきた。威圧の染み込んだ冷たい声はさっきのマコにかけていたものとは全然違う。恐怖に震える俺に母は「まこちゃんをベッドへ運びなさい」と命じてきた。
「他の男性に触れさせたくないのでしょう?」
馬鹿を見る目を向けられ、大人しく従う。マコをベッドに寝させ、リビングに戻るとそこには書類が並べられていた。
「まこちゃんをウチのお嫁さんにします」
我が家において母の決めたことは絶対。従うしかない。
だから「ハイ」と大人しく返事をしたのに「なあに? 文句ある?」と言われてしまった。
「文句はないです」
「理解が落ち着いてないだけで」
「でしょうね」と呆れたように母がため息をつく。
「じゃあ聞くけれど。結ばれてあなたはまこちゃんをどうするつもりだったの?」
「……………」
「なにも考えてなかったのね」
「これだから」と母が呆れる。
「結婚するつもりはなかったのね」
「………考えたことすらありませんでした………」
「でしょうね」
そんなこと言われたって普通考えるかよ。何歳離れてると思ってんだ。
そう文句を言いたくても口にはできず、大人しくうなだれていた。が、精神系能力者の母には俺の考えなどお見通しだったらしく滔々と語りかけてきた。
「馬鹿なあなたにわかるように説明してあげます」
「愛を確かめあったら、身体を繋いだら、『それで終わり』じゃないんです。『めでたしめでたし』じゃないんです」
「この先どうするか。考え決めなくてはなりません」
「結婚して家庭を作るのか。他の道を選ぶのか」
「どんな道を選ぶにしても、互いに納得のいく道を探し選ぶことが大切です」
「あなたとまこちゃんに限って言うならば」
「手を出したならば、責任を取って娶りなさい」
「それ以前に、『守る』と決めたならば、なにもかもから守りなさい」
「風評からも、世間からも。まこちゃんのココロも身体も名誉も未来も、なにもかも、守りなさい」
「あなたには覚悟が足りない」
「マイナスの可能性ばかり見て、まこちゃん自身を見ていない」
「何故『考えられ得るマイナスの事柄すべてからまこちゃんを守る』と言わないのですか」
「それだけの覚悟がないからでしょう」
「あなたのまこちゃんに対する想いはその程度のものですか」
「『まこちゃんと生きる道』は、あなたが考えた以外にもいくつも選択肢かあるのに、考えることさえしない。方法があるのに検討すらしない。自分の考えに固執して誰かに意見を求めることをしない。相談すらしない」
「ひとりで勝手に決めて、それをまこちゃんにもみんなにも押しつけて。それが『最良』だと何故思うのですか? みんなの意見や考えは無視してもいいと思うの?」
「まこちゃんもみんなも、あなたの人形じゃないわ」
ガンガンと殴られ言葉も出ない。正論だから。納得できるから。
「あなたが本当にまこちゃんを愛しているならば」
「さっさと籍を入れなさい」
ズイ、と出されたのは婚姻届。必要欄は全て埋められ、あとは俺とマコが署名すればいいだけになっていた。
「………年齢差がある」
「そんなものは気にしなければいいんです」
「世間体が」
「堂々としてたらいいんです」
「マコはまだ学生だ」
「もう二十歳を過ぎた成人です」
出てくる言い訳に反論していた母だったが、バンと書類を叩いた!
「ウジウジと小さい男ですね! まこちゃんが欲しくないの!?」
「欲しいです!」
「守るんでしょう!?」
「はい!」
「なら結婚しなさい!」
「『夫』として、『妻』を守りなさい!」
そう発破をかけられても、なにをどうすればいいのか。
『結婚』どころか『避妊』すら頭になかった俺が「名案なんか浮かぶわけはない」と誰もが理解していた。事実だと今ならわかるが……情けない。くそう。
ウチの連中から報告連絡相談を受けていた母が素案を持ってきていた。
順調にいけばマコの出産予定は十月。大学は六月頭から夏休みに入る。ちょうど安定期に入るから、夏休みに帰国して日本で出産させる。出産と子育ての一年間は休学し、次年度から復学。子供は高霊力保持者だとわかっている。ならばアメリカで育てるよりは日本で祖父母になる俺の両親が育てたほうがいい。
腹が目立ちはじめるのは一般的に五か月頃から。ならば今年度はバレないだろう。出産後復学したときは「出産した」と明かさず黙っておけばいい。
俺と結婚することは今すぐに公表。「日本の旧い家の長男なので結婚に特殊な手続きが必要」「そのために一年間休学する」とすれば怪しまれることはないだろう。
年齢差については「日本の旧い家では年齢差よりも本人の資質と適性が重要視される」「たまたま茶道の師範として渡米した両親がマコを見込んで『結婚してくれ』と頼み込んだ」という話を広めることを提案された。
肝心の出産リスクについては、両親がずっとマコについてくれるという。
母の師範としての任期は四月頭から七月末までの四か月間。その間ウチを拠点とするつもりで渡米した。だから「毎日まこちゃんの様子も診るし、守護も安産祈願もかける」と母が胸を張る。母にくっついている父も護衛に加わるから防衛面でも安心。母の任期が終わる七月末に全員で帰国し、出産前後は鳴滝の実家で世話をする。あそこなら洋一も由樹もいる。ヒトならざる連中もウヨウヨいる。なにより母が展開している結界がある。万全の守りと断言できる。
母の案は文句の付け所がない。俺にとってもマコにとってもそれが最良だと理解できる。マコの安全も未来も守れると心の底から納得できた。
納得できたから、覚悟が決まった。マコのすべてを受け入れる覚悟。守りきる覚悟。生涯かけてマコを『ひとりの女性』として――伴侶として愛し続ける覚悟。
だから翌朝目が覚めたマコに「結婚しよう」と素直に言えた。
「俺が弱虫だった。意気地なしだった」
「世間体も、年齢差も、気にしていたのは俺自身だった」
「俺は、マコがなにより大切なんだ」
「だから守りたかった。世間体からも。俺自身からも」
「でも本当は」
「本当は、最初からマコが好きだったんだ」
「そばにいたかった。守りたかった。逃げられたくなかった。だから物分かりのいい大人のフリをして、マコを受け入れなかったんだ」
「弱虫だったんだ。意気地なしだったんだ」
「マコを守りきるだけの覚悟とチカラがなかったんだ」
「けど、母さんがマコを守る方法を教えてくれた」
「今なら、マコを守れる」
「マコを守る覚悟ができた」
「弱虫で意気地なしなオッサンだけど、マコが好きだ」
「どうか俺の残りの人生、マコのそばにいさせてくれ」
「赤ちゃん産んでもいい?」と聞かれ「ああ」と答えた。
マコは喜んでくれた。抱きついて涙を流してくれた。
「俺が支える」「俺が護る」「絶対にマコを死なせない」
抱き締め霊力を注ぐ。不思議なほどすんなりとマコに染み込んでいった。
◇ ◇ ◇
朝食の席で改めて両親と顔合わせをする。
「ゆうべはお話の途中で寝てしまってすみません」「篠原真です。よろしくお願いします」
生真面目に頭を下げるマコに母は「よろしくねー」と軽い。
「昨日も言ったでしょまこちゃん。私のことは『おかあさん』と呼んでね」
母の軽い口調に「はい」とマコは答える。そんなマコに父も声をかけた。
「こんなジジイが『父』なんておかしいだろうけど、私も『おとうさん』と呼んでもらえるとうれしいよ」
「『ジジイ』なんて」
マコは目を丸くして首を振った。
「その、おとうさん、は、とても素敵な男性だと思います」
「『ジジイ』とかは、ちがうと、思います」
恥ずかしそうにうつむくマコ。俺のマコが! 俺以外の男に好意を持つなんて!! 実の父親といえど許せん! 一気に殺気が湧く!
「あら妬けちゃう」母は軽く笑うが、俺は捨て置けない! ギリギリと歯を食いしばり実の父親をにらみつける!
「それでも退魔師か」「現役から離れすぎて感情制御を忘れたのか」「再修行だな」
ため息を落とし苦言を述べる父。そんな父をにらみつける俺に、ようやくマコも顔を上げた。俺達を見比べ首をひねる。
「ホントちいさい男ねえ」とため息を落とす母だけでなくウチの連中も呆れている。仕方ないだろうムカつくんだから。
「馬鹿は置いといて。今後の話をしましょう」
そう前置きし、母がマコに説明をしていく。俺と結婚して西村の籍に入ってもらいたいこと。一年間休学してもらいたいこと。日本で出産してほしいこと。
「出産前に入籍しておいたほうが絶対いいわ」「ちゃんと『夫婦』になって赤ちゃんをお迎えしたほうがいい」「赤ちゃんの戸籍に『父』と『母』が書かれてたほうがいいわ」
それはマコには譲れないことだった。絶対的に必要なことだった。だから一も二もなく「籍、入れます!」と叫んだ。
なんだか『俺と結婚したい』『俺と夫婦になりたい』んじゃなくて『赤ん坊のため』に入籍するみたいに感じられてしまう。「マコは俺より赤ん坊のほうが大事なんだ…」つい拗ねた物言いをしたら「当たり前でしょう」と母に言葉で殴られた。
「まこちゃんは『母親』なのよ? 愚図のでくの坊よりも子供を優先するのは当然でしょう」
「そもそもこれまでまこちゃんをないがしろにしてきたあなたが今更言えることではないわ」
「ないがしろにしてきたわけじゃ」
「じゃあなんで避妊しなかったの。今までプロポーズしてなかったの」
それを言われると二の句が継げない。
「愚図は黙っていなさい」と叩きのめされ、口を閉じた。
これからやるべきことを言いつけられた。マットとマコの担当教師への説明。大学への休学手続き。俺の研究室への説明。一年間離職するための手続き。婚姻届の提出。今住んでるマンションはどうするか。
母がひとつひとつ挙げるのをただ聞いていたら「ちゃんと紙に書き出しなさい」と命じられた。リストアップし優先順位をつけ、それぞれに対応を考え、スケジュールを調整する。
母の茶道の用事もあるから計画的に動かないと時間が足りなくなる。もちろんマコの体調だって考慮しなければいけない。
配慮不足を叱られながらもどうにか計画を立て、ケツを叩かれすぐに動きだすことになった。
「そのまえに」
話し合いが一段落したところで母が言い出した。
「まこちゃんとおなかの赤ちゃんの様子を確認しておきましょう」
本来ならば産婦人科で定期的に診てもらいたいが、どこからマコの妊娠が漏れるかわからない。なので帰国までは母が『視る』と決めた。母が。
俺が毎日霊力を注げば「大きな問題は起こらないはず」と言う。『先見』の能力者の母が言うならばそうなのだろう。
これまでも母は高霊力保持者を宿した妊婦を何人も世話してきた。胎児の霊力を整え話を聞き、色々言い聞かせ、無事出産まで導いてきた。その実績からも母に任せれば安心だと思える。
マコをソファに座らせ、他愛もない話でリラックスさせた母が右手でマコの腹に触れる。目を閉じ呼吸を整えた。途端。
ハッと息を飲み目を見開く母。あまりの変化に父が気色ばむ。俺達も、マコも不安になりただ母を見つめた。
「まさか」
つぶやき、母はじっと触れたままのマコの腹を見つめた。おそるおそるという様子で左手も腹に添え、再び目を閉じる。集中しているのがわかるから声もかけられない。ただ不安で見守るしかできない。
やがて母が目を開けた。真剣な眼差しで触れたままのマコの腹に向け話しかける。
「―――どうぞご安心くださいませ。必ず我らが貴方様をお守り致します」
「生まれ出でられたその後は、我らの全力をもってお育て致します」
「西村智子の『名』にかけて」
『言葉に出しての誓約』。そのうえ『名』までかけた。あの母が。それほどまでのナニカがあると、嫌でも突きつけられる。緊張で背筋に冷や汗がつたう。
「―――承知致しました」「どうぞお任せくださいませ」
深々と拝礼し、母はようやくマコの腹から手を離した。
説明してくれるのを待つ俺達の視線に気付いているはずなのに母は身動きひとつしない。膝に手を乗せたままじっとマコの腹を見つめていた。
無言に耐えられなくなり口を開いたところで母は深く深く息を吸い込んだ。「はあぁぁぁ……」と長く吐き出し、うつむいたままさらに数度深呼吸をした。
あの母がこんなに精神集中を必要とするなんて。どんな赤ん坊かと戦々恐々としてただ母の言葉を待った。
「―――よくやりました馬鹿息子」
―――は?
「今日ほどあなたを誇らしく思ったことはありません」
一体なにを、と問いかけるより先に母は顔を上げ俺と目を合わせた。あれだけ深呼吸をしたにもかかわらず、押さえきれない感情が出ていた。
歓喜のまま、母は言った。
「まこちゃんのお腹に宿った赤ちゃんは、我が青眼寺の開祖様です」
「四百年、我が西村家が待ち望んだお方です」