【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』10
ヒデ視点に戻ります
冒頭から性行為の表現があります
妊娠堕胎などの話が出ます
ご不快な方は飛ばしてください
そこからはずっとマコを抱いた。朝も昼も夜もなく、ただ無我夢中で抱いた。研究以外でこんなにものめり込むことがあったのかと自分で驚いた。女で身を滅ぼすヤツの気持ちが初めて理解できた。
ただひたすらにマコに溺れた。愛を捧げるのが、愛を返してもらえるのがこんなにココロを震わせるものだということを初めて知った。身体を重ねる悦び。互いの熱が溶け霊力も溶ける一体感。魂すらも溶け合っていると錯覚するほどの陶酔。なにもかもが意識の外になり、ただマコを耽溺した。
愛おしい。愛している。俺のマコ。俺の唯一。俺の『半身』。
ああ。そうだ。『半身』だ。マコは俺の半分。俺はマコの半分。だからこんなにひとつに重なるんだ。だからこんなにひとつに溶けるんだ。
唇を重ね身体を重ね魂を重ねひとつになる。俺のすべてをよろこんで受け入れてくれるマコ。「もっとちょうだい」「ぜんぶちょうだい」そう甘えてくれるマコ。ぜんぶやる。なにもかもやる。俺はマコのものだ。俺のすべてはマコに捧げるためのものだ。
愛してる。愛してる。愛してる。
もう離さない。もう離せない。世間体とか年齢差とか知るか。そんなもの俺達には関係ない。
マコは俺のものなのだから。俺はマコのものなのだから。
蜜月と言うに相応しい、甘く淫らな日々が終わったのはマコに月の物が来たから。テレビをつけたら年が明けていた。どれだけ夢中になっていたのかと恥ずかしくなり、反省した。
そのおかげで連中が冬季休暇明け直前に帰ってきたときには普通どおりに迎えられた。
が、ヒトでない連中には俺達の変化がすぐにわかったらしい。ニヤニヤと嫌らしい笑みで俺達をながめていた。マコはその視線の意味がわからないらしく「なに?」と首をかしげていた。
「べえっつにー」
「すっごいべったりくっついてるなーって思っただけー」
「そこまでニオイと気配がつくなんて、どんだけシたのかと思ってねー」
「これだけマーキングしたら他は寄ってこないだろ」
「だな。マコの『護り』になるから良いんじゃないか」
そうしてニヤニヤニマニマと俺に視線を向ける。「大人になって……!」なんて言う! くそう! いたたまれない!!
けれど「もう『番』になったんだから同じベッドで寝ろよ」と勧められたらホイホイと乗ってしまう。正直もうマコなしの夜には戻れない。マコがいないと焦燥感がひどい。日中は研究があるからどうにかごまかせているが、あれだけの蜜月を重ねた経験が一人寝を考えただけで喪失感を抱かせるようになった。『静原の呪い』は業が深い。まさに『呪い』。もう元の暮らしには戻れない。
そうして同じベッドに潜ればすぐにマコを求めてしまう。ついこの間まで女を知らなかったのに。もう五十過ぎたオッサンなのに。
もちろん部屋に結界を展開して、誰も入れないように、声が漏れないようにしてから行為に及んでいる。思う存分マコをむさぼり、愛し尽くす。かわいくてかわいくて愛おしくて、注いでも注いでも愛が尽きない。注げば注ぐほど愛が深くなっていく。
愛おしい。俺のマコ。俺の唯一。
狂ったようにマコを求め、そんな俺を受け入れてくれるマコが愛おしくてさらに求める。際限のない睦み合いに溺れる。マコのすべてに溺れる。
「マコ」名を呼ぶだけで痺れる。魂が震える。
「ヒデさん」名を呼ばれるだけで震える。魂が共鳴する。
重ねる身体が、溶ける熱が、ふたりをひとつにする。求め合い溶け合う。俺の唯一。俺の『半身』。俺のマコ。
そんなふうに毎夜毎夜マコを抱いていた。
睡眠時間は減ったのに、体力も使っているはずなのに、不思議なほど絶好調だった。きっと霊力がマコのと循環しているからだ。研究室でも「元気ですね」「なんか若くなってませんか?」と言われることがたびたびあった。
◇ ◇ ◇
二月の声を聞いたあたりからマコが眠る時間が増えた。
それまでは一晩に何度も睦み合うことがあったのに、一度果てたらもう力尽きたように眠ってしまう。
「おまえが無理させすぎてるんだろう」心配で連中に相談したらバッサリと言われた。自覚があるから反論できない。
「おまえ自分が普通の人間よりも体力あること忘れるなよ」「マコは女の子だぞ? 男とは違うんだぞ?」「学校もあって論文もあって、そのうえおまえの相手までしてたら、そりゃ倒れるよ」
「マコを壊すな」と言われたらそのとおりで、指摘されてようやくマコに無理をさせていたと気が付いた。
「ごめんな」夜にマコに謝れば「そんな」とマコはあわてた。
「『ごめん』て言うならボクのほうだよ」「ヒデさんに我慢させることになって……ごめんなさい」
しょげる姿が可愛くて、俺を思いやってくれることに愛おしさがつのって、また抱き締めてキスしてしまう。
「しばらくはゆっくり寝よう」「マコの体調が一番だから」
そう提案したら「………ごめんなさい」と申し訳なさそうにした。
『大丈夫』と言わないことに相当無理をしていると察せられ、それに気付かなかった自分を殴り飛ばしたくなった。
「しっかり寝て。しっかり食べて。体調を戻そう」「マコが健康であることが一番大切なんだから」
そう告げ、ベッドにふたりで横たわり抱き締める。
「けど、体調が戻ったら―――」
ちゅ、とわざとリップ音を立てて頬にキスをする。
「覚悟しろよ?」
ニヤリと笑う俺にマコはキョトンとし、しあわせそうに微笑んだ。
「うん」「いっぱい愛してね」なんてかわいいことを言って抱きついてくるから早くも自制が揺るぎそうになった。
そうしていかがわしい行為を一切せず、ただ抱き締めて寝るだけの健全な夜を重ねた。食事も健康を考えたバランスのよいものになった。レバーとかほうれん草とか鉄分多めのメニュー。「女の子は鉄分がいるのよ」と暁月が言っていた。
それでもマコは日に日に具合を悪くしていった。三月になったら微熱が続くようになった。
薬を飲まそうとしたのにウチの連中が止めた。「それよりおまえが霊力注ぐほうがいい」と言われ、なんでも試してみるつもりでやってみた。俺がしっかりと霊力を注いだ翌朝はマコの調子が少し良くなった。けれど学校に行くと疲れるらしく、帰宅したらすぐに眠るようになった。
「絶対おかしい」「病院に連れていく」と言うのにウチの連中は「大丈夫だ」と言い張り病院に連れて行こうとする俺を妨害する。
マコ自身も「微熱があってだるいだけ」「病院に行くことない」と聞かない。
「それよりヒデさん」熱で赤くなった顔で、甘えきった声で「ぎゅうってして?」なんて言う。結果ほだされて病院に行く話が有耶無耶になってしまう。
『静原の呪い』は業が深い。冷静な判断と行動ができなくなる。まさに『呪い』。どうしたらいいんだこれ。
◇ ◇ ◇
三月の終わり。大学は今日から一週間ほど休み。日本でいう春休み期間に入った。
マコの体調は戻らない。心配と焦りから研究が手につかなくなった。この俺が研究に手がつかなくなる日が来るとは。
やはり俺が無理をさせすぎたんだろうか。毎晩はヤりすぎだっただろうか。だがマコもよろこんでくれてたし。睡眠時間は確かに削られていたが日付が変わる前には寝るようにしてたし。「大丈夫」とマコも言っていたし。いや鵜呑みにしたのが間違いだったんじゃないか? 本当はキツかったんじゃないか?
それか体力や肉体的な問題でなく霊力の問題だろうか。幼い頃から霊力操作に馴染んだ俺と違ってマコはそんな経験はなかった。あの霊力が循環するのがマコには負担だったんだろうか。だが霊力を注いで循環させたらマコの体調は上向く。ならば霊力が問題じゃないと考えていいだろう。だとしたらなんだ。なにが原因だ。やはり病気か。まさか癌とか―――。
マコを喪う可能性を考えただけで血の気が引く。『許せない』『嫌だ』と魂が叫ぶ。やはり誰が何と言おうと病院に連れて行こう。精密検査を受けさせよう。ちょうどマコは休みだ。検査に丸一日かかっても問題ない。そう考えてスケジュールを確認しようとカレンダーを手に取った。
今日の明日じゃ病院の予約が取れないか。来週ならどうだ。ここで討論会があって、ここで研究発表会があって――と考えていて、ふと気が付いた。
マコと初めて結ばれて、溺れるように愛し合った日々が一旦止まったのはマコに月のものが来たから。あのときテレビをつけて年が明けていたことに驚いた。
そう。年が明けていた。確か三日だった。あれからもうすぐ三か月。たった三か月弱でまさかこんな状況になるとは―――。
悔しさに歯を食いしばっていて、ふと気が付いた。あのとき月のものが終わるタイミングであいつらが戻ってきて―――『一緒に寝ろ』と勧められてすぐにまたマコをむさぼって―――むさぼって―――むさぼって―――。
……………?
……………ここで月のものが来た。一般的には四週後。……………眠ることが増えてきた時期。まだ睦み合っていた。つまり来てない。
そのさらに四週後……………来てない。
俺が聞いてないだけか? だがあれだけくっついていたらわずかな血のニオイにも気付く。これまではそうだった。
結ばれて感覚が鈍った? いや。絶対来てない。体調が悪くて遅れているだけ? それとも子宮系の病気か!? それで具合が悪いのか!?
ならば受診させるのは婦人科か。いや、他の病気の可能性もまだある。月のものが遅れているからといってひとつに絞るべきではない。やはり全身精密検査を―――。
それでもなにかの参考になればとネットで検索する。『月経 遅れ』で検索し、ズラリと並ぶタイトルを追っていて、目が止まった。
『妊娠』
……………妊娠?
……………。
……………
――――――!!!!!
妊娠!?!?
そんな、まさか。だが。
動揺しながら妊娠について検索。
避妊!? そんなもんしてない! ていうか、まったく頭になかった!
微熱。倦怠感。どれもマコに当てはまる。
かたくなに薬を飲ませようとしなかった連中。妊娠していると気付いていた? だから薬を飲ませなかった?
情報が状況をつなげていく。疑惑が確信になった。終業と同時に研究所を飛び出し自宅へと駆けた。
◇ ◇ ◇
「妊娠してるのか」
帰宅第一声でそう問えば、ソファから立ち上がったかわいい子はキョトンとした。これは知らなかったな。
反対にウチの連中は「ようやく気付いたのか」と呆れている。
「いつ知った」
「子が宿った日にはわかったぞ?」
「だからいつだ」
「一月の半ば」
「なんで黙ってた」
「なんで言わないといけないんだ?」
悪びれる様子など一切見せず、伊佐治がキョトンと首をかしげる。にらみつけていたら久十郎がため息をついた。
「妊娠初期は子が流れる可能性が高い」
「安定するまではぬかよろこびさせることになるだろ」
「マコもおまえも気付いてないなら、気付くまでは普段どおりにしておいたほうがいいと、サトが」
母かよ。
つまり実家の両親も承知だと。
当事者の俺とマコだけが知らなかったと。
怒りを隠すことなく威圧をぶちまける俺をよそに、マコはポカンとしたままつぶやきを落とした。
「―――『にんしん』??」
「『こ』???」
ここまで言っても無自覚なマコの肩を暁月が抱く。
「ヒデとの赤ちゃんが、マコのおなかに宿ってるのよ」
「それで最近だるかったり微熱が続いてるの」
「―――!」
暁月の説明に息を飲んだマコ。瞳に喜色を浮かべ連中を見回した。ひとりひとりと目を合わせ、うなずきを返してもらうマコ。さらに喜びをあらわにし、両手で下腹部を押さえた。
「子供―――!」
「ヒデさんとの、子供―――!!!」
あまりの喜び様に怒れなくなった。喜んでくれることをうれしく思いながらも『駄目だ』と理性がそれを叱る。
黙ってマコをただ見つめる俺に伊佐治から声がかかった。
「だいたいおまえ毎晩一緒に寝てて気が付かなかったのかよ」「霊力流して体内調べたらマコのものでない気配があるのわかるだろ」
そう言われてすぐにマコの頬に触れた。霊力を流し体内を調べる。退魔師だったときには怪我なんてしょっちゅうで、どこから出血しているかどこが折れているか調べるために霊力を流すことはよくやっていた。それを思い出しながらマコの体内を探る。
―――腹に、マコのものでない存在が、ある。
まだちいさいくせに高霊力を宿しているとわかる。こいつのせいで霊力不足になりマコが体調を崩している。眠りを欲し、微熱を起こしている。だから俺の霊力を注げば安定する。霊力不足だから。
―――こいつのせいで―――
ジリ。腹の底に昏いナニカが生まれる。
こいつのせいでマコは具合が悪くなった。こいつをこのままマコのナカにいさせるわけにはいかない。こいつはマコの未来を潰す。マコの生命を削る。そんなことさせない。今ならまだ対処できる。
ネットで調べた情報からそう判断する。早く動いたほうがいい。明日の午前中は急ぎの用事はない。明日朝一番で―――いや、今すぐ行こう。深夜料金かかろうが追加料金とられようが構わない。マコの生命には変えられない。
そう決意し、マコに告げた。
「―――病院に行こう」
「病院?」
「今ならまだ堕ろせるはずだ。早く処置したほうがいい」
「―――おろす―――?」
マコはポカンとしている。意味がわからないらしい。逆にウチの連中は気色ばんだ
「オイ」伊佐治が俺の肩をつかむ。正面からにらみつけてくるからにらみ返す。威圧がバシバシぶつかる。
「なんでそんなこと言う」
「当然だろう。こいつのせいでマコが体調崩してるんだぞ」
「馬鹿かおまえ」
「子を宿したら大なり小なり体調は崩れる」
「俺達がフォローしてるから」
伊佐治の横から喧嘩腰に言う麻比古。久十郎と定兼もフォローするように口を挟む。
「霊力不足になってる」
「そこはおまえが補充すればいいんだよ」
「今でも高霊力保持者だとわかるんだぞ!? これから成長したらどうなるんだ!? マコガ保つわけないだろ!」
「おまえが保たせるんだよ!」
怒鳴る伊佐治にカッとして胸ぐらをつかんだ。負けじと怒鳴る!
「学校はどうする!? あんなすごい賞を取るほどの才能を潰すのか!」
そう怒鳴ったのに連中も反論してくる。
「一年くらい休学すればいいだろ!」
「マコが了承してないのに休学を押し付けるな!」
「それを言うならおまえが悪いんだろ!」
「おまえが避妊もせずにヤることヤりまくってたからこうなったんだろ!?」
「避妊もせずにあんだけヤりゃあ、当然の帰結だろうよ」
そう言われグッとつまる。連中の言うとおりだ。が。
「―――知らなかったんだよ!」
「はあ!? 阿呆か!」
「うるさいな! これまで性行為なんてシたことも興味持ったこともなかったんだよ!」
恥を忍んでぶちまけると連中は揃って呆れ果てた顔をした。
「これだから研究馬鹿は………」
ぶつぶつ言ったり頭を抱えたりする連中。気まずく思いながらも「とにかく!」と怒鳴った。
「子供は堕ろせ! マコの身体と将来のほうが大切だ!」
「自分の子供を殺すのか」
久十郎の一言にマコがはっきりと顔色を変えた。
言葉の強さに俺も一瞬詰まった。
「マコの子供を殺すのか」
「おまえの言ってることはそういうことだ」
淡々と告げてくる久十郎。まっすぐに向けられた眼差しは『冷静に考えろ』と訴えてくる。―――だが。
「マコには代えられない」
「他人の生命も。俺の生命も。マコには代えられない」
「マコがなにより優先される」
「マコが第一だ」
はっきりと断言する俺に久十郎は顔をゆがめた。
「……………玄治と同じこと言いやがって……………」
伊佐治が唸る。他の連中も総じて口を引き結んだ。
そんな連中を放置し、固まっているマコの前に立つ。
「マコ」
「病院行くよ」
その手を取り引っ張る。が、マコは踏みとどまった。さらに引いたが抵抗し、それだけでなく俺の手を振り払った。
「マコ」
強く呼びかけたがマコは驚愕をはりつけたまま。
ちいさく震えていたが、ぽつりと言葉を落とした。
「―――喜んでくれないの………?」
「ヒデさんは、赤ちゃんができたこと、喜んでくれないの……………?」
悲しむマコに胸のどこかが痛んだ。が、無視し、マコの目をまっすぐに見つめた。
「赤ん坊よりもマコのほうが大切だ」
グッとつまるマコの両肩をつかみ、しっかりと言い聞かせる。
「良く考えなさい」「きみはまだ学生だ」「これからがあるひとだ」「なのに子供なんてリスクを抱えたらどうなる?」「学校はどうする? 研究はどうする?」「たくさんのひとに迷惑をかけることになる」
黙って聞いていたマコだったが、話が進むにつれその目に涙が浮かんだ。
「学校のことだけじゃない」「出産にあたって死ぬひとだっているんだ」「そんなリスクのある行為、マコにさせたくない」「マコが一番なんだ」「マコが大切なんだ」「わかっておくれ」
なるべくやさしく聞こえるように心がけて話しかけたが、マコはちいさく首を振った。
「わかんないよ」
「マコ」
「わかんないよ」
ぽろりと大粒の涙をこぼし、マコは俺にすがりついた。
「なんで? なんでそんなこと言うの?」
「ボクはうれしいよ?」
「ヒデさんとの子供、うれしいよ!?」
「どうしてヒデさんがそんなこと言うの!?」
「ボクじゃダメなの!?」
「マコが『ダメ』なんて一言も言ってない」
「言ってるよ!」
興奮状態になったマコが俺に突っかかってくる。
「ボクがダメだから子供産ませてくれないんでしょ!?」
「マコ。論点がズレている」
「ズレてないよ!」
「どうして? どうしてヒデさんがそんなこと言うの?」
「ボクのこと護ってくれるんじゃなかったの?」
「いつも言ってくれてるじゃない。『マコのしあわせが一番だ』って」
「なのになんでそんなこと言うの!?」
ボロボロと泣きながらマコが怒鳴る。
「ボクはうれしいよ!?」
「大好きなヒデさんとの子供ができたらうれしいよ!?」
「ボクにも『肉親』ができるんだよ!?『血のつながった家族』ができるんだ!」
「ヒデさんは知らないんだ! 親がいない子供がどれだけみじめか! どれだけ不安か! どれだけかなしくてさみしいか!!」
「ひとりぼっちがどれだけさみしいか! どれだけかなしいか! どれだけ不安か! ヒデさんは知らないんだ!」
普段見せない傷を明かすマコに詰まった俺に、マコは涙に濡れた目ですがってきた。
「―――ボクのことは捨ててもいいから、この子はボクにちょうだい」
「なにを」
「この子はボクの『血を分けた肉親』てことでしょ?」
「ボクは『肉親』が欲しい」
「好きなひとの子供が欲しい」
「……………マコ……………」
これまでの彼女の苦しみを訴えられ、言葉が出ない。『肉親』『血縁』それは俺には該当しない。俺では救えない痛みを癒せるのは腹の子だけなんだろう。こいつはマコが喉から手が出るほど欲していたものなんだろう。だが。
手を伸ばす。震えていたが構わず愛しい女の頬に触れる。
「―――それできみを喪ったら俺はどうすればいい?」
「なんで『喪う』って決めつけるの!?」
頬を撫でる俺の手を振り払いマコが怒鳴る。だから落ち着かせるよう心がけてゆっくりと説明した。
「赤ん坊が高霊力保持者の場合、高確率で母胎は死ぬ」
「出産に母胎が耐えられないんだ」
「腹の子の高霊力に惹かれて『悪しきモノ』も寄ってくる」
「出産までに死ぬ確率。出産時に死ぬ確率。そのどちらも、一般の胎児とは比較にならない」
「腹の子は高霊力保持者だ」
「今の時点でもそうとわかる」
「これから成長していけばますます霊力が増える」
「マコに耐えられるとは思えない」
マコがじっと俺を見つめる。俺の話を咀嚼し理解しようとしている。そんなマコの頬を撫で、訴えた。
「俺はマコが大切なんだ」
「マコが健康であること。マコが『しあわせ』であること。マコが穏やかで楽しく暮らすこと。それが俺のすべて。俺の護るべきすべて」
「それを邪魔する存在は許さない」
「今すぐにでも腹の子を引きずり出してやりたいくらいだ」
「やめて!」
昏い俺の本音にマコは顔色を変えた。キッとにらみつけてくるその顔はこれまでのマコとは違う。『守るモノ』ができた者の表情。俺のマコが。俺だけのマコが。俺以外を守ろうとしている。
俺の昏い怒りを感じたのか、マコが俺にすがりついた。
「ボクの『しあわせ』を望んでくれるなら、この子を産ませて」
「ボクに『肉親』をちょうだい」
涙目でおねだりされ、怒りが少し鎮まる。
一瞬できた隙にマコはさらに追撃してくる。
「『血を分けた存在』なんてボクには無縁だと思ってた」
「なのに、それが手に入るなんて。しかも大好きなひととの子供なんて」
『大好きなひと』と明言され、昏いモノがさらに鎮まる。我ながら単純だ。
「ヒデさん」
「ボク、うれしいんだよ?」
そんな単純な俺にマコはさらに訴えかける。
「確かに赤ちゃんなんて考えてなかった。ただあなたが欲しかっただけだった」
「でも、こうして授かったなら」
「ボク、産みたい」
決意のこもった眼差し。こんなときなのに見惚れる。言葉を失った俺の両手を取り、マコが一生懸命に訴えてきた。
「ヒデさん」
「ボクにヒデさんの赤ちゃん、ちょうだい」
懸命のおねだりに、あまりのかわいさに、なにも考えず『うん』と言いかけ、ハッとした。
馬鹿か! しっかりしろ! マコを守るんだろうが!!
自分で自分を叱咤し、首を横に振った。
しっかりとマコを見据え、告げた。
「―――駄目だ」
「なんで!?」
絶望の叫びをあげ、マコは俺を責め立てる。
「ボクの望みが『一番』じゃなかったの!?」「ボクの『望み』を叶えてくれるんじゃなかったの!?」
「それはマコが安全であることが前提条件だ」「マコを危険にさらすことなど許せない」
「危険かどうかはやってみないとわからないじゃないか!」
「わかるんだよ」
騒いでも淡々と返す俺にマコは口を閉じた。
「俺は退魔師だ」
「悲惨な事例を見聞きしてる」
「だから断言できる」
「マコに危険が及ぶ」
「今すぐ堕胎しろ」
「でなければ、俺がここで子を殺す」
俺の覚悟に、マコも、ウチの連中も黙った。
しばらく無言で見つめ合っていたが、マコが震える口を開いた。
「―――本気なの―――?」
「本気だ」
断言する俺にマコは息を飲んだ。
「たとえマコに憎まれても。そのせいで二度とマコに逢えなくても」
「マコが無事であることのほうが大切だ」
それだけ危険な状況だと、ようやくマコにも理解できたのだろう。顔を青褪めさせ、口を閉じた。
俺から視線をはずしたマコはなにかを必死で考えていた。が、ポロリと涙を落とした。
「―――なんでダメなの―――?」
「マコ」
弱々しく涙を落とす姿に、毅然とした態度はあっさり消え去った。
「何度も言ってるだろ? 危険なんだ」
「マコさえ無事ならそれでいい」
オロオロと情けなく説明する俺にマコはようやく顔を上げた。
「なんでダメなの?」
涙を落としながら再度問いかけるマコ。
「ボクは赤ちゃん持っちゃダメなの?」
「駄目とは言わない。大学を卒業してからなら、赤ん坊が高霊力保持者でなかったら、大丈夫だ」
「これから子供を授かっても『こうれいりょくほじしゃ』っていうのだったらダメってこと?」
嘘やごまかしは効かない。そんなものは許さない。そう示すマコの瞳に、はっきりと答えた。
「―――そうだ」
俺の答えにマコは息を飲んだ。文句が返ってくると覚悟したがそれはなく、マコは息を詰めたままふるふると首を振った。
「―――ひどい―――」
「ひどいよヒデさん」
マコの瞳は悲哀に陰っていた。ボロボロと涙をこぼし、一歩下がった。
一歩、二歩と俺から距離を取り、マコは泣きながら絶望をこぼした。
「ボクに子供を殺せって言うの?」
「この子も。これから授かる子も。殺せって言うの?」
「ボクに、ずっと『肉親』が欲しかったボクに、『肉親』を殺せって言うの?」
マコの絶望と闇を感じ、あわてて「そんなことは言ってない」と言ったが「言ってるよ!」と一蹴された。
「堕胎は決して悪じゃない。産むことで赤ん坊も母親も周囲も不幸になることがある。不幸を防ぐためにも―――」
「なんで『不幸』って決めつけるんだよ!」
ネットで調べたことを説明して落ち着かせようとしたが、逆に怒鳴られ言葉を封じられた。
「ボクはうれしいよ!? 大好きなヒデさんの子供を授かって、うれしいよ! やっと『肉親』を持てて、それをくれたのがヒデさんで、うれしいよ!!」
「なのに、なんで! なんでヒデさんがそんなこと言うの!?」
「ボクのこと大事じゃなかったの!?」
「大事だよ」
「大事だから『堕ろせ』って言ってるんだ」
「ヤダ!」
「マコ!」
「堕ろさない!」
マコは怒りで意固地になっている。これはマズい。これでは話し合いにならない。
すうう、と息を吸い、止める。落ち着け。落ち着け。冷静になれ。マコの怒りに引きずられて俺まで意固地になっては話し合いにならない。
はあぁぁぁ、と息を吐く。ため息のようだと自分でも思った。
「―――マコ。きみは今冷静じゃない。一度落ち着いて、改めて話し合おう」
「何度話し合ったって同じだ! ボクは絶対に堕ろすなんてしない!」
「マコ!」
「絶対に産む!」
落ち着いて話しかけたのにマコは聞く耳を持たない。涙を流し叫ぶ。
「おとうさんがいて! おかあさんがいて! こどもがいて! そんな『普通の家族』にあこがれてたの!」
「ずっと欲しかったの!」
「なのに、子供を殺すなんて」
「ヤダ! 絶対ヤダ!!」
「マコ!!」
「そこまでです」
駄々をこねるマコを叱り飛ばしたそのとき。
聞こえるはずのない声が近くに響いた。
「久しぶりですね馬鹿息子。出迎えもなしとは―――」
ゆっくりと近づいてくるのは小柄な老女。着物姿で白髪をキチンと結い上げ、大柄な老人を従え堂々と歩く。実家と変わらぬたたずまいにここがどこか一瞬わからなくなる。
呆然とする俺に構わず、いるはずのない母は俺に向けてにっこりと微笑んだ。
「いい度胸ですね」
あ。
死んだ。