挿話 篠原真と『運命の番』7
みんなとの話のあと、色々考えた。丸一日考えた。考えて考えて、やっぱり『ヒデさんをあきらめられない』って思った。
きっとこれまでどおり『家族』として接するほうが楽だ。ヒデさんはずっとボクを愛してくれる。これまで注いでくれたように惜しみなく愛情を注ぎ続けてくれる。みんなも一緒の、穏やかで、しあわせにあふれた暮らしができる。
けど、ボクは知ってしまった。この『熱』を。
ボクは変わってしまった。『家族愛』だけでは足りなくなってしまった。
『家族』じゃイヤ。『異性』として愛されたい。『性的対象』として見てもらいたい。ヒデさんと、ボクの『運命の番』と、ココロも身体も結ばれたい。
考えていたときに、気が付いた。
みんなはボクとヒデさんが『今結ばれること』について「大変だよ」とは言ったけれど「ダメだよ」とは一言も言っていなかった。
ヒデさんが『どう考えているか』を教えてくれたけど、みんなは一言も『反対』と言わなかった。
そう気が付いて、改めてみんなに言われたことを思い返した。何度も、何度も。そしたら気が付いた。『今』を何度も強調していたことを。
『今』でなければどうにかなるかもしれない。暁月さんも言っていた。『マコが四十代とかになったら年齢差もそこまで気にされないかもしれない』。それはそうかも。それもアリかも。そうだ。何年かかったって構わない。ヒデさんをあきらめない。あきらめられない。
何年かかっても、何十年かかっても、構わない。
ヒデさんに『異性』として『好き』になってもらいたい。
ボクを『性的対象』として『受け入れて』もらいたい。
あきらめない。あきらめられない。
何年かかっても、何十年かかっても。
そう考えたらストンと落ち着いた。覚悟が定まった。
けど、そっちが落ち着いたら逆に不安と心配が出てきた。
ヒデさんはいつまで生きていられるんだろう。ボクはあとどれだけヒデさんのそばにいられるんだろう。
ヒデさんをあきらめられないという想いが湧くのと同時に、ヒデさんが死んじゃうことへの不安と心配がどんどんどんどん湧いてきて、こわくてこわくてたまらなくなった。
こわくてこわくて不安で心配で、目が覚めてからずっとヒデさんにくっついていた。そんなボクをヒデさんは邪険にすることなくそばにいるのを許してくれて、むしろこわがっているボクを心配してくれて「大丈夫だよ」「まだ死なないよ」ってハグしてくれた。何度も何度もキスして撫でてくれた。
それでも心配は消えない。こわいのも消えない。どうすればいいんだろう。どうしたらヒデさんとずっと一緒にいられるんだろう。
遺されたくない。置いていかれたくない。ずっとそばにいたい。
ボク、わがままなのかな。こんなわがままなこと考えるボクは『悪い子』なのかな。
ヒデさんが出かけて姿が見えなくなったら、途端に不安と心配が増した。
ボクも大学に行かないといけないのに、床にへたり込んで動けなくなった。こわくてこわくてポロポロ泣いていたらみんなが「サトに話を聞いてもらいましょう」って提案してくれた。
「サトならマコの気持ちもわかるだろう」「サトと玄治も『運命の番』だから」「きっとなにかいいアドバイスをくれるよ」そうすすめてくれて、日本に電話をかけてくれた。
◇ ◇ ◇
「サト。久しぶり」「ちょっとマコがサトに相談があるんだ」そうつないでもらって、スピーカー状態の電話に向けて声をかけた。
「………もしもし」
「あらまこちゃん。おひさしぶり! 元気?」
「は、はい。元気です」
「この間のパーティーはどうだった? 楽しかった?」
「はい」
「お着物はどうだった? 女の子だってばれちゃった?」
「いえ。性別についてはなにも言われませんでした。ただ、みなさんすごく喜んでくださって、色々聞かれました」
「まあ! そうなの!」
「『日本について教えて』って言われてもボクなにもわかんなくて。暁月さんと久十郎さんが全部対応してくれて、ボクは聞いてるだけでした」
「あらまあ」
クスクス笑ってくれるヒデさんのお母さん。いつも明るくて気持ちのいいひとで、話してるだけでココロのどこかがほぐれていく。
「それで、どうしたの?」って水を向けてくれて、ようやく本題に入れた。
「……………あの」
「うん」
「この前のパーティで、ヒデさんがボクのこと『養子にしてもいいかも』って言いだして」
「そう」
「『なんでそんなこと言うの?』って聞いたら『自分が死んだあと、ひとつのこらずボクに遺したい』って」
「あらまあ」
「ボク、ヒデさんが死んじゃうなんて、イヤで」
「そう」
穏やかに話を聞いてくれるお母さんに、つい、気持ちがこぼれた。
「ボク―――ボク、ヒデさんが好きなんです」
お母さんはただ「そう」とだけ言った。驚くことも怒ることもない、ごく普通の相槌に、なんだか栓が抜けたみたいに気持ちが口から出て行った。
「『家族』としても好きなんですけど、それだけじゃなくて」
「『男のひと』として、好きなんです」
「『ひとりの女の子』として、愛して欲しいんです」
「死んでほしくないんです。そばにいてほしいんです」
「離れたくない。死んじゃうなんて、考えただけでも苦しいんです」
「でもヒデさんもみんなも『仕方ない』って。『三十歳差があるから仕方ない』って」
「頭ではわかってるんです。わかってるけど、それでも、イヤなんです」
「不安で心配で、こわくてたまらないんです」
「どうしたらいいですか? ボク、どうしたらずっとヒデさんのそばにいられますか?」
言いながらまた涙が込み上げてきた。しゃくりあげながらそれでも気持ちが口から出ていく。どうしたらいい? どうしたらヒデさんを喪わないの?
「落ち着いてまこちゃん」
お母さんのやさしい声に、ようやく一旦停止した。
「気持ちはわかるわ」
ボクのわけのわからない話に、お母さんはそう言ってくれた。
「『唯一』と定めたひとを『喪う』と思っただけで、身体の半分がむしられるような感覚になるわよね」
ボクの気持ちをそのまんま言葉にしたような声に「そうなんです!」と思わず叫んだ。
「よくわかるわ」お母さんの声は深い深い同意がこもっていた。
「私も夫が――私の『唯一』が退魔師なんて危険なことをしてるから。出逢ったときからずっと心配してるの」
「もちろん今でもよ」
明るい調子だったけど、お母さんがお父さんのことを本当に心配していることは伝わった。
「お母さんはどうしてるんですか?」
「不安で心配でこわいのを、どうしてるんですか?」
みんなの話ではお父さんとお母さんも『運命の番』。そんな相手を持つお母さんがどうしているのかと聞いてみた。
「本人にぶつけてるわ」
「『あなたが心配なの』『こわいの』ってぶつけて、『絶対に帰ってきてね』って言ってるの」
「そう言うことで『足枷』になるの」
「私が『足枷』になって、玄さんをこの世に――私につなぎとめてるの」
「どんな危険な任務でも、どんな危機的状況でも、絶対に帰ってこさせるために」
お母さんの話に、なんとなくイメージが湧いた。
「ボクも『足枷』になれますか?」
「ヒデさんを、ボクにつなぎとめることができますか?」
「それはあなた次第ね」
『ボク次第』。それって、どういうことだろう。
わからなくて質問しようとしたのに、お母さんに先に質問された。
「あなたはヒデさんが好きなのね?」
「はい」
「『家族』としてではなく?『伴侶となれる異性』として?」
「『伴侶となれる異性』として、です」
覚悟を込めて答えた。怒られるかな。馬鹿にされるかな。さすがのお母さんでも嫌な気持ちになるかな。
色々考えていたのに、お母さんはただ「そう」と言っただけだった。
「まわりから色々言われるわよ?」
「覚悟の上です」
「あの子だって拒絶するかも」
そう言われて、胸のどこかにナニカが刺さった。
ヒデさんに拒絶される。そう考えただけで死んじゃいたくなった。
「嫌がられたら……あきらめます」
ボクの答えに、周りで見守ってくれているみんながぎょっとした。
「でも、それは『今は』の話です」
「ボク、あきらめません」
「アタックし続けて、いつか『いいよ』って言ってもらえるようにがんばります」
「それまでは『家族』としてそばに居続けます」
ボクの決意に、お母さんは黙っていた。どうしたんだろうと思っていたらクスクスと楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「あらあら。まこちゃんたら、案外したたかなのねえ」
「そんなに想ってもらえて、あの子もしあわせ者ねえ」
お母さんの笑い声につられるようにみんなも笑っている。そんなみんなを見ていたらボクもなんだかおかしくなってきた。
そこにお母さんが声をかけてきた。
「『家族』としてではダメなの?」
「『家族』としてだって、今のままずっと一緒に過ごせるわよ?」
「みんなが言ったっていう問題だって関係なく、今までどおりに過ごせるわよ?」
「『家族』では、足りないです」
「ボクは、ヒデさんの『唯一』になりたい」
「『異性』として、『大人の女性』として、受け入れてもらいたいんです」
即答するボクに電話の向こうのお母さんは黙ったまま。みんなは困ったみたいな、それでもうれしそうな顔をして、ただボクを見守ってくれていた。
「………そう」
ようやく聞こえた声のあと、「ふうぅ」ってため息が聞こえた。
「そうよね。あきらめられないわよね」
「はい」
明るい調子のお母さんの声に即答すれば、お母さんはまたクスクスと笑った。
「あなたがそばにいたら、あの子のことだから寿命くらい根性でどうにかしちゃうかもしれないわね」
「………だと、うれしいんですけど………」
冗談めかしたお母さんの言葉になんて返したらいいのかわからなくて曖昧に答えた。
根性でどうにかなるならボクこそ根性でどうにかする。けど現実はそんなことできないよね。
わかってる。わかってるけど―――どうにもならないって理解してるけど―――。
つい、うなだれてしまう。そんなボクが見えているはずないのにお母さんに「顔をあげて」って言われた。
びっくりして顔を上げた。お母さんは「うーん」となにかを考えているみたいだった。
「そうねえ………」
つぶやいたお母さんは、ぽそりと言った。
「手段がないわけじゃないのよねえ」
「え!?」
驚いて電話を見つめる。みんなも椅子から立ち上がったり電話に近づいて来たりとびっくりしていた。
「要はまこちゃんは『置いて逝かれたくない』のよね?」「ヒデさんに不老不死になってもらいたいわけじゃないのよね?」
「………たしかに。そうです」
お母さんの確認に肯定の返事を返す。と。
「それなら、手段がないわけじゃあないわ」
「!!!」
お母さんの声に、思わず息を飲んだ。みんなと顔を見合わせていたらお母さんが続けた。
「霊力って、わかる?」
聞かれたので正直に「わかりません」と答えた。
「簡単に言えば、生命エネルギーなの」
「その生命エネルギーをね。お互いに分け合う術があるの」
「そんな術が」「知ってたか?」「初耳だ」みんながボソボソ言ってるのが耳に入ってきたけどボクはそれどころじゃなかった。お母さんの話に集中する。
「ヒデさんとまこちゃんの年齢差だと、まこちゃんの残りの寿命をヒデさんに分けることになるわね」
「つまり」
「仮にお互いに百年の寿命があったとして。あと五十年で死んじゃうヒデさんに、あと八十年の寿命が残ってるまこちゃんが十五年分の寿命をゆずる」「そうすれば、ふたりともあと六十五年で寿命が来る、というわけ」
お母さんの説明を頭の中で反芻する。寿命を分ける。ヒデさんにボクの寿命をゆずる。そうすれば一緒の余命になる。それは。それは―――!
「―――それ、いいです!」
理解した途端、叫んでいた。
「すごくいいです!」「それ、やります!」「教えてください! どうすればいいですか!?」
「まこちゃん寿命短くなってもいいの?」
「いいです!」
お母さんの問いかけに即答した。
「ヒデさんと一緒に生きられるなら! 遺されることなく一緒に死ねるなら! そんな安心なこと、ないです!」
ボクの叫びにみんながびっくりしてる。けど構わずお母さんに訴えた。
「ボク、ヒデさんに出逢うまで、なんで生きてるのかわかんなかったんです」
「『なんでボク生きてるんだろ』って。『生まれてきちゃいけなかったんじゃないか』って、ずっと思ってました」
「きっとこのためです」
「ヒデさんを長く生かすためにボクは生まれたんです」
「ボクの生命も。ボク自身も。全部ヒデさんに渡したい」
「ただそばにいてほしい。そのためなら、ボクの寿命なんて、いりません!」
「お願いします!」「その『生命エネルギーを分け合う術』、教えてください!」「お願いします!!!」
一生懸命に訴えた。電話の向こうのお母さんからの反応を待った。けどなかなか反応が返ってこない。どうしたんだろうと心配になった頃。
「はあぁぁぁ………」
呆れたようなお母さんのため息が聞こえた。
「―――本当にねえ………」
またため息を落とし、お母さんはつふやいた。
「困った子達ねえ………」
なんのことだろうと思ったけれど、黙ってお母さんの返事を待った。
「まこちゃんの意見はわかったわ」
お母さんはそう言った。
「これだけは承知しておいてもらいたいんだけど」
そう前置きしてお母さんは教えてくれた。
「今お話ししたのは『たとえば』の話」「実際にどのくらいの寿命があるかはひとそれぞれだから」「もしかしたらあと一年かもしれない。逆にまだまだくたばらないかもしれない。それはそのひとを直接『視て』みないとわからないことだから」「だから、さっきは単純計算で『十五年』って言ったけど、もしかしたらもっと長い寿命をまこちゃんからもらわないといけないかもしれないし、逆にまこちゃんのほうが寿命が短い可能性だってあるわ」
「ヒデさんの寿命をあなたがもらう可能性もあるということね」
「それでも、やる?」
そう、聞かれた。
そんなの、答えは決まってる。
「やります」
「少しでも可能性があるなら、一日でも長くヒデさんのそばにいられるなら」「やります」
「そう」
お母さんはただそう言った。良いとも悪いとも、やれともやめろとも言わなかった。
「―――わかったわ」
そう言って、お母さんは教えてくれた。
「『寿命を分け合う術』を行使するのに必要なのは、互いの承認と霊力的な結びつき」
「簡単な方法としては、お互いに『伴侶』として認め、肉体的に結ばれること」
「『互いに伴侶として認める』ということは『共に生きる』という『誓い』を立てること。肉体的に結ばれることは同時に霊力が循環し結びつくこと」
「まずはあの頑固な子に、あなたを『伴侶となれる異性』として認めさせないと」
「『もう大人だ』『子供じゃない』ってあの子に知らしめないと」
「でないとスタートラインにも立てないでしょうね」
そう言われて考えた。けど、どうしたらいいのかわからない。
「どうすればいいですか?」わかんないから早々に聞いてみたけど「それはあなたが考えないといけないわ」って言われた。
「私が口を出したらつまんないでしょ?」って。
つまんなくてもいいのに。
「あの子に認めさせることができたら続きを教えてあげるわ」
「じゃあがんばってね」
お母さんはどこか楽しそうに明るく言って、電話を切った。
◇ ◇ ◇
寿命問題に先行きが見えた。おかげで不安が落ち着いた。次は術をかけるために必要な条件を満たすことを考えよう。それはイコール『ヒデさんに異性として好きになってもらう』ことだ。気合も入る!
どうやったら『伴侶となれる異性』『もう大人だ』って思ってもらえるかわからなくて、みんなにも一緒に考えてもらった。
「まずはドレスアップしてみせたらどうかしら」「『大人の女性になった』って見た目で示すの」
「いいかも」
「せっかくドレスアップするならそのまま告白すればいいじゃないか」
「いいかも!」
「告白するならクリスマスイブとかどうだ?」
「いいかも!!」
クリスマスイブまで時間はない。それでも『やる』と決めた。
これまでにもらっていたバイト代を使って大人の女性っぽい服を買った。化粧品も買った。化粧品を買ったお店で大人っぽく見えるメイクを教わって練習した。美容院で髪を整えてもらった。髪形も工夫したくて色々教えてもらった。
髪もメイクも、仕草も告白も練習して、みんなに見てもらって意見をもらって、また練習して、何度も何度も検討した。
少しでも『大人』に見てもらいたくて。
「綺麗」って言ってもらいたくて。
この気持ちを受け取ってもらいたくて。
そうしてクリスマスイブの夜。
満を持して告白した。
けど、ダメだった。
ヒデさんは、ボクを受け入れてくれなかった。