挿話 篠原真と『運命の番』5
性的な話題が出ます
お気をつけくださいませ
十二月の半ば。ヒデさんの研究所のクリスマスパーティーにボクも参加することになった。
このパーティ―は研究所に所属するひととその家族が参加する、一年に一度の大きなパーティー。研究所に所属するひとは、他のパーティーには出席しなくてもいいけど、これだけは「出ないといけない」らしい。
昨年マット先生に誘われたときは体調が落ち着いてきたときで「無理させてまた具合が悪くなっちゃいけない」って奥さんが言ってくれて参加しなかった。ボクも知らないひとばかりの集まりに行きたくなかったから奥さんの提案はうれしかった。
その日の夜にマット先生がヒデさんに会わせてくれて、その日からヒデさんのお世話になった。
あれから一年。ボクはずいぶんと変わった。
いつもはパーティーに参加しないか、しても隠れてごはん食べてたっていうみんなも見える状態で一緒にパーティーに参加した。「成人したんだからこれからパーティーの誘いがある」「俺達がついていられる機会に場に慣れるほうがいい」って。
ここでも「場数だ」って言われて、このひとたちはそうやって経験を重ねて今のみんなになったんだなあってわかった。
だからボクもそのつもりで参加した。
何を着ていけばいいのかと思ってたら、ボクのお誕生日会と同じくみんな着物で参加になった。
ヒデさんのお母さんがボクに用意してくれた着物は「パーティーに着ていっても失礼じゃない格」の着物だって教わった。「式典に出るには足りないけどパーティーレベルならオーケー」らしい。
格式の高い生地の着物と羽織。羽織には五つ紋。着物にも三つ紋が入ってる。その紋はヒデさんのお母さんの使ってるものを使ったって。帯は「ホントは袋帯がふさわしいんだけど、それだとさすがに外国人にも『女性の装い』ってわかるだろうから」って半幅帯を貝の口に結ぶようお母さんから指示がきた。おはしょりがあるのは「知識のないひとにはわかんないでしょ」とのこと。
これらの説明は全部ヒデさんのお母さんがしてくれた。ボクは着物なんて縁がなかったからチンプンカンプン。高校卒業まで京都にいたけど浴衣すら着たことない。だからお値段もわかんない。汚したらいけないことはわかる。
もちろん自分で着るなんてできない。お誕生日会とおなじく暁月さんに着付けてもらった。
ヒデさんのお母さんはお茶の先生なんだって。お寺の住職さんの奥さんで、元々跡取り娘さんだったのもあって「お着物にはちょっとうるさいのよ」って電話で聞いた。
「うるさいのは着物だけじゃないだろう」って言ったヒデさんが怒られてた。
多民族国家のアメリカでは自分の国の正装や礼装での参加も認められてて、パーティーにはいろんな服装のひとがいた。その中でも着物は目立ってた。
なんか日本のマンガやアニメが浸透してるみたいで「これってキモノでしょ!?」って何度も話しかけられた。
ヒデさんがいないときに「日本について教えて!」って言われたけど、ボクなんにも知らない。どうしようって困ってたら、隣についてくれた暁月さんが上手に話をしてくれた。暁月さんすごい。
ボクと暁月さん達を「一緒に暮らしてる家族」ってヒデさんがいろんなひとに紹介してくれた。「かわいいだろう」「いい子なんだ」ってボクを自慢してくれるのはうれしいんだけど、なんでかどこかがモヤッとした。
実際『このひとヒデさん狙いだ』ってわかる女のひとが何人もいた。やたらくっついて来ようとしたり、目つきが違ったり。けどヒデさんはくっついて来ようとするのはスルッと避けてたし、目つきの意味には全く気付いてなかった。
「俺、元退魔師だからね。パーソナルスペースに入られるの、嫌なんだよ」
だから女のひとを一定距離より内側には「入れない」って。
「マットみたいな、他意がなかったり善良だったりするヤツは大丈夫なんだけど。なんていうのかな……。なんか、嫌なんだよね」
ならなんでボクはこんなにくっつけてるの?
そう聞いたら「マコは特別」「俺から離れたら駄目だよ?」ってハグされた。
周りの女のひと達からすごい視線を向けられたけど、『こわい』よりも『いいでしょう』って気持ちになった。
いいでしょう。ボクは『特別』なんだよ。『ヒデさんの特別』なんだよ。
そう思ったらうれしくて得意になった。あれだけあこがれた『特別』になれていることがうれしかった。
けど、ふと感じた。
これって、どういう『特別』?
ずっと『家族』が欲しかった。
ずっと『家族』にあこがれてた。
ヒデさんはお父さんみたい。お兄さんみたい。いつも守ってくれる保護者。安心できる『家族』。
それで十分。満足。ボクにはもったいないくらいの贅沢な存在。
そのはずなのに。
なんで『足りない』って思うんだろう。
なんで『違う』って思うんだろう。
あの女のひと達の視線。あの『熱』はなんだろう。
どこかがモヤモヤしながら、ヒデさんのそばにいた。
ヒデさんはボクをずっとそばに置いていた。マット先生とはたまに会うけど奥さん息子さん達とは久しぶりで、ちょっとおしゃべりした。マット先生の研究室のひとにも会った。知らないひとにもたくさん紹介された。目が回りそうだったけどどうにかニコニコ顔を作ってヒデさんのそばにいた。
ヒデさんはずっとニコニコ。誰が来ても卒なく対応してる。時には難しい話をしてる。そんな姿は立派な大人のひとで、なんだか遠い世界のひとに見えた。
「ヒデさんはすごいね」ひとの切れ間についこぼしたら、ヒデさんはうれしそうに笑った。
「マコがそばにいてくれるからだよ」
「マコの前で無様な姿は見せられないからな」
「これでも気を張ってがんばってるんだよ」
その笑顔に、なんでか知らないけど、ドキリとした。胸のどこかが『きゅう』ってなった。
「いつもだったら適当にメシ食って適当に逃げてるよ」そう笑うヒデさんの言葉に嘘はなさそう。
「そうそう」伊佐治さんが寄ってきて、食べ物が乗ったお皿をくれた。山盛りのほうは伊佐治さんの。ボクにはちょっとだけ盛り付けてあるもの。
「ヒデがこんなに社交的なのは初めてじゃないか?」
「マコにいいとこ見せたくて張り切ってるの丸わかりだな」
「余計なこと言うな」
麻比古さんからお皿を受け取りながら文句を言うヒデさんはもういつものヒデさん。
そうやって四人で笑ってたら、またヒデさんに声がかかった。ニヤニヤとした、イヤなかんじのオジサン。そのひとがボクとヒデさんが「同居してる」っていうのを「問題があるんじゃないか」って言いだした。なんか色々言ってるけど、言われる単語の意味がわからない。駆けつけてくれた久十郎さんにこっそり聞いたら「『いかがわしい』とか『下劣』とかいう意味」って教えてくれた。
つまり?
「ヒデがマコを性的な意味で囲ってるんじゃないかって疑ってるってこと」
「『せいてきないみ』?『かこってる』?」
「どういうこと?」ってさらに質問してたら伊佐治さんが「ほら見ろよ」って周りにアピールした。
「言葉の意味すらわからないのにナニがあるっていうんだ?」「そういう発想するってことは、そういう考えや行動があるってことだ」「アンタ、そういうことしたことあんじゃねえの?」「それか願望があるかだな」
「ハッハッハ!」って陽気にわらう伊佐治さんは、身体が大きいこともあって欧米人みたい。
周りのひとも笑ってて、突っかかってきたひとは顔を真っ赤にして黙ってた。
「第一マコが来たその日から俺達同居してるぜ?」「ヒデのやつは薄情でな。昔馴染みが『この日に行くぜ』って言ってたのにすっかり忘れてやがって」「預かってた合鍵で家に上がり込んで待ってたら、子供を連れてるじゃないか! びっくりしたのなんのって!」「ホントこいつは研究バカだから」
伊佐治さんだけじゃなくて麻比古さんも定兼さんも軽いかんじで言って、周りのひとはなんか納得したみたい。わかりやすくムッとしてたヒデさんも落ち着いた。
よかったって思ってたら「どういうことですかね」ってニコニコ迫ってくるひとがいた。「事務のダグラスです」って自己紹介して「同居人が増えたならちゃんと書類を出せ」ってヒデさんが怒られた。マット先生も「同居人が減ったのに書類出してない」って怒られた。なんとマット先生はボクが同居する申請をしてなかったことが判明。めちゃくちゃ怒られた。
「これだから研究者は!」って怒るダグラスさんにヒデさんとマット先生ふたり並んで「ごめんなさい」って平謝りしてた。
まわりのひとたちも笑って、一件落着みたいな雰囲気になった。
けどボクはさっきの言葉がなんか引っかかってて、久十郎さんにこっそり聞いた。
「『せいてきないみ』って、どういう意味?」
「『かこってる』って、なに? どういうこと?」
「ここじゃあちょっと」って久十郎さんが言って、ヒデさんに「トイレに連れて行ってくる」って一言断ってから暁月さんと部屋から出た。休憩スペースになってる別の部屋の隅っこの席に陣取って、ようやく話をする体制になった。
◇ ◇ ◇
「さて、どう説明するか……」
椅子に座った久十郎さんが腕を組んで息を吐く。
「マコには直接的な表現でないとわかんないでしょ」暁月さんがそう言って「防音結界展開しましょ」ってなんかした。
「これでぶっちゃけたこと言っても大丈夫」そう言う暁月さんに久十郎さんもうなずいて、ひとり意味がわかんないボクに顔を向けた。
「『性的』ってのはわかるか?」
首を横に振る。
「そこからか」
「マコはこれまで成長が阻害されてたからね。そういうことに対する興味も湧かなかったんでしょ」
「低級に襲われる経験が強烈すぎて別の危険性に気付いていなかった可能性もあるな」
なんか検証してるふたり。黙って答えをくれるのを待つ。
「人間というのは――まあ、俺達も発情期にはそうなることもあるが――大人になったら子孫を残そうとするんだ」
「それはわかるか?」と聞かれ「なんとなく?」と答える。
「俺達と違って人間は年中発情してるだろ?」
「そうなの?」
「「そうなの」」
うなずくふたり。そう言われても意味わかんなくて首をかしげるボクにかまわずふたりは話を続ける。
「人間は、男も女も、『少しでも条件のいい異性と番いたい』ってガツガツしてる」
「人間はいつでもどこでも繁殖行為に及べるもんね」
「『繁殖行為』?」
なんのことかと質問するより早く久十郎さんから質問された。
「子供がどうやってできるか知ってるか?」
「………なんとなく?」
「具体的に言ってみろ」
「ええと……精子と卵子が結合してできるって……」
「その『結合』はどうやる?」
「……………知らない」
正直に答えたら、ふたりから『結合』について説明された。どうやるのか、具体的に、ストレートな言葉で、わかりやすく。
そのうえで、さっきのひとの言葉の意味を教えてもらった。『性的』ということも。
「あの男は昔っからヒデのことを目の敵にしてるんだ」
「ヒデに対してひがんでるのよね」
「ヒデやマットみたいに純粋に探究活動にいそしんでる人間だけじゃないんだよ」「ああいう、無駄に自尊心の高いのや他人を蹴落として自分を良く見せようという人間も、少くない数いる」
それは、わかる。
さっきのひとはイヤなかんじのひとだった。ああいうかんじのひとは日本にもよくいた。
「マコはパッと見、まだ少年に見える」
「一般的な人間社会では同性も未成年も『性的な相手』としては『ふさわしくない』と言える」
「ヒデはもう五十すぎたいいオッサンだからな。そんな男が少年と性行為に及んでるってのは、まあスキャンダルだろうな」
「そんなことしてないよ!?」
「もちろん俺達はわかってる」「伊佐治の対応で信じる人間はまずいないだろう」
あわてて言うボクに久十郎さんがなだめるように言った。久十郎さんが言うならきっと大丈夫だろう。『よかった』ってホッとしたけど、久十郎さんはため息をついて続けた。
「実際どうかは関係ないんだよ」「人間の妬み嫉みってのはひどいもんだから」
「おもしろければそれでいいのよ」「それで当人が傷つこうとも、迷惑がかかろうとも、関係ないの」
「要はあいつがマコを利用してヒデに悪い噂を立てて陥れようとしたということだ」
「そんな」
ひどい。
ムッとするボクに暁月さんが教えてくれた。
「ヒデはこれまで浮いた噂ひとつなかったからね」「これまでも同性愛者疑惑は何度も出てたのよ」「それなのに昔も今もモテモテで、なのにヒデは全然気付いてない。そういうのもあの男にはムカつくことだったんでしょう」「そこにかわいい子を連れてきて離さないもんだから『蹴落とすチャンスだ』って思ったんでしょうね」
「ホントくだらない」
あきれたみたいに暁月さんは肩をすくめた。
「実力で勝負すればいいのにね」
「その実力で敵わないからあんな姑息な行動に出るんだろ」
「ホントね」
カラリと笑うふたりに、なんでか途中の言葉が気になって、黙っていられなくてつぶやいてしまった。
「………ヒデさんて、やっぱり『モテモテ』なんだね………」
パーティー会場でヒデさんに向けられていた、あの女のひと達の視線。あれは『好意』だ。あのひと達がさっき久十郎さんが言ってた「『少しでも条件のいい異性と番いたい』ってガツガツしてる」ひと達だ。ヒデさんは昔も今もあんな『熱』を向けられている。
それが、どういうわけか、無性に気になった。
ボクの言葉にふたりは黙ってしまった。チラリとお互い目を合わせ見つめ合い、それからボクに目を戻した。
「―――そうだな。『モテモテ』だ」
久十郎さんの言葉に、どこかがグサリと刺された。
ボクは情けない顔をしていたんだろう。久十郎さんは『仕方ない』っていうかんじでため息をついて話しはじめた。
「以前も話しただろ? ヒデはモテモテだが、全く相手にしてない。アプローチしてる人間が可哀想になるくらい」
ふたりはこの前よりも詳しい話をしてくれた。それによると、ヒデさんは子供の頃からモテモテだったそうだ。
「あいつ自分の興味あることにしか目を向けないだろ?」「物心つく前からそんなだったんだ」「普通の子供とは思考も価値観も次元が違ってて」「そんな『孤高の天才』に惹かれるのがわんさかいたよ」
「けどヒデは恋愛関係にはまったく興味なくて」「だから女の子も男の子も一律無視」「そんな『誰にもなびかない』ところがまた一部を熱狂させて」「それでもヒデは周囲の気持ちに気付かないの」
高霊力保持者として産まれたヒデさんは、物心つく前からご両親から自衛のために色々教えられた。
幼稚園には通わずおうちでご両親と祖父母から色々学んだ。おうちにいた伊佐治さんや麻比古さんといった妖達が遊び相手だった。
そんな子供が小学校で初めて同年代の子供と遭遇した。それもたくさん。
子供の頃から優秀だったヒデさんにとって、小学校の勉強は簡単すぎた。大人しか周囲にいなかったヒデさんにとって同級生は赤ん坊にしか見えなかった。清浄な場所で清廉なひとばかりと接してきたヒデさんにとって、世間は『気持ち悪い人間』がほとんどだった。
勉強ができてスポーツ万能でカッコ良くて、無口だけど口を開けば話がうまくて、誰にもなびかない『孤高の天才』。
そんなヒデさんに惹かれるひとは多かった。
小学校に入学してすぐ女の子に囲まれた。同級生だけでなく年上からも。モテモテだけどヒデさんは誰も相手にしない。「忙しい」って無視したり、近寄られる前に逃げたり。
低学年のうちは比較的大したことなかったけれど、中学年にあがった頃から持ち物を盗まれたり帰宅時についてこられたりといったことが起こるようになった。そんなことをしてくる人間は、ひとりふたりじゃなかった。
そんなことが起きてもヒデさんは無視していた。
その頃には本格的に退魔師として現場に出るようになっていて、ヒデさんは常にピリピリしていた。『気持ち悪い人間』と『妖魔』の違いがわからなかった。
ボクも経験があるけど、『アレ』はそこらにいる。動かずじっと見てくるだけのときもあれば、黙ってついてくるときもあった。
ヒデさんにとって『好意を向けてくるひと』と『低級妖魔』は「同じような気配をしている」そうで、小学生のヒデさんは好意を向けてくる相手を「妖魔と同種のモノ」と認識した。
だから「下手に構うとつけあがる」「無視一択」という『低級妖魔対応』を適用した。ヒデさんは相手が『人間』だと思っていなかったから。
そのせいでヒデさんに惹かれたひとはどんどん行為がエスカレートしていった。
「小学校高学年からは、今で言う付きまとい行為はしょっちゅう。おかしなプレゼントや『呪い』もしょっちゅう」「あんまりなのはサトや玄治が対処したり、警察に通報して処分してもらったりしたわ」
「ヒデを好きな人間同士で足の引っ張り合いが起きたことも、牽制しあってたこともあったな」
「その牽制が度を越して刃傷沙汰になったときも、ヒデの興味を引こうと自傷を繰り返す子がいても、ヒデは一切興味を向けなかった」「ヒデにとってあの連中は『低級』と同類だから」
「ヒデはとにかく忙しかったのよ」「学校の宿題以外に、自分の興味のある勉強をして、サトからいろんな術を学び、玄治から退魔師として修行をつけられて、実際現場に出て過酷な戦闘をして……」「くだらないコ達に付き合う余裕はなかったわね」
「警察が話を聞きに来たときも、関係者が『一言でいいから言葉をくれ』って来たときも。『忙しい』『邪魔すんな』それで終わり」
「正面から告白しようとしてもヒデが避けるからできない。どれほど愛を訴えようとしても面と向かって伝えることはできない。手紙やなんかは捨てられる。どうにか人伝てに伝えても『興味ない』で終わり。勝手につきまとって勝手に恋人気取りしてもヒデ本人には無視され、最終的には同類に淘汰される」
「研究にしか興味ないヒデの視界に入ろうと頑張って同じクラスや研究室に入っても、異性としての好意を向けた途端に軽蔑して距離を取るの」「『気配が気持ち悪い』って」
「ヒデは知らないだろうけど、ヒデの存在のせいで人生壊れたコが何人もいるわ」「日本にも、アメリカにも」
「まあ全部本人の自業自得で、ヒデには一切関係ないんだがな」
………思ってた『モテモテエピソード』とちがう………。
モヤモヤどころじゃない。おなかの底の黒いモノも凍りついた。モテすぎるのも大変なんだね……。
「物理学の研究室にもヒデさん狙いの女のひとがいる」って以前も聞いた。そのひとは三十年近くヒデさんを好きで、でも「好き」って示したら拒絶されるって他のひとの例を見て知ってるから、そはにいるために自分の気持ちは隠してるって。
だからヒデさんは「異性だと思ってない」って。
そんなひとは他にも何人もいるって。
その話に、ふと、思った。
それって、どうなのかな。
そはにいられるだけで満足なのかな。
ボクはどうかな?
そぱにいられるだけで満足なのかな。
そりゃボクだって大好きなヒデさんのそばにいたい。ずっと一緒に暮らしたい。ずっと一緒にごはん食べて、他愛もない話して、一緒に笑いたい。
これまではそれだけで十分だった。
ヒデさんのそばにいられるだけで満たされてた。
みんなといられるだけでうれしくてしあわせだった。
けど、誕生日に真珠のアクセサリーをもらってから、なんだか『足りない』んだ。
なんだろう。なにが『足りない』んだろう。
ボクはみんなにいっぱいもらったのに。『満たされた』ってこの前まで思ってたのに。
なんでヒデさんが『モテモテ』だとこんなイヤな気持ちになるんだろう。ヒデさんを独り占めしたくなるのはなんでだろう。
久十郎さんと暁月さんの話を聞きながらそんなことを考えていたら、久十郎さんがポツリと言った。
「まったく………。『恋は盲目』とはよく言ったもんだ」
「……………『こい』?」
こい。 コイ? 来い? 鯉? こい……?
「……………『恋』……………?」
ポツリと言葉が口からこぼれた。
途端。
―――突然、『ストン』て、納得した。
『恋』
『恋』
「―――そっか」
真珠のネックレスとイヤリングをもらってから、ずっとドキドキしたりモヤモヤしたりしてた。
ヒデさんのことは最初から『好き』だったけど、『なんかちがう』って最近は感じてた。
ボクにとってヒデさんは特別なひと。
お父さんて、お兄さんて、きっとこんな感じ。
家族って、きっとこんな感じ。
ずっと欲しくて、でも手に入れることなんて絶対無いって思ってた存在。
けど『それだけじゃ足りない』って最近は感じてた。それがナニかわからなくて、モヤモヤして、おなかに黒いナニカが居座った。
そっか。
わかった。
これ、『恋』だ。
ボク、ヒデさんに『恋』してる。
ボク、ヒデさんのことが『異性』として『好き』なんだ。
『ひとりの男性』として『好き』なんだ。
『家族』じゃ足りない。それだけじゃイヤ。
『家族愛』じゃ足りない。『ひとりの男性』として愛してる。
きっと、これが『恋』。
ボク、ヒデさんに『恋』してる。
ヒデさんが欲しい。ヒデさんにこの想いをもらって欲しい。『子供』じゃイヤ。『ひとりの女性』として見て欲しい。『家族のハグ』じゃ足りない。『恋人』として抱き合いたい。
どうしよう。ドキドキする。頭も顔も胸も、身体全部が熱くなる。カッコいいヒデさんがもっとカッコ良く思える。
素敵なひと。頼もしいひと。御神木みたいなひと。大好きなひと。
ボクの全部を差し出したい。ボクの全部を捧げたい。抱き締めて欲しい。キスして欲しい。ボクの全部をヒデさんのものにして欲しい。
こんな気持ちはじめてで、フワフワしてるのに興奮してて、落ち着かなくて気が急いて、ソワソワしてるのにどうしていいのかわからなくて、でも胸に芽吹いた気持ちがどんどんあふれて、抑えられなくて口からこぼれ出た。
「ボク、ヒデさんのこと、好きなんだ」
「『お父さん』とか『お兄さん』とかじゃなくて」
「『ひとりの男のひと』として好きなんだ」
「ボク、ヒデさんに『恋』してるんだ」
あふれてこぼれ出た言葉に、ふたりは物言いだけに目配せした。その様子に、急に不安が影を落とした。
「ボクがヒデさんのこと『ひとりの男のひととして好き』なのって、いけないこと?」
「ボク、もう一緒に暮らせない?」
「そんなことないわ」暁月さんが即答する。
「むしろ俺達は大賛成だ」久十郎さんも言う。
「ただ、ヒデがどう思うかは俺達にはわからない」
それはそうだ。
ふたりの話だとヒデさんは『性的な意味での好意』を『気持ち悪い思念』と受け取る。それなら変化したボクも『気持ち悪い』って思われる可能性は高い。
『家族』としては愛してくれてる。それは疑ってない。
けど、さっきまでのボクと今のボクは、自分でもわかるくらい変化してしまった。
『ヒデさんが好き』『ひとりの男のひととして好き』そう自覚した瞬間。気持ちがストンとココロにはまった瞬間。ナニカにヒビが入った。
ボクのココロを包んでいたナニカに。
蝶のさなぎにヒビが入って羽化するイメージが浮かんだ。
ちいさな虫が成長してさなぎになる。さなぎのなかで身体を作りかえる。そうして殻を破り捨てて大きな羽を広げる。
ボクは、変わってしまった。
イモムシだったボクは、蝶になった。
イモムシを愛してくれたヒデさんは、蝶は嫌いかもしれない。だってあんなに綺麗な蝶々を嫌がってるんだもん。ボクがそうなったと知ったら嫌がられるかもしれない。
「………ヒデさん、ボクのことも『気持ち悪い』って思うかな……」
「「それはない」」
きっぱりと、ふたり同時に言い切るからびっくりした。いつの間にか下がっていた視線を向けるとふたりは力強くうなずいてくれた。
「マコがどれだけ変化しても、あの馬鹿がマコを『気持ち悪い』と思うことだけは絶対にあり得ない」
「ヒデはどんなマコでも受け入れるわ。絶対に」
なんでそう言い切れるのかわからないけど、ふたりが『絶対』て言うならそんな気もしてきた。
「ボク、ヒデさんのこと『ひとりの男のひととして好き』でもいいかなあ……」
「もちろん」
笑顔の暁月さんにホッとして、肩の力が抜けた。
「マコがどんな考えを持っているか、どう感じるか、それはマコの自由だ」「マコが持って当然の権利であり、マコという人間に認められるべき尊厳だ」
久十郎さんは難しい言葉を使う。けど、言いたいことは伝わった。
「ありがとう」って返したら「当然のことだ」って真面目な顔で言うからちょっとおかしくて笑った。
「マコの話から判断するに、マコはこれまで『人間としての尊厳』を軽く扱われてきたんだと俺は思う」「周りがそんな人間ばかりだったから、マコ自身もマコの尊厳を軽視していた面があった」
「だが、俺達と暮らすようになって、マコは変わった」
「自己肯定感が上がった。『自分なんか』と言わなくなった」
「それは『ひと』として持って当然のものだ」
「人間だけでなく、俺達『妖』とまとめられる種族の者だって持ち得て当然のものだ」
真面目な顔で久十郎さんが言う。暁月さんもうんうんとうなずく。
「相手を思いやることは大切なことだ。必要なことだ。だが、だからといって自分の考えや気持ちを曲げたり封じたりする必要はない」
「マコはマコの気持ちを大切にすればいい。自分の考えをしっかりと持てばいい」
「自分を大切にすることが他者を大切にすることにつながると、俺は思う」
「マコが『自分の気持ち』を持てるようになったことを、俺は喜ばしく思う」
なんか論文みたいな言い方だけど、久十郎さんがボクを『ひとりの人間』として大事にしてくれてることが伝わって、ボクの成長を認めてくれてるって伝わって、なんでか目の奥が熱くなった。
「マコは日本で大変だったからね」
暁月さんがそう言って頭を撫でてくれた。
「幼少期にひどい目に遭った子や、得られて当然の愛情をもらえなかった子は、自分を軽く扱う子が多いわ」
「人間でも、妖でも」
「マコが自分の気持ちに自分で気付けて、口に出せるようになった」
「そのことが、私達はうれしいの」
「マコは、成長したのね」
よしよしと撫でてくれるのが気持ち良くて誇らしくて、自然にニマニマしてた。
「私達と過ごすことでマコが精神的に安定して成長したのもあるでしょうけど、道具屋さんの眼鏡をしなくなったことも関係あるかもね」
暁月さんが久十郎さんと検討をはじめる。
「あの『成長阻害』の眼鏡、精神面にも効果があったんでしょうね」「多分今のマコは思春期くらいの精神状態なんじゃないかしら」
「なるほど。それでようやく異性への感情を持つようになったと」
「それはあるだろうな」って久十郎さんも納得してる。
「マコはこれからもっと成長するわ」
暁月さんがうれしそうにボクを見つめた。
「どんな大人になるか、どんな女性になるかは今後のマコ次第だけど」
「できることならば、マコ自身の意思や気持ちを大切にして欲しいの」
「我慢したり、遠慮したりして、自分の気持ちを抑えたり曲げたりすることはしてほしくない」
「マコは私達の大事な子だから」
「大事な子には『しあわせ』になってほしいから」
「いい?」「わかった?」
ボクの手を両手で握って、暁月さんがまっすぐに目線を合わせて言ってくれる。真剣な様子に、心からボクのことを大事にしてくれてるって伝わって、うれしくて胸がぎゅうってなった。
どうにか「はい」って答えたらまた頭を撫でてくれた。
「成長したマコをヒデがどう受け止めるかはヒデ次第だな」
久十郎さんが言う。
「あいつがマコを拒絶することだけは絶対にないと断言できる。が、暴走する可能性はあるだろうし、挙動不審になる可能性もあり得る……」
『暴走』?『挙動不審』??
ううむ。って顎に手を当ててうなる久十郎さんに首をひねっていたら、暁月さんが軽く言った。
「とりあえず会わせてみましょうよ」
「ヒデがマコの変化に気付くかどうかもわからないし」
「もし暴走したときのために伊佐治達には先に伝えときましょ」
「それもそうだな」って久十郎さんも納得して、パーティー会場に戻ることになった。
「帰ってからマコに『性的な危険性』について教えておかないといけないな」
「そうね。『恋』を自覚したせいか、ニオイがより女性的になったわね」「男を惹きつけかねないわ」
「それもあるが、あの馬鹿のせいで少年趣味の変態にも目をつけられただろ」「しばらくは誰かが護衛につこう」
「そうね」「暗がりに無理矢理連れ込まれて、とか、ありそうね」
「護身術教えるか?」
「それがいいかも」
なんかボクをはさんでふたりで相談が進んでる。
あれ? ボク、なんか危ないの?
けどそんなこわさよりも胸に芽吹いた『恋』があたたかくてフワフワしてた。
パーティー会場に戻ってすぐに久十郎さんが伊佐治さんをつかまえた。暁月さんがサッと動いて麻比古さんと定兼さんを連れてきた。
久十郎さんが三人に、ボクがヒデさんを「『ひとりの男のひと』として好きだ」と自覚したこと、「ヒデさんに『恋』してる」と自覚したことを話した。
三人とも「そうか!」「自覚したか!」「成長したな!」って喜んでくれた。
三人にもボクがヒデさんを「『ひとりの男のひと』として好き」なことは「『いけないこと』じゃない」って言ってもらって、「マコの気持ちはマコのものだ」って言ってもらって、『ボク』を大事にしてくれてるのが伝わって、うれしくて胸がいっぱいでなんだか涙が込み上げてきた。
「ありがとう」をいっぱい伝えた。
「ボク、みんなが大好き」って言ったら「俺達もマコが大好きだよ」って頭を撫でてくれた。
「あの馬鹿がどう出るかわからないが、少なくともウチを追い出すようなことだけは絶対にないから」
「マコは安心してウチにいたらいい」
伊佐治さんも麻比古さんもやっぱり『絶対』って言ってくれる。定兼さんもニコニコ顔でうなずいてくれる。
みんなが『絶対』って保証してくれるのが安心と自信になった。おかげで「とりあえず馬鹿のところに行こう」って連れて行かれるときもこわさはなかった。ただヒデさんがどう反応するかが気になって、ドキドキした。
ヒデさんを見つけた瞬間。
心臓がドキリと跳ねた。
なんでこれまでわからなかったんだろう。
なんでこれまで気付かなかったんだろう。
そこにいたのは、『ひとりの男のひと』だった。
『保護者』じゃない。『家族』じゃない。
そうだけど、それだけじゃない。
素敵なひと。恋しいひと。
大好きなひと。
ドキドキしてキュンキュンして、胸が苦しい。顔に熱が集まったみたいに熱い。どうしよう。ボク、おかしくなっちゃったのかな。
手が震える。ぎゅっと両手を握り合わせて震えを止めようとしたけど全然止まらない。なにか言葉を出そうとしても言葉が出ない。そもそも声が出ない。
いつもカッコいいヒデさんだけど、『恋』を自覚したらもっとカッコ良く見える。普段と違って着物だからかな。着物似合うな。濃紺の着物がヒデさんの渋さやカッコ良さを引き出してるみたい。
ヒデさんは知らないひとと話し中だった。
理知的な表情。二重の垂れ目を相手に向けて穏やかに話す様子もカッコいい。どうしよう。ボク『カッコいい』しか浮かばなくなってる。もともと語彙力あるほうじゃないけど、それにしてもひどい。
頭の中『ヒデさんカッコいい』と『ヒデさん大好き』しかなくなってる。どうしよう。これが『恋』なのかな。こんな状態じゃあ、ヒデさんに嫌がられないかな。
両手を握りしめてただヒデさんを見つめてた。みんなもヒデさんの話に割り込むつもりはないようで、黙って話が終わるのを待った。
相手がボクのことに触れた途端、ヒデさんはデロリと表情をゆるめた。それだけで『ボク、ヒデさんに愛されてる!』ってわかって、胸がさらにいっぱいになった。
「マットの紹介で」「ウチのかわいい子」「いい子だよ」そう言うヒデさんがホントにうれしそうで、そんなヒデさんを見てるだけでうれしいのになんでか恥ずかしくなって、思わず両手で顔を隠した。
「あらあらヒデったら」
「マコ、真っ赤だぞ」
みんながヒソヒソニヤニヤ言ってくるからもっと赤くなっていく。うれしい。けど、恥ずかしい!
「そんなに気に入ってるの」話し相手のひとが言った。
「養子にでもするの?」
その単語に、どこかが凍りついた。
考えたことすらなかった。そんな可能性があることすら思いつかなかった。おおっていた両手をはずしてヒデさんを見た。
ヒデさんも『気付かなかった』みたいなびっくり顔をしていた。
けどすぐになにか考えるような表情になって、つぶやいた
「……それもいいかも」
日本語でのつぶやきは、素の言葉だと示していた。
なんでか、目の前が真っ暗になった。
◇ ◇ ◇
『養子』がなにか、ボクは知ってる。児童養護施設で時々そうやって引き取られる子がいた。
ヒデさんにとってボクは『子供』なの?『子供』でしかないの?『異性』として見てはくれないの?
ショックでなにも言えなかった。ただかなしかった。みんながなにか声をかけてくれてた気がするけど、なにも反応できなかった。
そんなボクの態度にヒデさんは帰ってから説明してくれた。
「養子にしたら俺の全部をきみに渡せる」「俺が死んだあと、ひとつ残らずきみに遺したい」
まるで自分が死ぬことを考えてるみたいな、もうすぐ死んじゃうみたいな言葉に、別の意味でショックを受けた。
「いなくなっちゃヤダ」「『ずっとそばにいる』って言ってくれたじゃない」「置いていかないで」
必死ですがった。
ヒデさんがいなくなるなんて考えたくない。ヒデさんのいない世界なんていらない。こわくてかなしくて不安で、ボクはヒデさんから離れられなくなった。
でも、そうだ。
普通に考えたら歳上のヒデさんのほうが先に死んじゃう。
ヒデさんは今五十二歳。最近は百歳以上長生きするひとも多いって聞くけど、いつ死ぬかなんて誰にもわからない。
ヒデさんが死んじゃったら。
そう考えるだけで涙がこぼれた。苦しくてつらくて死んじゃいたくなった。
離れたくない。離したくない。ずっとそばにいたい。
どうしたらいいの? どうしたらヒデさんのそばにずっといられるの?
これまでは気にしたことがなかった年齢差が、深い溝のように感じられた。
マコトは『恋』を知った
マコトは羽化した
マコトは成長した