挿話 篠原真と『運命の番』3
同居して少しした頃。ヒデさん達が英会話の特訓をしてくれた。町にも何度も連れて行ってくれて、買い物のやり取りはボクにさせてくれた。何度も何度も繰り返したおかげで早口な話し言葉も聞き取れるようになった。スラングも訛りも覚えた。
冬期休暇が終わって学校が始まる時。「マコの学校行ってみたい」「どんな勉強してるのか聞きたい」って久十郎さんが言い出して一緒に行くようになった。もちろん姿が見えないように、けどボクにだけ見えるようになんかして。
久十郎さんは勉強熱心なひとで、ボクの横で英語でノートを取ってた。人間形態になって、先生の話す言葉一言一句を書き取っていく。自動文字起こし機なの? てくらい正確で速い。ボク読み書きはできるから、久十郎さんの書く文字と先生の音声を頭に入れることで授業もついていけるようになった。
これまでずっとひとりだったから、ボッチごはんがなんだかつらくてお昼ごはんを抜いてた。もちろんお金を貯めるためもあったけど。
けど他のひとには見えなくてもボクには見えるひとがついてくれてて、しかも美味しいお弁当があるから、お昼ごはんを食べるようになった。久十郎さんは大鷲だから、あちこち飛んで居心地のいいランチスポットを見つけてきた。そこで念のため人型になった久十郎さんとふたりでお弁当を食べた。
おにぎりに玉子焼き。鯖の塩焼きや唐揚げ。ひじきやきんぴらごぼう。日本にいたときにはお弁当がいるときはお店で買って行ってたから、誰かが『ボクのために作ってくれたお弁当』がうれしくて、しかも『正しい日本のお弁当』みたいなお弁当で、うれしくて美味しくてペロリと食べてしまう。
おまけに一緒に食べてくれるひとがいる。他愛もない話をしながら食べるのがうれしくて楽しくて、ボクはいつしか学校でもニコニコして過ごすようになった。
不思議なことに、数人から声をかけられるようになった。それまで誰からも声をかけられることがなかったのに。
はじめてかけられたのは「おはよう」とか「やあ」くらいの挨拶だったけど、びっくりして固まってしまった。けど隠形っていうのでついてきてくれてた久十郎さんが「挨拶!」って教えてくれて、あわてて「おはよう」って返した。つい日本語になっちゃって、あわてて英語で言い直した。
そしたらなんでかみんなが笑って、「今の日本語だよね」「日本人なの?」って色々聞いてくれた。
それがきっかけでクラスメイトとちょっとずつ話すようになった。難しい単語や聞き取れなかったところは久十郎さんがこっそりと教えてくれた。久十郎さんすごい。
「語学は場数だ」「慣れればどうにかなる」そう言って「積極的に会話しろ」ってボクの背中を押す。「わからなかったら教えてやるから」って。
「それなら」って勇気をもらって、少しでもたくさんのひとと話すようにした。授業でもがんばって発表した。少しずつ会話が増えて、おしゃべりするようになった。遊びに誘われたりもしたけどそれはまだこわくて「バイトがあるんだ」って断った。
マット先生とヒデさんのことを知ってるひともいて、ボクがマット先生のところに下宿してたこと、今はヒデさんの家に住み込みでバイトしてるって言ったら「いいなあ!」って言われた。
「どんな話するの?」「普段の西村先生ってどんな感じ?」「普段のマット先生は?」「どんなおうちなの?」色々質問攻めに遭ったけど、久十郎さんから言われたとおり「個人情報にあたるから言っちゃダメって言われてるんだ」って答えた。怒るかなって思ったけど、その説明で納得された。
「ゴメンね」って謝ったら「仕方ないね」って。
なんでもヒデさんやマット先生が在籍してる研究所は、すごくすごく優秀なひとしか入れないらしい。そんな優秀なひとを狙う悪いひともいるとかで、防犯にすごく気を遣ってるって。
だからボクがヒデさんと同居してることもマット先生のおうちに下宿してたことも「言わないほうがいいよ」って教えてくれた。
「マコトを人質にして西村先生とマット先生に言うことを聞かせようってヤツがいるかもしれない」って。
「もちろんオレ達は誰にも言わないよ」って言ってくれた。「ありがとう」って言ったら「気をつけろよ」って注意してくれた。
◇ ◇ ◇
ヒデさんも伊佐治さん達もボクのことを「家族」って言ってくれる。実際『家族』として扱ってくれる。
ボクが気を遣わないようにだろう。正式に同居を決めてすぐに「ウチのハウスキーピングのバイトしない?」ってヒデさんが提案してくれた。
掃除と夕食後の後片付け、買い物の同行と荷物持ちがボクの仕事。毎月月末に「ごくろうさま」ってお給料をもらう。それで学校で友達とお茶したり文房具買ったりできるようになった。
あの懸賞金はいくつかの銀行に分けて入れられた。アメリカの口座と日本の口座。マット先生の弁護士さんが提案してくれて、手続きも全部してくれた。基本大学からの引き落とし以外に使われてない。はず。マット先生のところにいたときには生活費が引き落とされてたはずだけど、どうなんだろう?
授業料は特待生だから免除だけど、ほかの細々したお金が引き落とされてるって聞いた。気がする。
けどボクは日本でもアメリカでも銀行に行ったこともなければキャッシュコーナーを使ったこともないからお金のおろし方がわからない。だから「お金あるよ」って言われてもこれまで手元にお金がなかった。
マット先生の奥さんから「これでお昼のランチを買うのよ」って毎日渡されるお金を貯めて文房具とかを買ってた。だからお昼ご飯は食べてなかった。
ヒデさんにはじめて「お給料」をもらったときにそんな話をして「だから助かります」って笑ったら、ヒデさんはなんか難しい顔をして、それでもボクの頭を撫でてくれた。
それからしばらくしてヒデさんに色々説明してもらった。
マット先生は「渡航費用も生活費も懸賞金から出せる」って言ってたけど、実際は先生が出してくれてたこと。毎日渡されてたランチ代もボクは懸賞金から出てると思ってたけど、実際は先生が出してくれてたこと。びっくりして申し訳なくなってどうしようってパニックになったボクをヒデさんは「大丈夫」って抱き締めてくれた。「全部手続きするから」って。
それからヒデさんは懸賞金を確認して、口座を確認して、渡航費用と生活費を計算して、他にもマット先生が立て替えてくれていたお金を調べて一覧表を作ってくれた。
「これだけマットに渡そうと思う」「確認して」って言ってくれた。
「ちゃんと自分で計算しないと駄目だ」「出された書類を鵜呑みにするな」って教えてくれて、確認すべきところを教えてくれて、いっぱいいっぱい考えて計算して「大丈夫!」って言えるところまで教えてくれた。
それから銀行に連れて行ってくれて、お金の出し方入れ方を教えてくれた。まとまった金額になるからって別の日にマット先生と奥さんと弁護士さんをを呼び出して、ちゃんと書面にして、計算して出した金額をマット先生の口座に振り込むようにしてもらった。
「これまで全然知らなくてごめんなさい」「今まで本当にありがとうございました」改めてマット先生と奥さんにお礼を言った。先生も奥さんも「気にするな」って言ってくれた。
「マコトはウチの家族だ」「家族のためにお金を使うのは当たり前」そう言ってくれて、家族って言ってくれるのがうれしくて泣いた。
「ヒデのところが嫌になったらいつでも帰っておいで」って言ってくれた。
『帰っておいで』なんてはじめて言われた。うれしくてうなずいたらヒデさんが「返さないぞ」って怒った。
「この子はもうウチの子だ」「これまで守ってくれて紹介してくれたマットに感謝してるけど、もう返さないぞ」「マコは俺がずっと護る」
ヒデさんがそう言ってくれるのもうれしくて、これまで厄介者であちこち押し付け合ってた存在のボクがこんなふうにあちこちから求められるなんて夢みたいで、うれしくてしあわせでまた涙が出た。
「しあわせかい?」マット先生に聞かれて「はい」って即答した。
「それならいい」「子供はいつか巣立つものだ」マット先生はそう言ってボクの頭を撫でてくれた。奥さんはハグしてくれた。
◇ ◇ ◇
ヒデさんに出逢ってから、ボクの環境はすごく変わった。
ヒデさんやみんなが「家族」って言ってくれて居場所を作ってくれてから、いつもお腹の奥にあった不安がなくなった。「ここにいてもいい」って安心できるようになった。
これまでのボクは不安定でグラグラしていた。それがわかったのもヒデさん達のおかげ。
みんながボクのことを「大事な家族」って言ってくれて、役割をくれて居場所をくれて、それで安定したから気がついた。
ここは冷たくない。暗くない。以前はいつも不安だった。足元がみえなくて、どこにいればいいのか、進めばいいのかとどまればいいのかもわからなかった。寒くてこわくて、いつもビクビクしてた。
けどここにはヒデさんがいる。みんながいる。「大丈夫」「護る」ってどっしり構えてるのは大きな大きな御神木みたい。大きな樹は冷たい風から護ってくれる。雨だってかからない。グラグラすることもなく、もたれかかってもビクともしない。
「いつ追い出されるか」なんて考えなくてもいい。そんなこと考えられないくらいにデロデロに愛してくれる。『愛されてる』って、『生きてていい』って自信をくれる。
その自信が、ボクに一歩を踏み出す勇気をくれた。
ヒデさんとみんなが守ってくれてるって手放しで信じられる。
ヒデさんとみんなが守ってくれてるっていうことが不安や恐れを消していく。勇気を出せる。ひとりで歩き出せる。
その勇気で挙手して発言したり、討論に加わったりできた。
声を掛けられても応えられるようになったし、挨拶に笑顔を返せるようになった。
勉強についていけるようになった。友達ができた。学校が楽しくなった。
これまでずっと下を向いていたんだってわかった。今は胸を張って上を向いている。自分でわかる。
これまでは笑うことなんてなかった。今はいつでもニコニコしてる。自分でわかる。
ヒデさんのおうちに来たばかりのときのボクとは違うボクになってる。
そんなボクが、ボクはうれしい。
日本にいたとき、ボクは『トラブルを起こす問題児』で『身寄りのない』『無価値な人間』だった。だから『普通』なんて望んじゃいけない。それはどうやっても手に入れられないって思っていた。
ボクはただ生きて、ただ死んでいくだけの存在。それが『ボクの運命』なんだと思ってた。
『うれしい』も『たのしい』も、『あたたかい』も『しあわせ』も、ボクの人生には存在しないと思っていた。
なのに。
声をかけてくれて。構ってくれて。役割をくれて。居場所をくれて。
会話に入れてくれて。話を聞いてくれて。笑ってくれて。
一緒にごはんを作って。一緒にごはんを食べて。
褒めてくれて。叱ってくれて。気遣ってくれて。
押し付けることは一切なく、自然に、ほんとうに自然に、みんなはボクに寄り添ってくれた。
遠慮や気遣いを考えることすらなく、いつも周囲を警戒していたボクが自分でも信じられないくらいすんなりと、ボクはいつの間にかみんなを受け入れていた。
不思議な心地よさ。
『ここにいていいんだ』って、生まれてはじめて思った。
「みんなは『ボクの家族』だ」「ボクはみんなの『家族』だ」って、自然に思うようになっていた。
人間とか、人間じゃないとか、関係ない。
ボクはみんなが大好き。胸を張って、自信を持ってそう言える。
みんなはボクのことが好き。胸を張って、自信を持ってそう言える。
自分がこんなふうに考えることができるようになるなんて思わなかった。
こんなふうに考えてる今でも信じられない。
ボクを大事にしてくれるひとなんて、いるわけがないって思ってた。
ボクが大事にしたいひとができるなんて、ありえないって思ってた。
だってボクは『トラブルを起こす問題児』で『身寄りのない』『無価値な人間』だったから。『普通』じゃない、『迷惑な存在』だったから。
なのに今はそんなふうに思わない。
ボクはヒデさんが大事にしてくれる存在。伊佐治さんが、麻比古さんが守ろうとしてくれる存在。久十郎さんが、暁月さんが手をかけてくれる存在。定兼さんが笑いかけてくれる存在。
ボクはみんなが大好き。やさしくて、気持ちがよくて、強くて、カッコいい。そばにいても嫌がられない。いっぱい大事にしてくれる。笑顔で包み込んでくれる。頭を撫でてくれていっぱい褒めてくれて、たくさんたくさんかわいがってくれる。
大好きなみんながボクのことを「大事だよ」って言ってくれる。「大切だよ」「大好きだよ」って教えてくれる。
大好きなみんながそう言うなら、ボクは『みんなにとって大事な存在』で『みんなにとって大切な存在』で『みんなが大好きな存在』なんだ。
みんなは信じられる。ボク自身よりも信じられる。
大好きで信じられるみんなの言うことなら間違いない。
だって実際毎日毎日大事にしてくれる。邪険にされることもイヤな顔されることもない。たった一瞬でもそういうのが出たらボクわかる。けどホントにそんなの無い。毎日毎日、朝から晩まで、ずーっとずーっと大事にしてくれる。
みんなが大事にしてくれて、はじめてボクは自分のことを『生きてていい』って思えた。『ここにい居ていい』って思えるようになった。
そんな自分になれたことは、ボクにとってとってもとっても『しあわせ』なことだって思った。
◇ ◇ ◇
一年生の十二月からヒデさんのおうちで暮らすようになって、あっという間に六月になった。夏休みはマット先生が誘ってくれた先生の特別講義のお手伝いをすることにした。
ボクの通う大学は夏休みがとっても長い。それを利用してインターンに行くひとや研究をするひと、海外旅行に行くひともいるって聞いた。
ボクにも「どうしたい?」ってマット先生とヒデさんが聞いてくれた。「こんな選択肢があるよ」ってリストを見せてくれながら。
ボクはヒデさんから離れたくなかった。それにお金も欲しかった。
「ヒデさんのおうちから通えるところでバイトしたい」って言ったら「じゃあボクの手伝いしてよ」「バイト代出すよ!」ってマット先生が誘ってくれた。
夏休みの間は毎日マット先生の研究室に通った。研究室のひと達とも仲良くなった。お仕事は雑用がほとんど。先輩に付いてコピーをとったりアンケートの集計をしたり。でも『役に立ってる』『必要とされてる』って実感できて、とってもやりがいがあった。
それにマット先生の研究室のひとは数学者ばかりだからちょっとした雑談も数学関係の話ばかりで、すごく勉強になった。「こんな難問があるんだよ」「こんな賞があるんだ」なんて話も教えてもらった。数学なんて実用じゃないってこれまで思ってたけどそうじゃないことも教えてもらった。目からウロコな話を色々聞かせてもらって、とっても有意義な夏休みだった。
そんな夏休みのある日。
「ヒデのところはどうだい?」マット先生に聞かれた。
先生はボクのことを気にかけてくれて、よくそんなふうに声をかけてくれる。ありがたい。
ヒデさんがいっぱい大事にしてくれること、ヒデさんだけじゃなくてまわりのひとたちもすごく良くしてくれることを伝えた。この想いを、この感謝と感動を、英語でどこまで伝えられたかはわからない。それでもマット先生は「よかった」って喜んでくれた。
そして、ニコニコ顔で言った。
「マコトはたくさん愛されてるんだね」
その言葉に、初めて知った。
これが『愛情』だって。
ボクにはそんなもの無縁だと思っていた。
だって『愛情』なんてみたことない。もらったことなんてない。
でも、そうだ。マット先生と奥さん息子さんはくれていた。みんなみたいなまなざしを。みんなみたいな言葉を。―――『愛情』を。
唐突に気が付いた。
ボクは『愛情』をもらっていた。
みんなに出逢うよりも前に。
このひとから。このひとのご家族から。
指摘されるまで気付かなかった。ボクに気付けるだけのセンサーがなかったからって今ならわかる。ヒデさんやみんなのおかげでそのセンサーが備わったって今ならわかる。
「アメリカにおいで」って言ってくれた。いろんな手続きをしてくれた。それまで暮らしてた児童養護施設に迎えにきてくれた。一緒に旅行してるときからハグしてくれてキスしてくれた。「マコトはもうウチの子だよ」って言ってくれた。「良い子」「良い子」っていつも褒めてくれた。
守ってくれていた。面倒をみてくれていた。こんな縁もゆかりもない、利益にもなんにもならない外国人の子供に。ヒデさんのところに行くことになったときだって「マコトにとってはそのほうがしあわせだろう」って快く送り出してくれた。
ああ。ボク、愛されてたんだ。
ボクを愛してくれるひとが、ここにいたんだ。
初めて気が付いた。なんでかわかんないけど泣いてた。
マット先生もまわりのひとたちも慌ててたけど、ボクが何回も何回も「ありがとうございます」「マット先生ありがとう」って伝えてたらぎゅうって抱きしめてくれた。ボク英語でしゃべってたかな? もしかしたら日本語だったかも。それでもマット先生は言葉にしていないことまで理解してくれて、抱きしめたまま「良い子」「良い子」って頭を撫でてくれた。そんなマット先生にしがみついてわんわん泣いた。そんなことをしても先生は怒ることも嫌がることもなく、ただ「良い子」って撫でてくれた。
マット先生にしがみついて泣いた数日後、ご自宅にお伺いする機会があった。奥さんにも改めて感謝を伝えたらやっぱり痛いくらいに抱き締められて「良い子」ってキスされまくった。
「マコトはウチの家族よ」「ヒデのところに行ってもそれは変わりないわ」「『家族』はいくつあったっていいのよ」「いつでも帰っていらっしゃい」
そう言ってキスしまくってくれる。痛くてくすぐったいけどそれ以上にうれしくて、素直な気持ちで「はい」って答えられた。
隠れてついてきてくれていた麻比古さんが夕ごはんのときにその話を披露したらヒデさんが顔色を変えた。
「そんな必要ない!」急に立ち上がって怒りだした。
「マコはウチの子だ!」「ずっとウチにいるんだ!」「いいな!」「マットと奥さんがナニ言っても聞く必要なんかない!」
肩をつかまれてまっすぐに目をにらみつけられて、ほかのひとだったらきっと『こわい』って思うんだろうけど、なんでかボクはただうれしかった。いっぱい大事に想ってくれてるのが伝わって、焦るヒデさんがなんでかかわいく見えて、笑いがこみあげてきた。
クスクス笑いながら「わかった」って答えたボクに、ひどく安心したみたいに肩を落とすヒデさんがやっぱりかわいく見えた。三十歳も歳上の立派な男性にこんなこと思う自分が不思議で、けどそういうのもボクが『家族』を受け入れられてるからかなあってうれしく思った。
マコトは自信を手に入れた
マコトの自己肯定感があがった
マコトは『愛情』をしった
マコトの自己肯定感がさらにあがった
マコト、成長中