挿話 篠原真と『運命の番』1
本日よりしばらくマコト視点です
事ここに至るまでのマコトの成長と奮闘をお送りします
『運命』
曲のタイトルから本の題名、ちょっとした会話にまで使われる言葉。
定め。宿命。いろいろ言い換えられるけど、ボクはこの言葉が好きじゃなかった。
ボクが苦しいのは『そう決まってる』って言われてるみたいで。
ボクがさびしいのは『そういうものだ』って言われてるみたいで。
理不尽も。不平等も。差別も。不自由も。
それが『ボクの運命』で『変えられないモノ』と言われているようで。
ボクは、『運命』という言葉が好きじゃなかった。
けど、これが『運命』だというならば。
あなたがボクの『運命』だというならば。
ボクは、ボクの『運命』に感謝する。
あなたがボクの『運命』。
あなたと出逢うために、これまでのボクは在った。
あなたがボクの『運命』。
あなたと生きるために、ボクは在る。
どれだけ苦しくても。どれだけかなしくても。
どれほどつらくても。どれほどさみしくても。
あなたのためならば耐えられる。
あなたのためならば乗り越えられる。
あなたはボクの『唯一』。
あなたのそばに在ることがボクの『しあわせ』。
あなたが居てくれさえすればそれでいい。
あなたがすべて。ボクのすべて。
そう『わかった』から。
◇ ◇ ◇
物心ついたときにはもう他のひとにみえないモノがみえていた。
くらくて、きもちわるくて、こわいモノ。
それがナニかはわからないけれど、それにつかまったりみつかったりしたらダメってことはわかっていた。
ボクがどれだけ無視しても、目を閉じてお布団に潜っていても、『アレ』はボクにつきまとってきた。
ひとつのときもあればなんこもいるときもあった。
ボクが唯一身に着けていたっていう御守りを握っていたら一定距離以上は近寄ってこなかったけど、それでもこわかった。
ボクは『捨て子』だと聞いた。神社の大きな樹の根元に、隠すように捨てられていたと。
身に着けていたのは服と御守りだけ。身元を示すものもなにもなかった。
だからボクは赤ちゃんのときから児童養護施設で育てられた。
施設にはいろんな年齢のいろんな事情を持った子供がいた。
けれど、ボクみたいに『おかしなモノがみえる』子供はいなかった。
『アレ』から隠れて布団から出なかったら先生に怒られた。泣き叫んだけれど引っ張り出されて『アレ』に囲まれてごはんを食べさせられた。
『アレ』らがこわくて逃げて逃げて、部屋のすみっこから動かなかったら怒られた。『アレ』らがニヤニヤしていた。
ボクに攻撃できない『アレ』が他の子に怪我をさせた。ボクのせいになった。
そんなあれこれが重なるたびに「もうウチでは面倒みられない」ってよそに移動になった。移動先でも同じことの繰り返し。
ボクには『居場所』がない。
ボクには『家族』がいない。
どうしてあんなモノがみえるんだろう。他のひとはどうして『アレ』がみえないんだろう。どうしてボクだけがこわい目に遭うんだろう。
聞きたくても誰にも聞けない。教えてもらいたくても誰にも聞けない。ただ御守りを握って「来るな」「あっちいけ」って念じるしかできなかった。
何回目の転所かわからなくなった頃。その先生に出会った。
「もしかしたら、目に見えない悪いのがきみを狙ってたりして」
初めて理解してくれたひとに、一生懸命うなずいた。たどたどしくもどんなモノがいるのか説明した。
「対処療法だけど」「男の子のフリをしなさい」そう言われた。
「厄除けのひとつ」「悪いモノやこわいモノをだますの」「『ボクはあんたたちが狙ってる子じゃないよー。ボク男の子だもん!』って、向こうをだますの」
そう言われて、それまでは自分のことを『まこと』と言っていたのを『ボク』と言うようになった。服も男の子のものを着るようにした。途端に『アレ』らはボクを見失った。キョロキョロしたり探すみたいにしてたからわかった。
効果があるとわかってからはより男の子にみえるようにした。仕草とかしゃべり方とか。
それでずいぶんと『アレ』にからまれるのは減ったけれど、なくなることはなかった。ボクに男の子のフリをすすめてくれた先生がいなくなったら急にまた『アレ』にからまれるようになって、また転々とするようになった。
小学生にあがるときは男の子っぽいランドセルを選んだ。制服じゃなかったからおさがりの男の子の服で通った。勉強の邪魔をされることもあった。けれど御守りを握って集中してたら気にならなくなった。
勉強してたら『アレ』がこない。
そう気付いたときはすごくうれしかった。
だから一生懸命に勉強をした。特に算数が面白かった。
算数は必ず答えが出る。はっきりと数字で表せる。
毎日毎日おかしなモノにつきまとわれて説明できないことに巻き込まれてたボクには、算数の明解さは気持ちが晴れるものだった。
中学校でも一生懸命勉強をして、学校で一番になった。「それだけ勉強できるなら『特待生』になれるよ」と教えてもらえて高校に行けた。
高校では高校の先生をしながら数学の勉強をしている高橋先生と出会った。先生のすすめで数学オリンピックに挑戦して、世界大会でマット先生に出会った。
マット先生は大会審査員のひとりだった。表彰式のあとで、決勝に進出したチームのひとりひとりに声をかけてくれた。
まんまるな額にまんまるな鼻、まんまるなほっぺのマット先生。ボクより背が高いのに横幅も広いからパッと見そんなに大きく見えない。目の前に来てはじめて『大きなひとだなあ』ってびっくりした。
白に近いくせのある金髪。綺麗な、澄んだ青い目。公式行事だからか審査員はみんなスーツにネクタイで、もちろんマット先生もスーツにネクタイ。『こんな大きなサイズの服、あるんだ』って思った。
まんまるいおなかで大きな声でしゃべるマット先生は、いかにも『外国人のオジサン』だった。そんな先生も数学界では『若手』なんだって聞いて驚いた。先生で『若手』なら、ボクらなんて『ひよっこ』だよね。むしろ『卵』かも。
「彼はまだ四十代なんだよ」「なのにいくつもすごい論文を書いている、すごい研究者だ」引率の先生が教えてくれた。
ボクは活躍してるひととか知らないから「へー」しか思わなかった。でも、ほかのみんなはキラキラした目でマット先生を見つめていた。声をかけられてほっぺ真っ赤にして喜んでいた。
そんな様子を眺めていたら、ボクの番になった。「素晴らしい活躍だったね」って褒めてくれて「日本のどこの出身?」って聞かれた。
「京都です」答えたら先生は「京都!」って、大袈裟なくらい驚いた。
「ボクの友達も京都出身だよ!」
そう言う先生の笑顔がすごくうれしそうだった。きっと素敵な友達なんだろうなあ。そんな友達がいる先生もきっと素敵なひとなんだろうなあって思った。
「どこの大学に行く予定?」マット先生に聞かれた。「きみなら私の母校にも入学できるだろう」って。
「大学には行きません」「就職します」
「なんで!?」グイグイこられて、ついボクの事情を説明した。身寄りがないこと。お金がないこと。高校を出たら今いる児童養護施設を出ないといけないこと。働かないと住むところもなくなること。
「なんてことだ」マット先生はそう言って目元に手を当てた。いいひとだなあと思った。
次の日。泊まっていたホテルにマット先生が来た。
「これ、解けるかい?」って、問題が書かれた紙を渡された。なかなか手ごたえのある問題で、夢中になって解いた。
どうにか解けて「できました」って先生に渡したら、中身を見ずに折りたたんで封筒に入れた。「これ書いて」と言われるままに書類に色々書いた。
そんなことがあったのも忘れていたある日。高橋先生に進路指導室へと呼び出された。
そこには高橋先生だけじゃなくて、校長先生と教頭先生、進路指導の先生と施設の先生、そしてあのマット先生がいた。ほかにも大人がいたけれど、役所のひと、通訳のひと、弁護士のひとだって説明された。
マット先生によると、あのとき渡された問題には懸賞金がかけられていて、解けたボクに懸賞金が支払われることになったらしい。それだけの問題が解けるボクを進学させないのは「世界の損失」ってマット先生が言ってくれて「自分が後見人になるから渡米させてやってくれ」ってまわりを説得してくれた。
渡航費用も大学受験の費用も滞在費も、今回の懸賞金でまかなえるって。『これだけお金がいるよ』っていう書類を作ってくれていて説明してくれた。
大学の授業料は「特待生になれたら授業料はいらない」って。「生活費などは懸賞金の残りでどうにかできるはずだ」って。
けど「特待生になれるのはホンの一握りの優秀な人間だろう」って誰かが言った。「とても彼では無理だ」「特待生になれなかったらどうするんだ」って。
けどマット先生が「自分が推薦する」「これだけの難問が解けただけでも推薦入学できる」って言ってくれて、ほかの大人は口を閉じた。
それだけじゃなくてマット先生は「自分がアメリカでの後見人になる」って言ってくれた。
「渡米したらそのまま我が家で暮らせばいい」「我が家から大学に通えばいい」って言ってくれた。
「篠原くんはどうしたい?」施設の先生に聞かれた。
「これだけのお金があれば確かに進学できる」「マット先生の後見があればアメリカの大学にも行けるだろう」「けど日本の大学にだって進学できるということだ」「アメリカは日本と違う」「進学するかしないか。進学するならどこの大学に行くか。よく考えなさい」
ボクはマット先生のお世話になることを決めた。
マット先生が声をかけてくれて、あの問題をくれたから大学進学の道ができたんだから。
外国でどこまでできるかわからないけど、ボクをそこまで買ってくれるマット先生の恩義にむくいたいって思った。
それに、外国なら『アレ』がいないんじゃないかって思った。
だからアメリカに行くことを決めた。高橋先生は最後まで心配してくれたけど、「苦労するよ」って言われたけど、『アレ』につきまとわれるよりはいいって思って、マット先生と奥さんと一緒にアメリカに行った。
◇ ◇ ◇
アメリカのマット先生のご自宅に部屋をもらって、お世話になることになった。
マット先生のご家族は、マット先生と奥さん、会社員の息子さんと大学院生の息子さんの四人。
息子さん達に「新しい弟だよ」って紹介された。女の子だと思われてないことに気付いたけれど黙ってた。
もう長いこと男の子として暮らしていたから、今更女の子だと言えなくなっていた。自分でも男とか女とか意識することはなかった。ただおトイレは女の子用に行っていたし、体育の着替えも女の子に混じってた。けど、どういうわけか誰一人気にするひとはいなかった。
マット先生もご家族もボクを男の子だと疑ってなかった。きっとこの眼鏡のおかげだろう。
小学生のとき、不思議なお店でもらった眼鏡。
店主さんが「『アレ』からみえなくなる」「おまえさんのことを隠してくれるよ」と言っていた。
きっとこの眼鏡がボクの『本当の姿』を隠してくれてるんだ。施設の先生に言われた『男の子のフリをしてあいつらをだます』効果があるんだ。それで小学校でも中学校でも高校でも男の子だと思われて、今マット先生のご家族にも男の子だと思われてるんだ。
赤ちゃんのときから持っている御守りと、不思議なお店でもらった眼鏡。このふたつのおかげでボクはどうにかここまで来た。これからは進学させてくれたマット先生へのご恩返しとしてがんばろう。
そう思って一生懸命勉強した。試験は合格。特待生にもなれた。英語もどうにか会話できるレベルになった。読み書きはもともと大丈夫だったんだけど、ヒヤリングとスピーキングが不十分だった。それをマット先生のご家族に教えてもらって、日常生活が送れるレベルにまでなった。
四月に渡米して、マット先生のおうちで勉強して、九月から大学に通う生活になった。
当たり前だけど授業は全部英語。それはわかってたんだけど、みんなしゃべるのが早い。早口なの!? ていうくらい早い。なまりなのかクセなのか聞き取れないところもあって、授業についていくだけで精一杯だった。
クタクタに疲れて帰れば「疲れたでしょ! いっぱい食べなさい!」ってマット先生の奥さんがごはんを出してくれる。けど、なんていうか、量がすごくて、もう、見ただけでお腹いっぱいになっちゃう。
けどせっかく作ってくれたのにワガママ言えなくて、無理して食べてたらおなかを壊した。
渡米してからずっと気を張ってたのもあったのか、吐いて熱を出して寝込んでしまった。
申し訳なくて情けなくて、早く治そうと思ったけど全然良くならなかった。奥さんが病人食としてスープとパンを出してくれた。それだけならどうにか食べられて、薬のおかげもあってようやく日常生活が送れるようになった。
そんなときだった。
マット先生から誘われたのは。
◇ ◇ ◇
「冬季休暇は毎年ボクの実家に行くんだよ」「今年はマコトも一緒に行こう!」
ご実家の場所を聞いたら、何千キロも離れていた。車で二日かけて行くって。
絶対無理。
そもそも知らないひとばっかりのところで何日も過ごさないといけないとか。無理。無理無理無理!!
「ワタシ、ホテル行きます」「皆さん、邪魔、したくない」「家族なかよく」一生懸命に訴えたけど「気にするな」「マコトはもう家族だ!」って言ってくれて、そう言ってくれるのはありがたいって思うんだけど、でも『絶対無理!』って思って、かたくなに「ホテルで勉強します!」「ホテルから出ません!」って言い張った。
そんなボクを心配したマット先生が妥協案を出してきた。
「ボクの友達に、京都出身の日本人がいるんだよ」「彼のところに行くのはどう?」「ヒデっていうんだけど、毎年帰国せずに論文読みふけってるだけだから」
さらに詳しく説明してくれたのは奥さん。マット先生と同い年の五十一歳。大学一年生のときからのマット先生の友達。独身で一人暮らし。物理学が専門で、もういくつもすごい発見をしている、研究所を代表するひとり。京都の旧いおうちの跡取り息子さんだったけど研究がしたくて家を飛び出したひと。
「悪いひとじゃないわ」「マットと同じで研究以外はさっぱりだけど」「そういう意味では自宅がどうなってるのか、心配ではあるわね」
「マコトが泊まれるかしら」って心配してくれる奥さんに対してマット先生は「寝袋持って行かせよう」なんて気楽に言う。そんなの、不安しかないんですけど。
「とりあえず会うだけ会ってみたら」と言われ、了承した。
◇ ◇ ◇
そうしてひきあわされた西村先生はとても穏やかなひとだった。
欧米人と変わらないくらい高い背。ツリ眉に二重のタレ目。シュッとした輪郭にさっぱりと整えた髪。普通のセーターとズボンていう服装でもわかるスタイルの良さ。おなかも顎も無駄なお肉なんてない。マット先生の同級生で五十歳超えてるって聞いてたけど全然そんな年齢に見えない。俳優さんとかモデルさんみたい。
それなのに全然偉ぶるところがない。そのまんまの自分でマット先生や奥さんに接してるとわかる。ボクいろんなひと見てきたからそういうのはなんとなくわかる。先生ご夫婦に接する態度から、誠実で善良なひとなんだろうなって感じた。
初対面のボクに配慮して最初から日本語で話しかけてくれた。やさしい声と口調。こわがらせないように、ボクが遠慮しないように、わざと「自分に付き合って」って誘ってくれた。
やさしい眼差しで、包み込むように、ボクをちゃんと見てくれた。
これまで会ったどんなひとよりも穏やかでやさしくてあったかくて、大きな大きな御神木みたいなひとだなって思った。
『このひとのそばにいたい』そんな気持ちがポンと浮かんだ。
そんなことこれまで誰に対しても思ったことなくて、そう思った自分にびっくりした。
けど『やっぱり迷惑になる』って思い直してお断りしたら、西村先生たらお餅や白味噌のお雑煮を出してきた!
お餅はボクの数少ない好物。アメリカに来てから見たことない。マット先生が何度か日本食レストランに連れて行ってくれたけど、デザートでお団子やおはぎはあったけどお餅はなかった。ついでにお味噌汁は赤味噌だった。ボクは白味噌が好き。
お餅と白味噌に惹かれてることを見抜かれて、やさしく説得されて、西村先生のお宅に同行した。
タクシーの中でも先生はずっと日本語で話しかけてくれた。学校やマット先生ご家族のことを聞かれてぽつりぽつりと返している間も先生はずっと穏やかに微笑んでて、ああ、いいひとだなあって思った。
なんだかずっとこわばっていたどこかがほぐされるような、どこかがじんわりとあたたかくなるような。
そんな気持ちになったのははじめてで、自分でもよくわからなかった。
よくわからないまま先生にうながされてマンションに入った。
先生がおうちの扉を開けると、そこにはこれまでにみたことのないこわいモノがいた。
大きな鬼と、二本足で立つ大きな黒い狼。大きな黒い蛇と大きな猛禽、それと人間っぽいナニカ。扉から吹き出す空気に圧迫されて、声を出したら喰われるって思って、必死で口を押さえた。
なのに西村先生は平気な顔でソレラと話をする。「大丈夫だから。おいで」って手を差し伸べてくれる。おそるおそるその手を取ったら、突然気持ちが楽になった。
連れて行かれるままにおうちにお邪魔して、うながされるままにソファに座って、聞かれるままにこれまでのことを話した。
眼鏡をはずしたら西村先生がびっくりしたみたいにボクを見た。『え』『なに?』って思ったのは一瞬。すぐに先生のまわりのモノがすごい怒ってきて、こわくてこわくて丸くなって「ごめんなさい」って言うしかできなかった。
そんなボクに西村先生は「こわかったね」「ごめんね」「もう大丈夫だよ」ってやさしく言って撫でてくれた。やさしい声に、あたたかい手に、生まれてはじめて安心して、気がついたら眠っていた。
◇ ◇ ◇
目が覚めてからも色々説明してもらった。昨日のこわいモノは人間になっていた。あのこわい空気もなくなっていた。
西村先生はすごいひとらしい。ボクがこれまでにみたこわいモノは西村先生の気配っていうのがあったら「寄ってこない」って。そのために「ハグして気配をつけよう」って勧められた。
そうしてボクは冬期休暇が終わっても先生のところで暮らすことになった。
マット先生と奥さんに申し訳なかったけど、西村先生がうまく話をしてくれて、マット先生と奥さんも快く送り出してくれてホッとした。
ボクの部屋をくれて、おうちのお手伝いの仕事をくれて、「バイト代な」ってお金までくれる。
「英語力を鍛えよう」っておうちでも英語でやりとりした。つい日本語が出ても大丈夫な環境だからか、下手な英語でも「なに?」って聞き返されない安心感か、これまでよりもずっとたくさん言葉を発するようになった。
食事は日本食が中心。たまにパンとかパスタとか出るけど、白いごはんとお味噌汁、お漬物が並んでるだけでうれしくなる。実際おなかの調子もよくなった。欧米人の食事は日本人のボクに合わなかったのかもしれない。
おなかの調子がよくなったら体調もよくなった。気持ちも明るくなった自覚がある。そうなってはじめて、渡米してからずっと張りつめてたんだってわかった。
西村先生のおうちに来て、ボクはこれまでの人生ではじめて、楽に過ごせるようになった。
◇ ◇ ◇
先生達はボクのことを「女の子」って気がついてた。だからなのか、すごく甘やかしてくれる。特に西村先生は、頭を撫でてくれて、ハグしてくれて、キスまでしてくれる。
ずっと憧れてた。朝起きてすぐ「おはよう」って言ってもらって、大事に大事にハグしてキスしてもらって、夜は「おやすみ」「よい夢を」って言ってもらう。
誰からも大事にされることのないボクには無理な夢だと思ってた。マット先生と奥さんは夢に近いことをしてくれたけど、やっぱり英語だったから「外国だもんね」って思って素直に受け入れられなかった。
けど、西村先生は日本人で日本語でしゃべってるからか、すごくうれしくて満たされる。「『しあわせ』ってこんなのかなあ」「夢叶っちゃったなあ」って、ひとりでニマニマしちゃってた。
「西村先生」って呼んでたのが「秀智さん」になり「ヒデさん」て呼ぶようになった。その頃にはハグしてもらうのが当たり前になってて、ヒデさんにくっついているだけでうれしくてしあわせだった。
ぎゅうっとくっつくとヒデさんのぬくもりが伝わってくる。意外と筋肉のある身体。五十一歳って言ってたけど全然そんなふうに感じない。力強く支えてくれて、まるごと包んでくれる感じがして、「ああ、このひとのそばにいたら安心だ」っていつも思っちゃう。
ずっとくっついていたくなる。いっぱいキスしてもらいたい。いっぱい撫でてもらいたい。
二重のタレ目をさらに下げて笑う、やさしい顔をもっと見ていたい。やさしい声で「マコ」って呼んでもらいたい。抱き締めて包み込んでいてほしい。ずっと甘えていたい。
自分でも「子供みたい」って思った。それでもヒデさんに甘えるのがうれしくてしあわせで、ヒデさんやみんなも「甘えたらいいよ」って言ってくれるのもあって、いっぱい甘えていた。
ヒデさんもみんなもボクのことを「家族だよ」って言ってくれる。「大事だよ」「大好きだよ」って言ってくれる。
「ここがマコの家だ」って言ってくれる。「ちゃんとここに帰ってくるんだよ」って。
ボクには『居場所』がないと思ってた。
ボクには『家族』がいないと思ってた。
そんなボクに、居場所ができた。家族ができた。
うれしくてしあわせで、ボクは自分でもわかるくらいにのびのびするようになった。
ヒデ、ハグもキスもしまくりです
これで本人は自制してるつもりなんですよ……
『静原の呪い』にとらわれてますので……
マコが精神的に未成熟なのと『(一般的な)家族』を知らないこと、マット家でもハグされまくりキスされまくっていたので、この時点でのヒデからの愛情は『家族愛』だと思っています
今後マコが成長するにつれ変化していきます