閑話 トモくんの告白 2(アキ視点)
引き続きハルの母親の明子視点です。
前前回の『第四十五話 告白』の明子視点になります。
しばらくしたら竹ちゃんは目を覚ました。
ヒロちゃんが用意してくれていた聖水にレモンを絞り入れたものを渡すと、コクコクと飲んでくれた。ホッとした。
「トモさんはどうされてますか?」「トモさんは大丈夫ですか?」
トモくんのことばかり心配する竹ちゃんが健気で、だから提案した。
「トモくんのお部屋に様子を見に行ってみる?」
竹ちゃんはすぐにうなずいた。
通りすがりにリビングをのぞくと、蒼真様も黒陽様もケロッと普段どおりのお顔をされていた。
「あれー? 竹様、起きたー?」なんて明るく言う蒼真様だったけど、目が赤くなっているし口元が若干、ほんとに若干ひきつっていた。
竹ちゃんが気に病まないように普段どおりに見えるようにしているのだとわかった。
自分のココロを押し込めて、守り役としての責務を果たそうとしているのだとわかった。
高間原というところは、きっと素敵な世界だったのでしょうね。
だってこんな素敵なひとばかりいるんですもの。
「トモくんの様子を見に行く」と言うと「ぼくも行く」「じゃあぼくも」と全員が立ち上がった。
タカさんの肩に蒼真様、ハルちゃんの肩に黒陽様が乗っかって、ヒロちゃんと私で竹ちゃんをはさむようにトモくんの部屋に入った。
トモくんは眠っていた。
『眠らせた』とハルちゃんが言っていた。
安定した呼吸とおだやかな顔に、竹ちゃんは目に見えてホッとした。
その場に崩れるようにベッドサイドに座り込んでしまったから、なんとかうながして持ってきた椅子に座らせた。
じっとトモくんの寝顔を見つめている竹ちゃん。
気付いていないのかしら? 愛おしくてたまらないっていうお顔になってるわよ?
その表情だけで、どれだけ竹ちゃんがトモくんを好きなのか伝わってくるような、そんなおだやかな笑顔だった。
「……黒陽……」
竹ちゃんの呼びかけに「はい」と短く答える黒陽様。
「……私、また、失敗しちゃった……」
じっとトモくんを見つめるその目はやさしくておだやか。
でもどこかあきらめの混じった、かなしそうな目だった。
ゆっくりと顔をトモくんから離し、ハルちゃんの肩の黒陽様を竹ちゃんは見上げた。
「えへへ」と笑うその顔が泣いているようだった。
「私『災厄を招く娘』なの、忘れてた」
「「「―――!」」」
『何を言ってるの!?』と怒鳴りつけようと口を開けた途端、ハルちゃんに肩を押さえられた。
『何も言うな』と視線で制せられ、グッと言葉を飲み込んだ。
「――姫は、なにも悪くありませんよ。
姫のおかげで助かったモノはたくさんおります」
しずかに、しずかに黒陽様は言葉を贈る。
まるで子守唄のようだと思った。
そんな言葉にも竹ちゃんはしずかに首を振った。
「――もう、『ご褒美』は、終わり」
その言葉に蒼真様が息を飲んだ。
あわてて飛び出そうとしたのがわかった。けど蒼真様はグッとこらえて、タカさんの肩に顔を埋めた。
「――トモさん、やさしいから、甘えちゃった」
えへへ。と笑う竹ちゃん。
そんなことない。全然甘えてない。
もっとお話したり、一緒にお出かけしたり、ベタベタくっついたりしたらいいじゃない!
竹ちゃんが甘えてあげたらトモくん絶対喜ぶのに!
もっとそばにいたらいいのに!!
「……『バーチャルキョート』を調べるのに、トモの協力は欠かせないよ?」
タカさんがそう言った。
竹ちゃんの責務に必要だと。
だからそばにいたらいいと。
なのに竹ちゃんはにっこりと微笑んでふるふると首を振った。
「もう巻き込めません」
――ああ。この子は、決めてしまった。
それがわかる笑顔だった。
トモくんを巻き込まないことを決めてしまった。
トモくんから離れることを決めてしまった。
「………頑固者だなぁ……」
ヒロちゃんがポツリとつぶやいた。
ホントね。私も同意見だわ。
「――『バーチャルキョート』はどうする?」
タカさんがしずかに問いかける。
責める色を見せず、淡々と業務確認をするような声に、竹ちゃんも淡々と答えた。
「もともとトモさんなしで探っていたことです。
どうにかできますよね?」
問いかけられたハルちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をして、それでもうなずいた。
竹ちゃんはそんなハルちゃんににっこりと微笑んだ。
「戦略は菊様に一任しています。
トモさんを使わないようにお願いしたら、菊様ならいいやり方を考えてくださると思います」
「ね?」と守り役おふたりに笑いかける竹ちゃんに、黒陽様はしぶしぶうなずいた。
蒼真様もタカさんの肩に顔を埋めたままうなずいた。
竹ちゃんはにっこりと微笑んで、再びトモくんに向き直った。
首元に紐があるのを見つけて、起こさないようにそっと引っ張り出した。
そうして、私達ももらったお守り袋を手に取った。
竹ちゃんはその袋を両手でそっと包んだ。
「――これからも、トモさんを守ってね……」
そうつぶやき、祈りを込めた。
紐を引っ張ったからか、竹ちゃんが祈ったからか、トモくんがピクリと反応した。
ハッとした竹ちゃんがじっと見守るなか、トモくんは目を覚ました。
ゆっくりと開いた目が竹ちゃんをとらえた途端、やさしく細められる。
ああ、トモくんは、本当に竹ちゃんが好きなのね。
一目でそうわかる目だった。
なのに竹ちゃんはその目の意味に気付かない。
その目に込められた熱に気付かない。
ただただ「やさしいひと」だと。「親切なひと」だと思っている。
出会ったその瞬間にトモくんは『とらわれた』。
だから竹ちゃんの知っているトモくんはいつもこんな目をしている。
だから気付かないのかしら?
それとも、気付けないのかしら?
背負っているものが重すぎて、他に目を向けられないのかしら?
「おはようございます。具合はいかがですか?」
話しかける竹ちゃん。
やさしく礼儀正しい言葉。
だけどどこかいつもと違っていた。
まるで初めて私達と会ったときのように、ピリ、としていた。
トモくんは竹ちゃんと話をしながら、まっすぐに竹ちゃんを見つめている。
竹ちゃん以外目に入っていない。
竹ちゃんのそばにいる私も、少し控えて立っているタカさん達も。
誰も目に入れることなく、ただ竹ちゃんだけを求めている。
「私が悪いんです」と笑う竹ちゃんに「ちがう」と言い募るトモくん。
こんなに必死なトモくん、見たことがない。
この子はいつも飄々としていて、余裕しゃくしゃくで、他の子達を一歩下がって観察しているような子なのに。
そのトモくんがなりふり構わず竹ちゃんに訴える。
「好き」と気持ちを吐露する。
その熱を、魂をさらけ出すように。
『伝わって』と、ただ一心に竹ちゃんへ好意を伝える。
それなのに。
竹ちゃんには伝わらない。
竹ちゃんは受け入れることができない。
自分のせいでトモくんが傷ついたと思っているから。
自分がいてはトモくんが不幸になると思っているから。
「さようなら」
竹ちゃんは、お別れを告げた。
あれだけ必死に、あれだけ熱く想いを伝えようとしていたトモくんからチカラが抜けた。
その目から光が失われた。
ああ。人間、絶望するとこんなふうになるんだ。
そんなサンプルのように、トモくんは、ココロをこわした。
そっとトモくんの手から自分の手を引き抜いた竹ちゃんは、トモくんのココロがこわれたことに気付いていない。
なにも気付かず、微笑みを贈って、竹ちゃんは立ち上がった。
竹ちゃんが背を向けた途端、トモくんの目から涙が落ちた。
ポロリと一粒落ちた涙もそのままに、トモくんはただただ竹ちゃんを見つめている。
部屋を出た竹ちゃんが、パタリと扉を閉めた。
その音はやけに大きく響いた。
竹ちゃんの姿が消えた瞬間、トモくんの目から涙があふれた。
竹ちゃんを追ったその目のまま、ただただ滂沱の涙をこぼす。
呆然とした表情のまま涙を流すトモくんに、ヒロちゃんが抱きついた。
ぎゅうぅっとトモくんを抱き締め、よしよしと背中を、頭をなでる。
「トモ」「トモ」呼びかけてもトモくんは反応しない。
「つらいねトモ」「泣きな」そう言いながらヒロちゃんも泣いた。
それでもトモくんは反応しない。
ただ呆然と竹ちゃんの消えた扉を見つめ、ただただ涙を落としていた。
そんなトモくんは初めてで、なんて声をかけたらいいのかわからなかった。
見るとタカさんもハルちゃんも痛そうな顔をしていた。
黒陽様は首がとれちゃうんじゃないかしらというくらいうなだれていた。
蒼真様はタカさんにしがみついて震えていた。
トモくんは男性陣に任せようと、そっと部屋を出た。
部屋を出てすぐの廊下で、竹ちゃんは壁にもたれて立っていた。
うつむいて立ちすくむ様子に心配になって回り込む。
いつも微笑みを浮かべている竹ちゃんが、無表情のままただ立っていた。
――こんなにココロを傷つけて――。
可哀想で、そっと頭をなでた。
ふ、と竹ちゃんの目に光が戻った。
「――アキさん――」
にっこりと微笑んでうなずくと、竹ちゃんも弱々しいながらも笑顔を浮かべた。
ホントは。
ホントは、竹ちゃんを説得するつもりだった。
『竹ちゃんは「災厄を招く娘」なんかじゃない』と。
『トモくんと居たらいい』と。
でも、弱々しく笑うこの子に、そんなこと言えなくなった。
トモくんとお別れすることを決めたことが、この子をどれだけ傷つけたのかわかった。
どれほど自分が傷ついても、どれほど自分が苦しくても、トモくんのためならばとその痛みを受け入れるこの子がかわいそうで、愛おしかった。
どれほど自分が傷ついても苦しくても周りに気を使って微笑むこの子が、せつなくて愛おしかった。
「――よくがんはったわね竹ちゃん。えらかったわよ」
そう言って頭をなでると、竹ちゃんは「えへへ」とちいさく笑った。
「――アキさん」
そっと目を伏せて声をかけてきたから「なあに?」と答えた。
竹ちゃんは一度目を閉じて深呼吸をした。
下ろした手を、きゅっと拳にした。
そうしてゆっくりと開いた目は、少し潤んでいた。
「私、キチンとできていましたか――?」
「王族らしく、振る舞えていましたか――?」
いつも『自分はもう王族じゃない』『普通の家の、普通の娘だ』なんて言ってるのに。
やっぱりこの子の魂の根幹は昔の世界の王族なんだ。
そうわかって、かなしくなった。
でもそんなことは微塵も表に出すことなく「ええ」とにっこり微笑んだ。
「立派なお姫様だったわ竹ちゃん」
「――よかったです……」
ふらりとかしいだ身体をあわてて抱きしめると、竹ちゃんはめずらしく私に少しもたれてきた。
私より背の高い竹ちゃんが覆いかぶさったみたいになってるけど、なんとかふんばって支えることができた。
「……アキさん」
「なあに?」
「――私、『好き』って、言われちゃいました」
「……そうね」
「――私、あんなふうに『好き』って言われたの、五千年生きてきて初めてです」
……ホントかしら?
この子ぼんやりさんだから、言われてもそうと気付いていないんじゃないのかしら?
それとも黒陽様が何重にも鉄壁のガードを張り巡らせていたのかしら?
少なくとも前世のトモくんは『夫婦だった』というくらいだから言ったと思うんだけど、その記憶は封じられてるのよね?
じゃあ仕方ないのかしら?
「竹ちゃん初告白? 素敵ね」
わざと茶化すように言うと「はい」とちいさな返事が返ってきた。
「『モテ期』到来かしら?」
そう言うとクスクスと笑い声が聞こえた。
私にもたれている竹ちゃんの背中をよしよしとなでる。
少しでも吐き出しやすくなるように。
「――トモさんは、やさしくて、良い方ですね」
……トモくんはどっちかというと人間の好みがはっきりしていて、受け入れた人に対しては面倒見が良いけど、そうでない人には冷酷非情なところがあるんだけど……。
それは今言わなくてもいいことね。
だからただ「そうね」とだけ答えておいた。
「やさしい方だから、私が気に病まないようにあんなふうに言ってくださったんでしょうね……」
……本気も本気、心の底からの真剣で必死な告白にしか見えなかったけど……。
それを今教えても、この子は聞き入れられないでしょうね。
だからただ「………そうかもね」とだけ答えておいた。
「えへへ」とちいさく笑い、竹ちゃんはつぶやいた。
「――嘘でも、同情でも、なぐさめでも――うれしかった――」
キュウゥゥン!
なにこの子可愛いんだけど!
なんであの真剣告白を本気と受け取れないの!?
いっつもこっちが心配になるくらい騙しやすくてすぐに丸め込めるのに、なんでアレを信じられないの!?
もう! もう! 自己評価低すぎなのよ!
素直に受け止めて受け入れたらいいじゃない!
そうしたらみんながしあわせになるのに!
私の肩に顔を埋め、竹ちゃんはちいさくつぶやいた。
自分に言い聞かせているようだった。
「――これ以上私がそばにいたら、あのひとは不幸になる――」
そんなことないわよ!
竹ちゃんがそばにいたらトモくんはしあわせよ!
そう言いたいけど、言えない。
きっと今は何を言っても竹ちゃんは聞けない。
竹ちゃんはハッとなにかに気付き、バッと私から離れた。
「――ごめんなさい。アキさんにも私の気配がついちゃう」
照れ笑いを浮かべるその顔に腹が立った。
ムッとして、だからガバッと抱きしめた!
竹ちゃんは驚いていたけど気にしない!
「あ、アキさん! 駄目です!」
「駄目じゃないの!」
ジタバタする子をぎゅうぅぅぅっ! と力まかせに抱き締める。
「私は竹ちゃんのご両親から竹ちゃんをお預かりしてるんだから!
『母親になったつもりでお世話させていただきます』って約束したんだから!
家と家の契約なんだから!
だからこれは当然のことなのよ!」
「母親が娘を抱きしめるのは、当然のことなのよ!」
私の主張に、竹ちゃんは困ったように動きを止めた。
「……今までにそんなことをされたことはありません」
「ウチではするの! 余所は余所! ウチはウチなの!」
さらにぎゅうぎゅう抱き締める。
「……アキさんにも災厄が降り掛かってしまいます」
竹ちゃんが私の肩を押して逃げようとするから、あえてガバッと肩をつかんで身体を離した。
そうしてびっくりする竹ちゃんを真正面から見据えた。
「残念ね! 私にはハルちゃんが生まれる前から何重にも守りの術をかけてるの!
竹ちゃんの招く災厄がどの程度のものかは知らないけれど、ウチのハルちゃんに敵うもんですか!」
フフン! とわざと不敵に笑う私に竹ちゃんは目をまんまるにしている。
「ウチのハルちゃんは優秀よ!
災厄なんて『ちょちょいのちょーい』って余所にやっちゃうんだから!
なんなら試してごらんなさい!
ハルちゃんとどっちが強いか、勝負よ!」
堂々と宣言したら、竹ちゃんはポカンとしていた。
やがてハッとした竹ちゃん。
ジワジワと頬が紅く染まっていった。
そうしてうるりと目をうるませて、にっこりと笑った。
「――そうでした。晴明さんはすごい陰明師でした」
「そうよ! なんてったって主座様よ!
そんじょそこらの能力者さんとは一味違うわよ!」
そう言うと竹ちゃんはクスクスと笑った。
「だから竹ちゃんは今までどおり、ウチにいても大丈夫!
ハルちゃんだけじゃなくて、コンちゃんやケンちゃんや、ほかにもたくさんの子が守ってくれてるからね!」
我が家を出ようとしていたのがバレたとわかったのだろう。
キョトンとした竹ちゃんはバツが悪そうに顔をゆがめ、それでもちいさくうなずいた。
「………はい」
肯定の返事を引き出せた。よかった。
ホッとして脱力しそうになったけど、もうひと踏ん張り!
キチンと言い聞かせておかなくちゃ!
「ごはんを食べて。夜はキチンと寝る。
そうしてくれないと、私が契約違反したことになっちゃうわ」
プン。とわざと怒ったように言うと、困ったように笑いながらも「はい」と返事をした。
その返事に安心して、さらに注文した。
「それで、時々でいいから安倍家のお仕事をしてちょうだい。
竹ちゃんはすごい能力者さんなんでしょ?
竹ちゃんがいてくれる間に片付けたい用事がたくさんあるんだから!」
ホントはハルちゃんからもヒロちゃんからも聞いている。
竹ちゃんは『すごい能力者』でなくて『とんでもない能力者』だと。
だけどわざと気が付いていないフリで用事を押し付けた。
遠慮がちなこの子が気兼ねなく過ごせるように。
予想通り竹ちゃんは生真面目にうなずいた。
「――はい」
「私にできることでしたら、なんでもします」