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【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』7

 彼女の誕生日パーティーをし、研究所のパーティーがあり、彼女が来て一年のお祝いパーティーもした。

 元々十二月はパーティーが多いが、それにしても今年はパーティーばかりしている気がしないでもない。彼女もウチの連中も喜んでいるからまあ問題ないだろう。


 そして今夜はクリスマスイブ。もちろんウチで家族パーティーをした。


 彼女は友達との付き合いがあるんじゃないかと思っていたが「特に誘われてない」とのことだったので、我が家でみんなで過ごした。

 それぞれにクリスマスプレゼントを渡し、俺もみんなからもらった。彼女も俺達からプレゼントを受け取って喜んでいた。



 そんな騒ぎが落ち着いた夜。



「おやすみ」と連中は引き揚げ、マコは風呂へ行った。

 一番に風呂に行かせてもらった俺はソファでまったりくつろぎながら冬季休暇で読もうと集めた論文(レポート)を読んでいた。

 早い話がマコ待ち。『おやすみのハグ』をしなければならないから。


『ハグしない』なんて選択肢は存在しない。彼女へのハグは『しなければならないもの』だ。異論は認めない。

 愛しい彼女のためならば待つのだって楽しい時間だ。論文(レポート)読んでればいくらでも時間はつぶせる。無駄な時間じゃない。


 そんな言い訳のようなことを考えながら論文(レポート)に目を通していた。と、どこかの扉が開いた音がした。


「ヒデさん」

 彼女の声に風呂からあがったかと振り向き―――



 ―――息を、飲んだ。


 ドレスアップした彼女が、いた。



 眼鏡をはずした裸眼で、薄く化粧をし、髪形も整えた彼女。普段の中性的な姿は消えていた。どこをどう見ても女性にしか見えない。

 マーメイドラインのスラリとした白いドレス。白手袋をつけ、白いハイヒールを履いている。首には俺が贈った真珠のネックレス。耳には真珠のイヤリング。


 シンデレラか、それとも人魚姫か。

 どんなお姫様よりも美しい、誰よりも綺麗なお姫様が、俺を見つめていた。


「―――マコ?」

 

 どうにか声を出せば、美しいお姫様はニコリと微笑んだ。


「―――どう、かな?」「似合う、かな?」

 照れくさそうに、どこか自信なさそうにスカートをちょいとつまむ。そんな仕草も愛らしくて見惚れる。

 ただ呆然と見つめていたが、ハッと意見を求められていると気付き、あわてて答えた。


「綺麗だよ」


「綺麗だ」「すごく、すごく綺麗だ」


 考える余裕もなく、感じたことがそのまま口からこぼれ出る。

「ありがとう」と微笑むのも優雅で、胸を鷲掴みにされる。なんて綺麗な。なんて素敵な。


 ソファから立ち上がり、彼女の正面に立った。彼女の頭の先から足の先までゆっくりと眺める。視線を逆に動かしてもう一度全体を眺める。どこからどう見ても一人前の大人の女性。ホンの一年前はモサい男の子にしか見えなかったのに。内側から光り輝いてみえる。なんて綺麗な。表情も立ち姿も大人の女性にしか見えない。いつの間にこんなに素敵になったんだろうか。


「―――こんなに素敵なレディになるなんて―――」


 ため息と一緒にこぼれた言葉に彼女は「ホント?」と喜色を浮かべた。


「ホント」「よく似合ってる」「素敵だよ」

 口から気持ちが勝手にこぼれていく。彼女はそれはそれはうれしそうに微笑んだ。

 幼さをふくんだ笑顔も魅力的で、またも胸を鷲掴みにされる。


「ヒデさん」

 急に真面目な顔になり、彼女はまっすぐに俺の目を見つめてきた。真剣な声色にこちらも真面目に彼女へと向き合った。


「マコは、もう子供じゃないの」

「大人になったの」


「そうだね」

「もう立派なレディだ」


 どこか覚悟を秘めた様子にそう答えた。

 実際もう『子供』とは言えない。昨年初めて会ったときは頼りない子供だったのに、こんなに堂々として。背も少し伸びた。体型のはっきりわかるドレスだから胸も腰も女性らしくなったのがわかる。


 成長阻害の術が付与されていた道具屋の眼鏡を使用しなくなったことで成長したのもあるだろう。出逢った昨年の彼女の肉体年齢がおそらくは成長期だった。それでたった一年でこんなに成長したのもあるだろう。

 だが、外見だけじゃない。内面が(いちじる)しく成長した。


 うつむきがちだった顔が上を向くようになった。いつも申し訳なさそうにしていたのが笑顔になった。オドオドビクビクしていたのに自信があふれるようになった。


 どこに出しても胸を張って自慢できる、素晴らしい人間に、成った。


 羽化したての蝶のような、瑞々しい、若さあふれる彼女に、つい目を細めてしまう。


 一年前、彼女を『護る』と決めたのは間違いじゃなかった。『家族』としてそばにいると決めたのは間違いじゃなかった。俺の汚い欲を押し付けていたら今の彼女にはなっていない。これからも彼女を護っていこう。そばにいられるだけで俺は十分なんだから。こうして成長を見られるだけで『しあわせ』なんだから。


 目の奥がジンと熱くなる。ああこれも老化かな。やたら涙もろくなった気がするよ。


 カッコ悪いところは見せたくない。まばたきでどうにか抑え、にっこりと微笑んだ。

 そんな俺になにを感じたのか、彼女は息を飲み頬を染めた。

 あわあわと口元をわななかせていたが、すうと息を吸い込み、瞼を閉じた。

 集中しているような、なにかを決意しているような様子に、どうしたのかと見守るしかできない。そのうち彼女は瞼を開き、その瞳をまっすぐに俺へと当てた。


「だからね」

 ためらいつつも、彼女は言った。

「聞いて欲しいの」


 覚悟を込めた眼差しに、なにを言われるのかと息を詰めた。『嫌い』とか言われたらどうしよう。『ウザい』『触るな』とか言われたらどうしよう。そんな恐れは顔に出さず、ただ「なに?」と先をうながした。


 彼女は重ね合わせた両手をグッと握り、顔を赤くした。肩に力が入りまくっている。緊張しまくった様子にこちらまで緊張してしまい、ついゴクリと唾を飲み込んだ。


「―――好きなの」


「ヒデさんが、好きなの」


「家族としてじゃなくて。家族としても好きなんだけど、そうじゃなくて」


「―――男性として、恋愛対象として―――ヒデさんが、好きなの」


 一生懸命に。

 まっすぐに俺の目を見て。

 真摯に、彼女は言葉をつむいだ。


 俺に、そのココロを捧げてきた。


 ―――言葉が出なかった。


 彼女の一言一言が、眼差しが、熱が、俺を貫く。

 俺に熱を注ぐ。

 歓喜を、愛を、熱を呼び起こす。


 身体中を歓喜が駆け巡る。熱風が吹き巡る。興奮が、感動が、魂を揺さぶる。


「ボクのこと子供としてしか見てないって、知ってる」

「それでも」

「ボクは―――マコは、ヒデさんが、異性として、好きなの」


 身動きひとつ取れない俺に、愛しい彼女がさらに言い募る。俺が好きだと。俺が恋しいと。

 その眼差し。熱のこもった『女』の眼差し。ああ。きみはいつの間にこんなになったんだ。かわいい子供だったのに。こんな、匂い立つ『女』になって。


「マコ、大人になったよ?」

「『恋』だってできるんだよ?」

「ヒデさんに『恋』してるんだよ」


 なにも言わない俺に彼女が言葉を重ねる。『受け入れて』と訴えかける。


「ずっと好きだった」

「はじめて逢ったときから好きだった」

「最初は大人のひとに対する好きだった。それから家族として過ごすようになって、家族として好きになった」


「でも、今は違うの」

「ヒデさんのこと、ひとりの男性として好きなの」

「『家族』じゃイヤなの」

「ボクの『一番』なの」

「ヒデさんにもボクを『一番』にしてもらいたいの」


「ヒデさんに」

「異性として、女性として、愛して欲しいの」


 ―――!!!


 伸ばしそうになった手にすんでで気付き、グッと拳を握った。喜びに、歓びに、悦びに浮き立つココロを内心で殴り飛ばす。


 すう、と息を吸い込み、止める。瞼を閉じる。落ち着け。落ち着け。冷静になれ。


 彼女は『これから』があるひとだ。俺みたいなオッサンに縛り付けていい子じゃない。

 マットも認める才能。これからどんどん活躍していく、未来ある女性。そんな彼女を俺が個人の欲で手折るなど、許されることではない。


 俺が彼女を『女性として』受け入れて、どうする? どうなる?

 三十歳以上年齢の離れたオッサンを選んだ彼女は批難と悪意にさらされる。興味本位に騒ぎ立てられ、精神的に追い詰められる。そしてその才能を潰される。


 これまで散々見てきた。才能があるのに周囲の理解を得られなくて、嫉妬や悪意で引きずり降ろされて、潰されていった人間。ひとりふたりじゃない。何人も見てきた。

 この世界、綺麗事だけじゃない。天才ばかりでもない。だからこそ身綺麗にしておかなければ足を引っ張られる。邪魔され妨害されるなんて日常茶飯事。悪意の有無に関わらず追い詰められることだって日常茶飯事。


 彼女が俺を選んだら、俺と結ばれたならば、間違いなく悪意の渦に巻き込まれる。それだけの才能のあるひとだ。だからこそ護らねば。この才能を。彼女の未来を。


 俺が彼女の足枷になるわけにはいかない。彼女の邪魔をしてはいけない。

 どれだけ魂が求めても。どれだけ歓喜に震えても。

 彼女を『女』として愛するわけには、いかない。


 彼女の邪魔になりたくない。彼女には『しあわせ』になってほしい。彼女を護る。それが俺の存在意義。俺の『願い』。

 俺の存在が彼女を危険にさらすならば、俺のこの想いは封じなくては。

 どれだけ愛おしくても。どれだけ狂おしくても。どれだけ彼女が欲しくても。


 拳をさらに固く固く握る。爪が食い込む。痛みが浮かれたココロを押さえつける。冷静になれと訴えかける。

 ゆっくりと、静かに息を吐き出す。退魔師の現場を思い出せ。彼女を護るんだ。彼女の未来を。彼女の将来を。


『護る』と覚悟を決めたら冷静になれた。数度深呼吸を繰り返し、ゆっくりと瞼を開いた。

 心配そうな彼女の姿を目に入れた途端に心臓が跳ねる。が、どうにか理性で押さえつけた。


「―――落ち着きなさい」

「きみは今、情緒不安定になってる」


 笑顔を作りそう伝えた。途端に彼女は傷ついたような表情で息を飲んだ。

 すぐさま「そんなことない!」と叫ぶ彼女に「そんなことあるんだよ」とやさしく諭す。


「俺が『死』を匂わせたせいだね」


「ゴメンな」笑みを向けたが彼女は「違う」と首を振る。


「きっかけは確かにあのパーティーだった」

「ヒデさんに女のひとが群がってるのがすごくイヤで」

「それでボク、自分の気持ちに気が付いて」


 彼女は一生懸命に伝えてくれる。どれだけ本気か。どれだけ俺が『異性として好き』か。


「『かわいい子』じゃ『イヤだ』って思った」

「『ひとりの女性』としてあなたの隣に立ちたいって思った」

「あなたに―――ヒデさんに」

「『女性』として『愛されたい』って、思った」


 真摯な言葉が、眼差しが、俺をつらぬく。俺を満たす。『愛している』と。

 そのココロに応えたい。受け入れたい。俺だってマコが好きだ。マコを愛してる! だが。


 だが。


「ほかの女性(ひと)に取られたくない」

「ヒデさんはボクのヒデさんだ」

「そう思って、それって『家族』じゃないって気が付いて。それでボク、ヒデさんのこと『男性として好き』なんだって、気が付いたんだ」


 だが、駄目だ。

 俺では彼女の隣に立つにふさわしくない。


 俺では、三十歳以上歳上の俺では、彼女にふさわしくない。


 他人から見れば親子にしか見えない。俺はいい。どれだけ興味本位な視線にさらされようと、侮蔑されようと構わない。「ロリコン」「学生に手を出した」「変態」ほかにも色々言われるだろう。が、構わない。どんな侮辱も受け入れよう。

 だが、彼女は駄目だ。

 彼女はまだ若い。侮蔑にも侮辱にも免疫がない。ひとつひとつの言葉が、視線が、悪意が、彼女を傷つけ疲弊させる。そうなったら彼女はどうなる?


 ―――これまで何人も目の当たりにした、廃人同然となった人間に、彼女が重なった。―――駄目だ!!

 彼女は俺が護る! たとえ彼女を傷つけることになっても。俺がどれだけ苦しくても。


 覚悟を固め、彼女に目を向けた。一生懸命訴えてくれる愛しい彼女に微笑みかけ、やさしく諭した。


「それはただの独占欲だよ」

「父親同然の男が取られるって思ったたけだよ」


「違う!」

 彼女は叫ぶ。拳を握り、必死で俺に愛を叫ぶ。


「気が付いたの! ボクは、ヒデさんが好きだって! 家族の『好き』じゃないって!」

「それは気の所為(せい)だよ」


 一歩近付いてきたのを一歩下がって避ける。

 俺の言葉に、態度に、彼女はわかりやすく傷ついた表情をした。

 傷つけた事実に胸を刺される。痛みに気付かないフリをして淡々と諭した。


「年齢差を考えてごらん」

「こんなオジサンときみじゃあ釣り合いが取れない」

「きみはこんなに綺麗なんだから」

「きみにふさわしい男と結ばれるべきた」


「ボクにふさわしいって何!?」

「ボクにふさわしいひとがいるなら、ヒデさんしかいない!」

「ヒデさんだけがボクを満たしてくれた! ヒデさんだけがボクを愛してくれた!」

「ヒデさんしかいらない!」

「ヒデさんだけが欲しいの!」


「それを『刷り込み』でないと言い切れるかい?」


 彼女は頭のいい子だ。俺の指摘に息を飲み、黙ってしまった。

 ココロの奥で涙を流しながら、表面上は穏やかな年長者の顔で彼女に語りかけた。


「きみが一番苦しいときにたまたま手を差し伸べた俺に執着してるだけだよ」

「周囲をよく見てごらん。きみには無限の選択肢がある」

「なにもこんなオジサンを選ぶ必要はないんだ」


 俺の言葉に彼女は目に涙を浮かべた。

 ああ。傷つけた。

 けれど傷つく彼女に昏い歓びが浮かぶ。それほどに愛してくれることに歓喜が浮かぶ。そんな自分がクソ野郎だと思う。


 じっと俺に目を向けていた彼女だったが、ギュッと瞼を閉じ、拳を固く握り締めた。

 次に瞼を開いたときには一瞬前の弱々しくすがるような目は消えていた。強い、意志のこもった瞳に、またしてもとらわれた。なんて綺麗な。なんて強い。


「選択肢なんかいらない!」

「ヒデさんしかいらない!」


 ああ。きみはなんて素敵な女性(ひと)なんだ。こんな一瞬にも強くなる。成長に目が離せない。

 認めよう。きみは魅力的な女性だ。もう子供じゃない。立派な、ひとりのレディだ。


 俺のマコ。俺の唯一。そう言えたらどれだけしあわせだろうか。その手を取れたら、その想いを受け入れられたら、どれだけしあわせだろうか。


「―――きみは今、冷静じゃない」


 本音は隠し、淡々と言葉をつむいだ。


「冷静になりなさい」

「落ち着いて、未来を見なさい」

「俺を選ぶことはきみの将来をせばめることになる」

「年齢差を考えてごらん。親子ほどの年齢差があるんだよ」

「そんな男を選んだら、(いわ)れなき悪意が降りかかる」


「わかるだろ?」と問いかければ彼女は痛そうに眉を寄せた。


「きみは才能あるひとだ」

「将来を、先行きをせばめることなんかない」

「きみには無限の可能性がある」

「広い世界を見なさい。こんな狭い家にとらわれることなんかない」

「きみはまだ学生だ。半人前だ。『これから』があるひとだ」

「一人前になって、社会に出てごらん。そうしたら俺なんか忘れちまうよ」


「きみは俺の庇護下から出ることを恐れているだけだよ」

「『悪しきモノ』に襲われた幼少期の恐怖から俺にこだわっているだけだよ」

「こんなふうにせまらなくても心配ない。俺はずっときみを護るから」

「きみが他の男と結ばれても。俺はずっときみを護る」

「なにも心配しなくていい」


 俺の気持ちを、俺の覚悟を正直に伝えた。

 けれど彼女は納得しない。

「なんでわかってくれないの!?」と叫ぶ。


「他のひとなんていらない!」

「あなただけが欲しいの!」

「あなただけが」


 さらに言い募ろうとするのを手を前に出して止める。


「―――若い時は、視野が狭くなりがちなんだよ」


 年長者の表情(かお)で諭せば、彼女は口を引き結んだ。


「きみは今、視野狭窄(きょうさく)におちいっている」

「冷静でない」

「一晩寝て、冷静になって、自分の将来を考えてごらん」

「そうしたら、こんなオジサンを選ぶなんて『無い』って理解できるよ」


 笑みを浮かべて諭したが、彼女は首を横に振った。


「ヒデさんしかいらない」

「ヒデさんより素敵なひとなんていない」


「そんなことないんだよ」

「俺よりいい男なんていくらでもいる」

「きみが知らないだけだ」


「知らなくていい」

「ヒデさんしかいらない」


「マコ」


 駄々っ子のような彼女が愛おしくて、それでも受け入れることは彼女の将来を潰すことと同義だと理解しているから受け入れることはできなくて、抱き締めたくても抱き締めることすらできず、ただ言葉を重ね呼びかけた。


「マコ」

「ヒデさんがいいの」


 なのに彼女は一心に俺を求める。俺が好きだと。俺だけだと。

 まるで麻薬。手を出してはいけないと理解しているのに、手を取ることは間違っているとわかっているのに、その手を取りたくなる。ああ。まさに『呪い』。ひとを狂わせ、縛る。『静原の呪い』は業が深い。


「マコ」「俺はね」


 なおも言い募ろうとした彼女だったが、俺が気持ちを言おうとしていると察して口を閉じた。こういうところも彼女のいいところだとこんなときなのに思ってしまい、自分の馬鹿さ加減に苦笑が浮かぶ。


「きみが大切なんだ」


 俺の言葉に嘘がないと彼女にも伝わったのだろう。黙ったまま、ほんのりと目に喜色が浮かんだ。


「きみと出逢って『世界』が変わった」

「きみがいてくれるだけで俺は『しあわせ』なんだ」


「なら」と笑顔になる彼女に笑みを返し、それでもはっきりと言った。


「けどそれは『家族』としてだ」

「きみを『女性』として愛することは、ない」


 ショックを受け目を見開く彼女に罪悪感が浮かぶ。傷つけた事実に胸が痛い。

 それでも、長い目で見れば、冷静に考えれば、彼女を受け入れることが悪手だと判断できる。


「きみは俺達の大切な子だ」

「かわいい子だ」

「それはいつまで経っても変わらない」


「きみも本当はわかっているんだろう?」

「俺ときみでは三十歳も年齢(とし)の差がある」

「親子でもおかしくない年齢差だ」

「そんな相手を、これまでずっと『かわいい子』だと思って接してきた子を、突然『異性』として見ることができると思うかい?」


 彼女は頭のいい子だ。俺の理屈が正しいこともちゃんと理解できる。理解できるからこそこんなに傷ついた表情(かお)をしている。


 かわいい子。愛おしい、俺の唯一。


『本当の俺』を知ったらきっときみは軽蔑する。こんな聖人君子みたいな物わかりのいいことを言っているくせに、最初に眼鏡を外したときからずっときみを求めていた。今だって求めてる。


 ずっと『異性』として見ていた。

 ずっと『唯一』だと想っていた。


 きっと若かったなら、きみと同年代だったならば、すぐさまきみを奪っている。むさぼって俺の愛をこれでもかと注いでいる。その自覚があるから必死で自制しているんだ。本当は欲望まみれの汚い男なんだ。清らかなきみに触れることすら許されない、(けが)れた男なんだ。


「きみには未来がある」

「しあわせにおなり」

「俺なんかにとらわれず。きみの望むままに生きるんだ」


 内心は隠し、彼女の理想の保護者の皮をかぶって言祝ぎを贈った。

 嘘じゃない。これも俺の本心だ。彼女のしあわせを願っている。彼女のしあわせが一番。それを邪魔するならば俺自身であろうとも排除すべきだ。


「望むままに生きろって言うなら」

 こらえきれなかった涙が一筋落ちる。


「応えてよ」

「ボクが望むのはあなただ」

「ボクはあなたが好きなんだ」

「あなただけがボクの」


 ポロポロとこぼれる涙が綺麗で、つい手が出た。頬をぬぐい、頭を撫でた。


「今日は疲れたね」

「早くおやすみ」

「素敵な姿を見せてくれてありがとう」


 あくまでも保護者としての姿勢を崩さない俺に、彼女はさらに涙を落とした。


「どうしても駄目なの?」

「どうして駄目なの?」

「ボクが子供だから?」


 揺らぎそうになる覚悟をどうにか叱咤し、彼女に向けて微笑んだ。


「きみはもう素敵なレディだよ」

「なら」

「けど、俺にとってはかわいい子だ」


 はっきりと断言する俺に、彼女は顔に絶望を浮かべた。


「―――どうしても、駄目、な、の―――」


 ボロボロとこぼれる涙。絶望のこもったそれは、俺のココロを映しているようだった。

 意志を総動員して笑顔をつくり、彼女の頭を撫でた。子供にするように、わざと。


「きみは『これから』のひとだ」

「俺なんかにつかまっちゃいけない」


 わかりやすい子供扱いに、彼女はさらに涙を落とした。悔しそうに拳が握られている。歯を食いしばり泣くのを止めようとしているのが手に取るようにわかる。


「なにもこわがることはない」

「俺はずっときみを好きだから」

「ずっときみを護るから」


 保護者として。守護者として。

 せめてきみを護らせて。

 せめてそばにいさせて。


「そうじゃなくて」

 俺の『願い』に彼女は首を横に振る。


「そうじゃなくて………!」


 悔しそうに訴えかける泣き顔もかわいくて、これ以上そばにいたら我慢できなくなりそうで、話を断ち切るためにハグをした。


「好きだよマコ」

「もうおやすみ」

「よい夢を」


 そうしていつものように頬にキスをする。

『家族』としての、年長者から年少者へのハグとキス。

 それが伝わったのだろう。ハグをほどいても彼女は身動きひとつせず、ただ涙を流した。


「そうじゃないの………」


 訴えかけてくる視線に耐えられず、「おやすみ」と声をかけ頭を撫で、逃げるように彼女に背を向け部屋に入った。

 扉の向こうの彼女の泣き声がいつまでも耳についた。



   ◇ ◇ ◇



「ヘタレ」「弱虫」「意気地なし」

 翌朝のいつもの修行。顔を合わせるなり連中が不満気な目を向けてきた。昨夜のアレをどこかで隠れて見ていたらしい。心配してくれたのか、単に面白がったのか。


「いつも言ってるだろ」

 覗き見については放置し、弁明をした。


「年齢差を考えろよ」


「どうしたって俺が先に()く」

「彼女を置いて逝く」

「それがわかってて、どうしてあの手を取れるっていうんだよ」


「かまうことない」「今しあわせならそれでいいじゃないか」「子ができるかもしれない」連中は口々にそう訴えかける。が。


子供(それ)こそ作るわけにいくかよ」


 不満気に口をゆがめる連中に苦笑を向け、淡々と説明した。


「ひとり遺すあの子になにもかも押し付けるのか?」

「子供なんてできたら、あの子の未来はどうなる? あの子の可能性は? 消えて無くなるぞ」


 (あやかし)でも五十年以上人間(ヒト)の暮らしを近くで経験してきた連中なので、この理屈は理解できたらしい。黙り込む連中を無視し、言葉をつむいだ。


「あの子を活かすのが俺の使命」

「あの子がしあわせであるよう導くのが俺の役目」

「俺なんかが手を出していいひとじゃない」


 あの子のために。あの子がしあわせであるために。

 そのために邪魔になるものは俺が取り除く。たとえ俺自身であろうとも。


「あの子が大切なんだ」

「しあわせになって欲しいんだ」

「護りたいんだ」


 俺の祈りにも似た宣誓に、連中は黙りこくった。痛そうな顔をするヤツ。顔を伏せるヤツ。天を仰ぐヤツ。なにか言おうとして言葉が出ず口を閉じるヤツ。

 ただ微笑む俺に、連中はやがて互いの顔を見合わせた。相談するような、互いの考えをうかがうような視線のやり取りをし、そろって俺に目を向けた。

 黙ったままその視線を受け止めていたら、連中は諦めたらしい。「はああ………」とため息を落とした。


「………おまえ、馬鹿だなあ……」


 一同の心情を代表するような伊佐治の言葉に、なんだかおかしくなった。


「世界有数の頭脳をつかまえて馬鹿とはなんだ」

「自分で言うな」

 いつものように軽口の応酬になった。ぬっと差し出したぶっとい手で頭をわしわしと撫でてくる。こいつらはいつもそうだ。五十すぎたオッサンにも変わらず子供扱いをしてくる。それが心地よくて、傷ついたどこかがなぐさめられる気がした。

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