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【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』5

 食事を終えたら片付け再開。かわいい子も手伝ってくれた。

 今日明日は研究所も学校も休み。「ベッドを入れるまでやるぞ!」とがんばった。山となった論文(レポート)を手に取ったまま読み込みはじめる彼女。相当な英語力があると知れた。「読むな! 動け!」と伊佐治にふたりして怒られた。


 人海戦術でなんとか一部屋を開け、ベッドを買いに行く。「ソファでいい!」と言うのを説き伏せ家具屋へ。その間に残った面々でリビングをどうにかしてもらい、その日は終了。夕食に寄せ鍋をしたら彼女は殊の外喜んだ。




 翌日。ベッドと寝具が届き、「ついでだから」とさらに片付けを進め、見違えるような家になった。


「ほとんどヒデ(おまえ)論文(レポート)だったよ」

「資源ゴミに出せないんだろ? シュレッダーかけるぞ」


 そこから延々と論文(レポート)を細断。「見るな」「読むな」と叱られながら作業に勤しむ。ゴミ出しは伊佐治と麻比古に頼むこととし、どうにか生活基盤が整った。


「大掃除もできてちょうどよかったね」「マコトが来てくれたおかげであの腐海が片付いた。ありがとな」口々に褒められ、彼女はうろたえた。



「マコトをエサにしたらヒデが働く」と理解した連中は「ちょうどいい」とばかりに俺を働かせた。これまで放置していたあれこれを思い切って捨てさせ、掃除をさせ、結果物置小屋が広々とした家になった。


「でかした」と彼女の頭を撫で褒め倒す連中。「俺も褒めろ」と拗ねたら「いいオッサンのくせに」と言いながらも褒めてくれた。



   ◇ ◇ ◇



 夕方。かわいい子とふたりでマット家を訪ねた。

 彼女の顔を見るなりマットも奥さんも喜びハグをした。「見違えたよ!」「こんなに変わるなんて!」ぎゅうぎゅうと抱きしめられ撫でくりまわされ、彼女は目を白黒させていた。

 俺も「マコトが元気になった!」「ありがとう!」と感謝されハグされた。米と寄せ鍋の効果が彼女の顔に出ているらしい。


「楽しい二日間だったよ」「大掃除を手伝ってもらったんだ」そう話す俺にマット夫妻はニコニコしている。

「この子も『いい』って言ってるし、このままこの子を預かるよ」そう宣言したら「よろしく!」と二つ返事で了承された。


 ニコニコと彼女を構うマット夫妻に『今なら言えるかな』と口を開いた。


「提案があるんだ」

「なに?」

 気楽に答えるマットに、こちらも敢えて軽く告げた。


「この子さえよかったら、冬季休暇終わっても俺ん家にいたらと思うんだ」


「話してるうちに区レベルで同郷ってわかってさ」「俺も地元の言葉話せて楽しかった」「丸二日一緒に過ごして、俺もこの子も抵抗を感じなかったし。ならずっとウチにいたらいいと思うんだ」


 これにはさすがのマット夫妻も即答しなかった。「うぅ~ん……」とうなり、ふたりで顔を見合わせている。マットも奥さんも責任感強いし愛情深いからな。

 ………ここは一旦引くか。


「ま、すぐには決められないだろ」「差し当たり明日から冬期休暇の間はウチで預かる」「その後どうするかは、また冬期休暇が明ける前に話し合おう」

 そう提案すれば納得してくれた。俺に引く気はさらさらないが、今の段階で押すのは得策ではない。そういう駆け引きがわかるようになったのも年の功というやつだろう。


「帰り道がわかんないだろうから、明日は大学終わったらマットの研究室に行かせていいか?」「で、俺がマットのところに迎えに行くよ」「明後日からは直接俺ん家に帰らせよう」

 この提案には「そうだね」とマットもすぐにうなずいた。「守衛への連絡はマット、しておいてくれ」と頼めば了承してくれた。

「じゃあまた。冬季休暇楽しんでね」奥さんにそう伝え、かわいい子を連れて帰宅した。




 俺達がマットの家に行く前に暁月と久十郎は出発した。この三十年の間に何度も行き来しているので慣れたもの。隠形で無賃乗車を繰り返して移動する。パスポートも税関も関係なし。


 ふたり減った食卓を囲み、夕食。彼女を少しでも喜ばせたくて、すき焼きにした。

 テーブルの中央で煮立つすき焼きに、彼女は目をキラキラさせて喜んだ。「おいしい」「おいしい」と噛み締めながら涙を流すから「もっとお食べ」とどんどん肉を追加した。ほとんど伊佐治と麻比古の腹に消えていた気もしないでもないが、彼女が「もう食べられません」と満面の笑みを見せてくれたので俺も満足だ。



   ◇ ◇ ◇



 一夜明け月曜日。我が家から登校する最初の日。

 かわいい子が学校までの道がわからないだろうと朝は送って行った。昼飯は弁当を持たせた。ものすごく喜んでいた。

 聞けば金を浮かせるためにいつも昼食を抜いていた。そりゃ痩せるわ。「まだ若いんだからしっかり食え」と言い聞かせ、弁当を持たせた。


 これまでかけていた眼鏡は暁月達が持って行ったので、ベッドを買いに行ったついでに購入した新しい眼鏡をかけている。運良くこれまでかけていたものに近いイメージのものがあった。度の入ったレンズは「時間がかかる」と言われたので、度のない状態の眼鏡をそのまま購入し、視力矯正は俺が付与することにした。加えて認識阻害も。母さんなら三つは付与できるが、俺は同時は二つが限界。彼女の護りのためになんか考えないとな。


 今日のところは伊佐治についてもらった。もちろん隠形で、彼女にもナイショで。あいつの気配があればそこらの妖魔は近寄らない。はず。今日の様子を聞いて、麻比古も加えるか相談しよう。



 帰り道がわからないだろうと大学が終わったら研究所に来させ、マットの研究室で待ち合わせた。

 大学からマットの研究室へは「何度も行っている」「道はわかる」と言っていた。マットがちゃんと守衛に連絡してくれていたので「問題なく研究室にたどり着いた」と伊佐治が言っていた。


 迎えに行ったらマットにいきなりハグされた。

「マコトが元気になった!」「さすがヒデだ!」「ありがとう!」

「それ昨日も聞いたよ」苦笑しながらも背中を叩いてやる。

「明日からは直接俺ん家に帰らせるよ」「冬季休暇楽しみな」そう言葉を交わし、マットの研究室を後にした。




「眼鏡の具合どうだった?」

「なんの問題もありませんでした!」

 日本語で問いかけると日本語で答えるかわいい子。チラリと彼女の背後に目を遣り伊佐治に確認すると無言でうなずいた。俺と一緒に迎えに来た(てい)で人型で同行している。付与なんて久しぶりだったから心配だったが、問題なかったならばよかった。



 帰宅してすぐ、留守番の麻比古から、暁月と久十郎から到着の電話があったと聞いた。無事実家に着いたこと、話がしたいと言っていることも。


 晩飯を食って風呂を済ませたらちょうどいつも電話をかける時間だった。どんな話が飛び出すかわからないから彼女が寝てから電話しようと思っていたのに「それじゃあ遅くなる」「さっさと済ませろ」と連中にやいやい言われ、仕方なくかわいい子が風呂に行っている間に電話をかけた。予想通り母が出た。


「久しぶり母さん。元気?」

「元気ですよ。そっちはどう? みんな元気?」


 相変わらずのやりとり。スピーカーから聞こえる母の声に居残り連中が「サト!」「サトだ!」「久しぶり!」「元気!?」と大喜びしている。


「話聞いた?」単刀直入に問えば母も端的に話をしてくれた。


 昨夜―――日本は現在朝―――暁月と久十郎が西村家にたどり着き、大まかな事情を両親に説明した。ちょうど義弟(おとうと)に頼んでいた調査結果もあらかた出ていた。本人が教えてくれた経歴に間違いないこと。トラブルもほぼ間違いなく霊的なモノによるもの。おそらくは本人が自覚している以上の危険の中育った可能性があること。道具屋に会いに行き、眼鏡を作ったのは道具屋本人だと確認が取れたこと。道具屋も彼女のことを覚えていて、どんな付与をしどんな術をかけたか教えてくれたこと。


 道具屋が付与したのは、認識阻害と視力矯正、そして成長阻害。意識的に男の子として過ごしていることを聞いた道具屋が色々察してつけていた。「眼鏡をつけていなければ付与の効果はなくなる」とかで、寝るときは眼鏡をはずすから「そのうち自然に成長するだろう」と。長命な連中はこれだから。時間の感覚が違い過ぎて、問題を問題ととらえていない。


 差し当たり持ち込んだ眼鏡は「壊れてはいない」けれど、やはり長期間使い続けていたことによる不具合が多少だが見受けられたため「修理しておこう」と言ってくれた。が、対象の子が俺の『(つがい)』だったと暁月が明かし、俺が認識阻害の眼鏡を新たに作ることを説明したところ「ならもうこれはいらないだろう」「『(つがい)』ができたならば子を成すために成長しなければ」「アイツならばあの子を護れるだろう」と、修理することなくそのまま回収された。


 ………俺の『(つがい)』だとバラしたのかよ………。

 淡々と説明する母親の声には興奮もからかいもなにもない。余計なことを言って(やぶ)から蛇を出すつもりはないので「そう」とだけ答えた。


「その子の眼鏡は作ったの?」と聞かれたので「作った」と答えた。認識阻害と視力矯正を付与したこと、今日一日つけて問題なかったこと。念の為に伊佐治に隠形で護衛してもらったことを報告する。


「で?」

 改まった声色に知らず背筋が伸びる。三十年以上離れて暮らしていても、もう五十一歳のオッサンになっても、幼少期に植え付けられた恐怖は根が深い。


「あなたはその子をどうするつもり?」

「保護します」


 即答する俺に母は黙った。


「マットには今日『冬季休暇が終わっても預かってもいい』と伝えました」「マットが奥さんと話をすると思います」「冬季休暇が終わったら正式にマット夫妻に申し出る予定です」「彼女が学業に専念できるよう、俺の出来うる限りで護りたいと考えています」


「ふーん」と言う母。どうにか及第点はもらえたようだ。


「………『(つがい)』だと、『玄さんにとっての私』だと、あの子達が言っていたけれど」

 責めるような迫力に反射的に謝罪しそうになったがどうにかこらえて「そうです」と答えた。


「あなたはその子をどうするつもり?」

 同じ質問を繰り返される。意味は明白だ。


「どうもしません」「ただ、護ります」「健やかに成長するよう、見守り、援助します」


「男女として結ばれる気は?」

「ありません」

「結婚する気はない、と?」

「ありません」


 断言する俺に電話の向こうの母は無言のまま。が、俺は知っている。この無言は肯定ではないと。こちらの言い分を探っているだけだと。

 だから先に言うべきを口にした。


「年齢差を考えてください」「俺はもう五十一になりました」「あの子は十九歳です」「『これから』がある子です」「俺に縛り付けていい子じゃない」「あの才能を、あの頭脳を、育て伸ばし、生かすことを考えるべきだ」「あの子を護るために俺が遣わされたと思っています」「あの子が『しあわせ』であることが第一。あの子が自分の才能を生かせることがなによりも優先されると考えます」「ウチの連中は『(つがい)』だと喜んでくれていますが、男女の情愛はあの子の(さまた)げになる」「俺はあの子の保護者のひとりとして、あの子の守護者として、あの子のそばにいられたら、それでいいと考えています」


 言いたいことを全部言った俺に、母は尚も無言のまま。どうするかと向こうの出方を待っていたら「サトさん」「代わって」と親父の声がした。


「ヒデ」親父の声に周りで一緒に話を聞いていた連中が「玄治!」「久しぶり!」と反応する。それに答えを返した親父が再び俺に声をかける。


「ちょっと、言いづらいことを聞くんだが」

「? なに?」

「おまえ、これまでに女性経験はあるか」

「『ジョセイケイケン』?」


 なんのことかと首をひねる俺の横からウチの連中が俺の周りで、親父の周りで赤裸々に暴露してくれる。ああ、そういうアレか。


「で?」

「ないよ。悪いか」


 半ばヤケクソで答える。研究で忙しかったんだよ! 興味もなかったしな!


「なら大丈夫か」そう安心したように言う親父によると「そういう経験があったら絶対我慢できない」らしい。それほど『半身』の色香は媚薬のような効果があると。


「だがおまえが未経験で、お相手もまだ子供ならば、そういう欲を持つことはないだろう」「それなら、ヒデは良き『守護者』になると思うよ」

 後半は母に向けての言葉らしい。「もう。玄さんたら」「ヒデさんに甘いんだから」と母の文句が届いた。


 親父は母にベタ惚れで母の言いなりだが、母を動かせるのはこの親父だけ。その親父が俺の味方についてくれるなら多少なりとも心強い。


「差し当たり、おまえの住んでいる周辺に危険はないんだな」

 暁月と久十郎が報告したとわかったので「ああ」と答えた。


「とはいえ油断するなよ」

「当然だ」


「あの子のためならばどんな手でも使う」「伊佐治達も協力してくれるし」「対外的には今後も男の子として接する」「マットにも女性だったことはナイショにしておく」


「それがいいだろうな」と親父。

「今の時点で『男の子だ』と思われてるなら、認識阻害だけで誤魔化せると思うわ」母もそう言う。


「あなたの覚悟はわかりました」

「しっかりと『お相手』を守りなさい」


 どこか諦めたような母の声に「もちろん」と答えた。


「それはそれとして」

 声の調子の変わった母に何を言い出すのかと眉を寄せれば、案の定面倒なことを言い出した。


「その『お相手』―――マコトちゃん? と、お話させなさい」

「必要ないでしょ」

「あらなんで?」

「会うこともないし」

「いいじゃない。息子の『お相手』がどんな子か、話くらいしたいわ!」

「話したって意味ないでしょ」


 母とやりあっていたら「連れてきたよ!」と定兼が彼女を連れて来た!

 風呂上がりで火照った頬のまま「え?」「え?」と電話の前に座らされ、彼女は俺に視線で疑問を投げかけた。


 風呂上がりだからか裸眼で見つめられ、胸を鷲掴みにされる。かわいい。色っぽい。セクシー。―――駄目だ!!!

 必死で頭の中で経を唱え、邪念を追い出す。この子は未成年。俺はオッサン。この子は未成年。親子の年齢差。

 怒りの母を思い出し、どうにか邪念を鎮めた。その間に定兼が彼女に説明をしていた。


「日本にいるヒデの両親と電話してるんだ」「よかったらマコトも挨拶してよ」


「はい!」と真面目に答えた彼女。定兼が電話に向かい「おまたせサト」「マコトだよ」と紹介した。


「マコトちゃん? はじめまして! そこの秀智の母でサトといいます。こんにちは!」

「はじめまして! 篠原真と申します! このたびは西村先生にご迷惑をおかけして申し訳ありません。お世話になります!」


 受話器に向かって深々と頭を下げる彼女。かわいい。

「あらご丁寧にありがとう! それと、秀智の父で私の夫の玄治さんよ!」

「はじめましてマコトさん。父です」

「はじめまして! 篠原真です! お世話になります!」

 またも深々と頭を下げるかわいい子。素直だな。かわいいな。


「秀智はそれなりに鍛えているから。妖魔やなんかはきみに近付かない。安心して過ごしなさい」

「!」

「私もお守りを作るわね! 暁月ちゃんに持って帰ってもらうから。よかったら身に着けてね」

「!」


 火照った頬をさらに赤くして彼女は「ありがとうございます!」と頭を下げた。

 そのまま母が道具屋とのやりとりを説明する。と言っても俺と彼女が『(つがい)』であることは伏せられていた。

 続けて他愛もない話をし、さすがの話術で彼女のこわばりをほどく母。

「『まこちゃん』て呼んでもいい?」と突然言い出した。

「お好きにお呼びください」と彼女も受け入れる。


「まこちゃん。お餅好き?」

「! はい! 好きです!」

「じゃあいーっぱい持って帰らせるからね! あとはなにが好きかしら?」


「あれは?」「これは?」と色々聞き出し、ようやく母は電話を切った。「みんなも元気でね」「また電話してね」と言って。


「サトは相変わらずだな」伊佐治が笑う。

「餅いっぱい持たせるぞきっと」定兼もうれしそうに笑う。

「日本酒は久しぶりだな!」麻比古は待ち切れないとばかりに頬をゆるめる。


 人型を取っている三人にかわいい子はだいぶ慣れてきた。少し距離を取りながらもやりとりを笑顔で見ている。


「ゴメンね付き合わせて」ついそう言えば「イエ! とんでもないです!」と生真面目に手を振るかわいい子。かわいい。


「じゃあ『おやすみのハグ』していい?」

 俺の気配をつけるためにと、彼女について話し合ったその日の夜から『おやすみのハグ』をするようになった。ちなみに朝は『おはようのハグ』をしている。


 恥ずかしそうに目を逸らし、それでもうなずくかわいい子。そっと引き寄せ、ぎゅうっと抱き締める。それだけで霊力が循環するのを感じる。ああ。満たされる。こんな感覚、五十年以上生きていて味わったことなかった。


 知らず抱き寄せる腕に力が入り、さらに抱き締める。かわいい。愛おしい。俺の唯一。俺の『半身』。

 この子に一切のわざわいが降りかかりませんように。この子が『しあわせ』でありますように。

 そんな『願い』を込め、彼女を抱き締める。


「―――おやすみ」

 ちゅ。額にキスをする。

「よい夢を」


 言祝(ことほ)ぎを贈り、抱き締めていた腕をゆるめる。途端にさみしく感じるが、大人の矜持でなんとかなんでもない顔を作り、彼女の頭を撫でる。


 彼女はうれしそうな恥ずかしそうな顔で、それでも「おやすみなさい」と挨拶をしてくれる。

「みなさんも、おやすみなさい」ウチの連中とも挨拶を交わし、寝室に消えた。


 パタンと扉が閉まり、数拍置いて連中がコソコソと言ってくる。

「ハグだけじゃないのかよ」

「あれ、ハグって言っていいのか?」

「もう素直になったらどうだ?」

「うるさいよ」


「おまえらが言ったんじゃないか。『気配をつけろ』って」「ちゃんとついただろ?」

「いや〜。ついたのはついたけどよう」

「どこまで()つだろうなー」

「セクハラって言われないといいなー」

「………え?」


「………駄目だったか? やり過ぎだったか?」

「いやー。一応マコトも嫌がってはないように見えたけどなー」

「エスカレートしたらわかんないよなー」

「この調子ならすぐエスカレートするだろ」

「……………気をつける」



   ◇ ◇ ◇



 暁月と久十郎が帰国したのは年末も差し迫った日だった。無限収納に餅や酒や調味料やインスタント食品やらを山と詰め込んで戻ってきた。

 いつもと違うのは菓子の多さ。かわいい子が目をキラキラさせて喜んだ。


 帰宅報告とお土産の礼を兼ねて実家に電話をかける。かわいい子も電話口に出て両親に礼を言った。

 なんと両親から彼女宛てのお年玉があり、彼女はひどく恐縮していた。

「来年はもうないわよ」「ウチは未成年のうちはあげるの」「ヒデさんのところにいるならあなたも『ウチの子』よ」「他の子はみんな成人してますからね。お金じゃなくてお酒よ」


 そう指摘されたら確かに酒瓶に『お年賀』の熨斗(のし)がかかっている。俺達の人数分のそれに、彼女もようやく納得した。

「ありがとうございます」と礼を言って電話を切った。


 と、彼女が「教えて欲しいことがある」と言い出した。

「ボク、お年玉って初めてもらいました」

「これはどのようにお返しするものなんでしょうか」


 これまで転々とした児童養護施設ではどこもお年玉は「なかった」と話す彼女に涙を誘われた。が、年の功でなんてことない顔を作り答えた。

「お年玉は返礼不要だよ」


 そこからお年玉の由来や正月のあれこれの話をした。

「お年玉とはこどもがもらうもの」「受取拒否することは年長者の顔をつぶす行為」そう説得して納得させた。


「どうしても気になるなら、いつか帰国するときにふたりにお土産を渡してやって」そう提案したら「そうします!」と張り切った。



   ◇ ◇ ◇



 無限収納に入れたお土産の中にはおせちもあった。ちらし寿司も鯖寿司もおいなりさんもあった。おかげで近年にない豪勢な正月を過ごした。久しぶりの味に舌鼓を打ち、白味噌の雑煮を食い、酒を呑み、全員大満足の正月となった。


 ウチの連中に釣られ、かわいい子ももりもり食べた。久しぶりの日本食にテンション上がったのもあるかもしれない。

 年明けから冬季休暇の間、毎日餅を食っていた。そのせいか頬に丸みが出た。かわいい。


 冬季休暇明ける前日にかわいい子とマットの家に行った。実家から戻っていたマットと奥さんは彼女の変わりように喜んだ。

「この子のおかげで楽しい休暇だった」「この子とマットさえよかったら、ずっとウチで預かりたい」改めてそう提案した。マットと奥さんもこの休暇の間に話し合っていたらしい。前回とは違い、落ち着いた様子で俺の提案にうなずき、かわいい子に顔を向けた。


「マコトはどうしたい?」やさしい声で問われたかわいい子は「ワタシもお願いしたいデス」と答えた。


「マット先生、奥さん、イヤじゃない」「すごくうれしい」「感謝してる」「ニシムラ先生おうち、日本のごはんあります」「お世話になりたい、思います」


 カタコト英語で、それでも誠実に語る彼女に、マットも奥さんも手放すことを了承した。「いつも英語じゃマコトも疲れちゃうよね」「ヒデのところなら日本語でやりとりできるから」と。


「いつでも帰っておいで」なんて言うが返すわけないだろう。大事に大事に囲いこんで守るぞ。

 そんな考えは顔に一切出すことなく、ニコニコと大人な対応をしてマット宅から彼女を連れ帰った。


 ちなみにマットにはここまで彼女の世話をしてくれたお礼として、両親からお土産に持たされた日本酒と日本の菓子をたんまり渡した。「これはマコトもヒデのところに行くよね」と笑っていた。買収成功。よしよし。

 逆にマットから約束のステーキ肉をたんまりともらった。「いらないよ」と断ったが「マコトに食べさせてやって」と押し切られた。


 マットと彼女は大学の講義やマットの研究室やらで会う機会も多いという。それもあって居住地変更を了承したようだ。

 彼女の居住地変更に伴ってあっちこっちに書類を出した。面倒だったが彼女のためならばとせっせと働いた。




 そうして彼女は正式にウチの家族になった。

 冬季休暇の間にウチの連中にもすっかり慣れた彼女。連中が構い倒すこともあって次第にのびのびと過ごすようになった。



   ◇ ◇ ◇



 彼女の英語での会話がカタコトなのが気になって、訓練として自宅でもなるべく英語で会話するようにした。

 ウチの連中は全員英語ができる。読み書きどっちもイケる。日本生まれの(あやかし)でも三十年以上過ごしていたら自然と英語を身に着けた。「語学は慣れと場数」まさかの(あやかし)にそう諭され、真面目に取り組んだ結果、春には美しい英語をしゃべるようになった。語彙も増えた。それが自信になったのか、大学の授業での発言が増え、注目を浴びるようになった。友達もできた。彼女は充実したキャンパスライフを送っている。


 折に触れて両親が電話をしてくることはこれまでもあったが、回数が格段に増えた。俺達との会話はそこそこに彼女を構い倒す両親。というか母。

 彼女もウチの両親との会話を待ち望み楽しんでいるから「かけてくんな」とも言えない。あの母と、長年住職している父にかかったら、ウチのかわいい子なんて片手でひねるようなもの。かたくなだった彼女は回を重ねるごとに態度を軟化させた。


 出逢ったときには気を張って張り詰めていたのが、少しずつ肩の力が抜け、表情もやわらかくなっていった。子供らしいことを言ったりしたり、甘えてくれるようになった。


 毎朝毎晩のハグも、最初はただ突っ立って俺に抱かれるままだったのに、春には腕を回して抱きついてくれるようになった。

 初めて腕を回してくれたときにはテンション上がりすぎてキスしまくってしまった。伊佐治に殴られてようやく正気に戻れた。


 キスも彼女は受け入れてくれている。

 いくらスキンシップ過剰な欧米人でも唇を肌に触れることはしない。そんなのはマナー違反だ。普通は肌から少し離して空中でキスをする。たいていは頬。マットと奥さんは彼女にそういう常識も教えている。はず。

 なのに俺のキスは最初から受け入れてくれている。マットか奥さんがしていたのか、家族なら「アリ」だと思っているのか。マットに確認したい気持ちはあるが、質問したらヤブヘビになる未来が簡単に予想できて聞けていない。


 最初の日、眠りから目覚めた彼女が「おはよう」と言われただけで涙を流して喜んでいた。もしかしたら彼女は無意識に『家族』を求めているのかもしれない。これまで求めても得られなかった、欲しくても得られなかった『家族』への憧れが、父親のような男が現れたことによって表に出てきたのかもしれない。


 彼女にとって俺がハグしたりキスしたりするのは、ちいさい子供にするのと同義なのだろう。幼い頃の憧れをそのまま受けているだけなのだろう。

 それでもいい。それで彼女が満足するならば。幼少期のさみしさが少しでも埋められるならば。


 だから隙を見つけては頭を撫で、抱き締め、キスをしている。彼女が少しでも満たされるよう願って。


 ウチの連中はハグもキスもしない。「『(つがい)』がいる前でそんなことするのは喧嘩売ってるもしくは自殺行為」と言っている。おかげで俺が彼女を独り占めできている。

 毎日ハグとキスを重ね、俺の気配が彼女にべったりとついた。「これなら低級以下は近寄らない」と連中も太鼓判を押した。俺も同意見。




 そんなこんなで毎日を過ごしていたら、あっという間に夏の長期休暇に入った。

「帰国する?」と聞いたが「マット先生のところでバイトします」と言う。


 苦学生の彼女のためにとマットが用意したバイトは、夏季休暇を利用して行われるマットの数学教室の助手だった。資料を作ったり用意したり、当日会場の準備を手伝ったり資料を配付したりと、なかなか大変そうだった。


 が、そんな大変な経験をすることが彼女を成長させた。まるで芽が伸びつぼみがつき花が開くように、彼女はどんどんと綺麗になった。


 内側から輝きがこぼれている。成長期の若者に見られる輝きに目を細めるしかできない。

 前だけを見ている彼女を後ろから見守る。俺にできるのは少しの後押しだけ。駆け上がる彼女を見守るだけ。


 ホンの少しのさみしさを感じる。それは青春をはるか彼方に置いてきた人間の感傷。それだけ。そうに決まっている。


 暴力的なまでのまぶしさと先を征く力強さ。同時に感じる危うさ。これまでに何十人何百人もの学生に感じ実際目にしてきた若者しか持つことのできないパワーを、彼女もまとっていった。


 初めて会ったときのあの弱々しさは消えていた。毎食しっかりと食べ毎晩しっかりと眠り、学ぶべきを学び友人達と交流し、彼女は成長していった。

 すくすくと伸びる若木のようだと思った。彼女の成長をすぐ隣で見守れる幸運に感謝した。




   ◇ ◇ ◇


 両親が「まこちゃん」と呼ぶから俺達も「マコ」と呼ぶようになった。男性名にもある『マコト』よりも女性的な呼び方のためか、彼女は少しずつ女の子っぽさを見せるようになってきた。

 ちょっとした仕草が。笑顔が。愛らしくてかわいらしくて理性がどこかにいきそうになる。年の功でどうにかこらえているが「いつまで保つことか」とウチの連中から言われている。


 彼女は最初俺のことを「西村先生」と呼んでいた。「マットの大学時代の同級生でその頃からの友達」「物理学の研究室を持ってる」と説明されたため、マットのことを「マット先生」と呼んでいた彼女はその流れで「西村先生」と呼んでいた。

「『ヒデ』でいいよ」と言ったがしばらくは(かたく)なに「西村先生」と呼んだ。

 ウチの連中も両親も「ヒデ」と呼ぶ。ある日母から「まこちゃんもヒデさんの『家族』なんだから。『ヒデ』って呼んでやって」「せめて『秀智さん』って名前で呼んでやって」と説得され「秀智さん」と呼んでくれるようになった。


 初めて『名』を呼ばれたときは雷に撃たれたかと思った。全身に痺れが走り、感動で満たされた。これが『静原の呪い』かと改めて理解した。


「秀智さん」に慣れた彼女が「ヒデさん」と呼ぶのはすぐだった。

「ヒデさん」と呼ばれるだけで胸が締め付けられる。「ヒデさん」と呼んでくれるだけで多幸感に満たされる。

 うれしくてしあわせで、無駄にパワーが満ちていった。勢いで新しい論文ひとつ書き上げた。なんかやたらあちこちから褒められたが、どれだけの人間に褒められるよりも彼女ひとりに「すごいです!」と褒められるほうが誇らしかった。



   ◇ ◇ ◇



 初秋に初潮が来た。初めて気付いたのがウチにいたときでよかった。わかりやすくうろたえトイレから出てきたかわいい子を問い詰め白状させた。察しの良さで知られた母から夏の終わりに生理関連の用品が送られていた。暁月があれこれ手助けしてくれ処置できた。「女の子になっちゃった」「『アレ』が来ちゃう」「こわい」とうろたえる彼女をなだめ抱き締め「俺達がいるから大丈夫」「絶対に守る」と言い聞かせ、時差を無視して母に電話をして話をしてもらった。

「おめでとう」と母に祝福され「良いことなんだ」と説明され「ヒデさんとみんながいたら大丈夫」「念の為に生理の間はなるべくおうちにいなさいね」「学校に行くときは伊佐治ちゃんと麻比古ちゃん、暁月ちゃんを連れて行くこと」と指示されようやく落ち着いた。


 一旦電話を切り、かわいい子が席を外したタイミングを見計らって改めて電話をかけてきた母。「月経時が一番狙われる」「血のニオイが妖魔を呼び寄せる」「第一級厳戒態勢で対処するように」と俺達に厳命してきた。

 さらに俺には「『半身』であるあなたがなるべくくっついていなさい」と指示された。「くっついていたら生理痛がやわらぐ」「『半身』に包まれていたら安心する」「あなたの気配がつくことで『護り』になる」とアドバイスされた。


 実際彼女は幼い頃の恐怖体験の記憶が呼び起こされ精神的に不安定になってしまった。ハグだけでは恐怖がおさまらず、膝に乗せて抱き締めて震える彼女をなぐさめた。

 初日は彼女の部屋で手を繋いで眠らせた。同じベッドには入らず、枕元に座って一晩中寝顔を眺めた。徹夜待機なんて現役以来だったが、かわいい子のかわいい寝顔に役得としか思わなかった。


 一日二日と日が経つにつれ彼女は少しずつ落ち着いていった。母が送ってくれた赤飯で改めてお祝いをした。「生理は悪いことじゃない」「こわくない」と言い聞かせ「めでたいこと」で「みんな喜んでいる」と伝えた。

 母のアドバイスで俺達の戦闘訓練を見せた。かなり本気の実戦形式。「俺達強いんだ」「だからマコを狙うヤツがいても返り討ちできる」実際目にすることでその説明を心の底から納得した彼女。それでようやく完全に落ち着いた。


 翌月も、その翌月も、ちゃんと月のものが来た。ほのかに血のニオイがするからすぐにわかった。このニオイが妖魔を呼び寄せるのだと理解した。

 月のものが来るたびに不安定になり俺に抱き締められる彼女。ウチの連中でガッチガチに固め護り、俺の気配をベッタリとつけた。


 二度、三度と経験を重ねることで彼女自身が「大丈夫だ」と納得していった。そんな彼女に安堵しつつも警戒は解かない。一瞬の油断でなにもかも喪うなんてのはありすぎるほどよくある話。月のものでなくても誰かひとりは彼女の護衛につくようにした。


 ウチの連中にとっても彼女は「昔のヒデを思い出す」とかで、進んで護衛についてくれた。「ヒデもガキの頃は弱っちくて、いつ喰われるかわかんなかった」「一緒に小学校に通った」なんて話を彼女に聞かせている。長命な連中はこれだから。ひとの幼い頃の恥ずかしい話をいつまでも覚えているのだから困ったものだ。俺もう五十二歳になったのに。いいオッサンの前で母親に叱られて泣いた話はやめてくれ。


 いいオッサンになったのに誕生日を祝われた。連中は俺を口実にどんちゃん騒ぎがしたいだけ。そうわかっていてもやっぱりうれしい。

 かわいい子は「夏のバイト代で買いました」とネクタイをプレゼントしてくれた。わざわざ用意してくれたことがうれしくて大喜びする俺に彼女も喜んだ。


 翌日さっそくつけていったら偶然会ったマットに冷やかされた。「マット先生に相談した」と言っていたから冷やかしも甘んじて受け入れた。「いいだろう」と自慢したら「ボクももらった」と逆に自慢された。彼女はこれまでの感謝の証として、マットにネクタイ、奥さんにスカーフをプレゼントしていた。律儀な彼女に好感を抱きつつ「俺だけじゃなかったのか」とちょっとだけがっかりした。


「マコトはヒデのところに行って変わったよ」「ありがとう」

 マットがそんなことを言う。

「たまたまだよ」「それを言うなら俺のほうが『ありがとう』だよ」

 そういう俺にマットはきょとんとした。


「よくぞあの子を守ってくれたな」「この国に連れて来てくれて、俺に引き合わせてくれてありがとう」「あの子のおかげで俺も毎日が楽しいんだ」「おまえのおかげで、あの子と俺、ふたりの日本人が救われたよ」

 いつか言おうと思っていた感謝を伝えると、マットは涙を浮かべてハグしてきた。「強い強い」「痛い痛い」笑ってハグを受け抱き返す俺に、マットはさらに力を込めて離さなかった。




 めまぐるしく季節がうつろい、十二月になった。

 彼女は二十歳(はたち)を迎えた。

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