【番外編9】西村秀智と『静原の呪い』2
今回短めです
恐れおののく彼をなだめすかして自宅に招き入れ、なんとかソファに座らせた。俺は向かいのソファに座り、ウチの連中は後ろに立つ。物理的に距離ができたこと、俺が間に入ったことでようやく彼が話を聞ける状態になった。
改めて俺の自己紹介。
実家が京都の寺なこと。両親も自分も『能力者』と呼ばれる存在であること。ここにいる五人は人間ではないこと。普通のひとには視えない存在であること。高校卒業してすぐ渡米するときに一緒についてきてくれて、以来三十年以上共に暮らしていること。人間に危害は加えないこと。
彼の事情も聞いた。
捨て子だったこと。物心ついたときには児童養護施設にいて、当然両親は知らない。名前は自分を保護した区の区長が決めたと聞いた。聞けば京都市の右京区出身。
「俺も右京区出身だよ」と言ったら驚いていた。
「右京区広いからな」「右京区のどのへん?」「ああ。あそこらへんか」「懐かしいな」
妖達がローカルな話をするのを青年はガチガチになったまま黙って聞いている。「言ってることも聞こえてる?」念のため確認したらうなずいた。
「『落人』かな?」
「可能性はあるな」
「けどそこまでの高霊力感じないぞ?」
「『落人』がみんな高霊力保持者とは限らないじゃないか」
「それもそうか」
「赤ん坊のときにトラブルがあって捨てられるってのは高霊力保持者にはよくある話よね」
「確かに」
「赤ん坊の頃は高霊力保持者でも思春期で霊力量減るってのもある話だしね」
「そもそも鍛えないと霊力は磨かれないだろ」
ああだこうだと『ヒトならざるモノ』達が検討するのを青年は黙って聞いていた。
「そのへんは本人でもわかんないだろうな」「母さんなら『視れ』ぱわかるだろうが」俺がそう言えば連中は同意した。
「ずっと児童養護施設で育ったの?」たずねるとうなずく青年。
「『霊力』って、わかる?」聞けば青い顔で首を横に振る。
「これまでにこういう連中『視た』ことある?」その質問には首がちぎれるんじゃないかというくらい縦に振った。
「どんなの『視た』?」「教えて?」意識してやさしく聞こえるように問いかければ、ポツリポツリと話をしてくれた。
聞いた限りでは彼がこれまでに遭遇していたのはまだカタチになっていない状態のモノや低低級が多いようだった。まれに遭遇した「厄介でこわいの」も低級と思われる。中級になると危険度が段違いになるから、その点ではよかった。
物心つく前から『ヒトならざるモノ』を『視て』いた。何度も危険な目に遭ってきた。誰からも理解されず、結果的に「騒ぎを起こす問題児」とされ児童養護施設を転々とした。勉強していい成績を取れば大人が褒めてくれることに気が付いてからは勉強にのめり込んだ。集中して勉強していたら『おかしなモノ』が気にならないことに気付いてからは尚更。そのおかげで特待生になれて高校に行けた。高校に数学者の教師がいて数学オリンピックへの参加を勧めてくれた。日本代表になり国際大会で活躍し、マットに声をかけられ現在に至る―――。
「そういう子供がいるって聞いたらサトが動きそうなもんだけどね」
「安倍家でなくてもどこかが保護するなり取り込むなりしそうだけどな」
ウチの連中の言うことはもっともだ。「誰か助けてくれるひと、いなかったの?」と聞いたが「いませんでした」としょげた。
「洋一と由樹も喰われる寸前だったもんな」
「もしかすると低級にちょっかいかけられたり喰われたりする子供、多いんじゃないか?」
「なるほど。自衛できるだけの能力が発現する前に喰われるから高霊力保持者がどんどん減っているというわけか」
「一理あるな」
洋一と由樹は低級妖魔に喰われる寸前のところを助け、俺が留学するための人身御供にした当時中学生。
洋一は両親の養子になり父から退魔師の修行を受け、由樹は嫁入り修行と言い張り母が術師の修行をつけた。無事成長し夫婦となったふたりは、寺を守りながら自分達のように困っている者を助けている。
この子は十九歳だとマットが言っていた。約二十年前ならば洋一と由樹は結婚していて救済活動もしていた。親父も母さんもあちこちで手を出していたはず。低級が目を付ける程度のトラブルは話がいかないのか、単に運が悪かったのか。
「なんにしても、よく無事だったね」そうねぎらえば困ったように笑う青年。
「ボクは運がよかったんです」
「数学に出会えて。特待生のことを教えてもらえて。高校に行けて。先生が数学オリンピックにさそってくれて。マット先生が声をかけてくれて」
「おかげで数学を続けられてます」
「そうでなかったらボク、中学卒業したらすぐ働かないといけなかった」
「そしたらいつかあいつらに喰われてたと思います」
「だろうねー」と同意するウチの連中。俺も同意。
が、それよりも驚いたのは、彼の心根。
生まれたときから不遇の身の上。自分のせいでないことで虐げられる。普通ならばココロが折れる。闇に染まる。そうなればもっと早く喰われている。そんな話を俺はうんざりするほど聞いた。
なのにこの子は折れていない。他人のせいにすることも、世の中を嘆くこともない。周囲に感謝し「運がいい」と言う。性格がいいのか、生まれ持った性質がいいのか、育てた人間がよかったのか。とても不遇な目に遭ってきたとは思えない清浄な魂。まっすぐに伸びる若木のよう。
ああ。この魂ならば低級妖魔が寄ってくる。清浄で強い魂は妖魔達にとってごちそうだ。『集中していたら気にならなかった』というのは、もしかしたら無意識に結界を展開していた可能性があるな。
パッと見、そこまでの霊力は感じない。だからこそウチの連中か『視える』とは思わなかったんだが。なんでだ?
じっと見つめ探って、気が付いた。眼鏡に認識阻害がかかっている。
「その眼鏡、どこで買ったの?」
「………じつは………」
小学四年生の春。学校の健康診断の、視力検査でひっかかった。「眼科に行け」「眼鏡をかけろ」と言われた。自分でも「見えにくい」という自覚はあった。けれど児童養護施設の職員に「眼科に行かせてください」「眼鏡を買ってください」と言うのは心苦しくてできない。それでなくても自分は問題児なのに。
どうしたらいいのかと思い詰めてトボトボと歩いていたら、よくわからないお店があった。こんなお店あったかなあとショーウィンドウをのぞいたら、眼鏡があった。
見つめていたら店内からおじいさんが出てきて「どうした?」と声をかけてくれた。事情を話したら視力を測られ、この眼鏡をプレゼントしてくれた。代金の代わりにお店の掃除をしておじいさんの肩を揉んだ。「大人になってお金が稼げるようになったら必ず支払いに来る」と約束した。
「証文もあります」と言うので見せてもらった。
………知ってる店名が書いてある。
「ああ。あのじーさんか」
俺の後ろからのぞき込んだ伊佐治がつぶやく。
妖専門の道具屋。たまに人間の世界に現れてはトラブルを起こしたり逆にトラブルを回避したりしている。人間界の知り合いも多く、交流しては互いに切磋琢磨していると聞く。ウチの母親も知り合いのひとり。
「よくこの店に遭遇できたね」「なかなか人間界に出てこないのに」ウチの連中の言葉に首をかしげる彼。
「妖専門の道具屋」「店主のじーさんは人間じゃない」と明かすと驚いていた。
「―――けど、助けていただきました」
「この眼鏡をかけるようになってから、おかしなモノに追いかけられたり邪魔されたりすることが減って、それで勉強ができるようになったんです」
「勉強に集中してたらもっと来なくなって」
「だから、今のボクが在るのはこの眼鏡の―――あのおじいさんのおかげなんです」
「いつかお金を稼いで恩返しに行きたいです」
ほにゃりと笑う彼からは善性しか感じない。良い子だな。
「こりゃあのじーさんも堕ちるわ」と後ろの連中も苦笑いしている。
「ついでにサトに一言言ってくれたらよかったのにな」
「あのじーさんにそんな気配りできるわけがないだろ」
「じーさんが作ったのかなこの眼鏡」
「だとしたら認識阻害と視力矯正だけでもかなりのもんだろ」
ウチの連中の話に、青年はザッと青ざめた。
「―――あ、あの」
「ん?」
「『かなりのモン』というのは………その………、もしかして、『めちゃめちゃ高価い』、ということでしょうか………?」
プルプル震えながら言う様子がかわいいやらおかしいやらで思わず口を押さえた。でないと笑う。
俺のその仕草が『言っていいものかどうか悩んでいる』ように見えたらしい。青年はさらに顔色を悪くした。
「え。え。ど、どのくらいのお値段でしょうか??」
「ボク、一万円くらいだと思ってて」
「他のお店の眼鏡、そのくらいで」
「違いましたか? も、もしかして、ひゃ、百万、とか……!?」
涙目でオロオロする様子が震える子犬のよう。かわいらしいやらおかしいやらで笑みがこぼれる。
「この証文には値段の指定はないね」「じーさんに直接聞くしかないけど、百万まではいかないと思うよ?」そうアドバイスすれば少しホッとしたらしく肩を落とした。
「眼鏡、見せてもらうことはできる?」
興味本位でたずねてみれば「はい」と彼は眼鏡に手をかけはずした。
眼鏡をはずすために伏せた目を、彼はそっと上げ、俺に合わせた。
―――途端。
「――――――!?」
言葉にできない衝撃が、胸を打った。
―――とらわれた。
すぐに『わかった』。
理屈じゃない。ただ『わかった』。
このひとだ。このひとだ。魂が叫ぶ。
認識阻害がなくなったから? 近距離で目が合ったから? 頭の端では理由を探るべく検証をしながら、目の前の人物にとらわれて動けない。
そのたたずまい。
そのまなざし。
その霊力。
その姿。
このひとのすべてが俺を縛る。
このひとだと魂が叫ぶ。
このひとが俺の全てだと。
このひとが俺の唯一だと。
唐突に理解した。
昔から親父が言っていた。
『静原の呪い』
親父の実家の静原家に伝わる『呪い』。静原の血脈にまれに現れる『呪い』。親父も『呪い』を受けたひとり。
理由もなく、突然に、ただ一人にとらわれ人が変わったようになる。その唯一だけを求め、尽くす。
それが『静原の呪い』。
わかる。理屈じゃない。魂が叫ぶ。
これが『そう』だと。目の前のこのひとこそが俺の唯一だと。親父にとっての母さんだと。
『呪い』。まさに。
とらわれた。
とらわれてしまった。
『静原の呪い』に。
―――え!? この年齢で!?
三十歳以上歳下の、しかも男相手に!?
頭ではそう思うのに、自分でも信じられないのに、ココロは、魂は叫ぶ。
このひとだと。このひとが俺の全てだと。このひとが俺の唯一だと。
まさか。そんな。いや。だが。
否定しても否定してもココロと魂は叫ぶ。やっと逢えたと。このひとだと。
―――誰か嘘だと言ってくれ!!!
次回は5/30(金)投稿予定です