【番外編8】立花礼香と巡り来た春 12
「遅くなって、ごめん」
痛そうな顔でやさしい言葉をかけられたらもう駄目だった。
人前とか本社とか全部吹っ飛んで、雄介さんにしがみついて泣いた。
「ゆ、ゆうずげ、ざん………!」
「もう大丈夫。おれがいるから。大丈夫」
ぎゅうっと抱き締めてくれて頭をよしよしと撫でてくれる。その包容力と安心感に余計に涙が出た。
「ゔゔゔゔゔ」とすがりついていたら「なんだおまえ!」とクズの声が聞こえた。
「そいつは俺の女だぞ!」
「―――あ゛?」
ピシッ。空気が凍った。
否。ひび割れた。
すがりついて泣いていた私ですら涙が止まった。思わず顔を上げて雄介さんの顔を見ようとしたけれど、雄介さんはクズに顔を向けていてよく見えない。けどクズも、その後ろにいる野次馬の皆様も、総じて顔色が悪くなってる。
すう、はあと深呼吸を繰り返した雄介さん。抱擁を解いて私を背にかばい、クズと対峙した。
「―――失礼。今なにか、おかしなことが聞こえた気がするんですが―――」
「―――誰が、誰の、何だ、と?」
ひいいいいい!
雄介さん!? あなた温厚が売りの後方支援担当者じゃなかったの!? 仮にも一般人相手にその殺気はマズい!
こら! 兄の手下ども! 警戒態勢はどうしたの!「うぉぉぉぉ! アニキィィィ!」じゃないのよ!
「―――礼香。あれ、誰?」
「前に話したの、覚えてない?『勘違い男』」
「ああ。あの」
まだお付き合いする前。白露さんと三人でごはん食べたときに白露さんがペロッと話した。その話を覚えていたらしく、雄介さんの殺気が弱まった。ついでに警戒度も。
「―――バラしていい?」
雄介さんがそう言うのは、明日以降の私の立場を気にしてくれているのだろう。私は構わない。むしろはっきりさせないといつまでもこの馬鹿につきまとわれる。
あ。でも晴臣様から口止めされてた。
「私はいいけど、晴臣様が―――」
「大丈夫」
クズをにらみつけたまま、雄介さんはボソリと言った。
「開示の許可取った」
さすが雄介さん。思慮深い。頼もしい。
「なら私は問題ないわ!」「むしろ私が言ってやる!」
意気込んだ私に雄介さんはチラリと目だけを向け、一瞬だけ愛おしげにその目を細めた。
さっきまでの殺気と一瞬の笑顔とのギャップに、またしても胸をつらぬかれた。
私の胸のトキメキを奪った素敵な彼は「おれに言わせて?」と甘くささやき、トキメキで私の口を封じた。なんて技を。ああもうこのひとは。
私の素敵な婚約者はすぐにクズに視線を戻し、キッとにらみつけた。
「なにか勘違いしておられるようですね」
「彼女はおれの婚約者です」
「両家の顔合わせも、結納も済んでます」
「結婚準備も進めています」
淡々と告げる彼に周囲から「えええええ!」とか「わああ!」とかの叫びがあがる。ふふん。どうてす。私の婚約者、カッコいいでしょ。
内心でだけドヤっていたつもりだったけど、顔に出ていたらしい。クズはポカンとしていた顔を醜くゆがめ、叫んだ。
「嘘だ!」
「嘘を言ってどうするんですか」
淡々と返す雄介さん。カッコいい! 惚れちゃう!
そんな素敵な彼をクズは指差し、わめいた。
「おまえみたいな男を、礼香が選ぶわけない!」
「『名』を呼ぶな!」
バッと彼の横に立ち、叫ぶ。
「私の『名』を呼んでいいのはこのひとだけよ!」
並び立つ私に彼は自慢げに微笑んだ。ああ。そんなところも好き。
耳が赤くなってる。きっと普段だったら顔を隠して照れ照れしてくれたのね。
それもわかって、彼が喜んでくれているのも誇らしく思ってくれているのも伝わって、胸に熱いモノが灯った。
片腕を私の前に出して私をかばい、それでも並び立つことを許してくれる彼。私を信頼してくれていることも、それでも心配で大切だと思ってくれていることも伝わって、ああ好きだとこんなときなのに思った。
「おわかりかと思いますが」
「おれ達、相思相愛なんで」
「あなたはお呼びじゃありません」
「現実を見て諦めてください」
ニヤリと笑う彼。なんだか晴臣様みたい。
余裕しゃくしゃくな彼にクズは拳を震わせ怒りを顔に出していた。
「偉そうに………!」
悔しそうにしていたクズがなにかに気付いた。ニマニマと下卑た笑みを浮かべる。
「おまえ、どこに勤めてる」
「普通の工務店ですが、それがなにか?」
答えた雄介さんにクズは「はっ!」と小馬鹿にし、勝ち誇ったようにわめいた。
「たかが工務店勤務が偉そうに!」
「俺はこの会社のエリートだぞ! 若旦那様の側近だぞ!」
「ああそうですか」
「それで?」
あまりにも雄介さんが淡々としているのが気に入らないのか、クズは顔をしかめ、けどすぐにまた勝ち誇った顔をして言った。
「年収だってそこらの男より多い!」
「へー」
「信用してないだろう!」と男が口にした年収は、確かに同世代の平均年収を考えると高給取りに分類されるものだった。
「どうだ!」とドヤる男。
「お前はこんなにもらってないだろう!」
「俺のほうがおまえより上だ!」
雄介さんは無言で微笑んだ。明らかに困っている。けれど、なんていうか、相手に敵わなくてというより、馬鹿な子供がわめいているのに困ってるみたいな表情。
「なんとか言ったらどうだ!」と言われても「すごいですねえ」と返すだけ。
「……………不躾な質問すみません」
彼をこの場に連れてきた受付の荒川さんがそっと寄ってきて声をかける。
「ちなみになんですが………年収は?」
「いやー。ここで明かすのはちょっと……」
「彼より上ですか? 下ですか?」
雄介さんは困り顔のまま、人さし指でそっと上を示した。
息を飲んだ男は「ぐぬぬ」と顔を歪め、ハッとなにかに気付きまた得意げに指を突き出してきた。
「学歴ならどうだ!」
自信満々に男が明かした出身校は有名難関大学で、確かに普通なら十分自慢できる大学だった。
けれど生ぬるい表情で黙っている私と雄介さんに周囲は察してしまったらしい。
「なんか言ったらどうだ!」なんて、あんたもうやめなよ。もう黙ったほうがいいよ。
多分私だけでなくギャラリーの半分もそう思ってた。だって同じような生ぬるい顔してたから。残り半分は楽しくてたまらないといったウキウキワクワクした表情。
「ここははっきり一思いにヤッちゃうのがやさしさというものではないですか?」
荒川さん余計なこと言わないの。なにそのワクワクの顔。あなたもこの男の被害者だったから『ザマァ』が見たいのはわかるけど。
ちょっとちょっと誰ですか?「あのモラハラ男がザマァされてるよ!」って聞こえましたよ?
こらこら兄の手下ども。交通整理をするんじゃない。「前のひとちょっとかがんでください」「通路は開けてください」じゃないのよ。
そういえば最初の男性社員が呼びに行ったひとは来たかしら? ……あ。人事部の部長を連れて来てる。部長、バッチリ動画も撮ってる。そして若旦那様が兄を含む護衛と側近を連れ現着。周りの野次馬からこれまでの話を聞いておられる。この調子だとご当主様も……あ。現着されました。父と社長も一緒。
これは『役者が揃った』というやつかしら。いやまだ菊様がおられない。
そんなのんきなことを考えていたら周囲の視線に気付いた。
「あのモラハラ男がまた問題起こしてるよ」と最初に集まっていたひと達はウキウキ顔。『やっちまえ!』と期待のこもった眼差しを感じます。私を助けようとしてくれた男性社員も、受付の荒川さんも、みんなが『ザマァ』を期待している。全方位から嫌われてたのねこの男。
そんな視線に気付いているのかいないのか、雄介さんは肩の力を抜き、ふーっと息を吐き出した。
「こんなことが起こるなら、若い時に血反吐吐いてよかったなあ」
「あのふたりに感謝しなきゃ」
ほにゃりと私に微笑む雄介さんは、もう普段の雄介さん。
戦闘モードもカッコよかったけど、私はやっぱりこっちの雄介さんがいいわ。
雄介さんも父や兄に気付いた。目礼する雄介さんに父は目礼を返した。けど兄はニヤリと笑い親指で首を切る動作をし、下に向ける。『やっちまえ』の指示に雄介さんは苦笑を浮かべ、ちいさく首を横に振った。
不満気な兄を笑顔でなだめ、雄介さんはクズに目を向けた。
「――はっきりと申し上げます」
「立花礼香さんはおれの婚約者です」
「あなたは彼女と無関係な人間です」
「これ以上横恋慕及びつきまとい行為をするならば、しかるべき場所に訴え出て対処します」
「違う!」男はわめく。
「そいつは俺の嫁だ!」「若旦那様がおっしゃったんだ!」
言われた若旦那様は「えー?」と笑っておられる。けどこれは流せない!
「ふざけないで!」
「あんたのことなんか大ッッ嫌い!!」
「勝手に脳内嫁にしないで! キモい! 最低!」
殴りかかってやろうとしたら「どうどう」と雄介さんに止められる。私をかばっていた腕は私を抑える腕に変わっていた。仕方ないから口だけで攻撃。
「ストーカー! 変態!」「二度と近寄らないで!」
「黙れ!」「おまえは黙って俺の言うことを聞いておけばいいんだ!」
逆ギレしたクズにギャラリーが「最低」「ああならないように気をつけよう」とか言ってる。ホント最低。
そこに雄介さんが淡々と、淡々と理詰めでクズを追い詰める。「そもそも付き合ってない」「この数年で何回言葉を交わしたか」とか「こちらは結納交わしてる」とか。そしたらクズが私へのストーカー行為を自白した。うげえぇぇ! ホントにストーカーだった! 気持ち悪い! 護衛職で戦闘力あっても気持ち悪いもんは気持ち悪い!!
「俺は優秀なんだ!」「若旦那様の側近なんだ!」「いい大学出ていい会社に入って給料たんまりもらってるんだ!」「背も高い! ルックスだって服装だって上等だ!」「おまえなんかより俺のほうが上だ!」
癇癪を起こした子供のようなクズに、雄介さんは深いため息をついた。
「あんた……………可哀想だな」
あわれみのこもった眼差しに「は!?」と男が
青筋を立てる。
「『本当の強さ』を知らずにここまで来ちまったんだな」
そうつぶやき、雄介さんは一歩前に出た。
「教えてやるよ」
堂々とした雄介さんにクズはなにも言えない。クズのほうが背が高くて上等なスーツを着ている。対する雄介さんはごく普通の顔立ちにヨレヨレの作業着。髪だってクズがビシッと決めているのに対して雄介さんはボサボサ。けれど雄介さんのほうが一段も二段も大きく、立派に見えた。
「男の強さは金でも学歴でも腕っぷしでもない。ましてや顔や見た目なんかじゃない」
雄介さんに気圧されたのかクズが半歩下がった。
構わず雄介さんは淡々と、けれど堂々と告げる。
「男の強さは」
ドンと胸を親指で指し、雄介さんは真摯に宣言した。
「中身」
「魂だ」
「「「アニキィィィ!!!」」」
「うおぉぉぉ!!」と野太い歓声があがる。兄の手下ども。仕事しろ。
「え……。フツメン、イイかも……」「カッコいい……」ヤバい。私の婚約者、イケメンすぎて女性社員のハートをガッチリつかんじゃった!
そして男性社員まで「アニキ……」とかつぶやいて陶酔してる!? ちょっとちょっと雄介さん! やりすぎ!
そんな周囲に雄介さんは多分内心ビビっている。なんとなくわかる。けど凛々しいままクズに対峙していた。
「あんたは見せかけだけのハリボテだ」
「もっと中身を磨きな」
「今からだって遅くない。人間いつからだって頑張れるんだ」
「はいアニキ!」「がんばります!」だからあんたらは仕事しろ。ああ。一般社員までキラキラした目で直立してる。そして女性社員がうっとりしてる!
ヤバい! このひとここに置いといたら全方位に惚れられちゃう!! どうにかこの場を離脱しないと!
そのとき。
パチパチパチパチ。
軽快な拍手とともにギャラリーの奥から人垣が割れていく。
現れたのは、菊様。白露さんがすぐうしろに付き従ってる。
ザッと片膝をつき片手の拳も床につく雄介さん。反射的に私も同じように平伏した。
「坂本」
「はっ」
「なかなか面白い見世物だったわ」
「アンタになら立花をまかせられる」
「頼むわよ」
「御意」
菊様のお言葉に頭を下げる雄介さん。私も一緒に頭を下げた。
「立花」
「はっ」
「もう大丈夫ね」
ハッとして顔を上げた。ニンマリと、『淑女の仮面』をはずした素の笑顔で、菊様はどこか面白そうに私を見つめておられた。
そういえばいつの間にか『こわい』がどこかに行ってる。怒りで吹き飛んだ?
―――ううん。違う。
それもあるけど、一番は。
『「本当に守りたいモノ」のためなら、あなたは立ち上がれる』白露さんが言った。
私は私の『名』を守りたかった。
雄介さんにだけ許した『名』を。
それは彼との絆。彼に許した私の『魂』。
汚されたくない、大切なもの。
そのためなら恐怖もなにもかも捨て去れた。
ああ。なんだか私、『能力者』みたい。
『名』がこんなに大切なんて。
そんなことが浮かんでおかしくなった。
勝手に笑みが浮かんだまま「はい」とお答えした。
「本日はご迷惑をおかけ致しました」「誠に申し訳ありません」
頭を下げれば「いいわ」と菊様はお許しくださる。
「誰だって調子の悪いときくらいあるでしょ」
「また明日から頼むわね」
こういうところがこの方の素晴らしいところだと思う。器が違う。「承知致しました」と再度頭を下げた。
「さて……と」
チラリと男に目を遣り、菊様はにっこりと微笑まれた。男はまさか菊様が出て来られると思っていなかったのか、わかりやすく動揺していた。
「白露」
「はい」
短くやりとりしたあと白露さんはクズのプロフィールから私につきまとうきっかけ、私への迷惑行為の詳細まで一気に菊様へと報告した。いつの間にそんなこと調べてたんですか!?
「なるほど」と菊様。
「ストーカー行為は犯罪ね。妄言はいわゆる『心神喪失状態』に当たるのではないかしら」
「どう?」と菊様がお顔を向けられたのは人事部の部長。
「『心神喪失状態』かどうかは医療機関を受診させ診断書が出なければ」「私のこの場での判断はできかねます」とのお答え。
「けれどこんな人物が我が社にいるなんて……。品位に欠けるのではなくて? お父様」
菊様の視線を追い、そこに若旦那様を見つけたクズが「ひっ」と短く悲鳴をあげた。
「そうだねえ」と若旦那はニヤニヤしておられる。
「私、こんな人物が同じビルに出入りしていると考えるだけで恐ろしいですわ」
ほう、と頬に手を当て、目を伏せ悲しそうな雰囲気を出す菊様。
「心神喪失状態のようだし、休職させてはどうかしら」
最後はいつもの「いいでしょうお祖父様」で片がついた。
やはり最強はこの方でした。
◇ ◇ ◇
その後。
雄介さん共々菊様にご自宅に連れて行かれた。ご当主様と若旦那様、社長と父と兄も一緒。
まずは騒ぎを起こしたことを謝罪。今朝突然恐怖に襲われて護衛任務に就けなかったことも謝罪。
「もう大丈夫ね」と菊様に確認され「はい」とお答えできた。
あのクズの愚行については兄が説明してくれた。
兄が遅番勤務に就き、若旦那様のお時間が空いたタイミングで私が恐怖にとらわれたことをご報告した。
「護衛職にはよくある」「自分も経験した」「復帰できるかは本人次第」
そう聞いた若旦那様。軽い気持ちでおっしゃった。
「復帰できなければできないで、止めていた結婚話を進めればいい」「菊の都合でこれまで待たせていたのだから」
もちろん若旦那はそのお相手に雄介さんを浮かべておられたのだけれど、偶然、兄の後ろにクズがいた。それでクズが「自分に指示された」と勘違い。で、ご当主様のところに社長と父がご報告に伺ったときに「本人も連れてきている」と報告しているのを通りすがりに小耳に挟み、早く話を進めようと私を探し見つけた。
「悪かったね」と言ってくださったけれど、なんでしょう。全然謝意を感じません。まあ偉い方はこんなもんですよね。こちらも黙って目礼するに留めておきます。
クズの所業については若旦那様も他の側近達も知っていて、時々苦言を呈ししてはいた。けれど業務上での致命的なミスや目立つ問題行動は表に出ていなくて、降格とか所属変えとかできなかった。
けど今回のはなかなかのやらかしで、しかも白露さんが色々証言とか証拠とか集めていた。「まあ二度と会うことはないと思うよ」と若旦那様。この方もなかなかの曲者よね。私はとてもお仕えできそうにないです。
菊様が若旦那様のマリハラについてご指摘くださった。「もうしないように気をつける」と言質は取れたけど、どうかしら。
雄介さんが来てくれたのは、あの指輪から私の思念が伝わったから。弱りに弱り切った私の思念に「非常事態だ!」と雄介さんはすぐにタクシーに飛び乗った。その間も伝わる『助けて』『勇気をちょうだい』に完全に戦闘モードに。あちこちに根回しし権限をもらい、あの場に飛び込んだ。
私の居場所も指輪でわかった。戦闘モードになってる私にすぐクズを敵認定。そうしてクズを制圧し、多くのひとを虜にした。
神代家での話し合いが終わって雄介さんにお礼を言い、なにがあったか話をした。
「わかるよ」と雄介さんも色々話をしてくれた。あれもこれも理解してくれることに感動し、包容力にまた堕ちた。
父や兄とも話をし、私はすっかり立ち直った。
翌日には白露さんや友田さん達にお礼を言い、一件落着となった。
私が結婚することは広く知られることとなった。お相手の男性が「一見地味で普通なのに中身ものすごいハイスペックイケメン」ということも。
同時に私の護衛任期は「菊様の高校の卒業式の日まで」ということも公表された。「以降は現在ついている安倍家からの出向者ひとりが専属護衛を勤める」ことも。
どさくさで公表せざるを得なくなってしまったのは私の落度なので安倍家から怒られるかと戦々恐々としていたけれど、どこからもお叱りはなかった。
「あなたの婚約者のおれが『安倍家の能力者』とは明かしてないから」
「そこはちゃんと気をつけたよ」と微笑む思慮深い婚約者。頼りになる! もう、好き!
菊様への襲撃や神代家への不適切な接触があるかと警戒していたけれどこちらもなし。年末年始も無事に過ごせた。よかった。
◇ ◇ ◇
雄介さんの存在感はあの日目撃したひと達の価値観をものすごく変えた。
まずは女性社員。
神代家の関わる会社はいくつかあって、そのなかの『本社』と呼ばれているのがメインの業態の会社。和装を中心とした服飾関係なんだけど、若旦那様が「うまくやっている」とかで、業績はなかなか。らしい。
そんな本社のひとは事務のひとも受付のひともみんな美人で優秀で高学歴持ち。お給料もいいとかでお金も持ってる。
となると恋人や結婚相手に求めるものもハイレベルで。「イケメンで背が高くて高学歴高収入が最低ライン」とかみんな言ってた。
けど雄介さんの中身イケメンっぷりを目の当たりにして「外見は二の次!」「やっぱり男は中身よ。魂よ!」となった。
そうしてこれまでターゲットからはずれていた男性達が注目されだした。
見た目が普通だったり地味だったりしても仕事はできる男性とか、人当たりが良くて場を和ませる男性、無口でも誠実な男性などが突然注目され、あっという間に目聡い女性に捕まった。警備の人間も何人か捕まったらしい。みんなしあわせそうだから問題なし! ……よね??
そして男性達も「男は中身だ! 魂だ!」と盛り上がり、本社の物好きな男性がウチの会社の訓練に「参加させてください!」と突撃してきた。一応業務外の部活動みたいな形で筋トレや護身術やら一緒にしている。こちらもみんな楽しそう。よかった。
意外なことに女性護衛にも注目が集まったとかで、本社の男性と護衛女性のカップルが数組できた。なんでかよくわからないけど、おしあわせに!
「立花さん! 婚約者さんのお知り合いで独身男性いませんか!?」と懇願され、主座様晴臣様承認のもと、安倍家の若い男性と神代家本社の女性とで合コンが何度か行われた。
基本雄介さんと晴臣様の合格が出た男性しか参加できない。つまり『外見は地味だけど中身イケメン』が揃った合コン。私と雄介さんも責任者として参加したけれど、居並ぶ様子は虎と兎に見えた。もちろん女性側が虎。
雄介さんがうまく話をまわしてくれて男性ひとりひとりのいいところをアピール。結果何組もカップルができた。
受付の荒川さんはデジタル部門の青年を捕まえていた。沖田くんという地味で大人しい青年は優秀なプログラマーであると同時に『バーチャルキョート』というゲームにめちゃめちゃ詳しいひとで、ベテランプレイヤーだという荒川さんと話が盛り上がってすぐにくっついた。よかったね。
同じく受付の三枝さんも雄介さんの会社の男性とお付き合いを始めた。
こんなに安倍家の男性を放出してもいいのか心配だったけど「『安倍家の能力者』って明かさなければ大丈夫」と晴臣様が言っておられた。
晴臣様がいいなら私に言うことはありません。みんなラブラブ。みんなしあわせ。いいことです。
◇ ◇ ◇
なんだか業務外のことで忙しくしているうちに三月になり、菊様が卒業式をお迎えになられた。
最後の護衛につかせていただき、業務終了するときに「ご卒業おめでとうございます」と花束をお贈りした。
「十五年間、世話になったわね」菊様からも私に花束をくださった。まさかこんなものをご用意くださっているとは思いもよらず、まだ勤務中なのに涙が出た。
「先に北山に行っときなさい」「私が行ったらまた頼むわよ」そう送り出された。
三月末の私達の結婚式には菊様も白露さんもご臨席くださった。社長や同僚も。さすがに若旦那様やご当主様はご遠慮願った。晴臣様明子様ご夫婦、隆弘様千明様ご夫婦は断れなかった。「主座様がお越しにならないだけ良しと思おう」とふたりで無理矢理納得した。
新婚旅行から帰って新居へ。結婚式前に家具を搬入し小物を揃えお披露目もしていたのですぐに生活ができた。
安倍家縁のカップルがしょっちゅう新居の見学に来る。トモさん竹さんご夫婦もよく来られて動線や日当たりなどを確認される。「モデルルームに住んでるみたいね」と笑ったら「ごめんね」と雄介さんに謝られた。
雄介さんは「指輪の『対価』」として三組のご夫婦の新居の設計をした。そのうちの一組がトモさん竹さんだけど、他の二組のご夫婦ともすぐに仲良くなった。
菊様は大学を卒業して北山に嫁がれた。ちゃっかり陶芸工房を併設した新居を建て、陶芸三昧の生活をしておられる。もちろん白露さんが一緒。私はもう護衛ではないはずなんだけど、なんだかんだと呼び出されてはお茶をしたりこき使われたりしている。
ありがたいことに私達は結婚してすぐに子宝に恵まれた。雄介さんがめちゃめちゃ喜んでくれた。
結局三人の子宝に恵まれた私達。子供達は三人とも菊様弘明さんのお子様と主座様のお子様の子守役兼遊び相手兼側仕えとしてどっぷり安倍家に関わることになった。
霊力訓練もご一緒して、あっという間に『能力者』と呼べるレベルになった。「『氏より育ち』ってこういうことね」と感心した。
結婚したときは周囲にウチ一軒しかなかったのに、次から次へと主座様直属の方が家を建てられて、すぐに賑やかな集落になった。
ウチの子が集落で最年長になるのでどうしてもお世話係にまわりがちで、伴って私達も皆様のお世話をするようになった。
なかなか子供が授からなかったトモさん竹さんに待望の第一子が産まれたときにはみんなで喜んだ。
主座様直属の男性の奥様が元保育士さんで、その方と一緒に子供達と格闘しているうちにあっという間に時が流れた。
賑やかで楽しくて、しあわせな毎日だった。
と言ってたらなんと孫ができた!
「また子育て!?」うれしい悲鳴をあげながら新たな格闘の日々を送っている。
◇ ◇ ◇
何年経っても、何十年経っても、雄介さんは素敵なまま。照れ屋さんなのも変わらず。
子供を産んでも、おばさんになっても、おばあさんになっても、いつまで経っても私を大切にしてくれる雄介さん。
「あの日あのとき、出逢えたのがあなたで、よかった」
何度も何度もそう言ってくれる。
だから私も彼に伝える。
「わかりにくくてありがとう」「出逢ってくれてありがとう」
ふたりの指には指輪が光る。
雄介さんが作って私が霊力を込めた、世界でふたつだけの指輪。
「おふたりが幾久しくおしあわせでありますように」
あの日竹さんが祈ってくれたとおり、私達はずっとずっとしあわせに過ごした。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
私の「古希のお祝いだ」と菊様が「街に食事に行こう」とお誘いくださった。子供も孫も連れての大人数での食事会。雄介さんも弘明さんも白露さんも一緒。みんなで楽しい時間を過ごした。
四月生まれの私の七十歳の誕生日。今日まで無事に元気で過ごせたことに感謝をし、みんな元気で集まれたことに感謝をした。
「まだまだ元気でいないと」「そうよ! 孫達がどんどん増えてるんだから!」「今年の入学祝は誰に渡すんだっけ?」「長寿祝は次誰だっけ?」
他愛もない話をし、笑い合う。いつものように巡り来た春は、喜びに満ちていた。
「ちょっと私達だけでお茶にしましょう」と白露さんが誘ってくれて、控室に取った別室へと移動した。
三人だけで「ああだった」「こうだった」と話をしていて、ふともうひとりの彼女のことを思い出した。
あれから本当に怒涛の勢いで日々が過ぎていって、彼女のことを思い出すこともなかった。
彼女は元気にしているだろうか。結婚しているかしら。
そんなことを考えながら、それでも口には出さずただお茶を含んだ。
ノックの音に立とうとした私より早く白露さんが扉に向かった。
戻ってきた白露さんはひとりの女性を連れていた。
「お久しぶりです」「古希おめでとうございます」
差し出された花束を「ありがとうございます」と受け取り、目の前の女性をまじまじと見つめた。
「―――何十年も逢わなくても、わかるものですね―――」
私のつぶやきに、彼女は涙をにじませ笑った。綺麗な、自信に満ちた笑顔。きっと彼女にとってこの数十年は良いものだったのだろうと思える笑顔だった。
ふたり同時にかつての主に顔を向けた。
若かりし頃は仮面をかぶり『淑女の鑑』と謳われた女性は、満足そうに頬杖をつき、ニンマリと微笑まれた。
明日からは他の人物視点の閑話をお送りします