【番外編8】立花礼香と巡り来た春 9
だまし討ちのような面談を終えたその日の夜。
勤務を終え帰宅してから母にメッセージを送った。
『年明けて落ち着いたらお父さんとお母さんに会わせたいひとがいるんだけど、いつが都合がいいですか?』
私達は面談で宿題を課せられた。
「両親に話だけはしておく」「できれば挨拶に行く日を決めておく」
年末が始まった現在、あっちもこっちも忙しい。だからもろもろが落ち着いた小正月を過ぎてから動こうと話していたんだけれど「それじゃあ遅い」と晴臣様に言われた。
「年末年始だからこそ話をしておくべきだ」「どこで縁談が持ち込まれるかわからない」「ひとが集まる時期だからこそ、酔った勢いやその場のノリで口約束がされて見合いが決まるよ」
そう指摘されればありそうな話で、なるほど三十路独身の息子娘のために親が暴走する可能性にゾッとした。
「挨拶は年が明けて、それこそ春でもいいから。『結婚を考えているひとがいる』とちゃんと意思表示しておかないと、余計なトラブルを生むよ」
預言者のような物言いに素直に従い、帰宅して一番にメッセージを送ったわけだけど。
迷いに迷って書いたメッセージをにらみつける。
これでよかったかなあと悩んでいたら既読がついた。と思ったら即電話がかかってきた!?
「もしも『礼香! これはどういうこと!?』
通話音量に思わずスマホを離す。
「あ『「会わせたいひと」ってなに!? 男!? 男のひとよね!?』
「あ。そ『そうなのね!!! 彼氏!? 彼氏ってこと!?』あー、………そう」
『まああああああ!!!!!』
母の大絶叫にドン引きしてしまう。三十一歳のこれまで彼氏のひとりもいなかった末の娘のメッセージにそこまで興奮するのか。なんかゴメン。
『ちょっとあなたすぐに来なさい!』
「ええー。もう遅い時間なのに」
『夕ごはんまだでしょう!? ごはん食べに来なさい!』
半強制的に実家に呼び出され、玄関をくぐれば母だけでなく父も兄も兄嫁も近所に住む姉までも首をそろえて待っていた。
お相手のお名前年齢職業学歴家族構成を聞かれ、出会いのきっかけと交際に至った経緯を聞かれ、人柄と身長体型を聞かれ、写真はないのかと言われ、なんだか昼間もこんな話をしたなあと思いながら「結婚を考えている」「菊様からも祝福された」と明かした。
「ご挨拶に来てもらうのにいつがいい?」
ようやく本題が口にできたけど家族は聞いちゃあいない。
「男ばかりの三人兄弟の長男さんか。礼香は末っ子だから合うかもな」
「顔も服も地味ね。礼香ならもっといい男狙えるんじゃないの?」
「優香さん! 男は見た目じゃないわ! 高学歴高収入! 有資格者! 安定した職業! いいじゃない!」
「誠実で落ち着いたひとが一番よ。礼香のこと大事にしてくれるならなおさら!」
「おまえの手を褒めてくれるような男なら信用できそうだ」
おおむね好感触。反対されないとは思ってたけど、それでもホッとした。
「で、いつがいい?」
重ねて聞けば「先方に礼香が挨拶に行くのが先だろう」と言われた。
「そのへんは雄介さんと調整します」と答え、差し当たり候補を三日ほど出してもらった。
帰宅してから雄介さんにメッセージを入れた。もう遅い時間だったけど連絡だけは入れておこうと思った。候補の三日を報告し、家族が『喜んでくれた』と添えた。
しばらくしたら返信が来た。彼のほうの候補日が書かれていた。
『今話せる?』とあったので了承のスタンプを送ったら電話がかかってきた。
やはり彼もご実家に呼び出され、あれこれ聞かれ泣かれ祝杯をあげられた。「緊急招集があるかもしれないから飲まない」と断固拒否する雄介さんに構わず、お父様とお祖父様は次から次へとお酒をめされた。ご家族皆様大盛りあがりになり、とても喜んでくれたと。
私が『非能力者』――『霊力なし』なことも正直に伝えたけれど「『霊力なし』でもなんでもいい! 雄介と結婚してくれるなら!」とウェルカムだったらしい。よかった。
主座様と晴臣様はじめ直属の皆様の承認を得ていること、私の主が弘明さんの婚約者であることを明かしたら「もう嫁に来てもらえ」「むしろおまえが婿に行け」と言われたと教えてくれた。
「この年齢まで浮いた話ひとつないと親の許可も早いわね」そう笑ったら「年齢じゃないよ」と彼は言った。
「おれがどれだけあなたが好きか、わかってくれたからだよ」
なんてことを。ああもうこのひとは。好き。
「あなたがどれだけ素敵な女性か、おれがうまくプレゼンできたからもあるかな」
「えへへ」と照れくさそうに笑う彼に「なにを言ったの」と思わずツッコんだ。
◇ ◇ ◇
多忙な年末年始を無事に乗り越え、日常が戻ってきた。彼と休日を合わせ、ご実家へお伺いした。
車でひたすら走る。最後に信号機見たのはどこだったかしら。行けども行けども木しかない。話に聞いていたよりもはるかに田舎な風情。街育ちの私には道路が舗装されてないのは信じられないんですが。ここは異世界ですか? 本当にここで菊様暮らすんですか? 暮らせますか? そして私も大丈夫かしら??
けれどそんな不安は彼のご家族の歓待を受けたら消えていた。ご両親お祖父様お祖母様、ふたりの弟さん、上の弟さんの奥様とふたりのお子様、大家族に大歓迎された。手土産を渡しご挨拶をし、お付き合いと結婚を認めてもらったあとは食事を勧められあれこれ聞かれた。
護衛職の女なんて嫌がられるかと心配だったけど「どのくらい戦えるか手合わせして!」と弟さんの奥様の小春さんと手合わせさせられた。小春さん、実働部隊の方だそう。ちなみに雄介さんの弟さんはふたりとも実働部隊。小春さんは今子育て中なので休職中。
小春さんめっちゃ強いんですけど。私防戦一方なんですけど!
それでもどうにか合格ラインには達したようで、皆様「いいひとが来てくれた!」と喜んでくださった。護衛の自分を認めてもらえるとは思わなくて、すごくうれしかった。
次の休日は雄介さんの勤める工務店へご挨拶へうかがった。こちらは叔父様ご家族が揃っておられる。勤め先の上司と同僚というよりはお世話になっている身内の意味合いが強い。なのでご挨拶は必須だろうと私が希望した。
こちらでも大歓迎していただき「雄介をよろしく!」と言っていただいた。『非能力者』でもゴツイ戦闘職の女でも「構わない」と言っていただけて安心した。雄介さんのまわりは良い方ばかりだ。
◇ ◇ ◇
そうして私の実家への挨拶。
雄介さんはガッチガチに緊張していた。
クリスマスと同じくスーツで決めて、手土産も持って、挨拶の練習も何回もしたのに「大丈夫かな?」「おかしくないかな?」とうろたえるのがかわいくておかしかった。
「今日はお付き合いの許可をいただくだけ」と言っていたのに、いざ私の家族を前にしたら「全部吹っ飛んだ」とかで、「お嬢さんをおれにください!」と土下座をかました。調子に乗った兄が「妹が欲しくば俺を倒してみろ!」と言い出し、何故か挨拶もそこそこに護衛の訓練場へ全員で移動した。
使用許可取ってないでしょ。勝手に使っちゃダメじゃない! ――え? 使用許可取ってる? ていうか、なんで同僚達が居並んでるの?
「来いやオラァ!」
「よろしくお願いします!」
兄のジャージに着替えた雄介さん。兄を一瞬で制圧した。――制圧した!?
え!? 雄介さん、兄より強いの!?
「妹さんはいただきます!」
床にうつ伏せで倒した兄の背に膝を乗せ、ギリギリと兄の腕を絞る雄介さん。え待って。カッコいい。トキメキが。トキメキが!!
「おのれぇぇ! おまえら! やれー!」
「うおぉぉぉ!」
卑怯な! 手下を使うなんて!
同僚達だけでなく父までもが雄介さんに向かい、乱戦が始まった。ひとりまたひとりと冷静に倒していく雄介さん。あれ?『戦闘力は並』って言ってなかった? 霊力量のこともあるけどそれもあって『実働部隊に入れなかった』んじゃなかった?
ふと、雄介さんのご実家で小春さんと手合わせしたのを思い出した。私はいっぱいいっぱいで防戦一方だったけど、彼女はまだまだ余裕がありそうだった。
つまり? 安倍家の基準は、かなりハイレベル?
雄介さんてば、普通に強い??
全員雄介さんに倒されました。
「なんでそんなに強いの!?」思わず聞けば「後方支援でもいつ何時どんなことに巻き込まれるか、なにが起こるかわからないから戦闘訓練は続けてる」と教えてくれた。
「あと、後方支援を馬鹿にして調子に乗って言う事聞かないバカが一定数出る」「そういうバカに言う事聞かせるためには実力行使しかないから」
やっぱり安倍家も脳筋の集まりか。そんな雰囲気は感じてました。
そして神代家の脳筋どもは、自分達を倒した雄介さんを私の彼氏として、結婚相手として認めた。いや同僚達の承認はいらないよね?
そもそもこんなことになったのは兄が原因。
「工務店勤務」と聞いた兄が「普通の職種の男に護衛職の妹を本当の意味で受け入れられるのか」とか余計な心配をし「護衛とはなんたるか」みたいなものを実演で見せようと思ったという。
兄の計画では、向かってくる雄介さんをあしらい続け、力尽きて倒れたところに「おまえの妹への想いはその程度かぁ!」と喝を入れ、残った力を振り絞って向かってきたらわざと一撃受けて「いいパンチだ」「これでおまえも俺の弟だ」「妹をまかせたぞ」とやるつもりだった。そして集めた子分共との組み手を見せ、「お義兄さん、すごいです!」と言わせたかった、と。
どこの青春バトル漫画よ。
しかし兄の計画は破綻したものの、雄介さんは一気に私の家族にも親類にも同僚達にも受け入れられた。ウチも脳筋集団だから。強い=正義。一緒に闘った=仲間。
「雄介!」「雄介さん!」と呼ぶ周囲に「おにいさんはともかく、他の方は『名』呼びはご遠慮いただけると……」と苦笑した雄介さん。この言葉に兄はじめ同僚達の半数以上が反応した。
雄介さんを引っ張り円陣を組み、なにやらボソボソやっていたかと思ったら、円陣を解くなり無言の握手会が始まった。男って意味わかんない。
「まさかこれほどの男とは」と、なんか知らないけど兄も父も雄介さんを認めた。
「戦い方が違うだけだと思います」
「おれのはひたすら倒す戦い方です。けど皆さんは『守るため』のチカラを磨いておられるから……」
「おれはこれから礼香さんを守っていきたいんで。『守る戦い方』をご教授いただきたいです」
穏やかに微笑んでそんなことを言う雄介さんに、私含めて何人もが堕ちた。雄介さんが私の手を褒めたエピソードを父が披露して手の見せ合いっこになり「ここまでの努力をした男なら」と男達は雄介さんを認めた。いやだから父と兄はともかく、同僚達は関係ないって。
「そんなことないよ。これまであなたと一緒にがんばってきたひと達が認めてくれて、うれしい」
またあなたはそんなうれしいことを。中身イケメンなんだから! もう、好き!
帰るときは同僚達に「ありがとうございました!」と頭を下げる礼儀正しい雄介さん。これ以上株を上げないで!
「こんなに素晴らしい男が弟になるとは! 次いつ手合わせする? 次の休みはいつだ?」
「兄さん! 私の雄介さんなんだけど!」
思わず文句を言い、兄に連れて行かれないように雄介さんの腕を取った。真っ赤になって固まった雄介さんにようやく自分がなにを言ったかなにをしたか気付いて手をバッと離した。赤い顔で照れ合う私達に家族がニヤニヤしながら「そんなに初心でどうすんだ」「かわいいふたりね」と冷やかしてきた。
◇ ◇ ◇
とんとん拍子に話が進み、両家の顔合わせ。終始なごやかな雰囲気で、祝福ムードしかなかった。まさかの晴臣様と明子様が仲人役をつとめてくださり、今後のスケジュールや結納の説明、結婚式についてなどお教えくださった。
「雄介は僕の弟分です」
「素晴らしい女性と出逢えたことは僕にとっても喜ばしいことです」
『雄介さんのご実家の関係の方』と紹介された晴臣様と明子様に、あの顔合わせに出席していた父と兄は顔色を変えた。それでもなにも口に出さなかったのはさすがと言ってもいいかもしれない。
『雄介さんが安倍家の関係者であることを明かすな』って言われてましたけど、隠す気あります? 晴臣様が堂々としすぎて逆になにも聞けないのか、父も兄も私になにも聞かなかった。
顔合わせが済んだ次の休日。雄介さんのお勤め先に両親とご挨拶に行った。お勤め先というよりは叔父様ご家族へのご挨拶。雄介さんの仕事ぶりとか幼い頃のエピソードとか色々聞かせていただいた。
「お嫁さんもらうんだから、これまで以上に働かないとな!」と叔父様に言われ「過労死するよ!?」と雄介さんは悲鳴をあげていた。けど私は『お嫁さん』というパワーワードに倒れそうだった。
私の勤め先へも挨拶に行った。と言っても兄の阿呆な計画により社内には『私がすごくイイ男と付き合っている』という話は広がっていた。
あの日不参加だった社長に「広がっている噂についてのお話を」と時間をもらい、父にも同席してもらい、雄介さんとふたりで結婚を考えていると説明した。菊様から「私が専属としておそばにつくのは高校を卒業されるまで」と言われていること、卒業式までお仕えして退職したいことを伝えた。
「一年待たせることになるが、いいのかい?」社長はそう聞いてくれた。
「構いません」「礼香さんにとってこの仕事は誇りだと承知しております」「菊様にそこまで望んでいただける礼香さんが素晴らしい方だと誇らしく思いこそすれ、菊様にも、こちらの皆様にも思うところはございません」
きっぱりと言ってくれる雄介さんにまた惚れ直した。何度私を堕とせば気が済むのこのひとは!
社長も「事前に言ってくれたら助かるよ」と一年後の退職を認めてくれた。
今は私と白露さんが交代で菊様の護衛を務めているけれど、私が退職したあとは白露さんひとりになる予定。菊様も白露さんも先日の面談で「それでいい」と言っておられた。
「そのあたりはまた菊様と安倍家と話し合ってみる」と社長が請け負ってくれた。
すぐに失礼するつもりだったのに「ちょっと身体を動かしていきなさい」と父が雄介さんを引っ張っていき、早番だった兄に見つかってつかまり、結局夕食の時間になって実家に連行され、夕ごはんをいただきながら色々話をして、夜遅くにようやく解放された。
「家族の一員として受け入れてもらえて、うれしい」そうやさしく笑う雄介さんに、ああ好きだとまた惚れ直した。もう何度目になるかわからない。『好き』に際限はないと知った。
◇ ◇ ◇
両家が結婚に賛成してくれて少しした二月末。デートして菊様を送り届けられた弘明さんから申し出があった。
「ご当主様と後継者様にお話したいことが」
『お祖父様とお義父様』でなく『ご当主様と後継者様』と指定されたことですぐに『ただごとではない』と判断されたご当主様と若旦那様。すぐに別室へと向かわれた。そうして弘明さんと三人でお話された結果、改めて話し合いの席が設けられた。
出席するのはご当主様、若旦那様、若旦那様の護衛のひとりである兄、護衛が所属する警備会社の社長、第一線は退いて警備会社で後進指導に当たっている父、そして菊様と私。弘明さんからの指示。安倍家からは弘明さんと晴臣様、白露さん。明らかに菊様関係だと、菊様になにか危険が訪れるのかと心配しておられた皆様だったけれど「菊様の専属護衛である立花礼香さんの婚姻について」と言われポカンとしておられた。
そりゃそうよね。安倍家の主座様直属の側近の方が当主を指名して、同伴する側近を指定して「内密のお話」とした内容が、専属とはいえ一護衛の結婚話なんて。
けれど話が進むにつれ皆様の顔色が悪くなっていった。
「立花礼香さんと結婚を前提にお付き合いしている男は、当家の者です」
「坂本雄介。代々安倍家に仕えてくれております家の長男で、現在後方支援部隊のまとめ役のひとりです」
「わかりやすく申し上げれば『安倍家の能力者』です」
「立花さん――この場に立花さんが複数おられるので、今だけ『礼香さん』とお呼びしてもよろしいですか? ――ありがとうございます。
礼香さんと当家の坂本が出逢ったのは、この弘明と菊様が縁です」
「また当家から菊様の護衛として派遣しておりますこちらの白露がふたりの間を取り持ち、お付き合いとなりました」
「菊様が高校を卒業されるときに礼香さんの専属が解かれるとうかがっております。それと同時に退職、結婚後は安倍家の本拠地である北山に居を構えることをふたりが希望しております」
「つまり」
「神代家は安倍家に対して二本のパイプを持つということ。――この意味がわからない皆様ではないと、思っております」
「下手にこの話を広めると、神代家内部からも他家からも当家の独身者が狙われることになります。ですので、坂本が当家の関係者であることはこの場にご同席いただいた方のみご承知おきいただき、奥様方にもお身内にも内密に願います」
「察しておられる方もあると報告は受けておりますが、まあ明言したり利用しようとしなければ基本放置で構いません」
「ただ、念の為に後ほど『制約』をかけさせてください」
「『うっかり口にしない術』くらいにとらえていただけたら」
「色々と申しましたが―――『菊様が当家に嫁いで来られるとき神代家の方がおそばにつく』『それを当家は了承している』とお知りおきくださいませ」
それから機密保持の話や今後の菊様の護衛スケジュールなんかの話をして、白露さんがご当主様以下皆様になんかして、安倍家の皆様は退出された。
父と兄は「すごい男と縁ができた」「タダモノじゃないと思ってた」と興奮し、ご当主様と若旦那様からは「そこまでして菊に付き従ってくれるとは」と感謝され、社長からは「護衛の鑑」と褒められた。
いやそんなんじゃないんですけど。たまたま好きになったひとがすごかっただけで、たまたまあちこちに都合がよかっただけなんですけど。
そう思いながらも微笑を浮かべて頭を下げておいた。
両家の顔合わせもして、それぞれの職場に報告もし、主家にも報告し、私達の結婚を前提としたお付き合いはあちこちから認められた。
けれど「菊様が卒業されるまではナイショにしておいてください」と晴臣様から指示があった。
「『専属護衛がお付き合いしている』という情報は『護衛に緩みができる』と判断されます。そうなった場合、菊様を狙おうと考えるモノが出ないとは言い切れません」
「たとえ式神を四体つけているとはいえ、リスクは避けるべきです」
晴臣様のお言葉はもっともだ。思慮深い方は目の付け所が違う。
というわけで、私が『結婚を前提としたお付き合いをしている』ことはご当主様権限でナイショにしておくことが厳命された。まだウチの家族と会社関係者しか広がってなかったから比較的制御ができた。護衛はよそで無駄話しないよう命令されているから本社にも御親戚方にもまだ伝わっていない。
菊様が卒業されるまであと一年。無事に過ぎることを祈るばかりだ。
◇ ◇ ◇
バレンタインは初めて『名』を交わしたあの公園でチョコを渡した。あの日と同じようにベンチに隣り合わせで座って話をした。
昨年のバレンタインはまだ顔見知り程度だったのに一年経ったら婚約者になっているのが不思議だったけどしあわせだった。
「もっと早く出逢えてたらよかったのに」
つい不満を口にした。
「そしたら何度だってあなたにチョコを渡せたのに」
子供みたいなことを言う私を、彼はとてもやさしい顔で見つめてくれる。
「物事には『ふさわしい時』があるんだって」
私をなだめるように彼がやさしく言葉をつむぐ。
「早くてもいけない。遅くてもいけない。出逢うべきときに出逢うんだって」
「おれとあなたも、出逢ったのがあのときだったから惹かれたんだと思う」
「もう少し早い時期だったらおれ、忙しすぎて女性に反応しなかった」
「それは、私も」
私も白露さんが護衛に入ってくれてないときは年中ピリピリしてて私生活なんて考えられなかった。
同意する私に「でしょ?」と彼は目を細めた。
「もっと若い時だったら、おれ、まだ青二才だったから、とてもあなたに好きになってもらえなかった」
「そうかしら。若い時のあなたも素敵だったと思うけど」
そう言ったけど「そんなことないよ」「とても見せられない」と彼は笑って両手で顔を隠した。
けどすぐに顔を出して「あなたはかわいかっただろうけど」なんて言う。「それこそそんなことないわ」と反論したけれど「今度アルバム見せてね」と約束させられた。
「もっと遅く――たとえば今の年齢とかに出逢ってたら、きっとおれ、萎縮して近寄ることもできなかった」
「今のあなた、すごくすごく綺麗だから」
「対しておれは普通のオジサンだから」
「ハハ」と嗤う彼に「そんなことない!」と思わず怒鳴った。
「あなたは素敵なひとよ! 少なくとも、私には世界一だわ!」
まっすぐにその目を見つめて断言した。彼は目をまんまるにしていたけれど、じわりと頬を染め、柔らかく目を細めた。
真っ赤になった顔いっぱいに幸福を乗せた雄介さん。あんまりにもうれしそうでしあわせそうで、かわいくて胸がいっぱいになった。
そっと身体を寄せた。視線がからまる。熱のこもった目に身体の内側が熱くなった。
いつの間にか隣合った手が重なっていた。あの初めて『名』を交わした日、クリスマスに指輪をはめてくれたとき、そして今。手を重ねたのは三度目ね。頭の隅でそんなことを考えていたら、彼が私の手を握ってくれた。やさしく。ゆっくりと。
驚いた。それでも彼の目から目を離せない。ただじっと見つめ合っていた。
どちらからともなく顔を寄せた。
吸い寄せられたのか、自然と唇が重なった。
数秒重なるだけの口付け。正真正銘、ファーストキス。
自然に瞼を閉じていた。彼の感触にどこかがしびれた。
ゆっくりと離れ、瞼を開いた。
彼の瞼が開いていくのを見つめた。
真っ赤な顔の中、膜が張った瞳があった。
とろけるような熱い視線が私をとらえた。
「―――あの日あのとき、出逢えたのがあなたで、よかった―――」
感動がこぼれたような吐息まじりの言葉に、またしても―――堕ちた。
◇ ◇ ◇
ホワイトデーに彼が用意してくれたのは、白い薔薇の花束と宝石のついた指輪だった。
初めて『名』を交わした、初めて手をつないで初めてキスした公園でプロポーズしてくれた。
「立花礼香さん。あなたが好きです」
「おれと結婚してください」
「喜んで」
答えた私を抱き締め、二度目の口付けを交わした。薔薇の花束はちゃんと手に持っていた。
指輪は前回と同じく「雄介さんの霊力から作られたもの」だそう。
え。霊力で宝石まで作れるの?
「作れるひとは作れるらしいけど、おれは無理だった」
「ゴメンね?」と謝ってくれるけど、じゃあこの宝石は?
「宝石だけ別で買って取り付けた」
「は?」
前回もお願いした呪具師の方に、霊力を指輪にするご指導をいただいた。
ウェディング雑誌を側に置き、いくつかの写真を見本に指輪をコネコネして私のイメージで土台を作り、別で購入したダイヤモンドを取り付けた。
「おれ、霊力操作かなりレベルアップしたよ」
笑う彼に、どれだけがんばってくれたのか、察した。
「素敵な指輪を、ありがとう」
「つけて」とおねだりすれば彼はすぐに左手を取ってくれた。節くれ立った指も関係なく薬指に収まった指輪。あまりの綺麗さに見惚れた。
「結婚式でもつけたいな」
ポロリとこぼれた本音に、彼は真っ赤になりながらも喜んでくれた。
◇ ◇ ◇
『出逢って一年記念』『初めてのバレンタイン』『初めてのホワイトデー』忙しい中でふたりの記念日を重ねていった。
家族にお付き合いを報告し、お互いの家族にご挨拶をし、両家の顔合わせをし、職場へご挨拶をした。そして神代家に安倍家から説明があった。
忙しい中でもひとつひとつ積み重ね、私達は順調に『結婚を前提としたお付き合い』を重ねていた。
そうしてあっという間に桜の季節になった。
菊様は高校三年生になられた。
あと一年。
あと一年でこの仕事から卒業する。
◇ ◇ ◇
菊様を学校に送り届けたらお迎えまで時間がある。その時間に訓練をしたり事務仕事をしたりするんだけど、時には人員の足りない警備に配置されることもある。
そうして親しくなった女性達に四月のある日、食堂で声をかけられた。
護衛職の制服である黒のパンツスーツを着た、短髪で顔立ちにやさしさのかけらもない端的に言えば男性的な外見の私は、一部女性社員から『男装の麗人』扱いされている。ただの女らしさがないゴツいゴリラなだけなのに、良く言ってもらって逆に申し訳ない。
そのせいか、よく女性社員が本社でのランチに同席してくれる。菊様専属の私が知らなかった本社の知っておくべき話を教えてくれるのでとても助かっている。
今回誘ってくれたのは受付の女性ふたり。二十代後半の荒川さんと二十代前半の三枝さん。「今夜は合コンだ」と気合いを入れるのを「がんばって」と応援した。
「立花さんて彼氏いるんですか?」
「秘密」
しれっと答えたのだけれど、彼女達はカッと目の色を変えた。
ナイショ話の距離に近づき、ヒソヒソと問いかけてくる。
「え!? いつから!?」
なんで彼氏がいるとバレたんだろう。本社のひとは頭がいいひとばかりだから脳筋には理解できないことも理解できるんだろう。恐ろしい。
「秘密」と繰り返したけど彼女達は諦めない。
「どんなひとです!? 年齢は? 年収は!? お勤め先は!?」
「背の高さは!? 顔は!? ファッションセンスは!?」
見事にそれぞれの重要ポイントが出た質問に「秘密だってば」と笑う。
「それで最近立花さん綺麗になったんですね!」
突然そんなことを言われ「は?」と間抜けに聞き返す私と違い、彼女達は納得したと言わんばかりにうなずいている。
「雰囲気もやわらかくなったし」
「笑顔が増えましたよね」
「肌艶も良くて」
「キラキラしてますよね! そっかー。『しあわせオーラ』だったんですねー」
「え。待って待って待って」
あわてて彼女達に顔を寄せる。
「私、そんな?」問えば「そんなですよ」と断言された。
「え。ヤダ」思わず言っていた。
「護衛失格じゃない」
「護衛についておられるときはキリッとしておられますよ。大丈夫です」
「でもキリッとした中に女の色気が出てきてない?」
「あ! わかります!」
「おんなのいろけ」
やっぱり頭のいいひとの言うことはわからない。わからないけれど一応言い訳はしておこう。
「そんなんじゃないわよ。菊様のパーティーや会合への出席が減って休日が確保できるようになったのと、そのおかげで自炊するようになったのと、頼もしい護衛が増えてストレスが減ったからよ」
そうして話の勢いでかつての勤務状況と生活を話したら「とんだブラックじゃないですか」と引かれた。
「そのぶんボーナスはずんでもらったから」と言ったけど「そういう問題じゃない」と怒られた。
「女盛りの二十代をなんだと思ってるんですかね!」
「護衛に男も女もないわよ」
「そうは言っても!」
「私はいいから。みんなは『女盛りの二十代』なんだから楽しんでね」
どこに行くのか、どんな服か、そんな話をしているうちに私の話はどこかに行った。ホッと胸を撫で下ろした。
◇ ◇ ◇
菊様と弘明さんのお付き合いも順調。
弘明さんは無事大学に合格し、四月から大学生になった。
昨年から安倍家のお仕事も増えていることに加えて新生活が始まって、なかなか大変そう。それでも時間をやりくりして神代家の皆様と交流したり菊様とお出かけしたりしておられる。
菊様は相変わらず陶芸に夢中。毎週の『目黒』の陶芸教室は欠かさず通っておられる。推薦入学をを狙ってデッサン練習にも力が入っておられる。おかげでまたお稽古が減り、今では週に一回の茶道のみになった。
それはつまり護衛の仕事が減ったということ。
雄介さんとの会話は結婚に向けてのものがほとんどになった。結婚式について。新居について。
調べること、決めることは山ほどあった。護衛の仕事が減った分できた時間でウェディング雑誌やネットを読みまくった。
彼と休みを合わせて片っ端からブライダルフェアに行った。雄介さんのお知り合いが模擬挙式のモデルさんをしておられると聞き、予定を合わせて参加した。
模擬挙式のモデルさんは、初めて『目黒』の大作業に参加させていただいたときにご挨拶しておられたおふたりだった。クリスマス前にアドバイスしてくれた『既婚男性』が旦那様、指輪作りに協力してくださった『呪具師』が奥様と聞いて改めてご挨拶させていただいた。ブライダルフェアでは指にはめている私の指輪におふたりとも喜んでくださった。
おふたりが新郎新婦として行われる模擬挙式に何度も参加させてもらった。毎回素晴らしかった。ていうか、あれ、『模擬』じゃないですよね? 毎回本気で結婚式してますよねおふたり。ラブラブな空気がすごいんですが。毎回会場中が『しあわせオーラ』であふれてますが。おふたりがモデルしたら成約率が高いと聞きましたが、納得です。
けれどいろんな模擬挙式を見せていただいたおかげで好みもわかってきた。和装、洋装。キリスト教式、神前式、人前式。ホテルのチャペル、神社、庭園。どれも素敵だった。披露宴までやった模擬挙式もあってすごく参考になった。
挙式形態を決めて。式場を決めて。衣装を決めて。日時を決めて。招待客を決めて。料理を決めて。
決めることたくさん。やることたくさん。
『結婚は一年後』としたのは正解だった。
新居は雄介さんが設計してくれることになった。「これが本職だからね!」と張り切る彼が頼もしくもありかわいくもあった。
どんな家にしたいか、あちこちの住宅展示場を見学した。家ごとにコンセプトが違って、設備も違って、正直わけがわからなくなった。
「これ素敵」「これ便利そう」そんな私のつぶやきを雄介さんが几帳面にメモしてまとめてくれた。
家を建てる土地についてのあれこれの手続きは晴臣様がしてくださった。将来菊様と弘明さんの新居を建てる予定の場所と程よい距離。「ここなら昔からの住人とはある程度の距離があるから、そこまでうるさくないと思う」色々ご配慮くださってこの土地を提案してくださったんだとわかって、ありがたくて頭を下げた。
周囲の祝福と理解をもらい。
大切なひとが隣にいて。
忙しくもしあわせで充実した日々を私は送っていた。