第四十五話 告白
すう、と意識が覚醒した。
ゆっくりと身体に霊力を巡らせる。いつもの習慣。
霊力が問題なく流れることを確認して、ゆっくりと瞼を開けた。
――竹さんが、いた。
心配そうに俺の顔をのぞきこんでいた。
目が合うと、ホッとしたようにこわばっていた顔がゆるんだ。
そして、ふんわりと微笑んだ。
やさしい微笑み。俺の好きな。
「――おはようございます」
やさしい声。おだやかな話し方。俺の好きな。
「具合は、どうですか?」
ああ、心配かけてる。心配させたくなんかないのに。
「――もう、大丈夫、です」
かろうじて答える。
「よかった」と微笑む彼女。
つられて笑みが浮かぶ。
「――竹さんの、おかげ、です」
「ありがとうございました」
そう言ったけど、彼女はかなしそうに眉を下げ、ふるふると首を振った。
「私がもっと早く気付いていれば、貴方があんな怪我をすることはなかった」
「ごめんなさい」とまた謝る彼女に、かなしくなった。
なんとか半身を起こして、座る彼女と視線を合わせる。
「貴女が来てくれたから俺は助かったんです。
ハルも言っていました。貴女の霊玉があったから俺はもちこたえられたと。
だから、貴女はもっとえらそうにしてください」
「えらそうに?」
キョトンとするのかわいい。
勝手にでれっとなる顔をそのままに「そうです」と答える。
「『私のおかげで助かっただろう! 感謝しろ!』って、ふんぞり返ったらいいんです」
俺は本気でそう言ったのに、彼女は冗談だと思ったらしい。
「もう」と叱るように言ってクスクス笑った。
ああ。やっぱり彼女は笑ってるほうがいい。
かなしい顔なんてさせたくない。
そっと左手を差し出すと、彼女はすぐに両手で俺の手を取ってくれた。
ぎゅ、と握り込まれるだけで霊力がじんわりと染み込んでくるような気がする。
きっとこうやってずっと霊力を流してくれてたんだ。
ありがたくてうれしくて、彼女の手を右手で包んだ。
「ありがとうございます」
彼女はふるふると首を振り、微笑んだ。
「お元気になられたなら、よかったです」
やさしい微笑み。おだやかな言葉。
好き。
好きだ。
彼女のそばにいたい。
ずっとこの笑顔を見ていたい。
守りたい。支えたい。そばにいたい。
でも。
でも。
俺がそばにいては、彼女の負担になる。
俺は、彼女を苦しめることしかできない。
俺は、彼女を
諦めないと、いけない
彼女の『しあわせ』のために。
これ以上彼女に背負わせないために。
ぎゅ。握る手に力が入った。
離したくない。そばにいたい。
でも俺のせいで苦しめることはしたくない。
どうしたらいいんだろう。
どうするのが正解なんだろう。
「――トモさん」
やさしい声に名を呼ばれ、途端にしあわせな気持ちになる。
ただ名を呼ばれただけなのに。
彼女が呼んでくれるだけで、特別な宝物のように響く。
「――はい」
かろうじて返事をすると、彼女は困ったように笑って顔を伏せた。
「私、貴方に近づきすぎちゃったみたいです」
意味がわからなくて黙っていると、彼女はパッと顔を上げた。
「私『災厄を招く娘』って言われてるんです」
わざと明るく、それでも困ったように彼女は言った。
「私が近くに寄ったひとは、災難に巻き込まれることが多いんです」
「きっとだから、トモさんも巻き込まれちゃったんです」
「悪いのは、私なんです」
微笑みを浮かべたまま、彼女は言う。
あまりの言葉に呆然としてただ彼女をじっとみつめていたら、彼女は目を伏せてまた言葉を落とした。
「私が悪いんです」
「違う」
ハッとしてすぐに否定したけど彼女は顔を上げてにっこりと微笑むだけだった。
そっと俺の手を離そうとしたのがわかった。
だからあわてて左手の位置を変え、彼女の両手を俺の両手で握りこんだ。
逃がさないように。離さないように。
彼女は困ったように俺を見上げた。
「違うよ。貴女のせいじゃない。たまたまだ。たまたま俺があそこを通りかかったから」
「その『たまたま』が、私のせいっていうことなんです」
「違う!」
強い否定にも彼女は微笑むだけだった。
「違う。貴女は悪くない。貴女は『災厄を招く娘』なんかじゃない」
そう言っても彼女は笑みを浮かべたまま首を横に振るだけ。
そんな彼女に俺も首を振った。
「貴女のそばはとてもあたたかいんだ」
ぽろりと、言うつもりのなかった言葉がこぼれた。
「貴女の声はとてもおだやかで、貴女の言葉はいつもやさしい。
貴女が笑うだけで俺の世界が明るくなる。
貴女は俺をしあわせにしてくれるひとだ。
決して『災厄を招く娘』なんかじゃない!」
彼女はちょっと驚いたように目を大きくしたけれど、すぐにくしゃりと泣きそうな顔になった。
「――ありがとうございます」
信じていないのが丸わかりの返事。
「ホントだよ」言い募ったけれど、彼女は俺が慰めでそんなことを言っていると信じて疑いもしない。くそう。頑固者め!
「貴女は俺にとって特別なひとなんだ。
貴女のそばにいるだけで俺は『しあわせ』なんだ。
そばにいたい。そばにいたいんだ」
必死で、つい本音がダダ漏れに漏れたけれど、彼女はやっぱり信じていない。
困ったような微笑みでただ首を振った。
「私がそばにいては貴方が不幸になります」
「違う。そんなことない」
首を振って必死に言っても彼女は聞かない。
ただ微笑んで「――だから」と俺の目をまっすぐに見た。
「お別れです」
きっぱりと、彼女が言った。
「今まで、ありがとうございました」
ああ。彼女は決めてしまった。
俺と別れることを。
「いやだ」
感情が脳味噌を通らず口から出る。
いやだ。いやだいやだ。
別れたくない。離れたくない。そばにいたい!
必死で首を振る俺に困ったように微笑んで、彼女はやさしい声で言葉をつむいだ。
「やさしくしてくださって、親切にしてくださって、ありがとうございました。
私もトモさんのそばはあたたかくて、つい、居すぎてしまいました。ごめんなさい」
「『ごめん』じゃないよ」
声が震えるのを必死でおさえ、俺も彼女に言葉をつむぐ。
「俺が貴女にそばにいてほしいんだ。
貴女のそばにいたいんだ!
だから、そんなこと言わないで!」
「ごめんなさい」
「違う」
違う。謝らせたいんじゃない。そんな言葉が欲しいんじゃない。
なんでわかってくれないんだ!?
なんで伝わらないんだ!?
――くやしい。
くやしい。
弱い自分も。
わからず屋の彼女も。
この気持ちをうまく伝えられない自分も。
何の権利もない自分も。
くやしい。くやしいくやしいくやしい!
彼女が困ったように微笑む。
また俺の手から逃げようとしたのがわかったから、ぎゅうぅっ! と強く握った。
何を言えばいい?
何を言えばこのひとはわかってくれる?
何を言えばこのひとは俺のそばにいてくれる!?
考えろ。考えろ考えろ考えろ!
このひとをひとりにさせたくない。
『災厄を招く娘』なんて勘違いをさせたままにしてはいけない!
そばにいたい。離したくない。
好きだから。
このひとが好きだから。
「――好きです」
ポロリ。
言うつもりのなかった言葉がこぼれた。
「貴女が、好きです」
手を握って、まっすぐに彼女の目を見て、告げた。
彼女はびっくりしたようにちょっと目を大きくしたけれど、すぐにやさしく微笑んだ。
「ありがとうございます」
――駄目だ! 伝わらない!
なんでだよ!? なんで伝わらないんだよ!!
「本当なんだ」
「本当に俺、貴女が好きなんだ。
ひとりの男として、貴女が好きなんだ」
どれだけ言っても彼女はわかってくれない。
俺が同情や親切心でそんなことを言い出したと思っている!
「好きなんだ」
「そばにいたい。守りたい。貴女を支えたい」
ぎゅうぅ。
握る手に力が込もる。
必死に彼女に訴える。
伝わって。どうか、伝わって!
なのに、彼女は微笑んだままふるふると首を振った。
「――私がそばにいては、貴方が不幸になります」
「そんなことない」
すぐさま否定する俺に彼女は困ったように微笑む。
「貴女がそばにいてくれるだけでしあわせなんだ。
なにもいらない。貴女だけいればいい。
貴女が、好きなんだ」
「私は、貴方に災いしか招きません」
「そんなことない!」
ぎゅっと握る手に力が入る。
大きく首を振って、必死で彼女を見つめる。
伝わって! わかって!
「貴方がいてくれるだけでしあわせなんだ! 災厄なんて関係ない! そんなもの、俺が跳ねのけてやる!」
「無理ですよ」
ピシャリ。
冷水をかけられたように、一気に冷えた。
「貴方には、無理です」
かなしそうに、苦しそうに、微笑む彼女。
「貴方だけじゃない。
この世の誰も、私が招く災厄を跳ねのけるなんてこと、できない」
「だから国が滅びた。だから世界が滅びた」
「ちがう」
「ちがわないんです」
にっこりと笑って、彼女はそっと俺の手から逃れようとした。
それがわかったから逃さないようにさらに握り込んだ。
離さない。離したくない。
そんな思いでぎゅうぅっ! と彼女の両手を握った。
彼女は困ったように、ぐい、と手を引いた。
でも逃さない。逃したくない。
「……トモさん」
「離さない」
「駄目です」
「行かないで」
困ったように俺を見上げていた彼女は、もっと困った顔になって目を伏せた。
こんなこと言うつもりなかった。
恥ずかしくて照れくさくて言葉にすることもできなかった。
でも、彼女が逃げると思ったら、とにかく必死で、次から次へと言葉が出てきた。
「貴女は俺にしあわせをくれるひとです。
俺の唯一。俺の『半身』。
貴女がそばにいてくれるなら、他に何もいらない。
貴女のそばにいたい。守りたい。支えたい。すべての災厄から、貴女を守りたい」
「貴女自身から、貴女を守りたい」
生真面目で。頑固で。そのくせ甘っちょろくて世間知らずでお人よしで。
思い込んだらずっとその考えにとらわれてて。
罪も責務も背負い込んで。
苦しいのに無理してがんばって。
自分で自分を追い込んで。無理ばっかりして。誰にも甘えることなく自分に厳しくして。
そんな貴女が、好きなんだ。
そんな貴女から、貴女を守りたいんだ。
そんな貴女と、共に在りたいんだ。
「――好きです」
「貴女が、好きです」
想いを込めて、もう一度、告げた。
彼女は顔を伏せたまま、静かに目を閉じた。
握った手がちいさく震えていた。
この手から俺のこの想いが注げたらいいのに。
俺の中身全部このひとにさらけだせたらいいのに。
そしたらきっと信じてくれるのに。
きっとわかってくれるのに。
俺が本気で貴女が好きだということが。
貴女のそばにいるだけでどれだけ俺が『しあわせ』なのかが。
伝わってほしい。
そんな願いを込めて、両手でぎゅうっと彼女の手を握った。
彼女は、ゆっくりと、頭を上げた。
しずかな微笑みを浮かべていた。
その顔を見ただけで、わかってしまった。
ああ。駄目だ。
伝わらなかった。
「――ありがとうございます」
やさしい声。俺の好きな。
やさしい目。俺の好きな。
「でも、駄目です」
しずかな、しずかな声。
それなのに、その一言は俺のココロを傷つけた。
「私のそばにいたら貴方が傷つく。貴方が不幸になる」
「そんなことない!」
そんなことない! 貴女がいてくれるだけで『しあわせ』なんだ!
なんでわかってくれないんだ! なんで伝わらないんだ!
情けなく首を振ることしかできない。
彼女を論破する言葉ひとつ出てこない。
彼女にこの想いを伝えるすべひとつ思いつかない。
ただ聞き分けのないガキのように、手をつかんで震えることしかできない。
そんな情けない俺に、彼女はやさしい微笑みをくれた。
「もう会いません」
ザクリ。
ココロを、斬られた。
「もう会えなくても。もうそばにいられなくても。
貴方がしあわせなら、それだけで私もしあわせです」
「しあわせに、なってください」
「さようなら」
スルリと。
彼女の手が抜けた。
握っていたはずなのに。
離さないつもりだったのに。
なんで?
どこに行くの?
なんでそばにいたら駄目なの?
どうして俺から離れるの?
どうして、そばにいられないの?
誰かがぎゅうっと抱き締めてくれている。
頭を、背中をなでてくれている。
でもこれは彼女じゃない。
彼女は、どこに行ったの?
俺が弱いから?
俺がいたら彼女の邪魔になるから?
だから、彼女はひとりになるの?
誰かが顔を拭いてくれた気がする。
横にされて、目を覆われた。
ドロリと昏い沼に沈むような感覚がして、そのまま堕ちていった。