【番外編8】立花礼香と巡り来た春 4
夏が過ぎ秋が過ぎ冬が来た。
あれよあれよと菊様は冬休みに入られた。
冬休みは年末年始でなにかと忙しい。菊様もあちらの会こちらのパーティーとお出かけする機会が増え、私と白露さんの二人体制で護衛をした。
クリスマスはイブの数時間をどうにか確保し、弘明さんとデートされた。おふたりでイルミネーションに飾られた植物園をお散歩されるだけの健全デートだったけれど、手をつないで歩く菊様はどこかチカラが抜けていてうれしそうだった。後ろをついて歩く私と白露さんは完全に忘れ去られていた。それだけふたりが青春しているということ。「よかったよかった」と白露さんと喜び合った。
夏に婚約を結んだときには政略っぽさが強かったおふたりだったけれど、少しずつ時間を重ね、冬の今はお互い惹かれ合っているのがわかるようになってきた。
これまで菊様は『良家のお嬢様』としてがんばっていらした。いつでも理想的なお嬢様として微笑みを絶やさず、完璧な行動をしてこられた。その菊様が最近では弘明さんのそばにいるときは表情がやわらかくなられた。
一般的な青春という意味でも、恋愛的な意味でも、菊様にようやく『春』が巡り来たのだと、弘明さんが『春』を届けてくれたんだと、そんなふうに考えるようになった。
あるとき白露さんとの話でそんな考えを明かしたら「ホントね」と白露さんは目を潤ませた。
「きっとヒロが姫にとっての『春』なんだわ」「ようやく巡り逢えた『春』」「ヒロのおかげで姫はようやく『ひとりの女の子』になれたのね」
まるで何年も何十年も見守ってきたかのような言い方にちょっと引っかかった気がするけれど、この数か月で白露さんの人柄の良さは実感してたから『白露さん、いいひとだなあ』とただ感動した。
「これからもふたりで姫を見守っていきましょう」と激を入れられ、ふたりで気合を入れた。
イブのお散歩デート以外にもいくつかの集まりで菊様を弘明さんにエスコートしてもらった。婚約者のお披露目も兼ねていたからエスコートは当然とはいえ、弘明さんの見事な王子様っぷりには護衛の出る幕がありません。
なんでしょうあの方。本当にどこかの国の王子様なんじゃないでしょうか。完璧すぎる人あしらい。菊様を立てる細かい配慮。これまで晴明様の影に隠れていたのが嘘のように表舞台で堂々としておられる。周囲の見る目が変わっていくのがおもしろいくらい。神代家のご家族の皆様も弘明さんに信頼を寄せるようになってこられた。
弘明さんのエスコートのない集まりも多かった。お稽古の関係、親類関係の集まりなどは弘明さんは出席できない。大晦日と三が日は神代家に伝わる神事を執り行い、ご挨拶を受けご挨拶回りに出向き、例年どおりの忙しさに追われた。けれど今年は白露さんが一緒なので随分気持ちが楽だった。
私は『非能力者』なので、対人物理での襲撃にしか対応できない。万が一『能力者』からの襲撃を受けたら、万が一『ヒトならざるモノ』に出くわしたら、私はこの身を盾にする以外に対処法がなかった。それでも菊様をお守りできる保証はない。毎日毎日危機感を持って護衛業務に携わってきた。
けれど『能力者』である白露さんが一緒ならばその不安も心配も払拭される。目に見えない護衛も四体ついている。『見えない襲撃者』に対して心配しなくてもいいだけで随分とココロが軽くなった。
とはいえ油断は禁物。毎日緊張感を持って護衛に当たっていた。
これまでに明確な襲撃は一度もない。それでもこれからもないとは限らない。年末年始はひとが入り乱れる。危険が増える。菊様が安倍家と縁付くことが公開されて最初の年末年始。なにが起こるかわからない。
幸い何事もなく年末年始が終わり、学校が始まった。
ようやく戻った日常にホッとしていたある日。
弘明さんからの申し出を白露さんが持ってきた。
◇ ◇ ◇
「初詣デートしませんか」
そのお誘いに、菊様は振袖でお迎えを待っていらした。
時間通りにお迎えにこられた弘明さんはご当主様をはじめご家族にご挨拶をされ親交を深められ、ようやくおでかけとなった。
神代家の運転手の運転で有名神社へ。いつものように弘明さんが菊様をエスコートし、護衛の私と白露さんのふたりがすぐ後ろをついていく。穏やかなおふたりをほほえましく見守っていた。
参拝を終え車に戻ろうとしたそのとき。
「あ」
つんのめった菊様をすぐさま弘明さんが支える!
「! 菊様!」すぐに駆け寄り菊様を背にかばう。周辺警戒。特になにもなさそうだけど油断しない。
「菊様。お怪我は」背にかばったまま問えば「問題ないわ」と返ってきた。
「鼻緒が切れただけよ」
そのお言葉に菊様のお足元に目を向けると、おっしゃる通り右の草履の鼻緒が切れていた。
「いけませんね」「差し当たり隅に移動しましょう」
弘明さんが菊様をお姫様抱っこされる。白露さんが草履を回収した。私は周辺警戒をしながら弘明さんに抱かれた菊様を護衛する。
「どうしましょうかねえ。草履屋さんに寄る?」
「鼻緒だけでしたらハンカチで応急処置できませんかね」
「やってみましょうか」
隅に落ち着いた弘明さんと白露さんが話をしていたそのとき。
「ヒロさん?」
男性が声をかけてきた。咄嗟に警戒態勢を取り菊様の前に立つ。
中肉中背、ごく普通の男性に見える。私より少し年上――三十代中頃? ちょっとボサボサの髪、作業着の胸に『坂本工務店』とある。ハンサムではないけれど親しみを持てる顔。誠実そうな、綺麗な目だとふと感じた。それでも警戒は解かない。ギッとにらみつけたまま一挙手一投足を注視する。
「坂本さん! ちょうどよかった!」
ぱっと喜色を浮かべる弘明さん。坂本と呼ばれた男性は弘明さんの腕の中の菊様に気付くと何故がギョッとしてバッと片膝をついた。拳にした手も地面につけた、簡易の平伏。
「お目にかかれて光栄です!」
―――ということは、この方安倍家の方かしら。弘明さんの立場と婚約しておられるということをご存知の方ということ? 抱き上げておられる菊様を婚約者と察してご挨拶くださったということかしら。
考えていたら男性は突然ビクリと肩をはねさせた。なんか葛藤しているのが手に取るようにわかる。
「坂本さん。ちょっと手助けしてほしいんです」
弘明さんに声をかけられ、ためらいがちに顔を上げた男性。
「実は鼻緒が切れちゃって」
白露さんが「これ」と差し出した草履に男性は「ああ」と肩の力を抜いた。
「応急処置でよかったらすぐ直せますよ」
「わあ! よかった! お願いします!」
そう言って弘明さんは男性を紹介してくれた。
「菊様。立花さん。こちら、安倍家で後方支援を担当してくれている坂本さん。坂本雄介さん。普段はこの近くの工務店で働いてて、実働部隊のやらかしの後始末をしてくれてるんです」
「坂本です」男性は私に向けペコリと会釈してくれる。
つまり? 問題ないひと? 警戒対象でない?
「坂本さん。こちら、ぼくの婚約者の菊様と、菊様の専属護衛の立花さん。立花礼香さん。菊様が三歳のときからずっとお守りくださってる方です」
紹介されたので警戒を解き「立花と申します」とご挨拶。
「じゃあぼく、あそこのベンチで菊様と待ってていいですか? ずっとこれじゃあ菊様にご負担でしょうから」
それもそうだ。坂本さんも「はい」と了承される。
「じゃあ私、自販機でなにか買ってくるわ! レーカ、草履受け取ってくれる?」
「え」「じゃあ坂本! お願いね!」
私が口を開くより早く白露さんは自販機に向かって行った。弘明さんも「お願いします」と一言告げて菊様をすぐ近くのベンチへと運ばれた。
私菊様の護衛なんですけど。けれど白露さんと弘明さんに「草履を受け取れ」と命じられてはこの男性の仕事が終わるまで離れられない。仕方なく菊様は弘明さんにお任せして、私は男性のそばで応急処置が終わるのを待つことにした。
すごいですね弘明さん。片腕で菊様を支えておいてハンカチを取り出し、ベンチに広げてから降ろすなんて。細身に見えるけどかなり筋力ありますね。
草履のないお足元には取り出したタオルを敷き、菊様の振袖のお袖も整え、「寒いでしょう」と自分のコートを脱いで膝におかけする。完璧です。完璧紳士がここにいます。
「すごいですね弘明さん」思わず独り言をつぶやけば思いもかけず「すごいですよね」と返事が返ってきた。
振り返ると坂本さんが作業しながら笑っていた。
砂利の上にタオルを広げ、その上に菊様の草履が片方乗っていた。鼻緒の切れていないほう。丁寧なひとだと思った。
その坂本さんは砂利道とはいえ座り込んで、草履をいじっていた。タオルの上にいくつかの工具が並べてあった。
「………いつも工具を持ち歩いておられるんですか?」
なんとなく聞いてみたら「ええ」と答えが返ってきた。
「実働部隊の連中はいつどこでなにをやらかすかわかったもんじゃないので。簡単な修理くらいならできるように、常に携帯しています」
キュッと草履の裏を押し込み、切れてないほうの草履を手に取る。目の高さに持ち上げ草履の鼻緒の高さを比べ、片方を戻した。修理中の草履の鼻緒の部分を引っ張り微調整。強度確認もあるのかしら。再度両方の草履を持ち上げ確認する姿に、丁寧な仕事をするひとだなあと思った。「できました」と草履を並べて手渡される。「ありがとうございました」と受け取った。
手早く工具とタオルを片付けた坂本さん。「では」と会釈し、遠目に弘明さんと菊様へも会釈をした。
立ち去ろうとした坂本さんに「坂本ー!」と白露さんから声がかかった。
「これ! ご褒美! 好きなの選んで!」
向こうから駆けてきた白露さんはペットボトルや缶を何本も持っていた。弘明さんが一本一本受け取り菊様がお座りのベンチに並べられる。
「菊様。どれになさいますか?」
「これ」
「はい。どうぞ」
ペットボトルの蓋を開けてお渡しする完璧王子の横で「早くおいでー!」と白露さんが手招きする。
坂本さんはなにか葛藤していたけれど、諦めたらしい。トボトボとベンチに向かった。
私もあとをついていき、まず菊様に草履をお渡しした。
「いかがですか?」
「ん。大丈夫そう。ご苦労だったわね」
「とんでもございません」
菊様のねぎらいに坂本さんはまた片膝をついて頭を下げた。
「ホラホラ坂本! あったかいうちにどうぞ! レーカも!」
弘明さんからも「どうぞ」と勧められた坂本さん。「………では、お言葉に甘えて」と缶コーヒーを一本手に取った。
「ではこれにて」と立ち去ろうとする坂本さんを、またしても白露さんが引き止める。
「ここで会ったのもなにかの縁! ちょっとおしゃべりしていきなさいよ!」
「ですが」
「アラ。時間ない?」
「ない、ことは、ございません、が………」
チラリと菊様に目をやる坂本さん。ああ。デート中だから気を遣ってくださってるんですね。
「私のことは気にしなくていいわ」
菊様がにっこりと微笑まれる。高貴なお姫様の笑顔に坂本さんは葛藤をみせながらも口を閉じた。
「それより、時間が大丈夫なら聞かせて欲しいわ。安倍家の後方支援部隊ってどんな編成になってるの? あなたはどんな役割をしているの?」
嫁ぎ先となるお家の構成は気になりますよね。当事者から話を聞ける機会は稀でしょうから菊様が興味を持たれるのは納得です。が。
「よろしいでしょうか」
「なによ」
「ゆくゆくは嫁がれる方とはいえ、まだ他家の方に家門の内情をご説明するというのは、問題があるのではないかと……」
私の口添えに「それもそうね」と菊様もご納得され「余計なことを聞いたわね。悪かったわ」と謝罪された。
黙って頭を下げた坂本さん。ご立腹ではなさそう。よかった。
「じゃあこれ飲み終わったら出発しましょうか。坂本さん。ありがとうございました」
弘明さんがそう言ってくれて坂本さんはようやく解放された。
「んもう! ヒロったら! 坂本帰しちゃうなんて!」
プンプン怒る白露さんに「すみません」と弘明さんが笑いながら謝罪する。
「坂本達が普段どうしてるか聞きたかったのに」
「といいますと?」
弘明さんの問いかけに白露さんが答える。
「実働部隊の子達はわかるのよ。普段は林業とか農業とかしてて、決まった時間に訓練して、なんかあったら出動。林業とかのお給料に加えて安倍家からのお手当が毎月出てて、出動に応じて特別手当が出るんでしょ?」
「白露さん!」
ぎょっとしてあわてて止める。
「いけません! 家の内情を明かしては! しかもこんな往来で!」
「大丈夫よ。遮音結界展開してるから」
「しゃ…?」
「聞こえないようにしてあるってこと」
「―――それでもダメです! お嫁に入られる菊様はともかく、私が聞いていいお話ではありません!」
「まあまあまあまあ」
のんきな調子で弘明さんが割って入る。
「そんな『内情』というほど大した話じゃないですよ。ご安心ください」
「ですが」
「大丈夫です。聞かれてもいい、立花さんが世間話でもらしても大丈夫な話しかしませんから」
そう言われても……………承諾、できない。
「………せめて私のいない場でお話してください」
「アラ。興味ない?」
「私は護衛なので」
そう言ったのに菊様が「私は興味あるわ」「教えて」とおねだりしてしまわれた。
「じゃあ私、ちょっと席を外します」
「護衛が主を放ってどこに行くのよ」
「……………」
……………負けました。
菊様の後ろに立ち、大人しくお話をお伺いします。
「坂本さん達後方支援部隊にはいろんな部署があるんです。調理部門は本家で料理を担当してもらっています。物品管理部門も本家にいます。教育部門は本家の近くにあります。大雑把に言えば、本家の維持管理をしながら安倍家の全体も管理してるってかんじです」
「本家に付随する部門以外もいくつかあって――病院とかもそうですね。で、坂本さんが所属しているのは事後処理班のひとつ。実働部隊があちこち壊したときに修理におもむく、工務店です」
「基本的には安倍家関係の仕事が中心ですね。あそこ壊れたから修理しろとか、新しくこんな建物建てるから作れとか。なのでまあ、普通の工務店さんのお給料プラス安倍家からのお手当が少しあるくらいですかね」
「なんで後方支援部隊が工務店してるの? 他の一般の工務店にお願いするのじゃ駄目なの?」
「あんまり話を広げたらいけない場合が多々多々ありまして……」
困ったように笑って弘明さんは言葉を濁す。
「ちょっと女性にはオブラートに包んでもお伝えできないような現場とか、たまにありますんで」
………それは、マンガとかアニメでよくあるような、スプラッタな現場だったりしますか?
「なので安倍家からのお手当には口止め料の意味合いもありますね」
やっぱりスプラッタかも。いやホラーかも。
「瓦礫の撤去とかいろんなものの処理とか、資格のある会社でないとできないこともありますので」
「なので安倍家として色々企業経営をしているわけです」
なんとなく丸め込まれた感じもなくはないですが、ひとまず菊様はそれで納得された。
「今の男はどんな者なの?」
次にあの男性に興味がわかれたご様子。夏の顔合わせで集まった方々を除けば初めてお会いした安倍家の方ですものね。気になりますよね。
「さっきの坂本さんは今三十代前半――ええと、三十三歳だったはず。
ご両親もそのまたご両親もずっと安倍家に仕えてきた、いわゆる生え抜きです」
「けど霊力量が安倍家では『中の下』なことに加えて戦闘力も並で、最前線で戦う実働部隊には入れなかったそうです」
「それでも腐ることなく実直にがんばってくれたひとで、今は後方支援部隊のまとめ役のひとりです。オミさんもハルも信頼してます」
「そうなの」と相槌を打つ菊様。
「真面目ないい子よね」と白露さんも言葉を添える。
『後方支援部隊』とか『実働部隊』とか、なんとなくどんな部隊かわかるけど、それが安倍家においてどんな立場なのかはわからない。けれどなんとなく実働部隊のほうが上っぽい? でも、たとえ下の立場だとしても、主座様と主座様直属の側近の方からの信頼を勝ち得ているのならば、それは素晴らしい方なのではないかしら。
そんなことをぼんやりと考えていたら菊様がお声をかけられた。
「坂本の工務店は坂本が社長なの?」
菊様の質問にも弘明さんはすぐに答える。
「坂本さんの叔父にあたるひとが社長ですね。叔父様も霊力が少ないひとだったそうで……」
「坂本さん以外に、叔父さん、叔父さんの奥様と息子さんふたり、あと事務の女性ひとりと安倍家縁のひと三名の会社です」
「対応が早い上に仕事が丁寧なので助かってます」
その言葉にふと、さっきの様子が思い出された。ああいう仕事をするひとならば他の仕事も丁寧だろうと思えた。
「坂本って結婚してるの?」
「独身です。お付き合いしてる女性も聞いたことないですね」
「アラもったいない。いい子なのにね」
「坂本さんの良さはわかりにくいですからね」
白露さんと弘明さんがやいやい言い合うのを聞き、菊様も満足されたらしい。
「ああいう真面目な男がいるなら安倍家に嫁いでも安心だと思えるわ」と微笑んでおられた。
◇ ◇ ◇
それから何度も坂本さんに会うことがあった。菊様が「行きたい」と言われた陶芸の展覧会の帰りに。お稽古の帰りに。白露さんと立ち寄った食堂で。「あ」と気が付いて目礼して別れる程度のこともあれば白露さんが気が付いて同席することもあった。坂本さんも一人暮らしで時々外食をされるとこのとで、同じく一人暮らしの私が白露さんと組んでの護衛の帰りに食事に立ち寄ったときに遭遇する確率が高かった。
「白露様……。こんな庶民の食堂でごはん召し上がらなくても、晴臣さんのところか本家で召し上がったらいいんじゃないですか」
何度目かの遭遇に無理矢理相席させられた坂本さんがついに文句を口にした。
「だって私が食べさせないとレーカがいい加減なごはんにするんだもの。仕方ないじゃない」
「私のせいにしないでくださいよ」
「アラ。作るのも食べに行くのも面倒だからってカップ麺やゼリー飲料でごはん済ませるひとに言われたくはないわ」
「別に白露さんに迷惑かけてないですよね」
「なに言ってんの! 護衛は体力勝負よ! ちゃんとしたごはんをしっかり食べないと、栄養素が足りなくなるんだから!」
「ホラちゃんと味噌汁も注文しなさい!」と私のオーダーに文句をつける白露さん。母や姉のようでついジトリとにらみつけてしまう。
そんな私達に正面に座る坂本さんは「ぷっ」と吹き出した。
「………白露様はいつでもどこでも『守り役』なんですね」
「くくくっ」とこらえきれなかった笑いをこぼしながら坂本さんが言う。その笑顔がなんだか可愛く見えてドキリとした。
「そうよ! 私、『守り役』だから! 坂本も面倒見てあげるわよ!」
「謹んで辞退させていただきます」
「アラ遠慮しなくてもいいのに」
「お忙しい白露様のお手を煩わせるわけには参りません」
「もう」
軽快にやり取りするふたりを見ていると安倍家の過ごしやすさが垣間見えるよう。これなら菊様が『北山から出られない生活』になってもご不自由なくお過ごしになれると思えて安心した。
◇ ◇ ◇
そうやって何度も遭遇し何度も食事を共にしているうちに坂本さんと親しく話すようになった。
坂本さんは白露さんと同席での食事に、最初は借りてきた猫みたいに恐縮して、口数も少なくごはんも石を飲み込むようにしていた。なのに何ヶ月も経った最近ではすっかり白露さんに慣れたみたい。かなり偉いひとらしいとは伝わったけれど、白露さんてばなんていうか包容力と人懐っこさが素晴らしい塩梅に発揮されてて、気が付いたら懐に入られてるのよね。私も最初は恐縮してたからわかるわ。なんていうのかしら。そう。それこそ猫みたい。
「『坂本』いすぎ!」
ある日白露さんが爆発した。店内が騒々しい居酒屋だったからよかったものの、思わず「しー!」と注意した。
「あ」という顔をして一旦はちいさくなった白露さんだったけれど、ボリュームを落としてふたたび坂本さんにかみついた。
「『後方支援の坂本』『実働部隊の坂本の末っ子』『料理長の坂本』なんなのよあんたたち! 役職名で呼ばないといけない呪いにでもかかってるの!?」
「そういうわけじゃないですけど」
おかしな文句をつけられて坂本さんは苦笑を浮かべていた。逆ギレせず「どうどう」と抑えにまわるあたり人柄がいいんだなと思った。
「『名』を呼ぶのは余程親しい関係だけです」
「それはわかるけど!」
なんか決まりがあるみたい。
「イチイチ長いのよ! 面倒!」
「そんなぁ」と言いつつ困り顔で笑う坂本さん。そんなときの坂本さんは眉がハの字になって大人の男性なのにかわいくなる。ウチの兄にはないかわいさ。
そんなかわいさにごまかされない白露さんは坂本さんの鼻先にビシッと指を突きつけた。
「私が呼ぶならいいでしょ!? あなたは今日から『雄介』! いいわね!」
「えええええ………」
白露様の剣幕に坂本さんはタジタジだ。
「それはおれの一存では……。主座様か、せめてご当主様に許可をもらわないと……」
「アラ! 私が言ってるのよ! 文句出ると思う!?」
「……………思いません……………」
ガックリと首を落とす坂本さん。なんだかお気の毒。けれど、この反応とこの会話。もしかして白露さんてものすごくえらい、ご当主様よりも主座様よりもえらいひとなのでは―――?
「姫にも『雄介って呼べ』って言っとくからね!」
「えええええ!」
ガタリと席を立つ坂本さん。その衝撃で今考えていたことがどこかにいってしまった。
「『姫』様に名前呼びされるとか、おれ、どんだけ偉いんですか!?」
「別にいいじゃない。ヒロだって名前呼びよ?」
「ヒロさんとおれでは格が違いすぎます!!!」
「文句言わないの! 私が決めたの!」
「そんなあ!」
悲鳴をあげる坂本さん。よくわからないけどお気の毒に。
「すぐに慣れるわよ!」と強引な白露さんと頭を抱える坂本さんを苦笑で見守っていたら、こっちに火の粉が飛んできた。
「レーカも『雄介』って呼んでやって」
「は?」
「こうなったら人海戦術よ! 雄介に『雄介』呼びを慣れさせるのよ!」
「なんですかその理屈は!?」
「深く考えなくていいじゃないの!『後方支援の坂本』なんて長いのよ!」
「そっちを慣れてくださいよ!」
ギャンギャンかみつく坂本さんに白露さんは知らん顔。
「かわりに雄介もレーカを『レーカ』って呼べばいいじゃない」
突然の提案に「は?」と疑問をこぼせば坂本さんは飛び上がった。
「意味わかりません!」
私も意味わかんないなあと黙っていたら「ホラ! レーカ!」と白露さんが『呼べ!』と催促してきた。
まあ呼び名なんてなんでもいいか。とりあえず呼べば白露さんも落ち着くだろう。
そう考え、軽い気持ちで呼んだ。
「ええと………『ゆうすけ』さん? で、いいんで、す、か……?」
私がお名前を呼んだ、途端。
坂本さんがガチンと固まった。
目をまんまるにして口を一文字にした。かと思ったら見る見る顔が赤くなっていった!
その様子に今更ハッとした。
「―――ええ、と………。名前で呼ぶのは、まずいこと、でした、か?」
坂本さんがあれだけ嫌がっていたのにはなにか理由があったのかも。すっかり忘れてたけど『安倍家のひと』ということは『能力者』だ。となると、なにか独特の決まりとかルールとかあったのかも。
マズい。白露さんに乗せられて軽い気持ちで呼んだけど、なにか禁忌を犯しちゃった!?
「私そのへんわからなくて。ごめんなさい」
正直に謝罪したら坂本さんはハッとして、真っ赤だったお顔が今度は一気に青くなった。
「い、いえ! 大丈夫です! 問題は、ある、かもしれないけど、ええと、その、大丈夫です!」
「………問題、あるんですか? ないんですか?」
「あ、あの、あの、あ、あるといえば、あるし、ないと、いえば、ない、し、あ「ないない!なーんも問題ないわ!」白露様!!!」
どうみてもなんかあるじゃないですか。
自分の失態に泣きたい気持ちになっていたら、坂本さんが石でも飲み込んだような顔で歯を食いしばった。
「……………ちょっと、このあとお時間いただけませんか。ご説明します」
「私も「白露様はご遠慮ください!」えー!」
ぶーぶー言う白露さんとお店の前で別れて坂本さんと夜道を歩いた。