【番外編6】菊華玉条 (きっかぎょくじょう) 2
《まれに授けられる『特殊能力』》
《『特殊能力』にはどんな攻撃も防御も通じない》
《『特殊能力』とは良いだけのものではない》
《『記憶再生』が見たくない記憶まで再生させるように。『境界無効』が知らぬうちに境界を越え帰れなくなるように》
《『絶対記憶』保持者は絶対に次の生に記憶を持ち越せない》
《人間の一生涯で得られる記憶は膨大。それを忘れながら捨てながら人間は生きる》
《部分的な記憶であれば次の生に繰り越すことができる》
《魂に記憶を刻むことができる》
《だが『絶対記憶』保持者の持つ記憶は膨大》
《人間の赤子に納めるは不可能》
《ゆえにすべて捨てさせる》
《『絶対記憶』保持者は前世の記憶を持たない。絶対に》
《そなたのかつての『夫』も『絶対記憶』保持者》
《前世も、前前世も、それより前の生の記憶も、かけらも残っていない》
《『記憶再生』と『看破洞察』であっても拾い出すことは不可能》
《輪廻の輪に還るにあたり記憶はすべて完全消去された》
《それが『絶対記憶』の代償》
《だからこそ、今生またそなたの『夫』となるのは『前世に引きずられて』ということはあり得ない》
《記憶は完全消去されているのだから》
《強いて言うとすれば『運命』だろうか》
《再び出会うなど、神たる我らさえ思いも寄らなかった》
《これこそが『大いなる存在』のお導きと――『運命』と言えるのではないか》
《善く生きよ》
《善く愛せよ》
《それこそが『大いなる存在』の『願い』》
《我らの『願い』》
《善き人生を》
《しあわせな生涯を》
《いつか還るそのときまで》
◇ ◇ ◇
―――ふ、と意識が覚醒する。
いつもの気だるさにため息をつき、開いた瞼を閉じる。
そうして告げられたことを思い返し―――ため息を吐いた。
「はあぁぁぁぁ……………」
どうしろってのよ。『善き人生』? 知らないわよそんなもん。
これまで五千年、ずっと『白の女王』として生きてきた。
『白』の王族は、神々に仕え、神々とお言葉を交わし、人々に神々のお言葉を伝えるのが使命。
だから王には霊力が強くて『先見』の能力がある人物が求められた。
私は『王』にふさわしい能力を持っていた。
物心つく頃には『次期女王』となることが決まっていた。優秀すぎるほど優秀だったから王教育も王としての勤めもこなした。そうして生きている間はずっと神々に祈りを捧げお声を聞きお言葉を頂戴してきた。
私は『白の女王』。
たとえ国はなくなっても。たとえ民はいなくとも。
私が『私』であるかぎり、それは変わらない。
なのに。
なんでいまさら。
『災禍』を滅して『呪い』も解けた。
新しい生き方を探さないといけない、今になって。
彼への気持ちに折り合いをつけた、今頃になって。
《善く生きよ》
《善く愛せよ》
そんなこと言われたって、どうしろってのよ。
今更どんな顔すればいいのよ。
◇ ◇ ◇
『彼』のことなんてすっかり忘れてた。
何十年、何百年、何千年。『彼』のいない生を生きているうちに忘れてた。
忘れても生きていけるくらいのたくさんのものを『彼』がくれていたから。私を『私』にしてくれていたから。
そうよ。『彼』を喪ってしばらくは探してたのよ。どこかで生まれ変わってるんじゃないかって。また逢えるんじゃないかって。
でも自分のことは『視え』ない私に『かつての夫はとこにいる』と占ってもわからなかった。神々に聞いても『「制約」に引っかかる』って教えてもらえなかった。
そうしているうちに『彼』がいないのが普通になって、いつの間にか忘れてた。
私には『彼』がくれた言葉があった。『彼』がくれた笑顔があった。だから私は『私』として生きられた。『彼』を忘れても『私』でいられた。
忘れてたのに。
◇ ◇ ◇
竹が引っかけてきた『使える男』と、生まれ変わって初めて対面できる機会を得た。
まだ二歳だったけど大人をうまいこと丸め込むのは簡単だった。そうして晴明と連絡を取り、対面したところで『異界』を展開した。
三歳の晴明は茶髪の幼児を連れていた。
―――思い出した。
すぐにわかった。『彼』だと。
あれだけ探して見つからなかったのに。忘れてたのに。
また逢えた。また逢えた!
『うれしい』なんて、久しぶりに感じた。
ドキドキして高揚して、自分が自分でないようで、どうしたらいいのかわからなかった。
晴明は『彼』のことを知らない。目の前の茶髪の幼児は前世の記憶がない。あの頃のことを知る白露も黒陽もいない。
わかっているのは私だけ。
この歓喜をなんと表せばいいのか、私にはわからなかった。
―――晴明がいてよかった。『女王』として振る舞える。
意識して偉そうな態度を取った。
ちびちゃい『彼』はそんな私に嫌悪を見せることはなかった。
晴明は『彼』を「ヒロ」と呼んだ。
『ヒロ』。
私のつけた『名』。
彼は『樹』だった。成人して『黒』の字を賜り『黒樹』に成った。
『イツキ』でも『クロキ』でもなく『ヒロ』で在ることに胸がいっぱいになった。
あれから五千年近く経ったのに。まだアンタは『ヒロ』で在ってくれるの。
ただの偶然かもしれない。たまたまかもしれない。
それでも『彼』が『ヒロ』で在ることがうれしかった。
同時に申し訳ない気持ちも浮かんだ。私が『彼』を縛っているような気になった。それが申し訳なくもあり、うれしくもあった。
自分で自分の感情がわからなかった。こんなことは初めてだった。
彼に対してどう接すればいいのかわからなかった。幸い逢えるのは数か月に一度。必ず晴明が同席していたから、晴明に対応することだけを考えた。
わからない感情は考えない。わからないことは後回し。
ちょうど白露は側にいなかった。白露ならば私の動揺はすぐに察する。そうすればあのちびちゃいのが『彼』だと気付く。そうなったらあのうっかりのおっちょこちょいのことだから余計なことを晴明に明かす。
白露には「こっちのことは気にしなくていい」「気が済むまで吉野にいたらいい」と伝えておいた。
その間に何度も彼に逢い、そのうちに自分の感情も落ち着いた。
彼は『霊玉守護者』だった。
千年前に竹が余計なことをして生み出された五つの霊玉。その守護者に彼は選ばれていた。
おそらくはそのために『十四歳まで生きられない』。そう判じた。
何度も『先見』をした。あらゆる条件を検討した。封印されている『禍』を私と守り役達とでさっさと滅したら。竹を覚醒させてもっと強い封印をほどこしたら。蘭を覚醒させて封じられた『禍』を斬らせたら。いっそ封印を解いたら。彼を京都から出したら。『白楽の高間原』にかくまったら。
色々検討したけれど、どうあっても彼を救えなかった。『禍』を私達が滅したら別の形で『彼』に災いが降りかかる。そのパターンは多岐に渡った。現状では『十四歳まで生きられない』ことと『「禍」が関係する』ということははっきりしている。ならば余計なことをして選択肢を増やすべきじゃない。
そう思って静観した。その間も彼は晴明と修行を重ねる。そのうち他の霊玉守護者と交流をはじめた。
ある日ナツの母親が亡くなった。交通事故だった。それを皮切りに不幸が重なる。晴明が災難除けの祈祷をしても式神達を動かしてもそれは止まらない。幼い彼は暴走し、ナツは遺伝子上の父親に連れ去られた。
壊れたナツを必死に支える彼。どうにか救おうとあがく彼。
言えばいいのに。「助けてください」って。「どうにかしてください」って。晴明から聞いているはずなのに。私が『白の女王』であることを。私なら神々に直接『お願い』ができること。
それなのにヒロも晴明もなにも言わない。なにも言わず、いつもどおりに、ただ微笑んでいる。
けれど私も同じ。私も彼らに言っていないことがある。
私が母胎に宿ったときから『災禍』が動いている気配がある。だからこそ生まれ落ちたときから周囲を探り、ある程度動けるようになった二歳には周囲を丸め込んで社交界の集まりに顔を出した。そうしてあちこちを探っているけれど、決定打どころかヒントのカケラすらない。
これまでどおり晴明を使えばいい。そうすれば動かせる人員も使える手段も格段に増える。わかっているけれど、こちらに手を取らせるということはその分ヒロへの手が減るということにつながる。だから言えなかった。彼を救いたかった。なにも手出しできないけれど、だから晴明に依頼できなかった。
ただ、日々祈った。
「彼が助かりますように」「余命宣告がくつがえせますように」「万事うまくいきますように」
その甲斐があったのか、うまく白露が巻き込まれ緋炎が参戦し、彼の余命宣告はくつがえされた。
◇ ◇ ◇
結果的に、竹が長年に渡りあっちこっちにばらまいてきた種が一気に開花した形でなにもかもがうまくいった。まさか『災禍』を滅するだけでなく『呪い』が解けるなんて。『二十歳より先の人生』を考えることができるなんて。
後始末に追われながら、それでも『夢じゃないか』『目覚めたらやっぱりなにも変わってないんじゃないか』と思う。それでも朝は来る。神々からの『御声』が届く。間違いなく『呪い』は解けた。責務は果たせた。喜びと戸惑い。言いようのない不安。達成感や開放感を感じると同時に不安定な場所に立っているような気持ちも感じる。
これからどうすればいいのか。どう生きればいいのか。改めて考えなければならなくなって、ふと思った。
『災禍』の『宿主』を探すために社交界や有力会社の情報を得る必要から始めた『上品なお嬢様』のフリ。
まんまと騙された周囲は大人しく上品な娘にポロリと情報を落とす。家族も、お稽古の先輩方も、近寄る男どもも。
期限のあることだと思っていた。だからどこまで騙せるかなんてお遊び感覚で続けていた。素の私よりもこっちのほうがウケがいいから。こっちのほうが情報を得やすいから。
けれどもう情報を得る必要はない。私達の責務は果たされた。それならもう『上品なお嬢様』でなくてもよくない?
ニセモノの私に心酔してまとわりつく側仕え。上辺の私にまんまと騙されている家族。そんなニセモノに囲まれて、この先ニセモノの配偶者を得てニセモノの家族を作るの?
そう思った途端『先見』が発動した。
このまま猫をかぶり続けて生きたらどんな未来になるか。
―――窮屈で、つまらない人生だった。
白露のことも梅達のことも安倍家のことも隠して。本音を隠して。ココロも隠して。つまらない人生。たとえ二十歳より長く生きられたとしても、そんなの嫌だ。じゃあどうする?
―――ふ、と、あの笑顔が浮かんだ。
青い空の下に桜が舞う。
『災禍』が完全に滅びたあのビルの屋上で、彼が微笑んでくれた。
『「よかったこと」を数えましょう』
やさしい言葉。あの頃と変わらない。
ひざまずき手を取ってくれた。あの頃のように。
『貴女は人間なんですから』
『神様じゃないんですから』
記憶はないはずなのに。完全に消去されるって話なのに。
あの頃と同じ言葉をくれる。あの頃と同じ笑顔で包んでくれる。
「無礼よ」と言っても笑うだけ。どこまでも私に甘い、あなたのまま。
―――また彼と暮らせたら―――
浮かんだ『願い』に気付き、あわてて首を振る。
私が望めば彼は絶対叶えてくれる。私が望めば晴明は必ず彼に命じる。命じられたら彼は嫌でも応じる。
また逢えただけで十分。もう十分。
彼は彼として『しあわせ』になってほしい。
ふさわしい奥さんをもらって、望みどおりに生きてほしい。
『神代家の娘』を彼が得るのは不可能に近い。たとえ安倍家の関係者でも。安倍家の関係者だから。
晴明がかつての妻と婚約をした一年前、安倍家関係の話があちこちで盛り上がった。曰く「嫁にやったら二度と会えない」曰く「本拠地で監禁生活を送ることになる」曰く「実家に幸運も来るが同じくらい厄介事も来る」
そんな話を知っていたら、どんな親だって娘を嫁がせようなんて思わない。ウチのジジイは人形みたいに美しい私を気に入っていて手元に残そうと画策しているからなおさら。
―――まてよ。
ふと、イタズラ心が浮かんだ。
神代家の関係者全員が、安倍家の婚姻にまつわる話を知らなかったら、どうなる―――?
すぐに『先見』が浮かぶ。有力名家である安倍家と縁付くことを単純に喜んでいた。
これ、イケるんじゃない?
別に彼と結ばれたいとか、そういうんじゃない。個人的に晴明や白露と関わりをつくるときに安倍家の噂が邪魔をするかもしれない。そのために余計な情報は削除しておきたいっていう、それだけ。
早速鏡を取り出し、霊力を込めていく。対象者指定。情報指定。消去。はい終わり。
あとはうまいこと安倍家と関りをもつように仕向けて、白露を専属護衛なり世話役なりで派遣してもらうようにすればいいわね。
あのおっちょこちょいで面倒見が良くて口うるさい守り役は私のそばにいてもらわないと。いないときはやっぱりつまんなかったものね。まあそのおかげで彼に対する気持ちもバレないうちに整理できたし、ボロを出すこともなかったんだけど。
これから長い人生送れるならば、やっぱり白露はそばに置いておきたい。わがままかもしれないけれど、私のわがままを聞くのが白露の仕事だから。諦めさせて付き合わせましょう。
◇ ◇ ◇
あちこちで後始末が進み、竹の熱も下がった。まさかの結納話に発展するなんてさすがの私も思わなかった。あの竹が。
その報告に、ひらめいた。「ちょうどいいわ」
そうして命じた。「全員でキチンと挨拶したい」「日程調整して」
ずっと引っかかってたのよね。「どこかでキチンと感謝を伝えたい」って。
『災禍』を滅することができたのも『呪い』を解くことができたのも晴明達の協力あってこそだと理解している。まあ竹と智白の働きが大きいのは確かなんだけど、ひなと晃もなくてはならない存在なんだけど、ひな達を含めた全員に感謝を伝えたかった。
個別では「よくやってくれたわね」と言ったけど、なんかずーっとバタバタしてて中途半端なカンジがあった。だからキチンと正装して、キチンとした場で改まってお礼を言いたい。
梅にそう伝えたら「その通りね!」「さすが菊。いいこと言うじゃない」と褒められた。蘭も竹ももちろん賛成。守り役達も。
「正装ですね。略礼装でなくて、こちらの服ですね」竹が確認してきたから衣装も打ち合わせ。守り役達も儀礼用の一級正装で赴くように指示した。
そうして全員集まってお礼を述べた。すっきりした。区切りがついた。
今日ここから私達の新しい道が始まる。そう思えた。
そう思えた矢先。
おっちょこちょいがぺろりとジジイの暴走を暴露した。そしたら千明から「ヒロはどうですか」と提案された。
まさかの提案に知らず霊力が乱れた。すぐに気が付いてとりつくろったけれど、ひなと晃は目を丸くして両手で口を押さえているし、晴明はなんか悪だくみしてるし、白露は花でも飛ばしそうなニコニコキラキラした顔をしている。
そして当の彼は気の毒なくらいうろたえていた。
つい「魅力的すぎる」って本音がこぼれてしまったけれど、泣きそうな情けない彼の顔に『ダメね』と諦めがついた。
無理強いできない。大切だから。
わがまま言えない。たくさんもらったから。
「………私の都合でヒロの人生を犠牲にするわけにはいかない」
諦めと覚悟を持って、喉から手が出るほどの提案を切り捨てた。
◇ ◇ ◇
その日の夜。改めて私の婚約騒動について調べてくれた晴明から「ご報告したい」と呼び出された。あれこれ聞いて打ち合わせ。その間ヒロはいつもどおりに控えていた。
《仕方ないじゃない記憶がないんだから》私のナカのワタシが言う。
《『午前のお話、受けます』って言ってくれるかと期待してたのに》別のわたしも言う。
《今ならどうにかできるんじゃない?》《ダメよ。彼を犠牲にできない》《千明が彼も私のこと『好き』って言ってたじゃない》《子供の頃の話でしょ》
千々に乱れる気持ちを出さないように、なんでもない顔を作って報告を聞く。
解散になって自室に戻り、パジャマになったらドッと疲れてベッドに倒れこんだ。うつ伏せのまま枕に顔を埋め、抱きついた。
「―――どうしたらいいのよ―――」
《善く生きよ》
《善く愛せよ》
余計なことしか言わない方々の声が再生される。
《善き人生を》
《しあわせな生涯を》
《いつか還るそのときまで》
そんなこと言われてもどうしたらいいのよ。一番知りたい『私のこと』は教えてくれないくせに。
彼に『しあわせ』になってほしい。あの頃の私にくれたように。
彼の邪魔はしたくない。『命じられて』『無理矢理』なんてしたくない。
けれど私は『白の女王』で。彼の上司である晴明に命令できる立場で。
私が彼と結婚すれば問題は全部解決する。私が今抱えている悩みは解消する。『私』という存在を野に放つことなく取り込むことができれば安倍家も安心。みんなにとって都合がいい。
だからこそ、彼のココロはないがしろにされる。他でもない、彼自身から。
そんなことさせちゃいけない。彼のココロは彼自身が守らなければいけない。彼のココロを捨てさせるようなこと、してはいけない。
だって困ってたじゃない。「そういう『好き』じゃない」って言ってたじゃない。だから、ダメ。彼を望んではダメ。
自分に言い聞かせているうちに眠りに落ちた。
あの頃の彼の笑顔を見た気がした。
◇ ◇ ◇
翌日。
朝一番に白露が「ひなが直接報告したいことがあるって言ってる」と言ってきた。
どうせヒロのことでやいやい言う気でしょ。
めんどくさいと思いながらもひながどう判断しているのか聞きたくなって了承した。
ジジイが見合い見合いうるさいからここ数日は部屋にこもっている。夏休みの宿題もしないといけないし。「この時間なら自室で宿題してるから」と指定して白露にふたりを連れて来させた。
「で? なによ」うながせば床に正座したひなが口を開いた。
「………実は、あの『まぐわい』で神様方とつながりができてしまったみたいで………。あれからなにかと夢に神様方が来られまして、裏話暴露していかれてるんです」
「……………」
黙ったままにらみつければ、ひなは「報告が遅くなり申し訳ありません」と頭を下げる。隣の晃もひなにならい黙って頭を下げた。
「……………『裏話』って、なによ」
「……………竹さんのご両親がかつて高間原で『黒』の王とその奥様だったとか………霊力ほぼ全部を対価に『願い』をかけて毎度毎度竹さんの親になってるとか………」
ぼしょぼしょとしゃべるひなはそれでも全部は暴露しない。命じれば全部報告させることはできるだろうけれど、別にそこまですることもないかと思う。
それにしても。
「まったくあの方々は……」
ため息と一緒につい文句がこぼれる。余程『火継の子』と『日の巫女』の霊力がお気に召したらしい。霊力献上できる『半身』は現代は少ないし。『火継の子』は元々神々と交流できるし。ちょっかいかけに行かれるのも無理はないのかしら。
ひなと晃のほうに行かれたら私に来られる回数は減るかしら。それなら私は楽になるわね。黙っておいて、寛大に許しているように思わせときましょう。
「―――で? 話はそれだけ?」
『そんなわけないだろう』と言外に含ませればひなは遠慮なく声をかけてきた。
「菊様のお気持ちをおうかがいできればと思いまして」
「……………」
《無言は『了承』と取りますよ》
思念での呼びかけも無視していたらひなははっきりと問いかけてきた。
「もし仮にヒロさんが菊様を望んだとしたら、菊様は了承されますか?」
「……………」
『そんなことあるわけないじゃない』言葉にしようとしたけれど声にならなかった。もしも彼が私を望んでくれたら。けど。
『そういう「好き」じゃない』彼の声がどこかをえぐる。だから私は無理強いできない。無理強いしたくない。私が言えば彼は命令を聞かなければならなくなる。たとえ嫌でも従わなければならなくなる。そんなの嫌。彼には『しあわせ』になってほしい。
顔をそむけ黙っている私に構わずひなは勝手に話を続ける。
「私は悪くない話だと思うんです」
「菊様にとってはこれまでのしがらみを全部捨ててのびのび暮らせる。安倍家にとっては『姫様』を一族に取り入れることができる。神様方は『姫様』を安心できる家に任せられる。そしてヒロさんはずっと好きだった女性と結ばれる」
「『ずっと好き』だったわけないじゃない」
すかさずそう指摘すればひなはしたりと微笑む。
「ヒロさんは生育環境が特殊すぎて精神面に一部欠損が見られます」
ひなの発言に一瞬息を飲んだ。
私の反応に気付いているだろうに、ひなは淡々と分析結果を報告する。
「具体的には恋愛感情が欠如しています」
「人間が生きるために必要な本能や欲求や感情のなかで、恋愛感情というのは優先度が低いですから」
「ヒロさんは物心つく頃から常に死を身近に感じていましたから。どうしても『歪み』が出ますよね」
「そのわりにはヒロさんはまっすぐ素直に育っているとは思いますけれど」
「まわりに『半身』が多くいたのもまずかったですね。――『半身持ち』の私達が言うことじゃないですが」
「そのせいで『ごく一般的な恋愛感情』が余計にわからなくなっています」
『そういう「好き」じゃない』
あの言葉は?
恋愛感情がわかっているから『ちがう』と判断したのではないの?
口から出ない疑問。けれど精神系特殊能力者のふたりには関係ない。一瞬とはいえこんなに動揺してしまえばなおさら。
「普通のひとなら『恋愛的な意味での好き』だと判断することを、ヒロさんは『敬愛』とか『親愛』だと思い込んでいるようです」
それは『思い込み』じゃないでしょう。それだけしかないということでしょう。
そんな思いも伝わっているはずなのに、ひなは淡々と解説する。
「ヒロさんはいろんなものにしばられているんです」
「幼い頃に『十四歳まで生きられない』と余命宣告されたときの恐怖は、今でも彼を蝕んでいます。魂レベルでココロが傷ついていることからもわかります」
「そのせいで独特の死生観を持っています」
「加えて安倍家の教育で身分や上下関係をきっちり考え配慮するようになりました」
「『死んでしまう自分は「特別な誰か」を望んではいけない』『身分の違う方を好きになってはいけない』『姫様に邪な感情を抱いてはいけない』そんな『いけない』ばかりを自分に課して、普通のひとなら『好き』につながる感情を『好き』と気付けないんです」
「それと『半身』の出逢いの話を聞いて『恋とは出逢った瞬間にわかるもの』『堕ちるもの』だと思っています。そんな経験のない自分はまだ『恋愛的な意味での好き』を持っていないと思っています」
「ですが、私とコウからすれば、ヒロさんは初めて出逢ったときから菊様に惹かれています」
「トモさんと竹さんの『紹介ムービー』を作るときに、ヒロさんからも素材提供いただきました。そのときにヒロさんの過去から現在までを『視せて』もらいました」
「『視た』上での判断です」
こちらに反論の隙を与えず言いたいことを言うひな。ドヤ顔がむかつく。
「数カ月に一度、ほんの数十分の関わり。それでも出会いを重ねるたびに好意を持ち、好感度を上げています」
「ただ、身分や互いの立場から『好きになってはいけないひと』だと、自分で自分に制限をかけています」
「ただでさえ恋愛感情が欠如しているのに、その上に制限を課している。そんなヒロさんに『自分の本当の気持ち』を出させるのは、それもあんな咄嗟の一瞬でというのは、至難の業かと」
無言でひなをにらみつける。そうしながらもひなの真意を探る。
《どうぞお好きに探ってください》《嘘もごまかしもなにひとつありませんから》ひなは堂々としたもの。むしろ《いくらでも探れ》とばかりにココロを開いている。
どこを探っても黒いモノはかけらもない。心底真実を述べている。それが『わかる』。『わかる』からムカツク。『わかる』から、どう判断すればいいのかわからなくなる。
『好き』?『制限』?『精神面に一部欠損』?
だからってどうしたらいいのよ。どう判断したらいいのよ。どう行動したらいいのよ。
こんなときに限って『先見』が発動しない。発動できるだけの精神状態じゃないから?『迷い』が多すぎるから? 神々におうかがいしたくても自分のことは教えてもらえない。なにもかもが終わってからなら雑談感覚で教えてくれることもある。この間みたいに。
《善く生きよ》
《善く愛せよ》
―――?
それって、もしかして―――。
ちょっと待って。あのときあの方々はなんておっしゃっていた?
《今生また$%&*ΩΨ#$のは『前世に引きずられて』ということはあり得ない》
ああ。肝心なところでノイズが入ってよく聞こえなかった!『今生また出逢えたのは』かと勝手に脳内補完したけど、もしかしたら、違った―――?
考え込む私に、ひながまた話をはじめる。
「ヒロさんは基本、突発的なことに弱いです」
「じっくり考えて、しっかり対応策を練って、準備をして、でないとうまく動けないひとです」
「千明様のあのご提案に驚いてあんな発言をしましたが、あれからずっと『色々考えている』とのことなので。答えが出るまでもう数日、場合によったら数カ月、お待ちいただけたらと存じます」
「……………待ったらどうなるのよ」
「『自分の本当の気持ち』に気付くかと」
ニンマリ笑うひなにムッとなる。
つい喧嘩腰でツッコミを入れた。
「そんな保証、どこにもないわよね?」
「そもそも私のことを『恋愛として好き』じゃないって気付く可能性もあるわよね?」
そう言ってやったのにひなは「イエイエ」と笑う。
「こういうことを私が言うのは本来『違う』のですが」
「ヒロさんは菊様のこと『好き』ですよ」
穏やかに、それでもキッパリと言い切るひな。隣の晃もニコニコ得意げにしている。
「………なんでヒロが『私を好き』だと思うのよ」
「そこは『外からのほうがよく見える』というヤツです」
「ハン」
ニマニマと自信満々に断言するひなにムカツク。敢えて強気に腕を組み足を組み、にらみつけた。
「言うじゃない」
にらみつけても威圧をぶつけてもひなは平気な顔。むしろニマニマが増している。ムカツク。
「恋愛感情はわからなくても愛情表現はわかってますんで。それこそ物心つく前から目の前で見てきてますから。なので、そこのところのご心配はないと思いますよ」
「私はヒロさんは菊様にオススメです」
ジト目でにらみつけてもひなはニコニコしている。思考を読んでも『オススメです!』しか視えない。
それならと晃に顔を向ければこちらもニコニコしている。
私が声をかけるより早く晃は口を開いた。
「ヒロはおれの大事な友達です」
「『しあわせ』になってほしいと思います」
「菊様ならヒロを『しあわせ』にしてくださると、おれは思います」
「………そこは『ヒロが私をしあわせにします』じゃないの?」
「それはおれが言っていいセリフじゃないんで」
ツッコミにもニコニコ答える晃。
ふたりにここまで言われたら、なんだか信じたくなってくる。だんだんそんな気になってくる。
《善く生きよ》
《善く愛せよ》
おせっかいな方々の言葉がリフレインする。
だって。もう縛りつけたくない。
だって。無理矢理『好き』になられたってうれしくない。
だって。 だって。だって。
ウジウジしてると自分でも思う。それでも外見は女王らしく見えるようにがんばって虚勢を張る。そんな私を見透かしているのかいないのか、ひなはニコニコ問いかけてきた。
「で。いかがでしょうか?」
「菊様はどのようにお考えでしょうか?」
「もし仮にヒロさんが菊様を望んだとしたら、菊様は了承されますか?」
そんなことあり得ないじゃない。彼が私を望む? 昨日あんなに拒絶してたのに?
でも彼は『恋』が理解できていないだけだとひなは言っていた。本当に? もしも彼が私を望んでくれたら。もしも彼とずっといられたら。
わずかな望みが『先見』を発動させる。笑顔の彼の横、しあわせな生活。あの頃ように。ああ。こんなふうに生きられたらどれだけ『しあわせ』だろうか。
「私個人の意見を述べさせていただくならば」
私の内心を見計らったようなタイミングでひなが声をかけてくる。
「菊様にも『しあわせ』になっていただきたいと思います」
「窮屈に暮らすことなく、のびのびと、お好きなように過ごしていただきたいと」
ジトリとにらみつけてもニコニコ平気な顔のひなと晃。なんだか憎たらしい。
「菊様が『しあわせ』で在るために働くことは、『駒』としての役割かと」
「―――言うじゃない」
堂々と言い放つひなにムカつく。どうにかギャフンと言わせてやりたくなる。けどこの話の流れでは向こうに主導権を取られたまま。どうしてくれようかしらとそっぽを向いたそのとき、やりかけの宿題が目に入った。
報告を受けたあれこれが頭に浮かぶ。ちょうどいいわ。
「―――じゃあしっかり働いてもらおうかしら」
そう言って開いたテキストをひなに突きつけた。
「この環境問題。どうにかしなさい」
「こんな問題山積みなんて、将来に不安しかないじゃない」
「心配で心配で、おちおち他のこと考えることもできないわ」
わざと心配げにため息を落とせば、ひなは苦いものでも飲み込んだような顔をした。晃もさっきまでの余裕な態度はどこに消えたのかというくらいにうろたえている。
あわてふためき動揺するふたりの態度に溜飲が下がる。
やがてひなはがっくりと首を落とした。
「……………そちらについてはこちらで検討致しまして、後日回答させていただけたらと存じます………」
《……………負けた……………》
思念での敗北宣言に『勝った!』と満足した。
「頼むわよ」
フフンと偉そうにふんぞり返れば、長年の守り役が視界の隅で頭を抱えていた。