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【番外編6】菊華玉条 (きっかぎょくじょう)1

本日から菊視点でお送りします

全3話


性行為の表現があります

ご注意くださいませ

「『白』の『名』をやるなんて、もったいないわ。アンタは『白』にふさわしくない。そうねぇ……『シロ』をもじって『ヒロ』なんてどうかしら」


 今にして思えば随分と失礼で不遜で傲慢な言葉だったとわかる。けれどその頃の私はもうココロが壊れかけていて、投げやりでやけっぱちになっていた。


 これで腹を立てて出ていけばいい。『白』に巻き込まれることなんてない。

 そう思ったのに。


 彼は、にっこりと微笑んだ。

「良い『名』を、ありがとうございます」

 無礼で高慢ちきな小娘に対し、十歳以上も歳上の彼はどこまでも穏やかだった。



   ◇ ◇ ◇



 高間原(たかまがはら)が滅びたと聞いたのは母からだった。


 私達の暮らしていた『世界』が『崩壊の危機にある』と神々から知らされ極秘に動いていた。けど、『災禍(さいか)』と呼ばれるモノの封印が解け、魔の森を抑えていた結界が壊れ、あっという間に魔物に蹂躙された。

『黄』の王により『呪い』をかけられ異世界に『落とされた』私達を目印に生き残っていた人間が次々に『落ちて』来て、最後に『落ちて』来たのが母をはじめとする四方の王と兵達だった。


 段階を踏んで『落ちて』きた、そのたびに互いに情報交換をし、生活基盤を整えるため今後の対策を話し合う。現地の人間や神々と交渉し、どうにか見通しが立ったところで私は死んだ。母達四方の王はまだ『落ちて』来ていなかった。


 なのに数年も経たずに生まれ落ちた。

 かつての実の弟が父、側仕えとして置いていた白露の娘が母だった。

 そうして再会した前世の母から知りうる限りの情報を聞いた。


 新しい国造りが行われていた。かつての五つの国の垣根を越えて一致団結して取り組んだおかげもあって急速に生活基盤が整っていった。

 国の垣根は越えたが、それでも同じ国の者同士で固まって暮らしていた。文化や考え方の違いは多少なりともあったから、それもまた自然な形だった。


 白露は白い虎の姿になった。

 幸いというかなんなのか言葉はしゃべれるし術も使える。霊力操作も問題ない。姿が変わっただけで他はなにも変わりなく、『落ちて』きた母の護衛をしていた。


 私が『母胎に宿った』と白露には「わかった」という。きっとあの『呪い』が関係しているのだろう。

 そうして白露は自分の娘の護衛兼世話係となり、出産に立ち会った。生まれ落ちた瞬間から再び私の守り役になった。


 胎児のときから白露とは意思疎通ができた。母ともできた。今生の両親にあたるかつての弟と白露の娘とはできなかった。おそらくは霊力量の関係だろう。

 生まれ落ちてからは誰とでも意思疎通ができた。赤子でありながら私は『白菊』と扱われ、(まつ)り上げられた。実の両親からも。


 前世の記憶がそのままあることは胎児の頃から判明していた。無限収納がそのまま引き継がれていることも。前世使えていた術もなにもかもが引き継がれている。まるで服を着替えただけのような感覚で転生を果たした私を『白』の者は『次期女王』と敬い(あが)めた。高間原(たかまがはら)にいたときの私を知っているものがほとんどだったから無理もないことだと理解はできた。



 私達にかけられた『呪い』については公表していた。

『二十歳まで生きられない』『記憶を持ったまま何度も転生する』


『転生』に関しては実際生まれ変わったことで証明された。もうひとつの『呪い』である『二十歳まで生きられない』についてはそのうち証明されるだろう。


 そうして私は『時限付の生』を生きることを課せられた。


 年頃になると「せめて白菊様のお子を残せないか」という話が出てきた。

「『二十歳まで生きられない』ならばなおのこと、ひとりでも多くの白菊様の実子を」と。

 優秀な私の遺伝子を残したい、あわよくばシンボルとしたいという『願い』は、残念ながら理解できるものだった。


 白露は反対した。

「好きな男ができて自然にそうなるならともかく、『子が欲しい』というだけでそんなことをするなんて!」「姫を愚弄している!」

 けれど前世の母である女王も、弟であった父も側仕えであった母も、新しく造った国の上層部も、誰もが私が子を残すことを望んだ。


「別にいいんじゃない?」同じように転生していた梅の意見は『賛成』だった。「自分も同じように実子を残すことを望まれている」と。

「『好きな男』と結ばれたらそれが一番だけど、いかんせん私達には時間制限があるから。そんなこと言ってる余裕はないのよね実際」

 梅はどこまでも冷静だった。

「アンタ初めてよね? これ使いなさい」そう言って、いわゆる媚薬をくれた。


 性に奔放な『赤』の緋炎も蘭も「ヤるだけヤってみたら?」と賛成した。蒼真は他国の事情に口出しできる立場ではなかった。黒陽は精神的に不安定で『黒の王』から離れられない状況だった。


 もし黒陽がしっかりした状態で私の話を聞いたとしたら、きっと激怒して話を潰してくれただろう。もし黒陽の妻や娘達が生きていたらやっぱり激怒して周りを叱り飛ばしてくれただろう。

 けどその時に反対したのは白露と、年齢(とし)の離れた弟である(らく)だけだった。


「ねえさまがのぞまないことをおしつけるな!」

 そう言ってかばってくれたちいさな弟。

 ああ。あの子が私達の『呪い』の解呪の研究にあんなにのめりこんだのは、大好きな白露のためだと思ってたけど、もしかしたら私のためでもあったのかしら。『呪い』がなければ私が『自由』になれると、そう思ってくれたのかしら。


 私には『断る』という選択肢はなかった。

 女王として生まれ育てられてきた前世からの誇りと気概が、民達の望むことを拒絶することを許さなかった。

 誰にも言えない自責の念が、己の身を優先させることを許さなかった。



高間原(たかまがはら)が滅びた』と聞いたとき、わかった。

 私のせいだ。

 ちょっと『視よう』と思って『視』たらなんでも『視通す』ことができた私は、思った。思ってしまった。

「私でも『視通せない』存在があればおもしろいのに」

 そうして『災禍(さいか)』が現れた。


 私があんなことを『願った』から。

 だから『災禍(さいか)』が現れた。

 だから高間原(たかまがはら)が滅びた。

 たくさんの人間が死んだ。たくさんの人間が生まれ故郷を追われた。背負う必要のない苦労を背負うことになった。

 竹が、梅が、蘭が自分を責めた。『二十歳まで生きられない』身体になった。

 守り役達が獣の姿になった。『死ねない地獄』を生きなければならなくなった。

 特に黒陽の苦しみは『これが生き地獄か』と思わしめるほどだった。何度自死を試みても死ねない。壊れることも許されない。ただただ生きるしかない、地獄。


 私のせいで多くの人間を不幸にしたならば。

 ならば好きでもない男に抱かれるくらい、大したことではない。

 好きでもない男の子を成すことくらい、大したことではない。

 それで少しでも罪滅ぼしになるならば。それが少しでも民達の『希望』となるならば。



『白』の中で私の『お相手』が選ばれた。選出基準は知らない。説明された気もするけど、どうでもよかったから聞き流していた。

 それなりの見た目のいい、身体もいい男だったと思う。睦言を言っていたきがするけれどそれさえもどうでもよかった。ただ罪滅ぼしになればと、それしか思わなかった。


 梅がくれた薬のおかげで痛みはなかった。けれど霊力量の関係か体質の問題か『快感』とか『興奮』というのは全くかんじなくて、ただただ作業として受け入れただけだった。ココロが動くことはなく、当然愛情が生まれることもなかった。


 何度か交わったけれど子は授からなかった。『青』の女性医師が『授かりやすい日』を診て交わったけれど、何度ヤッても子は授からなかった。相手を変えても同じ。同じ状況の梅も蘭も授からなかった。


 あるとき『お相手』の男が「自分は白菊様の『お相手』に選ばれてる」みたいなことを自慢している場に遭遇した。得意げな顔になんだかすごくムカついて「ただの種馬の分際で私の『名』を出すな」と釘を刺した。

 その男はクビにした。その後も種馬は絶えることなく、不快感を我慢しながら『勤め』を果たした。


 結局子を成すことなく二十歳を迎えることなく死んだ。

 一年開けただけでまた母胎に宿った。


 そうしてまた『白菊』として生き、年頃になると子を成すことを求められ、派遣された男と交わった。


 誰もかれも『私』を見ない。

 家族も、周りも、私を(はら)ませようとやってくる男達も、『高間原(たかまがはら)の白の女王』としてしか私を扱わない。

 勝手は言えなかった。私は『女王』だから。私のせいで高間原(たかまがはら)が滅びたのだから。


 抱かれれば抱かれるほどココロがえぐられる気がした。

『なにしてるんだろ』と空虚になった。

 それでも拒否できなかった。私は『女王』だから。民の期待に応えなければならいから。


 白露と白楽だけが『私』を見てくれた。

「もうやめよう」と何度も言ってくれた。

「こんなこと必要ない」「白菊様がイヤならばしなくていい」「自分を大切にして」

 何度も何度も私を諫めてくれた。暴走気味の周りも叱ってくれた。

 けど、たったふたりの声では大多数には届かなくて、やっぱり私は子を成すことを求められた。



   ◇ ◇ ◇



 三度の生で子を授からなかったことを受け、次に生まれ変わったときに周囲が考えたのは『「白」以外の男を試してみよう』という下衆なものだった。

 そうして白羽の矢が立ったのが、彼だった。



 私が前の生を終える少し前、ようやく竹が転生した。

 梅も蘭も私ももう何度も生まれては死んでいたのに竹だけはなかなか転生していなくて『もしかして竹は転生しないのでは』と思われていた時だった。


 生まれ落ちるなり竹は泣いた。赤ん坊だからというだけでなく泣いた。しゃべれるようになったら「ごめんなさい」と言い続けた。

 そんな竹を支えたのは、黒陽と彼だった。


 竹の従兄(いとこ)

 高間原(たかまがはら)でも竹の従兄だった。

 竹が母胎に入ったと気付いた黒陽がその家に向かい、そばにいた従兄になる少年を目にしてすぐに「黒樹(くろき)どの」と『わかった』らしい。

高間原(たかまがはら)で死んだ人間がこの「世界」で転生している』と証明された。


「竹が生まれるまでヒマだから」と黒陽が彼を鍛えはじめた。そうして竹が生れ落ちるとふたりで世話をし護衛をした。

 彼には前世の記憶はなかった。それでも黒陽の指導を受け、それなりの男に成った。


 竹が成長する間に私は死に、また生まれ変わった。

 泣き続け謝り続けていた竹は「少しでも罪滅ぼしになれば」と身を粉にして働いていた。頼まれるままに結界を展開。霊力石を作成。神々に霊力を献上。

 そんな竹を黒陽と彼は支え続けた。


 私が年頃になる少し前に、竹は生命を落とした。私達はいつも二十歳直前の十九歳で死んでいたのに、そのとき竹は十六歳だった。

『二十歳まで生きられない』のは『十九歳で死ぬ』わけではないと突きつけられた。


 お役御免になった形の彼が、私の『お相手』に指名された。


「ひとつだけ条件があります」と要求されたのは「黒陽様も同行させてください」だった。

「今の状態の黒陽様を放っておくことはできない」と、黒陽を肩に乗せ孤立無援の『白』にやってきた。


 そのとき私はまだ十歳だった。

 それでも「竹様から解放された黒樹殿を得るならば今を置いてない」となり、竹を喪って傷心の彼と黒陽のところに『白』の上層部が無礼千万な申し出をしにいった。

 意外なことに彼はこれを受け入れた。「『(ここ)』にいたら竹ちゃんを思い出すから」と。


 竹つながりで顔見知りとなっていた彼を『白』の馬鹿なたくらみに巻き込むつもりはなかった。

 だから『白』に来た彼に「『白』に来たのだから『黒』樹ではなく『白』の『名』を与えては」という提案を逆手に取り、侮辱した。


「『白』の『名』をやるなんて、もったいない」「アンタは『白』にふさわしくない」「『シロ』をもじって『ヒロ』なんてどうかしら」


 これで腹を立てて出ていけばいい。『白』に巻き込まれることなんてない。

 そう思ったのに、彼はにっこりと微笑んだ。

「良い『名』を、ありがとうございます」

 無礼で高慢ちきな小娘に対し、十歳以上も歳上の彼はどこまでも穏やかだった。


 そうして『黒樹』は『ヒロ』になった。


『白』のたくらみと、これまでやってきたことを説明され、黒陽は怒った。「侮辱にもほどがある!」「『白』の連中は馬鹿なのか!?」「学問ばかりしてるからひとの気持ちをないがしろにするのだ!」

 そうして上層部に向け突撃し、火の玉もかくやとばかりに怒り散らした。


 黒樹改めヒロに対しても黒陽は怒った。「こんな馬鹿な話を受けるとはどういう了見だ!」と。

 幼い頃からの師匠に責められても彼は穏やかに笑っていた。


「だってぼくが受けなかったら別の男があてがわれるんでしょ?」

「ならぼくが守るしかないじゃないですか」


 その言葉に黒陽は「ム」と口を閉じ、白露は喜んだ。

 そして私は―――絶句した。


「守る」そう言われたのは初めてだった。

 高間原(たかまがはら)から何度も生まれては死んで、また生まれた。

 いつでも私は『女王』で在ることを求められてきた。

 護衛は確かに常についていた。白露がその筆頭だ。けど「守る」とはっきり公言されたことは今までに一度もなかった。


 生まれ変わってからも護衛はついた。身の回りの世話をする人間もいた。けれど、彼らも『私が守るべき民』だった。

 私はいつでも『女王』だった。『守る』のは私の役割。そう、思っていた。 なのに。


「貴女は人間なんですから」

「神様じゃないんですから」

「ご無理はなさらないでください」


「貴女はまだおちいさいのですから」

「おちいさいときにしかできないことをすればいいんです」

「微力ではありますが、ぼくがお守りします」


 白露と黒陽と四人だけの部屋で、十歳以上歳上の男はそう言って笑った。


「触れてもいいですか?」

 私と交わるように命じられて突っ込まれたその部屋で、男はどこまでも紳士的な態度で手を差し出した。『私』に選択権をくれた。


「貴女が望まない限り、交わることはいたしません」

「ただ、ぼくに触れても平気か、生理的に無理かどうか、実験してみてくださいませんか?」


 ―――これまでの種馬達とはまったく違う、『私』を見つめるその目に、壊れかけていたココロが動かされた。

 十歳のちいさな手を、二十歳すぎの男の大きな手に重ねた。―――不快感は、まったくなかった。


「大丈夫ですか?」

 やさしくたずねてくれる。うなずくと「よかった」と笑う。

「隣に座ってもいいですか?」と言うので承知する。これも平気だった。


 そうして他愛もない話をした。色々質問されては答えた。その後も彼は少しずつ距離をつめてきた。無理強いすることは一度もなかった。

 朝も昼も夜も彼と白露と黒陽といた。白楽は研究に明け暮れていたけれど、そんな私の環境に喜んでくれていた。


 彼はいつも私の喜ぶことを探してくれた。なにが楽しいか。なにがうれしいか。好きな食べ物は。好きな色は。好きな花は。私自身も知らなかった好みを聞き出し私に与え、惜しみなく愛情を注いでくれた。

『女王』でなく。『白菊』でなく。『ただの女の子』にしてくれた。


 外野の声を断ち切ってくれたのも彼。白露と黒陽と彼が「必要」と判断したこと以外は私の耳目に入らなかった。

「これまで何度も挑戦して子が授からなかったのだから、菊様はじめ姫様方は『呪い』のせいで子ができないのだろう」と指摘してくれた。実際梅も蘭も子ができなかったから彼の言葉には説得力があった。おかげで以降「子を」と求められることはなくなった。


 彼も黒陽も『白』の内政外政には意図的に一切関わらないようにしていた。むしろ私の館の敷地から一歩も出ないようにしていた。それでも(おおやけ)の場にでなければならないことは年に数度ある。『白』に来たばかりの頃はそんなときひとりになったところを狙ってイチャモンつけられたりからまれたりしていたようだ。

 けど彼は平気な顔。逆にイチャモンつけたほうが尻尾を巻いて逃げたり、後々痛い目をみていた。


「ぼく、黒陽様の直弟子ですよ?」

「言っちゃあなんですけど、『白』のお坊ちゃん達じゃ相手になりませんよね」

 カラリと笑う姿に初めて他人を『頼もしい』と感じた。


 一週間経ち、ひと月経ち、三か月経った。少しずつ触れる場所が増えていった。

 半年経ち一年経った。大きな彼に抱き上げられて移動することが常になった。

 二年経ち三年経った。四人の暮らしが当たり前になり、私は何を気にすることなく好き勝手に言いたいことを言えるようになった。


『女王でない私』でも彼らは愛してくれた。

『罪』を犯した、『呪い』のある私を彼らは愛してくれた。

 無理強いすることなく、無駄に(あが)(たてまつ)ることもなく、『ただの私』を見つめて愛してくれた。


 ボロボロに壊れかけていたココロは満たされていった。

 投げやりでやけっぱちになっていた私は前向きになった。


「貴女は今生きてるんですから」「それなら、生きている間は楽しいことをたくさんしましょう」

「人間誰しもいつかは死ぬんです」「それが長いか短いかだけの違いです」

「たまたま貴女は『生命の期限』がわかっているだけ」

「わかっているなら、わかっているからこそ、生きている間はいっぱい楽しいことをしましょう」

「美味しいものをいっぱい食べて。綺麗なものをたくさん見て。気持ちのいいことをたくさんして。美しい音を聞いて。好きなひと達と楽しい時間を共有しましょう」

「最期のときに『ああ、しあわせだったなあ』って生命を終えられるように、楽しみましょう」

「遺されるぼく達が貴女の笑顔だけを思い出せるように、楽しみましょう」

「『よかったこと』を数えましょう」


 彼の言葉は私の凝り固まった価値観を次々と壊していった。


「『女王』っていっても、祈りを捧げるお仕事と神様方のお言葉を聞くお仕事だけでしょう?」

「それだけちゃんとやったら、あとは『好きにしていい』ってことでしょう?」


 そう言っては私を連れ出した。馬に乗って花畑に行った。賑やかになってきた市場に行った。白露が『風』で調べて海にも行った。初めて見聞きし感じることばかりだった。ココロにまとっていた殻が一枚ずつ()げていくようだった。


 彼は料理もした。わざわざ私達の目の前で作ってくれた。美味しくできたこともあれば失敗することもあった。白露も黒陽も笑っていた。私も笑った。楽しくて楽しくて、ずっとこんな日が続けばいいと思った。


 あるとき、思った。

 もっと彼を感じたいと。

 彼の全部が欲しいと。


 そんなこと望んでいいのかわからなくて、私が言ったら彼は間違いなく私の望みを叶えてくれるとわかっていたから言いだせなくて、そのうちどう接したらいいのかわからなくなってツンケンした態度になってしまった。態度が悪くなった私にも彼は変わらずやさしくて、その包容力で変わらず私を包みこんでくれていた。


 本音を言わない遠慮ばかりの(あるじ)のために思念を『読む』訓練をした無駄に能力の高い、そのくせうっかり者の亀がうっかり余計なことをこぼしたらしい。おせっかいな守り役が過剰に反応し、彼は私の部屋に来た。


「もう大丈夫ですか?」

 彼は私のココロが壊れかけていたことを見抜いていた。

「ぼくが『お相手』で、ご不快ではないですか?」


「アンタがいい」とどうにかしぼりだした。「光栄です」と微笑んで、彼は言った。


「竹ちゃんを喪ってカラッポになったぼくを、貴女は救ってくれました」

「貴女といるだけで、貴女のおかげで、ぼくは立つことができた」

「貴女が今のぼくの生きる意味」

「貴女の『しあわせ』がぼくの『しあわせ』」

「ずっとおそばにいさせてください」


『好き』とも『愛している』とも言わず、彼は私を抱きしめた。これまでの『お相手』には一度も感じたことのない安らぎを感じた。

「触れてもいいですか」この期に及んでもそんなことを聞いてくる。「ご不快でないですか?」「おイヤでないですか?」どこまでも私を気遣い、尊重してくれる。深い深い深い愛情に満たされていった。


 これまでに何人もの『お相手』と交わった。上手いか下手かもなく、ただ不快感をこらえていた。

 誰も彼もが『私』を見ていなかった。ただ『美しい娘』を抱くだけ。『高貴な娘』を抱くだけ。『女王を(はら)ませる』ただそれだけだった。

 彼は違った。どこまでも『私』を見つめ、『ただの私』を愛してくれた。

 ゆっくりと、丁寧に、私のココロとカラダを解きほぐしていった。

 無理強いすることなく。急かすことなく。私を包み込んでくれた。


 愛される(よろこ)びに指の先まで(しび)れた。

 愛されるしあわせにココロの底から満たされた。

 自分の気持ちは一言も言わず、彼は惜しみない愛情を私に注いだ。


 ああ。これが『しあわせ』。


 涙が勝手に落ちた。

「ご不快でしたか?」とあわてる彼に、どこまで私のことが大切なのかとおかしくなった。

 抱きついて首を振れば、やさしく抱きしめて頭を撫でてくれた。《愛おしい》声にならない内心が伝わってきて、また涙が落ちた。


 あまりの多幸感にふと疑問が浮かんだ。「なんでこんなに上手いのよ」「経験者?」つい責めるような口調になる私に彼はくすぐったそうに笑って「初めてですよ」と言った。

「黒陽様からご指導いただきました」

「そんなコトまで弟子入りしたの」と呆れれば照れくさそうに笑った。

「貴女をこわがらせたくなかった」「貴女に痛い思いをさせたくなかった」そんなことを生真面目に言うからまた彼が欲しくなった。


 きっとこれが『愛おしい』という気持ち。

 どんなことでも『視通す』ことのできた私が知らなかった感情。


 溺れるように彼に甘えた。そんなことこれまでにしたことがなかった。『女王』となる自分には許されないことだと思っていた。彼は笑って許してくれた。より一層甘やかしてくれるようになった。


 白露も黒陽も甘える私を侮蔑しなかった。「好きにしたらいいんですよ」「よくやく感情が理解できましたか」と認めてくれた。


 彼らはわがままに振る舞う私を外――『白』の人間や、新しくできた国の人間達――から見えないように守ってくれた。たまに外に出ないと行けないときはキチンと『女王』の顔をして、彼らも従者らしく振る舞っていた。館に帰って使用人も遠ざけて四人だけになったら大笑いした。


 そんなふうにのびのびとしあわせに過ごしていたから、期限が近くなるにつれ私は不安定になった。


 これまで何度も死んだ。

 いつも「これでやっと楽になる」と思って死ぬのに、この人生があまりにも心地よくて楽しかったから初めて「死ぬのがこわい」と思った。


「死にたくない」「別れたくない」そう泣く私を彼はやっぱりやさしく包み込んだ。

「貴女には『呪い』があるでしょう?」「必ず『記憶を持って転生する』でしょう?」「ぼく、待ってます」「白露様と一緒に、必ず迎えに行きます」

 そう言って「だから最期のそのときまで、楽しく過ごしましょう」と笑った。


 彼に抱かれ、最期の最期まで甘えて過ごした。「待ってます」そう言われ、なんだか安心して旅立った。


 幸いすぐに生まれ変わった。

 母胎で意識を取り戻してすぐに白露に連絡を取った。白露と彼はすぐに駆けつけてくれた。


 私が転生する間に竹も転生したらしい。黒陽はいなかった。

「アンタも竹のところに行きたいんじゃないの」そう伝えたら彼はやっぱり笑って言った。

「ぼくはお役御免ですか?」


「…………そんなわけ、ないじゃない」

 ふてくされてそう言えば、彼はうれしそうに笑った。

「ならおそばにいさせてください」

「貴女が今のぼくの生きる意味」

「貴女の『しあわせ』がぼくの『しあわせ』」

「ずっとおそばにいさせてください」


 そうして生まれ落ちたそのときから彼と白露がそばについた。両親は意思疎通のできる気味の悪い赤ん坊を扱いかね、あっさりと養育権を手放した。

 前世で暮らした館で彼と白露に育てられ、わがまま放題好き放題した。もちろん『白の女王』としての責務は果たした。神々へのお勤めも果たした。そうして相変わらず対外的には『白の女王』として扱われたけれど、彼と白露がいたから昔のようなつらさはなかった。


 変わらず愛してくれる彼に愛を返すのは『しあわせ』だった。身体が大人になるのを待ってまた結ばれた。楽しいこと、うれしいことをたくさん味わった。綺麗なもの、美しいものをたくさん見た。感謝を、感激を神々に捧げ喜ばれた。彼がいれば私は『私』でいられた。


 けれどこれ以上彼を縛り付けられない。

 そう思って今度は死ぬ間際「待たなくていい」と伝えた。

「もう十分もらった」「『しあわせ』だった」「アンタはアンタの好きに生きたらいい」

「わかりました」彼は言った。「好きに生きます」と。


 なのにまた生まれ変わったらやっぱり白露と彼が来た。

 もう五十代も半ばを過ぎていた彼は黒かった髪が白くなっていた。

「『白』の人間になれましたかね?」皺の増えた顔で、初めて来たときと変わらない笑顔を見せてくれた。


 そうしてまた前世で暮らした館で彼と白露に育てられ、わがまま放題好き放題した。『白の女王』としての責務を果たし、神々へのお勤めを果たし、時々『白の女王』として対外的な場に出た。

「もうすっかりおじいさんですよ」と言う彼に変わらず甘えた。「若いひとのほうがいいんじゃないですか?」と言うから「アンタ以外いらない」とわがままを言った。


 彼以外いらなかった。彼がいればよかった。たとえ歳を取っても。衰えて私を抱き上げられなくなっても。


 白露と彼と暮らし、また十九歳になった。

 今際(いまわ)(きわ)に、彼がそっと口付けてくれた。


「ぼくの『しあわせ』」

「この先も、ずっと『しあわせ』で」


 どこまでも私を気遣い、尊重してくれる。深い深い深い愛情に満たされ私は旅立った。



   ◇ ◇ ◇



 わかっていた。

『お別れ』だと。

 だって年齢(とし)年齢(とし)だったし。

 それでも、期待した。『また来てくれるんじゃないか』と。『まだ時間はあるんじゃないか』と。


 次に生まれ変わったとき、彼は来なかった。

 白露が彼の最期を教えてくれた。


「姫に看取らせることも、見送らせることもしたくなかったから、よかった」

 そう言って笑い、旅立ったと。

 最期の最期まで私の『しあわせ』を『願って』いたと。



 わかっていた。

『お別れ』だと。

 だから前世の最期に彼に伝えたのだ。「ありがとう」と。


「待ってて」とも「待たないで」とも言わなかった。彼にはその意味がわかっていた。


 わかっていても、やっぱりかなしい。

 わかっていても、やっぱり『なんで』と思う。


 なんで待っててくれなかったの。なんでもう少しがんばってくれなかったの。なんで神々は彼にもう少し時間をくれなかったの。なんで来てくれないの。

 私をこんなにわがままにしたのはアンタなのに。アンタがいないと駄目な私にしたのはアンタなのに。

 なんでそばにいてくれないの。なんで逝っちゃったの。なんで。なんで。なんで。


 赤ん坊なのをいいことにわんわん泣いた。泣いて泣いて泣いて、思い出した。


 彼の言葉を。



「貴女は今生きてるんですから」「それなら、生きている間は楽しいことをたくさんしましょう」

「人間誰しもいつかは死ぬんです」「それが長いか短いかだけの違いです」

「たまたま貴女は『生命の期限』がわかっているだけ」

「わかっているなら、わかっているからこそ、生きている間はいっぱい楽しいことをしましょう」

「美味しいものをいっぱい食べて。綺麗なものをたくさん見て。気持ちのいいことをたくさんして。美しい音を聞いて。好きなひと達と楽しい時間を共有しましょう」

「最期のときに『ああ、しあわせだったなあ』って生命を終えられるように、楽しみましょう」

「遺されるぼく達が貴女の笑顔だけを思い出せるように、楽しみましょう」



 ああ。彼の言ったとおりだ。思い出すのは笑顔の彼だけ。

 きっと彼は『しあわせ』だった。そう思える笑顔だけ。


「ぼくの『しあわせ』」

「この先も、ずっと『しあわせ』で」

 最期のとき、そう言ってくれた。


 白露が教えてくれた。最期の最期まで私の『しあわせ』を『願って』いたと。


 それなら。

 それなら私のすべきことは。


 泣くことじゃない。泣き言を言うことでもない。

 私が『私』として生きること。

 人生楽しんで、笑って生きること。



 そうして彼のいない『世界』を生きた。

 お人好しの守り役がずっとついてくれていたおかげで案外快適に楽しく過ごせた。

 彼が「生まれ変わってるんじゃないか」そう思って時々『視』てみたけど、私に関係することだからか何度やっても『視え』なかった。


 黒陽に「彼を見つけたら教えて」と頼んでいたけれど結局一度も『見つけた』という報告はなかった。ただ単に生まれ変わっていないのか、生まれ変わっても黒陽や私の行動範囲の外にいるのか。


 そうして何度も生まれては死んでいるうちにあっという間に千年経った。

災禍(さいか)』の気配にまさかと思い、探っていたら国が滅びた。


 私達に『責務』ができた。



   ◇ ◇ ◇



   ◇ ◇ ◇



   ◇ ◇ ◇



 千年、二千年、三千年。月日を重ねた。気がついたら五千年。

 いつでもそのときの生を満喫するように心がけた。

 生きている間はいっぱい楽しいことをしようと。美味しいものをいっぱい食べて。綺麗なものをたくさん見て。気持ちのいいことをたくさんして。美しい音を聞いて。好きなひと達と楽しい時間を共有しようとした。

 最期のときに『ああ、しあわせだったなあ』って生命を終えられるように。遺されるひと達が私の笑顔だけを思い出せるように。


 だから死ぬ間際まで家を出ることはほとんどなかった。竹は逆に「迷惑をかけられない」と幼少期には家を出ていたけれど、竹は竹のやりたいようにすればいいと思った。


 私は私のやりたいようにする。私自身が「楽しい」「うれしい」「おいしい」と思うことをひとつでも多く。

 責務はもちろん果たす。私は『白の女王』だから。

 けれど、それ以外は楽しいことを。私が『しあわせ』だと感じることを。


 時には『恋人』もできた。余命を伝え「それでもよければ」と付き合った。身体を重ねることもあった。そんなとき、ふと、忘れた誰かを思い出すことがあった。



 ずっとずっと昔、大切なひとがいた。

 もう顔も名前も忘れた、大切なひと。

 けれど、その『願い』だけがこの魂に残っている。


「生きている間はいっぱい楽しいことをして」

「この先も、ずっと『しあわせ』で」


 だから私は楽しく過ごす。やりたいことやって、楽しいことやる。おいしいもの食べて好き放題言いたい放題勝手にする。


 それが『私』だから。

 そんな私を彼は愛してくれるから。

 それが彼の『願い』だから。

こうして菊は、のちにハルに「計算高くてしたたかで、利用できるものはなんでも利用するひと」「それなりに割り切って、人生楽しみながら責務に取り組んでいるひと」と言わしめるようになりました


が、今生の菊の家族はそんな性格だと知りません

『理想のお嬢様』だと信じています

そんな周囲を菊は「ぷぷー! 簡単にだまされてやんのー! 間抜けーwww」と内心思いながら『理想のお嬢様ひとり耐久レース』をしています


白露がそばにいたら怒ってやめさせる案件ですが、白露は晃を育てて不在だったのでそんな遊びをしているとは知らず、側付きに戻ったときには手遅れになっていて頭を抱えました

もちろんお説教しました

が、当然聞き入れてもらえず現在に至ります

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