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【番外編5】神代仙蔵の誤算 2

 茶髪の青年が妻に茶を勧めている間に安倍の嫁と目黒の嫁がどこからか取り出したガラスの茶器に緑茶を入れ、全員に出した。

「差し出がましいことをして申し訳ありません」と頭を下げ、「当家の特別な水で煎れたものです」「回復しますので、一口でもどうぞ」と、扉前に立っている護衛にまで出した。

 半信半疑で口をつける。と、スッと楽になった。茶が通った喉と胃から洗われたような、身体の内側から清められるような感覚になった。


「これは……」「おお……」と声が漏れ聞こえる。どうやらこんな感覚になったのは私だけではないようだ。

『特別な水』と言っていた。なるほど、確かに特別だ。これほどの水ならば高い金を積んでても定期的に購入したいが――。


「お気に召していただけましたか?」

 タイミング良く安倍の嫁が声をかけてきた。同年代の息子の嫁が「とてもおいしいです」と答える。


「販売はしておられませんの?」

 良く聞いたぞ嫁。まさに私も聞きたかったことだ。

「ええ。販売できるほどの量はないもので……」安倍の嫁が申し訳なさそうに微笑む。

「本日お持ちしたのは、主座様のご指示です」「皆様にご迷惑をおかけする可能性があるから、と……」

 どうやら我らが主座様のご威光に()てられるのは想定内だったらしい。

 この茶が二度と飲めないものかもしれないと思うと余計に貴重に感じる。ちびりと口に含み、ゆっくりと味わって飲み込んだ。


「さて。落ち着いたところで話をしようか」

 主座様の言葉に全員がピシリと背筋をのばした。

 うまい茶で緩んでいた気持ちが緊張にこわばる。


「お前達も知ってのとおり、この弘明は私の再従兄(はとこ)にあたる」

 安倍家当主の孫息子の青年――主座様はそう切り出された。


「生まれたときから兄弟のように育ってきた」

「これまでも公の場では伴っていたから、一般社会では私の従者と思われていることは承知している」


 年に数度の名家の集まりでも昔から伴っておられたのは皆知っていた。菊と仲良く話をされるときにこの再従兄(はとこ)も必ずそばにいたと報告も受けている。


「だが実際は『従者』ではない」

「このヒロは、私の直属の側近のなかでも最も近しい側近だ」


「「「―――!!!」」」


 側近中の側近―――それは―――!

 大したことのない、無視しても軽んじてもいいと思っていた人物が、まさかの重要人物と明かされ、全身を震えが走る。冷や汗がにじむ。

 そんな私に構わず、主座様はニヤリと笑い、男に目をやった。


「言うなれば『無二の右腕』といったところか」

「「「―――!!!」」」


 田舎者の、身分の低いただの従者だと思っていた男が―――!

「おそれいります」と微笑み頭を下げる男は主座様と対等に渡り合っているようにみえる。格下の田舎者の息子だと思っていたのに。


「現在でもこのヒロは私の『無二の右腕』として色々と働いてもらっている。が、私の当主就任と同時に共に安倍家の中枢を担うことは決まっている。

 その結婚相手となると、家柄も霊力量も個人の資質も求められる」


 そう言った主座様はニヤリと口角を上げ、私と目を合わせられた。


「『それなりの人物』でなければ、当家の当主補佐の妻にはふさわしくない。―――ご理解、いただけるかな?」


『安倍家当主補佐』

 それが、この格下の田舎者の息子だと思っていた男の役職。


 安倍家はこの京都の経済を左右すると言われるほどの家だ。本家は北山杉を産出する山深い場所に位置しているが、京都中の至る所に土地を持っている。その借地代だけでも莫大な額となる。

 借地の維持管理に加え、多岐にわたる商売にも手を出している。病院、配送業、小売業……。『安倍が関係している』と噂されている店や会社は両手の指では到底足りない。

 また『よくわからない事象』『現代医学では対処できない病気』なども対応している。「困りごとは最後は安倍家へ」と言われている。私も何度も「なんとか安倍家に繋ぎをつけてくれないか」と依頼され、名家の集まりで安倍の当主に話をしたことがある。そちらの報酬額もなかなかのものだと聞いた。

 さらには占いや人生相談まで請け負っている。顧客には政治家や著名人も多くいると噂で聞いた。


 どこまでが本当のことなのかはわからない。すべての噂が本当のことなのか、すべてが事実無根のことなのか。

 だが、安倍家が『チカラのある家』である事実に変わりはない。その次期当主の――いや、現当主よりも上の立場である主座様の、補佐。


 それは一体、どれほどのチカラを持つのだろうか。


 私の内心の驚愕に気付いていないらしい主座様の隣に座っている男。いつものようにニコニコと穏やかに控えている。とてもそんな権力を持っているように見えない。だがごく普通の青年だと思っていた主座様も恐ろしいほどの『圧』を持っていた。『敢えて隠していた』と。ならばこの男もそうしている可能性も―――?


 視線をはずすこともできず、穏やかに見える黒髪の青年の視線をただ受け止めていた。息子と側近達は茶髪の青年に目を向けている。何人もから注視されても青年は平気な顔。胆力があるのか、単に鈍いのか。


「このたび、長年の懸念材料であった『ある案件』が片付いた。そこで、少し早いが私が『主座』であることと私の側近達について公表しようということになった」

 主座様は淡々と語られる。


「私とこの側近についてはまあそこまで問題はないのだ。が、このヒロに関しては問題があった」


 すっと隣の青年に目を向ける主座様。視線が外れたことでやっと息が()けた。


「ヒロには現在『特定のお相手』がいない。婚約者も、恋人すらも」


 どこか呆れたような口調に、本当に親しい間柄なのだと伝わってくる。そんな主座様に隣の青年は苦笑を浮かべるだけで何も言わなかった。


「仕事ができて、性格も良くて、この見た目。今ですらあちこちから『好きだ』とか『付き合ってくれ』とか迫られているのに『安倍家当主補佐』なんて肩書が公表されたらどれだけのトラブルが起こるのか。『先見』などせずとも簡単に予想できる」

「そこで公表前にヒロに特定の相手を探そうとしていたところ、こちらの菊様も『お相手』を探していると耳にした」


 ぐるりとこちらの一同に目を向けられる主座様。この年齢(とし)で蛇に睨まれた蛙の気持ちを知ることになろうとは。震えあがるしかできない。


「菊様ならば資質に問題はない。幼い頃から親しくしていただいていて人格に問題ないことも十分承知している。実家が名家だから『安倍家当主補佐の妻』となっても本人も実家も浮足立つこともなく、降りかかるあれこれも対処できるだろう。『これはちょうどいい』と思い、ヒロの妻となっていただけないかと打診に来たというわけだ」


 美しく優秀な菊はやはり安倍家にも選ばれるほどの娘だったのだ。

 しかし、『当主』ではなく『当主補佐』となると、たとえ安倍家のといえどやはり格が下がる。しかも出自は田舎ということに変わりはない。ならばやはり鉾町の次期当主の妻とするほうがいいのではないだろうか。そうすれば会おうと思えばいつでも会えるのだから。

 そう考えていたら、主座様がフッと表情をゆるめられた。


「最初、こちらに面会申込をしたときはそんなつもりはなかったんだ」


 どういうことかと黙って先をうながせば、主座様は軽い調子で話し始められた。


「実は先日『不誠実な者のもとに不幸が降り掛かる』という『先見』が出た」

「どういう意味かわからず、さらに詳しく占ったところ『神代家が関係している』ことがわかったから、なにか知らないか聞いてみようと面会申込をしたんだ」


『先見』―――聞いたことがある。安倍家では定期的に『未来予知』をしていると。そうして事件や騒乱を未然に防いでいると。本当だったのか。


「不快に思わないでもらいたいのだが、面会までに当家で少し貴家について調べた」


『当家が関係している』と出たからには当然の対応だと理解できるのでうなずいた。探られて痛い腹はない。


「そうしたところ、神代家がここ数週間『菊様のお相手探し』に奔走していることがわかった」

「そして当家からの『ただの面会申込』を『安倍家から菊を望むと声がかかった』『安倍家に嫁にやるのもアリだ』と言っていることも」


「………そ、それは………」

 ニヤリと笑う主座様になんと返していいものか口ごもる。早とちりでもあり他の候補者への脅しでもあった話を知られているとは思わなかった。


「当家に『嫁に来る』ならば『北山の山奥から出られない生活になる』ことは広く知られている話。九条家の莉華(りか)が私の婚約者に決まったときに色々話が広がったからな」


 ……………は?


『北山の山奥から出られない生活になる』?

 なんだそれは。そんな話は初耳だぞ!?


 チラリと側近に目だけを向ける。側近はわずかに目を見開いてちいさく首を横に振った。息子にも、息子の側近にも目をやる。だれもが首を横に振る。つまりは当家では誰もその情報をつかんでいなかったということ。 


「つまり、神代家は菊様が『北山の山奥から出られない生活になる』ことを了承していると当家は判断した」

「それならば是非当家のヒロのところに来ていただきたいと、『先見』の話は後回しにして、菊様を頂戴したいと願い出たというわけだ」


 にっこりと微笑む主座様に二の句が継げない。


「『北山の山奥から出られない生活になる』こと、承諾していたからこそ、あちこちで言いふらしていたのであろう?」


『知りませんでした』『聞いてません』『承諾してません』そんな言葉を言わせてもらえない迫力に、ただ黙っていることしかできない。

 はっきりとした話もないのにあちこちで『安倍家から菊に婚姻申込があった』と言ったことに関しては確かに安倍家から見ればおもしろくない話だろう。こちらとしては敢えて話を広めることで外堀を埋めたつもりだったのだが………埋めたつもりで埋められたのは当家の方だった、の、か―――?


 タラリと汗が流れる。狐が獲物を見つけて(わら)っている。喰われる。まずい。まずい。まずい!

 それでも言葉が出ない。主座様から発せられる威圧と威厳に反論することができない。『是』以外の言葉は許されないとわかる。絶対的上位者に歯向かうことを考えることすら許されないと突きつけられる!


「―――改めてご説明させていただきます」


 硬直した場に声が響く。安倍家の現当主の息子だった。


「当家といたしましては、菊様に当家の弘明と婚姻を結んでいただき安倍家に入っていただきたいと希望しております」


 主座様に瓜二つの狐のような容貌に笑みを乗せ、事務的に話を進めて行った。


「結婚後は本家のある北山に住んでいただくことになります」

「また当家の性質上、婚姻後はご実家含め外部とはほぼ没交渉となりますことをご理解ご了承くださいますようお願い申し上げます」


「―――『没交渉』とは……」


 主座様相手でないからか、かろうじて声が出た。

 かすれた声に安倍の当主の息子はニコリと笑みを浮かべた。


「これも莉華(りか)様のときに広がった話ですが」

「当家はどうも『権力と財力を持っている』と思われているらしくて」


「実際にはそんな大したことないんですけどね」と言うが、そんなことはないだろう。それよりも『広がった話』とはなんだ!? 何故当家でその情報を掴んでいない!?

 こっそりと視線でやりとりする我らに構わず、安倍の当主の息子はサラリと言った。


「安倍家(ゆかり)の者だと知れた途端、有象無象が際限なく湧きます」


「「「……………」」」


『は?』とでかけた声をどうにか飲み込む。乱れそうになる表情をどうにか作る。視線で話の先をうながせば安倍の当主の息子は平気な顔で話を続けた。


「本人にも家族にも、身内や友人にも有象無象が寄ってきて、大変なことになるのです」

「実際父が母を(めと)るときも(めと)ったあとも、九条家や母の友人知人のもとに様々な騒ぎがあったと聞きます」

「同世代のご当主と奥様は耳にされたこともあるのではないですか」


「「……………」」


 ………数十年前『九条家から安倍家当主の妻を出す』と話が広がったとほぼ同時に九条家の人間は表舞台から姿を消した。社交は最低限に。家業も事業拡大などせず、ただ堅実に現状維持に努めていた。それは、まさか………そういうことなのか?

 

 動揺するな。動揺など隠さなければならない。そう思うのにココロが乱される。情報が足りない。これまで見聞きした事柄を必死で思い出そうと頭をひねる。そんなところに安倍の当主の息子はあっさりと話を投げかけた。


「下手に母や妻が北山から出ると騒ぎが起こります。こちらは一切のぞんでいないというのに」

「誘拐されかかるのはいつものこと。家族や友人など少しでも親しい様子を見せたらその相手も誘拐や脅迫の対象になり襲われます」

「ほかにも、いかにもアヤシイ取引を持ち掛けられたり、金の無心に来るものが増えたり、自称親友や自称親戚が無限に湧いたり」

「九条家をご覧になれば『安倍家に娘を嫁がせたために起きたアレコレ』がわかりやすく理解できると思いますよ」

「ですがまあ神代家ほどの家でしたら、そんな有象無象の相手はお手の物でしょう。そういった点も菊様が候補に挙がった理由のひとつです」


「「「……………」」」


 当家もそれなりの家なので、確かにそういった『おかしな者』や『理解不能な者』がからんでくることはある。そのために弁護士を雇い対応させている。だが今の話は。

 当家でも考えられない規模で様々な災厄が降りかかるということではないのか?

 改めて九条家の情報を手に入れなければと考えていたらさらに話が続いた。


莉華(りか)様が婚約者に決まってから一年半ですが、たった一年半の間だけでもかなりのイジメや嫌がらせに遭っています。莉華(りか)様も、ご家族も」

「イジメだけでなく、犯罪行為の被害にも遭っています。立件したものもありますが、現在も調査中の案件が何件もあります」


「「……………」」


「『安倍家』に『嫁にやる』というのは、そういうことなのですよ」


 ニッコリと微笑む安倍の当主の息子。こちらの妻も息子の嫁も顔色が悪くなっているのに、安倍家の面々は平気な顔をしている。つまり、安倍家にとってはそういった話は日常茶飯事ということ。


「ですがまあ、ご自分から話を作り広げられたということは、そのあたりすべて飲み込み了承されているということでしょう!」


「てすよね?」とイイ笑顔で肯定をうながされる。『知りませんでした』とはとても口にできない圧をかけられる。


「菊様は学校でも京都社交界でもしっかりとした立ち位置を確立しておられますし、主座様と弘明とでは立場が違いますから、莉華(りか)様のように周囲から攻撃されることは少ないと推察します」

「そういった点も菊様が候補に挙がった理由です」


「「「……………」」」


 ……………そういえば名家の集まりでも各種会合でも九条家の娘は見たことがない。出てくるのは引退した前当主か娘の父親である現在の当主のみ。深く考えたことはなかったが……………まさか、それは……………。


 かわいい孫娘に、家族に、そして自分自身に何らかの被害が及ぶ可能性に汗が止まらない。それはどう対応すれば。自衛はできるのか。というか、いっそこの話をなかったことに―――。


「ですので、妻の実家や友人知人には『運気が上昇する特別なお守り』をはじめ、自己防衛のためのアイテムを安倍家からお渡ししています。―――それは、そうしないと生命の危険があるということです」


 説明に、思い当たった。安倍家と縁付くと『特別なアイテムが渡される』。それは、そういうことなのか!? 自己防衛()のためだったのか!?


「ご理解いただけますか?」

 にっこりと狐が(わら)う。牙を見せる。


「自分とその周囲に危険が及ばないようにするために、当家の者は――特に当主とその側近の妻は、極力北山から出ません。出たが最後、自分にも周囲にも危険が降りかかるからです」


「今度の名家の集まりなど、どうしてもでなければならないときは護衛をしっかりとつけています。目に見える護衛と、普通の人間には視えない護衛と、両方しっかりとつけ、安全を確保しております」


『普通の人間には視えない護衛』

 サラリと告げられたために流しそうになった言葉。それは、噂の『式神』とか『妖魔』とか言われるモノか!? 本当にそんなものがいるのか!?


「今もここに控えております。―――ちょっとわかるようにしてもらえますか?―――あなた、視えてますね?」

 安倍家の一同が並ぶ少し後ろに声をかけた安倍の当主の息子は、こちらに向き直ると護衛のひとりに声をかけた。つられて目を向ければ屈強な護衛が目を見開きガタガタと震えていた。


「今日は主座様と弘明がいるので護衛はそこまで必要ありませんから、各人にひとりずつしかついておりません。が、それぞれ単独で出かけるときなどはそれなりの数がつきます」


 その言葉に護衛はさらに顔色を悪くした。他の護衛もなにか感じているらしい。身構える者、後ずさる者、それぞれが反応を示している。

 そんな護衛達に安倍の当主の息子は自分の妻の少し後ろに顔を向け「ありがとうございます」とちいさく告げた。それだけて安倍家の面々から発せられていた圧がフッと消えた。護衛達はまだ警戒を解かない。それでも圧が消えたからか、汗をぬぐう者、肩で息をしている者もいる。


「菊様が当家に来てくださるならば、当然護衛はこちらでつけます。――このヒロならば十分護衛となれるのですが、先程ご説明いたしましたとおり、ヒロは当主補佐として主座様のおそばについていなければなりませんので、菊様といえど専属護衛としておつけするわけにはまいりません。ですので、菊様専属の護衛を用意します」


 淡々と説明する当主の息子。「もちろん女性です」と軽く付け加える。


「神代家が『安倍家に菊様をやってもいい』とお考えであれば、菊様さえよろしければ当家の弘明と婚姻を結んでいただきたいと、できればすぐにでも婚約者となっていただきたいと考えております」

「婚約者がいるのといないのとでは、弘明が『安倍家当主補佐』と公表したあとの騒ぎが違うでしょうから」


「婚約をご了承いただきましたら、公表前に菊様はじめ皆様に『運気が上昇する特別なお守り』などの自己防衛のためのアイテムをお渡しします。『当主の妻』よりは警戒されないとは思いますが、なにがあるかわかりませんから」


「神代家ほどの家でしたら必要ないかもしれませんが、まあ結納品のひとつと受け取っていただいて、気休め程度に身につけていただけたらと存じます」


 言いたいことを言った安倍の当主の息子はにっこりと微笑んだ。こちらの答えを待つ態度になにか言わねばと思う。なにか。なにを。

 どうにか口を開けたが声が出ない。浅い息が出るだけ。それでもわななく口を開けては閉めているうちにどうにか声が出た。


「―――そ、その」


 自分でも細い、かすれた声だと思った。

『間違いです』とは口が裂けても言えそうにない。『知りませんでした』などともっと言えない。『早とちりでした』『当家の先走りでした』と謝りたくても言わせてもえそうにない。『ちょっとした自慢』『他の婿候補者を釣り上げるためのエサ』『安倍家にやるつもりはない』『当家から出すつもりはない』そんなことを口にしたくても主座様に「ん?」と笑顔を向けられては言葉に出すことができない。


「―――菊本人の意見を聞いてみないことには………」

 どうにか絞り出せば「ああ。それは当然のことですね」と軽く了承された。


「それでは、一旦この話は持ち帰らせてください」

「菊をまじえ、家族で話し合ってからお返事させていただきたく存じます」


 どうにか体裁を整え返答すれぱ「良いお返事をお待ちしております」と引いてくれた。



   ◇ ◇ ◇



 安倍家の一同を玄関で見送り、その姿が見えなくなった。一呼吸の後。

「「「はあぁぁぁぁ……………」」」

 誰からともなく大きなため息が出た。

 ベッドに倒れ込みたい気持ちにどうにか鞭打ち、会議を開く。とにかく情報が足りない。安倍家のこと、見合い相手のこと、九条家のこと。これまでは作り話だと切り捨てていた話も再度取り上げ調べ直すことにする。

 調べることを指示し、自分でもあちこちに連絡を取る。スケジュールを調整。日常業務もこなしながら情報を集め報告を受けた。


 そうして翌日の夜、再び全員が集まった。

 調査した結果をそれぞれに報告し合う。


 安倍家があの場で話していたことは本当だったと裏付けが取れた。現当主の妻が滅多に表に出てこないことも、実家には親の葬儀でも顔を出していないこともわかった。

 現当主の妻が安倍家の次期当主と婚約の話が出てからの騒動。それが止まったのは「数年後に主座様がお出ましになる」という話が広まったため。逆に言えば、その話が出るまでの何十年は騒動が続いていたということ。そして、その話が出なければ現在でも騒動が続いていただろうこと。

 実際再び次期当主と娘との婚約の話が出てすぐに九条家は再び騒動が降りかかっていた。具体的な事例をひとつひとつ挙げられる。警備責任者と法務責任者が青くなった。


 婚約後から現在までの九条家の娘のことも報告に挙がった。学校でのイジメに孫娘の学友としてつけている娘が関与していた。これについては菊自ら制裁を与え九条家の娘に謝罪をしていた。とはいえ『知らなかった』では済まされない。後程何らかの対応することとする。

 九条家の娘の兄にも害があったことから、もしも菊が安倍家と縁付くことになれば他の孫達にも被害がかかる可能性を指摘される。当然私を含めた大人にも。警備態勢、スケジュール管理など、考えねばならないことがどんどん積み上がっていく。


 安倍家の当主の息子の周辺についても調査した。

 当主の息子夫婦とその息子である主座様、そして目黒の息子は現在御池のビルに住まいしている。安倍家の顧問弁護士であり当主の右腕と知られている弁護士の事務所のビル。そこの所長も所員もやり手として知られている。当主の息子もその所員であり、所長の弟子だと。


 当主の息子は『霊力なし』なので『安倍家の後継者にはなれない』ということは広く知られていた。だからこそ北山から『追い出された』と。

 しかし実態は当主の右腕の下で能力を鍛え磨き、現在では『安倍の黒狐』と呼ばれるほどの有能弁護士となった。また投資に明るく、一部投資家から『投資の神様』と呼ばれている。


 その妻は菊も在籍している女子校を出てすぐに結婚。安倍家には関わらず子育て中心の生活をしていた。表舞台にも社交界にも顔を出し始めたのはここ数年のこと。それまでは一切表に出ることはなかった。


 逆に目立った動きをしていたのが従姉である目黒の母親。会社を立ち上げ華道家として広く活動し、メディアにも多数出演している。その夫は妻のサポートに徹している。

 この二人に関しては九条家のような話は得られなかった。安倍の当主の息子とその妻に関しては『霊力なし』であることで迫害されていたとの話はあったが、あくまでも安倍家内部の話が噂として広まったもので真偽の程がわからない。


 一見するとどこもおかしなことはない。

 だが、昨日の安倍家の話を踏まえて調べると、おかしく感じる点があった。それは安倍の当主の息子の妻と目黒の妻の実家について。


 安倍の当主の息子の妻の父は若くして銀行の頭取として活躍していた。それなのに娘の結婚直前に早期退職している。目黒の妻の父親も有名大企業の常務として活躍し次期社長候補だったのにあっさりと早期退職していた。その妻達もそれぞれ責任ある仕事を任されていたが同時期に職を辞している。まだまだ働き盛りだったのに。責任も名誉もある役職者だったのに。いずれも目黒の妻の立ち上げた会社に協力するためだと言われていた。が………。


 表舞台から姿を消した。示し合わせたように。

 まさか………それも………。


 疑問は疑念になり、真実と虚構が入り交じる。それでも情報を集め精査し対応を考えなければならない。

 そうした喧々諤々(けんけんがくがく)の話し合いの末、菊に目黒の息子との見合いの話をすることにした。



   ◇ ◇ ◇



 目黒の息子ひとりの釣書では「是」と言う可能性も否定できない。なにしろ二歳の頃からの顔見知りだ。

 ならばと我々の推す相手も一緒に見せることにした。目黒の息子も入れた総勢十名。


「この中から誰を選んでもいい。誰も選ばなくてもいい」


 そう言って積み上げた見合い写真を前に菊はいつもどおり「不要です」と答えた。


 先日から菊は口をきいてくれない。安倍家からの面会依頼を受けあちこちで見合い話を広めたことがバレ、腹を立てている。かわいい孫娘に怒りを向けられ無視される日々はキツい。どうにか懐柔できないかと思っていたがどうにもできず、今日の日を迎えてしまった。


 山となった見合い写真を一瞥(いちべつ)しただけでそっぽを向く孫娘。こちらに目を向けもしない。『早く出ていけ』と無言で示している。

 が、こちらも負けるわけにはいかない。どうにか笑顔を作り、なるべくやさしく聞こえるように語りかけた。


「そう言わず。見るだけでも見ておくれ」

 妻も息子達も「そうよ」「見るだけでも」「選ばなくてもいいから」と勧め、ようやく菊が不機嫌そうにしながらも見合い写真を手に取った。


 パラリと開いては閉じる。次の写真を手に取り開いては閉じる。それを何度も繰り返し、最後の写真を開いた。


 すぐに閉じると思っていたが、菊はじっとその写真を見つめていた。写真を置いたと思えば一緒に挟んでいた釣書をわざわざ開き、じっと目で追っていた。

 ドキドキしながら孫娘の動向をうかがうしかできない。

 やがて菊は釣書を戻し見合い写真を閉じ―――スッと、こちらに押し出した。


「こちらがいいです」

「「「「!!!!!」」」」


 それは、目黒の息子の写真だった。


「―――なぜ」

 もれた息子のつぶやきに菊はそれは美しい微笑みを浮かべた。


「『誰を選んでもいい』のでしょう?」

「ですから、選びました」

「こちらがいいです」


「―――!!!」


 そんな。なんで。これまでどんな男も拒否してきたじゃないか。なんでその男に限って。よりにもよってその男を選ぶとは!!


「―――この男は身分が低い!」


「あら。今どきそんなことをおっしゃるなんて」

「そもそも『見合いをしろ』とおっしゃったのはお祖父様でしょうに」

「『この中から誰を選んでもいい』とおっしゃったのはお祖父様でしてよ?」


 コロコロと笑う孫娘。そのとおりだから反論できない。


「―――菊は知らないかもしれないが、この男を選んだら田舎に嫁ぐことになるんだよ。街育ちの菊には耐えられないんじゃないか?」

「外部と没交渉になるそうよ」

「家族にも友達にも会えなくなるらしいわ」


 息子が、妻が、息子の嫁が口々に説くのを孫娘は黙って聞いていた。

 が、そっと顔を伏せて「こちらがいいです」とだけ言った。

 何を言っても、他の男を選ばせようとしても、菊はただ「こちらがいいです」と言うばかり。何日も何日も交渉したが、菊は意見を変えない。

 最後は諦めて目黒の息子との見合いを了承する連絡を入れた。



 見合いの打診をしていた家にも釣書を送られた家にも『一旦保留』の連絡を入れる。まだ諦めない。目黒の息子との話が流れる可能性だってある。

 が、あれだけ(かたく)なに見合いを拒否していた菊が見合い写真のなかにあの男を見つけるなり了承したことから「菊様は元々あの男がお好きだったのでは」「身分違いで結ばれないと理解され、恋心を秘めておられたのでは」という憶測を側近達から聞かされた。そう言われたらそうかもしれないと思え、ますます頭を抱えた。

家族の前なので菊は『猫かぶり理想のお嬢様モード』です


菊の関係者が九条家の噂を全く知らなかったのには理由があります

別の番外編で明かします

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