【番外編5】神代仙蔵の誤算 1
本日より【番外編5】をお送りします
菊の祖父視点です
全四話
『災禍』との決戦の少し前からスタートです
今年も祇園祭の季節がやって来た。
ひとつひとつ準備を重ね神事に出席する。七月は毎年分刻みのスケジュール。今年のスケジュールもぎゅうぎゅうになった。が「毎年のことだ」と家族や周囲と協力し、取り組んでいた。
そんな例年どおりのスケジュールの中、今年は例年とナニカが「違う」のを感じていた。
それまでもナニヤラ動いているのは知っていた。が、特に前祭の宵山の前から周囲がざわついている。『能力者』と呼ばれる者達や社寺関係者がさかんに、しかし表面上は静かに動いていた。
「安倍家から通達があった」「十七日になにかが起こる」そうして関係者に『特別なアイテム』が下賜されていた。らしい。
『運気を上げる御守り』『結界を展開できる石』『霊力を補充できる霊玉』『清めにも霊力補充にも使える特別な水』『霊力補充のできるおにぎり』『霊力回復薬』『軽度の怪我ならば治癒できる薬』他にも色々なものを耳にした。
残念ながら我が神代家は『能力者』の家ではない。
歴史は古く、この都ができるよりよりも古い歴史がある。
元々は王家の衣装を手配していた貴族。服飾に明るく、伴って儀式や式典における典礼なども携わるようになった。絹を生み出す領地を持ち職人も多く抱え、その豊かさで財を成してきた。
御一新後、家を分け、一部は王家を御守りすべく東に下った。私は京都に残り王家の不在を守る役目を受け持った者の子孫だ。
この京都は特別な地だ。多くの神仏を祀り、この国を支えている。それを証明するように『能力者』と呼ばれる特別な存在やそれを輩出する家、『転生者』という存在も京都には多くいる。
そしてこの地には一般には知られていない伝説がある。
『姫様と守り役様』。
それははるか昔から語り継がれてきた存在。
我が神代家にもその伝説は伝わっている。幼い頃、寝物語に話を聞いたものだ。
昔、神代家の者が社寺に参詣した折に『姫様と守り役様』にお会いした。そこで『先見』を受け対応したおかげで鉾町が焼け落ちるのを防ぐことができた。
他にも『妖魔に襲われたところを助けてもらった』『美しい着物を見せていただきアドバイスをいただいた』『反物を献上したらお礼にと特別な御守りを頂戴した』など、様々な話が伝わっている。
幼い私は『姫様と守り役様』のお話が好きだった。名家の集まりで子供ばかりが集まったときその話をしたら「ウチにも同じような話がある」と何人もが声を上げた。興味を持った私はあちこちから話を聞き集めた。
結果わかったこと。
『姫様』は常に若い娘であること。『守り役様』は黒い亀であること。なにやら責務をお持ちで、その調査のために時々人里に降りて来られること。
様々な話から私は『姫様』が不老不死またはとんでもなく長命な存在なのだと判断した。でなければ千年以上『若い娘の姿』ではいられまいと。同時にとてもすごい『能力者』もしくは『神様になるための修行中の御方』ではないかと考えた。何故なら『姫様』の逸話には『特別な薬』や『御守り』が多く出てくる。これは『人間を助けること』が『修行の一環』なのだと推理した。さらには『先見』と呼ばれる未来予知や知り得ないことを指摘し導く逸話もあった。これこそ『神の御業』であろう。
そんな『姫様と守り役様』の伝説は、手を尽くして調べたが京都以外には伝わっていなかった。これは『伝承が途切れた』というよりは『京都にしか存在しない』と考えたほうが自然だろう。
『姫様と守り役様』が存在する街。
京都はまさに『特別な地』なのだ。
その『姫様と守り役様』が現代におわすと思われる情報が入ってきた。
この春あたりから一部の『能力者』や社寺関係者が「『黒の姫様』がお出ましになられた」と話していた。
『黒の姫様』
それは『姫様と守り役様』の『姫様』の『名』。
幼い頃から伝承をかき集めていた。その中にその『名』は確かにあった。
一目でもお会いしたいとあちこちに声をかけたが、どこも連絡先を知らなかった。「お仕えする神にご挨拶に来られたようだ」「神使様がおっしゃっていた」というような情報ばかり。
が、七月に入ってしばらくして『姫様と守り役様』が安倍家に関係していると思われる情報が入ってきた。
それが「安倍家から通達があった」「十七日になにかが起こる」として関係者に下賜された『特別なアイテム』。
『姫様と守り役様』の伝承にあったものがいくつもあった。
安倍家は平安時代の陰陽師、安倍晴明を開祖とする家。『能力者』を多く抱え、他家の『能力者』も取りまとめ、霊的な問題の対処をしている。
それだけでなく王家や貴族、政治家などからの信任が厚く『安倍家が京都の政治経済を裏から操っている』と昔から言われている。『安倍家に敵対したら鬼に喰われて消される』なんて話もまことしやかに流れている。
京都では畏怖の対象として広く知られている。
それが安倍家。
その安倍家にはひとつの噂があった。
それは、平安時代の陰陽師であり開祖の安倍晴明が『生まれ変わっている』というもの。
他の当主と区別するために転生した安倍晴明は『主座様』と呼ばれているらしい。そしてその『主座様』は現代に『いる』と。
その『生まれ変わった主座様』と噂されているのが、現当主の孫息子。
私も名家の集まりで何度も見かけたことがある。上品な少年だ。が、特別な畏怖も老獪さも感じることはなく、表面上は一般的な上流階級の子息に見えた。
当主も「こちらは『主座様』です」などと、これまでに一言も言っていない。あくまでも『ただの孫息子』として紹介し、接している。
では何故あの少年――現在では青年だが――が『主座様』と噂されているのを知っているかといえば、『能力者』や社寺関係者からの情報だ。
この情報は他家もつかんでいると思われる。が、どこもそのことを公に聞こうとしない。無論私も聞く気はない。万が一『主座様』なんて存在が本当だったとしたら、その『主座様』に伝承どおりの能力があるとしたら、今でも大きな安倍家のチカラがさらに増してしまうからだ。
とはいえ、安倍家はそのチカラをおおっぴらに使うことはほとんどない。主に『能力者』達の間でそのチカラは行使されており、一般社会である我らの領分では大人しくしているのが実情だ。
現当主も出しゃばることのない慎ましやかな人物。その夫人も同様。さらには夫人の実家の九条家も安倍家の権勢を利用することのない篤実で知られた人々。『安倍家』の威光を目の当たりにすることはこれまでになく、政治家や一部の有力者が「色々世話になっている」という話を聞く程度だった。
現当主の息子は「霊力なしの役立たず」として有名で「当主の後継にはなれない」と広く知られていた。その妻も「役立たずの妻」として軽んじられている。
ただここ十数年でその評価は少しずつ変わっている。息子は弁護士として、投資家として頭角を現しており『安倍の黒狐』などと呼ばれるようになった。
その妻も学生時代の縁故が表舞台に上がりだすとその支持を受け、今では一端の『名家の嫁』として存在感を増している。
そんな息子夫妻の息子である当主の孫息子は、常に再従兄である少年を供につけ、浅く広く社交をこなしていた。
そんな少年が唯一長く接するのが、かわいいかわいい我が孫娘。
他の者相手では立ったまま二言三言交わすだけなのに、ウチの孫娘の菊だけは椅子に座って他愛もない話をする。
さては我が孫娘に気があるのかと思っていたが、先日九条家の孫娘と婚約したと聞いてガッカリした。
内孫の菊は自慢の孫娘だ。
幼い頃から美しい外見。教養を身に着け立ち居振る舞いも美しい。慈愛に満ちた表情も穏やかなたたずまいも「淑女の鑑」と讃えられて当然のもの。しとやかで慎み深く、それでいて気品がある。
この孫娘ならば安倍家の『主座様』の妻も、王家の妻すらもふさわしいと思っていた。実際安倍の孫息子と仲良くしていたし、公務で訪れた王家の方々とのお会いしたときも好印象だった。
どちらから先に婚姻の申し入れが入るかと待っていたら、安倍の孫息子は対抗馬として考えることすらなかった九条の孫娘を選び、王家も別の娘と縁を結ぶと発表があった。
何故ウチの自慢の孫娘を選ばないのかと不満を感じていたとき、天啓が降りてきた。
これはきっと孫娘を『嫁に出すな』ということだ。『手元に置いておけ』と神仏が言っておられるのだ。そうに違いない。
私の考えに妻も、菊の両親である息子夫婦も、側近達も同意した。そうして菊にふさわしい男を探し始めた。
同じ鉾町の有力者の子息。婿に来てもいいという有能な人物。系列会社の社員や取引先、配下の関係者なども対象にあげ検討する。「これは」と思う者を菊に打診するが、いつも「私にはまだ早いです」と見合い自体を断られる。
「もう少しこの家の娘でいさせてくださいませ」そうかわいらしく言われては「駄目だ」とは言えなかった。
「この家に菊がいてはお邪魔ですか」そう問われては「そんなことはない」以外言えなかった。
そうして何度も菊に見合いを勧め、何度も断られてきた。
跡取りとなる菊の弟の仙輔も妹の百合も十歳で見合いをし、婚約者がいる。その子達を引き合いに出しても菊は「見合いは不要」と引かない。やむなくあちこちからの話を保留するしかなかった。
◇ ◇ ◇
転機が訪れたのは前祭の山鉾巡行のときだった。
季節はずれの桜吹雪がどこからか舞い落ちた。
巡行に同行していた私も空を見上げ、その花びらを手に、肩に受けた。
不思議なことに、花びらをこの身に受けるにつれ気力がみなぎってきた。なんでもできそうな気になり、叶わないことなどないような気になった。
そうだ。叶わないことなどなにもない。
菊の見合いを進めよう!
その勢いは巡行を終えても止まらなかった。例年ならば巡行のお供をすれば疲れ果てて数日は動けなくなるというのに、ここ数年は特にそれが顕著だったというのに、すべての日程を終え帰宅しても元気がありあまっていた。
勢いのまま菊の部屋に向かえば、間の悪いことに熱を出して寝込んでいた。「暑気中りだろうって、先生が」医師に往診に来てもらい処置済だと聞き安心した。
医師の見立てどおり、翌日の朝には菊は部屋を出てきた。無理をさせてはいけないと一日様子をうかがい、大丈夫そうだと判断して金曜日の夕食の席で見合いの話をした。
「不要です」
今回も菊は断ってきたが、こちらは何故か元気がありあまっている! 滾々と菊を説得し続けた。
外堀を埋めようと偶然を装って婿候補と合わせた。一席設けて共に食事をしたり、菊の参加する茶会に婿候補を連れて行ったり。どの候補も菊に会い言葉を交わせば見合いにも結婚にも乗り気になった。これまでに目をつけていた者に改めて見合い写真と釣書を持ってこさせた。
それなのに菊は毎回「私には婚約など、まだ早いです」と婿候補に宣言した。私にも「今はまだ婚約者は必要ありません」とはっきり言ってきた。
「それとも私が婚約しなければならないくらい業績に問題が出ているのですか」そう聞かれたら「そんなことはない」と言うしかなかった。
「お祖父様の健康に問題が?」と聞かれたから、これにも「そんなことはない」と答える。
「ならば婚約者など必要ないではありませんか」そうまとめられ二の句を封じられる。それの繰り返しだった。
どうにかしたくとも菊はあれで頑固なところがある。話をしようとしても毎回「不要です」ときっぱり断られる。
ならば菊が口にした『業績不振』や『私の健康不安』を理由にしようとしたら側近から「やめてください」と先にとめられた。
「冗談でもそんなことを口にされては、株に影響が出ます」「本当に『業績不振』に陥りますよ」そう言われて考えてみれば間違いなくそうなるだろうと予想できて、この手は使えなかった。
手詰まりかと思われたそのとき、周囲に動きが起きた。
私が本気で菊の婿を探していると広まり、あちこちから「我こそは」と名乗りがあがってきた。なんと婚約破棄してまで菊を得ようとする者もいるという。引く手あまたの状況に喜んでいたら、あの安倍家から面会の申込が来た。
菊を得ようと婚約破棄しようとする家があると聞いた。きっと安倍家も同じ考えなのだ。我が家の素晴らしい孫娘が結婚相手を探していると知った途端面会を申し入れてきたのがその証。あの孫息子と九条家の婚約を破棄し、我が家の孫娘と縁を結びたいとの申し入れに違いない!
「きっとそうでしょう!」「そうに違いありません!」誰もが私の考えに賛同した。二つ返事で了承し、日程調整をした。
◇ ◇ ◇
そうして迎えた月曜日。
やって来たのは安倍の当主とその息子夫妻、孫息子といつも供につけている再従兄である男、男の両親である目黒夫妻。
いつも供につけている男はともかく、何故その両親まで? と疑問に思ったが、鷹揚に挨拶を受けた。
「本日はお忙しい中お時間を頂戴し、ありがとうございます」
安倍の当主の挨拶に続き一同が頭を下げた。
「こちらこそわざわざご足労いただきありがとうございます」と返し「して、このたびはどういった……?」とたずねた。
「率直に申し上げます」安倍の当主ははっきりと言った。
「実は、神代家で菊様の婚姻相手を探していると耳にしまして」
「ほう」
「差し出がましい申し出と承知しておりますが、菊様を当家に頂戴できないかとお願いに参りました」
―――おおおおお!!! 来たあぁぁぁ!!!
やはり予想通りだった!『主座様』だと噂の当主の孫息子の婚約を破棄し、菊と婚約を結びたいという申し入れだった!
『安倍家』と縁ができるとは! さすがは菊だ!
内心の狂喜乱舞を完璧に抑え込み、「こちら釣書と写真です」と差し出されたものを側近が受け取るのを見守る。その側近が奉書を開いたとき、はっきりと眉をしかめた。なにがあったのかと待っていると、その奉書が私の前に広げられた。
氏名を目に入れ―――思わずまばたきを繰り返した。
奉書を差し出した側近に顔を向けると側近は渋い顔をしてうなずいた。もう一度奉書に目を向ける。念のためにと内ポケットから老眼鏡を出してかけ、もう一度奉書に目を落とした。
『安倍』と書いてあるはずの場所には『目黒 弘明』と書いてあった。
側近が写真を広げて差し出した。当主の孫息子ではなく、供の男の写真だった。
「―――目黒、と書いてあるように見えますが……」
眼鏡を外し内ポケットに戻し、どうにか言葉を絞り出すと、息子をはじめ周囲が動揺を見せた。拳を握りわなわなと震えていると側近が顔を寄せ「仙一さんにお見せしても?」とささやいてきたのでうなずく。すぐに奉書が息子の手に渡った。息子が妻と嫁と共に奉書を見、息を飲んだ。が、安倍家の面々は平気な顔をしていた。
「間違いございません」
「こちらにおります当家の目黒弘明に、菊様を頂戴できないかとお願いに参りました」
微笑を浮かべ穏やかに言葉をつむぐ安倍の当主に、カッと怒りが沸いた!
「どういうことですか……!」
思わず声が低くなった。手を机の下で拳にした。
「菊の相手に、ご当主の孫殿ならばいざ知らず、その男ですと……!?」
「ご不満ですか?」
穏やかな調子を崩さず、安倍の当主は逆に問いかけてきた。
はっきり言えば『不満』だ。この男のことは菊に近づいた幼少の頃に調べている。生家は一乗寺なんて田舎で山仕事をしているような家だ。母親はテレビでも人気の華道家だが、それがどうしたというのか。『安倍家次期当主』ならともかく、その『ただの従者』に菊をやるなど、我が家を馬鹿にしているとしか考えられない!
だがはっきり『不満』と答えるのはこの京都では美しい行いではない。だからさらに問いかけた。
「当家の菊は、それはそれは素晴らしい娘ですよ。―――素晴らしい娘には、それなりの相手でないと釣り合わないと私は考えますが、いかがですか?」
言外に『格下の田舎者の息子では不釣り合いだ!』と言ってやれば「おっしゃる通りです」と返ってきた。
「ならば」と断ろうとする私を安倍の当主はさえぎった。
「菊様は素晴らしいお嬢様です。――能力も、人格も」
『そうだろう!』と怒鳴るよりも早く安倍の当主が言葉を続けた。
「ですからこそ、当家の弘明に嫁いでいただいても問題ないと判断し、本日ご提案に参った次第です」
その言い方に、カチンときた。
「―――まるで、当家『が』『菊の相手を選ぶ』のではなく、そちら『が』相手を選ぶかのようなおっしゃりようですね」
安倍の当主は黙って微笑んだ。なにも言わなくとも肯定は伝わった。
拳をさらに固く握りわなわなと震えた。息子も妻と嫁も側近達もこちらを注視している。『ふざけるな』『馬鹿にするな』言いたい言葉は罵倒ばかり。だが『安倍家』に対して正面から罵倒するなどできるわけもなく、怒りがおちつくよう呼吸を繰り返すしかできなかった。
私の怒りも、内心も、わかりきっているだろうに、安倍家の面々はただ穏やかに笑みを浮かべていた。
「―――ご不満のようですね」
安倍の当主に感情を言い当てられる。上流階級で表情を簡単に読まれるのは『資質に問題あり』ということ。内心を、それも怒りや不満を言い当てるなど、はっきりと口には出さないが『無様』と言っているようなもの。
喧嘩を売っているのと同義の一言に、ますます怒りが沸く。
だがここで怒鳴り散らすのは美しくない。どうにか感情制御をしようと試みるも怒りが強すぎておさまらない。ただ黙って安倍の当主をにらみつけていたら、当主はニンマリと口角を上げた。
チラリと孫息子に視線をやる当主。孫息子がうなずくのにうなずきを返し、すっと居住まいを正した。
当主の雰囲気が変わると同時に安倍家の面々も居住まいを正す。途端にピリリと緊張が走る空気に、当家の面々も居住まいを正した。
「―――では、特別にこの場でのみ明かすといたしましょう」
安倍の当主が穏やかな声音で言葉をつむぐ。何故かその目から視線を離すことができない。
当家の全員の注目を集め、安倍の当主はゆっくりと、ゆっくりと右手の人差し指を自分の口の前に立てた。
「ここからお話することは、現段階ではご内密に願います」
『ナイショ』のゼスチャーに、見つめるその目に、どういうわけか怒りを忘れ了承した。
黙ってうなずく我々に、安倍の当主は穏やかな表情のまま手を膝に戻した。
「今後、段階的に公表していく予定にしておりますので、後日公表されれば『制約』は解除されます。が、現段階では内密に願います」
『制約』とはなんのことだろうと思ったが、これまた不思議と納得してうなずいた。
そんな我ら一同を確認し、安倍の当主は話をはじめた。
「わが安倍家には他家には公にしていない事情がごさいます」
「それは、当家の開祖であらせられる安倍晴明様が転生を繰り返しておられること」
「当家では開祖様と他の当主を区別するため、生まれ変わってこられた開祖様を『主座様』とお呼びしております」
淡々と話す内容は京都に住むものならば一度は聞いたことがある話。私も幼い頃から何度も聞いた。が、当事者である安倍家の人間から、それも当主から語られるということが、これまで眉唾だと思っていた話が『本当のことだ』と示し、信憑性を高めていた。
興奮と緊張が入り混じる。が、表面上はどうにか冷静に見える表情をつくり、うなずいた。
「現在、当家には主座様が転生あそばしておられます」
安倍の当主の言葉に、つい、当主の横に座る孫息子に目をやった。
一斉に視線が集まっても孫息子は平気な顔をしている。
「―――もうおわかりかと存じますが」
安倍の当主が静かに言葉をつむぎ、そっと視線で孫息子を示した。
「こちらが当家の主座様、第十代安倍晴明様です」
「「「―――!!!」」」
その噂は聞いていた。だが誰も、当の安倍家関係者も明言したことがなかった。それがはっきりと明言された。
まさか本当だったとは。『転生者』という者がいることは知っている。が、本当に『何度も転生』なんてことがあるとは。そして、目の前のこの青年が『主座様』。まさか実在したとは。本人に会えるとは!
興奮しすぎて言葉にならない。なにを言っていいのか、どんな表情をつくればいいのか。それなりに修羅場を何度もくぐり抜け、身分も立場もある重要人物と交渉したことだって何度もあるのに。幼い頃から耳にしていた『伝説の人物』が「実在する」と、「この人物だ」と示されて年甲斐もなく興奮してしまう。
私だけでなく、当家の一同は皆同じ状態のようだ。息子も目がランランとしているし、いつも冷静沈着な側近まで仰天顔で固まっている。
そんな我らをからかうでも侮蔑するでもなく、変わらぬ様子で安倍の当主は再び姿勢を正した。
「改めてご紹介いたします」
「当家の次期当主、『主座様』こと第十代安倍晴明様です」
目礼することも頭を下げることもなく、堂々とした様子で当主の孫息子は我らを一瞥した。
その佇まいは年若い高校生のものではない。貫禄のある、上に立つことに慣れた人間のもの。
知らず頭を下げていた。私だけではない。当家の者皆頭を下げ、若い青年に最上級の敬意を示していた。
青年は一言も発していないというのに。ただ一瞥しただけなのに。なにも変わっていない青年に対し、そうするのが当然であると誰もが判断していた。もちろんこの私も。
身分の高い方々にも、権力者にも、文化人にも相対したことがある。その私をもってしても『この方に敬意を示さねばならぬ』と思わされる。たったの一瞥で上下関係を思い知らされた。
「続けて主座様直属の側近をご紹介いたします」
安倍の当主の声に思わず顔を上げた。『直属の側近』? そんなものがどこにいた? もしや噂の『式神』か!?
年甲斐もなく浮き立つ心を隠して安倍の当主の紹介を待つ。と、両横に控えていた当主の息子夫妻と目黒夫妻がスッと会釈をした。孫息子――主座様の供の男も。
何故ここで会釈を? と思ったが、安倍の当主の言葉を待った。
「こちらにおりますのが主座様直属の側近、安倍晴臣、安倍明子、目黒隆弘、目黒千明、そして目黒弘明です」
「「「―――!?」」」
側近!? 主座様の!? どういうことだ! ただの保護者の間違いだろう!
疑問は言葉にならない。ただ驚愕を貼り付けて安倍家の一同を見つめるしかできない。
紹介された五人は堂々としたもの。もちろん主座様は平然としておられる。いったいどういうことだ。なにが起こっている。
「現在の私は、公には当主を名乗っておりますが、正しくは主座様の側近のひとりです」
「その立場も、格付けとしてはこちらにおります者達よりも数段下のものです」
淡々とした安倍の当主の言葉にさらに愕然とする。当主でさえ『側近のひとり』!? この連中よりも『下』!?
まさかと思うのに、信じられないのに、目の前の一同の態度が今の当主の言葉を肯定する。『真実だ』と示す。
「現在主座様直属の側近は大きく分けてふたつ。
晴臣を中心とする大人世代。こちらには私と妻も含まれます。
そして、この弘明を中心とする同世代。『霊玉守護者』と呼ばれる、実働部隊の中でも最強の者達です」
安倍の当主が淡々と説明する。これまで明かされることのなかった内情を明かす意味がわからなくて必死に頭を動かす。ひとりひとりの表情を、目の動きを、態度を観察する。
「ご存知のとおり、主座様は現在十七歳、高校二年生であらせられます」
「成人年齢となる来年春に正式に当主の座に就いていただきます」
「現当主である私と妻は『相談役』という立場から主座様及び側近達を陰ながらお助けすることとなります」
「主座様が大学を卒業される六年後には完全に主座様に全権をになっていただくことが決まっております」
―――何故それを『今』我らに明かす!?
当主の交代などという重大な情報、漏れたらすぐに株価に反映する。ましてや『安倍家』のとなると、京都の、日本の経済に激震が走ることは予想に難くない!
「これまでは特別な案件が続いていたこともあり、公表に至っておりませんでした」
「が、このたび諸々が片付きまして――こちらに関しては明言できかねますのでお察しいただければと存じますが――ようやく主座様が重い腰を上げられ、主座様と直属の側近の公表をと相成りました」
「まずは来週当家内部にて、その翌日から社寺関係と『能力者』関係に順次発表してまいります」
「その他の家に関してですが、すでに神代家にも打診は行っていることと存じますが、来週末の集まりの前に当主クラスのみお集まりいただくよう各家に依頼を出しております。そちらにて公表させていただく予定です」
なんということだ。とんでもない話になってしまった。孫娘の婚姻に関する話のはすだったのに。
言葉が出ない我々を構うことなく安倍の当主が「では主座様。一言」などとうながした!
なにをどうすればいいのかと内心狼狽していた、そのとき。
ドッッッ!!!
目の前の青年から表現のしようがない『圧』が立ち上った!
絶対的強者の迫力! 上に立つのが当然と思っている人間特有の傲慢さと威厳を叩きつけられる!
これは、違う。
『格』が違う。
『別格』。まさに。
外見は整った顔立ちの若い青年なのに、その迫力も威厳も『人間』のものだとはとても思えない!
聞きたいことはあるはずなのに喉が貼り付いて声が出ない。指一本動かせない。ご無礼にならないよう平伏しなければ。そう思うのに身体が動かない!
どうすれば。
どうすれば。どうすれば。どうすれば!!!
「安倍晴明だ」
ニヤリと口の端を上げた青年に、知らず平伏する。
その威圧。その威厳。動かなかったはずの身体が勝手に動いたことよりも、その迫力に気を取られ何も考えることができない。
「そうかしこまることはない」
そう言われるが身体が動かない。こんなことは初めてだ。
幼い頃から名家の跡取りとして厳しい教育を受けてきた。名だたる有力者や権力者とも渡り合ってきた。自国他国の王族とも会話を交わしたことだってある。その自分が、つい先程までごく普通の青年だと思っていた相手に指一本動かせない。全身から汗が吹き出している。勝手に身体が震える。どちらもとめようと思ってもとまらない。
伏せた視線の先にポタリポタリと水滴が落ちた。己の顔から吹き出した汗だと気付くのに時間がかかった。
「こうなるとわかっていたから、これまでは敢えて隠しておいたんだ」
主座様の、つぶやきとも語りかけともとれるお言葉のあと、フッと『圧』がやわらいだ。
ドッと身体が机に落ちた。起き上がれない。なにが。どうなった。
ハアハアと荒く浅い息を吐いていたら、フッと身体が楽になった。
先程と同じ、突然の変化。何が起こったのかと、状況を把握しようとどうにか身体を起こす。と、当家の他の者も同じように身体を起こすところだった。
妻は身体を起こしたが、すぐに顔を手で覆ってしまった。車酔いのような仕草に心配していたら主座様から声がかかった。
「ああ。すまん。回復が効きすぎたか」
『かいふく』? 『かいふく』とは………まさか『回復』か?
そんな、映画や小説のような話が―――と思っていたら、安倍の当主が口を開いた。
「今皆様がお感じになった『圧』は、主座様の『霊力』です」
「『霊力』とは、人間なら誰しも持っているものです。が、主座様はとても大きな霊力をお持ちですので、普通の者にはその『圧』に耐えることができず、倒れたり、場合によっては意識を失うこともあります」
「今皆様も、押しつぶされるような感覚に襲われ、気力体力を削がれたのではないかと存じます」
「体調不良となられた皆様を、主座様が『回復の術』を使って回復してくださいました」
「しかし、少しばかり『術』が強すぎたようですね。――慣れない者が『術』をかけられると『霊力酔い』を起こすことがあります。――ヒロ」
当主に呼びかけられた供の青年が「はい」と応え立ち上がり、妻の横に立った。そしてどこから取り出したのか、美しい緑茶の入ったガラスの冷茶器を妻に差し出した。
「どうぞ。あやしいものではございません。一口でけっこうですので、どうぞお飲みください」
そっと手にコップを持たされ、背中と手を支えられ、妻が冷茶を一口飲んだ。
「―――おいしい―――」
ほう、と息をつくその顔色は先程と違い、むしろいつもよりも元気そうになった。
「お気に召されましたらどうぞこのままお持ちください。少しずつ召し上がってくださいね」
やさしく語りかけられ、妻は「ありがとう」と受け入れた。にっこり微笑んだ青年は、何事もなかったかのような顔をして元の席に戻った。
なにがあったのか、今の冷茶はなんなのか、『術』などというものが本当にあるのか、聞きたいことは山とあるはずなのになにも言葉にならない。こんなことははじめてだ。
「気にするな。人間、自分の常識で測れないことが突然起きるとそんなものだ」
まるで私の考えを見透かしたかのような主座様の言葉にぎょっとする。まさか本当に『相手のココロが読める』のか!? 人知を超えた『術』が使えるのか!?
これまでに聞いた噂がぐるぐると頭の中で渦を巻く。あれもこれも本当のことなのか!? 本当に―――。
そう得心し、そして理解した。
―――この青年には―――安倍家には―――逆らってはいけない、と。
冷や汗が落ちる。完全に向こうが『上』だ。どうすれば。どう対応すれば。
動揺を隠すこともできず、ただ主座様に顔を向けていると、年若い青年はニヤリと口の端を上げた。
「今日はこの弘明について、この私直々に話をしようとやって来た」
「私が説明しなければお前達は納得しないだろうからな」と嗤う主座様に、さらに深く頭を下げるしかできなかった。
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