閑話 春が来た
長期間おやすみをいただきました
本日より連載再開いたします
ゴールデンウイーク期間は毎日投稿します
再開一話目はトモ視点
災禍消滅から最初の春です
春が来た。
『災禍』滅亡から最初の春が。
俺の名は西村 智。
京都に住む退魔師でありシステムエンジニア。
現在の俺は安倍家の主座様直属の『能力者』として活動している。請け負っているのは主に退魔を中心とした実務。まあ俺が出陣するようなのは普通の奴等では手に負えないと判断された案件だけだからそこまで数は多くない。
退魔の依頼のない普段はなにをしているかというと、高校生をしながらシステムエンジニアをしている。今のメインはホワイトハッカー。他にも頼まれてはシステムを作ったりパソコン関係のあれこれをしたり。昨年の秋からは妻の実家のIT導入に携わっている。
そんな俺のことを「京都の平和とデジタル世界を守る守護者ってとこだね」と評するのは友人であるヒロ。「ナニ言ってんだか」と呆れたが愛しい妻がキラキラした眼差しを向けてくれたので良しとした。
そう。俺には妻がいる。
愛しい愛しい妻が。
俺の妻は五千年前の異世界に王の娘として生まれた『姫』。強い霊力と能力を持って生まれた彼女は、その『世界』に封じられていた『災禍』という存在を解き放った。そのために彼女を含む四人の姫とそれぞれの守り役は『呪い』をかけられこの『世界』に落とされた。
その『呪い』とは。
姫達は『二十歳まで生きられない』で『記憶を持ったまま何度も転生する』。
守り役達は『人間の姿を失い獣の姿になり』『死ねない』。
そのために彼女達は何度も死んでは生まれ変わった。主たる姫が母胎に宿ると、不老不死の霊獣となった守り役がすぐに察知してそばについた。
果てのない人生の中で『災禍』もこの『世界』にいることを知った姫達と守り役達は『災禍』を滅することを己の責務と定め、『災禍』滅亡のために邁進してきた。
その『災禍』を昨年の夏、ついに滅ぼした。
悲願を果たした彼女達。『呪い』も解呪でき『二十歳までに死ぬ』ことも『記憶を持ったまま転生』することもなくなった。
責務を果たす過程で俺の彼女は俺の想いを受け入れてくれ、妻となってくれた。その妻を喪う覚悟をして戦っていたが、彼女は生き残れた。これからずっと俺のそばにいてくれると約束してくれた。
もう彼女を喪う心配をしなくてもいい。いつ別れるかと恐れなくてもいい。死に別れたあと転生した彼女がひとり苦しむのではないかと案じていたがそんな心配もなくなった。
ずっと彼女といられる。
しあわせだ。がんばってよかった。
その彼女はすっかり元気になった。
『災禍』滅亡直後は熱を出して寝込んでいたが、回復してからは体調も落ち着いている。
「少しでも恩返しになれば」と始めた古文書解読にも慣れ、オンラインでのやりとりもスムーズになった。体力的にも精神的にも安定し、彼女の生活は落ち着いた。
時々安倍家や菊様から面倒事を持ち込まれるが、そこまで負担にはなっていない。彼女はのびのびとしあわせに暮らしている。
妻とは昨年の夏に正式に婚約者として結ばれた。結婚は戸籍上の年齢が達していないのでまだできない。だからせめてと結納を交わした。
両方の両親家族も認めてくれているし、友人知人もみんな俺達を『夫婦』と認識してくれている。しあわせだ。がんばってよかった。
夫婦として後始末の夏を過ごし、秋祭りやハロウィンの騒ぎに追われ、出雲の神議に呼び出され感謝を伝えた。初めてのクリスマスを楽しみ一緒に大晦日を過ごし新年を迎えた。あちこちのライトアップイベントに足を運び、雪を楽しみ梅を楽しみ、あっという間に月日が経った。
彼女の誕生日パーティーも終え、もうじきふたりで迎える初めての本格的な春。行きたいところ、見せたいところがたくさんある。
体力作りと称して散歩に行った場所は桜の名所も多かった。そこに片っ端から行こう。改めて『夫婦』となった喜びを分かち合おう。出かけるついでに神社仏閣や『主』のところにも顔を出さないといけないな。妻が生き残れたのはたくさんの御加護のおかげ。ひなさんからの話に何度青くなったことか。その感謝を伝え御礼をしなければならない。ちょうど春休みで時間はある。毎日花見を兼ねた御挨拶行脚という名のデートをしようそうしよう。
そう考え、彼女と守り役と一緒に計画を立てていた。過去の開花状況から今年の開花予測を立て、いつどこに行くか検討した。行くついでに寄りたい店もリストアップ。御挨拶にいくリストも作り、手土産の相談をしていた。
そんな話をしていたらすぐに春休みに入った。
終業式の夜、久々に姫達と守り役達、ハルと保護者達、そして俺達霊玉守護者が集まった。
◇ ◇ ◇
事の発端はひなさんが京都に来たこと。
ひなさんは『半身』の晃が安倍家主座直属であるために姫達の責務に巻き込まれ死ぬことを恐れ、協力を名乗り出た。そして参謀として活躍し、責務を果たす立役者となった。
俺はひなさんが『協力してくれた』と思っていたが、正確にはひなさんが安倍家に『晃を守るための協力』を依頼したらしい。詳しく話を聞けばひなさんらしい潔さに納得しかなかった。
その依頼の対価としてひなさんが提示したのが『目黒の年度末処理を無償で引き受ける』。要は金銭でなく労働で支払うということ。
あれだけの能力のあるひなさんなら通常の給料以上の働きをするだろう。対価としては妥当だと判断できる。いやもしかしたら過剰なんじゃないか?「ひなの働きがあったからこそ悲願達成となった」って守り役達が言ってたような?
まあとにかく、ひなさんは終業式の日の夜から京都に来た。この離れに泊まり込むことになり、妻が喜んだ。
「せっかくひなが来るから」と菊様が全員招集を命じ、夜に集まることになった。
そこでお互いに最近の話をし、困りごとがないか確認された。みんなそれぞれに順調に過ごしていた。春から新生活を迎えるのは双子のみ。他は基本進級なので大きな変化はない。
俺達も「特に問題はない」と報告した。「桜が咲いたらあちこち花見に行こうと思っている」「ついでに挨拶に行けるところには行こうと思う」と。
その報告にハッとしたのは晃。
「今年の桜の開花、『災禍』のエネルギーの影響はないですかね?」
春は元々面倒事が増える。
冬は寒さから様々なものが停滞する。獣は冬眠するし『ヒトならざるモノ』も冬眠するのもいる。低級妖魔にすらならないようなモノは木陰や地下に隠れる。『善気』や『邪気』やなんかも雪とともに地中に沈む。
停滞期となる冬の風は『悪い風』と成り病魔を呼び寄せることも多い。現代は乾燥によるウイルス感染、緑黄色野菜が減ることによる栄養不足、運動不足による体力低下、他にも様々な要因が説明できるし解決策も多い。が、俺が前世を生きた四百年前も前前世を生きた千二百年前も冬はヒトがゴロゴロ死んだ。それは『悪い風のせい』と言われていた。
そんな冬を越えた春には様々なモノが一気に開放される。
暖かくなるにつれ冬眠から覚める獣や『ヒトならざるモノ』達。地中から芽が伸び木々が芽吹き、花開くときに地中に沈んでいた『気』も『霊力』も一気に開放される。それにより活性化する様々なモノ。地中に潜んでいたモノ達も開花と一緒に開放される。
そうして浮足立った妖魔が騒ぎを起こす。活性化した霊力に影響を受けた人間も『ヒトならざるモノ』も騒ぎを起こす。
人間も『ヒトならざるモノ』も春の気配に浮かれ活動的になる。それは『気』となり『場』を活性化させる。
さらに言えば春は新生活の季節。感情が揺らぎ、ストレスが増え、トラブルも増える。
善気ややる気、好意や前向きな感情だけならいいが、陰気や悪意なんかも多く生まれる。
場合によっては瘴気を生み出したり『悪しきモノ』を生み出したりすることもある。
そんなあれこれがあり、元々春は注意が必要な季節だ。
特に桜の開花時期はいけない。
桜は花を多くつける。そのせいで地中の『気』が一気に開放される。
おまけに花見に浮かれるモノが多く、人間も『ヒトならざるモノ』も『気』を昂らせる。その『気』が集まり霊力と成る。
神仏や人間やそこの『場』やに善いエネルギーを与えるなら良いことなんだが『悪しきモノ』や善くないモノにも影響を与えることが多々多々ある。
そうして俺達退魔師の出番が増える。
毎年春はそれぞれの退魔師や『守護者』がそれぞれの地域や担当場所を見張り、必要に応じて対策を取っている。
今年もそれでいいと俺は考えていたんだが、晃は「例年通りの配置じゃマズいかも」と言う。
「あの『災禍』滅亡で放出されたエネルギー。大半は『宗主様の高間原』や神様方に還元されたけど、それでもかなりの量が地に宿りました」
「となると、桜の開花と同時に開放される可能性は高いと思うのですが、どうでしょうか?」
………指摘されれば納得しかない。
菊様が鏡を取り出し霊力を込める。
「確かにね」「ちょっとマズいことになりそうね」
つぶやいた女王。「晴明」と呼びかける。『どう思う?』と言外に問われ、ハルがおとがいに指を当てる。
「開花前に散らすのはできませんか」
「無理ね。広範囲に染み込みすぎてる」
「となると、開花後に対応することになりますね」
「そのほうが安全ね。下手に開花前にちょっかいかけると爆発しそう」
「ふむ」
そこから京都市の地図を広げ、ああだこうだと話し合いになった。結果、開花前に神社仏閣をはじめとする各地の担当者に注意喚起をすること、開花後手に負えない場合には安倍家に連絡するよう通達を出すことになった。
神仏をはじめとする『高位の存在』にも「一言申し上げておく必要がある」と判断された。どの順で挨拶に行くか、他に調べること確認することはないか、多方面から話し合いが重ねられた。
やることをリストアップし、担当を決めていく。
人間への連絡は安倍家が。『高位の存在』へは菊様が先触れを出す。京都全体の監視は白露様と緋炎様。黒陽は地下の水脈の確認。蒼真様と梅さんは桜を含めた植物の状況確認。
出てくる『悪しきモノ』は基本そこの担当能力者達でどうにかしてもらう。俺達が出しゃばりすぎるのは「良くない」と女王は言う。確かにな。明らかに「手に負えない」と白露様緋炎様が判断したものは蘭さんと佑輝が討伐する。「強いの出るといいな!」じゃないぞ。これだから戦闘特化は。
ナツは桜が満開になったときに開かれる神々の宴に可能な限り出向いて舞を奉納するよう命じられた。晃とひなさんも「参加しろ」と命じられ了承していた。吉野と伊勢で炎を奉納するって言ってなかったか? 京都でまでやらせるのか? 人遣い荒いなこの女王。
次々とやるべきことと担当を決めていく女王。が、『開花前の御挨拶』がいつまでたっても埋まらない。そして俺と妻の担当も。
「竹」
「はい」
……………まさか。
嫌な予感に眉を寄せた。
女王は恐ろしいほどの美貌に笑みを乗せ、俺の妻に告げた。
「桜が咲く前に京都中の神仏や『主』達への挨拶。アンタ、行きなさい」
やっぱりか!
「は「ウチの妻ひとりに押し付けないでくださいよ」
愛しい妻が返事をするより早く文句を叩き込む。
「『竹ひとりに押し付ける』なんて、しないわよ」
女王は「ふん」と偉そうに腕を組んだ。
その様子に、守り役達と手分けするのか他の姫との分担かと思っていたら、女王はニンマリと笑った。
「アンタと竹、ふたりで行きなさい」
「ふざけんな」
京都がどんだけ広いと思ってんだ! そんなことさせたら竹さんが体調崩すだろうが!
「口の利き方がなってないわよ」「私を誰だと思ってんの」
「誰だろうと。どんな立場だろうと」「俺の妻に負担をかけるなら許しません」「断固戦います」
バチバチと火花を散らす俺達に愛しい妻がオロオロする。が放置だ。これまでだってこうやって面倒事を押し付けられては体調崩したんだ。これ以上聞いてたまるか!
「ふたりだけなんて間に合うわけないでしょう」
「イケるイケる。決戦前だってどうにかなったじゃない」「あのときは一晩だったけど、今回は数日あるから」「まとめられるところはまとまるように連絡するから」「大丈夫でしょ」
「手分けしてくださいよ」
「決戦前に『願い』をかけたのは竹とアンタでしょ」「アンタ達ふたりが行くのが『筋』なのよ」
「せめて黒陽だけでも行かせてください」
「黒陽は地下水脈と水源確認優先」「黒陽以外に誰に任せられるっていうのよ」「それともそっちも竹にやらせる?」
………ぐぬうぅ。論破できない。くそう。
睨みつける俺に女王は馬鹿を見る目を向けた。
「アンタ忘れたの?」
「誰のおかげで今竹が生きてんの?」
……………それを出されると……………。
ぐぬう。と口をゆがめる俺に女王は勝利を確信したらしい。ニンマリと嫌な笑みを浮かべ、命じてきた。
「智白」
「……………」
「竹とふたり、桜が咲く前に挨拶完了させなさい」
「……………」
「返事は」
「……………!」
……………くっそぉぉぉおお!
「―――わかりましたよ! やればいいんでしょ! やれば!!!」
「最初から素直に受け入れなさいよ」
フンと女王は悪態をつく。くそう!
「トモさん」「付き合わせてごめんなさい」愛しい妻は申し訳なさそうにすがってくれる。
「トモさん行きたくなかったら私ひとりで行くから」「大丈夫だから」
またマイナス思考が仕事している! おまけに遠慮までして!!
「違うよ」「行きたくないんじゃなくて、貴女が心配なんだよ」
「私、大丈夫」「がんばる」
「貴女が頑張り屋なのは知ってる」「知ってるから心配なんだ」「無理させたくないんだ」
どれだけ訴えても「がんばる」しか言わない生真面目な頑固者。ああもう! こんなの、俺がついて守るしかないじゃないか!!!
黒陽がかなり粘ってくれたが女王は聞く耳を持たない。逆に「開花後の宴、竹も参加しろ」と命じられてしまった! 仕事を増やすな!
「元々『挨拶に行く』って言ってたじゃない」
「それは花見のついでです」
「いいじゃない。宴のついでに花見したら」
「……………」
ぐぬぬぬぬ、と女王を睨みつけていたら愛しい妻が「そうさせてもらいます」と答えてしまった!
「たくさんお花見に行けるね」「たのしみ」
ほにゃりと微笑みのんきにそんなことを言う妻。クソかわいい。
妻のかわいさに色々諦めた。せめて彼女の負担が少なくなるよう取り計らおう。
そうして翌朝一番から菊様の指示の順に京都中を駆け回った。どこでも彼女は大歓迎され、笛を演奏し舞を舞い霊力を献上した。
「桜が咲いたらまた舞いに来い。また笛を聞かせろ」とあちこちで命じられる。こうなると思ったよ!!
ああそりゃそうだろうよ。満開の桜を愛でながらの妻の笛は最高だろうよ! 満開の桜をバックに舞うウチの妻は最高だろうよ!! けどな! 一件二件ならともかく、何千件あると思ってんだ!!!
そんな文句を言いたくても妻が助かったのは神仏の御加護のおかげと理解しているから従うしかない。せっせとふたりで霊力を献上し、開花時期に起こり得るであろうことを報告した。
「非常時以外使用禁止」と言われていた時間停止の結界を使い、あちらこちらへ御挨拶にあがった。移動は俺が彼女を抱いて駆けた。彼女は転移が使えるがその霊力がもったいない。梅様特製の回復薬を適宜使用し、時には時間停止をかけて昼寝をし、どうにか指定期間内にノルマを達成した。
温暖化の影響か『災禍』の影響か、今年は桜が早くから咲き始め、一気に咲いた。
例年ならば早咲き満開の一週間後にソメイヨシノが、その一週間後に遅咲きが咲くのに、まだ早咲きが残っているのにソメイヨシノが満開を迎えたりした。やはり『災禍』の影響だろうとハルも菊様も断じる。
まだ三月のうちから次々と満開になった。春休み期間とあって一日中妻といられる。満開となった神社仏閣の『高位の存在』からの呼び出しが菊様やハル経由で届く。ひとつひとつ応じ、ついでとばかりにふたりでのお花見デートを楽しんだ。
◇ ◇ ◇
俺はどちらかといえば春があまり好きじゃない。
春は討伐依頼が一年で一番多い。正直面倒。世間は「桜」「桜」と浮かれているが俺にとっては迷惑の一言。
同じ花でも梅はまだ寒い時期なこともありそこまで影響はない。木蓮も桃も同じく。
けれど桜はいけない。アレは人間を狂わせる。いや狂うのは人間だけじゃない。とにかく桜の開花に影響を受けるモノが多い。そのせいで厄介事が増え仕事が増える。
だから今生の俺は元々春も桜も好きじゃなかった。
前世と前前世の記憶を取り戻し、春と桜に良いイメージを持っていなかった理由に思い当たった。
前世、妻と死に別れたのは春だった。満開の桜の向こうに消えた妻を想い、毎年『竹さんの桜』と名付けた桜の満開に合わせて晴明と酒を酌み交わした。桜は彼女を思い起こさせる。しあわせな気持ちになると同時につらくて狂いそうだった。
前前世、俺が死んだのが春だった。
その年の冬は疫病が大流行した。俺は下級官吏だったが退魔師をしていた関係でとある殿上人と縁がありこき使われていた。その殿上人と一の側近までも病魔に冒された。調薬の知識も技術もあった俺は依頼を受け、材料を求め山に入り薬を作った。妻関係で親しくなった『主』達にも具合を悪くするモノが現れ、請われるままに聖水を作った。『悪い風』を散らすために常に都中に『風』を展開。死者を集め弔い、病魔を散らさないために火葬した。その火力を上げるときも『風』を使った。
上のものが倒れ指揮系統がぐちゃぐちゃになっていたのであちらもこちらも混乱していた。上のものに投薬し霊力を注ぐ俺に「どうしよう」と言ってくるから仕方なく指示を出した。人間も『ヒトならざるモノ』も俺の指示を聞いて動いた。俺が指揮を取ることであちこちが動き出し、どうにか対策らしきものが取れるようになった。気が付いたらあちこちに指示を飛ばし人間も『ヒトならざるモノ』も使っていた。
そうやって寝食を削り必死に動いた。文字通り八面六臂に動き回った。どうにか冬を越して収束を迎えたとき、俺の霊力が尽きた。
春になり湧き出したモノにひとりで立ち向かい全滅させた。疲れ果て桜の樹の幹にもたれたらそのまま沈み込んで立てなくなった。見上げた満開の桜は月明かりを受け、夜の闇の中でほのかに光っているようだった。かすかな夜風で穏やかに揺れる様子がまるで彼女の笑顔のようで「彼女は褒めてくれるかな」と思った。最後に目にしたのは左手の薬指の指輪。「絶対にまた出逢う」「また妻にする」そう『願い』ながら意識を手放した。
◇ ◇ ◇
俺にとって春は『厄介な季節』。桜は『死を連想させる花』。
これまではそうだった。
けれど、今は違う。
暦の上では昨年にあたる春。
彼女と出逢った。
彼女の展開する結界の中は満開の枝垂桜であふれていた。穏やかな彼女の霊力に包まれていた。
彼女の愛らしさにとらわれた。また逢えたと歓喜に震えた。
その瞬間、俺の春のイメージも桜のイメージも上書きされた。
春は彼女と出逢えた季節。
桜は彼女との出逢いを祝福する花。
実際彼女の身を飾るものを選ぶとき、ついつい桜モチーフを選んでしまう。あの出逢いを思い出して。『俺の竹さん』だと示したくて。
色白でやわらかな雰囲気の彼女は桜色も桜モチーフも似合う。かわいい。ふんわりと浮かべる笑顔はあのときの枝垂桜のよう。あたたかな霊力は春の空気のよう。ああもう愛おしい。俺の妻、最高すぎる。
桜が咲いてからも呼び出されるままに桜の名所に足を運ぶ。そうして神域にお邪魔し、酒や食い物を捧げ改めて感謝申し上げる。ふたりで霊力を献上し、妻が笛と舞を奉納する。そうなるとやんややんやの宴会がはじまるが頃合いを見て失礼する。
うまく店が開いている時間に開放されたらそのままデート。季節柄桜モチーフの雑貨があちこちに並ぶ。ついつい手に取っては買ってしまい「もう十分よ!?」と妻に怒られた。
毎日毎日彼女と出かけた。桜が満開を迎えてからは毎晩どこかの宴会に顔を出した。朝も昼も夜も一緒。しあわせ。
日によっては五件連続で宴会があった。本当は何十件とご招待があったらしいが妻の体力と健康を考慮してもらいご遠慮願った。そういう交渉は全部女王に丸投げ。こき使うんだからこのくらいはしろ。
予想どおりあちこち活性化していて、安倍家の実働部隊も他家の担当者もなかなかに大変だったらしい。が、俺達はそんなのに関わる暇はなかった。
かなり手に負えないのも出現たが、蘭さんと佑輝で始末したと聞いた。
「これでまた少し落ち着くでしょ」
「ですね。数年は様子を見る必要がありますが、今年ほどのものは以後はないかと推察します」
女王とひなさんがそう判断する。ハルも同意見。妻に迷惑かからないなら俺は関係ない。そっちでいいようにしたらいい。俺と妻を巻き込むなよ。
ナツは自分の神様のところだけでなくあちこちで舞を奉納させられた。「今年限り」と条件つきで。祇園の神々の『愛し児』のナツは基本自分のお仕えする神様のところでしか舞わない。が、今年は『災禍』滅亡後最初の春とあって「悲願達成の御礼として」「菊様の配下である霊玉守護者として舞を奉納させる」と菊様が公約しやがった。ちゃんとナツの主筋の神々には承認を得た上でのことらしいが、ホントあの女王は人遣いが荒い。
そんな大規模宴会には毎回安倍家からこれでもかと酒と食い物が差し入れられ、主催者からも参加者からも喜ばれた。
ナツだけでなく晃とひなさんも、緋炎様と黒陽まで舞を奉納した。当然ウチの妻も。
宴の開催は深夜だったので、仕事のあるナツも学生の晃とひなさんも参加できた。守り役達が転移で強制的に連行していた。気の毒に。
「礼のための奉納舞だというなら、姫様方こそが霊力奉納すべきじゃないんですか」
『アンタが自分で霊力献上しろよ』というのを遠回しに伝えたが、女王は平気な顔。
「ひなは私の駒よ」「私が命じて献上させてるんだから私が献上したことになるでしょ」
ケロリと言い切る女王。ふてぶてしい。こんなひとと婚約させられてヒロも気の毒に。
「菊様は『高位の方々』からの無茶ぶりに応えておられるよ」「『白の女王』としてのお勤めも果たしながら定期的なお礼もちゃんとしておられる」「梅さんも蘭さんもあちこちに霊力献上してるよ」
コソリとヒロが教えてくれる。
「菊様はご自分の努力や功績をおおっぴらに見せるタイプじゃないから」「照れ屋さんなんだよ」「かわいいでしょ?」
それただのひねくれものじゃないか? ヒロ、女の趣味悪かったんだな。俺の妻は素直でかわいい。やっぱりウチの妻は最高だ。
「ヒロ。そいつぶん殴りなさい」
理不尽女王の命令にヒロは笑うだけで従わなかった。
スケジュールをやりくりし、吉野と伊勢へも行った。晃とひなさんが炎を奉納するときに一緒に参加し感謝を述べふたりの霊力を献上した。
あそこまでうまくいったのは事前に晃とひなさんが数多の神々が集まる場で霊力を献上してくれていたからで、その霊力を献上する許可を今の所属である吉野の神々と晃のルーツである伊勢の神々が許可してくれたからだと説明された。
十一月にあった出雲の神議でそんな話を暴露され、その場で感謝申し上げ霊力を献上した。新年にも御挨拶にうかがった。が、花見時期に晃とひなさんが舞と炎を献上するというならば俺達も御礼にうかがわないといけないだろう。
そう相談すると、生真面目な愛しい妻もその守り役も「そのとおりだ!」と同意してくれた。
吉野と伊勢、それぞれの宴に顔を出し、ついでに花見も楽しんだ。ここ四百年は京都から出ることはなかったふたりは喜んだ。
晃とひなさんが色々案内してくれ、少しだが観光も楽しんだ。プチ旅行に妻は喜んだ。「来年も来たい」と笑った。
彼女はこれまで『呪い』があり二十歳まで生きられなかった。
いつ死ぬかわからない生。常に『死』が隣にあった。
だから彼女は『先』の約束をすることはなかった。こちらが話を向けても困ったように微笑むだけでなにも言葉に出すことはなかった。
その妻が。
ごく自然に。当然のように。
「来年も来たい」と口にした。
妻が『来年』の希望を持てるようになった。
『未来』を見るようになった。
それがわかり、嬉しかった。
◇ ◇ ◇
指示された場所以外に、俺はどうしても彼女と行きたいところがあった。
ひとつは船岡山。今生初めて彼女と出逢った場所。
出逢ったのと同じ日に黒陽と三人で先代玄武様を訪ねた。あのときと同じ枝垂桜の『異界』を展開し、彼女が笛を演奏した。
出逢えた奇跡に感謝を捧げ、妻とふたりで霊力を献上。先代玄武様は喜んでくださった。
「今後生ある限り毎年御礼に参ります」と誓った。先代玄武様は「幸あれ」と祝福をくださった。
その足で教授のところにも挨拶に行く。なんだかんだこのひとはキーマンだった。このひとのおかげで妻と出逢え、鬼に遭遇し、『宗主様の高間原』に行けた。教授はそんなこと知らないが、このひとがいたおかげで妻は生き残れ、京都も無事だった。その感謝は節目節目で伝えなければならない。
菓子折りを手に研究室へ顔を出し、他愛ない話をする。ついでに運用しているシステムについても聞く。
「希望でも文句でも、なんかあったらいつでも言って」「教授は俺達の恩人だから」「最優先で対応するよ」そう言えば「立派になったなあ」と喜ばれた。ガキ扱いに照れ臭くむずがゆくなったが、恩人なのでそんな扱いも甘んじて受け入れておいた。
もうひとつは蹴上のインクライン。
俺が『宗主様の高間原』から戻り彼女付となったあと、彼女の体力作りとして散歩にでかけることにした。その一番最初に訪れたのがインクラインだった。
あのときは六月で葉桜だった。ふたり手をつなぎ歩いた。
「桜の季節にまた来よう」そう言った俺に彼女は困ったように微笑むだけでなにも答えてくれなかった。
『それまで生きていられるかわからない』彼女はそう考えていた。
俺も「諦めない」と足掻きながらも心のどこかで「無理かもしれない」と覚悟していた。それが今こうしてふたりでいられる。がんばってよかった。諦めなくてよかった。
改めて生きている喜びを分かち合うため、あの日の約束を果たすため、インクラインの桜は絶対に行きたい。
スケジュールをやりくりし、満開の早朝に彼女と黒陽と三人でインクラインに向かった。
「―――すごい―――!」
夜明けすぐの早朝。朝靄の中、満開の桜がトンネルを作っていた。
清々しく清澄な空気に包まれ、薄紅色の桜が咲き誇る。彼女は口を大きく開け、言葉もなくただ見上げていた。
喜んでいるのが伝わり、俺もうれしくなった。ちらりと目を遣ると守り役はそんな主に感極まったように目をうるませていた。
彼女はただじっと立ち、桜を見つめていた。
俺は隣に立ち彼女の手を握り、そんな彼女を見つめていた。
「トモさん」
桜を見つめたまま、彼女がポツリと話しはじめた。
「去年、貴方が言ってくれたの、覚えてる?」
「『来年の桜の季節にまた来よう』って」
視線を桜から俺に移した妻。穏やかな表情にキュンとした。
「覚えてるよ」
『だから今日来たんだよ』とは明かさず、ただ微笑む俺に彼女は微笑み、また桜に目を向けた。
「あのときね」
「私、『ムリだ』って思ったの」
「私、もうすぐ死んじゃうって思ってたの」
「なのに」
さわりと風が枝を揺らす。昇る朝日にあたりが明るくなっていく。
「ここの桜が見られるなんて、思わなかった」
「貴方と一緒に見られるなんて、思わなかった」
ゆっくりと俺に顔を向ける妻。その目が潤んでいた。
「ありがとう」
「ありがとうトモさん」
万感を込めた眼差しと微笑みに、またも胸を貫かれる。俺の妻、天使。いや女神。ああもう。好きだ!
「お礼を言うのは俺のほうだよ」
「がんばってくれてありがとう」
「生きてくれてありがとう」
「俺の妻になってくれてありがとう」
いつものように感謝を伝える俺に、妻はただうれしそうに微笑んだ。
「これからもずっと一緒だよ」
「来年も、再来年も、その先も。ずっと一緒にここに来ようね」
「うん」
「約束」
微笑み合い、どちらからともなく桜を見上げた。朝靄が晴れて線路と桜がはっきりと見通せるようになってきた。
満開の桜に囲まれたまっすぐに延びる線路に、ふと感じた。まるでこれからもずっと続いていく未来への道のようだと。
そうだ。これからもずっと歩いていくんだ。ふたり一緒に。こうやって、手を繋いで。
諦めない。なにがあっても。
彼女と共に生きる。
早朝の風がふたりの頬を撫でる。桜の枝を揺らす。
きっと数時間後にはよく晴れて気温も上がり、颯々とした風になるだろう。
あの日あのとき、彼女にとらわれた。
颯々とした風が桜を揺らした。
あれから一年。変わらず俺は彼女にとらわれている。颯々とした風の下、彼女に恋をしている。
きっとこれからもずっと彼女に恋し続ける。何年経っても、何十年経っても、生まれ変わっても。
「ずっと一緒だよ」
「うん」
「大好き」
「私も」
繋いだ手から互いの霊力が循環する。俺達はひとつだった。またひとつに戻った。
生きている感謝を胸に、愛しい妻とともに桜に囲まれて伸びる線路を見つめた。
これからもふたりで進んでいく。
新たな誓いを胸に、愛しい妻の手をぎゅっと握りしめた。
決して離さないように。離れないように。
◇ ◇ ◇
御室桜も見た。八重桜も楽しんだ。満開時も行った哲学の道に再び足を運び花筏を楽しんだ。神々の宴の合間にライトアップも楽しみ屋台も楽しんだ。
昨年の同じ時期は彼女に出逢ったばかりで悶え苦しんでいたが、今年はふたりの思い出がたくさんできた。まさかあの一年後(体感では数年だが)にこんなふうに過ごせると思わなかった。しあわせだ。あちこちに感謝を捧げまくろう。
そうして今年も無事に桜の季節が終わった。
大きな問題はどこにも起きなかった。どこも問題になる前に対処できたらしい。佑輝と蘭さんが「もっと手強いの出てもよかったのに」と文句を言って緋炎様に怒られていた。
双子は満開の桜での入園式を終え、毎日楽しく幼稚園に通っているという。黒陽が隠形でついて行っている。話を聞く限りは問題なさそう。とはいえこの守り役も常識がないからな。まあ俺には関係ないからほっとこう。
愛しい妻は黒陽不在でも変わらず古文書解読にいそしんでいる。昼食はアキさんが一緒に食べてくれるので安心だ。
俺も学校がはじまった。妻といられる時間が減る。嫌だが仕方ない。さっさと大学に入ってさっさと卒業しよう。そうして自宅でできる仕事に就いて一日中妻といよう。
かわり映えのないような毎日。それがどれだけ貴重なことか、俺は知っている。だからこそ一日一日を大切に。彼女との時間を大切に。
「大好きだよ」
伝えたい気持ちを言葉にして。
彼女と生きていく。
ずっと、ずっと。
ふたり一緒に『しあわせ』に。
次回から菊の周りの人々のおはなしをお送りします
しばらく毎日18時に投稿します