【番外編4】恋とはどんなものだろう 5
翌日。
いつものように朝早くからトモと修行。
黒陽様は『呪い』が解けてからも朝はゆっくり寝られるから、朝の修行はトモとふたりが多い。たまにハルや緋炎様が加わることもあるけど、今日はぼくらふたりだけ。
いつものように柔軟してランニングして霊力操作の鍛錬して術合戦して無手の組手して木刀で打ち合う。
トモもあの『宗主様の高間原』で同じメニューこなしてきたから実力は同じくらい。でもトモの体内に在る『降魔の剣』の分が上乗せされてるカンジがする。とにかく必死で向かっていかないとすぐにコテンパンにされちゃう。でもそれが楽しい。トモもニマニマしながら打ってくるから同じ気持ちなんだろうなあ。
あの騒動が終わってちょっと落ち着いた頃――正確にはトモがデジタルプラネットの仕事から開放された時、トモから提案された。
「朝、一緒に修行してくれないか?」
なんでもトモは以前死にかけた糺の森での鬼との戦いのときに実感したらしい。
「ヌルい修行してたんじゃイザというときに戦えない」
「自分達が投入される場面は自分達が失敗したらもうおしまいということ」
「自分自身が生き残るためにも、世の中を守るためにも、俺達は厳しい修行を己に課して実力をつけなくてはいけない」
それからは竹さんのために文字通り無我夢中で修行に励んできたトモ。その甲斐あって竹さんの責務を果たせて『呪い』も解けて、竹さんを助けることができた。後始末もだいぶ目処が立って、トモは竹さんと穏やかな暮らしのための準備をしている。
そのときに「思い出した」という。
あの鬼にやられたときに感じたことを。
竹さんをこれからも守り続けるために。
万が一のことが起きても戦って生き残れるように。
竹さんを悲しませることのないように。
トモは、己に厳しい修行を課すことを決めた。
で、その相手に指名されたのがぼく。
まあね。
晃はひなさんにべったりだし。ナツは仕事あるし。佑輝は朝練あるし。時間停止の結界も異界の展開もハルに禁止されちゃったから、時間が取れるのはぼくだけだもんね。
守り役様達も時々修行つけてくれるけど、やっぱり毎日の修行もいるよね。ってことで、ぼくとトモで毎日一時間程修行をしている。
結界展開して全力で相手するから、ぼくにとってもいい修行になる。
昨日保護者達に色々言われて、ぼくなりに考えてみた。
恋愛のこと。結婚のこと。将来のこと。目黒の家のこと。安倍家のこと。菊様のこと。
考えたけど結論なんかでなかった。ただ菊様とぼくが結婚することは菊様にとってとてもいいことだとは改めて理解できた。
多分ぼくと結婚して安倍家で暮らすようになったら、菊様が今お持ちの問題は全部解決する。むしろ白露様が堂々と一緒にいられるようになるから快適度は格段に上がる。はず。
問題は菊様が『結婚するのがぼく』ということを忌避されないかということ。
これまで十年以上、年に数回とはいえ顔を合わせてきて、嫌がられたり気持ち悪がられたりしたことはないから大丈夫だとは思うけど。でもよく小説なんかで出てくる貴族の話に『使用人は家具と同じ』とか書いてあった。ぼくも『ハルのおまけ』で『家具扱い』で認識されていなかった可能性もある。そうなったらいきなり親しくもない男が結婚相手候補になるわけで、もしかしたら菊様にはご不快かもしれない。
それでも、ぼくがお相手でも我慢できるとか、結婚相手がぼくというマイナスを抱えてでも希望通りの暮らしを選択されるとかの可能性もあるわけで。そうなると、ぼくは菊様にどう接したらいいんだろう。
あれこれと仕事をしながら空いた時間に考えていた。
けれど結局結論なんて出なくて、ベッドで横になっても考えてたけど寝付けないだけで。
そのせいでなんだかモヤモヤが余計増えた気がする。
そんなモヤモヤを吹き飛ばすつもりでトモに食らいついていった。
頭カラッポにしてひたすら打ち合う。いつものように。
打ち合ううちにだんだんとスッキリしていく。もっと強く。もっと速く。
互いの存在と強さだけの世界で、がむしゃらに木刀を振るった。
今日も今日とてギリギリの打ち合いをしていた。
と。
ピピピ。ピピピ。
スマホのアラームに、ピタッと同時に動きを止める。
「ああ。ここまでか」
ちょっと残念そうにつぶやくトモに苦笑が浮かぶ。ぼくも残念。でも、今日も楽しかった。
お互いに姿勢を正して「ありがとうございました」と頭を下げる。
「今日もヒロから一本取り切れなかったな」なんて言いながらトモが柔軟をはじめる。ぼくも柔軟しながら「こっちの台詞だよ」と返す。
「………あのさヒロ」
ためらいがちなトモに「なに?」と返すと「ちょっと、聞きたいことがあるんだが」なんて言う。
「なに?」
腕を伸ばしながらたずねると、トモも腕を伸ばしながら、なんてことないことのように言った。
「ヒロは正直なとこ、菊様のことどう思ってんだ?」
目を合わすことなく、柔軟のついでとして聞いてくるトモ。トモなりに気遣ってくれてるのがわかってうれしい。でも。
「……素晴らしい方だと思ってるよ」
敢えて、そう答えた。
でもトモはそれで納めてくれなかった。
「他には?」って追撃してくる。
「『強い』方だと思う」
「………ふーん」
背中を曲げて伸ばしながら、いつものように飄々とした様子で答えるトモ。いつもならこれで話はおしまい。でも今日はいつもと違った。
「……ちなみに、梅さんのことはどう思う?」
「梅さん?」
思ってもみなかったことを聞かれて一瞬ポカンとしてしまった。けど、聞かれたから考えてみる。梅さん。梅さんは……。
「しっかりした方だと思う。あと、情に厚い方だなって」
「確かにな」
トモも同意見みたい。楽しそうに笑ってる。
「じゃあ、蘭さんは?」
「蘭さん? 蘭さんは……かわいいひとだと思う。なんていうの? 子犬みたいな」
「あー。わかる」
ふたりでクスクス笑ってたら、トモがさらに聞いてきた。
「じゃあたとえば、梅さんが『付き合って』って言ってきたら、どうする?」
「は?」
ありえない『たられば』に「ナニ言ってんの?」と言えば「たとえば、だよ」なんて『考えろ』と言う。
「ないない。梅さんはぼくのこと、そんなふうに見てないでしょ」
「だから『たとえば』だって。もし言われたら、どうする?」
「もし言われたら……、無礼かもだけど『ごめんなさい』するよ」
「なんで? 人間性はいいし、顔も悪くないだろ?」
なんか今日のトモはやけにツッコむなぁ。なんだろ?
不思議に思いながらも「それはそうだけど」と答える。
「ぼくが梅さんのこと、そんなふうに見られないもん。ないない」
「じゃあ蘭さんは?」
「あのひとこそありえないよ! あのひと友達でしょ!?」
「そっか」
軽く答えたトモは、ふと真顔になった。
なんだろうと思ったら、すごくイヤそうな顔で聞いてきた。
「………ちなみに……、竹さんのことは……どう、思ってる?」
自分が聞いといて嫉妬向けてくんなよ。
苦笑しながらもイタズラ心が湧いてきて、わざと「かわいいと思ってるよ」と答えた。
予想どおりムッとするトモ。他のことは執着しないくせに、竹さんのこととなるとこうなんだもんなぁ。
「妹みたいに思ってる」
「……………恋愛感情は………」
「ないない。あったらトモの応援なんてしないよ。だろ?」
そこまで言うとトモはやっと納得したみたいにホッと息をついた。まったく。結婚式までしたのに、なんでいまだにそんな自信ないのかなぁ。
「じゃあ菊様が『付き合って』って言ってきたらどうする?」
突然ペロッとそんなことを言うトモ。
びっくりして、思わずトモの顔を凝視した。トモはいつもどおりの、なんてことない顔をしていた。
なんでかその目を見ていられなくて、そっと目をそらした。
「……ありえないよ」
どうにか答えたけど、なんか―――モヤッと、する。
「そうか? 昨日の話し合いでは菊様も乗り気だったじゃないか」
確かにいろんな条件並べられて乗り気になっておられたけど。でも。
「………恐れ多いよ」
トモがじっとこっち見てるのはわかったけど、なんか目を合わせられなくて、柔軟を言い訳みたいにグッと腰を回して顔をそむけた。
「ぼくじゃ身分が釣り合わない。『神代菊』様としても。『西の姫』様としても」
菊様の今生のおうちである神代家は古くから呉服業を営む、この京都では広く知られた名家。歴史もある。財力もある。政治家こそ排出してないけど、影響力の大きな家。
かたやぼくは会社としては新興の家の息子。鉾町に居を構える神代家から見たら一乗寺なんて田舎も田舎。そんな田舎の山の中の家の息子ということで、名家の集まりでは一段も二段も低く見られている。
ぼくは安倍家の次期当主のはとこではあるけど、直系重視の名家のひとたちにとっては『無関係』と扱われてる。どうもぼくがあの安倍家と関わりがあるとは思われてないらしいし。
母さんは有名人で人気者だけど、名家のひとたちにとっては「それはそれ。これはこれ」らしい。
おまけに菊様は五千年前からの女王。確かに今は国は無くなっているけれど、それでもあのひとは『女王』だ。ぼくみたいな一般人がおいそれと近寄っていい相手じゃない。
「恋愛対象として考えられない?」
「考えること自体がもう不敬でしょ」
同じように柔軟しながら聞いてくるトモに、やっぱり柔軟しながら答える。
「………『不敬』ねぇ……」
ボソッとつぶやくトモ。なんかよくわかんないけど、ヘタなこと言ってツッコまれても困るから黙って柔軟する。
そういえばぼく、昨日から色々考えてたけど、『結婚相手』とは考えたけど『恋愛対象』って考えたことなかったな。
トモの指摘でようやくそのことに気が付いた。
気が付いたけど余計な事言ってまたなんか言われても困るから黙っておいた。
ひと通り柔軟して、アイテムボックスからペットボトルを取り出して水分補給をする。
同じように水分補給したトモが、飲み口から口を離してこちらを向いた。
「気付いてないのか?」
「なにが?」
なんのことかと思ったら、トモはいつものようにサラッと言った。
「ヒロは『身分』と『立場』のことばかり言ってる」
「一回も『好きじゃない』とも『恋愛対象として考えたこともない』と言ってない」
……………え?
「つまり、『そういうこと』じゃないのか?」
……………え??
「梅さんや蘭さんに対しては『恋愛感情はない』とはっきり答えたのに、菊様に関してはそう答えなかった。ただ『不敬だ』としか答えなかった」
「つまり、『そういうこと』だろ?」
……………え???
呆然とするしかできないぼくに、トモは困ったような苦笑を浮かべる。
「お前も竹さんと同じだな。水属性特化はみんなそうなのか?」
「……………え?」
「自分のことがわかってない。自分の気持ちもわかってない。
『こう在るべき』『こうしなければならない』そんなことばかりを重視して、肝心の自分の気持ちに蓋をしている」
「……竹さんのこと、だよね?」
トモの言うことは竹さんの説明としては間違ってない。なのにトモは「お前も同じだよ」なんて言う。
そう? ぼく、そんな??
呆然とするしかできないぼくにトモは苦笑を浮かべた。
アイテムボックスに空になったペットボトルを納めて「戻ろう」とトモは歩き出した。
あわてて同じようにペットボトルを片付けてトモの横に並ぶ。
のんびりと歩くトモに合わせて足を動かしていると、なんてことないようにトモが口を開いた。
「お前は『そういうヤツ』だって、みんなわかってる。だからあの場で菊様も引いたんだろう」
いつもなら「じゃあまた明日」って別れてさっさと竹さんのところに戻るのに、今日に限ってぼくと並んで歩いて離れに向かっているのは、ぼくに話したいことがあるからだろう。
それがわかってるから、大人しくトモの話に耳を傾ける。
「例えば、あのまま『菊様にとっても安倍家にとっても都合がいいから』と『菊様と結婚しろ』と命じられたら、お前は受けるだろ?」
「………まあ、そりゃ、多分……」
それが誰にとっても良いことで、必要なことだったら、不敬だとは思うけど、受ける。
でも、受けるからには菊様のために、安倍家のためにちゃんとするよ?
そんなぼくの言いたいことをトモはわかったみたいで、やっぱり苦笑を浮かべた。
そしてちいさく首を振って「それじゃ駄目なんだよ」と言った。
「それではお前は『本当の自分の気持ち』に一生気付けない」
ぼくの、『本当の気持ち』??
トモは、なんだかトモらしくないやさしい顔で目を細めた。
「……ヒロと菊様は『半身』でなさそうだから、俺達とは事情も状況も違うと思う」
そう前置きして、トモは前を向いた。
ぼくはそんなトモの横顔を見ながら歩いた。
「俺達は『半身』だから、彼女に出逢ったその瞬間に『わかった』し、渇望するように彼女を求めた。
『半身』だから俺は彼女を諦められなかったし、なにがなんでもそばにいたくてがんばった」
昔のポンコツな頃のトモを思い出して「そうだったねぇ」なんて笑った。
そんなぼくにちょっとムッとしながらもトモはひとつため息を落として話を続けた。
「あのひと自己肯定感皆無だしニブいから、まっすぐ正直に気持ちをぶつけないと理解してもらえない。
だからずっと『好き』って正直に伝えた」
『うんうん』とうなずくぼく。
前を向いたままのトモはちょっと顔をしかめた。
「あのひと俺なんかじゃ考えつかないようなマイナス思考の持ち主だから、油断すると突拍子もない誤解して、しかも思い込み激しいからそれを信じ込んでしまう」
「あー」
「だから誤解されないように、誤解しててもすぐに撤回できるように、できる限り会話するようにしてる」
「えらいねぇ」
なに? ノロケ?
よくわかんないけど、とりあえず話を聞くことにする。
「周りから見れば『溺愛』とか『執着』とか言われると理解してるし、実際そうだと思う」
「そうだねぇ」
自覚はあるんだね。
そう思っておかしくなってたら、不意にトモが目を向けてきた。
「ヒロはさ」
「身近に『半身持ち』が多すぎて、『好き』の基準がおかしくなってるんじゃないか?」
……………は?
「両親であるタカさんと千明さん。晃とひなさん。俺と竹さん。あと『半身』じゃないかもしれないが、オミさんとアキさんもまあ普通の夫婦じゃないよな」
並べられて考えてみると、確かにぼくが親しくしているカップルはどこも必要以上に仲がいい。ハルと婚約者のリカちゃんもすごく仲良しだし。
「でも、『恋愛のカタチ』って、ひとつじゃないだろ?」
「ラノベに色んなパターンの恋愛が出てきたじゃないか」
術の研究にと購入している大量のラノベや漫画は竹さんにも貸している。そして竹さんのことを大好きなトモも彼女との会話のタネにと同じものを読んでいる。
「ヒロは周りを見て、知らないうちに『恋愛とは、熱く、激しく、夢中になるもの』だと思い込んでないか?」
―――それ、は―――。
トモの指摘に、なんでか静かな水面にポチャリと石が落ちた映像が浮かんだ。
『恋愛とは』。『恋愛』。改めて指摘されると―――どんなものだろう?
トモの言うとおり、ぼくの身近なカップルはみんなお相手に夢中になってる。一途にお互いを想いあってる。
そういうもんじゃないの? ちがうの?
ぼく、『恋愛』したことないからわかんない。
思わず立ち止まってしまったぼくに、トモは足を止めて振り返った。
「多分だけど」
サラリとトモが言った。
「そんな『恋愛』は、一部だけだと思うぞ」
「自分で言うのもおかしいけどな」そう言ってトモが笑う。
「ほとんどの『恋愛』は、穏やかだったり、ほのぼのしてたり、いつの間にか芽生えてたりするんじゃないかと思うぞ」
「ラノベにもそんな例があっただろ?」と言われた。確かに思い当たる作品がいくつもある。あれとか。あれとか。
思い出していたら「行くぞ」ってトモから声がかかった。あわてて後を追い、横に並んだ。
少し歩いたところでトモが前を向いたまま言った。
「ヒロは『ヒロの恋』をしたらいい」
―――『ぼくの恋』。
全然考えたことのないワードが、ココロのどこかにひっかかった。
「誰かに言われたからではなく。
自分の気持ちを無視するのではなく。
自分自身をしっかりと見つめて、自分自身を大切にしたらいい」
「その上でヒロが『やっぱり菊様とはない』と思ったらそれでいい。無理して付き合うことはない。
でも、もしも、お前が菊様のことが『女性として好き』なら、付き合うことを考えてもいいんじゃないか?」
トモが淡々と重ねる言葉がぼくのココロに積み重なっていく。
「互いの家のこととか、白蓮の女王だってこととか、安倍家のこととか、全部取っ払って、『ただの目黒弘明』として『ただの菊という女性』をどう思っているのか、どう感じているのか、一度ちゃんと考えたほうがいいと思うぞ?」
―――『ただのぼく』が、『ただの菊様』を、どう感じているのか―――
トモの話は静謐な池の水面を揺らす風のよう。サワリサワリとぼくのココロにさざ波を立てる
なんて答えたらいいのかわからなくて、どんな顔を作ったらいいのかもわからなくて、ただ黙って足を運んだ。
すぐに離れに着いた。
玄関に入ると「じゃ。また明日な」とトモはさっさと靴を脱いで階段を駆け上がった。