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【番外編3】神宮寺槇範の黒歴史 4

 生まれ変わった日の朝からおれの生活は一変した。


 ちょうど夏休みだったこともあり、朝から農場の手伝いをした。これまでだったら『手伝うおれ、エライ』『跡取りっぽい』と得意になって調子に乗ってた。けど、生まれ変わったからか、目の前の収穫に集中していた。


 時々じいちゃんがいろんな話を聞かせてくれる。野菜のこと。土のこと。仕事に対するスタンス。

 じいちゃんが知らない大人みたいに見えた。



   ◇ ◇ ◇



 弟が「黒陽さんの修行に行くけど、兄ちゃんも一緒に行く?」と誘ってくれた。

「いいのか?」思わず聞けば「いいよ」と答える弟。「それなら」とついていくことにした。


 場所は昨年行った山だと言う。そこまで「走って行くよ」と弟は駆け出した。

 弟の少し後ろをついて走る。ついこの間まで野球部でトレーニングしてたおれよりも弟は軽々と走る。


「双子にちゃんと挨拶するんだよ?」と弟に念押しされた。

年齢(とし)が下でも、子供でも、関係ないよ」

「礼儀正しく挨拶するのは人間として当たり前のことだよ」

 そう指摘されたらそのとおりだとしか思えなくて、昨年の自分を思い出して恥ずかしくなった。


 どうにか修行場所にたどり着いたときにはおれはもうヘロヘロになっていた。弟は余裕たっぷり。昨年一緒に参加したときは同じかおれのほうが上だったのに。

「きりちゃーん!」

 声に顔を上げると、弟が大きく手を振って駆け出した。見るとあの双子と、黒陽さんがいた。あわてて弟についていく。


「おはよう槇範。体調はどうだ?」

 黒陽さんがごく普通に聞いてくれる。嫌悪感も不快感もない、本当にごくごく普通に接してくれているとわかって、なんだかホッとした。

「大丈夫です」答えたおれを弟がつつき、口パクした。


『あ い さ つ』 

 あ。そうだ。挨拶しろって言われてたんだ。

 黒陽さんと双子に向けビシッと気をつけし、叫んだ。

「神宮寺槇範です! 前は失礼な態度を取ってすみませんてした! 今日はよろしくお願いします!」

 ガバリと頭を下げ、上げた。「こちらこそ、よろしくおねがいします!」双子がそろって挨拶を返してくれた。気持ちいい双子になんだか胸がいっぱいになった。

 そんなおれを黒陽さんは腕を組んでみていた。「うむ」って満足そうにうなずいている黒陽さんに、うれしくなった。



「私もひなから指摘されて気が付いた。幼稚園児と同じ修行内容だと言われたら、中学生には面白くなかったな。スマン」

 生真面目に頭を下げてくれる黒陽さんに「そんな」と思わず両手を振った。

 昔のおれだったら絶対に「そうだよ!」「アンタが悪いんだ!」って責め立ててた。自分でわかる。なのに生まれ変わったからか、そんな気持ちに全然ならなくて、むしろおれがバカだったせいで頭を下げさせて申し訳ないって気持ちでいっぱいになった。


 そうして黒陽さんは改めて一年前と同じメニューをやらせた。ただし今回は「このメニューをがんばったらどうなれるか」の実例を見せてくれた。

 披露してくれたのは双子と弟。

 柔軟体操は文字通り柔軟な身体を作るため。腕立て伏せは腕の力をつけるため。それを示す例として、弟と双子はそろって大きな樹にスルスルと登った。

 ぴょんとジャンプして木の枝をつかんだと思ったらくるっと半回転してその枝の上に乗る。それを繰り返してあっという間にてっぺんまで行った。

「やってみろ」といわれてやってみた。すぐそこの枝をつかんでぶらさがるのはできたけど、くるっと回ったり懸垂で枝に乗ったりはできなかった。腕の力が弱いとわからされた。


 納得したおれがぜえはあと座り込んでいたら、弟と双子は樹のてっぺんから飛び降りてきた! え。三階建ての学校の校舎くらいあるだろ。そんな高さから飛び降りて、なんで無事なんだよ。

 あのゴールデンウィークにやらされたつまんないジャンプを繰り返すと「どんな高いところからでも飛び降りることができる」と黒陽さんが説明する。

「最初から高いところはもちろん無理だ。徐々に、徐々に身体を作っていって、ようやくできるようになる」

 ただ漠然とジャンプするんじゃなくて、体幹をまっすぐに保つとか、着地するときの足とか、細かいところを気を付けながら身体に覚えこませていく。最初は地面の上だけで。色々できたと判断されたらちょっと高さのあるところで。そうやって、少しずつ、少しずつレベルを上げていって、一年ちょっと経った弟達は今、高いビルからでも飛び降りれるという。

「万が一誘拐監禁されたとしても逃げ出せるように」そんなスキルを身に着けさせたと黒陽さんが言う。


 ゴロゴロころがるのは受け身の下準備。三半規管を鍛え、体幹を鍛え、投げ飛ばされても起き上がれる身体を作る第一段階だと説明される。もちろん「ころがって逃げる」ためもある。

 そうして弟達は組手を披露してくれた。簡単に背負投げをし、投げられたほうも簡単にころんところがってすぐに起き上がる。


 四歳になった双子は、それでもまだおれの半分くらいしか背がない。なのに、ひょいっとおれを背負投げした。ダン! と地面に叩きつけられ、あっと思う間もなく腕を取られて押さえつけられる。

「ギブギブ! ギブ!」叫んで解放してもらった。


 他にも反射神経や瞬発力を鍛える訓練や気配を察知する訓練、逆に気配を悟らせない訓練なんかもあの修行には入っていたと教えられる。


「どんな修行も、最初はひどく地味で地道でつまらないものだ。だが、それを一年続けてきたからこの子達はこれだけの実力を身に着けた」


 黒陽さんの言葉に双子が「えっへん」と胸を張る。

 ああ。おれは馬鹿だった。一緒にがんばっていたらおれもきっとこうなれたのに。

 くやしいやら情けないやらでどんよりしてしまうおれに、黒陽さんが言った。


「おまえもこれからがんばれば、同じようになれる」

「地味で地道な修行だ。投げ出したくなることも、なまけたくなることもある。それでもがんばり続けることができれば、一年後のおまえは今とは違うおまえになっている」


「どうする? がんばってみるか?」「無理をしてやる必要はないぞ?」黒陽さんは心配そうに言う。『やらなくてもいい』と示してくれる。でも。


 思っちゃったんだ。『カッコいい』って。『おれもこんなふうになりたい』って。

 散々馬鹿にしてきた弟だけど。見下してきた幼稚園児だけど。

 ココロを奪われてしまったんだ。『カッコいい!』って。『ああなりたい!』って。憧れたんだ。歳下だけど。チビだけど。

 だから、答えた。


「やります!」「がんばります!」


「そうか」と言った黒陽さんは笑っていた。


「しばらくは桐仁について修行しろ」黒陽さんが言った。弟にも「面倒を見てやれ」と。

「あせることはない。順に、段階を踏んで身に着けていくべきを身に着けていけば、おまえも必ず今のあの子達と同じようになれる」


 断言する黒陽さんは自信満々。『このひとについていけば大丈夫だ』と思えた。素直に「よろしくお願いします」と頭を下げた。



   ◇ ◇ ◇



「夏休みだから」と弟はほぼ毎日黒陽さんに修行をつけてもらっているという。双子の用事がある日は休み。そんな弟にくっついて毎日を過ごした。

 朝起きたら柔軟体操してランニング。農場の手伝いをして朝食。「しっかり噛んで食べるんだよ」「野菜も肉類もバランスよく」こんなところでも弟の指導が入る。

 それから黒陽さんの修行へ向かう。集合場所まで走って行き、柔軟体操をして昨年のゴールデンウィークにやった『つまんない修行』をイチからやる。


 もうとっくにこんな段階卒業したハズの弟と双子も付き合ってくれる。「たまには基本に立ち返らねば、おかしなクセがつくから」「槇範が来てくれたことはいいきっかけになった」黒陽さんはそんなふうに言ってくれる。

 それは確かにそういう面もあるかもだけど、だからってやらなくていいことをやるのは面倒なハズだ。なのに弟も双子も真摯に、真面目に、真剣に取り組んでいる。おれに足りないのはこの真面目さなんだと思い知らされた。


 そんな修行をしたおれがつぶれている間は三人の本来の修行の時間。放たれた銃弾みたいに三人は動く。早すぎて目で追うしかできない。

「修行を重ねればもっと早くなる」黒陽さんによると、まだ上があるらしい。これより上があるならおれはどれだけがんばればいいのかと途方に暮れた。



   ◇ ◇ ◇



 夏休み最終日。修行の休憩中に姉ちゃんとあの男が来た。

 おれに気付いた姉ちゃんは足を止め、どこか申し訳なさそうにうつむいた。すぐにあの男がなにかささやいていた。


 おれは弟から「今日お姉ちゃんが来るよ」と聞いていた。「お姉ちゃんとトモさんに謝りなよ」と言われていた。だから覚悟ができていた。


 おずおずとやって来る姉ちゃんを直立で出迎えた。

 立ち止まったふたりに対してガバリと頭を下げた。

「先日は八つ当たりしてすみませんでした!」「おれが間違ってました! ごめんなさい!」


 弟に提案された台詞を、それでも心を込めて叫んだ。


「ね? 竹さん。言ったとおりでしょ?」「槇範は気が立ってたんだよ」「思春期で不安定なところに受験が迫ってきたから、イライラして理不尽な文句つけてきただけなんだよ」「貴女は悪くないよ」


 やさしいやさしい声と口調。顔を上げると、あの大魔王と同一人物とはとても思えないようなやさしい表情の男が姉の背を撫でながら言い聞かせていた。

 おそるおそる男を見上げた姉に、男はにっこりと微笑む。そのままふたりがおれに顔を向けた。


 男はギラリとおれをにらみつけた。さっきの顔は幻かと聞きたくなる。あのときの恐怖が思い出され、正直ションベンちびりそう。こわい!


 あわてて再度頭を下げ「ごめんなさい!」と叫んだ。

 姉は弱々しくも「……いいよ」と言ってくれた。

 顔を上げると、姉は男にしがみつき、男はそんな姉の肩をしっかりと抱いていた。

 おれがあの男に恐怖を抱くように、姉もおれに対して恐怖を抱いていたのかもしれない。

 改めて自分勝手で自分本位だった昔のおれのやらかしに恥ずかしくなった。


 双子が姉に飛びつき、わちゃわちゃとじゃれついた。それであの男が姉から少し離れた。

 双子にじゃれつかれて姉は少しずつこわばっていた表情をゆるめた。しゃがんで双子の話を聞く姉はおれのイメージしていた地味で根暗な姉ではなく、やさしく明るい女性だった。中学時代の三年間は本当に具合が悪かったんだと今更理解した。


「おい」

 突然横から声が響き、ビクッと飛び上がった。あの男が立っていた。


「わかってるだろうな」

 ニヤリと、ドスの効いた黒い笑顔で男が言う。

「二度と俺の妻を傷つけるなよ」


「はいぃっ!!」

 直立で返事をするおれに男は「フン」と口の端を上げた。

 そのまま男は弟に声をかけ、ふたりで組手を始めた。男の攻撃を弟は必死で避ける。まるでアクション映画のような動きに、あんぐりと口をあけて見るしかできなかった。

「サチも入れてー!」「ユキもー!」双子も混じって三対一で乱戦になった。


 そのうち男が双子をつかんでポーンと高く放り投げた。三階建の校舎と同じくらいの高さの樹のてっぺんに届きそうだった。

「きゃはははは!」「たーのしー!」「トモさん! もういっかい! もういっかい!!」

 そこから高い高い大会になってしまい、弟も放り投げられて楽しそうにしていた。

 唖然として見ていたら、男がおれに気が付いた。

 ニヤリと笑った男が「お前もやってやろうか?」と言ってきたからあわてて首を横に振った。



   ◇ ◇ ◇



 夏の大会が終わった時点で三年生は引退する。「その後は受験勉強に励め」ということ。

「じゃあ兄ちゃん、今は時間あるんだね」と弟があっという間に高校の情報をリストアップした。学力レベル、野球部のレベル、通学方法、学費などなど、わかりやすくまとめたプリントをおれと両親に渡し、説明した。そのうえで「少年野球時代の先輩に連絡を取れ」と言い、聞いたことを記入する用紙を渡された。


「とりあえず野球部に入部することを前提に話を進めるけど、もし『やっぱり野球部入らない』とか『別のことが気になる』とかあったら、遠慮せずに言ってね」

 そう言う弟は「頼もしい」としか表現できず、両親と三人揃って「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 さらに弟はオープンスクールのスケジュールも組んだ。「学力はさておいて、とりあえず見学しよう」

 そうしてオープンスクールには弟が同行してくれた。ほとんどの生徒は親同伴。弟同伴なのはおれくらい。けど弟は制服に見えるような服装で同行してたし、おれよりよっぽど堂々としてたから『背の低い中学生』に見えた。

 そして学校や生徒の説明を真剣に聞きメモをし、ときには質問をした。おれじゃなくてこいつが受験するんじゃないかっておれでも思った。

 さらには帰ってから聞いた話をわかりやすくまとめた。他の学校との比較までした。


 そんな情報が積み上がるにつれ、おれも段々と具体的に考えることができるようになってきた。


「おまえ、すごいな」

 素直にもれた称賛に、自分で驚いた。

 以前のおれだったら弟のすごいところに気がついても「生意気」「えらそう」とかしか思えなくて、「馬鹿にして」と()ねてた。自分でわかる。

 けど今は他人のすごいところを「すごい」と認められる。受け入れられる。


 そして受け入れたら、パーッと世界が広がる感覚になる。

 今ならわかる。他人のすごいところを拒絶していた昔のおれは、拒絶したり否定したりしたらしたぶんだけ自分の世界をせばめていた。どんどん自分の世界をせまくして、窮屈で暗いなかでもがいていた。「なんでこんなにせまいんだ」「なんでこんなに暗いんだ」と文句を言って。


 簡単なことだった。認めればよかっただけ。他人のいいところを。他人のすごいところを。自分の駄目なところを。自分の弱いところを。


 あの頃のおれは自分を強く見せることしか考えていなかった。今ならわかる。自分が世界の中心で、自分は『選ばれた主人公』のつもりでいた。

 それが思春期なんだろう。そういうものなんだろう。だから両親も祖父母もギリギリまで黙って見守ってくれていたんだろう。


 それを力ずくで矯正してもらえて、おれは今のおれになれた。きっとそれは幸運なこと。あのままだったらおれはろくでもない人間になっていた。今ならわかる。


 わかるから、これからは真面目にがんばろうと思える。真面目に、謙虚に。


 黒陽さんが言った。「これからがんばれば弟達と同じようになれる」「がんばり続けることができれば、一年後のおまえは今とは違うおまえになっている」


 今とは違うおれ。

 きっとカッコよくて頼もしい男。

 そうなれるように。

 がんばろう。がんばって、強くなろう。

 あの『黒歴史』を笑い話にできるくらいに。



   ◇ ◇ ◇



 色々なひとから色々な話を聞いた。高校の話。野球部の話。通学方法。学力。

 家を継ぐにはどんな進路があるのか弟が調べてくれた。農学部。農業大学。経営学。マーケティング。遺伝子工学。いろんな切り口があると知った。

「高校を出たあとのことも考えて高校選んだほうがいいよ」とアドバイスされた。


 弟は勉強にも付き合ってくれた。ランニングをしながら、腕立て伏せをしながら。お互いに足し算かけ算を出し合ったり。古文の一節を暗唱したり。目に入るものを英語にしたり。

 夕食までの空き時間と夕食後の二時間を勉強時間に設定し、数多ある勉強動画を一緒に見た。ただ漠然と見るのではなくノートを取りながら。終わったらお互いにまとめたノートを見せ合う。弟のノートはすごくわかりやすかった。

 問題集もやった。本番のテストと同じ時間を設定して。弟は中学受験の、おれは高校受験の問題集。終わったら答え合わせをして、間違ったところを復習した。


「付き合わせて悪いな」十二月のある日、ポツリと言った。

 弟の部屋のパソコンで動画を見ていたら、なんでか言葉がこぼれ出た。

 昔のおれだったら兄弟の勉強になんか付き合わない。実際ガリガリ勉強してる弟を見て「出来が悪いやつは大変だな」なんてあざけっていた。

 でも今のおれは他人のすごいところを『すごい』と思えるようになった。ガリガリ勉強するのがどれだけ必要なことかわかるようになった。

 そうしたら弟がわざわざおれの勉強に付き合うことが迷惑になることも察せられた。弟だって「受験する」と言っていた。自分の勉強だってあるはずなのに関係ない単元を勉強している。それはどれほどの労力だろう。おれならやらない。


「ぼくの勉強にもなるから」と弟は言うけれど、中学理科や中学数学が中学受験に必要だとは思えない。そう指摘したら「予習になるよ」と笑う。どこまでも「気にしなくていいよ」と弟は言う。


 おれはずっとおまえを馬鹿にしてたのに。「弱っちい」「グズ」「甘えん坊の泣き虫」そう馬鹿にしてたのに。

 ああ。これが『器が大きい』ということか。『器が違う』ということか。

 弟はいつの間にかすごい男になっていた。


「それに、ぼくもしてもらったことだから」

 黙っていたら弟がポツリと言った。


「トレーニングに付き合うのも。勉強に付き合うのも。進路のこと調べるのも。全部ぼくがしてもらってきたこと」

「トモさんやひなさんに、ぼくがもらってきたもの」

「ぼくがもらったものを兄ちゃんにお裾分けしてるだけ」

「トモさん達に返せない分を、兄ちゃんに渡してるだけ」

「『恩送り』って言うんだって」


『恩送り』。

 口の中で言葉をころがす。

 黙ったままのおれを気にせず弟は続けた。


「言われたんだ。トモさんにも。ひなさんにも」

「たくさんたくさん良くしてもらって。『なにかお礼がしたい』って言ったら『気にするな』『自分達もしてもらってきたことだから』って。

『感謝を、恩を感じてくれているならば、ぼくがいい男になることだ』って。ぼくがいい男になって『トモさんの、ひなさんのおかげです!』って言ってくれたらそれでいいって。

 そうして『いい男』になったぼくが『しあわせ』になったら、それこそが『なによりの恩返しだ』って」


 そう語る弟の目には決意が宿っていた。覚悟がこもっていた。

 そのために全力を尽くすと。あきらめないと。


「そのときに言われたんだ。『自分がしてもらったことをぼくにしたように、ぼくも誰かにしてあげろ』って。『恩送りだ』って」

「そのことがまわりまわってトモさんやひなさんへの恩返しになるって」

「だから、兄ちゃんは気にしなくていいよ」


 そうして弟はおれに顔を向けた。


「ぼくがぼくのためにしてることだから」

「トモさんやひなさんへの恩返しに、ぼくがもらったものを他のひとにお裾分けしてるだけだから」


 にっこり笑う弟の表情は、どこかあの男に似ていた。似てきているのか、敢えて真似をしているのか。どっちにしても自信に満ちた笑顔だと思った。


「――それはそれとして」

 なにかに気付いた弟が笑顔を消して問いかけてきた。


「兄ちゃん、トモさんのことなんて呼んでる?」

「………呼んだことない」

「ココロの中ではなんて呼んでる?」

「………『あの男』とか………」


 なんだか怒られそうに感じながら、それでも正直に言った。

 弟は呆れたように「やっぱりね」とため息を落とした。


「もーちょっとどうにかならない?『お義兄(にい)さん』とか」

「……………」

「『義兄(にい)さん』て呼ぶのがハードル高いなら、『トモさん』て呼べば?」

「………勝手に呼んでいいのかな………?」


 そう聞けば「それもそうだね」と弟は「うーん」と腕を組んだ。


「じゃあ、今度会ったときに聞いてみたら?『なんて呼べばいいですか?』って」

 今更!? だって、初対面の結納からもう二年経ってるんだぞ!? 気まずいじゃないか!


 そう抵抗したけれど「だからって今変えないと一生そのままになるでしょ」と言われたらその通りだと思えた。「どう言えばいいんだよ」と泣き言を言えば「自己紹介からやり直したら?」と言われた。

 そういえばおれ、あの男に自己紹介してない気がする。ていうか、ちゃんと話したのってこの間の謝罪だけかも。

「今までなにしてたの」って呆れられても、おれ部活出てたからあの男に会うことなかったし。今までは顔合わせても話する気になれなかったし。

 ぐずぐずと言い訳をすれば「そうだったね」と弟は深くため息を吐き出した。

「――まあ、ぼくも協力するよ。どっかで改めて挨拶して、ここから関係を構築していこう」


「せめて名前で呼び合える程度の関係にはなってもいいと思うよ。でないとお姉ちゃんが気を遣うから」


 結局姉ちゃんのためか。

 チビガキの頃からこいつは「姉ちゃん姉ちゃん」だったけど今も『そう』なんて、こいつ、『シスコン』てやつなんじゃないか?

 そう思ったけど余計なことを言って協力してもらえなくなると困るのはおれなので黙っていた。



   ◇ ◇ ◇



『あの男をなんて呼ぼう』『なんて挨拶しよう』なんてモヤモヤもじもじしていた冬休みのある日。黒陽さんの修行中にあの男が来た。黒陽さんが呼んだらしい。「今日はトモと鬼ごっこだ」「捕まらないためにはどうすればいいか、考えながら逃げること」そう注意を受けた。

「よろしくな」と軽く言うあの男に双子と弟は揃って「よろしくお願いします!」と頭を下げた。あわてて一緒に頭を下げた。そんなおれにあの男はなにも言わなかった。



 鬼ごっこは、鬼ごっこじゃなかった。

 瞬殺だった。


 黒陽さんの合図でおれ達四人は駆け出した。双子は樹に登り、弟はひたすら遠くに走った。おれも弟を追った。五分後に動き出した男は必死に走るおれをあっと思う間もなく小脇に抱え、弟も反対側に抱えた。弟はジタバタ暴れてたけど、おれは走っただけで力尽きてたからされるがままになっていた。そしておれと弟をふん縛った男はあっという間に樹に登り双子を抱えて飛び降りてきた。


 どこが良かったか、どんなことを工夫したらいいか、気をつけるところは、そんな総評を黒陽さんがする。そして作戦会議をして再び挑戦。何度も何度も逃げては捕まった。男の待ち時間を延ばしたり場所を変えたりしたけど、結局は毎回毎回瞬殺だった。


 どうも弟達はこの修行を何度もしているらしい。「また全敗かー」と言っていた。

 けれどあの男は楽しそうに笑った。「三人とも、また成長したな」「すごいぞ」ってそれぞれ頭を撫でられて三人は得意そうに笑った。


 そんな様子をぼーっと眺めていたら、男がふっとおれに顔を向けた。

 条件反射でピッと直立するおれに、男は苦笑を浮かべた。


「おまえも」

 ―――え?

「がんばってるな」


 ――――――。


 ――――――。


 褒められた―――?


 褒められた―――!


 ぶわわわわーっ!

 足先から頭のてっぺんまで、電流が走ったみたいにしびれた。どうしよう顔が熱い。頭から湯気が出てる気がする。「がんばってるな」って! おれに! 認めてくれた!? うれしい! がんばってよかった!


 あわあわしていたら男は困ったように笑った。そうして弟達から離れておれのところに来た。

「―――これまで個人的にちゃんと挨拶したこと、なかったな」

 そう言って、男はおれに向けて右手を差し出した。


「今更だが。西村智だ。よろしく」


 ―――!!!!!


 凛々しい男が、おれに向けて挨拶してくれた! なんだこれ! うれしい! テンション上がる!

 テンション上がりすぎてあわあわしていたら、見かねたらしい弟が体当たりしてきた。「挨拶!」叱られて、ようやく頭が動いた。


「あの、あ、じ、神宮寺槇範です! よろしくおねがいします!」

 差し出された手を握ることなんてできなくて、それでもどうにか両手を差し出した。凛々しい男は口の端を上げ、おれの右手を握った。


「!!!」

「よろしく」


 びっくりして、握られた手と男の顔の間で顔を行き来させた。感じる男の手は大きくて固かった。鍛錬を重ねてきた手だと、今ならわかる。


「『槇範』と『マキ』と、どっちで呼べばいい?」

 突然そう聞かれ、びっくりしたけど「『マキ』で!」と叫んでいた。

「俺は『トモ』でいいよ」と笑ってくれたからまた頭から湯気が出た。


「と、と、と、とも、さん」

 わななく口でどうにか呼びかけたら「おう」って応えてくれて、これ以上上がらないと思ってたテンションがさらに上がった。

 握った手を離したトモさんは弟にするようにおれの頭を撫でた。


「!!!!!」

「これからもがんばれよ」

「は、は、は、はいぃ!!!」


 思わず叫ぶおれにトモさんはどこかくすぐったそうに笑った。



   ◇ ◇ ◇



 それからもおれは弟について修行と勉強をがんばった。

 黒陽さんの修行で時々トモさんに会うことがあった。そのたびに「がんばってるな」と声をかけてもらい「がんばれよ」と励ましてもらった。

 黒陽さんの修行で会うのはトモさんだけじゃなかった。双子の兄のヒロさんや、ヒロさんトモさんの友達のコウさんも時々修行をつけてくれた。おれは弟と双子に比べたら一段も二段もレベルが下だったけど、そんなおれを誰ひとりとして馬鹿にすることはなかった。黒陽さんもトモさん達も、がんばったらがんばったことを認めてくれた。レベルが低いおれに合わせて修行をつけてくれた。いろんな話をしてくれた。進路の相談にも乗ってくれた。黒陽さんもトモさん達も、みんな尊敬できる男だった。


「どうしたらトモさん達みたいになれるかなあ?」

 無事高校に合格して、弟も中学に合格して、春休みになったおれ達はほぼ毎日黒陽さんに修行をつけてもらっていた。もちろん双子も一緒。

 おれのつぶやきに弟も双子も「そうだよねえ」「どうしたらいいんだろうねえ」と真面目に考えだした。そんなおれ達に黒陽さんは困ったように笑っていた。


「『どうしたら』などと答えのあるものではない」

「トモも、ヒロも、晃も、皆自分のできることを一生懸命にやってきただけだ」

「真面目に、真摯に修行を重ねろ。重ねた先に、きっとお前達の目指すものはある」


 そう言われたらそうかもって思った。


「お前達にはヒロ達という良い手本が身近にある。それはとても幸運なことだ」

「『こうなりたい』という目標があれば、それを目指して努力することができる」

「自分に恥じぬ自分に、そして兄達に恥じぬ自分になるために、日々努力することだ」


 そんなアドバイスをもらった。



   ◇ ◇ ◇



 それからも修行を重ねた。勉強もがんばった。

 高校でも野球部に入った。甲子園常連校でも強豪校でもないから練習はそこそこ。「試合に勝ちたい」のはもちろんだけど、「野球が好き」で部に入ってるやつばっかりだからそんなにガツガツしてなくて、楽しく野球ができる。


 勉強して。野球して。農場の手伝いして。修行して。

 毎日忙しいけど充実してる。中学時代とは全然違う。きっと生まれ変わったからだ。


 噂のひなさんに会えたのは高校入学が決まった春休み。色々アドバイスをもらった。すごく頼りになるひとだった。


 姉にも何回か会うことがあった。特に話すこともないから「元気?」と挨拶するくらい。トモさんの横でしあわせそうにしている姉が『しあわせ』なんだとわかるから何も言うことはなかった。

 それに。


 姉とトモさんが並んでいると、どうしても思い出してしまう。

 姉に暴言をぶつけてトモさんを怒らせたあの日を。それまでの自分を。おれの『黒歴史』を。


 自分勝手で。自己中心的で。勝手な正義を振りかざして。狭い世界で得意になって。傲慢で。わがままで。

 まさに『厨二病』。思い返すだけで恥ずかしくて穴の底で丸まって叫び出したくなる。

 姉とトモさんが並んでいるのを目にすると芋づる式にあれやこれやと思い出し、結果、いたたまれなくなる。


 いや、おれが悪いんだけど。全部おれのせいなんだけど。

 姉がしあわせそうでよかったなと思うけど。トモさんもしあわせそうでよかったなと思うけど。

 でも、素直に祝福できない。

 どうしても『黒歴史』が付きまとう。


 きっとおれは一生、ふたりが並んでいるのを見るたびに『黒歴史』を思い出すんだろう。穴掘って叫びたくなるんだろう。

 けど、最近ではそれも『必要なこと』なんだろうなと思いはじめている。


 きっとこれは『(いまし)め』。

 おれが『馬鹿なおれ』に戻らないための『(くさび)』。


 もうあんなおれにならない。なりたくない。

 おれはトモさん達みたいな『カッコいい男』になりたい。

 そのためにはあの『黒歴史』を忘れてはいけないんだろう。


 同じ過ちを繰り返さないように。

 間違いを『間違い』だと気付けるように。


 おれはこれからも『黒歴史』を抱えて生きていく。


 いつか『黒歴史』を『笑い話』にできる日がくるだろう。

 そのときにはきっとおれは『カッコいい男』になっている。

 尊敬する男達の背中を追い続けているんだ。なれないわけがない。



   ◇ ◇ ◇



 枝垂れ桜あふれる結婚式会場。

 おれの尊敬する男は祝福を受けデレデレととろけている。

『そういうところは見習いたくないなあ』と思いながら、おれも拍手を送った。

次回ひな視点、次次回別の人物視点の閑話をはさんで【番外編4】をお送りします

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