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【番外編3】神宮寺槇範の黒歴史 3

暴力シーンがあります

苦手な方はお気をつけください

 姉に文句を言ったあと大人達から責め立てたられた、その日の夜。

 ひとり部屋に閉じこもってベットでふて寝していた。


 おれは悪くない。悪いのはまわりだ。

 なんでわかってくれないんだ。なんでみんなおれが悪いみたいに言うんだ。

 おれは家のこと考えてるのに。跡継ごうって思ってるのに。おれはみんなから期待されてるのに。なんでなんで。


 ベットの上で丸くなっていてもモヤモヤドロドロしたモノが身体の中でうごめいている。弟に握られた左の手首はあざになっている。あの男に握りつぶされそうになったあごも跡がついてるかもしれない。自分の顔を見たくなくて鏡で確認してないからわからない。

 くやしくてかなしくて痛くて苦しくて。

 でもどこにも吐き出せなくて。誰もわかってくれなくて。

 ただ丸まって歯を食いしばっていた。


 そのとき。

 

 バン!


 突然扉が乱暴に開けられた。と思ったら縛り上げられた!

 なに!? 強盗!?


 口は布で、手足と身体はザリザリする紐で縛られている。痛い。しゃべれない。苦しい。こわい!

 視界がゆがむ中、おれを見下ろしている男に気付いた。どんな男かと注視して―――


「!」


 こいつ―――あの男! 西村!


 なんでこいつが。なんで。なんで。なんで。


 疑問ばかりがぐるぐるして言葉にならない。そもそも「むー!」以外発声できない。

 と、あの男はおれの背中の紐をぐいとつかみ、持ち上げた!


 手荷物のように持たれ、不安定にぷらんぷらんと身体が揺れる。なんで。なんでこんな。

 おれ、それなりの身長体重あるのに。なんでこいつはこんなに簡単に片手で持ち上げられるんだ。そもそもなんでおれは縛られてるんだ。持ち上げて紐が切れたらどうなるんだ!?


 疑問は言葉にならない。「ムー!」「ムムー!」叫ぶけどあの男は反応しない。どうにか顔を向けると、ちょうど弟を反対の腕で抱き上げたところだった。

 右手でおれを持ち、左腕で弟を抱き上げたあの男は、そのまま窓から飛び出した!


「ムムー!!!」

 ひぎゃあぁぁぁぁ!!!!!


 おれと弟を連れているのに、あの男は重さなんか感じていないみたいに屋根の上をピョンピョンと駆ける。そのまま山に入り、木の上を駆けた。

 ジェットコースターなんかよりも速い移動速度に風圧で目が開けられない! 縦横無尽に身体が跳ねる! シートベルトも足の置き場もない、安全性なんてもの存在しない、スリルしかない状態。涙も鼻水も勝手に出る。なのに弟は声ひとつあげず大人しくしていた。



 どのくらいそうしていたのか。


 ダン!

 突然どこかに叩きつけられた!


 やっと動かない地面の上に降りられたけど、叩きつけられた痛みで気がつかなかった。

 ここがどこか、なんでこんなところに連れてこられたのか、なにひとつわからない。ただただおそろしかった。


 おれがあの男――西村を見るときは、常に姉が横にいた。だからおれは単独でのあの男を見たことがない。

 姉といるときのあの男はデレデレと腑抜けた顔をして、やさしげな雰囲気をまとっていた。


 だからおれは知らなかった。

 こいつは怒らせちゃいけない人間だと。


「おまえは罪を犯した」

「自分勝手な理屈で俺の妻を傷つけた」


 床にころがるおれを見下ろすあの男は、おれの知ってる男じゃなかった。

 魔王だった。


 意味が分からなくてただただこわくてガクガク震えていたら、突然身体を縛っていた紐がゆるんだ。

『逃げなきゃ!』それだけを感じて駆け出そうとした、瞬間。


「! ぎゃあぁぁぁ!」


 斬られた! 斬られた!!

 なにで斬ったのかわからないけれど、右足首に激痛が走った! これまでの人生で経験したことのない痛みにどうにか足首に目をやる。足首から血が噴き出していた! 痛くて痛くてのたうち回っていたらあの男が近づいてきた。あわてて少しでも距離を取ろうと這いずり逃げようとしたのに、反対の足首にも激痛が走った!


 両足首を斬られてもう立てない! 逃げられない! 殺される!!

 なんで!? なんでこんなことに! なんでなんでなんで!!


 ガッ。

 頭をつかまれて無理矢理持ち上げられた! 痛い! 痛い! 痛い!!


「―――『なんでこんな目に遭わされてるんだ』とでも言いたそうな顔だな」

 冷たい声が問いかける。

 涙でぐしょぐしょになった目をどうにか開くと、目の前に男の冷たい目があった。

 目だけじゃない。表情も、雰囲気も冷たい。

 殺し屋ってこんなかんじなのか。それところじゃないのにそんなことを考えた。


「教えてやるよ」

「おまえが俺の妻を傷つけたからだ」


 傷つけてなんかない。そんなことしてない。

 そんな思いを込めて必死で首を振った。つもり。

 実際はがっちり鷲掴みにされててほとんど動かなかった。


「―――理解していないのか―――」


 と、目の前の魔王がにっこりと微笑んだ。

 ゾワゾワゾワーッ!! と背筋になにかが走った!


「理解していようとしていまいと関係ない」

「報復する」


「―――!!!!!」


 殺される!!!!

 逃げなきゃ!!!


 そう思っても逃げられない。がっしりと頭をつかまれてて身動きとれない。両足首は斬られて動かない。あちこち痛すぎてもうどこが痛いのかわからない。ヘンな汗が出る。涙も止まらない。こわくてこわくて震えるしかできない。


 と、男がパッと手を離した。つかまれていた頭が自由になった途端、反射的に身体が動いた!

 あの男と反対側に逃げようと必死で這いずっていたら。

「! ぎゃあぁぁぁ!」

 足! 右足! 折れた!! 折れた!!!

 痛い! 痛い痛い痛い!!!


「おいおい。まだ始まってもないんだぞ。どこ行くんだよ」

 のんきにそう言った男はのたうち回るおれの右手を取った。逃げたくても逃げられない。

「た、たす、けて」どうにか言葉になったけれど、男はにっこり微笑んで、つかんだ右手の人差し指を折った!


「ぎゃあぁぁぁ!」

「まず一本」


 痛い! 痛い痛い痛い!

 暴れるおれを無視した男は次に中指をつかんだ。

「! ぎゃあぁぁぁ!」

 メシャ、と中指の真ん中あたりがつぶれた。


「二本」

 淡々とした言葉に『まさか』と思った。

 まさか、指を一本一本全部潰すのか!?


「―――ご、」

 恐怖に思わず叫んだ。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください!!」

 ジタバタしても無駄だった。薬指の先が消えた。

「三本」


「許してええぇぇ!! もうやめてぇぇぇ!!」


 どれだけ泣いても許してと叫んでもごめんなさいと謝っても男は表情ひとつ変えなかった。ただ淡々とおれの両手の指を一本ずつ潰していった。


「おまえはなにひとつ理解していない」

 ブチッ。

「おまえにどれほどの価値があるというんだ」

 ボキッ。

「おまえ程度、履いて捨てるほどいる」

 ベチャ。

「おまえは安全な世界でぬくぬくしてただけだろうが」

 ズシャ。

「どれだけ周囲に守られていたのか、おまえにはわからないだろう」

 ボキッ。


「許して」「たすけて」どれだけ言っても聞いてもらえない。淡々と、淡々と男はしゃべり、おれの骨と自尊心を折っていく。

 おれの手の指を全部潰した男は腕を折り、肋骨を折った。

「肋骨が何本あるか知ってるか?」にっこりと笑ってそう言い、グッと胸を押した。それだけで肋骨が折れた。


「おまえは俺の妻を侮辱した」

「本来ならば万死に値する」

「だが、おまえが死ぬとあのひとが気に病むからな」


「だから死なせはしない」と言う男は、言葉にはしなかったものの『おれが姉の弟でなかったら殺す』と表情で言っていた。


「おまえに他人を(さげす)む権利があるのか」

「おまえ程度の若造が」

(おご)り高ぶるおまえこそが侮辱されてしかるべきだ」

「未熟者のくせになにをえらそうなことを」


 淡々と責められ、暴行された。

 痛くて痛くてなにも考えられなかった。

 ただただ「許して」「助けて」とうわ言のように口にした。


「口だけならなんとでも言える」とさらに暴行された。

「自分のなにが悪かったのか理解してない」とさらに暴行された。

 それでも痛くて痛くてこわくておそろしくて「許して」「助けて」と繰り返した。


 男は淡々とおれを壊した。身体も、ココロも。

 淡々と骨を折り淡々としゃべった。おれがいかにダメな人間か。おれがどれほど価値のない人間か。どれだけ周りに迷惑をかけてきたか。淡々と、淡々と、目にしたくない事実を突きつけてくる。


 知りたくない。見たくない。そんな思いも男は見抜き、骨を折る。「甘ったれが」と責め立てる。

「おまえは『自分』ばかりだ」「『自分が』『自分は』そればかり。『誰かのため』『なにかのため』は一切ない」「一度でも周囲のために動いたことがあるのか」

 あるよ。おれは家業を継ぐんだ。家族のために。

「違うだろ」「おまえは自分の自尊心のためにそう言っているんだろう」「『跡取りの自分』に酔っているだけだろう」

 そんなことない。おれは。

「『跡を継ぐ』と言えば周りから褒められるからな」「持ち上げられ、得意になってたんだろ」「幼児レベルの手伝いしかしていなくて、なにが『跡継ぎ』だ」

 だっておれは部活があって。

「言い訳ばかりだなおまえは」「時間のやりくりもできないでなにを言うんだか」「キリを見ろ。学校も修行も家の手伝いも自分の勉強も、どれも手を抜かずやっている」「自分のなまけ癖を他のせいにするな」


 知りたくない。気付きたくない。わかりたくない。

 なんでこんな目に遭うんだ。おれみたいなのは『普通』だろ? みんなおんなじようになまけたり文句言ったり甘えたりしてるじゃないか。

「その考え自体が『甘え』だろう。わからないのか?」「ああ。わからないのか。馬鹿だから」「馬鹿は馬鹿なりに迷惑かけないようにしろ」


「言っただろう」

「おまえは罪を犯した」

「自分勝手な理屈で俺の妻を侮辱し、傷つけた」

「万死に値する」


 ―――ああ。おれ、死ぬんだ。

 ここで殺されるんだ。

 なんでだろう。なにが間違ったんだろう。おれは普通の中学生だったのに。なにも悪いことしてないのに。


「何度も言わせるな」

「俺の妻を傷つけただろうが」


 だってあの姉はいつも地味で根暗で―――

「! ぎゃあぁぁぁ!」


「俺の妻を侮辱するな」「貴様程度に彼女のなにがわかる」「なにもわからないくせにわかったような口をきくな」


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいもうやめてたすけて。

 身体中が痛い。自分の身体がどうなってるのかわからない。暑いのか寒いのかも、手があるのか足がついてるのかもわからない。

 なんでこんなことになったんだろう。おれが間違ってたのか。ああでももう遅い。後悔してもやり直したくてももうどうにもならない。おれは死ぬんだ。


 父さん。ごめん。母さん。ごめん。じいちゃん。ばあちゃん。ごめん。

 ユータ。マナト。タイチ。みんなみんな。もう会えない。会いたい

 漫画でよくある『生まれ変わり』ってあるのかな? もしあるなら、生まれ変われるなら、今度はがんばる。なまけずに、ひとのせいにせずにがんばる。生まれ変わったら、今度こそ、本気で―――。



 ―――そうして、おれの意識は途切れた―――。



 パン!

 大きな音にハッと目が覚めた。目が覚めた? 寝てた?

 ガバリと起き上がる。どこも痛くない。両手を広げて見る。――指がちゃんとついている! ――足! 足は………折れてない。

 胴体や二の腕や、あちこちをペタペタと触ってみる。どこも痛くない。欠けてる部分もない。

 あれは――あの男に暴行されたのは――夢、だったのか?


 いや。あれは本当にあったことだ。なんでかわかった。

 おれはあの男に暴行されて――死んだ。はずだ。

 なのになんで生きてるんだ??


「具合はどうだ?」

 渋い声に顔を上げると、黒髪のおじさんが立っていた。――黒陽さんだ。

 このひとが助けてくれたのか? そう思いながらのろりとうなずく。

「ふむ」とひとつうなずいた黒陽さんはしゃがみこんでおれの目をのぞき込んだ。


「意識ははっきりしているな。痛いところはないか?」

 問診とわかる問いかけに「ありません」と答えながら、やっぱりあれは本当にあったことなんだと理解した。

 ふと視線を感じて目をやり――ビクリと硬直した。


 あの男が立っていた。偉そうに腕を組んで。

 その隣には弟とちいさな子供が二人。『サチユキ』だ。

『なんでおまえらがここにいるんだ』そう言いたかったけれど言葉が出ない。あの男がおれを見ている。それだけで身体が勝手にガクガクと震える。


 また殺される。

 こわい。いやだ。死にたくない。


「槇範」

 黒陽さんがおれの頬を両手ではさみ、顔を近づけた。あの男が視界から消えただけでホッとした。


「よく聞け槇範」

 黒陽さんの黒い目がまっすぐおれに向けられる。宝石みたいな、宇宙みたいな黒い目を見つめているうちにだんだんとココロが落ち着いてきた。


「おまえは一度死んだ」

「生命の(ともしび)が消える寸前で私が治癒をかけたから生き返った」


『死んだ』『生き返った』ああやっぱり。おれ、生まれ変わったんだ。


「そうだ。おまえは生まれ変わった」


 そう断言した黒陽さん。

「これまでのおまえがどんな男だったか、振り返ってみよう」

 そう言われて考えてみた。

 長男だから家業を継がないといけないと思っていた。だから手伝いをしたし野球で体力づくりをした。

「おまえは簡単におだてられて調子に乗っていたな」


 え。


「おだてられた言葉を真に受けて得意になって。それで自信をつけて勉学やスポーツに励むならばよかったのだが、おまえは他人の劣っているところを目ざとくみつけては見下していたな」


 ―――そ、そんな、こと、は……。


「些細なことに『気付く』のは優れた能力のひとつではあるのだが、その『気付き』が他人の『劣る点』や『弱点』だけというのがよろしくない」

「『劣る点』や『弱点』を指摘し、改善するよう尽力するならばよかったのだが、おまえはそれを指摘することなく、ただ自分と比べて見下していただけだったな」


 ……………。


「例えば、お前だったらどうだ? 他人から見下され続けていたら。どう思う?」


 ……………。


「自分を優位に見せようと常に他人を見下している男を、どう思う?」


 黒陽さんの瞳に男が映っている。自分はエライと。自分は期待されていると得意になっている男。そう言いながら他人を見下している男が、黒陽さんの瞳からおれを見下していた。


 ああ。これは、おれだ。

 生まれ変わる前のおれだ。


 なんて嫌な男だろう。なんてちいさな男だろう。なんてカッコ悪い男だろう。

 情けなくて恥ずかしくて、涙がこみあげてきた。


「―――ごめんなさい」

 誰に向けてか、何に対してか、わからないけれど言葉が口についた。

 情けなく泣くおれの頬から手を離した黒陽さんは、おれの頭を撫でてくれた。


「そう悲観することでもない」

「思春期の男にはよくいる」

「今気付けて、生まれ変われた。ならばこれからどうにでもなる」


 励ましの言葉にうつむいていた顔を上げると、黒陽さんはにっこりと微笑んだ。

「いいか槇範」

 黒陽さんがまっすぐにおれの目を見つめる。

「おまえは生まれ変わった」

「これからがんばれば取り返せる」

「なまけることなく実直に体力作りや勉強をすること。周囲に感謝すること。他人を見下すのをやめること。出会うすべてに敬意を払うこと。

 それができれば、きっとおまえもいい男になれる」


 黒陽さんの言葉は自信にあふれていた。おれが『いい男になれる』と疑っていない声だった。

 このひとの期待に応えたい。そう思った。

 だから、黙ってただうなずいた。


 そんなおれに黒陽さんはにんまりと笑った。


「おまえがいい気になったりなまけたりしたら、すぐにトモが仕置に行くぞ」


 あんまりな脅しに思わず「ひいぃぃぃっ!!」と悲鳴が出た。「いい気になりません! なまけません! がんばります!」と土下座で誓った。



 それから黒陽さんは弟に「槇範の修行の指導をしろ」と命じた。嫌がるかと思った弟はあっさりと「わかりました」と答えた。


 そうして黒陽さんはおれの頭を撫でた。「目を閉じろ」と言われ、瞼を閉じた。大きくてあたたかい手がおれの目をおおったのがわかった。


「今日までのお前は死んだ」

「次に目が覚めたとき、お前は『生まれ変わったお前』になっている」

「今はただしっかりと眠れ」

「目が覚めたらイチから出直すんだ」


 渋い声は耳に心地よくて、いつの間にか眠りに落ちていった。



   ◇ ◇ ◇



 目が覚めたら不思議なくらいスッキリしていた。

 ずっとおれのナカにあったモヤモヤドロドロしたモノがすっきりなくなっている。

 なんだか目に映るもの全部が明るくキラキラしていて、ああおれは生まれ変わったんだってわかった。

 これまでずっとのしかかっていた悪いモノや良くないモノを前の身体ごと捨てて、新しい身体になったんだってわかった。


 ぼーっとしていたらノックが聞こえた。

「兄ちゃん? 起きてる?」

 弟の声に「ああ」と答えると弟が顔を出した。


「気分どう?」

「スッキリしてる」

「そ。よかったね」


 あっさり言う弟はおれが一回殺されたことを気にもかけていないように見えた。

「体調どう?」と聞かれ、自分の手を見つめた。ちゃんと指が五本ある。動かしてみると思うとおりに握ったり開いたりできる。足もちゃんと動く。腹も痛くない。

「大丈夫」そう答えたら「そ。よかった」と弟はこれまたあっさり言った。


「じゃ、行くよ。着替えて」

 なんのことかと首をかしげている間に弟はおれのタンスからジャージとTシャツを出してきた。

 そこでようやく自分の部屋に戻っていることに気がついた。誰か運んでくれたんだろうな。黒陽さんかな。

 弟に言われるままに動き、支度をして玄関横で柔軟体操をした。


 昨年のゴールデンウイークの黒陽さんの修行みたいに弟が「こうして」「ここ伸ばして」と指導してくる。

 以前のおれだったら絶対「なんでおれがキリの言うこと聞かないといけないんだよ!」ってキレてた。「えらそうにするな!」って反発してた。

 なのに、生まれ変わったせいか普通に受入れられている。ココロも穏やか。身体も軽い。なんでだろう。やっぱり生まれ変わったからかな?


「昨日こっそり教えてもらったんだけど」


「ナイショね」と言いながら弟が話す。

「兄ちゃん、かなり『邪気』に侵されてたんだって」

「は?」


 弟が言うには、この世には『霊力』や『気』というもモノがあって、人間も大なり小なり持っているらしい。その『霊力』や『気』には良いモノと悪いモノがあって、日常生活を送っている間にそれらの影響を受けているという。

 良い『気』を取り入れたら元気になるし、悪い『気』を取り入れたら病気になったり悪いことが起こったりする。

 思春期は身体やホルモンバランスが大人へと変わっていく時期だけど、同時に『霊力』や『気』も変わることがある。成長とともに大きくなったり小さくなったりするだけじゃなくて、良いモノ悪いモノの影響も受けやすい。場合に寄ったら取り込まれたり喰われたりすることもある。姉ちゃんが眠り続けたのもそのせいだと。


 おれは、自分ではわからなかったけど、昔から他人を見下したり自分を優位にみせようとするクセがあった。らしい。そういう人間は『邪気』に好かれやすく、少し移動するだけですぐに周辺の『邪気』が寄ってくる。『邪気』が近くにあると息をするだけで『邪気』を取り込んだり、影響を受けたりする。そうしてまた『邪気』が寄ってくる。

 本人の気付かないうちに『邪気』は身体のナカに溜まっていく。そして、怒りっぽくなったり、攻撃的になったり、嫌味な人間になったりする。


 おれはかなり『邪気』を取り込んでいたらしい。「黒陽さんがそう言ってた」と。

 言われてわかった。あのモヤモヤドロドロしたモノが『邪気』だ。

 それを祓うには普通の方法では「祓いきれない」ってことで、強硬手段をとった。それがあの暴行だったと言う。悪い部分を壊したり斬り落としたりして、浄化して修復したと。


「にしてもひどくないか!?」

 思わず文句を口にしたら「なに言ってんだよ」とあきれられた。

「お姉ちゃんにあんなこと言って、あのくらいで済んだんだから。むしろ感謝しないと」


 姉はおれのせいでひどく落ち込んで、熱を出したという。

 姉がなにより一番のあの男が原因となったおれを「ゆるすはずがない」と弟が断言する。


「兄ちゃんが『お姉ちゃんの弟』だからあのくらいで済んだんだよ」

「二度と痛い目見たくなかったら、しっかり反省して心を入れ替えるんだよ」


 以前だったら「えらそうに指図するな!」と反発していただろうに、今のおれは弟のアドバイスをちゃんとアドバイスだと受け止め、おとなしく「わかった」と答えた。

 そんなおれに弟は驚いた顔をしたものの、ただ黙ってうなずいた。



   ◇ ◇ ◇


 

「だいたい兄ちゃんはチグハグなんだよ」

 柔軟体操を終え、農場の周りを走る。しばらくは無言で走っていたけれど弟がぽつりと言った。


「『跡取りだ』って言いながら手伝いはしない。大きな変革してるって誰から見てもわかるのに関わろうとしない。そんなの見てたら『やっぱり本当は跡を継ぎたくないんだな』って誰だって思うよ」


「だから進路のことも『ちゃんと考えろ』って言われたんだよ」と教えられ、そうなのかと驚いた。


「だってどうせ大人になったら嫌でも継ぐんだし、それなら学生の間は好きにしようって……」

「それ、誰に言われたの?」


 ジトリと馬鹿にした目を向けてくる弟。「自分で考えたんじゃないでしょ」と断言する。

 以前のおれだったら「決めつけんな!」「自分で考えたに決まってる!」とすぐ反論してただろうけど、なんでかちょっと考えてみる気になった。ええと………。


 考えて、思い出した。一年生で少年野球に入団して、自己紹介のときに『跡を継ぐ』って言ったら、先輩達が『じゃあ学生の間は好きなことしろ』って言ったんだ。

 他にも先輩や同級生が『どうせ跡継ぐんたから今は好きにする』とか『継ぐだけ感謝してほしい』とか言ってた。

 思い出したことをポツリポツリと口にしたら、弟は心底呆れたような顔をして「やっぱりね」とため息をついた。


「そういう(おご)った考えでいると『ざまあ』されるよ?」


『ざまあ』? て、なんだ?


「あ。兄ちゃんはもう昨日されたか」と苦笑する弟に「『ざまあ』ってなんだよ」と聞くと「自分の行いが自分に返ってきて痛い目見ること」と教えてくれた。


「兄ちゃん本読まないの? ラノベで面白いのあるから読んでみる?」

 弟曰く、小説は語彙(ごい)を増やすだけでなく、自分を客観視できたり、いろんな知識を得ることができるという。特に『異世界物』と呼ばれる『ラノベ』は「雑学の塊」だから「オススメ」だと。


 ヒーロー達が大活躍して爽快になる小説の中には悪役となるイヤな人間がいて、そういうのを見ていると『こういう人間にはなりたくない』と思うし『こういう行いがいけないのか』と学びになると弟が言う。


「ひなさん曰く『小中学生男子は基本、頭の悪いサル』らしいよ?」「だからぼくもひなさんに見捨てられないように言動には気を付けてる」

 そう言う弟に「『ひなさん』て?」と聞いたらギョッとされた。


「ひなさん知らないの!?」

「……知らない」

「なんで!? あれだけお世話になったのに!」


「あの頃毎週来てくれてたじゃないか」って言われても、おれ部活出てたから知らない。

 そう答えれば「そっかぁ………そうだったねぇ………」と疲れ果てたように弟はため息をついた。


 と、なにかのアラームが鳴った。弟の腕時計だった。アラームを止めた弟は「時間だ。帰ろ」と速度を上げた。


 家の前に戻り、弟にうながされるままに体操をした。家に入ると弟がお茶を出してくれた。一口含むと美味しくてゴクゴク飲んだ。


「ぼくこのまま出荷の手伝い行くね」と言う弟に、迷ったけれど思い切って言った。

「おれも行く」

 弟は嫌がることも驚くこともなく「あそ。じゃ、行こうか」と歩き出した。



 農場に向かいながら弟がまた口を開いた。


「――兄ちゃんは『普通の男子』だったんだよ」


 意味がわからなくて黙っていたら弟は続けた。ひとりごとみたいだった。

「バカで、すぐ調子に乗って。友達と騒ぐのが楽しくて。後先考えなくて。いくつになっても子供のまま」

 心底呆れ果てたと言いたげな弟。心当たりがありすぎて「ぐっ」と声がもれた。


「ぼくの同級生もおんなじようなのが何人もいるよ」

「正直、そいつらとは話合わない。何回も対話を試みたけど全然話聞かないの」


「兄ちゃんと一緒」とこぼす弟。反論しようとしたけれど、心当たりがありすぎてなにも言えなかった。


「そいつらと同じ学校に行きたくないのもあって、ぼく、中高一貫校受験するつもり」

 弟は近隣の中学校を色々調べ、地元の中学校ではなく受験しないと入れない公立の中高一貫校に進学希望しているという。


「兄ちゃんも色々調べてみたら?」

 そう言われたけれどなにをどう調べたらいいのかわからない。

 これまでのおれだったら自分がわからないことがバレたくなくて「放っとけ!」って逆ギレしただろうけど、生まれ変わったおかげか素直に言葉が出た。

「『調べる』って、なにを?」「どうやって?」「どうしたらいいのかわからない」


 そんなおれを弟はバカにすると思った。おれならバカにする。なのに弟は「そっか」とあっさり受け入れた。


「野球は続けるの?」

「……………」

 どうしよう。やってもいいのかな? やらないほうがいいのかな??

 迷っていたら弟がさらに聞いてきた。


「野球好き?」

「好き」

「なら続けたら?」


「勉強しながら仕事しながらしてるひと、たくさんいるじゃないか」と言われたらそのとおりだと思えた。


「じゃあ高校入って野球部に入るとして。どのレベルの野球部でやりたい?」

「どのレベル?」

「甲子園常連校で、ハードな練習してレギュラー争いするような学校か。

 万年一回戦負けで練習もゆるい学校か」


 ………なるほど。確かに。

 一口に『野球部』と言っても色々あるんだと弟の指摘で気が付いた。


「今年の甲子園予選が参考になると思う」「少年野球のときの先輩とかに雰囲気とかレベルとか聞いてみたら?」


 なるほど。そういうのが『調べる』か。


 納得するおれに「ほらね」と弟が笑う。

「父さんが言ったとおりだったろ?『ちゃんと考えろ』って」


 説明されたらそのとおりだとしか思えなくて、恥ずかしいやら情けないやらで口が勝手にへの字になった。

「父さん達に謝りなよ?」

「………なんて?」

「『昨日は暴れてスミマセンでした』『これまでわがままばかりでごめんなさい』『心を入れ替えてがんばります』――てかんじで、どお?」


「じゃあぼくこっちだから」と作業小屋の前で弟と別れた。弟に教えられた言葉をつぶやきながら父を探した。

 父を見つけ、言われたとおりのセリフを言い、頭を下げた。父はなにも言わずただおれの頭をぐりぐりと撫でてくれた。

「あっちにじいちゃんがいるから、行け」と言われ、向かった。祖父を見つけ同じセリフを同じように言った。「ようやく落ち着いたか」って祖父はホッとしたように言った。どういう意味だろうと思ってたら茄子の収穫を命じられた。


 これまでどおり収穫してたつもりだけど、祖父の細かい指導が飛んできた。

(はさみ)を入れるのはこう」「ここが傷つきやすいから気を付けて」「雑に置いたら価値が下がる」

 これまでだったら「うるさいなあ!」「手伝ってやってるんだからいいだろ!?」って言ってたと思う。けど、生まれ変わったからか祖父の言葉を素直に聞けた。熱心に教えてくれることを『ウザい』でなく『ありがたい』と感じた。生まれ変わるってすごいなあと他人事みたいに思いながら収穫に励んだ。


 母と祖母にもそれぞれに謝った。「これからは気を付けなさい」母に言われた。「憑き物が落ちたね」「よかった」祖母に頭を撫でられた。

「おばあちゃん、昔ほどの霊力がないから、まきちゃんの悪いモノを祓えなかったのよ」

「ごめんねえ」と謝られたけど、ばあちゃんそんなことできるの??


 ていうか、おれが部活や友達と遊んでばかりでばあちゃんにほとんど会わなかったせいじゃないか? そういえばばあちゃんが撫でてこようとしたときに「やめてよ」って払い除けたこともあった。

 もしかしてばあちゃんに撫でられてたら、その『祓う』ってのがしてもらえて、弟の言ってた『邪気』ってのをどけられてたのか???


 ああ。弟の声が聞こえる。『自業自得』『自分で自分の首を絞めただけ』『ざまあ』。

 ホントだ。もう、生まれ変わる前のこと思い出すと恥ずかしいやら情けないやら痛々しいやらで逃げ出したい。これからどうしたらいいんだおれ!?

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