第四十二話 遭遇
充実の週末を過ごし、また日常に戻った。
守り役達から出された宿題を地道にこなす。
霊力を圧縮。『器』を大きくする。霊力操作の精度を上げる。
学校の授業は適当に聞き流し、ひたすらそんなことをして過ごしていた。
家に帰ったらひとりで修行。
型をさらい、ひとつひとつの動きの無駄を削いでいく。
考えなくても反射で動けるように。
改めて身体に動きを叩き込んでいく。
風の術も練習。
裏山は今おじさんの管理下にあるから、事前に「木を斬ってもいい?」と確認を取った。
程よいサイズの薪にしておいた。
キャンプ好きなおじさんの孫が喜んだらしい。
月曜の夜はまたホワイトハッカーの仕事。
この日はそこそこに忙しかった。
おかげでラーメンの話をする暇もなかった。
そういえば俺ラーメン食うの忘れてた。
竹さんに会えたからまあいや。
火曜日。
知り合いの教授から電話がかかってきた。
『この前返した本のなかに別の本が混じってない?』
あの日は竹さんに初めて会ってボーッとしていて、持って帰ったもののチェックなんかしないでばーさんの部屋に放り投げた。
仕方なく確認してみると、明らかに学校備品とわかる印の押された本が一冊あった。
『これ?』と写メを送ると『それそれ!』とすぐに返事がきた。
『トモくん、持ってきてよ』
……また面倒くさいことを……。
でもこのひとがこうやって呼び出してくれたから竹さんと会えたんだ。
仕方ない。これも恩返しだ。
「明日の放課後持っていきます」と答えると、教授は喜んだ。
水曜日。
学校が終わってすぐに自転車で百万遍へ向かう。
教授の部屋に本を届けると、案の定「座って座って!」と歓待された。
教授と、ボランティアのじーさんばーさんに取り囲まれ、茶を飲まされた。
「この前また古い家を解体するってなってねー」
「いっぱい出てきたよー」
古い家や蔵は古文書研究をしているこの人にとっては宝箱だ。
どんな蔵書が眠っているのか誰にもわからない。
一般の人にとっては内容のわからない薄汚れた紙の束だが、この人達にとってはまさに歴史の生き証人。
価値のわからない人に捨てられる前に助け出そうと躍起になっている。
そうしてナゾの文書が貯まっていく。
「読解ボランティアさんがもっといてくれたらいいんだけど」
学生にも読ませているが、やはりキャリアが違う。
読む速さも、理解力も、一流大学の学生よりもこのごくフツーのじーさんばーさんのほうがはるかに上だ。
「トモくん手伝いに来てよー。もうすぐゴールデンウィークでしょ?」
そしてばーさんに鍛えられた俺もそこそこ読める。教授が戦力に欲しがる程度には。
だけど、ゴールデンウィークこそ修行にあてたい。今は竹さんのことを優先したい。
「先約があるんで。スミマセン」と断ると「そっかー。残念」「また頼むよ」と残念そうに言われた。
思わず長居をしてしまった。
早く帰ろうと今出川通を西へ向け自転車を走らせる。
堀川今出川の交差点で信号にひっかかった。
北向きの横断歩道が青になり、軽快な音を立てる。
こっちに渡るか? でも別に変わりないよなあ。
そんなことをぼんやりと考えていた、そのとき。
ピリ。
ナニカを感じた。
なんだ? なにか、おかしな感じがする。
ソロリと辺りをうかがう。
俺と同じように信号待ちをする人。南北方向に横断歩道を渡りどこかへ向かう人。
何もおかしなところはない。ごくフツーの、よくある光景だ。
夕陽が辺りを赤く染め始めた。
影が長く伸びる。
ふと、その影に、違和感を感じた。
俺の少し後ろ。電柱が建物に影を落としていた。
その電柱と建物との狭間――影がつなぐ、細い狭間に、違和感を感じた。
なんだこれ? この違和感。
違和感? そうだ。違和感だ。
この違和感を俺は知っている。
まるでこれは。
この感覚は。
『境界』を越えたときの、違和感。
そう気付いたとき、影がゆらいだ。
――『繋がった』!
何故か、そう『わかった』。
『どこ』とかはわからない。わからないが、『ここではないどこか』と『この世界』が『繋がった』のがわかった。
なんで!?『繋がる』ようなモノは何もなかったはずだ!
ふと世界を赤く染める夕焼けに気が付いた。
――『逢魔が刻』!
昼と夜の狭間であるこの時間はいろいろなモノが『繋がりやすい』。
妖魔の遭遇率も高い。
だから? だから『どこか』と『繋がった』?
警戒しながらじっとその影を見つめる。
夕焼け染まる日常に、横断歩道ののんきな音が響く。
『繋がる』だけで何も『こちら』に来ない可能性もある。
『逢魔が刻』が終われば自然に『繋がり』が解除されることも。
それならばハルに報告して後日確認してもらい、しかるべき処置をしてもらうだけでいい。
だが、万が一。
ナニカが出てきたら。
霊的な術がおしくらまんじゅうしている状態の京都の街は、しょっちゅういろんなところが『繋がる』。
そうしてそれと気付かずこちらから『どこか』へ行ってしまう『神隠し』が昔から横行している。
すぐに帰ってくる人もいれば、二度と帰ってこない人もいる。
逆に『どこか』からやって来る『落人』もいる。
『繋がって』いることに気付かず、こちらの世界にふらりと『落ちて』くるという。
果たしてこれはどのパターンだ?
そのまま消滅する? ナニカ出てくる?
緊張しながら見守っていると。
ヌッ。
大きな腕が現れた。
――駄目か。
ナニも来ないまま消滅するという線はなくなった。
では、ナニが現れる!?
腕に続いて足が、身体が現れた。
ぞろり。
現れた巨体に、目を疑った。
なんだアレ。三メートルはあるぞ?
筋骨隆々とした体躯。肌は赤く、毛むくじゃら。
腰布をつけただけの服装が猛々しさと荒々しさを現しているようだ。
口から上向きに二本牙が伸びている。
吊り上がった両目の上から伸びているのは、角。
典型的な、鬼だった。
今まで退魔で出会ったヤツとは明らかにちがう。
霊力量が桁違いだ。
撒き散らす覇気も瘴気もトンデモナイ。
フシュウゥゥゥ、と息を吐くだけで瘴気が広がる。
ぎょろりとあたりを見回すだけであたりの空気がきしむ。
マズい。
こいつは、マズい。
チリチリと肌が灼けるような感覚。
こいつは、強い。
俺では敵わない。
鬼に気付かれないように気配を殺し、霊力を抑える。
そっと自転車から下りる。
信号待ちをしている人の中には具合が悪そうにしている人が出てきた。
何かを感じているらしくきょろきょろしだした人も。
マズい。
これ以上コレをここにいさせてはマズい。
スマホを取り出し、ハルに電話をかける。
が、どれだけ待ってもつながらない。
ちいさく舌打ちしてヒロにかける。
が、こちらもつながらない。
『落人』の話は聞いていた。
時々こうやって迷い込んでくるモノがいると。
たいていは『落ちて』きたことにも気づかずそのまま元の『世界』に戻るという。
そして戻れないモノもいる。そういう存在は安倍家が対処している。
保護して元の『世界』に戻れるように協力したり、戻れない場合には新たな居場所を提案したり。
ごく稀にこちらの『世界』に馴染まないモノもいるらしい。
霊力量の関係か、空気の成分とかそういう理由かはわからないが、死んでしまったり消滅したりという事例もあったと聞く。
そして、同じく稀なケースだが。
この『世界』に危害を加える可能性のある存在も『落ちて』くることが、ある。
妖魔とか、神とか、鬼とか、色々に呼ばれる存在。
『ヒトならざるモノ』は、この『世界』から発生したモノと、異世界から『落ちて』きたモノがいる。
異世界からの『ヒトならざるモノ』は、この『世界』とは桁違いに強いモノがいる。
俺達の持つ霊玉の元となった『禍』も元は異世界からの『落人』だった。
だから、この『世界』にはありえないほど霊力が多かった。
果たしてこの鬼はどのパターンだ。
霊力量はありえないほど多い。
もしも害を為す存在だったとしたら、とても太刀打ちできない。
そのまま帰ってくれるのか。
『世界』に弾かれるか。
それとも。
鬼の様子をうかがうと、電柱の影から一歩足を踏み出した。
ズウゥゥン、と地面が震える。
信号待ちの人たちがさらに具合悪そうにしはじめた。
ズウゥゥン、と二歩目。
――ダメか。
『世界』にはじかれる可能性は消えた。
元の『世界』にすぐさま戻る可能性も。
だとすれば。
すぐにアイテムボックスから緊急連絡用の札を取り出し、そっと霊力を込める。
「ハル。トモだ。
緊急事態発生。鬼が出た。
場所は堀川今出川交差点。東南角の横断歩道から少し東の電柱の影から出てきた。
俺では対処しきれない。応援頼む」
ぼそぼそと伝言を込め、すっと札を離す。
札はすうっと小鳥の姿になり、消えた。
さしあたりこれでハルが来るまで持たせればいい。
自転車を建物の壁に立てかけ、隠形をとる。
アイテムボックスから取り出した小刀をシュッと投げ、鬼の足元の四方に突き刺す。
呪を唱え起動の言葉に霊力を込める。鬼の周囲に結界が展開した。
結界はちゃんと発動しているようだ。あたりに撒き散らされていた瘴気も覇気もおさまった。
信号待ちの人の中には首をかしげる人もいる。
それまでの瘴気にあてられたのか、具合の悪そうな人も。
マズいか? 安倍家の手当を受けさせるべきか?
鬼は結界に囲まれたことに気付いたのだろう。動揺するように手足を動かしキョロキョロと周囲をうかがった。
その時。
俺と、目が、あった。
ニヤアァッ。
鬼が嗤った。
その瞬間。
ゾワワワワーッ!
全身の毛が逆立った!
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
こいつは駄目だ! 俺では敵わない!
理屈ではない。本能の部分が叫ぶ。
こいつと戦ったら、俺は死ぬ!
逃げろ! 今すぐ、逃げろ!
でも、駄目だ。俺が逃げたら一般人が喰われる。
何故かそれもわかった。
だから、おそろしい気持ちをグッと押し込め、さらに結界に霊力を込めた。
足が震える。
結界越しなのに、威圧に潰されそうだ。
こわい。こわい!
駄目だ。じーさんに言われていただろう。
「退魔は気合だ」「少しでも弱気も見せたほうが負ける」
弱気を見せるな! 恐怖心は無視しろ!
大丈夫だ! ハルが来るまでもたせればいいんだ!
きっとあの霊力のゆらぎをハルも感知しているはずだ。
そうだ。竹さんもいる。
あのひとも霊力のゆらぎを感知したら駆け付けると言っていた。
きっとすぐに応援がくる。
それまでもたせれば、大丈夫。
そう自分に必死に言い聞かせて、足を踏ん張って相手をにらみつける。
隠形は見破られてしまった。
ヤツは俺を『獲物』と認識している。
必死で霊力を込めながら周囲を確認する。
鬼から逃れるには――これだけの瘴気をまとったヤツならば『神域』に入れば逃げられる。はずだ。
この近くの『神域』――白峰神宮。は、駄目だ。街に近すぎる。
俺の姿を見失ったら、手当り次第に近くの人間を喰うだろう。
ある程度民家から離れていて、この近くの『神域』――下鴨神社!
あそこなら森がある。
あの森なら多少俺が戦っても一般人にはバレないだろう。
戦闘。広い場所。――鴨川デルタは?
いや、あそこはけっこう人がいる。
戦闘になったら巻き込むことになる。
その点、糺の森なら。
もう拝観時間も過ぎているからそんなに人はいないだろう。
まずはこの結界の維持。
破られたら下鴨神社の糺の森で戦闘。
そう心に定め、更に結界に霊力を込める。
そうしながらもスマホでハルを呼び出す。
コール音を繰り返し、留守電になってしまった。
舌打ちし、メッセージを残す。
「ハル。すぐに連絡くれ。鬼が出た。俺では太刀打ちできない。今結界で抑えている」
通話を切り、スマホをポケットに戻す。
鬼は俺を見下ろしてニヤニヤとしている。
きっとちいさく弱いモノがナニカしていると面白がっているにちがいない。くそう。
鬼の出てきた狭間は閉じたようだ。対処するのはこの一匹だけでいい。
とはいえ、その一匹が問題なんだけどな。
そのとき。信号が変わった。
間抜けな音があたりに響く。
それにうながされるように人が動く。
鬼がそれに気付いた。
人間が動くのを捕まえようと腕を伸ばした。
が、俺の結界が弾いた!
鬼はムッとしたようだ。
俺のほうはたったそれだけで結界が破られそうだ!
くそう。ハルが来るまで保つか!?
汗が吹き出る。
霊力を絞り出さないと結界を維持できない。
マズい。次に動かれたら、破れる!
ギリ、と歯ぎしりをした。
俺のくやしそうな様子に鬼がニヤァと嗤った。
そして――。
バリン!
鬼が腕を振った。それだけで俺の結界は破れた!
瞬時に霊力の刀を出して斬りつける!
渾身のチカラを込めた、必殺の一撃!
一太刀で首を落とす!
ガッ!
刀は首に当たった。
なのに、落とせなかった! 弾かれた!
くそう。なんて硬さだ!
ならばと風刃を叩きつける!
風刃を駆使しながら霊力の刀で斬りかかるが、鬼は小馬鹿にしたように嗤うだけで傷をつけることもできない。
ブン、と腕が振り下ろされた。速い!
間一髪で避ける。
避けられたのが意外だったのか、鬼がキョトンとした顔をした。
が、すぐにまたニヤァと嗤った。
ゾワワワワーッ!!
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい!
すぐに逃げなければ!!
パパッと周囲の状況確認!
俺達に気づいている人は今のところいない。応援もない。
俺ひとりでどうにかしなければ!
隠形を取ったままガッと建物の壁を蹴る。
そのまま鬼の頭上をヒラリと飛び越え、着地と同時にヤツに刀を構える。
隠形解除!
抑えていた霊力を開放!
ドッと立ち上がった俺の霊力に鬼が興味を引かれたのがわかった。
鬼は面白がっているのを隠しもせず、俺に狙いを定めた。
一歩、二歩と俺に向かってくる。
よし、それでいい。
ひとまず俺に引き付けた。
このまま下鴨神社へ!
背を向け、ダッと駆け出すと狙いどおり俺を追いかけてきた。
走りながら再び緊急連絡用の札を取り出す。
「トモだ! 鬼を引き付けた! 下鴨神社に向かう! 糺の森で戦闘に入る!」
バッと札を飛ばし、駆ける。
背後の気配に急き立てられるように走る!
縮地を使えば逃げ切れるだろうが、それだと俺を見失った鬼が一般人に向かう可能性がある。
俺に引き付けて、できれば俺が倒さなくてはならない。
鬼はその巨体からは考えられない身軽さで俺を追う。
縮地まではいかないもののかなりのスピードで駆けなければ捕まる!
捕まらない程度の、見失わない程度のスピードを見極めながら走る。
鬼の威圧に潰されそうだ! くそう! こわい! こわい!!
だが、俺しかいないんだ!
今対処できるのは俺だけなんだ!
こわくても、逃げ出したくても、俺がやらなくては!
鴨川デルタは予想どおり人がいた。
駄目だ。ここで戦闘はできない!
計画どおり下鴨神社を目指し北へ進路を向ける。
必死で駆ける俺をすれ違う人が何事かと見送る。
幸い霊力の強い人間はいないらしい。俺を追いかけてくる鬼に気付く様子はみられない。
もしかしたら鬼を検知できるほどの霊力のある人間は危険を感じて逃げているのかもしれない。
それほどにこの鬼は霊力も吐き出す瘴気も強い。
鬼も高霊力の俺に狙いを定めているからか、霊力の少ない一般人は目に入っていないようだ。
大丈夫。引き付けられる。このまま糺の森へ!
大丈夫だ。ハルが来てくれる! ハルならなんとかしてくれる!
そう信じて、糺の森に入った。
糺の森も神域の一部だから鬼は弾かれるかもしれない。
そんな考えは甘かったと思い知らされた。
鬼は俺を追いかけ、糺の森に入ってきた!
バチィ!
森の周囲に展開されていた結界が弾け飛んだ!
やはり駄目か!
俺の結界も弾かれるんだ。
森の結界では鬼を妨害するほどの威力はないようだ。
本殿周辺にはもう何段階か上の強い結界が展開されている。
そちらならばもしかしたら防げるかもしれない。
最悪は本殿に逃げ込ませてもらおう。
風を展開して周囲を確認する。
運良く森の中に人はいない。
いつも森をウロウロしている連中も鬼の気配に姿を隠したようだ。
これなら遠慮なく暴れられる!
腹を括り、広い場所で鬼に向き直った。
ザッ、と立ち止まった俺をどう思ったのか、鬼も足を止めた。
その瞬間に再び刀を構え、跳び上がって斬りかかる!
渾身のチカラを込めた、必殺の一撃!
「ウオォォォ!!」
ドン! 衝撃であたりが震えるほどの一撃!
なのに。
鬼はニヤリと嗤った。
効いてない! ――ヤバい!
あっと思ったときにはバシン! と払い落とされた!
地面に叩きつけられ、息が止まった!
「――カ……ッ!」
アバラ――折れた!?
かろうじて吐き出した息をつく間もなく、鬼は俺の足を持ちあげた。
逆さにぶら下げた俺を自分の目の前に持ち上げ、観察している。くそう!
負けるな! 負けるな! 負けるな!!
自分に言い聞かせ、ぐっと左手を握り締める。
再び霊力の刀を出現させる俺に鬼が驚いた。
狙いは目!
一気に刀を振り抜く!
「ギャアアァァ!」
片目しか斬れなかった!
それでも一撃食らわせた!
鬼が痛みからか衝撃からか、俺を離した。
かろうじて受け身を取り、すぐに立ち上がり刀を構える!
掴まれていた右足の感覚がない。おそらく骨が砕けた。
霊力をまとわせて固める応急処置でごまかし立ち上がったが、これではいつものような動きはできない。
どうする!? どう戦う!?
ギロリ!
鬼が俺をにらみつけた!
ドッと威圧を向けられる!
ぐわあぁぁぁぁ!! くっそぉぉぉ! 潰されそうだ!
片目を斬った俺が憎いのだろう。一直線に威圧と瘴気が叩きつけられる!
苦しい! 苦しい! 痛い!
ハルはまだか!?
これ以上は保たないぞ!?
「グルルルル」と聞こえる唸り声は、もしかしたらなにか罵詈雑言を吐いているのかもしれない。
斬られた片目を片手で押さえ俺をにらみつける鬼が右手を大きく振り上げた!
マズい!
残った右目に向けて風刃をまっすぐに飛ばす!
貫け!
が、目に届く前に鬼の手によって風刃は消されてしまった!
ならばと首を狙う!
風刃を囮に何重にも撃ち、その隙間を掻い潜るように俺も斬りかかる!
バチィィン!!
風刃もろとも平手でぶたれた!
ブン! と振り払われ、再び地面に叩きつけられる!
「―――カハ――ッッ!!」
吐き出した吐瀉物には血が混じっていた。
「ゲホッ! ゲホッ、ゲホッ」
咳き込む間も口から血がダバダバ出る。
くそう! 痛い! 痛い! 痛い!
全身痛すぎてどこが負傷しているのかわからない!
これまでか。
くそう。ハルめ。何してんだよ。
俺、死んじまうぞ。この鬼どうすんだよ。
そうだよ。この鬼どうするんだよ。
退治できないにしても、もう少し削らないと。
こいつに対抗できるとしたら、俺達霊玉守護者だけだ。
四人でかかればなんとかなるレベルにまで、削らなければ!
どうにか立ち上がり刀を構え、ギッと鬼をにらみつける。
鬼も憎々しげに俺を見下ろしている。
「フシュウゥゥゥ」と吐く息は瘴気を撒き散らし、俺に向けられる視線には威圧が込められている。
鬼の覇気と瘴気だけでもう死にそうだ!
それでも、たとえここで死ぬとしても、もう一矢報いなければ。
俺のあとに続くあいつらの助けに、少しでもならなければ!
ああ、くそう。ここまでか。
刀を握る。歯を食いしばる。
ハルがいつも言っていた。「ヌルい修行ばかりして本番で死にそうになっても同じように文句を言えるか?」
ハルの言うとおりだった。
どれだけキツい修行でもしないといけなかった。
死んだらなにもかもおしまいだ。
俺達が投入されるような場面は、俺達が失敗したらもうおしまいだ。
自分自身が生き残るためにも、世の中を守るためにも、俺達は厳しい修行を己に課して実力をつけなくてはいけなかった。
死ぬ間際になって反省してもなぁ。
ゴメンなハル。
ゴメンなみんな。
厄介な退魔押し付けて。
ギロリ!
鬼が俺にむけた視線にチカラを込めた。
途端、さらに強い覇気がドッと立ち上がる!
威圧と瘴気が刃のように俺を斬りつける!
「ぐうッ!」
なんとかこらえたが、正直もう死にそうだ!
ゾワリ。
鬼の瘴気が周囲に広がっていく。
ゾワリゾワリと広がる瘴気に草木が黒く枯れていく。
俺にも瘴気が這い上がってくる。
展開していた結界はすぐに破られた。
浄化の術をかけたけど効果がない。
くそう。駄目か。
それでも、最後まで闘志を失うな!
じーさんに言われていたこと。
「退魔は気合」「弱気を見せるな」「どんなに絶望的な状況でも、諦めさえしなければ光明が見える」
そうだ。諦めるな!
最後の最後まで戦わなければ!
俺は霊玉守護者なのだから。
安倍家の主座様直属の能力者なのだから!
怒りの形相の鬼が再び手を振り上げた。
せめて腕の一本は斬り落とす!
その覚悟で、霊力の刀に霊力を込める!
来るなら来い! 斬ってやる!
タイミングを外さないように相手をにらみつけていたら、ふと鬼の向こうにキラリと何かが光った。
なんだ? と思ったのは一瞬。
ふわりと天女が現れた。
若竹色の袴と千早。
同色の領巾と長い髪がふわりと揺れる。
―――竹さん―――
死ぬ間際にいい幻が見れた。
そう思った。
次の瞬間。
キン!
音がしたかと思ったら、鬼の姿がパッと消えた!
え?
目の前の鬼がいた場所に、拳大の透明な玉が浮いていた。
重力に従ってポトリと落ち、コロコロところがる玉を目で追う。
その玉を誰かがヒョイと拾った。
誰だ?
若竹色の袴と千早。
同色の領巾。
金色の天冠がキラリと光る。
「―――」
竹さん。
竹さんだ。
なんで? なんでここにいるの? 鬼は?
あれだけ場を支配していた瘴気は消えていた。
鬼が、いなくなった。
いなくなった? どこにいった?
あの玉か? あれに封じたのか?
誰が? 竹さんが?
――竹さんが!?
え!? 俺、あの鬼に全然敵わなかったんだけど!?
結界で抑えることもできなかったし、封じることも滅することも到底無理だったんだけど!
え!? 竹さん、もしかしてめちゃくちゃ強いの!?
俺なんか全然敵わないくらい強いの!?
助かった安心感と戦闘から開放された開放感、そして単純に戦闘によるダメージで、俺はそのまま意識を失った。
竹さんの慌てたような顔を最後に。