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【番外編1】神宮寺祥太朗の嘆き 16

 ひなさんから計画書、トモから導入にあたっての概算を渡され、おれ達家族は考えた。

「やらなくてもいい」ひなさんは言った。確かにそれもひとつの道だ。


 最初にひなさんに話をしたとき、おれは『とにかくITを導入しないと生き残れない』と、どこか強迫観念を持っていた。『一刻も早くITを取り入れなければ!』と。

 だが色々な同業者と話をし、実際にお互いの農場を見学し、『ITがすべてじゃない』ということもわかった。


 トモが最初に言っていた。『使い手次第』。

 確かにそうだ。使い手がどんなことをしたいか、どんな未来をつかみたいかによってやるべきことが違う。そこをおれ達はわかっていなかった。


 だが今は多少なりとも学習した。ウチの強みも見えてきた。やりたいこと、やらなくてもいいこと、経営方針、将来の目標、取引先への対応、働いてくれるスタッフのこと、商品のこと、土のこと、他にも色々と話し合った。とにかく話をした。



 ひなさんに言われた。「ひとりで決めてはいけません」と。


範久(のりひさ)さんなり祥太郎さんなりが『こうする!』と決めて、それに向けて突き進むのもひとつの道です。

 が、それだと決めた方が全責任を背負うことになります」

「それは、かなりの負担になります」


「我が家も言われましたが、無理をしたら続きません」

「それだけ体力の必要な仕事です」

「時にはひとを使い、時には休み、時には離れて進捗を確認する。

 家族で助け合い、支え合って、はじめて満足のいく結果につながるんです」


 だから「とにかくご家族で話をしてください」とひなさんが言った。

「なんでもいいです。お金のことでも。仕事のやり方のことでも。あんなこと言われたこんなことがあった、こういうのうらやましい、こんなのやってみたいでも。

 とにかく話をしてください。そうして、できれば話した内容をまとめておいてください。私が後日拝見しますので」


「メモでも走り書きでもいいですよ」と言われたが、ひなさんに見せるならばと妻が毎回話し合いの内容をメモし、丁寧にまとめた。ちょっとした作業中の話や食事中の話も妻はキチンと記憶して書類にまとめてくれた。こいつにこんな才能があったとは知らなかった。


 妻がまとめた書類はクリップにはさんで見やすい場所に置いていた。時間が空いたときにそれを見返した。そうしてまた考え、話し合った。



   ◇ ◇ ◇



 ひなさんとは毎週土曜日の午後から面談した。娘とトモと黒陽も一緒。そして黒髪の彼氏――晃くんも一緒。


 表向きは『娘を離したがらない婿を友人カップルが説得し、農場見学させてもらうという口実で娘を実家に帰らせている』ということになっている。ひなさんが吉野の久木ファームの娘ということは最初に紹介していたので「少しでも家の役に立てば」と見学するひなさんを疑う者はいなかった。むしろ「家想いのしっかりした娘さんだ」と感心されていた。


 ひなさん自身も「実家の経理は私が担当」「経理の資格を取るために大学に行く」と事あるごとに言っていた。

「せっかく晃の友達のトモさんが有名農家さんと縁続きになったんだから『見学したい』とワガママ言って来させてもらってます」

 そう言うひなさんの言葉を疑う者はいなかった。



 ひなさんへのコンサルタント契約はいまだ成立していない。今は来てくれた日数と話をした時間を記録しているだけ。

「ムリにIT化を進めることはないですから」と、あくまでも我が家の立場になって考えてくれる。

 今はまだ「あくまでも『話を聞いて相談に乗っているだけ』」だから「コンサルタント料なんてもらえない」とひなさんは言う。


「それにここだけの話ですけど」娘とトモが席をはずしたときにコソリとひなさんが言った。


「私、竹さんにもトモさんにも『借り』があるんです」

「具体的にはちょっと言えないんですけど、私的には『大恩』と言ってはばからないレベルの恩を受けてまして」

「そのトモさんから持ちかけられた話で、竹さんのご実家の話となれば、私が協力するのは当然かと」


 だから「気にしないでください」と微笑むひなさん。素晴らしいお嬢さんだとますますファンになった。


「それに」とひなさんは続ける。

「私がこちらにお邪魔することが竹さんがご実家に顔を出す口実になります」

「竹さんは『もう二度と神宮寺家には近寄らない』と言ってましたけど。少しくらいなら大丈夫だと思うんです」「『大丈夫だった』という実績を積み重ねていけば、竹さんの考えも変わっていくと思うんです」


 娘は自分のことを『災厄を招く娘』だと今でも信じている。だから引っ越したらもう二度とおれ達に会うつもりはなかったとひなさんが教えてくれる。


「でも、そんなのかなしいじゃないですか」


 そう言うひなさんはずいぶんと大人にみえた。

 年齢と経験を経たひとだけが持つ深い色を瞳に宿し、ひなさんは続けた。


「私は竹さんが好きなんです」

「『大恩』があるからというのもありますが、単にあのかわいいひとを気に入ってるんです」

「竹さんにはもっともっと『しあわせ』になってもらいたいんです」

「ご両親とも交流して、ご実家にもたまには帰って。

 そんなごく普通の『しあわせ』を手にして欲しいんです」


 そう言ったひなさんは、祈るようにそっと瞼を閉じた。

 なんだかしんみりしてしまった。そこまで娘のことを、おれ達のことを考えてくれていることにじんわりと感謝が広がっていく。

 いいひとだなひなさん。こんないいひとが娘の友達になってくれたなんて。ありがたい。感謝しかない。


 と、ひなさんがパッと顔を上げた。さっきまでの深い色は消え、年相応のはつらつとした目を向けてきた。


「だから、これは私の『ワガママ』です」

「『しあわせ』な竹さんを見たいという、私の『ワガママ』です」


「だから皆さんはお気になさらず」そうさっぱりと笑うひなさんにますます信頼を深めた。


「とはいえ、お仕事としてお受けするならきっちりと代金をいただきますよ」

 わざととわかる厳しい顔つきでひなさんは言った。


「そこはキチンとしないと」

「私、経理の人間なので」

 ニヤリと笑うその顔はなんだか時代劇の悪代官のようで、そんな顔もひなさんにはよく似合っていた。



   ◇ ◇ ◇



 家族で話し合いを重ねた。

 そうして、決めた。

 やりたいこと。進みたい道。

 家族四人納得の結論を出した。


 ひなさんに決めたことを伝えると、にっこりと笑った。

「改めて確認です」

「私、久木陽奈とコンサルタント契約を結ばれますか?」


 もちろんお願いした。

 これまでの相談料もちゃんと加算してもらうようお願いした。


 ひなさんはおれ達がそう言い出すことをわかっていたのだろう。早速契約書をだしてきた。

 説明を聞き、互いにサインをした。トモはひなさんが依頼する形となり、トモへの依頼料も含めた金額が示されていた。


「では早速取りかかりましょう」そう宣言したひなさんはウチの資料をすべて出させた。資本金、登記簿、雇用契約書、ありとあらゆる書類を「出せ」と求める。

「ついでだからちょっと整理しましょう」とテキパキと分類しまとめていく。

 手持ちのデジタル機器についても確認していった。トモが機械を引っ張り出して奥のコードの種類やコンセントの位置を確認していく。家の中が終わったら全員で外に出て農場の設備を確認する。作業場の設備も確認する。

 それだけ大騒ぎをしたにも関わらず、ひなさん達が帰るときにはキチンと片付いていた。

 仕事がデキるひとというのはここまで違うのかと感心した。


 翌週来たひなさんは事業計画書を持ってきた。ひとつひとつ説明し、問題がないか確認する。

 銀行への書類の叩き台も準備してくれていた。「これで融資を受けられるはずです」と。

 他にも細々したことを打ち合わせた。ひなさんが安倍弁護士を引っ張り出し、法務関係のアドバイスをくれた。


 工程計画書も作ってくれた。トモが全部サポートしてくれることになった。


 そうしてあの結納から三か月経った十一月の半ば。トモは毎日学校帰りに我が家に直行することになった。



 十月の半ばには娘が百万遍の研究室に行かなくても古文書解読ができる体制が完成していた。トモがナニヤラしたという。

 そのために娘は北山の安倍家の離れという名の自宅から出ることはない。だからトモが我が家に直行しても「大丈夫」らしい。


 まずトモが取りかかったのが電源と電波の確認。おれにはよくわからないことをしていた。次男の桐仁(きりひと)はまだ面談のときからトモに懐いていて、トモが仕事をするのにくっついてはあれこれ聞いていた。


 傍若無人が服を着て歩いているようなトモだが、年少者には穏やかに丁寧に接していた。

「仕事の邪魔じゃないか?」と聞いたが「大丈夫」と言う。「ありがとな」と言えば「大したことじゃない」と言う。


「俺もこうやってタカさんに育ててもらったから」

 そういうトモの声には気負いもなにもない。「いいひとに育ててもらったんだな」と言えばニヤリと笑った。どこか得意げな様子に、こんな顔もするのかと思った。


「それに神宮寺家のシステム背負うのはキリだろうから。今から育てておいて損はない」


 トモは先の先まで見ていた。

 我が家のための次男の教育だとは思わなかった。


「キリはまだ十歳だぞ?」と言ったら「もう十歳だ」と言われた。


「俺が今生、退魔師として現場に出たのも、ホワイトハッカーの試験受けて合格したのも十歳だった」


「そりゃおまえは有能だから」と言ったら「関係ない」と返された。


「年齢も才能も能力も関係ない」

「必要なのは本人のやる気と覚悟」

「努力し続けられるか。どれだけつらくとも諦めずにがんばれるか」

「それができれば年齢も育ちも関係ない」


 そう言い切ったトモの横にいた息子の顔つきが変わった。

 ああ。こいつは今、大人への一歩を踏み出した。そうわかった。


 頼もしさと一抹のさびしさを感じて微笑んでいたら、トモはさらに言った。


「あとは運だな。いい師匠につけるかどうかという」

 そう茶化して笑った。




 そうして毎日学校が終わったらトモと次男が組んで仕事をした。すぐに導入する機材の選定を終え、注文した機材が届いた。それも次男ひとりを手伝いにしてトモが全部設置した。設定も息子に教えながら全部してくれた。



   ◇ ◇ ◇



 学校から我が家に来て仕事をしたトモは母と妻が夕食を作る手伝いまでした。

「竹さんの好きなメニュー教えてください」と。

 ウチの仕事よりも余程真剣な表情でレシピをメモし味見をする。どれだけ娘が好きなのかと呆れてしまった。


 トモにべったりの次男まで一緒に料理をする。ただでさえトモがデカいのに次男まで台所におしかけたものだからキッチンがぎゅうぎゅうになっていた。それでもおかずを多めに作りトモに持たせる母と妻はうれしそうだった。


 長男は中学に入って野球部に所属している。部活があるので帰宅したときにはトモはもういない。

 夕食を終えたら次男は学校の宿題とトモから出された課題に取り組むので長男と話をすることがない。おれ達も夕食後に仕事の話をするので子供は追い出していた。だから長男だけがいつまでもトモと関わることがなかった。



   ◇ ◇ ◇



 十二月に入ったらトモはこれまでの業務日誌を入力しはじめた。次男にも手伝わせ、ウチの過去十年分のあれこれをデータ化するという。


 同時にひなさんが経理担当者候補をふたり連れて来た。

「実力は確認しました。あとは皆さんとの相性です」

「面接してください」


 これまで我が家は妻が経理を受け持っていた。その前は母、その前は祖母、つまりは跡取りの妻の仕事とされていた。

「これまではそれでなんとかなっていたでしょうが、専任を雇ったほうがいいです」とひなさんがアドバイスをくれた。


 確かに最近はデジタルで対応してくれないかとか注文の仕方を変えられないかとか言われていて、妻も母もおれも困っていた。

 かと言って『ひとを雇う』ところまでは考えていなかった。


「『経理なめんな』って言ってたよ」とトモがこっそり教えてくれた。「あのひと経理畑のひとだから」


 ひなさんに経理及び事務の重要性をこんこんと教育され、改めてひとりひとりの仕事について向き合い考えた。そうして事務職を雇うことを決めた。


 ひなさんが連れてきたふたりのうちひとりは三十代後半のひょろりとした男性、ひとりは二十代後半の背の低い女性だった。

 男性はここ十年、女性はここ二年の記憶がないという。身元不明のままずっと病院に入院していたが夏に意識を取り戻し、リハビリを続けていたと。


 それまでに勤めていた会社はもう籍がなくなっていた。家族は再会に喜んでくれているが迷惑をかけたくない。再就職先を探していたところ、ひなさんに声をかけられた。

 再就職を目指して記憶のない間の知識を埋めるためにひなさんから色々教わっていたというふたりは、ひなさんが連れてきただけあって我が家の足りないところを補ってくれるに足る人材だった。


 ひょろりとした男性――中島くんは元々は外資系の一流企業で働いていたそうで、経理だけでなく法務関係からシフト管理までなんでもできた。おまけに英語もペラペラで、最近増えてきたナゾの問い合わせについても対応してくれた。

 背の低い女性――ミカちゃんは愛嬌のある娘さんで、経理だけでなく取引先との対応も卒無くこなした。


 最初はひとりだけを採用するつもりだったのに甲乙つけがたい優秀さを示されてしまっては「ふたりとも採用!」以外の答えはなかった。

 ふたりともウチにはもったいないくらい優秀な人物なのに全然おごったところがなくて、むしろ「雇ってくださってありがとうございます」と謙虚な姿勢だった。ただの農家のおれ達を馬鹿にすることもなく、いつもニコニコと働いてくれている。


「なんだかここは息がしやすいです」

「ここはすごく空気が清浄ですよね」

 ふたりそれぞれにそんなことを言う。

「とても安心できます」と。


「ここは竹さんと黒陽様が結界を展開していますから」ひなさんが言う。

「定期的に浄化やら運気上昇やらもかけていたそうですから。神域までにはいきませんが、それに近くはなってます」


 なにしてくれてんだウチの娘は。それ、野菜に影響ないのか?


「美味しいだけじゃなくて、食べたら元気になる野菜ができると思います」


 それは娘と黒陽のおかげだよな? おれはどう受け止めればいいんだ??

「まあまあ。細かいことは気にしなくて大丈夫です」

「神宮寺家のご先祖様から祥太郎さんに至るまでの努力があってこその美味しい野菜なんですから」


 なんだかひなさんに丸め込まれている気がするが、これまでどおり真摯に野菜に向き合えばいいというならそうしよう。


「詳しいことは話せませんが、あのふたり、ものすごく恐ろしい経験をしたので記憶を消してるんです」


 本人は自分がどんな恐ろしい目に遭ったかも、そんな恐ろしい記憶を消したことも知らない。それでも漠然とした恐怖は魂に染み付いているようで、リハビリ中に突然恐怖に襲われることがあった。

 ベッドから出られない。部屋の隅にちいさくなって震える。意味もなく泣き叫ぶ。そんな彼に、彼女に、家族もどうしたらいいのか困っていて、そんな家族に彼は彼女は申し訳なく思っていた。

 それでも外は恐ろしい。ならオンラインで自宅から出ずにできる仕事をしようとしたけれど、自宅でも自室でも恐怖は突然襲い来る。どうしたらいいのかと絶望していると聞いたひなさんが声をかけた。


 どうも安倍家からの依頼だったらしい。トモがこっそりとそんなことを言っていた。

 で、ひなさんがウチの野菜を食べさせたところ「不思議なくらい恐怖心がスウッと消えた」「身体の内側から清められた」らしい。


 さらにひなさんがふたりをウチの農場に連れて来た。ふたりともが「すごく楽」「ここならこわくない」と肩の力を抜いた。


「ここに住みたい」「ここで働きたい」と言われたひなさんがふたりをウチの求める人材に育てあげ、そして送り込んできた。


 それは竹と黒陽が浄化したというウチの土地のおかげだろう。おれ達は助かるが、なんだかふたりの弱みにつけ込んでるみたいじゃないか?


「神宮寺家の皆さんも一緒に働く皆さんも、黒陽様の厳しいチェックをくぐりぬけてきただけあって善良な方ばかりですから」

 そうか? そう言われたら悪い気はしないな。


「そんな善良な方達に囲まれて、清浄な土地で仕事できるなんてのは、なかなかないです」

「ここで数年働けばふたりの魂も修復するでしょう」

「そうなればもう理由のわからない恐怖に苦しめられることはないです」

「なので、ふたりを雇っていただけて助かりました」


「こちらの都合を押し付けてすみません」とひなさんは謝るが、最終決定権はおれ達にくれていたし、実際ふたりが加入してくれたことで一気に楽になった。

 それにふたりともすごく気持ちのいい子だ。

 仕事はできる。細かいところにもよく気がつく。手が空いたら農場の手伝いもしてくれる。まかないの昼食を「美味しい」「美味しい」と喜んで食べてくれる。

 なんだか家族がまた増えたようで、うれしくなった。



   ◇ ◇ ◇



 そのふたりが事務処理を一気にIT化してくれた。得意先それぞれからの事務処理要望に対応し、ナントカ決済いうヤツができるようにしてくれた。伝票もサインもスマホでできるようになった。

「未来人が来た」と思わず言ったら笑われた。


 さらには過去十年分の我が家の金の流れをデータ化した。それにトモが入力していた業務日誌を合わせ、景気動向とか天気データも加え、ものすごいデータバンクが完成した。らしい。


「こんなものおれ使いこなせない!」「私だって!」

 泣き言を言うおれ達をなだめたのはやっぱりひなさんだった。


「過去データはあくまで過去データです」

「トモさんにシステムを作ってもらう上で実験的に入力してみただけです」


 過去データをもとに、よりおれ達が必要とするシステムをトモが作ると。テストのつもりだったのに「ついでだから」とトモが調子に乗って作ったらすごいデータバンクができただけだと。


「仕事ができるひとがその気になったらとんでもないモノを創造すると、思い知らされました」

 ひなさんは呆れ果てたようにため息をついた。


「運用方法はまた明日トモさんから聞いてください」とひなさんは帰った。



   ◇ ◇ ◇



「じゃあこれね」

 翌日。トモからタブレットを渡された。ひとり一台。

「実際使ったほうがわかるだろうから」と日曜日なのに朝一番から来てくれた。 


 そうしていつもどおりの仕事の合間合間に「ここでこれをこうして」「これしたらここでチェックして」とトモが指導を入れる。やってみると案外簡単で驚いた。高齢の父も母も使いこなしている。


 そうしてその日の仕事が全部終わったあと、全員を集めて感想を聞いたトモ。使い勝手は。入力のタイミングは。集計画面の見やすさは。細かいことまで聞いてくれた。

 が、誰一人として不満を出すものはいなかった。おれも妻も両親も、あまりの簡単さに驚いたくらいだった。


「とりあえず一週間使ってみてください」

「事務のふたりにも、キリにも細かいことを教えてるから。なんかあったらそっちに聞いてください」


 そう言われ、一週間使ってみた。

 一週間の間にタブレットに慣れた。伝票をはじめとした色んなものが簡略化されて仕事が早くなった。


「今は農園が一番余裕のある時期だから」そんなふうにトモが言う。

「一番忙しいときにこそ本領発揮しないと」

「それまでにここまでいけるようにするよ」

 壁に貼り付けたひなさんとトモが作った工程表をバシンと叩き、頼りになる婿はニヤリと笑った。



   ◇ ◇ ◇



 今年もまた賀茂茄子の最盛期がやって来た。我が家の繁忙期。だが今年は例年にない余裕があった。


 野菜の生育状態をタブレットでリアルタイムに管理できるようになった。出荷予定数の把握も商品管理も楽になった。

 事務担当者が専任でふたりいることで注文や事務処理に十分対応できた。おかげで取引先とは例年以上に良好な関係を結べている。


 既存の取引先に出荷しても余裕があると予測できた分はデパートに持っていった。以前から「少しでもいいから置いてくれ」と頼まれていたが、収穫が終わるまでその日の出荷予定数が確定できなかったこれまでは対応できなかった。「今年は卸せそうです」と言ったら担当者が喜んでくれた。


 昨今のSDGsの風潮に乗り、取引先に出せない傷物をネット限定で販売をはじめた。事務担当のふたりからの提案で、受注から発送までふたりが全部やってくれた。いつの間にか我が家のホームページやらなんやらを作っていて、そこで宣伝やら受注やらしていた。

『農家オススメの食べ方』として料理メニューも写真入りで載っていた。「ウチの定番メニューなんか載せても意味ないだろ」って思ってたのに『作ってみました!』『美味しかった!』なんてコメントが来てびっくりした。


 海外からも注文が来た。事務担当のふたりがいつの間にか受けていつの間にか発送していた。痛むことなく届いたと聞いて安心した。最近の流通環境に「魔法みたいだな!」と驚いていたら笑われた。


 IT化の勉強をさせてもらった農園とは今でも付き合いがある。お互いに「こんなことしてる」「あんなことしたい」なんて話をする。「こういうのどうしてる?」「こんな話が来て」なんて相談もし合っている。相談できる相手が多いのはいいことだと感じる。



 ひなさんのコンサルタント契約は三月で一旦終了した。「受験勉強があるので」と本人から「三月半ばまでには完了させます」と最初から言われていた。

 あの時点では海のものとも山のものともつかない暗中模索状態だったのに、宣言どおり三月にはすべての業務を完璧に持って行った。仕事がデキるひとというのはこういうひとのことを言うのかと思った。


 そのひなさんは「『対価』として無料奉仕しないといけないところがある」と、どこかの年度末処理のために春休みに入ってずっと京都にいた。もちろん彼氏の晃くんも一緒。娘達の暮らすあの離れに寝泊まりしていたとかで、娘がとても喜んでいた。


 ウチにも何度か顔を出して様子を確認してくれた。ひなさんが「大丈夫ですね」「バッチリですね」と太鼓判を押してくれたから自信と安心を持って取り組めた。


 夏休みの今は受験勉強に励んでいるらしい。

 そういえばウチの婿も受験生のはずだが? あいつ進路どうすんだ?


 聞いてみたら「市内の国立大学行きますよ」とペロッと言った。

「ついでに海外の有名大学もいくつか受験します」「通信制で卒業までいけるとこはいっとこうかと」


 婿曰く「妻のそばから離れる気はない」「妻との生活が第一」なので「京都の大学以外行かない」。

 大学は正直どこでも何学部でもいいけど「『竹さんの夫』としてどこからもケチつけられない学歴にするために行く」と言う。

 どこまでも娘中心の婿に「ブレないなこいつ」と呆れてしまった。



 娘とは月に二回、あの離れで顔を合わせている。

 安倍家に納入する野菜以外に娘達が食べる野菜も持って行く。

「こんなにしてくれなくてもいいのに」と娘はいつも恐縮するが、婿は「ありがとうございます」と喜んで持って行く。

 そうして「おかず多く作ったんでお裾分けです」なんて色々くれる。できた婿に妻も母も父までも好感を抱いている。



 娘がスマホを持ったのでメッセージアプリでのやりとりもしている。

『ホームページみたよ』なんてメッセージをくれたりもする。


 娘とのやりとりよりも婿とのほうが圧倒的に多い。『今日の竹さんは』と毎日娘の様子を知らせてくれる。娘がいかにかわいいか、どれほど愛らしいか、うっとうしいくらいに送ってくる。写真も送ってくれる。かわいい娘の写真に『かわいい』と返したら妻に「バカ同士仲良しね」と言われた。失礼な。



 次男は婿に師事し、パソコンに夢中。パソコンだけでなく他の勉強もかなりがんばっている。いつの間にか英語ペラペラになっててびっくりした。

 週に一度は学校帰りに婿が我が家に寄って次男に色々教えてくれている。そのたびに律儀に手土産を持ってくる婿に家族もスタッフも好感度がダダ上がり。結果、結納時にはあれこれ言われていたのが「神宮寺はいい婿をもらった」「あれほどの婿を早くから取り込んだ神宮寺はやり手」なんて話になった。



 ITを導入しつつ伝統も重んじる我が家はあちこちから注目された。同業者からの見学依頼も取材依頼も来た。おれ達も見学させてもらってここまで来たのだからとなるべく受け入れた。

「どうやってここまで持ってこれたんですか?」

 必ずされるその質問に、おれはいつもこう答える。


「良い『ご縁』をいただけたおかげです」


 尊敬する両親の息子として生まれた。共に歩んでくれる最高の妻に出逢えた。かわいい子供達に恵まれた。良いスタッフに恵まれた。そして。

 得難い男が婿になった。


 すべては『ご縁』。

 きっとなにかの『おみちびき』。

 だからおれは今日も祈りを捧げる。


 一年前までは「どうか娘を助けてください」と祈りを捧げていた。

 一年前までのおれは苦しみの渦にただ翻弄されていた。毎日嘆き続けていた。

 それが今、こんなに充実しているなんて。


 だから今のおれはこう祈りを捧げる。


「娘を守ってくださってありがとうございます」

「『あいつ』を娘の夫にしてくれてありがとうございます」

「今日も無事に収穫できてありがとうございます」



 下を向いて嘆き続けていたおれは今、空を見上げている。

 そして今日も感謝を捧げるのだった。

竹の父視点でした

次回、ひなの暗躍をお送りします

そのあとは竹の下の弟のおはなしをお送りします

引き続きよろしくお願いします

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