【番外編1】神宮寺祥太郎の嘆き 15
あの結納から三か月。季節はすっかり秋になった。
賀茂茄子の時期は終わり忙しさのピークは去ったが農家に休みはない。相変わらず収穫に手入れに土作り苗作りに忙しくしている。
そんな作業場の一角で、例年にない動きがある。
「親父さん。ここのスペースこれくらい使っていい?」
「ん? ああ。いいぞ」
「サンキュ」
テキパキと動くのは婿のトモ。手にした機械でなにかを調べている。
そのトモにくっついているのは次男の桐仁。小学四年生。
「トモさん、これなに?」「これは……」とふたりでゴソゴソやっている。
なんでこんなことになったのか。
話は二か月前まで遡る。
◇ ◇ ◇
夏休みが終わり子供達は学校が始まった。
戻ってきた日常にホッとしつつ、娘に会えるのは月に二回になってしまったことをさみしく思っていた。
トモは鳴滝の自宅を叔母夫婦に譲り、安倍家の離れに引っ越した。完全にあの家で娘と同居をはじめた。
とはいっても黒陽もいるし他にも数人が同居しているという。その中のふたりは結納のときに手伝いに来てくれた女性達だった。
賑やかに、健全に暮らしていると聞き安心した。
トモの引っ越しに合わせて娘の荷物も移動させた。
といっても寝込んでいた間に体型が変わったので服や小物は全滅。家具も雑貨も向こうに全部ある。結局アルバムと少しの文房具を持って行った。
そのときに「ちょっと聞いてみたいんですけど」とトモが声をかけてきた。
「同業者が『農場見学したい』って言ったら受けますか?」
「見学?」
なんでも知り合いの農林業に関わってるひとがトモが神宮寺家と縁続きになったと聞き「あの伝統野菜の!」「農場見せてもらいたい!」と言っているらしい。
「そのひと、すごい勉強熱心なんですよ」
「自分のとこの畑や山を『少しでも良くしたい』『今よりも良くしたい』ってずっとがんばってて」
「吉野の田舎なんで京都郊外の農業とは違うだろうと思うんだけど、そう言ったら『決めつけは良くない』って逆に説教されました」
「毎年九月の連休に京都に来るんです」
「そのときにちょっと見せてやって話してやることって、できますか?」
傍若無人が服を着て歩いているようなトモがそこまで言うなんて、余程縁のあるひとか恩のあるひとだろう。
だから「トモの知り合いなら、いいよ」と許可を出した。
「で、どこの誰だよ」と詳しく聞けば「吉野の久木さんてひと」という。
「ひさきさん?」
それはあの娘の世話をしてくれていた娘さんじゃないのか?
そう聞けば「そのひとの父親です」と言う。
「早く言えよ!」「あのひさきさん、恩人だろ!?」
思わず叫べば「そうなんですよ」と言う。
「だからちょっと雑談で出ただけで正式に依頼されたわけじゃないけど、動こうかと思って」
トモがそこまで言うなら相当の恩がある。それは何をおいても受けなければ!
「恩人の父親なら尚更だ! 時間はどうとでもするから来てもらえ!」
そう言えば「ありがとうございます」とトモは笑った。
「どんなひとだ? 何歳くらい?」と聞けばスマホをさっといじって見せてきた。
「このひとです。年齢は……確か四十七だったかな?」
おれと同年代か少し上の男が息子らしきふたりと写っていた。
『久木ファーム』と書かれたホームページ。その写真に「あれ」と気が付いた。
「ちょっと見せて」とホームページを確認し、「もしかして」と資料スペースの雑誌をあさる。
「もしかして、このひとか!?」
中山間地域でIT技術を活用し効率的に農業をしていると最近話題になっている人物。久木 勇悟。
「ああ。このひとです」トモは軽く答える。
「へー。勇悟さんすごいじゃないか」なんてのんきに記事を読み始めた。
「いやいやいや! 待て待て待て!」
キョトンとするトモ。「なに?」と言うが、ちょっと待て!
「このひとが!? ウチを見学!? なに見せるんだよ!」
ウチは昔ながらのやり方だ。そんな最先端農業してるようなひとに見せられるものがあるとは思えない!
なのにトモは「さあ?」とケロッとしている。
「そこは親父さん次第じゃない?」
「ウチなんて見たって参考になるわけないだろ!」
「知らないよ。勇悟さんが『見たい』って言ってるだけだし。俺は農業そこまで詳しくないし」
「なんなら何が見たいか聞いとくけど?」と言ってくれたので「頼む」と言っておいた。
◇ ◇ ◇
トモから日程連絡があり、九月の連休最終日の午後から時間を空けて待っていた。親父も同席してもらう。
トモからはいくつかの『見たいもの』『聞きたいこと』リストをもらっていた。それをもとに準備をし、ウチからも聞きたいことをリストアップした。
一番聞きたいのはやはりIT導入についてだ。導入費用、運用経費、使い勝手、利点、問題点。聞きたいことは山ほどある。
そもそもは久木ファームは零細に近い農家だった。それが数年前に土地を活かした活動に取り組みはじめ、ITを活用して取引を増やした。吉野の山でしか採れないもの、栽培できない品をPRし、地域活性化の一躍を担っている。
最近では期間限定カフェを試験的に営業し、六次産業を視野に入れている。
どうやってここまで持ってきたのか。なにがきっかけになったのか。聞きたいことは次から次へと出てくる。
ワクワクしながら到着を待っていた。
時間が近づいてきた頃、一台の車が到着した。
降りてきたのはトモだった。
「親父さん。車ここに停めていい?」と言うから「いいぞ」と許可を出す。
そうして降りてきたのはふたりの男。
久木勇悟と長男の久木修悟だった。
「勇悟さん。義父。こっち、おじいさん」
トモの雑な紹介にツッコミを入れるより早く久木さんが「はじめまして!」と手を差し出してきた。
「吉野の久木と申します! 今日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます!」
おれと握手した久木さんは続いて父と握手をした。
「息子の修悟です!」久木さんそっくりな若い男とも握手する。
「早速なんですけど聞きたいことが! 伝統野菜を維持する上でのことなんですけど!」
そこからは怒涛の勢いで話がはずみ、農場を案内し育苗スペースを見せ土について語り合った。作業場を見せ機械の話をし、気が付いたらもう辺りは暗くなっていた。
勇悟さんが来たのが三時頃。そこからお茶も出さずずっと話続けていた。
特に父と話が盛り上がり、父はずっと楽しそうだった。
「夕ごはん食べて行ってください!」と引っ張り、遠慮するふたりを座敷に連行した。
「これは今日は吉野に帰れないなあ」という勇悟さんに「泊まっていって!」と説得し、ビールを開けた。
トモは夕方にはウチを出た。「竹さんが心配するから」とさっさと帰った。勇悟さんと修くんに「ほどほどにしときなよ」とだけ言って。
床の間に並ぶ結納品に「いいなあ」とふたりが言う。
「ウチも早くしたいなあ」「でもひなが『大学出るまでダメ』って言うしなあ」
なんの話かと思ったら、ひさきさんの話だった。
ひさきさんにいつもくっついている黒髪の青年がひさきさんの恋人。久木家は「いつ結婚してくれても構わない」と思っているのにひさきさん本人が「大学を卒業するまでは結婚しない」と明言しているらしい。
「ウチで経理をしたいと言ってね」
うれしそうな勇悟さん。
「そのために大学で勉強して資格を取るんだと聞かないんですよ」
「さっさと晃と結婚したらいいのにな」
そうぼやく修くんに「まだ年齢が達してないじゃないですか」とツッコむ。
ひさきさん――ひなさんはトモと同学年だと言っていた。あの黒髪の恋人も同い年だと。なら最低でも一年は結婚できない。
「トモもだから結納して婚約したんですよ」
娘とトモはもうすでに夫婦のつもりでいる。それが社会的に認められないと理解しているからトモはひなさんの提案に飛びつき、婚約者となることで手を打った。
そんな話をしたら「そうだ!」と勇悟さんがグラスを机に叩きつけた。
「婚約だ! 結納だ!」
「トモくんだって婚約したんだからひなも婚約させよう!」
「いいな! やろうやろう!」
やんややんやと喜ぶふたりの様子から家族仲の良さがうかがえる。あの青年との仲の良さも。
「勇悟さんは『早いんじゃないか』って言わないんですね」
散々に言われたことをポロリともらせばキョトンとされた。
「いい人材は『早い者勝ち』ですよ」
「そうそう。つなぎとめるためにはさっさとツバをつけて囲い込んでおかないと」
「神宮寺さんはいい決断をした!」と褒められたらうれしくなってしまう。
「竹ちゃんはいい子ですね」
「あのトモがあんなになるなんて」
「ひなと晃から聞いてはいたけど、この目で見ても信じられませんでした」
「娘をご存知で?」
驚いてたずねたら、久木家が参加したこの三連休のとある場所での集まりに娘とトモも参加したという。
娘はひなさんにくっついて色々していたとのことで、自然と勇悟さん修くんとも親しくなったらしい。
「あのトモを骨抜きにするなんて、竹ちゃんは大したもんだ!」
その言い方にずいぶんトモと親しいんだなと聞いてみたら「ウチが法人化したときの協力者のひとり」だという。
「その話、詳しく!」
「トモくんの話?」
「それも聞きたいけど、法人化の話!」
そこからまた色々な話を聞いた。それまでの状態。大変だったこと。法人化したきっかけ。
法人化にあたってあの目黒くんとトモが中心になって助けてくれたと聞いて驚いた。主座様の側近候補の目黒くんが『いろんな仕事を経験してる』と言っていたが本当に色々していたらしい。
法務関係は「オミがみてくれた」という。
『オミ』が誰かわからないでいたら「主座様の父親です」「安倍 晴臣だから『オミ』です」と軽く言う。
………安倍家の顧問弁護士がわざわざ手掛けた案件……。
つまり、久木家もそれなりの家……?
「……安倍家とつながりが?」と聞けば「いやいやそんな安倍家がどうこう言うのじゃないんですよ」と笑う。
「オミはオレの友達です」
勇悟さんの顔には友情以外なにもなかった。
「ウチの晃が主座様ヒロくんと友達になって、親同士が友達になっただけです」
「ウチの法人化はヒロくんトモくんの修行の一環でもあったので。それで法務をオミがみてくれただけです」
「神宮寺さんも頼めばみてくれますよー」なんて言うが、頼めるわけないだろう!
「だいじょぶだいじょぶ」と言うふたり。大丈夫なわけないだろう。酔っぱらってんのか?
「その話は置いといて、他の話聞かせてください」と実務についてたずねる。どうやってITを取り入れたのか。どんなふうにしているのか。
運用については実際スマホで見せてくれた。導入した機械の写真や当時の見積もりまで見せてくれた。
「すごいな」「いいなこれ」「便利そう」父とふたり感嘆が止まらない。
「ウチもこんなの取り入れられたらいいな」
ついそうこぼすおれに「取り入れたらいいじゃないですか」と勇悟さんが簡単そうに言う。
「ウチみたいな山奥でもできたんだから。ここならもっと簡単にできるでしょ」
「そうは言っても、その、知識が……」
これだけの機材を選定し、配置し、運用まで持って行くなんて素人にはとても無理だ。
「勇悟さんはどこの業者に頼んだんですか?」
どこか専門の会社とかに依頼したんだろうと聞いてみた。あわよくば紹介してもらおうと思って。
ところが勇悟さんも修くんも「は?」とポカンとした。
「いやいや。業者には頼んでないですよ」
「じゃあ、自分達でやったんですか?」
「いやいや。ウチはみんなそういうのはちんぷんかんぷんですよー」
そう笑うふたりの言葉に嘘はなさそう。
「じゃあどこがやったんですか?」と問えばふたりとも首をかしげた。
「さっき言ったじゃないですか。『ウチが法人化したときの協力者のひとり』だって」
「は?」
「だから」
そうして勇悟さんはあっさりと言った。
「トモくんです」
「ウチのIT化のなにもかもを用意したのは、トモくんです」
◇ ◇ ◇
詳しく話を聞いて、あごがはずれるかと思った。
久木家の周囲の地形調査。電波状態の確認。必要な設備のリストアップ。購入機材の選定と設置。もろもろのシステム作り。データベースなどへの侵入者対策。
なにもかもを、トモひとりが作り上げたという。
「トモ曰く『お手本があるからできた』とのことでしたけどね。でもお手本があったからって、なかなかできることじゃないと思いますよ」
「タカが――トモくんの師匠が監修してくれてましたけど。でも『ほとんど手直ししてない』って言ってました」
「神宮寺さんとこの婿になったんでしょ? 頼めば色々してくれると思いますよ?」
「ウチの流用してもらってもいいですよ。元々トモくんが作ったものなんだし」
半信半疑で翌日トモを呼び出し取り問いただせば「そうですよ」とあっさり答えた。
「とはいってもお手本と方向性の指示があったから。そんな難しい仕事じゃなかったですよ? ちょっと手間がかかったくらいで」
「嘘つくな!」
あれだけのもの揃えて使えるようにするのがどれだけ大変なことか、おれだってわかる。
知り合いに何人も挑戦しては断念したやつがいる。なんとか導入できたもののうまくいかなくて結局放置しているやつだって知ってる。
「だから、それは使い手の問題なんだって」
「まあ使い手が使いにくいシステム作るほうにも問題あるとは思うけど」
「でもやっぱり最後は使い手次第なんですよ」
………それは、そうかも………。
「勇悟さんはめちゃくちゃがんばりましたから」
「勇悟さんだけじゃなくて久木家全員一丸となって取り組んだし、最後はあそこの地域全体で協力してました」
「だからできたことですよ」と言われたら納得しかない。
「まあ、久木家にはひなさんがいますから。あのひとものすごく優秀なので、その分はよそとは違うでしょうね」
トモによると、設備やシステムを提案する側にとって「こんなかんじのことができたらいいな」「なんか使いやすくして」といった曖昧な指示が「一番困る」らしい。使用目的、期待する効果、使用者のレベルと人数、そんなものを明確にしてくれ方向性を示してくれたのがひなさんだと。
「ついでに導入予算と運用経費に関してもきっちり指摘してきました」
「あのひと寝っからの経理人なんで」と呆れたように言うトモの声には敬意がにじんでいた。
「じゃあ……」
もし本当にトモができるならば。
「ウチがトモに依頼したら、久木さんとこみたいに、IT導入、できるか……?」
いつもの食卓に学校帰りのトモを座らせ、おれと父が正面に座って話をしていた。流しの向こうからは妻と母もこちらを見つめている。
昨今の人手不足は深刻だ。農業はキツい仕事だからなり手も少ない。おれも四十歳を前にして昔ほどムリが効かなくなってきた。そこをITで補えたら。
それだけじゃない。最近では注文や伝票を「デジタルでできませんか?」と言ってくる取引先がいる。スマホ決済とか求められて対応できなくてくやしい思いをしたこともある。
そういうのをどうにかできないかというのがここ数年の我が家の悩み。
だからそんな問題を全部クリアしている久木さんの訪問は我が家にとって僥倖だった。
目の前の男にそれができるなら。
―――これはチャンスだ。
おれは今、分岐点に立っている。
我が家が時代に取り残されて潰れていくか。
技術を取り入れて生き残っていくか。
覚悟を込めてトモを見つめていたら、トモは呆れたようにため息をついた。
「親父さん。焦りすぎ」
そう指摘されたが、実際焦っている。
「まあ落ち着いてよ」と言うトモはずいぶんと大人の男のような顔をして肘をついた。
「なんか困ってんの? 聞くだけなら聞くよ」
そうしてトモに吐き出した。困っていること。くやしかったこと。迷っていること。うらやましいこと。理想と現実。金の問題。妻も母も席に座り、親父と四人がかりでトモに訴えた。
「だいたいわかった」
そうしてトモは「提案がある」とニヤリと笑った。
◇ ◇ ◇
「改めまして。久木 陽奈と申します。本日はよろしくお願いします」
トモの提案とは「ひなさんにコンサルタントとして話を聞いてもらってはどうか」というものだった。
ひなさんも久木家の法人化にゼロから加わった人物。だからこそ我が家の悩みを理解し、進むべき道を示してくれるだろうとトモが言う。
「ただ『話を聞いてもらう』だけじゃ簡単なアドバイスしかもらえない。でも、ちゃんと『仕事』として依頼して契約したなら、あのひとなら必ず成功まで導いてくれる」
「あのひと実年齢は若いけど、中身は違うから」「経理をはじめとした事務処理能力もクソ高いけど、あのひとの本領はコンサル能力」
コンサルタントとは『依頼者の相談に乗って課題を分析し、特定し、解決まで導く専門家』だとトモが言う。ひなさんはその分析力が特に優れていて、だからこそ成功に導くことができるのだと。
「金出してちゃんと契約書交わして依頼するなら、あのひとなら結果を出すよ。――それが皆さんの望むものかどうかは別にして」
いくらくらいかと聞くとすぐにスマホで調べてくれた。かなりのまとまった金額だった。
「ついでに」とトモはスマホをいじり、安倍弁護士と目黒くんの父親から彼らの考えるコンサル料の平均額とひなさんに依頼した場合の妥当額を聞き出した。
ひなさんへの額が高い。平均額の倍の額が提示されている。つまりは、それだけの能力があるひとだということ。
「なんなら試しに今度来てもらおうか?」
「話して、それから依頼するかどうか決めてもいいんじゃない?」
そう提案してもらい、頼んでみることにした。
そうして土曜日。
娘とトモ、黒陽と一緒にひなさんと彼氏が来た。
あの引っ越しを最後にこの家に娘を迎えることはないと覚悟していた。だからごく普通の顔を作って迎え入れたが、内心ものすごくうれしかった。
表向きは『娘の友達が来た』ということになっている。ヘタに『コンサルタントに話を聞いてもらう』とかもらしたらおかしな噂が立ちかねない。
軽く農場見学してもらい、自宅のリビングで話を聞いてもらった。
「お話はだいたいわかりました」ひなさんはそう言い、我が家の問題点をつらつらと挙げた。的確な指摘に息を飲んだ。
それだけではなく、今後の展望も具体的に言葉で示してくれた。
「そう!」「そういうのがしたい!」父も母も妻も前のめりになった。もちろんおれも。
「ザッと思いつくのは」
そう前置きしてひなさんはいくつかの道を示してくれる。短期決戦型、中期変革型、長期展望型、現状維持型。それぞれの利点と問題点。費用と売上予測。事業展開について。人材確保について。他にもいろいろ。
「どれを選択されるかは皆様の考え方次第です」
「どれを選択されてもある程度のリスクは必ずあります」
「もちろん、今私が提示した以外の道もあります」
「一年後どうなりたいか。五年後、十年後どうなりたいか。
そう考えてみるのもひとつの手ですよ」
「そうは言ってもわかりやすいサンプルがあったほうが判断がしやすいでしょう」
「もしお時間が許すならば、我が家にいらっしゃいますか?」
「我が家が導入したシステムを実際に使ってみてはいかがでしょうか」
そう誘ってもらい、妻とふたり吉野の久木ファームにお邪魔した。
勇悟さんが気持ちよく迎えてくれ、畑の管理や受注のやり方を見せてくれた。実際タブレットに触らせてくれ操作してみた。思ったよりもわかりやすかった。
ひなさんは経理システムについて色々教えてくれた。こちらも実際にやってみた。
「先日見せてもらったあれとかこれとかはこれで代替になります」と教えてくれた。「ずいぶん楽になりますよ」奥さんの真由さんも実例を出して話を聞かせてくれた。
京都に帰って興奮のままに両親に話をする。翌週は両親が吉野にお邪魔した。やはり興奮して帰ってきた。
勢いのままにひなさんに仕事を依頼しようと連絡した。「落ち着いてください」と逆に止められた。
「興奮状態で判断してはいけません」「ノリと勢いも大事ですが、今少し判断材料を増やしましょう」
そうアドバイスしてくれ、京都のいくつかの農場見学を勧めてくれた。
ひなさんがアポイントメントを取ってくれたのでおれ達は指定された時間に行くだけでよかった。
それぞれITを取り入れているレベルが違った。それでもそれぞれの農場に見合ったレベルだと思った。今後の展望について、夢や希望について、話をしてくれた農場の代表と話を重ねた。なんだか学生の頃に戻ったみたいだった。
農場見学をさせてもらったお礼にとウチの農場にも来てもらった。それがひなさんが先方に見学を申し込んだときの交換条件だった。
「ウチなんて昔ながらのやり方で参考になることなんかないよ」と言ったが皆さん「それがいいんだ」と言う。
ウチには「何百年も続けられたという実績がある」と。
「ただ畑を耕して次の世代が受け継いだだけにすぎない」と言ったが「それがなかなかできないんだ」と言う。
ウチは賀茂茄子を中心に伝統野菜を扱っている。それはなんでかというと単に先祖から伝わってきたから。昔から作ってきたから。
皆さんが褒めてくださり求めてくださるけれど、古臭い、大したものではないと思っていた。なにか変革を起こさなければ生き残れないと。
だが、あちこちを見学させてもらい、知見を増やし比較することでウチのいいところも強みもなんとなく見えてきた。逆に悪いところや弱みも見えた。
次に会ったひなさんにそんな話をすると、まるで出来の悪い生徒のがんばりを見たべテラン教師のような笑顔をした。
「では、改めて皆さんのご希望をうかがいます」
そうして四人がかりでひなさんに話をした。初日にした話よりも具体的になっていると自分達でもわかった。
おれ達の話を聞き、ひなさんはサラサラと書類を作った。フローチャートを作り図を作り、とてもわかりやすい書類が出来上がった。
そこにはおれ達が言いたかったこと、言いたくてもうまく言葉にできなかったことが形になっていた。
「すごい」「すごい」と喜んでいたらひなさんはトモに紙とペンを渡した。
「これを実現するためにトモさんが必要だと思う機材を、最低限、中間、理想の三段階でリストアップして試算してください」
スマホ片手にトモはスラスラと紙を埋めていく。
隣の娘がキラキラしい眼差しで見つめるものだからえらく張り切ってやってくれている。
そうしてできた書類にひなさんがさらに書き込みをし、おれ達に渡してきた。
「概算です」
示された数字に思わずうなった。
最低限レベルでも簡単に出せる金額じゃない。
浮かれたココロに水を差された気分になった。
そんなおれ達に娘は心配そうにし、トモは平気な顔をしていた。おれ達がこんな反応をすると予想していたようだった。
「ここで改めてお考えいただきたいことがあります」
ひなさんの言葉に思わず姿勢を正す。
ひなさんは淡々と言った。
「まずご承知おきいただきたいのですが、皆さんは無理をしてこの計画に取り掛からなくてもいいんです」
「これだけの投資をして良くなる保証はどこにもありません」
「逆に余計な仕事が増えて手間が増える可能性もあります」
「『これまでのやり方を貫く』という道も、確かに有用です」
「経理だけは取引先との関係や税務処理の関係があるのでIT化したほうがいいと愚考しますが、他は無理にすることはないんです」
「我が家も導入期はものすごく大変でした」
「父はあちこちに頭を下げ、睡眠時間を削り、それこそ倒れる一歩手前にまでなりました」
「母も兄も、もちろん私も、引退した祖父母や無関係の叔母家族も、みんながそれぞれにがんばりました」
「それだけの努力をする覚悟がありますか?」
ひなさんの眼差しに言葉が出ない。ひとりひとりの目をしっかりと見つめるひなさんの目には迷いがない。そして、おれ達を責める色も、急かす気持ちもない。ただただ『しっかり考えろ』と言っている。
「これだけの大金をかけるリスク。大金をかけても失敗に終わるリスク。皆様に降りかかる労力と負担。
それらを賭けてでもやるべきことなのか、やるだけの価値のあるプランなのが、今一度考えてみてください」
ひなさんの言うことはいちいちもっともで、真理を突いていると思う。
おれ達は確かに甘かった。どこか浮足立っていた。世間の流れに乗れていない焦りがあった。そこに突然差し出された可能性に希望を持った。
そんなおれ達をうまく手のひらで転がして金をむしり取ることは簡単だろう。例えそうなってもおれ達は間違いなく感謝した。
なのにあくまでもおれ達に寄り添って提案してくれる。ひとつの道だけでなくいくつかのパターンを提示してくれる。
このひとに頼んでよかった。このひとは信頼できる。改めて強く感じた。