【番外編1】神宮寺祥太郎の嘆き 12
娘からの絶縁宣言が撤回され、ホッと息をついた。
たとえ二度と会えないとしても『ただ会えない』のと『絶縁してて会えない』のとでは気持ちが違う。
おれ達のためにひさきさんが色々考えて気を回してくれたことがありがたくて頭を下げた。
そんなおれ達にひさきさんはにっこりと微笑んだ。
「で、私の提案はいかがでしょうか」
「え?」と思わずもらしたら「顔合わせと結納と婚約の件です」と言う。
どうだろう。いいのか? 婚約? いや確かにふたりが『しあわせ』になれたらいいとは思ったけれど。『お付き合い』は認めてもいいと思ったけれど。
展開が早すぎてついていけないおれの隣で妻が娘に問いかけた。
「竹は、いいの?」
「トモくんと今すぐ『婚約』しても」
「『十八歳になったら結婚する』ので、いいの?」
問いかけられた娘はあたふたと視線をさまよわせていたが、やがて覚悟を決めたらしくまっすぐに妻と目を合わせた。そして。
力強く、うなずいた。
「―――!」
トモが無言の叫びを挙げ、両手で顔をおおい天を仰いだ。
娘が自分との婚約と結婚を了承したことで歓喜が天元突破したらしい。
おまえちょっと落ち着け。
おれですら呆れてドン引きしているのに、娘は隣の男のそんな様子に気付かないらしい。ぼんやりした子だと思っていたが、ここまで気が付かないか?
「ではトモさんのご両親のスケジュールを確認して日程調整をかけます」
「皆様、よろしくお願いします」
トモを放置してひさきさんが淡々と話を進める。
「あの、トモくんのご両親へのご挨拶は――」
よく気が付く妻がひさきさんに質問したが「当日でいいでしょう」と言われた。
「細かいスケジュールや進行はこちらにお任せいただいてもいいですか」と聞かれたので「お願いします」と頭を下げた。
「トモくんのご両親へは娘のことを話しているのですか?」
妻の質問に復活したトモが「いえ」と答える。「これから話します」と。
「それではトモくんのご両親が竹とのことを認めてくださるか――」
心配そうな妻の意見はもっともだ。おれだったら怒り狂う。実際怒り狂って突撃して娘に絶縁宣言された。
なのにトモは「大丈夫です」と言う。
「俺が『とらわれた』ことは話しているので」
「親父も『静原の呪い』に『とらわれた』人間なので。わかってくれます」
そんなもんか? 内心首をかしげていたら「それに」とトモが続ける。
「竹さんはお袋の好みど真ん中です」
「竹さんに『おかあさん』なんて言われたら、お袋はイチコロです。断言できます」
「そうなの!?」と驚く娘に「うん」とトモは微笑む。
「素直で。やさしくて。穏やかで。笑顔がかわいくて。真面目で一生懸命で。
こんなかわいいひと、ウチのお袋でなくても一発で好感を抱く」
甘い笑顔で娘だけを見つめてトモが言う。おい。親が目の前にいるのわかってるか?
惚気を目の前で見せつけられて呆れかえっているおれに気付かない娘は「そうならいいなあ」なんてのんきに答えている。
なるほど。これは相当だ。
さっきひさきさんが言ったとおり、これを親戚や隣近所が目にすれば『執着のひどい婚約者が帰さない』という話に誰もが納得すると断言できる。
そしてこの男なら娘を大事にして愛してくれると思い知らされた。
この男ならあれだけ苦しんだ竹を救ってくれる。慈しんで『しあわせ』にしてくれる。そう思えて、なんだかうれしくなった。
たとえ二度と会えなくても。
娘にはこの男がそばにいる。
娘は『しあわせ』に暮らしていける。
安堵とともに一抹のさみしさを感じた。
「話は変わりますが」
そう言ってひさきさんが「神宮寺さん」と改まった声で呼びかけてきた。
「はい」と答えるとひさきさんが言った。
「今回神宮寺家は安倍家に非常にお世話になりましたね」
にっこりと告げられた言葉に『そうだ』と思い出した。
妻と話をしていた。世話になった安倍家にどうお礼をしたらいいかと。
「無償で娘を七か月――もう少しで八か月ですね。預かってもらい、主座様直属を何人も手配してもらった」
「これは普通ではあり得ない待遇だということは、ご理解いただけますか?」
わざと恩着せがましく言っているとわかるひさきさんの言葉に「理解しています」と答えた。
きっとおれ達が気にしていると気付いてくれたんだろう。そんなところにまで気を配ってくれるひさきさんに感謝しかない。
頭を下げ、聞いた。
「安倍家へどのように報いればいいか、教えていただけませんでしょうか」
「必要ありません!」
すぐさま娘が叫び、立ち上がった。
「お世話になったのは私です! 私がご恩返ししていきます! 父も母も、神宮寺の家も関係ありません!」
「竹ちゃん」
娘を止めたのは明子さんだった。
「いつも言ってたでしょう?」
「竹ちゃんをお世話するのは『家と家との契約だ』って」
にっこり微笑む明子さんに娘はグッと詰まる。
安倍弁護士にまで「契約書もちゃんとあるよ」と追い打ちをかけられ、娘は「でも」「だって」とオロオロした。が、ひさきさんはそんな娘を無視しおれ達に話しかけた。
「神宮寺家から長期的に提供できるものはなにかありますか? 金銭でも、物品でも、人員でも」
「なんでも出します」
すぐに答えた。
「言われるものを、できる限り出します」
「それほどの高待遇を受けたと、理解しています」
おれの覚悟が伝わったのだろう。ひさきさんはにんまりと微笑んだ。
そのままひさきさんは主座様に問いかけた。
「安倍家からの希望はありますか?」
それに対して主座様は答えず、「アキ」と声をかけた。
「姫宮のお世話を主にしたのはおまえだ」
「おまえの好きにしたらいい」
そう言われた明子さんは「そうですねえ……」とどこか楽しそうに考えをめぐらせていた。
何を言い出すかと固唾をのんで見守っていると「では」と明子さんがおれに微笑みかけた。
「お野菜をお願いします」
「野菜?」
きょとんと繰り返すおれに明子さんは「はい」と答える。
「安倍家はけっこう人数多いんです」
「ひとり暮らしの子とか預かってる子とかのごはんを用意する部署があるんです」
「出荷できないお野菜で十分です。定期的に、お野菜を買い取らせていただくというのは、いかがでしょうか」
「『買い取らせて』なんて、とんでもない!」
思わず叫んだ。
「これは竹がお世話になったお礼です! お金をいただくわけにはいきません!」
「『出荷できないもの』でなく、正規品を、一級品をお届けします!」
妻も言う。
「我が家が続く限り、安倍家に毎日野菜を届けます! ―――ですが、そんなことでご恩返しになりますか?」
心配になってそう聞けば「毎日でなくていいです」と明子さんが言う。
「そうですねえ……。月に二度ほど、お願いできますでしょうか」
「そんな」
毎日だって届けるのに。そう言おうとするより早く明子さんが続けて言った。
「納品いただくのはおふたりにお願いします」
「この離れに来ていただけるのはおふたりだけなので」
「ですので、納品はこの離れでお願いします」
「受け取りはトモくんか竹ちゃん、お願いできる?」
その言葉に、その目に、察した。
『安倍家への報酬』は、言い訳。
おれ達夫婦を娘に定期的に会わせる、そのためにこんなことを言いだした。
「―――!!」
ぎゅうっ。胸が締め付けられた。
感動と感謝が胸の中で駆け巡る。
どこまで良くしてくれるんだ。なんていいひと達なんだ。こんなにおれ達のことを考えてくれて。難しい立場の娘に気を配ってくれて。
ありがたい。ただ、ありがたい。
感謝と感激が鳥肌になって全身に走る。涙になってでてきそうなのをどうにか必死でこらえた。
もう二度と会えないと覚悟した。
それでもいいと思った。
娘が『しあわせ』ならばそれでいいと。
なのに。
トモは理解したらしい。黙って明子さんに頭を下げた。
娘はイマイチわかっていないらしい。「いいですけど……」なんてむすっとしている。もしかしたら照れてるのか?
妻は取り出したハンカチで顔をおおっていた。肩を震わせ感謝を伝えようとしているが「あ」「あり」と言葉になっていない。
だからおれが言った。立ち上がり、腰を九十度に折った。
「ありがとうございます」
「必ずお届けします」
ボタリと雫が落ちたけれど、誰も指摘してこなかった。ただ頭を下げ続けた。
◇ ◇ ◇
それからしばらく忙しい日が続いた。
話し合いから帰宅した日の夜、両親に竹とトモの『結婚を前提としたお付き合い』を認めたことを話した。安倍家の仲立ちで近々顔合わせと結納をすることになったことも。
「憑き物が落ちたような顔をしている」親父に言われた。
「竹ちゃんは目を覚ましたの?」母に聞かれ娘の様子を話す。目覚めたこと。高熱を出していたが今は微熱で落ち着いていること。トモと仲睦まじくしていたこと。
「よかった」と両親は喜んでくれた。
「神野には報告したほうがいい」と言われ「それもそうだ」と思った。
神野の伯父の紹介で目黒くんが来てくれたわけで、伯父も従兄もきっと気にかけているだろうと思い至った。
翌日手伝いに来てくれた目黒くんに相談したら「それもそうですね」と納得してくれ「調整します」と請け負ってくれた。
「情報開示の許可が出たので」と目黒くんが一緒に働くスタッフへの説明に協力してくれた。
「聞きましたよ! 竹さん、よかったですね!」
話し合いの翌日、顔を合わせるなりそう声をかけてくれた。
元々目黒くんは「竹が世話になってる家の関係者」と説明していた。それもあって目黒くんとのやりとりは不自然がなかった。
あれよあれよとひさきさんに提案されたとおりの話を繰り広げる目黒くんにスタッフはみんな「よかったね」と喜んでくれた。
「それで祥太朗さん今日は顔色がいいのか」と言われた。そんなに違うか?
「なんで鳴滝の西村さんの話を聞いてるのかと思ってたけど、そういうことだったのか」と納得された。
朝食の席で息子達に娘の話をした。
息子達には心配かけないように娘の話はしていなかった。というか『霊力が』とか『安倍家が』なんて話できなくて、どう説明したらいいかわからなかったので『お姉ちゃんは神野のおじさんの知り合いの家に預かってもらうことになった』と話してから話をしていなかった。
それがいきなり「お姉ちゃん、目が覚めたよ」と聞かされ息子達は驚いていた。
「いつ帰ってくるの?」下の息子の素直な質問に「まだ具合が悪いからすぐには帰ってこられない」と説明し、「それより聞かせておきたいことがある」と話をした。
「お姉ちゃんのことを好きになった男がいて、近々婚約することになった」
「「はあぁぁぁ!?」」
驚く息子達に聞かれるままにどこの誰かどんな男か話して聞かせた。「目黒くんの友達」と言ったからだろう。手伝いに来た目黒くんをつかまえてどんな男か聞いていた。
息子達と目黒くんとのやりとりをスタッフも耳にしていて、その日の夕方にはあちこちで「神宮寺の娘が目を覚ました」こと、「鳴滝の西村の孫と婚約する」ことが広まった。
◇ ◇ ◇
話し合いのあとも目黒くんは毎日手伝いに来てくれる。そのたびに商品にならない野菜を持って帰らせている。その日によって量は違うが、最低でもダンボール二箱は持ち帰らせる。
「『安倍家への報酬』のお野菜はこのレベルで十分ですよ?」目黒くんが言う。
「こちらでも十分美味しいです」
そうは言うがこちらの気持ちがおさまらない。だから商品にならない野菜は『目黒くんのバイト料』で、それとは別に『明子さんへの差し入れ』として正規品を持って行っている。つまり毎日最低ダンボール三箱の野菜を安倍家に持って行っている。
「神宮寺さんの正規品のお野菜は神様方もお喜びくださってます」
突然そんなことを言われて意味がわからなかった。
目黒くんへのバイト料として持ち帰らせた出荷できない野菜を料理に使い、明子さんへの差し入れはあちこちの神様方へ献上していると目黒くんが話す。
そうと知ってたら正規品のなかでも最上級品を出したのに!!
先月の十七日に起きたナニカの関係であちこちの神様方に「お世話になった」とかで、主座様はじめ安倍家のひと達でお礼にうかがっている。娘が元気になったら娘とトモが行くらしい。
で、お礼にうかがうときの献上品として酒とウチからの野菜を持って行ったところ「野菜がうまい!」と褒められたと。
「黒陽様が十五年にわたって守護をかけてきた土地ですから。なんらかの影響があるんでしょうね」
黒陽の霊力が土地に染み込んでいて、その土地で育った野菜にも染み込んでいると、そういうことらしい。
ともかくウチの野菜は喜ばれているらしい。神様にも、安倍家の皆さんにも。
「野菜嫌いを公言してはばからなかったひとまで食べてます!」と言われたらうれしくなってしまう。
目黒くんや明子さんと話し合いながら、やがて来る月に二回の納品量を決めていった。
◇ ◇ ◇
竹はみるみる元気になっていった。「トモがついてますから」目黒くんが呆れたように言っていた。
とにかくいつ行ってもトモがくっついている。比喩でなく、物理的に。『執着がひどい』『束縛系』というのは大袈裟ではなかったとわからされた。
だがそんな重たい男に娘はうれしそうにしている。娘がいいならおれ達に言うことはない。黒陽も「いつものことだ」と言っている。
そのトモともすぐに親しくなった。
元々あの夢のおかげで親しく感じていたが、どこまでも娘を大切にしてくれる様子に親として感謝しかなかった。
勝手に「トモ」「トモくん」と呼んでも平気な顔で受け入れてくれたトモはおれ達を最初は「竹さんのおとうさん」「竹さんのおかあさん」と丁寧に呼んでくれていた。
が、自分の父親を「親父」と呼ぶトモに冗談半分で「おれも『親父』でいいぞ」と言ったら「じゃあ『親父さん』で」と返ってきた。
案外悪くない呼び方にニマニマしていたら妻も「お袋さん」と呼ばせていた。
娘との結婚式の写真を見せてくれたので娘の昔の写真を見せた。
「天使だろう」と言ったら娘と妻は呆れていた。が、トモはひどく真面目な顔で「天使です」と同意してくれた。
「お父さんは昔からこうなのよ」「ホント過保護で親馬鹿で」と呆れる妻に「かわいい娘をかわいいと言って何が悪い!」と文句を言ったら「バカがなんか言ってる」とバカにされた。
「親父さんは間違ってません」「竹さんのかわいさは国の宝です」
真顔で断言するトモに「バカが増えた」と妻は呆れ、娘は真っ赤になって丸くなっていた。
娘は元気になるにつれて次第におれ達にココロを許してくれた。
これまでは「迷惑をかけてはいけない」「守らなければいけない」と気を張っていたと黒陽が教えてくれる。それがもう離れて暮らすようになったからかトモがいるからか気負うことなく接してくれるようになった。
ごく普通のやり取りをし、他愛もない話をする。帰るときは「じゃあまたね」と手を振る。
穏やかな娘の様子に「よかったな」と毎回安心して帰路についた。