表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
471/574

【番外編1】神宮寺祥太郎の嘆き 11

 妻は娘をまっすぐに見つめ「竹」と呼び掛けた。


「竹が『黒の姫様』なのね」


 妻の問いかけに娘は黙ってうなずいた。


「黒陽に聞いたわ。ずっと昔に『落ちて』きてから何度も何度も転生してるって」


「そんな竹が私達を『家族じゃない』って言うのは、無理もないことだと、思う」


 そっと目を伏せた妻はさびしそうに(わら)った。

 それでもグッと顔を上げ、娘をまっすぐ見つめ、言った。


「でもね。竹」

「竹は私が産んだの」

「竹は私の『娘』なの」

「竹がどれだけ嫌がっても。どれだけ『ちがう』って言っても。

 私が産んだ以上、竹は私の『娘』なの」

「この祥太郎が父親で、私が母親なの」


「そうでしょ?」と言う妻に娘はただ黙っていた。


「竹が『黒の姫様』でも。どれだけえらいひとでも」

「あなたは私の『娘』」

「私達の『娘』」


 妻はやさしい笑みを浮かべていた。

 慈愛に満ちた微笑みに、おれも感動して胸が締め付けられた。


「一緒に寝て、起きて、ごはんを食べて。同じ屋根の下で十五年間過ごしてきたの」

「竹にとっては違っても、私達にとってはあなたは私達の『娘』で『家族』よ」


 妻の隣で明子さんがうなずいた。おれの隣で安倍弁護士もうなずいた。そういえばこのひと達も前世の記憶がある子供の親なんだと気が付いた。


「でも竹は、私達よりも大切にしたいひとと出会ったのね」


 それまで何の反応もなくただ妻に顔を向けていた娘がピクリと反応した。


「竹」

 妻は普段のように娘に呼びかけた。


「トモくんのこと、好き?」


 そう聞かれた娘はしばし黙っていたが、力強くうなずいた。


「離れたくないの?」

 この質問にも力強くうなずく娘。

「一生一緒にいたいくらい?」

 娘はコクコクとうなずいた。


「そう」とだけ言い、妻は微笑んだ。


「よかった」

「竹にそんな相手ができて」


 その言葉は、表情は、娘が想定していたものではなかったのだろう。娘はポカンとしてただ妻を見ていた。


「ねえ竹」

「『子育て』って、どの時点で『終わり』だと思う?」


 突然変わった話に娘がさらにポカンとする。そんな娘に構わず妻は話を続けた。


「『自立したとき』とか『所帯を持ったとき』とかいろいろ言うけどね」


「私は『子供を託せる誰かと一緒になれたとき』だと思うの」


 そう言って妻はトモを見た。気が付いたトモは少し得意げに口の端を上げ、目礼した。


「『巣立ち』って、よく言うけど」


 目だけで笑みを返した妻が再び娘に目を戻し、話を続ける。


「自分が守らないといけない、世話をしないといけない。そんな庇護しないといけない時期が『子育て期』だとするとね。成人して就職して自活したらもう『子育て期』終了。――だと思うじゃない?」


 ちいさく首をかしげる娘。『ちがうの?』と声が聞こえた気がした。

 そんな娘に妻はやさしい笑みを浮かべた。


「でもね」

「どれだけ大きくなっても、やっぱり子供は『子供』なのよ」

「心配だし、気になるのよ」


 妻の真摯な言葉に明子さんも安倍弁護士もうなずいた。何故か主座様やひさきさん、黒髪の青年までウンウンとうなずいている。


「ウチはまだみんなちいさいのにこんなこと言うなんて、おかしい?」

 いたずらっ子のように笑いながら言う妻に娘はぽかんとしたままのろりとうなずいた。そんな娘に妻はおかしそうに目を細めた。


「実はね。相原のおばあちゃん――加藤のおばあちゃんのお母さんがそう言ってたの」

「で、加藤のおばあちゃんも同じように言ってた」


 納得したような表情をする娘。さっきからだんだんと表情が出てきている。最初に会った能面のような表情からの変化に、娘の心境が変化していると伝わってきた。


「最近お母さんもその気持ちがわかるようになってきた」

 ぽつりと言葉を落とす妻に、娘がじっと耳を傾ける。


「竹が眠り続けてこちらにお世話になるようになってね」

「お母さんもお父さんもすごく心配だった」

「もちろんおじいちゃんもおばあちゃんも心配してたよ」

「神野のおじさん達は『安倍家におまかせすれば大丈夫だ』って言ってたけど。

 明子さん達もすごく良くしてくれてたし、実際面会に来させてもらっても良くしてくださってることはわかったけど。

 それでも、やっぱり――心配だった」


 心の底からの言葉だとわかる声に、娘は申し訳なさそうに眉を下げた。


「竹が目覚めなかったからっていうのも、熱が出てたっていうのもあるけど」

「竹がいない家は、さみしかった」


 妻の言葉におれも目を伏せた。

 そう。さみしかった。

 いつもの家なのに娘がいないだけでぽっかりと穴が開いたようだった。パズルのピースが欠けたようだった。いないとわかっていても娘を探した。いないとわかっていても娘の名残が目についた。娘のいない食卓に、かつての娘を思い出した。


「でも、この前目黒くんからトモくんの話を聞いて。皆さんからもトモくんのことを聞いて。実際今日お会いして。――お母さん、ホッとしたの」


 妻はトモに目を向け、にっこりと微笑んだ。


「『このひとなら竹を託せる』って、思った」


 娘は妻を見、トモを見た。

 娘の視線を受けたトモはすぐに気が付き、娘と視線を合わせた。

 やさしい微笑みを娘に向けた男は妻と目を合わせ、うなずいた。

『まかせてくれ』と、その目が言っていた。

 妻はうれしそうに笑みを浮かべた。


「竹がこれからの人生を一緒に歩いていけるひとに出逢えた」

「そう思ったらね。肩がすうっと楽になったの」

「ああ。竹の『子育て』は終わったんだって、わかったの」

「『竹はもう大丈夫だ』って、思ったの」


 そう言われた娘はなにかためらっていたようだった。が、なにかを決意したらしい。妻に目を合わせ、しっかりとうなずいた。そんな娘に妻はまぶしそうに目を細めた。


「でもね竹」

 そしてやさしく語りかける。


「『子育て』は終わっても、竹が私達の『娘』であることに変わりはないのよ」

「どれだけ竹が年をとっても。それこそおばあちゃんになっても。

 竹は私達の『娘』よ」

「誰かの奥さんになっても。誰かのおかあさんになっても。

 あなたが私達の『娘』であることは変わらないのよ」


 当たり前のことを当たり前に告げる語り口に、娘はどう反応したらいいのかわからないらしい。顔をしかめ、黙っていた。

 そんな娘に周囲はあたたかいまなざしを送ってくれている。主座様やひさきさんはウンウンとうなずいていた。


「先日も、さっきも、竹がウチに帰るのは危険だって聞いた」


 妻がそう言うと娘はハッとした。厳しい表情の中に申し訳なさを含ませ、娘は黙ってうなずいた。


「もう私達とは暮らせないって。頻繁に会うのも『やめといたほうがいい』って」


 この言葉にも娘はうなずく。ぐるりと妻が周囲をうかがうと、どなたもが『そのとおり』と言うようにうなずいた。

 周囲に目礼を返した妻は目を伏せ、娘に語りかけた。


「もしかしたら、もう二度と会えないのかもしれない」


 ぐっと、膝の上で妻が手を拳にした。おれも歯を食いしばった。

 妻は下がっていた顔を上げ、娘にまっすぐ向き合った。


「それでも、私達は竹の『家族』よ」

「竹の母親で、父親よ」


 断言する妻の『強さ』に、娘はぐっと詰まった。

 そんな娘の背にトモが手を添えたのがわかった。

 ああ。この男は娘を支えてくれる。どんなときでも。どんなちいさな場面でも。そう思えて、なんだかひどく安心した。

 妻も同じだったらしい。うれしそうに、どこかホッとしたように表情をゆるめ、やさしい声で娘に告げた。


「たとえ二度と会えなくても、竹がトモくんと『しあわせ』に暮らしているなら、それでいいの」


 うん。おれもそう思う。

 本当は手放したくないけれど。いつまでもおれが守っていたかったけれど。

 でも、こいつなら。

 こいつになら娘を託せる。娘をまかせられる。

 こいつといることが娘にとっての『しあわせ』なら、それを応援するべきだろう。

 だっておれは『父親』だから。

 かわいい娘の『親』だから。


「今少し見ただけだけど」と前置きし、妻が言った。


「トモくんといるときの竹はのびのびしてる」

「竹が『しあわせ』なら、それだけでいい」

「私達は親だから」

「子供が『しあわせ』に暮らしてるなら、それだけでいいの」


 妻の微笑みに娘の目が赤くなっていく。泣くのを我慢している様子にこちらまで涙ぐんできた。

 妻も同じだったらしい。一度顔を伏せ、呼吸を整えた。そうして顔を上げた妻は、今度は厳しい声で言った。


「竹が必要だと思うなら、私達と絶縁したらいい」

「そうすることで竹の気が済むなら。竹の役に立つなら」

「絶縁する」


 決意を込めた妻のまなざしに、娘はわかりやすく息を飲んだ。

 そんな娘に妻はやさしく諭した。


「私達がいなくても、竹にはトモくんがいる」

「トモくんと『しあわせ』に暮らしているなら、もうそれだけで十分」

「それでも私達は竹の親で。あなたは私達の『娘』」

「それだけは覚えていて」

「あなたの『しあわせ』を願っているわ」


『これで話は終わり』『言いたいことは全部言った』そんな顔で妻は微笑んだ。いい女だな。おれはいい女を妻にした。

 妻はぐるりと皆さんを見回し、ぺこりとお辞儀をした。おれも一緒に頭を下げた。おれの言葉にならなかった気持ちも想いも全部今妻が言ってくれた。言わせてくれてありがとう。聞いてくれてありがとう。そんな気持ちで頭を下げた。


 娘は黙っていた。黙ってただ妻を、おれを見ていた。

 なんかぐるぐる迷っているのがわかる。口をぐっと引き結び、眉間にしわをよせている。そんな娘をトモはやさしい顔で見守っていた。


「―――お母様はこうおっしゃっておられますが」

 沈黙を破ったのはひさきさんだった。


「いかがですか。竹さん」

 そう声をかけられても娘はなにも言わない。ただしかめ面をして、赤くなった目を逸らし、肩をいからせている。ぷるぷる震える娘の背をトモがそっとなでていた。


 なにも答えない、ただ固まっている娘にひさきさんはため息をついた。

 と、ひさきさんは主座様と視線を交わした。無言だが、なにかのやりとりをしていると感じた。

 無言のまま主座様がうなずいた。それに目礼を返したひさきさんが、ぐるりと一同を見回しニコリと微笑んだ。


「―――ひとつ、提案を聞いていただけますか?」



   ◇ ◇ ◇



「竹さんが今どうしているか、神宮寺家から周囲への説明がいりますよね」


 ひさきさんの指摘に『そういえば』と思い至った。


「馬鹿正直に『娘は黒の姫様でした』なんて言うわけにはいかないことはご了承いただけますね?」


 ドスの効いた笑みにコクコクとうなずく。

「よかったです」とひさきさんは言い、「念の為にあとで『制約』をかけさせてください」と言った。


「『せいやく』?」

 なんのことかとたずねたら「竹さんが『黒の姫だ』ということをはじめ、今日話した内容を他言しない、情報公開にあたる行動をしないという、いわば行動制限をかける術です」と説明してくれた。

「『言わない』のと『言えない』のでは、おふたりの精神的負担が違いますから」


 どこかでうっかり言ってしまうんじゃないかと常に気を張らなくても、ナニヤラを受けることで言いそうになったら勝手に言えなくなるらしい。それは、いいことなのか? それとも人権侵害とかにひっかかるヤツか?

 いいのか悪いのか判断できずにいたら「竹さんを預けるときにヒロさんがおふたりにかけたのと同じヤツです」とひさきさんが軽く言う。

「あまり難しく考えなくていいです」と言われ、そんなもんかと思った。


 肩の力を抜いた途端、「ぶっ」とトモが吹き出した。

 なにかと目を向けると、口を押さえたトモが「失礼」と謝ってくる。が、目を逸らし明らかに笑っている。

 そんなトモに娘がきょとんとした顔を向ける。すぐにトモはおかしそうに笑った。

「おとうさんが竹さんと同じ反応するから、ついおかしくなって」


 そう言われた娘は目を丸くしていた。おれも虚を突かれた。どこが? なにが?

 きょとんとしてしまったおれに目を向けたトモがまた「ぶっ」と吹き出した。顔を伏せ肩を震わせている。何故か周囲も目を逸らして震えていた。


「あんた竹と同じ表情(かお)してるわよ」

 声に笑みをにじませた妻に指摘された。が、そうか? そうなのか?

 思わず娘の顔を見たら、娘も同じようにおれを見つめていた。

 期せずして見つめあうおれと娘に周囲がまた「ぶぶっ」と吹き出した。え? なんだ? これ、どうしたらいいんだ??


「ゴホン」とひさきさんが姿勢を立て直し咳払いをした。

「すみません脱線しました」と言うが、どう反応すればいいんだ??


「とにかく、あとで『制約』をかけさせてください」と重ねて言われ「わかりました」と答えた。


「今現在、竹さんはどういう状態だと周囲には説明していますか?」と質問されたので正直に答えた。

「昨年末に倒れてから眠り続けて、母の実家の(ゆかり)の家にあずかってもらって療養していると話しています」


「では今日以降は次のように説明してください」

 何を言われるのかと、聞き漏らすまいとひさきさんに意識を集中した。




「まずは『娘がやっと目を覚ました』と」


「言っていいんですか?」と妻が聞けば「いいですよね」とひさきさんが主座様に問いかける。「構わないだろう」と主座様が許可を出した。


「『娘が目を覚ましたのはとある男が協力してくれたおかげ』『その男は眠り続ける娘に一目惚れして、娘を目覚めさせるために色々と手を尽くしてくれたらしい』」


 妻が「メモしていいですか!?」とスマホを取り出した。「どうぞ」とひさきさんに言われ、ここまでの台詞を妻がメモする。しっかり者の妻が頼もしい。

「どうぞ」と妻が続きをうながし、ひさきさんは歌うように話を続ける。


「『その男とは、鳴滝青眼寺の元住職の孫』『女嫌いで有名だったその男が娘にはべた惚れで猛アタックをかけてきた』『目覚めた娘も男に感謝して、お付き合いすることになった』」


「トモくんのことを明かしてもいいんですか?」

 妻の質問にひさきさんは「構いません」と答える。

「いいですよね?」とひさきさんがトモに確認を取れば、トモも「別にいいですよ」という。本当にいいのかと主座様をうかがえば、こちらも許可するようにうなずいた。


「続けます」とひさきさんが言い、妻があわててスマホに指をかけた。


「『女嫌いで通っていた男は娘に関しては激しい執着心を見せている』『嫉妬深く重苦しい愛情を娘に注ぎまくっている』『家に連れて帰ろうにもその男が反対して連れ帰れない』『娘は目を覚ましたものの、体調はまだ戻っていない』『そんな娘に男は甲斐甲斐しく世話を焼き、囲い込んでいる』『「娘が十八歳になったら入籍する」と宣言し、そのまま知り合いの家で同居している』『娘もまんざらではないようだし体調が戻っていないのも事実なので、今はそのまま知り合いのところに預けている』

 ―――と、まあ、こんな感じで」


 そう話を締めくくったひさきさんに一同は同意を示すようにうなずいた。娘だけはぽかんとしている。


「……………これは………かなりトモくんに不名誉な説明なのでは………」


 スマホのメモを見ながら妻がつぶやく。その言葉に娘が反応したのがわかった。が、ひさきさんは平気な顔をしている。


「ほぼ事実です」

「『束縛して監禁している』としていないだけマシでしょうか」


 ケロッとひさきさんは言う。安倍家の面々は苦笑を浮かべているが誰も否定しない。


「……トモくんはいいんですか?」

 妻の問いかけにトモが「なにがでしょう?」と逆にたずねる。


「『執着系』とか『嫉妬深い』とか……」

 モゴモゴと口にする妻にトモは「ああ」と納得したように笑った。


「まあ、事実ですので」


 認めるのかよ。


「自覚はあります」


 あるのかよ。


 呆れていたらトモが「実はですね」と話をはじめた。


「『静原の呪い』というのがありまして」


 初めて聞く単語になんのことかと思っていたらトモが続けて説明した。


「京都市の北に『静原』という退魔師の家があるんですけど」

「そこに伝わる伝説です」


「『ある日突然ただ一人にとらわれ、人が変わったようになる。その唯一だけを求め、尽くす』

 それが『静原の呪い』です」


『それがどうした』という思いも伝わったらしい。トモはさらに話を続けた。


「俺のじーさんがその静原という退魔師の家の跡取りだったんです」

「で、じーさんはばーさんに『とらわれ』て、西村に婿に入りました」

「親父は親父でやっぱり『とらわれ』て、お袋と結ばれました」

「なので、『静原の呪い』を知っている人間なら俺が『変わった』ことに納得すると思います」


「もし詳しく聞かれたら『静原の呪い』の話をしていただいても構いません」

「実際『とらわれた』わけですし」

「俺も聞いた話ですけど、静原の人間はかなりやらかしてるらしいので、静原の系譜の男だと言えば納得されるかと」


「「……………」」


 どう反応していいのか困って黙っているしかできなかった。

 頼りになる、娘をまかせられる男だとは感じていたが、こいつ………もしかして、かなり重いヤツか?

 いやだがあの夢で観た娘の過去をふまえるとそのくらい重苦しいヤツのほうがいいのかも。娘の背負っているもの全部受け止めて受け入れて救ってくれるかも。『娘に執着している』というなら『黒の姫様』でもなんでも娘のことを支えてくれるだろう。さっきも言っていた。なにもかも知ったうえで『共に在りたい』と。『なにひとつ不便はかけない』と。そう考えると重苦しい執着男も悪くないのかもしれない。


 そんなことを考えていたら、妻がおずおずと口を開いた。


「………竹は、いいの?」

 声をかけられた娘はきょとんとして首をかしげた。


「トモくんが『執着系』とか『嫉妬深い』とか言われても……」


 モゴモゴと言う妻は先日のことが頭にあるらしい。おれがトモのことを悪く言ったためにブチ切れた娘の姿が。

 が、娘はこちらが拍子抜けするくらいあっさりとうなずいた。


「トモさんが嫌じゃないならいい」

「トモさんのいいところは私、ちゃんと知ってるから」

「他のひとがなんて言っても、いい」


「ね」とトモに笑顔を向ける娘。そんな娘にトモはおれ達には向けないデレデレとした顔でうなずいた。………なるほど、べた惚れだ。


「そうは言ってもトモさんへの侮辱や悪口を竹さんの耳に入れたら竹さんブチ切れますから。なるべく聞かせない方向でお願いします」


 すかさずひさきさんが注意を促してくる。ゾッとしたものを背中に感じながらも了承した。



「私の『提案』というのは、ここからです」


 これまでのは『提案』じゃなかったらしい。ただおれ達が周囲にどう説明するかのアドバイスだったと。なるほど。


「先程の説明に対する説得力を増すためにも、近々結納をして婚約者と公表することを提案します」


「結納!?」「婚約!?」

 おれと妻だけでなく、娘からも声があがる。が、ひさきさんは平気な顔で話を続けた。


「ちょうどトモさんのご両親がもうすぐ帰国されるんです」

 そういえば両親はアメリカ暮らしだと聞いたな。


「顔合わせと結納を済ませてしまえば婚約成立です。なんなら書類も作りましょう」

「ご自宅で結納をして、トモさんが連れ去る様子を周囲に見せれば、話はすぐに広まると思います」

「で、竹さんが十八歳になったら――三年後ですね。そのときには『正式に結婚した』と説明すれば、竹さんがご実家にいないことも不自然ではないと思います」


 確かに『嫁に行った』ならば家にいなくて当然だ。

 結婚前の今の時点でいないのは『婚約者が手放さない』からだと。

 彼氏ではなく『婚約者』なら、納得される………される、の、か???


 首をひねっていたらひさきさんが続けた。


「竹さんは今後『黒の姫』として活動するときは姿を変えてもらう予定です。もちろん護衛であり夫のトモさんも」


 そんなことできるのかと驚くおれ達に構わずひさきさんは言う。


「なので、『黒の姫』が神宮寺家と関わりがあるとたどり着くモノは少ないであろうと予測します」


「それならば多少ならば関わりを持っても大丈夫ではないかと」

 そう言って、ひさきさんはにっこりと微笑んだ。


「『竹ちゃんは元気?』と聞かれたら『元気らしいです』と答えればいいです。

『婚約者の束縛が強いからなかなか帰らせてもらえない』と言えばいいです」


 あっけらかんと言うひさきさんに思わず「それ、いいんですか?」と聞けば「事実ですから」と答える。事実なのかよ。


「トモくんはいいんですか?『束縛系』とか……」と妻がトモに聞けばこちらも「まあ事実なので」とケロッと答える。認めるのかよ。


「そんなことないのに」途端に娘が口をはさむ。


「トモさんは束縛なんてしないよ? いつもやさしくて、私のしたいようにさせてくれるよ。『どうしたい?』っていつも聞いてくれるよ。私が『こうしたい』っていうことをいつも叶えてくれるよ!」


 一生懸命におれ達に訴えかける娘は少しでもトモのことを良く思ってもらいたいらしい。誤解してほしくないと、いい男なんだと必死に訴える。

 そんな娘にトモはデレデレとうれしそうにしている。顔がちがうぞ。もっとしっかりしろ。


 呆れていたら「どうでしょう」とひさきさんから声がかかった。


「対外的には『婚約者の執着と束縛が強くて娘が帰れない』とし、竹さんは神宮寺家に帰らないならば、絶縁するほどのことはないと愚考致します」


 ひさきさんのその目に、微笑みに、おれ達親子のことを考えてくれていることが伝わった。ありがたくてなんだか胸があたたかくなった。

「どうですか竹さん」とうながされた娘はやはりぽかんとしていた。

 が、すぐにハッとして「でも」「だって」とうろたえる娘。そこにトモが「そうですね」と言葉をかぶせた。


「『俺のわがまま』で竹さんが帰れないだけで『黒の姫』とか関係なければ、ご両親もご家族も大丈夫だと思うよ」

 トモに諭され、娘はなおも迷うようなそぶりをする。


「いいよな黒陽」

 トモに話を振られた黒陽が「うむ」とうなずく。それに娘の肩の力がふっとぬけた。


「……………いいのかなあ」

「俺はいいと思うよ?」


 娘のつぶやきにすぐさま答えるトモ。やさしいまなざしを見つめ返す娘はそれでもしばらく迷っている様子だったが、ひさきさんに「絶縁宣言は撤回でいいですか?」と念押しされると、ためらいながらも「はい」と答えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ