第四十一話 週末 修行
前前回 仁和寺門前2の直後からのお話です
気が付いたら家の玄関に立っていた。
雨は変わらず叩きつけるような土砂降り。
せっかく黒陽が乾かしてくれたのにびしょぬれになっていた。
どうやって帰ったんだろう。
多分歩いて帰ったんだろうな。
のろりと腕を上げる。
この腕に彼女を抱いた。
この腕に彼女がいた。
なのに。
抱き締めた途端、感じたのは強い幸福感。
このひとだと、ひとつに戻ったと魂が叫んだ。
抱き締めているだけで満たされて、それだけでしあわせだった。
俺を求めてくれた。
俺に抱きついてくれた。
それだけで奮い立った。
強くなれる気がした。
わかってる。
彼女が求めたのは『俺』じゃない。
それでも。
それでも、しあわせだった。
離したくなかった。ずっと俺の腕にとらえていたかった。ずっと俺が守りたいって思った。
ああ。これが『半身』か。
彼女が黒陽と転移した途端、彼女の身体が消えた途端、身体の半分をごっそりと削がれたような感覚がした。
寒くて、さみしくて、苦しくて。
泣くことも叫ぶこともできなかった。
『青羽』の手記が身を以て迫ってきた。
苦しい。悲しい。さみしい。会いたい。
ああ。わかるよ『青羽』。
苦しいな。悲しいな。さみしいな。会いたいな。
ふらりと身体がかしいだ。
ガシャリと玄関の扉に頭をぶつけた。
そのままズルズルとへたり込み、動けなくなった。
シャワー、浴びないと。
熱いシャワー浴びて身体をあたためないと、風邪ひく。
風邪ひいたら彼女に会えない。
彼女に会うために。
そう思ったら、ようやく身体が動いた。
なんとか立ち上がり、のろのろと鍵を開ける。
服も靴下もびしょ濡れだった。
びしょ濡れのままのろのろと風呂場に行き、服を脱いで熱いシャワーを浴びた。
どうにか髪も乾かして二階に上がる。
机の上の童地蔵が出迎えてくれた。
「――竹さん――」
のろりと童地蔵に手を伸ばす。
そっと頭をなでると、微笑んでくれた気がした。
『がんばれ』『がんばれ』
いつものようにやさしく励ましてくれる。
それがうれしくて、甘えたくなった。
抱きかかえて一緒にベッドに潜り込んだら、さみしいのが少しやわらぐ気がした。
土曜日。
外はまだ雨が降っていた。
それでも朝食を食べて北山の安倍家の離れまで縮地で駆けた。
ヒロが外で待っていてくれた。
「ハルはまだ用事があるから、先にぼくと打ち合おう」
ふたりで木刀で打ち合った。
そういえばこうやって修行するのも久しぶりだなとぼんやりと考えた。
高校に入ってからみんなと会う機会が減った。
ナツは仕事があるし佑輝は部活。晃は修験者をがんばっている。
ヒロだって子守や安倍家の仕事で忙しくしていた。
だからひとりでいつもの修行をいつものようにするだけだった。
じーさんが死んでからは尚更。
体力と筋力を落とさないように。身体がなまらないように。
そんな程度の、流した修行しかしていなかった。
久しぶりにヒロと打ち合うと自分がいかになまっていたのかがわかる。
反射速度が遅い。咄嗟の動きに対する反応が鈍い。
ヒロはハルと修行しているからなまることなく精進してきたのだろう。
いつの間にかなまけていた己に活を入れるつもりでヒロに食らいついていった。
「トモは相変わらず強いなぁ」
休憩時間にヒロがそう言って笑う。
「よく言うよ。全然じゃないか」
ムッとして反論したけれど「それを言うのはぼくのほうだよ」とヒロは笑った。
「最近デスクワークばっかりだったからなまってる。
やっぱりたまにはこうして集まって打ち合わないとダメだね」
本心からそう言っているのがわかる笑顔に、なんだかこわばりがとれた。
フッと笑うとヒロもにっこりと笑った。
「さ。もう一勝負。やろ!」
「おう」
ハルが来て幻術をかけてくれた。
「恐怖耐性をつけよう」と『禍』クラスとひとりで戦わされた。
久しぶりにボッコボコにされた。
霊力空っぽになるまで戦って、回復薬のんで座禅した。
あの『禍』のときの地獄の修行を思い出して、なんだか懐かしくなった。
アキさんが離れに昼食を用意してくれた。
ヒロとハルと三人で食べた。
午後からは緋炎様が遊びに来た。
ヒロとふたりでボッコボコにされた。
甘さを指摘された。まだ伸びると教えられた。希望が出た。
今はまだ弱っちいけど。
でも、いつか。
いつか、竹さんのそばにいられるだけのチカラをつけたい。
オミさんを救ったアキさんのように。
タカさんを救った千明さんのように。
俺も、竹さんを救いたい。
『救う』なんて、おこがましいかもしれない。
でもせめて支えになりたい。
彼女が苦しいときに抱き締めて「大丈夫」って言えるような、そんな男になりたい。
いつか。
いつか、きっと。
夕食の時間に佑輝が来た。
部活終わってそのまま縮地で駆けてきたらしい。
クッサい防具にヒロが何回も浄化をかけていた。
アキさんが離れに夕食を用意してくれた。
「せっかくだから竹ちゃんも一緒に食べさせて」と、竹さんを連れてきた!
「お邪魔じゃないですか?」とちょっと首をかしげて言わないで! かわいくて倒れそうだから!
「邪魔じゃないよ! ほらほら竹さん。ここ座って! 黒陽様はこっち!」
午後からずっと修行をつけてくれていた緋炎様も一緒に夕食になった。
守り役達がいるからか、竹さんも大人しく座ってくれた。
俺の左隣。お誕生日席。
ちょっと目を動かすだけで彼女が視界に入る。
それだけで胸がドキドキしてしまう。
ちょっと目が合うだけでキュウゥゥン! となって息が止まる。
そんな俺に緋炎様が突っ伏して震えている。くそう!
ヒロがせっせと今日どんな修行をしたのか聞かせていた。
「いいなあ!」なんて佑輝がのんきに言う。
その佑輝も今日の部活の様子を話す。
黒陽が「明日はこんな修行をしたらどうだ」なんて提案をしてくれる。
竹さんはにこにことみんなの話を聞いている。
それが楽しそうで、それだけでキュンキュンする。
一緒に飯食って。他愛もない話をして。
それだけでうれしくてしあわせで。
ああ、好きだなぁ。
そんなことを飯と一緒に噛み締めた。
夕食が終わって竹さんは部屋に戻った。
「おやすみなさい」なんて挨拶、家族みたいじゃないか!
それだけでまた脳味噌が沸騰してぎこちなくなる俺を見て緋炎様がぷるぷるしていた。くそう!
夜になって緋炎様は帰り、ナツと晃が来た。
ふたりとも明日の朝には帰るという。
時間がないのにわざわざ来たらしい。
ナツはともかく晃は往復するの大変だろうに。
「みんなが集まるのにおれだけ除け者はヤだよ」
それもそうかと納得した。
ヒロが晃をわしゃわしゃとなで回した。
そのまま年少組とヒロでじゃれ合いが始まり、なし崩し的に組手が始まった。
ハルが結界を張った。
何も考えずドタバタと暴れるのは久しぶりで、無性に楽しかった。
馬鹿みたいに暴れまわり、馬鹿みたいに笑った。
それからみんなで風呂に入り、いつものように武道場に敷いてもらった布団に転がった。
先週タカさんと話をしたことを話した。
「強くなりたい」「彼女といられるだけの強さがほしい」
そう言う俺に「がんばれ」と励ましてくれた。
誰一人「そんな大変なひとやめろよ」と言わなかったことがありがたかった。
「トモのついでにお前達もレベルアップしろ」とハルに言われ、年少組が「うえぇぇぇ」と悲鳴を上げていた。
ハルも年少組もわざと言っているのがわかっておかしかった。
日曜日。やっと雨が止んだ。
朝早く起きてみんなで山を駆けた。
あの地獄の修行のときのように追いかけっこをした。
白露様が来てくれて晃が喜んだ。
「現状を見せて」と軽くじゃれられただけでけちょんけちょんにされた。
未熟さを突きつけられてヘコんだ。
朝食も竹さんが一緒だった。
久しぶりにナツがオムレツを作ってくれた。
ナツの見事な手際に竹さんがべた褒めするものだから張り合って俺もウインナーを焼きまくった。
「皆さんすごいです!」なんて褒められるだけで天にも昇る心地がする。
そんな俺に黒陽が呆れたようにため息をついていた。
朝食を食べて年少組は帰って行った。
竹さんは今日はハルの婚約者に『バーチャルキョート』を教えてもらう予定だという。
御池のマンションから出ないからと、黒陽も俺の修行に付き合ってくれた。
ヒロとふたりで戦うのを白露様と黒陽に見てもらい、ああだこうだと指導を受ける。
ふたりそれぞれが操る式神に相手をしてもらい、またしてもけちょんけちょんにされる。
白露様が風の術の使い方をいろいろと教えてくれた。俺の知らない技がまだまだあった。
教わって、試して。何度も繰り返すうちに霊力空っぽになった。
回復薬を飲んで圧縮して、と霊力を増やす間はふたりの話を聞く。
戦い方。術の使い方。霊力の増やし方。効率の良い霊力の使い方。
「竹様のそばにいるのは大変よ」白露様が心配してくれる。
「私達の責務に巻き込むことになる。
先に逝く竹様を見送ることになる。
どんな未来があったとしても、トモは必ず苦しむわ」
それはそうだろうと理解できるので黙ってうなずく。
「――それでも、そばにいたいの?」
これにも黙ってうなずくと、白露様は困ったように、それでもどこかうれしそうに微笑んだ。
「じゃあ、たくさん修行しないとね!
私が教えられることは全部教えるわ! がんばって!」
そうして「これ関係ないよな?」というような複雑な術式に関する講義まで受けさせられた。
どこで何が役に立つかわからないからなんでも教わっておく。
風の術の精度をもっと上げるように指導された。
風刃ひとつとっても、白露様が使うものはもっと大きくも糸のように細くもできた。
「霊力操作は学校でもできるわよ」とやり方を教えてくれた。
そうして白露様は宿題をたんまりよこして帰っていった。
夕食は御池でごちそうになった。
久しぶりにユキとサチに会った。
ふたりとも俺を覚えていた。が「きょうはおみやげないのー」と問われ、何もないと知るとがっかりされてしまった。すまん。
俺がユキを、ヒロがサチを肩車して追いかけっこをさせられた。
背が高い俺達に肩車されて視界が高くなっただけでも喜んだ双子は、動くとより喜んだ。
「もっともっと!」とせがまれ、目が回りそうなくらい部屋の中をぐるぐる走らされた。
正直勘弁してほしかったが、竹さんがそれはそれはキラキラした笑顔で見つめていたので、張り切ってやってしまった。
ヘトヘトになってユキを抱き下ろした。
「たけちゃー」と呼ばれた竹さんが俺のそばに来た!
俺の腕の中から手を伸ばすユキに答えて抱っこしてやる竹さん。
幼児を抱っこであやすなんて、なんか、家族みたいじゃないか!?
抱っこした幼児を渡すなんて、なんか、なんか、ふ、夫婦みたいじゃないか!?
「たけちゃもトモちゃにだっこちてもらいなよー」
「!」
ユキ! お前天才か!
真っ赤になって固まってしまった俺を見ることなく竹さんはユキに話しかける。
「竹はいいよー。竹はユキちゃん抱っこしてたいもんー」
「そっかー。じゃあ、だっこー」
「はいはい」
ユキぃぃぃぃ! 貴様ぁぁぁ!
ぎゅう。と甘えて竹さんに抱きつくユキに嫉妬する。
「幼児に威圧向けんな」ヒロに後ろから殴られた。
夕食の間ずっと母親達がニヤニヤしていた。くそう! ムカつく!
だけどこの母親達のおかげで竹さんがこの家に留まっていると理解しているからからかい満載の視線も甘んじて受ける。
竹さんは双子が相手をしていた。
「ゆきもうこんなに食べたよ」
「すごーい! ユキちゃんはえらいねぇ」
「たけちゃももっとたべなちゃい」
「はーい。サチちゃんもね」
双子にまで世話焼かれてるのか竹さん。かわいいか。
かわいいひとを愛でながら黙って夕食をいただいた。
竹さんが離れに戻った。
「男同士腹割って話そう!」タカさんが誘ってくれてソファに座らされた。
黒陽も来た。
タカさんとオミさんはビール、黒陽は日本酒を出してもらっていた。
ハルとヒロも一緒になって俺の話を聞いてくれた。
彼女が好きなこと。諦められないこと。そばにいたいこと。
タカさんオミさんも話をしてくれた。
若いときの話。妻とのあれこれ。
最後のほうは黒陽も加わってノロケ話ばかりになった。
そんな話もなんだか楽しくて、帰るのが遅くなった。
こうして充実の週末が終わった。