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【番外編1】神宮寺祥太郎の嘆き 9

 ―――気が付いたら、真っ白な場所にいた。

 シャン、シャン、どこかで鈴が鳴っている。

 隣に誰かがいるのに気が付いて目を向けると妻がいた。妻もおれに気が付いて目を向けてきた。


「………ショウ」

「ユキ」

 つい昔の呼び名で呼んだ。鈴は鳴り続けている。耳障りではないけれど、清らかな音だと思うけれど、言いしれない不安が浮かんでくる。ここはどこだ。おれはなにをしていた。なんでここにいる。


 妻がおれの手を握った。妻も不安を感じているらしい。

 繋いだ手をぎゅっと握った。情けないことにおれもこわかった。手を繋いでもらって少し安心した。

 そうやってふたりで手をつなぎ、なにが起こるのかと息を飲んで待ち構えた。


 周囲は(もや)に包まれていて視界が効かない。息苦しいとか暑い寒いとかはなく、ただただ鈴の音が響くだけ。


 シャン! 鈴が強く鳴り、止まった。

 と。


 ―――ほにゃあ、ほにゃあ


 弱々しい赤ん坊の声が聞こえた。

 どこから。そう思ったとき、目の前の(もや)が薄くなった。


 なんだかいろんなひとがバタバタしている。影絵のように動く人影の向こう、何重にも展開された守護陣の中にちいさな寝台が置かれていた。その寝台にも守護陣が刻まれていて、何個も何個もお守りやら防御壁やらくっつけてあった。

 そんな何重にも守られた中に、ちいさなちいさな赤ん坊がいた。


「―――竹―――」

「竹―――!」


 何故かわかった。

 竹だと。おれ達の娘だと。


 黒髪の女性が竹の両方の手首と足首になにかの飾りをつけた。が、少ししたらそれらは突然砕け散った。

 すぐさま新しい飾りを女性がつける。が、またすぐに砕けた。


「ヨウさん!」

 必死の形相の女性がこちらに向け叫ぶ!

「追加! 早く! 霊力排出しないと、身体が保たない!」


 すぐさま理解した。霊力過多症だ。

 そうか。竹は赤ん坊の頃から霊力過多症だったのか。


 どうにかこうにか処置が間に合い、赤ん坊の竹は一命を取り留めた。

 が、それからも何度も生命に危険が及ぶレベルの危機があった。そのたびに黒髪の女性――クロエとその子供達が手を尽くしてくれた。


 まるで映画を観ているように竹の成長を観る。『昔の竹』の成長を。

『今の竹』は茶髪に近い明るい髪色だが『昔の竹』は見事な黒髪だった。顔立ちはどこか『今の竹』に近くて、それもあって余計に「竹だ」と思えた。


『昔の竹』も『今の竹』と同じ穏やかな娘だった。

 霊力過多症のせいで思うように動けないなかでもできることを一生懸命にがんばり、少しでもひとの役に立とうとしていた。がんばり屋でやさしい、おれ達の娘のままだった。


 その竹に起きた悲劇。

災禍(さいか)』の封印を解いてしまった。

『呪い』を刻まれ『異世界』に『落ちた』。


 高熱を出した竹は―――そのまま死んだ。

「竹!」「竹!」「うわあぁぁぁぁ!!」

 駆け寄りたくても目の前に見えない壁があってそれ以上近づけない。妻とふたり必死で叫び手を伸ばそうとするけれど声も届かない。伸ばした手は壁を叩くだけ。

 

 息を引き取った竹が炎に包まれた!

「竹ぇぇぇ!」「竹!! 竹!!」叫んでも叫んでもなにも届かず、目の前で炎は燃え上がり、消えた。


 あたりはまた真っ白な(もや)に包まれた。

 が、すぐにまた赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。


 ―――竹が、生まれ変わった。


 生まれ変わった竹はなにがあったかを知り、絶望した。

「自分のせいで『災禍(さいか)』の封印が解けた」「自分のせいで高間原(たかまがはら)が滅んだ」「自分のせいでたくさんのひとが死んだ」

 そして娘は「ごめんなさい」と泣き暮らした。


 まだ赤ん坊なのに。まだ乳児なのに。まだ幼児なのに。

 いつでも娘は「ごめんなさい」と泣いていた。

「どうしたらいい?」「なにをしたらいい?」「どうすれば償いになる?」そう言って手当たり次第にがむしゃらに色々なことを試した。

 霊力石を作った。封印石を作った。結界を展開した。頼まれたことはどんなことでもした。

 だがそれが新たな争いを生むこともあった。

 そのたびに「自分のせいで」と嘆き、傷ついた。



 何十年、何百年、何千年と月日が巡る。

 娘は何度も生まれ、何度も死んだ。


 何度生まれても『罪』は消えない。

 何度生きても『償い』はできない。

 どんなふうに生きても二十歳は迎えられない。


 永遠とも思えるような贖罪の人生。

 いつ終わるとも知れない罪を背負う日々。

 なんで竹がこんなに苦しまなければならない。


 いつだって竹は一生懸命だ。ひとりでも多くのひとの役に立ちたいとがんばっている。少しでも世の中が良くなるようにとがんばっている。できることはないか考え、試行錯誤を繰り返している。

 それなのにうまくいかない。竹の善意を利用しようとする者。竹を祀り上げようとする者。様々な思惑が竹を傷つける。竹の高霊力に惹かれ『悪しきモノ』が寄ってくる。周囲に不幸がふりかかる。それさえも「自分のせい」だと背負ってしまう。


 どこまでも善良で。どこまでも生真面目で。いつでも一生懸命で。

 どれだけつらくてもどれだけ苦しくても「自分のせいだから」と贖罪を重ねる。心配かけまいと笑顔を見せる。泣き言を言わず、弱音を吐かず、ただただ罪滅ぼしのために生きる竹。


「もう許してやってくれ」叫んでも届かない。

「もういいよ竹」叫んでも届かない。

 健気な娘があわれで涙が止まらない。ぬぐってもぬぐっても涙が落ちる。

 抱き締めてやりたい。撫でてやりたい。褒めてやりたい。なのになにもできない。ただ観ているだけしかできない。


 おれ達の目の前で娘は何度も生まれ、死に、最後は炎に包まれる。そうしてまた(もや)に包まれ生まれ落ちる。

 観ている間に国がふたつ滅んだ。たくさんのひとが死んだ。

 生々しい殺人シーンに吐きそうになった。それよりも娘の嘆きが胸を切り裂いた。


「ごめんなさい」「私のせいで」

 違う。竹は悪くない。もう十分尽くしたじゃないか。いろんなことをしてきたじゃないか。たくさんのひとを助けてきたじゃないか。


 そう叫んでも声は届かない。娘はできることを探してさまよう。生家に迷惑をかけないよう生まれてすぐに家を出た。迷惑をかけるからとひとつところに長くとどまらない。ひとと極力関わらず、それでも少しでも役に立ちたいと人助けをする。

 なんてあわれな娘。なんて気高い娘。


 おれ達は見守ることしかできなかった。見えない壁にへばりついて、映画のようなそれをただ観ていた。



 何千年分の娘の人生を観せられた。

「もう赦してやってくれ」「誰か助けてやって」

 涙は落ちるままになっている。

 どれだけつらくとも、娘は気高く立っていた。自分は『黒の姫』だと。『黒の王族』だと、誇り高く生きていた。そんな娘が誇らしいと同時にあわれでならなかった。


「『王族の誇り(そんなもの)』なんて捨ててしまえ」何度も叫んだ。

「『責務』も『罪』も、もういい」「なにもかも捨ててしまえ」何度も叫んだ。

 それでも声は届かない。娘は王族の誇りを支えに、『災禍(さいか)』の封印を解いた責任感から『責務』を果たすという使命を支えに生きた。何度生まれて死んでも。何千年経っても。




 そんな娘に、変化が起きた。



 ずいぶんと歳上の男だった。

 死にかけた娘を助けてくれ、世話をやいてくれた。十歳違いだという男と『夫婦ごっこ』をすることになった。


 黒陽め。余計な提案を。

 そう怒りギリギリと歯を食いしばった。


 が、娘の表情に変化が起きた。

 それまでの何千年に見たことのない穏やかな表情をしている。男も穏やかなやさしいまなざしを娘に向けている。

 そのうちふたりは愛し合うようになった。


『半身』

 黒陽の声が説明する。

 それは高間原(たかまがはら)に伝わる伝説。


 夫婦は元々、ひとつの(カタマリ)だった。

 ひとつの(カタマリ)に陽と陰――男と女、二つの(タマシイ)を宿し、半分に分かれた。

 だから、失った半分を求める。

 再び出会えた二人はお互いを『半身』と呼ぶ。


 男は、娘の『半身』だった。

 出逢えた『半身』に、娘は目に見えて明るくなった。

 それまでの数千年に見たことのない笑顔。『しあわせ』だと、『うれしい』と、言葉にしなくても伝わってきた。


 それなのに、娘の生命の期限が来た。

 たったの四か月しか共にいられなかった。


 男は自分の生命を削って娘を救おうとした。

 それを止めたのは娘だった。

 男が自分のあとを追わないよう『願い』を託し、娘は男と別れた。



 それからの娘は変わった。

 生まれ変わっても「自分は『あのひと』の妻だ」と言い、「『しあわせ』をもらった」と喜んでいた。

 たったの四か月の生活を大切に大切にし、思い出を胸に生きた。

「たったの四か月じゃないか」「もっと欲張りになればいいのに」妻と文句を言ったが当然伝わらない。

 別れ際に男が錬成した指輪をしあわせそうな表情で見つめる娘に、言いようのないもどかしさを感じて頭をかきむしった。



 それからしばらくして。

 娘は少年と出逢った。


 すぐにわかった。あの男だ。『智明』だ。

 娘にもすぐにわかった。が、少年には前世の記憶がなかった。

 それなのに娘に惹かれる少年。娘もうれしそう。

 十代前半の初々しいやりとりに、観ているほうが「うわあぁぁぁ!」と照れてしまった。


 そんな青羽とは一か月しか共にいられなかった。

 それでも娘はしあわせそうだった。

 そうして少年と再会することなく、娘は死んだ。


「なんで!?」「いいじゃない会っても!」散々に文句を言っても届かない。そのうち娘がまた生まれ落ちた。

 前世から追っていた『災禍(さいか)』をいよいよ追い詰めていた。あと少しで『災禍(さいか)』を封じることができる。何千年も苦しんできた娘の『責務』が果たされる。そうなれば娘はきっと救われる。


 そう思っていたら、娘は突然病人の看病を命じられた。

 お人好しの娘が快諾して向かった先にいたのは、成長した青羽だった。


 青羽は死にかけていた。

 ショックを受ける娘に誰かが言う。「『しあわせ』になってもいいのよ」

 その『赦し』に娘は変わった。青羽と正面から向き合った。

 尽くして尽くして、ついに青羽が目を覚ました。

 そのときの娘の喜びようといったらなかった。

「よかったな竹」「よくがんばったね」ふたりで涙ぐんだ。


 それからのふたりは観ているこちらが恥ずかしくなるくらいイチャイチャベタベタしていた。

 二十五歳の青羽と四歳の娘がくっついている様子は『仲の良い親子』にしか見えない。そのはずなのにふたりの間に男女の愛情があるのがわかる。

 互いを見つめるその目が。互いに触れるその手が。『愛している』と言っている。『離さない』と言っている。


 青羽。お前ロリコンか。犯罪だろう。

 そう思うが、どこまでも娘を慈しみ愛情を注ぐ男に、逆に娘を託したくなった。


 その()はこれまで何千年も苦しんできたんだ。これまでずっとがんばってきたんだ。おまえが守ってくれるなら、おまえが『しあわせ』にしてくれるなら。

 どうか頼む。おれの、おれ達の娘を『しあわせ』にしてくれ。

 その()は二十歳まで生きられないんだ。『呪い』があるんだ。だからこそ、生きていられる間、そばにいてやってくれ。『しあわせ』にしてやってくれ。惜しみない愛情で包んでやってくれ。


 娘もおまえが好きなんだ。見ればわかるだろ?

 父親としては「あんまりくっつきすぎるな」「そんなしょっちゅうキスするな」と思うけどな!

 でも、これまでに娘がそんなふうに甘えた男は智明だけなんだよ。おまえだけなんだよ。

『罪』も、責務も、王族としての誇りもなにもかも捨てて『ただの竹』でいられるのは、おまえのそはだけなんだよ。


「幼児でも老婆でも、貴女であればなんでもいい」青羽が娘に訴える。

「貴女がそばにいてくれたら、それだけでいい」


 だからだろう。青羽はキス以上のことを娘に求めなかった。ただそばにいた。ふたり寄り添う様子は『比翼の鳥』『連理の枝』を体現しているように感じた。

 

「俺の妻に、なってください」

 智明のときと同じ言葉で娘を求める。前世の記憶はないはずなのに。それほど深く、娘を愛してくれることに感謝を抱いた。

 娘も青羽を受け入れた。これまでに観たことのない満面の笑顔に、娘はようやく『しあわせ』になれたのだと涙を流して喜んだ。


 それなのに。

 娘はまた、ひとりで旅立った。


「なんでだよ!」叫んでも届かない。

「責務なんていいじゃないか!」「ふたりで『しあわせ』になればいいじゃないか!」「長くいられても十五年だろう!? それくらい赦されるだろう!」


《でも、私がやらないとたくさんのひとが死んでしまう》


「それは、……そうだけど!」


《私は『黒の姫』だから》

《私が封印を解いたのだから》

《私のせいだから》

《これは私の責務》

《私がやらなければならないこと》


「………そうかもしれないけど!!」


《いいの》

《もう充分もらった》

《これまでの四千五百年が報われるくらいの『しあわせ』をもらった》


 どこからか届くその声はほんとうに『しあわせ』そうで。

 娘がようやく『しあわせ』になれたのだと理解すると同時に胸を締め付けられた。


《もう会えなくても。もうそばにいられなくても。

『あのひと』が『しあわせ』なら、それだけで、私も『しあわせ』なの》


 それはまぎれもない娘の本心。

 それほどまでに『あの男』を愛した。


 だが竹。おまえ、わかってない。

『あいつ』の『しあわせ』はおまえが居てこそなんだよ。


 おまえを喪った智明の無気力な姿。青羽の慟哭。

『あいつ』は、魂の全部をかけておまえを愛してるんだよ。

『あいつ』を『しあわせ』にしたかったらおまえがそばにいないといけないんだよ。なんでそれがわからないんだ。


《私がそばにいたら迷惑になる》

 そんなことない。『あいつ』なら大丈夫だ。

《私は『災厄を招く娘』だから》

 関係ない。『あいつ』なら『災厄』だってはねのけてくれる。

《『あのひと』には『しあわせ』になってほしい》

 そのためにはおまえがいないといけないんだよ。


 どこかから聞こえてくる娘の声に訴えかけた。それでも娘は納得しない。頑固者め。

「ホントだれかさんそっくり」妻が言う。誰のことだ。おれは竹ほど頑固じゃないぞ。




 青羽が死んで、どのくらい経ったのか。

 娘はまた生まれ変わった。

 それまでのように『あいつ』と過ごした時間を胸に抱いて過ごしていた娘が、ある日、気付いた。


半身(あのひと)』に、一度だけでなく二度も三度も逢えた。ならばまた出逢えるのではないか。


 そう気付いた娘は落ち着かなくなった。今もどこかに『あのひと』がいるかもしれない。もしかしたら会えるかもしれない。会いたい。でも自分には責務がある。それに『災厄を招く娘』の自分が近寄ったら『あのひと』にも『災厄』がふりかかるかもしれない。

 そう思うけれど、逢いたい。一目でいいから。遠くから見るだけでいいから。


 封じた『災禍(さいか)』を探しながら『あいつ』を探した。きっと会えば『わかる』。そう信じてあちこちに出向いた。

 山を。川を。街を。里を。『災禍(さいか)』を探しているのか『あいつ』を探しているのかわからない。

 どれだけ探しても見つからない。『災禍(さいか)』も、『あいつ』も。

 そうして『見つからなかった』と落胆しながら娘は死んだ。


 生まれ変わった娘はまた『あいつ』を探す。きっと逢えると信じて。それでも見つからない。責務があるから会うわけにいかないとわかっている。『罪人』の自分が『しあわせ』になってはいけないとも思っている。それでも会いたい。ただ会いたい。なのに会えない。みつからない。そうして『やっぱり会えなかった』と落胆して生命を落とした。


 そんなことを繰り返しているうちに娘の様子がおかしくなった。

 意味もなく霊玉を作り続けたり、なにもせずただぼんやりとしていたり。

 時々思い出したように『災禍(さいか)』を探したり人助けをしたりするが、どこか無気力な、あきらめきった顔をしていた。


《あいたい》娘の声が響く。

《あえない》

《あっちゃいけない》

《でも、あいたい》

《どこにいるの》

《もうあえないの》

《あいたい》

《あいたい》


《責務を果たさなきゃ》

《私は『黒の姫』だから》

《私が封印を解いたのだから》

《私は『罪人』だから》

《私は『災厄を招く娘』》

《ヒトに近寄っちゃいけない》

《迷惑をかけちゃいけない》

《がんばらなくちゃ》

《『罪』をつぐなわなくちゃ》


 もういい。もういいよ竹。

 竹は充分がんばった。

 もう救われてもいいんだ。報われたらいいんだ。

 責務も『罪』も気にするな。もう何千年も前の話じゃないか。


《私は『黒の姫』》

《私が『私』である限り、それは変わらない》

《犯した『罪』も、消えない》

《何度生まれ変わっても。誰から生れ落ちても》

《私は『黒の姫』》

《『災厄を招く娘』》


《私は》


《私は》


《―――私は、『あのひと』の、妻》


《『あのひと』の》


《あいたい》《あえない》《あっちゃいけない》《でもあいたい》

《どうか『しあわせ』に》《私のことを忘れていいから》《どうか『しあわせ』に》

《でも、あいたい》《あっちゃいけない》《もしかしたら今どこかにいるのかも》《もしかしたらあえるかも》《やっぱりあえなかった》《もう二度とあえないのかも》


 ぐちゃぐちゃになっていく娘のココロがあたりに響く。目の前に映る娘は人形のように表情をなくして固まっていた。

 色々なひとが娘に声をかけるが、どれひとつ娘には響かない。

 壊れていく娘に、中学に入ってからの姿が重なった。


 ああ。そうか。

 あの頃かたくなに「なんでもない」「大丈夫」と言っていた娘。

 こんな記憶を思い出していたのか。こんな想いを思い出していたのか。


 どれほどつらかっただろう。どれほど苦しかっただろう。

 おれは察してやれなかった。ただただ思春期ゆえの体調不良だと思っていた。

 つらいときに支えてやれなかった。親なのに。支えるべきときに支えてやれなかった。家族なのに。

 ああ。「『父』じゃない」「『家族』じゃない」そう言われても仕方がない。おれは助けてやれなかった。支えてやれなかった。


 情けなさに座り込んで呆然と娘を見つめていた。ふと肩が重くなって目を向けると妻が肩を抱いてくれていた。

「私も同じよ」「私も竹の苦しみに気付いてやれなかった」「助けられなかった」


 ふたりで寄り添い、痛みをなぐさめあった。

 そうしているうちに目の前では黒陽が誰かに頼んで娘の記憶を封じた。『半身(あいつ)』の記憶を。



 その後転生した竹は、それまでの記憶を失っていた。

 別の姫でも同じ現象は起きていたから時期がきたら過去の記憶を取り戻すことはわかっていた。それでも記憶のない竹はそれまでのように幼いうちに生家を出ることなく、嘆き悲しむこともなく、穏やかに、平和に暮らしていた。

 思春期になって記憶を取り戻すとすぐに家を出た。自分は死んだことにして。


「いなくなった自分を家族が探さないように」「これ以上ココロを痛めないように」と言っているが、竹よ。十分つらいからな!?

 娘に先立たれる親の気持ちがおまえにはわからないのか!? わからないよな。親になったことないんだから。

 そもそもが他人とほとんど接してこなかった。「『災厄』が降りかかるから」と極力他人に近づかなかった。だから「先立たれる苦しみ」を知らないんだ。だからそんな選択を取るんだ。


 そして今生もそうしようとしたんだな。それを明子さんが止めてくれた。

 そのおかげでおれ達は今も竹に会えている。そうでなかったらこれまでのようにおれ達は「竹が死んだ」と泣いていたんだろう。



 目黒くんに保護され安倍家に落ち着いた娘だったが、今回の霊力過多症はいつもよりもひどかった。薬も黒陽の術も効かない。そうこうしているうちに娘の『魂』が肉体から離れてしまった。


『魂』になった娘は黒陽を連れてさまよった。これまでのように。

災禍(さいか)』を探して。『半身(あいつ)』を探して。

 探すついでにとあちこちにご挨拶に行った。笛や舞を献上し、霊力を献上した。


 ある日結界を展開して笛を献上していた。満開のしだれ桜の森は娘を喪った青羽の慟哭を思い出させた。

 そこに男が現れた。―――『あいつ』だ!


 すぐに『わかった』。『あいつ』だ。智明だ。青羽だ。

 ようやく生まれ変わったのか。遅いんだよ。待たせやがって。どれだけ竹がおまえを探したと思ってんだ。


 おれ達の文句は当然届かない。『あいつ』は真っ赤な顔でただ娘を見つめている。ああ。気付いている。『半身』だと。

 なのに娘は気付かない。待ち望んだ『半身』が目の前にいるのに。記憶の封印がばっちり効いていやがる。


 ああ。でも記憶の封印があったから竹はずっとおれ達のそばにいてくれてたんだ。そうでなかったら昔みたいに三歳とかで家を出ていたに違いない。


「僕、西村といいます。西村(とも)です」


 おまえが!

 おまえが『トモ』か!!


 よく見たら確かに目黒くん達に見せられた写真の顔だった。

「表情が全然ちがう」妻のつぶやきにただうなずく。


 竹を見つめるその顔は歓喜が広がっている。写真のどこかひとを小馬鹿にしたような表情はどこに行ったのか、真っ赤な顔をした純情そうな青年にしか見えなかった。


 その後安倍家で再会。主座様直属の五人が娘に霊力を注ぐために集まった。

 聞いた話では冷静沈着で優秀な男だということだったが、目の前の青年は挙動不審で落ち着きがなかった。真っ赤な顔で一挙手一投足も見逃すまいと穴が開くんじゃないかというくらい娘を見つめていた。

 目黒くんや目黒くんの父親が会話をさせようと水を向けても言葉が出ない。おまえ昔はもっとしっかりしていただろう。なんでそんなポンコツになってんだ。

 それだけ娘にココロを奪われているんだと、惚れぬいているんだとわかる。わかるから観ているこちらはじれったくてヤキモキする。初々しい反応に照れてしまう。


 自転車に乗った。並んでパンを食べた。『魂』でも飲み食いできるんだな。

 娘に『半身』の記憶はないはずなのにあの頃のような穏やかな表情(かお)をしている。ああ。竹も惹かれているんだな。父親としてはなんか悔しいし妬けるぞ。


 このままふたりが『しあわせ』になればいいと思っていた。

 なのにトモが死にかけた。

 必死に告白してくれたのに娘はトモと別れることを決めた。


 トモと別れた娘はどんどんとこわれていった。なんでもないときに涙を流す。気力がどんどんと失われていく。それを安倍家の皆様が必死に保たせようと尽力してくれていた。


「せっかく『しあわせ』になれると思ったのに」妻が涙を落とす。おれもうなだれた。が、ふと思い出した。

 目黒くんが言っていた。『竹さんの相手はトモです』つまりあいつ、ここから巻き返したのか?


 期待に顔を上げると、トモが再起していた。

「強くなる」と修行に励む。そうして娘と再会し、鬼ごっこの結果、娘付きの立場を手に入れた。


 そこからのトモは最初のポンコツが嘘のように優秀さを遺憾なく発揮した。常に娘のそばにいて細かく気を配ってくれる。弱気を見せたら論破し励ます。薬を作って飲ませる。ちいさなことでも言葉にして褒める。「好き」と言葉で態度で示す。

 枯れた大地が雨で潤うようにトモの愛が娘を癒していく。記憶がないはずのふたりなのに、智明のときのように、青羽のときのように仲睦まじく過ごすようになった。

 それはまるで『比翼の鳥』。ふたりはまさに『連理の枝』。

 体力作りだと称してあちこちに出かけるふたり。その甲斐があったのか、娘の『魂』は肉体に戻った。


 しかしそのときには数日後に『災禍(さいか)』との決戦がせまっていた。

 娘の『生命の期限』が目の前にせまっていた。

「せめて」と明子さん達が結婚式を挙げてくれた。輝くような娘の笑顔に「よかった」と涙が止まらなかった。


 そうして迎えた決戦。『十七日にナニカが起こる』と伯父が言っていた件だった。

 壮絶な戦い。連れ去られた娘が生命を落とすその刹那、娘の時間を止めた。真っ黒で押しつぶされそうな空間をトモは進む。剣を手にし薬を作り、娘は蘇生した。

災禍(さいか)』を封じる間もトモがずっと娘を支えていた。ああ。主座様のおっしゃったとおり。トモがいなければ竹は生きていなかった。トモのおかげで責務を果たすことができた。『呪い』も解けた。これまでの五千年の苦しみをもう繰り返さなくてよくなった。


「よかった」こぼれた言葉に「うん」と妻が応える。

「竹は『しあわせ』になれるね」妻の言葉に「ああ」と応える。

 目の前ではトモが娘を連れだして湖畔で指輪をつけてやった。智明のときに作った指輪。その効果か智明と青羽のときの記憶を取り戻したトモ。そして娘も封じられていた『半身』の記憶を取り戻した。


 ああ。娘は、竹は救われた。竹は赦された。よかった。よかった。

 トモといれば竹は大丈夫だ。これからきっと『しあわせ』になれる。


 涙を流し抱き合うふたりに、おれ達も胸がいっぱいになって涙が止まらなかった。

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