【番外編1】神宮寺祥太朗の嘆き 8
帰りの車は妻が運転してくれた。
「今のアンタには運転させられない」と助手席に追いやられた。おれもその自覚はあったから大人しく運転を任せた。
呆然としたままただ前を向いていた。
なにか言いたくても頭の中がぐちゃぐちゃで、言葉も感情も形にならない。
「『父』じゃない」「『家族』じゃない」
娘の声がどこかをえぐる。冷たいまなざしがココロをこわす。
なんで。どうして。
おまえはおれの娘だ。おれの家族だ。
「私の『家族』は黒陽と『あのひと』だけです」
まるで女王のように威風堂々とした娘。
家でのんびり本を読んでいた姿とも穏やかに微笑んでいた顔とも違う。
まさしく『黒の姫様』―――
―――いや、違う。なにかの間違いだ。
あの子はおれの娘だ。やさしくてかわいいおれの娘だ。
だが。でも。
「―――ねえショウ」
前を見たまま妻が話しかけてくる。
昔の呼び方に目だけを向けた。
「お義母さんの言うとおりだったね」
「……………」
「まさかホントに竹が『黒の姫様』だなんてね」
「……………」
なんと答えたらいいのかわからなくて、黙って窓の外に顔を向けた。
流れていく風景を見るともなく、ただ目を向けていた。
「覚えてる? 竹が生まれたとき、加藤のおじいちゃんやら神野のお祖父様やら来て、がっかりして帰ったの」
「あの頃から『黒陽』が『黒の姫様だ』ってバレないように竹の霊力を隠してたのよね」
「もしもあのときにバレてたら、竹は取り上げられてただろうね」
妻の言うとおりだと思った。
そうしておれ達は娘と会うこともできなかっただろう。
「『黒陽』が言ってたね」
「『普通の暮らし』をさせたかったって」
「一日でも長く『普通の暮らし』をさせたかったって」
『普通の暮らし』
それは、どんなものだろうか。
それをあれほど求める黒陽は、娘とどんな暮らしをしてきたのだろうか。
「私達、竹に『普通の暮らし』をさせてやれてたのかな」
「『黒陽』が望む『普通のしあわせ』を与えてあげられてたのかな」
どうだろうな。
少なくともおれは『しあわせ』だった。
かわいい娘を得られて。一緒に過ごせて。
竹はそうじゃなかったんだろうか。
「『家族』じゃない」そう言い切った竹にとって、おれ達はなんだったんだろうか。
「『黒陽』がずっと守ってくれてたんだね」
「竹も。私達も」
黒陽から聞いた話が浮かぶ。危険と隣り合わせだったらしいおれ達が何も知らずのほほんと暮らしていたことを思い知らされ、改めてゾッとした。
「ショウ」
前を見たまま妻が言う。
「今日聞いた話、突拍子も無かったよね」
「ちょっと信じがたいよね」
そう言いながらクスクス笑う妻。
「でも、なんでか『本当のことだ』って思った」
「ショウはどう?」
『どう?』と言われても黙っていたら妻は勝手に話を続けた。
「いつものショウだったら『亀がしゃべった!』って大騒ぎすると思うのに、普通に受け入れてたよね」
そういえば確かに。
おれ、おかしくなったのかな?
「私も普通に受け入れてた」
「なんか『わかっちゃった』んだよね。
この亀が『竹の見えないおともだちだ』って」
「だからかな。しゃべっても『当然』って、受け入れてた」
妻はおれの言葉にならないぐちゃぐちゃモヤモヤしたものを言葉にしていった。
言語化されてはじめて『そっか』と納得した。
黙っているおれに妻はムリに話をさせようとしない。返事も強要しない。付き合いの長い同級生ならではの空気感に、なにも言わなくてもいたわってくれているのが伝わってきた。
町までおりてきた。久しぶりの信号に車が停まった。
「私はね。ショウ」
赤信号を見つめ、妻はポツリと言った。
「竹の『母親』なの」
どこか覚悟を込めた声色に、目だけを妻に向けた。まっすぐに前を見て、妻は微笑を浮かべていた。
信号が青に変わった。アクセルを踏み、ハンドルをしっかりと握った妻は前を見たまま言った。
「竹が『黒の姫様だ』って聞いても。竹に『家族じゃない』って言われても。どれだけ周りが『あのひとはえらいひとなんだ』って言っても」
「あの子は私の娘なの」
言い切った妻はチラリとおれに目を向け、また前を向いた。
「だって私達が育てたんだもの。そうでしょ?」
断言する妻に、思わず顔を向けた。
そんなおれに妻はおかしそうに笑みを深めた。
「そりゃ、ほとんど『黒陽』に任せきりだったのかもしれないけど……」
「でも、やっぱり竹は『ウチの子』よ」
「私とアンタの娘よ」
実際に産んだ自分だけでなくおれも入れてくれたことで、粉々に砕けていたナニカが少し癒された気がした。
「私、思うのよ」
おれが見つめていることに気付いているだろう妻は、それでも前を見たまま話を続けた。
「竹は『何度も転生してきた』って言ってたでしょ?」
のろりとうなずくとチラリとこちらを見、妻は笑った。
「本当に『転生』なんてものがあるなら、私だってきっと転生して今ここにいるわけでしょ?」
「てことは、私は昔も竹の母親だったかもしれないってことよね?」
妻の言葉の、意味が理解できない。
『転生』『自分も』『昔も竹の母親だった』『昔も』
―――『昔も』
つまり。
意味を理解した途端。
パカリと口が開いた。
そんなおれに妻は前を向いたままクスクスと笑った。
「だってそうでしょ?」
「私達には『前世の記憶』なんてものないから証明することはできないけど、前世で、前前世で、もっともっと前で、竹の母親だった可能性はあるじゃない?」
楽しそうに言う妻の言葉は妙な説得力があった。
「もしかしたら私とアンタは昔も結婚してて、そのたびに竹を授かってたかもしれないじゃない?」
その可能性は―――ある。
「それって、素敵じゃない?」
前を向いたまま妻は楽しそうに語る。
「私達は何度も何度も巡り合って、何度も何度もあの子の親になってたのよ」
それは、なんて素敵な空想。
おれは生まれる前もこいつと結ばれていた。おれは生まれる前も竹の父親だった。
その空想は妄想とはとても言えなくて、むしろおれのナカのドコカにストンと納まった。
黙ってただうなずくおれに、妻はうれしそうに笑った。けれどすぐになにかに思い当たったらしい。前に向けた目に陰がさした。
「竹はこれまでに『二十歳まで生きられない』『幼い頃に家を出ていた』って言ってたでしょ?」
「きっと昔の私達は悲しんだでしょうね」
「だからアンタは竹を連れて帰りたがってるのかもね」
ああ。そうだ。きっとそうだ。
おれはずっと娘を、竹を手放せないと思っていた。ずっとおれが手元に置いて守らないといけないと思ってた。
それってきっと、何度も竹を喪ってたからだ。
「今の竹も家を出ようと思ってるのよ」
「私達を守るために」
先程聞いた話が頭をよぎる。ああ。おれが守らないといけないと思ってたのに、娘はおれ達を守ろうとしてくれているのか。やさしいあの子らしい。生真面目なあの子らしい。
娘の思いやりに涙が出そう。それ以上に情けない自分に涙が出そうだ。
「あの話に出た『トモ』という男性なら竹のそばにいられるって言ってたでしょ」
「少なくとも竹はひとりじゃない」
その指摘にハッとした。
「そばにいてくれるひとがいて、それが愛してくる男性だなんて、安心じゃない」
……………それは……………そう、か、も、しれない、けど……………。
「目黒くんも言ってたでしょ?『竹にベタ惚れだ』って。『竹のことをすごく大切にしてる』って。
いろんなひとも言ってたでしょ?『すごく優秀な男だ』って」
「そんな男性がそばにいてくれるなら、竹はもう安心だわ」
……………それは、そうかも、しれないけど!
なんだか面白くないのはおれが父親だからか? 大事な大事なかわいい娘のそばに知らない男がいるのは、考えただけでなんだかモヤモヤムシャクシャするんだが!?
「私もそうだけどね」
「お嫁に行ったからって『娘』じゃなくなるわけじゃないのよ」
「神宮寺の家の人間になっても、私はやっぱり加藤の『娘』だし、あの両親の『娘』なのよ」
「だから竹も彼のところにお嫁に行っても、私達の『娘』であることに変わりはないわ」
……………そう言われたら、嫁をもらった立場としてはなにも言えない……………。
―――いや! 竹はまだ『嫁』とか、そういう話は出てないから! まだ早いから!!
「……………竹はまだ嫁にやらん」
ぶすぅっとそれだけつぶやけば、妻はおかしそうに笑った。
話をしている間にすっかり地元に戻った。見慣れた風景に知らず肩の力が抜ける。
「ひとまず、お風呂に入りましょう」
「ゆっくり湯船に浸かって。頭も身体もさっぱりさせて。ごはんを食べましょう」
「『腹が減っては戦はできぬ』よ」
「エネルギーを入れて、それから考えないと。脳みそ動かないわ」
「食べて寝て。体調万全にして。それからでないと、いい考えも出てこないわ」
妻の言う事はもっともだと思えた。
◇ ◇ ◇
帰宅したら夕方の出荷は終わっていた。親父とスタッフのみんなに頭を下げた。
おれは余程ひどい顔をしていたのだろう。誰ひとり仕事に間に合わなかったおれを責めず、逆に「今日は休んで」「明日も無理しなくていいよ」といたわってくれた。ありがたくて涙が出そうだった。
言われたとおり真っ先に風呂に入らせてもらった。
熱々の湯船につかり、ただぼんやりとした。
ぐちゃぐちゃだった話が少しずつ形になりそうな気がした。
夕食はがっつり焼肉だった。
「肉食べてパワーつけよう!」妻が率先してもりもり食べていた。負けじとおれももりもり食った。
いつもは食後に子供達を部屋に追いやってから両親と話をする。仕事のこと。竹のこと。息子達のこと。
だが今日は話せない。「『誰にも言うな』と言われた」と言えば「そうか」と引いてくれた。
「おまえも由紀子ちゃんも竹ちゃんのことで心配だろうが、思い詰めないように」
「我々には言えなくても、おまえ達夫婦でなら話してもいいんだろう?」
「ならふたりでよく話をしなさい」
「決してひとりで抱えることだけはしてはいけないよ」
そう言って両親はおれ達をさっさと寝室へと追いやった。
夫婦の寝室でこそこそと話をした。
「あのときはあんまりな話に呆然としてたから」と妻が「話をまとてみよう」と言い出した。
聞いた話をできる限り思い出しながら紙に書き出していく。それを見ながら間違いがないか、漏れがないかもう一度思い出す。
そうして完成したまとめを見ながらふたりで話をした。
竹のこと。黒陽のこと。『トモ』のこと。安倍家の人々のこと。
これまでのこと。これからのこと。
話して話して。
『竹は何度も記憶を持ったまま生まれ変わっていた』こと。
『竹は「黒の姫様」だった』こと。
『黒陽がずっとそばにいた』こと。
それを、受け入れた。
同時に『きっとおれ達はこれまでもずっと竹の親だった』ことも話しているうちに確信した。
竹が『何度も生まれ変わっている』ならば、いわゆる『輪廻転生』が本当に在るということだ。
それならおれだって妻だって『今の自分』になる前の『前世』や『前前世』があったということ。そのときにもきっとおれ達は結ばれていて、竹の両親になっていたに違いない。
そう考えたらかなしいのが少しやわらいだ。
そうなってはじめて『おれはかなしかったんだ』と気が付いた。
「安倍家の皆様にはなにかお礼をしなくちゃ」と妻が言った。
「竹が『黒の姫様』だったからあそこまでお世話してくださったのかもしれないけれど、私達は『竹の親』なんだから、『竹の親』としてお礼はすべきだと思う」
それはそうだと思った。
主座様直属の方を何人もつけてくださった。主座様自ら対応してくださった。それはきっと破格の扱いだ。それなのに無償でお世話になっている。野菜は差し入れているけれど、そんなものはほんの気持ちでしかない。
どうお礼をしたらいいだろうか、お金を包むのは失礼だろうか、誰に相談したらいいんだろうかと話していて、ふと思った。
「なんだかおれ達、ちゃんと『竹の親』してるっぼくないか?」
「ぽいね!」と妻も笑った。
「竹がどれだけ偉いひとでも、竹は竹よ。私達の娘よ」
「たとえ二度と会えなくなっても。竹が元気で『しあわせ』なら、それでいいのよ」
「だって私達は『竹の親』だもん」
「『親』なら、娘の『しあわせ』を一番に考えないと」
妻の言葉に「そうだな」とうなずいた。
こいつと結婚してよかったと、改めて思った。