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【番外編1】神宮寺祥太朗の嘆き 7

 目黒くんに娘との結婚をせまり『トモ』の話を聞いた翌日から娘はまた熱を出した。

 以前明子さんが言っていた。「体調が安定するまではしっかり休ませないとまた具合が悪くなる」そのとおりになってしまった。

 それでも娘についてくれているひさきさんと黒髪のベテランによると「一時ほどの危険はない」「少し休めば大丈夫」とのことだったから、心配しつつも「早く良くなれ」と祈っていた。

 仕事が忙しい上に鳴滝の青眼寺を訪問したり『トモ』のことを聞いたりしていたからあっという間に三日が経過した。



   ◇ ◇ ◇



 八月最初の金曜日。

 いつものように目黒くんと妻と三人で安倍家の離れへ向かう。

 明子さんが会うなり「今朝お嬢様が目覚められましたよ」と教えてくれた。


 目黒くんが我が家に来る前は眠っていた娘だったが、目を覚まし、食事も摂れた。熱も微熱になったと聞き、歓喜から涙がにじんだ。


 早く顔が見たいという思いは明子さんにはミエミエだったらしい。すぐに「どうぞ」と部屋へと案内してくれた。




 明子さんのノックに内側から扉が開いた。

 待ち切れなくて明子さんを押しのけて部屋に入る。

 娘は―――起きていた。


 起きている。目を開けている。竹が。おれの娘が。


 ちょうど食事を終えたところらしく、ひさきさんがトレイに食器を重ねていた。

 目を丸くして「お父さん」と呼んでくれた娘に、情けないことに涙が落ちた。


「竹ぇぇぇ!!」

 駆け寄り抱き締めた。ああ。生きてる。よかった。よかった!


「竹!」「竹!」抱き締めただ名を呼んだ。妻も反対側から娘を抱き締め泣いた。


 よかった。よかった! 目を覚ました。ごはんを食べた。元気になった。よかった。よかった!


「よかった!」

「よかった竹!」

「もう帰ろう! 今すぐ帰ろう!」


 喜びのままに叫んだ。

 熱は下がった。目を覚ました。ごはんを食べた。

 もう元気になったんだ。もう帰ろう。おれのそばに。ずっとそばに。

 そう思いながらただ抱き締めて泣いていたら。


「帰りません」


 はっきりと、きっぱりとした言葉に、聞き間違いだと思った。

 抱き締めていた身体を離し娘の顔を見つめると、娘はまっすぐにおれを見返し、はっきりと言った。


「帰りません」


「―――!?」


 ―――今、なんと言った―――?


「―――竹―――?」

「私は帰りません」


 ―――これは、―――誰、だ―――?


 おれの知っている娘は穏やかでいつもニコニコしていて、やさしい言葉遣いをして、こんなふうに断言することなんてない。

 なんで。なんで、こんな―――。


「―――なにを、言って―――」


 問いかける声が震えていた。そんなおれに娘はさらに言った。


「私はもう神宮寺のおうちには帰りません」

「帰れません」


 きっぱりと言う娘にカッとなった!


「お前はウチの娘だ! (うち)に帰るんだ!」

「帰りません!」


 娘が。

 やさしい穏やかな娘が。

 おれに言い返すなんて―――。


「―――どうしたんだ竹。おまえらしくないじゃないか」

「そんな、竹は言い返すような子じゃなかっただろう?」


 ぐるぐる渦巻く感情が不信感を呼び起こす。『トモ』のことを黙っていた目黒くんと明子さんへの不信感。

 そうだ。もしかしたらここのひと達がなにか言ったのかも。素直でやさしいウチの娘を言葉巧みにたぶらかしたのかも! そうだ! そうに違いない!


「………まさかここのひと達になにか言われたのか?」

「なにか吹き込まれてるんだ。そうだろう!?」


 叫ぶおれに娘がサッと顔色を変えた。


「やっぱり! なにを言われた!?」

「おまえはウチの子だ! なにがあっても!」

「他のひとのことなんて聞かなくていい! おまえはウチに帰るんだ!」


「帰りません!!」

「!!」


「ここの方は皆様良い方です!失礼なこと言わないで!!」

「―――!」


 娘が。

 やさしいおれの娘が。

 こんなふうににらみつけてくるなんて。

 おれに口ごたえするなんて。


 目の前の娘は、おれの知っている娘じゃなかった。

 なにが娘をこんなふうにした。誰が娘をこんなふうにした。

 そう考え、ふと思い出した。


 あの男。『トモ』という、『娘と付き合っている』という男。

 電話ごしでしか接していないが、エラそうな、生意気そうな男だった。


 もしかしてあの男のせいか? あの男が娘になにか吹き込んだのか? いや、きっとそうだ! そうに違いない!!

 きっとあいつが娘を脅してるんだ。家に帰らせないようにしてるんだ!


「あのトモとかいう男に脅されてるのか!?」


 叫んだ途端。娘はヒュッと息を飲んだ。

 固まった表情に「やっぱりか!」とさらに叫んだ。


「あんな男の言うことなんて聞くな!」

「親に隠れて娘をたぶらかすような男、ロクな男じゃない!」

「おまえは世間知らずだから騙されてるんだ!」

「現におれ達に挨拶ひとつなかった! 目黒くんが言わなかったら未だに知らないままだった!

 そんな失礼な男の言うことなんて、聞かなくていい!」


 勢いのままに叫び、さらに続けようと息を吸った、その一瞬。


 ふと、娘の顔つきが違うことに気が付いた。

 

「……………言いたいことは、それで全部ですか………?」


 やさしい笑顔は消え、冷たい目をおれに向けていた。

 侮辱。侮蔑。憤怒。そんなものが込められた視線に、怒りを覚えるよりも恐怖を感じた。


 と。

 ドッ! 娘からものすごい『圧』を感じた! なんだこれは!


 押し潰されそうな圧迫感。冷たい水を浴びせられたような寒々しさ。絶対的強者を前にした恐怖。

 これまでの人生で経験したことのない『圧』に押しつぶされる。全身の穴という穴から汗が吹き出ているのがわかる。身体が勝手に震える。今すぐにひれ伏したいのに身体が動かない。


 目の前にいるのはおれの娘のはずなのに。

 やさしくて穏やかな自慢の娘のはずなのに。

 素朴で純真なおれの娘のはずなのに。


 これは、誰だ?

 

 あの穏やかさも。あのやさしい笑顔も。ほがらかな表情も。なにひとつ残っていない。

 目の前にいるのは高圧的で冷たい表情の、まるで他人のような少女。


 絶対的上位者。

 逆らうことなど考えることさえも許されない、絶対的強者。


 理屈でなく。感情でなく。

『ただの事実』として眼前に突きつけられる。

 その存在。

 威圧的で高圧的な―――これは、たとえるなら―――そう、『女王』―――。



『黒の姫様』

 母に言われていた言葉が頭に浮かんだ。


『特別な子』

『姫様』

 本当だった? 本当におれの娘は『姫様』だった?



「あなたは私の『父』ではありません」


 最愛の娘が別人のような顔をしておれをにらみつける。―――娘? 本当にこれはおれの娘か?


「あなたは私の『家族』ではありません」


 これは誰だ? ウチの娘はひとをにらむような()じゃない。穏やかでやさしい娘だ。一体これは誰だ。おれの娘はどこに行ったんだ?


「私の家族は『あのひと』です」

「『あのひと』と『黒陽』だけが私の家族です」


『黒陽』

 昔聞いた『名』に戦慄が走る。



 母に言われていた。「あの子は『特別』」「『黒陽様』がおそばにおられるならば、あの子は『黒の姫様』だ」

 娘から聞いていた。『見えないおともだち』『イマジナリーフレンド』の『名』。



 漢字を覚えた娘が『黒陽』の字を教えてくれた。

 ひとりでいる娘が時折誰かに話しかけていた。

「外では黙っているように」と言ってからはそんな仕草は見えなくなり、娘も『黒陽』のことを言わなくなっていたから「もういなくなったのかな」なんて妻と話していた。

 中学にあがって具合を悪くしていく娘に、母が『黒陽』に祈っているのを聞いて『そういえば』と思いだしたくらいだった。


 だが。


 もしかしたら、ずっとそばにいたのか?

 娘が『家族だ』と言い切るくらい、ずっとそばにいたのか?



 娘から発せられる圧にガクガク震えるしかできないなかでそう思い出していたら、娘が叫んだ。


「私は高間原(たかまがはら)の北、紫黒(しこく)の『黒の一族』の娘です!」

「何度生まれ変わっても! 誰から生まれ落ちても!

 私が『私』である限り、私の『家族』は黒陽と『あのひと』だけです!!」


 ドドドドーッ!!

 さらに強い圧が衝撃波のようにぶつかった!

 それ以上に娘の言葉にガツンと殴られた。

 

 今、娘はなにを言った?

 たかまがはら? しこく? 生まれ変わり?


 意味がわからない。なんのことかわからない。

 そんな中で、『黒陽とあのひとだけが家族』という言葉が、胸をえぐった。


「私のことは放っといてください!」

「あなたがたは『仮の親』です! 私の『本当の家族』じゃない!」

「なにも知らないのに勝手なことを言わないで!」

「『あのひと』がどれだけがんばってくれたか知らないくせに!」

「『あのひと』ほど誠実なひとも、私を大事にしてくれるひともいない!」

「『あのひと』を侮辱するなら、あなたなど――」


「ストップ」


 荒波をぶつけられているような衝撃を止めたのはひさきさんだった。

 後ろから娘を抱き止め、口を手でおおっていた。


「それ以上は駄目です竹さん」

「『呪い』になります」


 抱き止められた娘はそれでもおれをにらみつけていた。

「落ち着いてください」

「お父様も悪気があって言ったわけじゃありません」

 ひさきさんがそう言ったが、娘はじっと固まっていた。


 と、黒髪のベテランがおれに近づいてきた。

 ひょいっと、まるで子供でも抱き上げるかのように簡単におれをつかんでベッドから離れた椅子に座らせた。

 そして妻も同じようにおれの隣に座らせた。


 娘の正面から離れたからか、あの圧迫感が薄まった。

 思わず「はあっ」と息を吐いた。そのときにはじめて息を詰めていたことに気が付いた。


 黒髪の男は娘のそばに行き、なにごとかをささやいた。ひさきさんも娘になにかをささやいた。

 と、娘のまとっていた空気が変わった。


 それまでの威圧的な空気は霧散し、おれの知っている穏やかな娘に戻った。

 その娘がひさきさんに抱きついた。ひさきさんが娘を抱き締めよしよしと背を撫でてやると。


「―――うう、う、う、うわあぁぁぁぁん!!」


 娘が。

 穏やかでやさしい娘が。

 大号泣している。


 ひさきさんにしがみついてわんわん泣く娘。

「わたし、」「わたし、」とわけのわからないことを言う娘に「いいんですよ」「大丈夫ですよ」とひさきさんがやさしい言葉をかけている。

 そのうち娘はひさきさんにすがりついたまま眠りに落ちた。



 おれの娘は昔からおとなしくて手がかからない子供だった。

 それこそ赤ん坊の頃もほとんどぐずることもなく、こんなふうに大声で泣くなんてこれまでに一回もなかった。

 いつも「大丈夫」といい、「自分のことはあとでいい」と気を遣ってくれていた。穏やかで、やさしくて、ほがらかで、手がかからない娘。


 ―――もしかして―――


 ひさきさんにすがりついて泣いていた娘。

 ひさきさんはそれほどまでに娘に信頼されている?

 そんな姿をみたことがなかったおれ。

 おれは、信頼されていなかった?



「あなたは私の『父』ではありません」


 娘は、おれを『父』だと思っていなかった?


「あなたは私の『家族』ではありません」


 娘は、おれを『家族』だと思っていなかった?



 黒髪の男が娘を抱き横たえる。ひさきさんが眠る娘にタオルケットをかけた。涙に濡れたその顔を明子さんが濡れタオルで拭いた。

 そんな様子を、ただ呆然と見ていた。



「神宮寺さん」

 声をかけられてもすぐには反応できなかった。


「神宮寺さん」

 肩をたたかれ、ようやくハッとした。

 目の前に明子さんがいた。


「ひとまず、あちらでお茶でも飲みましょう?」

 そう誘われたが、身体が動かない。あの威圧感もだが、娘に言われたことが衝撃的すぎて頭も身体も動かない。

「失礼します」と黒髪の青年が支えてくれてようやく立ち上がれた。妻はひさきさんが支えていた。

 そうしてどうにかいつもお茶をいただくリビングダイニングの席についた。




「どうぞ」と出されたのは熱いコーヒー。

「熱いものを入れたほうがいいです」と明子さんに勧められたが手が伸びない。

 呆然とその水面を見つめていると、頼りないオッサンがぼんやりと映っているのに気が付いた。


 これは、誰だ?

 おれか?


 ぼんやり映る情けない男の姿に、なにもかもが夢なんじゃないかと思った。

 娘が具合が悪くなったのも、眠り続けていたのも全部夢で、きっと目が覚めたらいつものかわいい笑顔で「おはようお父さん」と言ってくれるんだ。


「『父』じゃない」「『家族』じゃない」そう言った冷たい目。きっとあれも夢だ。

 娘に拒絶され、威圧され、「『家族』じゃない」と言われたなんて。


 夢だ。夢に決まっている。



 呆然としたままそんなことをぐるぐると考えていたら「神宮寺さん」と声をかけられた。

 目黒くんの声だと気付きどうにか顔を上げると、目黒くんだけでなく主座様と安倍弁護士もいた。


「今日はアキさんがいますから」と目黒くんとは玄関で別れた。「もらった野菜を本家に分けに行く」と。

 本家に渡すならちゃんとした野菜を明日ことづけると言ったがニコニコと押し切られ別れた。


 主座様と安倍弁護士がいるのは、もしかしたら目黒くんが連れて来たのかもしれない。


 目黒くん、主座様、安倍弁護士、明子さん、ひさきさんの順に並んでおれと妻の前に座っている。

 その皆さんの前。主座様の前のテーブルに、黒い塊があった。


「ひさきさんにあらかたのことは聞きました」

 目黒くんが言う。


「これ以上ご両親に隠しておくことはできないようです」


 隠す? なにを?

 なにかを隠していたのか?


 不審感に一同をにらみつけた。それでも一同は動じない。


「改めまして、ご紹介します」

 目黒くんが主座様の前の黒い塊を手で指し示した。


「こちら、お嬢様の守り役の黒陽様です」




 大人の握り拳くらいの塊は、よく見ると手足があり首が伸びていた。

 それは、艷やかな、まるで黒曜石そのもののような甲羅を持った、黒い亀だった。


「黒陽だ」


 渋い男の声で亀がしゃべった。


「お前達が姫の『見えないおともだち』と言っていた存在だ」


「これまで隠れていてすまなかった」


 その言葉に、娘から聞いたとおりの姿形に、目の前のしゃべる亀が娘の『見えないおともだち』だとスコンと理解した。


「お前達の娘は私が五千年前からお仕えしている姫だ」

「私は姫が由紀子(ゆきこ)(はら)に宿ったときからずっとそばにいた」

「姫が霊力過多症となってからはずっと抑えるよう手を尽くしてきたが、力及ばすお前達には心配をかけた」


 ペコリと器用に頭を下げる黒い亀に、生真面目な亀だなあと的外れな感想を抱いた。


「お前達も姫のあの発言に動揺していることだろう」

「これまで育ててくれた恩に報い、我が姫のこれまでを説明する。

 だが、これから話すことは他言無用に願う。範久(のりひさ)にも、弥生(やよい)にも、もちろん神野(しんの)にも加藤にも黙っていてくれ」


 両親の名前も母と妻の実家のことも知っている亀に、本当にこの亀はおれ達のそばにいたんだと理解させられた。

 そしてこの亀が母の言っていた『黒陽様』で間違いないことも、娘が『特別な子』ということも、嫌でも思い知らされた。



 そうして黒い亀は話をはじめた。

 長い長い話を。



   ◇ ◇ ◇



「―――これで全部だ」


 話し終わった亀はいつの間にか出されていたお猪口を器用に持ち上げ中身をコクリと飲んだ。

 同席していた他の面々もそれぞれにカップを持ち喉を潤している。

 が、おれは動くこともできない。妻も呆然としているようだ。


 だって、そんな、信じられるか?

 自分の娘が、十五年間かわいがってきた娘が、五千年生きてきた異世界のお姫様だなんて。

『呪い』を刻まれていて『二十歳までしか生きられない』で『記憶を持ったまま転生する』なんて。

『悪しきモノ』なんてわけのわからないものを封じるなんて責務を負っていたなんて。


 たが、母の言葉を思い出す。

「あの子は『特別』な子」「我が家に『来ていただいた』子」「いつか手放さなければならない子」

「あの子は『黒の姫様』」「いつかいなくなる子」「『大きな責務』を抱えて生まれた子」


 なんてことだ。母の言うとおりだった。

 これまで無事に過ごしてこれたのは記憶が封じられていたから。黒陽が守ってくれていたから。

 それが思春期で封じていた記憶が徐々に解け、霊力が増え、霊力過多症を発症し、眠り続けた。動かない肉体から『魂』が抜け出してしまった。


「中学に上がる前、体調を崩した姫に何度も言ったんだ。『家を出よう』と。『安倍家に世話になろう』と。

 だが姫は『安倍家に迷惑をかけることになる』と遠慮して、私が晴明と連絡を取ることを嫌がった」


「だから仕方なく神宮寺家にとどまっていた」と明かされた。もっと早く娘と別れていた可能性を示され、ゾッとした。

桐仁(きりひと)にかなり引き止められていたしな」

 お姉ちゃん子の次男ががんばっていたらしい。でかしたキリ。よくやった。


「しかし、そのせいでお前達には心労も金もかけさせてしまった」

「すまなかった」と生真面目に頭を下げる亀になんと言ったらいいのか言葉が出なかった。


「肉体と『魂』が分かれた姫は、晴明に言ったんだ。『死んだことにしてくれ』と」

「『もう神宮寺の家には帰れない』と。『どうせ二十歳まで生きられないから』と」


「だがここにいる明子がそれを止めた」

「そうして眠る姫の肉体への面会許可を出してくれたんだ」

「明子が止めてくれなかったら、お前達はもう二度と姫に会うことはできなかった」


 そこまで説明され、ようやく理解した。

 竹は真面目な子だ。きっとおれ達の心配をして『これ以上迷惑をかけないように』と身を引こうとしたんだろう。生真面目な娘ならば一度決めたらやり通す。きっとおれ達は本当に、二度と娘の顔を見ることはできなかったに違いない。


 そこまで説明され理解したら『なんで黙っていた』なんて文句、言えなかった。ただ黙って明子さんに頭を下げた。


「そして運良く『半身』に出逢えた」


 先程説明された。娘にとっての特別な存在。それがあの『トモ』という男。


「『半身』が―――トモががんばってくれたおかげで、姫は今生きている」

「『責務』を果たせたのも、『呪い』が解けたのも、全部トモのおかげだ」

「トモには感謝しかない」


 黒い亀はひとり納得するようにうなずいた。

 黙っていたら亀はじっとおれを見つめてきた。

 見つめられてなんだか居心地悪く感じていると、亀がフッと笑った。


「トモといるとき、姫はそれはしあわせそうなんだ」

「あんなに穏やかでしあわせそうな姫を、私は見たことがなかった」


 独り言のように言う亀は心底うれしそうで、その目は深い慈愛に満ちていた。

 どれだけ娘を大切に慈しんでくれているのか、その目だけでわかった。


「お前達にとって姫はまだまだ『幼い娘』だろう。

 当然だ。今の時代の十五歳は未成年で学生だ。将来の伴侶を定める者は皆無と言っていいと理解している」


 どこか『仕方ない』というように言った黒陽は、きっぱりと告げた。


「それでも、姫にとってトモは『唯一』だ」


 決して大きな声ではないのに。怒鳴られたわけではないのに。その言葉の強さにグサリとどこかを刺された。


「『呪い』を解く手助けをしてくれたからでなく。『責務』を果たす手助けをしてくれたからではなく。『半身』だからではなく。

 ただ、ふたりは愛し合っているんだ」

「だからこそ『共に過ごしたい』と願っているんだ」


 ―――きっとこれが他家(よそ)の娘さんの話だったらおれだって「いい話じゃないか」と言うんだろう。

「そこまで愛し合ってるならいいじゃないか」と「同棲させればいい」と無責任に言うだろう。


 だが、これはおれの娘の話だ。おれのかわいいかわいい娘の話だ。

 娘に男がいる? おれの知らないうちに?

 それだけでも拒絶反応か出る。どれだけ立派な男でも、どれだけ恩ある男でも、おれの知らない男が娘をたぶらかしていたというだけで反吐(へど)が出る。

 だが。


「『父』じゃない」

「『家族』じゃない」


 娘から拒絶された。

 完膚なきまでに叩き潰された。


 おれはこれからどうしたらいいんだ?

 娘はおれから離れていくのか?


 黒陽も言っていた。『完全覚醒』した娘を一般家庭に置いておくのは『危険』だと。だから「帰せない」と。


 娘がいなくなる。

 いなくなる。


 スウッと、気が遠くなっていく―――


「……………あの……………」


 おずおずとした妻の声にハッと意識を取り戻した。


「先程言われてた、『娘を置いておくと危険』というのは、具体的にはどのような………」


 妻の質問に黒陽以外の一同がにっこりと微笑んだ。明らかな作り笑いに背筋に汗がつたう。


「聞きたいですか?」

「「……………」」


『後悔するよ?』と言外に伝えられる。

 が、妻は「聞かせてください」と言った。


「聞かないことには判断ができません」

 覚悟の込められた妻の声に、主座様がニンマリと笑った。狐のようだと思った。


 そこからの話は壮絶なものだった。

 なんの漫画やアニメの話かと思うような突拍子も無い話や残酷で残忍な話が次から次へと出てきた。


「神宮寺家の皆様及び地域の皆様を守るためにも、お嬢様は神宮寺家に帰せないと我々は判断しています」


 淡々とした言葉に「……………はい」としか返せない。

 おれひとりの問題ならば無理を通すことも考えられるが、家族や隣近所、取引先、親戚、先輩後輩、ありとあらゆる知人がターゲットとなり、現代の常識ではあり得ないレベルの『危険』が及ぶとなれば「娘を帰せ」なんてとても言えない。


 これまでの話を『妄想』とか『嘘』とか言うことは思わなかった。このひと達が話していることは全部『本当』だと、実際に起こったことで起こり得ることだと理解した。理解、させられた。

 黒陽がこれまでにあった実例を出してきて、それに心当たりがあったから尚更。


 おれと妻はさぞ顔色悪くなっていたんだろう。「すまんな」と黒陽が申し訳なさそうに言った。


「私は姫に『普通の暮らし』をさせたかった」

「一日でも長く『普通の暮らし』をさせたかった」

「親がいて。家族がいて。友がいて。なんの心配もなく毎日を過ごし、他愛もないことで一喜一憂し、穏やかに日々過ごす。そんな『普通のしあわせ』を味わってもらいたかった」

「お前達のおかげで姫は穏やかに過ごすことができた」

「ここまで姫を慈しみ育ててくれたこと、守り役として感謝している。ありがとう」


 ペコリと頭を下げる亀になにも言えず、ただ呆然とながめた。


「だが、私のわがままのためにお前達には苦労をかけたとも理解している」

「すまなかった」

「またこれから厄介事が襲い掛かる可能性があることも否定できない」

「私と姫で『運気上昇』や『霊的守護』などをかけ、各人にお守りも渡す。が、それでも迷惑がかかるかもしれぬ。

 なにかあった場合には、どんなちいさなことでも気のせいだと思うようなことでも構わない。明子に連絡を入れてくれ」


「明子に話をすれば晴明に伝わる。そうすれば我々に伝わる」と黒い亀が説明する。


 なにも言えないでいるおれ達に、黒い亀はさらに言った。


「お前達は私の恩人だ」

「姫を産み、育ててくれた恩人だ」

「今後も守っていくと誓う」


 誠実で力強い言葉。真摯なまなざし。ああ。この亀は信用できる。信頼できる。

 きっとこの亀の言っていることは本当。この亀がずっと娘を守ってくれていた。おれ達家族も、近所や同級生もまるごと守ってくれていた。『恩人』だというならばこの亀こそがおれ達にとって『恩人』だろう。守ってくれていたんだから。きっと赤ん坊のころから娘の世話もしてくれていたんだから。


 ふと、幼い頃の娘が浮かんだ。

 ふくふくのほっぺに笑顔を浮かべていた。かわいいおれの娘。愛おしい娘。

 だが、その目の先はいつも見えないどこかに向けられていた。きっとこの黒い亀に。


 おれ達は仕事が忙しくて、娘が大人しくて手がかからないことをいいことにあまり構っていなかった。きっとそれを埋めていたのがこの亀。

 ずっと一緒に暮らしていた。一緒に娘を育ててきた。それはつまり、『家族』じゃないのか?


「……………『家族』じゃ、ないのか?」

 ぽろりと、思ったことがそのまま口からこぼれた。

 黒陽はなにも言わない。


「『恩人』とかじゃなくて」

「竹も、黒陽も、おれ達の『家族』じゃないのか?」


『あなたは私の「家族」ではありません』

 耳の奥で娘の冷たい声が再生される。

 娘にとっての『家族』はこの亀だけだった? あれだけ一緒に過ごしていたのに?

 おれの愛情は伝わっていなかった? おれは娘の『家族』になれなかった?


 黒陽はなにも言わない。

 安倍家のひと達もなにも言わない。

 膝の上においた手が拳になる。


「黒陽」

「おれ達、『家族』だよな?」

「竹も。黒陽も。おれ達の『家族』だろ?」


 黒陽はなにも言わない。ただ黙っておれを見つめていた。


「竹はおれの娘だ」

「おれの娘なんだ」


 そう訴えたが黒陽は「そのように慈しんでくれ、感謝している」と言う。

 その言い方は他人行儀で、まるでおれが他人のように聞こえた。


「ひとまず」

 文句を言おうとするよりも早くひさきさんが声をかけてきた。


「今日はもう遅くなりました。一度ご帰宅なさって、ココロの整理をされてはいかがでしょうか」


「長々とお話をしてしまいました。お忙しいのにすみません」とひさきさんが丁寧に謝罪してくれる。時間。時間。そういえば夕方の出荷があった。親父に連絡しないと。


 頭の中で現実的なことの段取りを組み立てながらも聞いた話がぐちゃぐちゃに散らばっている。「『父』じゃない」「『家族』じゃない」娘の冷たい声が響く。なんでそんなことを言うのか。なにが悪かったのか。なんでこんなことになったのか。

 ぐるぐるのぐちゃぐちゃでただ呆然としていた。涙も出ない。怒りもわかない。ただただぐちゃぐちゃ。


 全部夢ならいいのに。

「おかしな夢見たよ」と笑って話せたらいいのに。

 なにから? どこから? なにが?

 わからない。わからない。

 おれはどうすればいい。おれはなにを信じればいい。

 わけがわからなくて、ぐちゃぐちゃで、ただただ呆然としていた。

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