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【番外編1】神宮寺祥太朗の嘆き 3

 眠り続ける娘のためにと伯父達が安倍家に依頼を出してくれ、ひとりの青年を連れてきた。

『すごいひと』と伯父達が喜色をあらわにする。が、おれの目にはごく普通の青年にしか見えない。

 いや、『ごく普通』ではないか。穏やかで礼儀正しい、滅多にお目にかかれないほどの好青年だ。


 娘を安倍家に預けることを決めると青年は「法務の担当者を呼んでもいいですか?」と聞いてきた。同意するとどこかに連絡をした。法務担当者(そんなもの)がいるのかと驚いた。



 法務担当者を待っている間に青年が名乗った。

「本来は『名』を明かすことはないのですが」

「たとえお身内の紹介とはいえ、『名』もしらぬ相手に大切なお嬢様を預けるのはご心配でしょうから」

 そう言って、名刺をくれた。


「目黒 弘明(ひろあき)と申します」


「ちゃんと本名ですよ」とお茶目に笑う青年にまたも好感を抱いた。


「『コウメイ』殿のお名刺……!」

「『名』を明かしていだけるとは……!」

 同じように名刺を受け取った伯父と従兄は何故か感動して震えている。ていうか、『コウメイ』?


 首をかしげていたら従兄が教えてくれた。

 安倍家には現在、有名人がふたりいる。それが『セイメイ』と『コウメイ』。

『セイメイ』は言わずと知れた『主座様』。『安倍晴明(あべのせいめい)』の生まれ変わり。

『コウメイ』はその『主座様』の右腕と評されている。

『三国志』の『諸葛亮孔明』はおれでも知っている。その人物を思わせるくらい優秀な人物だということだと従兄が目をキラキラさせて言う。


「ぼくの名前がたまたま『コウメイ』と読めるからと皆さんがそう呼んでくださるだけです。ぼくはそんな『知略に長ける』というわけではないので……お恥ずかしいです」


 照れくさそうに笑うその様子も『理想の好青年』としか見えない。ますます彼に対する好感度が上がっていく。


「目黒……さん?」

 なんと呼べばいいのかと迷いそう呼べば「『くん』くらいでお願いします」「まだ若輩ですので」と微笑む。

 はっきり言おう。彼のファンになった。


 この青年なら娘を任せられる。信頼を預けることができる。そう強く感じた。


「なにかございましたらこの名刺に伝言を乗せてください」と意味のわからないことを言う青年。が、伯父も従兄も母も「ありがとうございます」と受け入れている。


 首をかしげていたら青年がスマホを取り出した。そのままどこかとやり取りする。

 連絡ならスマホの番号教えてくれたらいい話じゃないか? そう思ったが黙っていた。


「法務担当者が到着しました」「連れて来てもいいですか?」と言われ、あわてて玄関に向かう。目黒くんも一緒に来てくれたので伯父も従兄もついてきた。


 玄関を開けるとひとりの男性が立っていた。

 黒いカバンを持った背の高い男性。隙のないスーツ姿。折り目正しい立ち姿。なるほど『法務担当者』だと納得した。


 改めて応接間に全員をお通しし、自己紹介をした。


「安倍家の顧問弁護士を勤めております、一条法律事務所の安倍と申します」


 おれと同年代のその男性から渡された名刺には『安倍 晴臣』と書いてあった。

 伯父と従兄が恐縮していたのであとで聞くと、現当主の一人息子だという。

 そして、主座様の父親だと。

 それは、相当上の人物なんじゃないか?


 重要人物の登場に、あのとき目黒くんが助けてくれたおかげだとさらに感謝した。


 娘を預けるにあたっての取り決めをいくつか決め、すぐに書類にされ、サインをした。

 目黒くんが眠る娘を軽々と抱き上げ、男性の車に乗り込んだ。

「このまま北山の安倍家に向かう」という。

「車でついてくるか」と問われたので、当然同行する。

 伯父と従兄にも同行してもらった。おれでは話が本当か判断できないことがあるとわかったから。

 息子達がいるので父が留守番に残り、妻と母が同行した。

 五人で我が家の車に乗り、前を行く車を追いかけた。



 ぐねぐね道を進み続けるにつれ、民家は減り山深くなっていく。

 やがて着いた一軒家で、指示された場所に車を停めた。

 玄関前に二人の人物が立っていた。

 車から降りてその姿が目に入った途端、伯父と従兄と母がザッと土下座した。

 地面だそ? 舗装されていない土だぞ!?

 ズボンが汚れるのも構わず、そんなことに気付いてもいない様子で、三人は頭を下げ続ける。


 驚いて玄関前の二人を観察する。

 おれと同年代に見える女性は目黒くんそっくり。母親かもしれない。

 隣の青年は、安倍弁護士に瓜二つだった。安倍弁護士の息子だろうか。


 安倍弁護士の息子――?


 さっき、聞いた。

『主座様の父親』だと。

 ということは。


 目があった青年は狐のような目をニンマリと細めた。


「主座様」

 車から降りた安倍弁護士の呼び掛けに確信する。


 この青年が、『主座様』。

 この京都を牛耳る、安倍晴明の生まれ変わり。


 なるほど。若いのに威厳のある、立派な人物だと感じる。

 質の良さそうなセーターと上着にスラックスというごく普通の青年のような姿。なのに立ち姿も雰囲気も、思わず背筋が伸びてしまう威厳のあるものだった。

 土下座のまま動かない伯父達は何故かブルブルと震えている。―――恐れている?

 なにをこわがることがあるのかと思いながらもお辞儀をする。


「主座様。こちらが今回の保護対象者のご家族です」


「お父様、お母様、お祖母様、大伯父様、従伯父(じゅうはくふ)様」と安倍弁護士が順に紹介してくれる。


「こちらが我が安倍家の次期当主にあらせられます、主座様です」

 そう紹介された途端、土下座の伯父達がバッとさらに平伏した。

 驚いていたが妻にツンツンとつつかれ、ようやく挨拶をすることに気付いた。


「上賀茂で農業を営んでおります、神宮寺と申します。このたびはお世話になります」

 妻と揃って頭を下げる。主座様は「うむ」とだけおっしゃった。


 目黒くんに抱き上げられた娘を見た主座様はひとつうなずかれた。隣の女性が「とりあえずお部屋へ」と声をかけてくれた。

「皆様もどうぞ中へ」と安倍弁護士にうながされたが土下座の三人が動かない。安倍弁護士が膝をつき「どうぞ」とやさしく声をかけ背中を押してくれ、ようやく立ち上がった。

 そうしてぞろぞろと建物の中に入った。


 目黒くんが軽々と娘を二階の一室に運び、ベッドに横たえた。

 娘の様子に変化はない。ただ、眠っている。

 なのに母と伯父は「少し楽そうになった」と話していた。おれにはわからないがふたりがそう言うならば連れて来てよかったのだと少しだけ安心した。



 別室に連れて行かれ、改めて安倍家の面々に挨拶をした。


 黒髪の青年――主座様はやはり安倍弁護士の息子だった。

 目黒くんの母親と思われた女性は主座様の母親だという。


「お嬢様のお世話は私がさせていただきます。どうぞご心配なく」

 女性が世話をしてくれることにホッとした。

 ホッとしたら、ふと、気がついた。

 穏やかに微笑む女性。どこかで会った? いや。テレビで見た。


 隣の青年。目黒くん。

 目黒。――目黒?


「目黒、千明?」


 ポロリと出た名前は、朝の情報番組のレギュラーの名前。

 おれのつぶやきに我が家の一同がハッと息を飲む。

 そんなおれ達に、安倍家の一同は楽しそうに微笑んだ。


「イエ。私は目黒の従妹です」

「で、僕は目黒の息子です」


「「「―――!」」」


 驚くおれ達に、明子と名乗った主座様の母親は「ナイショにしておいてくださいね」と言って説明してくれた。

 目黒千明が華道家として活動するために、自分の息子と二日違いで産まれた目黒くんも一緒に育てたことを。


「ですので、この二人は、血縁上ははとこということになりますが、実際は兄弟のようなものなんです」

 クスクスと楽しそうに目を向ける母親に、黒髪の青年がニヤリと笑った。


「他ならぬはとこ殿の気にかけた女性だ。この離れでゆっくりと霊力を馴染ませていただきたい。遠慮は無用」

「「「ハハッ!」」」

 伯父達が平伏するのに、あわてて一緒に頭を下げる。


「あの」

 妻がおそるおそる声を出した。

「面会に来ることは、できますでしょうか」


 そうだ。『預けて終わり』じゃない。これから娘がどうなるかはわからない。会いに来なければ。手を握って「がんばれ」「起きろ」と声をかけなければ。


 そう思ったのに伯父と従兄が「なにを言い出すのか!」「失礼なことを!」と怒りをあらわにする。

「安倍家にお任せすると決めたのだから口出ししてはいけない」「安倍家の本拠地など、軽々と出入りできるものではない」「面会などもってのほか」

 ついには「これだから……」と黙ってしまった。


 言葉にされなくてもわかる。

『これだから「霊力なし」は』

 そう続けようとした。


 おれが、妻が、幼い頃から言われ続けた言葉。

 おれが、妻が、幼い頃から受けてきた(さげす)み。


 伯父達の尽力で今回こうして高待遇を得られたと感謝している。おれ達では理解できないことが娘に降りかかっている。どれだけ手を尽くしてもおれ達では娘を救えなかった。わかってる。理解している。それでも。


 それでも。


 グッと唇を噛んだ。

 その空気を変えたのは明るい女性の声だった。


「大伯父様も従伯父様も、当家にお気遣いくださりありがとうございます」

 やさしい声をかけられ、ほんわかした笑顔を向けられ、伯父と従兄が得意げな顔で頭を下げた。


「ご存知のとおり、この一帯が当家の本拠地となっております。

 こちらの建物は主座様個人の離れでして、場所としましては本拠地とされる一帯の端にあたります」

「当主のおります本家はもっと別の場所にございまして、本家の周囲は家臣の家や様々な施設がございます」

「そちらにはさらに結界が展開されていますので、登録されていない能力者の方は立ち入ることはできません」


「さらに申しますと、こちらに至るまでの道にも『迷いの術』がかけてあります」

「当家の関係者の導きのない方はこの一帯にたどり着くことはなく、別の集落に向かわれます」

「ですので、神野家の皆様には、今回来られた道をたどって再びこちらにお越しいただくことはできません」


 その説明に伯父と従兄はうなずいたが、がっかりしているのはわかった。

 航空写真とか地図とかには載るだろうに。郵便とか宅配便とかはどうしてるんだ?

 そんな疑問が浮かんだが聞けるような雰囲気ではないので黙っていた。


「ですが、ご両親は『霊力なし』でいらっしゃるようなので、当家への立ち入り許可を出すことができます」


「「「!」」」


「能力者の方や高霊力保持者の方ですと、当家への害がないとは言い切れませんので一律お招きできないのですが、『霊力なし』の方でしたら条件付きで立ち入っていただけます」


 つまり。

 つまり。


 ポカンとして言葉が出ないおれと妻に主座様の母親はにっこりと微笑んだ。


「ご両親が希望されるのであれば、ご両親にならばこの離れにのみ立ち入り許可を出します。―――よろしいですか? 主座様」


 にっこり笑顔を向けられた主座様は「もう許可出してるじゃないか」とどこか楽しそうに文句を言いながらも「許可しよう」とおっしゃった。


 伯父と従兄があごが外れるんじゃないかというくらい驚いている前で主座様の母親は「許可が出ました!」と楽しそうに笑った。


「とはいえ、さすがに毎日というわけにはまいりません。

 そうですねぇ………。週に一回………ではご心配ですよねえ……。

 週に二回……三日おき……」


 おれ達の顔色をうかがいながら主座様の母親が妥協点を探してくれる。


「うーん」と考えながら主座様の母親がチラリと主座様に目を向ける。

 その視線を受けた主座様がまた苦笑を浮かべられた。


「アキに負担がないなら二日に一度でもいいぞ」


 主座様の言葉に喜色を浮かべた母親がすぐにおれ達に顔を向けた。


「二日に一度の面会でもいいですか?」


「もちろんです!!」「ありがとうございます!!」

 妻とふたりでガバリと頭を下げる。その横で伯父達が「そんな」「まさか」とブツブツ言っていたが無視しておいた。


「眠り続けているだけとはいえ、ご両親もご心配でしょう。

 主座様の許可も出ましたし、どうぞご遠慮なくお嬢様のお顔を見にお越しください」


 安倍弁護士もやさしく勧めてくれる。

「ありがとうございます」としか言葉がなかった。


「ただ、妻がいないと鍵を開けられないので、二十四時間いつでもというわけにはまいりません。そこはご了承ください」


 安倍弁護士に続いて主座様の母親も申し訳なさそうに告げる。


「私もこちらにずっと詰めていることはできません。

 もしこちらにいらっしゃるときにはご一報いただけると助かります」


 そう言って連絡先を書いたメモを渡してくれる。


「あんなにかわいい娘さんが眠り続けているなんて、さぞやご心配でしたね」

 

 不意にそんな言葉をかけられ、―――胸が、詰まった。

 その目にはおれ達に対するなぐさめと心からの同情が浮かんでいた。

 ボロリと涙が落ちそうになり、あわててうつむいてまばたきで散らす。

「ありがとう、ございます」とどうにか返したが、声が震えているのはごまかせなかった。


「この離れは私の直属の者しか立ち入れない。

 おかしな者はいないから、その点は安心してほしい」

 防犯面も主座様が保証してくださる。

「よろしくおねがいします」としか言葉がなかった。



   ◇ ◇ ◇



 そうして娘は中学三年生の冬から安倍家にお世話になった。


 本当は毎日顔を見に行きたかったがそれは許可されていない。

「安倍家の本拠地に立ち入れるだけでもものすごい特例だ!」と伯父達が騒いでいた。

 実際自宅に帰るときも安倍弁護士の車を追いかける形だった。カーナビに場所を登録したはずなのに気がついたら登録が消えていた。


 自宅に着いてから目黒くんがおれと妻になにかをした。「これであの離れに立ち入りできます」と言っていた。意味がわからない。

 車にも目黒くんがなにかをした。

「来られるときはこの車でお願いします」と。


 意味がわからないながらも二日後、指定された時間に間に合うように安倍家へと向かった。

 問題なくたどり着き、問題なく娘の顔を見ることができた。


「『二日に一度』とはいえ、ご無理なさいませんよう」「お仕事とご自身のお身体を優先させてくださいね」「お嬢様は私がお世話しておりますから」「寝てるだけですからご心配なさらず」


 主座様の母親――明子さんがそう言っていたわってくれる。

 確かに仕事は待ってくれない。息子達もいる。それでも両親にも協力してもらい、なんとか時間をやりくりして二日に一回は妻と安倍家に行った。


 いつ行っても娘はただ眠っている。

 顔を見る限りはただ眠っているとしか思えなくて、ちょっとゆすったら起きるんじゃないかと思えて、毎回「竹」「起きろ」と声をかける。肩をゆすってみる。

 それでも娘は目覚めない。ただただ眠っている。


 良くなっているのか、悪くなっているのかもわからない。

 親しくなった明子さんにたずねても「今は安定しているとしか聞いていない」と言う。


 顔を見ると「生きている」とホッとする。

 だが帰りの車に乗り込むと途端に不安が押し寄せる。


 娘はどうなってしまったんだろう。

 これからどうなるのだろう。

 これからどうすればいいのだろう。


 わからないことばかりで、不安で苦しくて、でも娘のためにできることは祈ること以外何一つなくて。


 不安をごまかすためにも必死に働いた。

 夜に眠るために日中クタクタになるまで自分を追い込んだ。

 それでも不安は消えない。夜は寝つけず、寝ても悪夢をみる。

 そうして朝を迎え、また必死で働いた。




『対価は不要』と言われたが、二日に一回安倍家に訪れる際にはウチで採れた野菜をたっぷりと持っていった。

 明子さんにとても喜ばれた。


 娘が目覚めたらウチの野菜を食べさせたい。

 そう願って、毎回毎回変わり映えのない野菜を持参する。


 早く娘がこの野菜を食べてくれたら。

 早く目覚めて「お父さん」と呼んでくれたら。


 祈るような思いで野菜を収穫した。



   ◇ ◇ ◇



 二月も半ばを過ぎたある日。

 いつものように娘の顔を見たあとで「ちょっとお話が」と明子さんに引き止められた。


 リビングに通され勧められるままに席につく。これまでにないことに『もしや』『まさか』と緊張が走る。

 そんなおれ達にコーヒーを出してくれた明子さんは、自分のコーヒーを一口飲んでソーサーに戻した。


「お耳に入れておきたいことがあります」


 姿勢を正した明子さんに『ただの話ではない』と理解する。緊張に拳を握るおれと妻に明子さんは淡々と話をはじめた。


「昨夜、主座様にお願いしてお嬢様の様子を診てもらいました」


 これまでも週に一度のペースで主座様に娘を診てもらっている。「ありがとうございます」と頭を下げながらもなにを言われるのかとつばを飲み込んだ。


「主座様によると、お嬢様は現在『魂』がお出かけしている状態だそうです」


『魂』? そんなもの、本当にあるのか?

『お出かけ』?『魂』って、出かけるのか?


「―――どういう、こと、ですか―――?」


 意味がわからなくてたずねた。声が震えていた。


「お嬢様は現在、思春期で霊力が急激に増えておられます」

「その急激に増えた霊力に身体がついていけず、不調におちいっておられます。

 いわゆる『霊力過多症』です」


『いわゆる』とか言われても知らない。『霊力』なんて本当にあるかもわからない。

 四十年『霊力なし』と言われてきた。そんな男の娘がなんでそんなことになるんだ。

 くやしくてかなしくて膝の上で拳を握る。


「体内の霊力がうまく循環しないから身体が動かない。目覚めない。眠り続ける。

 それらは『霊力過多症』の代表的な症状です」

「そんな動かない身体から、現在『魂』が抜け出てしまっているそうです」


「そんな……」

 妻の声には絶望があった。

「それじゃあ、竹は―――」


 蒼白になる妻に明子さんがあわてたように「ご安心ください」と続ける。


「最悪の事態にはなっていないとのことです。

 お嬢様の『魂』と肉体とのつながりは残っていると。ですから肉体が危険な状態になることはないとの主座様のお見立てです」


 ホッとする妻の横で、飲み込めない話をそれでも理解しようと、聞いた言葉を必死で頭の中で咀嚼する。


 肉体が動かない。霊力が増えすぎて循環しないから。

 肉体が動かないから『魂』が抜け出た。だけど危険な状態になることはない。


 危険な状態になることはない。

 本当に?

 眠り続けているのに?


「『魂』が肉体にないから眠り続けている、ということですか………?」

 妻の言葉に明子さんが「おっしゃるとおりです」と答える。


「………戻って、くるん、ですよ、ね?」

 震える声で妻がたずねる。

 明子さんは―――答えない。

 息を飲んだ妻がガバリと机に乗り出した。


「今どこにいるんですか? どこに行けば連れ戻せるんですか!?」


 その言葉にハッとした。そうだ。『出かけている』というなら探せばいい! 連れ戻せばいい!

 連れ戻せさえすれば目覚めるということだろう。ならばどこにでも探しに行く!


 そう意気込んだのに明子さんは目を伏せ、ゆるく首を振った。


「お嬢様の『魂』が今どこにいるのか、なにをしているのかは主座様でもおわかりにならないそうなのです」

「もし見つけても、戻そうとして戻るようなものではありません」

「お嬢様自身が納得して身体に戻らないと『魂』が定着しない、と、主座様が」


 ―――納得―――


 その単語に、ふと思い出した。 

 昔母が言っていた。

『あの子はいつかいなくなる子』

『「大きな責務」を抱えて生まれた子』


『大きな責務』

 それを、果たそうとしている?

 そのために、動かない肉体から抜け出た?


『いつかいなくなる』

 それは。


 それは―――。


 ゾワリとナニカが背筋を走った。椅子に座っているのに足元が途端に不安定になった気がした。

 そんなおれに気付かない明子さんは淡々と話した。独り言のように。


「なにかを探しているのか、やるべきことをやろうとしているのか、それはわからない」

「本人が目的を果たし、満足すれば戻ってくる可能性が高いと、主座様が」


『目的を果たす』

 それは、『大きな責務』を果たすと、そういう、こと、か?


 竹が『いなくなる』と、いうこと、か?


「―――馬鹿なことを言うな!」

「! お父さん!」


 バン! と机を叩き立ち上がった。その勢いで出されたカップがテーブルに転がった。

 黒い液体が広がるのを視界の端でとらえつつ、目の前の明子さんをにらみつけた。


「竹は寝ているだけだ! すぐに目を覚ますに決まっている!」

「お父さん!」


 妻に引っ張られたが止まらない。止まれない。

 許せない。娘がいなくなるなんて。

 許せない。そんなことを認めるなんて。


「ショウ!」


 突然昔のように呼ばれ、意識を引っ張られた。

 勢いのままににらみつけると、妻がおれをにらみつけていた。


「お義母さんが言ってたじゃない!『竹は大きな責務を持って生まれた子だ』って!」


「忘れたの!?」と妻が叫ぶ。忘れるわけないじゃないか。


「きっと竹はがんばってるのよ!」

「『大きな責務』を果たそうと、『魂』になってでもがんばってるのよ!」

「それが終わったらきっと帰ってくる!」


 妻の叫びに息を飲む。

 目を赤くした妻が必死の形相でおれを見つめ、大きくうなずいた。


「竹はがんばり屋さんだから」

「竹は真面目な子だから」

「きっと『大きな責務』を果たすためにがんばってるのよ」

「応援しましょう」

「私達には応援することしかできないけど」

「応援しましょう」

「それで、一日でも早く帰って来てもらいましょう」


『竹はがんばっている』

『応援する』


 妻の言葉は不思議と腑に落ちた。

 ストンと椅子に座り、のろりとうなずいた。

 明子さんは顔色ひとつ変えることはなかった。



   ◇ ◇ ◇



「もしかしたら竹は見えないだけで家に帰ってるかもしれない」

 帰りの車で妻がそう言った。

 確かにその可能性は十分にあった。


 それからは事あるごとに娘に語りかけた。

 朝起きて。仕事に行くときに。仕事中に。買い物中に。寝る前に。

 妻も、話を聞いた両親も、見えない娘にむけて懸命に語りかけた。「早く帰っておいで」「待ってるよ」「がんばれ」


 そんなおれ達に仕事仲間や近所のひとは心配してくれた。同情もしてくれた。

「娘は病気療養のためにとある家に預かってもらっている」と周囲には説明していた。

 その娘が「『魂』になってウロウロしているかもしれない」なんてことを言うわけにはいかず、見えないところに語りかけるおれ達家族をあわれむひとも馬鹿にするひともいた。


 信じてくれなくてもいい。理解してくれなくてもいい。

 おれが、おれ達が信じていれば、それだけで十分だ。


『霊力なし』と(さげす)まれ続けて四十年。だからといって不便だったことも、アヤシイ事例に遭遇することもなかった。


 アヤシイ事例(そんなもの)は想像力豊かな誰かの創作。フィクション。幻想。ずっとそう思っていた。

 だが娘が『魂』になってなにかを成そうとがんばっているというならば。

 そのために眠り続けている。ナニカを成したら目覚めるというならば。

 これまでの四十年の常識も価値観もかなぐり捨てる。娘のために。娘が一日でも早く目覚めるために。


「竹」

「いるのか竹」

「聞こえてるか」

「がんばれ竹」

「帰ってこい」


 畑で。竹の部屋で。納品先で。

 声に出して祈る。声が届けと祈る。

 どうか無事で。どうか元気で。

 そして一日でも早く目を覚ましてくれ。


 おれの娘。かわいい娘。

 おとなしくて穏やかな、おれの愛しい娘。


 どうか。どうか。

 目を覚ましてくれ。

 どうか。どうか。

 また「お父さん」と呼んでくれ。おれに向けて笑ってくれ。


 どうか。


 どうか。



   ◇ ◇ ◇



 春になった。

 高校受験はできなかった。

 卒業式も出られなかった。



「竹さん、どうしてますか?」

 卒業証書と荷物を受け取りに行った中学校で担任から聞かれた。

 担任とは時々やり取りをしていた。目覚めなくなり、他家で預かってもらうことになったことも説明していた。

 だから「変わらずです」「眠り続けています」と答えた。


「そうですか」と言う担任の、その言い方が気になった。

「なにか?」と聞くと担任は「いえ、その」と口ごもり、ごまかすように目を逸らした。


 その様子に『なにかある』とイヤでも理解した。

「なんですか?」「なにかあるんですか?」と強く問えば「………実は」と口を開いた。


「昨日、竹さんによく似た娘さんを見かけまして」

「「!」」


 それは、『魂』となった竹か?

 竹を、この先生は見たのか!?


「どこで!?」

 思わず身を乗り出して聞けば「修学院です」と言う。

「たまたま知人宅に寄ったとき、遠目に見た」と。


「本当にウチの娘だったんですか」と問えば「自信はない」と言う。ただ「なんとなく、竹さんな気がした」と。


「でも、寝ておられるんですよね?」と聞かれたが、どこか責めるように聞こえた。

 なんだその言い方は。まるで竹がズル休みしてるみたいじゃないか。

 ムッとしたらすぐさま妻が「はい」と答えた。


「昨日も面会に行きましたが、変わらず眠り続けていました」

「早く目覚めてくれたらと祈っているんですけど」


「………ご両親が会いに行っていないときに起きている、ということは――」

「は!?」


 知らず大声になってしまい、職員室中から視線が集まった。が、怒りを抑えられない。

 ギリ、と拳を握り歯を食いしばる。


「………おれ達が、どれだけ―――」

「お父さん」


 妻が担任との間に入り、肩を押さえる。

「落ち着いて」とささやかれ、頭では冷静にならなければと理解する。それでも感情がおさまらない。


 ウチの竹は真面目な()だ。ズルなんてするわけがない。

 おれ達が心配しているのも知っている。それなのに黙って出かけるなんて、あのやさしい竹がするわけがない。

 この担任は、担任だったくせに娘のことがわかっていなかったのか。ウチの娘を侮辱しやがって。

 おれ達がどれだけ竹を心配しているのか、どれだけ手を尽くしてきたのか知らないからこんなこと言えるんだ。馬鹿にしやがって。

 どうせこれで縁が切れてせいせいしてるんだろう。厄介な生徒に厄介な親の面倒をみなくてすむと喜んでるんだろう。これが最後だからと侮辱をあらわにしてきたんだろう。


 怒りに震えていたら妻が「先生のおっしゃることもごもっともよ」と言う。

 文句を言おうとしたら「よそから見たらそう見えるってこと」と言う。

 そう説明されたら確かにそうかもしれなくて、きっとおれだって竹じゃないよその子がそんな状態だと聞いたら「ズル休みじゃないか」と思うだろうと簡単に想像できた。


 これまでも散々言われてきた。竹が具合悪くしているとき。起きられないとき。学校を休ませたとき。

「サボリ?」「ズル?」「甘やかしすぎじゃない?」

 面と向かって言うヤツもいた。陰で言ってるヤツもいた。

 医者の所見はどこも『様子見』だったから具体的な診断書を出せなくて、そんな陰口に反論することができなかった。

 今だって『安倍家』のことを大っぴらに言うことができないから反論できない。


 最初に言われた。

『娘を安倍家に預けていること』『安倍家と関わりがあること』『明子さんの連絡先を知っていること』を『口外してはいけない』と。

 もし他人がそれを知ったらおれ達家族に面倒事が降りかかるのは「間違いない」と。

『安倍家』とは、それほどの家なのだと。


 竹を預けるとき、契約書にそのことも盛り込まれた。おれ達がうっかり口にしないように主座様が「『制約』を課す」とナニヤラしたと聞いた。

 だからおれ達は本当のことを言えない。「あの『安倍家』に預けている」ことも「娘は『霊力過多症』というのになっているそうです」ということも「『魂』になってなにかしているらしい」ということも学校側には伝えていない。神野の伯父と従兄以外の親戚一同にも知り合いにも言っていない。

 だから周囲がそんな態度を取ることも仕方ないと頭では理解している。


 してはいるが―――悔しい。


 ウチの娘が侮辱されていることが。

 おれ達が侮辱されていることが。

 軽んじられていることが。


 悔しい。


「―――娘は『とある家』に預かっていただいています」

 妻がはっきりと、真正面から言った。

 怒りもなにもない声音に、一触即発だった空気がさらに張り詰めた。


「その『家』がどこか、私達には言えません」

「『言えない』んです」


 意思の込められた妻の言葉に、担任はいぶかしげにしていた。が、なにか思い当たったようでハッとした。

 他にも数人の教師がなにかに気付いたような顔をしていた。物言いたげにしていたが、結局は黙っていた。

 そんな中、担任はじっと妻を見つめていた。まるで考えを見透かそうとするかのように。


「……………『言えない』んですか?」

「『言えない』んです」


 じっと妻を見つめていた担任がおれにも目を向けてきた。だからにらみつけてやった。

 やがて担任は「そうですか……」とつぶやき、息を吐き出した。

「失礼なことを言いました」「すみません」と謝罪した担任は最後は「竹さんが元気になるよう、私も願っています」と見送ってくれた。

 


   ◇ ◇ ◇



 それからも何度も「竹ちゃんらしき娘さんを見かけた」という話をあちこちから聞いた。近所のひとから。親戚から。娘の同級生の保護者から。

「見た」という場所もバラバラ。愛宕。清水。鞍馬。鴨川。


「なにしてるんだ竹」

 今日もおれは娘に呼びかける。見上げる空は腹が立つほどの澄んだ青。


「聞こえてるのか竹」

「早く帰ってこい」

「待ってるから」

「帰ってこい。竹」


 どうか無事で。

『成すべきこと』があるならさっさと済ませて、そしてウチに帰ってこい。

 おれの娘。愛しい娘。かわいいかわいい、ウチの竹。

 どうか無事で。どうか目を覚まして。

 そうして一日でも早く「お父さん」と呼んでくれ。


 祈ることしかできない。

 この声が、この祈りが届いているのかわからない。

 それでも祈る。それしかできることがないから。


「竹」

「竹」

「帰ってこい」

「早く目を覚ませ」


 どうか。どうか。


 どうか。

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