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第四十話 仁和寺門前にて 2

 ふ、と彼女の重さが増した。

 身体全部を俺に預ける感覚に何事かと顔を上げさせると――。


 目を閉じていた。


 眠っているのか。気を失ったのか。

 どちらにしても意識のない状態だ。

 この濡れたままにしていては身体を壊す。


 なんにしても、とにかく家に連れ帰ろう。

 服脱がせて、暖房効かせて……と考えていると、ふわりと暖かい空気に包まれた。


 なんだ!? と周囲を警戒する。

 彼女の服も髪も、ついでに俺も綺麗に乾いていた。

 一体なにが、と目を動かし、太い柱の影にちいさな塊を見つけた。

 とてとてとちいさな足でこちらに寄ってくる。


「……黒陽……?」


 なんだ。やっぱりいたのか。

 ホッと息がもれる。警戒を解く。

 黒陽はぴょんと飛び、竹さんの肩――俺の目の前に乗った。


「……姫が、スマンな。手間をかけた」

「待て」


 そのまま転移しそうな勢いに、思わず声をかけて止める。


「どういうことだ。なにがあった? なんで彼女はこんな状態になっている」


 嘘やごまかしは許さない。

 そんな気持ちを込めて黒陽をにらみつける。


 黒陽は何も言わない。

 俺と目も合わせない。

 ムッとして、余計なことが口から出た。


「アンタ守り役だろう? なんでこんな彼女を放っておいた!?」


 黒陽が望んで竹さんを放っておくわけがないとわかっている。なにか理由があるのだと理解している。

 それでも何も答えてくれない腹立たしさとこれまでの不安がないまぜになって、つい、暴言を吐いた。


 痛そうな黒陽に、暴言を吐いた自覚があるからぐっと詰まった。


「……スマン。余計なことを言った」

「いや」


 黒陽はうなだれたままゆるりと首を振った。


「お前の言うとおりだ。私は守り役なのに。姫を守れない。

 ――駄目な守り役だ」


 自嘲を浮かべる黒陽に、かける言葉が見つからない。

 黒陽は気持ちを変えるかのようにぐっと首を上げ、黙ってしまった俺を今度はまっすぐに見た。


「姫の現状についてだったな」

 黒陽の視線に戸惑いながらもうなずくと、黒陽はいつものようにあっさりと言った。


「姫は、『半身』を探しているんだ」

「―――」


 予想通りの答えに、なにも言えなかった。


 前にハルが言っていた。

 四百年前から『半身』を探して眠っている間に出歩いていたと。

 だから百五十年前に記憶を封じたと。

 なのに先週、二度目に彼女に会ったあと、また夜に出歩くようになったと。


 ――俺に出会ったせいで。

 そんな思いが湧き上がり、ジクリと腹が痛んだ。

半身()』を探してこんな夜中に雨に打たれたのか――。

 苦しくてかなしくて、ぎゅ、と彼女を抱き締めた。


 黒陽は俺にもたれたままの竹さんの顔をそっと見つめた。

 慈愛と憐れみの混じった視線だった。

 

「普段は封印が効いているから覚えていない。

 だが、眠っている間は封印がゆるむのか、ふらりと探しに行く。

 本人は自分がそんな行動をとっていることを覚えていない。夢遊病のようなものだ」


 ハルからも聞いた。

 だから体力が削がれていって衰弱していくのだと。


「――いまから千二百年前。

『半身』に出会った」


 この間聞いた。

 前前世の俺。『智明』。

 生命を落とした竹さんを蘇生させ救った男。


「夫婦となり、しあわせに暮らしていた。

 だが姫の生命が尽き、別れた。

 生まれ変わったときにはヤツは死んでいた」


 そうか。『智明』は竹さんに会えなかったのか。

 胸がツキリと痛んだが、気付かないフリで黒陽の話を聞く。


「『仕方ない』と諦めた。

『寿命だから仕方ない』『会えただけで、夫婦になれただけでしあわせ』そう言って、姫はヤツとの思い出を糧に生きた。

『罪人には過ぎた褒美だった』と、それはしあわせそうだった」


 そうして責務に取り組んでいた。


「それが変わったのは、四百年前」


 黒陽はちいさくうなだれた。


「再び『半身』に出会った」


 前世の俺。『青羽』。

 おじさんの寺の開祖。四百年前に『(まが)』の封印が解けたときの唯一の生き残りの霊玉守護者(たまもり)


「すぐにわかった。『生まれ変わった』と。『また会えた』と。

 ヤツは前世の記憶はなかったが、ヤツも姫を『半身』と認め、姫を愛した。

 そのときも姫の生命が先に尽きた。それなのに」


 うなだれていた首をさらに下げ、黒陽はポソポソと言った。


「生まれ変わった姫の前に、まだ生きていた『半身』が現れた。

 三度(みたび)会えた。死に別れたのに。それなら」


 黒陽はそこで一度口を閉じた。

 すう、はあ、と深呼吸をし、意を決したように、言った。


「――それなら、また会えるのではないかと――気付いてしまったんだ」


 それまでは気付いていなかった。

 もう二度と会えないと思っていた。

 だからこそ『半身』との思い出を支えに生きてきた。


「姫は、気付いてしまった。

『半身』が生まれ変わる可能性に。

 再び出会える可能性に。

 もしかしたら今も生まれ変わっているかもしれない。

 もしかしたらどこかにいるかもしれない。

 そんな可能性に、気付いてしまったんだ」


 胸がぎゅ、と締め付けられた。

 抱き支える彼女の身体をぎゅ、と抱き締めた。


「普段はそんなことを言わない。自ら探すようなこともしない。姫には責務があるから。

災禍(さいか)』を封じたのは間違いないが、封じた水晶玉を滅するまでは油断ができない。

 だから、姫は『災禍(さいか)』を探さなければならなかった。

『半身』を探しに行くことはできなかった」


「でも、眠っている間は、その責任感がゆるむのだろうな。

 ――眠っている間に起き出して、思い出の場所を探すようになった」


「共に暮らした場所。共に出かけた場所。アイツが行きそうな場所。そんなところをただフラフラと歩き回るようになった」


「本人は覚えていない。さっきも言ったが、夢遊病と同じだ。

 それでも体力は確実に削がれていく。

 休まないといけない時間に動き回っているのだから当然だ。

 そして精神力も削がれていった。

 夜探していることを覚えていなくても、日中探すことができなくても、『見つからない』という想いは姫を確実に(むしば)んだ」


 ハルも話していた。

 そうして竹さんは疲弊していった。


「『会いたい』と願いながらも『責務がある』から『会ってはいけない』と自制する。

 その結果、意識のない間に探し回り『会えなかった』と落胆する。

 ――そうして、姫はこわれていった」


『会いたい』のに『会えなかった』と落胆する気持ちは俺にもわかった。

 ここ数日俺自身そうやって落胆していた。

 ずっしりと身体が鉛にでもなったようで、なにをする気にもならなくなった。

 それを、何日も、何年も、何十年も。


 それは、こわれる。

 俺だってこわれるかもしれない。

 可哀想で愛おしくて、また竹さんを抱き締めた。


「ただ目的もなく歩き回ることもあった。

 ただ霊力石を作り続けるときもあった。

 いくら私が話をしても、いくら出かけるのを止めようとしても駄目だった。

 お前の言うとおりだ。私は駄目な守り役だ。

 妻ならば姫を支えられたかもしれないが、私では駄目だった」


 苦しそうに目を閉じて、黒陽はボソリと吐き出した。



「私は、姫を守れなかった」



『そんなことない』なんて気休め、言えなかった。

 ついこの間知り合ったばかりの、話を聞いただけの俺が気安く言っていい言葉ではない。

 では何と声をかけたらいいのだろう。

 この生真面目で責任感の強い亀に、俺は何と言えばいいのだろう。


 何と言えばいいのかわからなくてただ黙っている俺を気にすることなく、黒陽はひとつ息を吐くと話を続けた。


「せめて『半身』の記憶がなければ元に戻るかと、『半身』の記憶を封じたんだ」


 ハルも言っていた。

『姫宮はこわれた』『守り役が西の姫に頼んで記憶を封じた』と。


「白露と西の姫に協力してもらった。

『半身』に出会った。苦しいから『半身』の記憶を封じてくれ。

 西の姫がそう姫に依頼し、姫は西の姫達と術式を組み直し、封印をかけた。

 それを、西の姫が鏡で跳ね返して姫にかけたんだ」


 ……それは……。

 黙っていたけれど、俺の考えたことは黒陽にもわかったらしい。

 フッと皮肉げに口の端を上げて言った。


(だま)し討ちだよ」


「こんな手段しか取れなかった。

 他にいい方法があったのかもしれない。

 それでもそのときは他にいい考えは浮かばなかった。

 幸か不幸か、それまでの五千年の記憶もあの高霊力も一緒に封じられた状態で転生するようになった。

 おかげで姫はしあわせな幼少期を過ごせるようになった」


 ちいさく微笑んで、黒陽は一度目を閉じた。

 すう、とまた深呼吸をして、話を続けた。


「――また『半身』を探すようになったのは、お前に出会ってからだよ」


 ――息を、飲んだ。


「あの日、船岡山で出会ったあの日から、姫はまた夜出歩くようになった」


半身()』に出会ったから。


「記憶は……」思わずもれた確認に「封じられている」と黒陽は短く答えた。


「『半身』と認識していなくても、記憶はなくても、お前の気配があると安定するらしい」


 前に黒陽も言っていた。

 少しでも彼女の役に立てたことに俺は単純に喜んだ。


「お前の家で昼寝をした日は夜もぐっすり眠るようになった。

 それまでは罪に苦しんで夜何度も起きていたのに。

 お前の気配に包まれるだけで満たされるんだろうな。

 だから我らはなるべく姫をお前の家に行かせた。

 理由をつけて長居するようにして、眠るように仕向けたんだ」


 それで先週末、立て続けに来てくれたのか。

 その言い方だと保護者達もグルだな。


「だが、ここ数日会いに行かなかっただろう?

 それで、お前の気配が薄れたんだろう。

 久しぶりに出歩いてしまった」


 ふう、とため息を落とし、黒陽は続けた。


「あわててついてきたが、お前が見つからないと落胆したんだろうな。

 その拍子に結界を強く展開されて、弾かれた」


 そして黒陽は竹さんを見失ったという。


「姫は結界を張って閉じこもってしまった。

 私では姫が張った結界を壊すことも侵入することもできない。

 姫が意識を失うまで待つしか、できることはなかった」


 のろりと頭を上げ、黒陽は俺に向かって弱々しく微笑んだ。


「――お前が侵入できたのは――姫を救い出せたのは――境界無効の能力者だからかな」


 竹さんの結界の外で黒陽はずっと待機していたらしい。

 竹さんの意識がなくなって結界が弱まったから侵入できたと。


 黒陽がなにか言おうと口を開いた。が、声にならず、また口を閉じた。

 そしてくしゃりと顔をゆがめ、そんな顔を見られないように顔をそむけた。


 黒陽がなにを言いたいのか、なにをためらっているのかわからない。

 でも、苦しんでいることは伝わって、そんな黒陽に俺も苦しくなった。


「――姫は、しあわせだったよ」


 ポツリと、黒陽は言葉を落とした。


「『お前』に会えて、『お前』と夫婦になれて、姫は、しあわせだったよ」


 ――それは『俺』じゃないだろう?

 前世の話だろう。前前世の話だろう。


 そう文句を言いたかったけれど、言えなかった。


 黒陽があまりにも苦しそうだったから。

 とても『しあわせ』な話をしているように見えなかったから。


「また会えたことが、よかったのか悪かったのか、私にはわからない。それでも、―――」


 そこまで一気に言った黒陽は、急に言葉を失った。

 はくはくと浅い息を繰り返し、やがてギュッと口と目を閉じた。


 すうぅぅぅ、と鼻から大きく息を吸い込み、一度止めて、はあぁぁぁ、と大きく吐き出した。


 それからフルフルと首を振り、そうしてようやく俺にまっすぐに顔を向けた。


「――スマン。余計なことを言った。忘れてくれ」


 亀も目が赤くなるんだな。初めて知ったよ。


「まあそういうわけだから。

 てきればまた姫とお前の家に行かせてくれ。

 お前の修行を頼まれたとかなんとか理由をつけるから」

「……それは、構わないけど……」


 むしろいくらでも来てもらってもいいけど。


 彼女が俺の家に来ることで少しでも休めるならいくらでも来てもらったらいい。

 なんなら一緒にメシ食ったらいい。

 でも、この生真面目なひとがそうやすやすと俺の家に来るとは思えなかった。


「……明日安倍家の離れに行く予定になってる。

 そこで会うのは駄目か?」


 この間ハルが来たときに約束していた。

 この土日で修行をつけてくれると。

 都合が合えば白露様と緋炎様も来てくれると。


 黒陽もその話は知っていたのだろう。

「そうだったな」とつぶやき、少し考える様子を見せた。


「……晴明に相談してみる。

 うまく時間が合えば、姫と会ってくれ」

「ああ」

 むしろこっちからお願いしたい。


「とりあえず、今日のところはこのまま連れ帰る。ありがとな。お前も気をつけて帰れよ」


 黒陽が転移するのがわかって、反射的に彼女を抱く腕に力が入った。


 渡したくない。離したくない。抱き締めていたい。

 そんな気持ちが湧き上がって、ぎゅうっとさらに抱き寄せた。


「……気持ちはわかるがな」

 やれやれ、と言わんばかりの黒陽に、またも身体が勝手にふるふると首をふる。


「――離れの部屋で寝ていたはずなのに気が付いたらお前の家だった、なんてなったら、姫が驚くだろうが」


 そう説明されると『そうだ』と思えた。

 そう納得したら、抱く腕がゆるんだ。


「ふう」と黒陽がため息をついた。

 仕方ないと思っているのはミエミエだった。


「――じゃあな。また明日。おやすみ」

 黒陽は軽くそう言った。

 次の瞬間、竹さんの身体が俺の腕から消えた。


 消えた。


 今までに感じたことのない喪失感に、ただ呆然と立ちすくむことしかできなかった。

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