第二百二十二話 新たな約束
彼女の部屋に入ると、いつもどおり暗い部屋で彼女が眠っていた。
熱が上がったと黒陽が言っていたが、どうかな?
そっとベッドに腰掛け、首筋に触れてみる。――確かに少し高い。だがこれならまだ大丈夫だろう。
額の冷却シートが乾いていたので新しいものと貼り替える。氷枕に触れてみたらこちらはまだ冷たかった。一時間後に俺が出ていくときに替えよう。
そうやってゴソゴソしていたからか、彼女が目を覚ました。
ぼんやりとしていた彼女は俺を認識するとほにゃりと微笑んだ。
「………おかえりなさい」
愛おしさに胸がつぶれるかと思った。
「――ただいま」
そっと顔を寄せて口付けを落とす。
彼女はしあわせそうに微笑んだ。
ああ。かわいい。愛おしい。
その笑顔を見ているだけで力が湧いてくる。
「具合、どう?」
「うん……」
言いながらベッドに上がり胡座で座る。アイテムボックスから聖水とコップを取り出しサイドテーブルに置く。コップに聖水を注いでから彼女を抱き起こし、俺にもたれさせてからコップの聖水を飲ませた。
んく、んく、と少しずつ飲んだ彼女はどうにかコップの聖水すべて飲み干した。
「もう少し飲む?」
「……ううん。大丈夫」
「じゃあこれ。はい」
アイテムボックスから取り出した黒陽の氷を口に含ませる。嬉しそうに頬をゆるめる彼女に俺までニマニマしてしまう。
「もう一個食える?」
「うん」
「じゃあ、はい」
氷を入れてリスのように膨らんだ頬を手で包む。彼女はしあわせそうに目を閉じて俺の手に甘えた。かわいい。
「……トモさんの手、つめたくて気持ちいい……」
「貴女が熱いんだよ。――つらいでしょ」
「……ちょっと。――でも、だいぶ楽になったよ?」
そう言う彼女にふと体温が気になった。
「今何度かな」
サイドテーブルに置いてあった非接触型体温計で計ってみる。
「三十七度八分か……。ちょっと上がったね」
「早く熱が下がるといいんだけどね」
責めているつもりはなかったが彼女にはそう聞こえたらしい。ショボンとしたのがわかったからあわてて話題を変える。
「黒陽に聞いたよ。重湯が濃くなったんだって?」
「うん」
「全部食べたんだろ? えらいね」
褒めて頬を撫でると彼女ははにかんで微笑んだ。かわいい。
「明日にはおかゆになるかな」
「どうかなあ」
「焦らなくていいからね。ゆっくりでいいから、しっかり治してね」
「うん」
「元気になったらまたあのパン屋に行こう」
「あのパン屋さん!?」
途端に目をキラキラさせる彼女。クソかわいい。
「うん。で、また広沢池で分けっこして食おう」
「―――うん!」
嬉しそうな彼女に俺まで嬉しくなる。
「それまでに仕事終わらせられるようにがんばるね」
「じゃあ私はトモさんのお仕事が終わるまでに元気になっていられるようにがんばるね」
ふたりでそう言い合い、クスクスと笑い合った。
ああ。しあわせだ。
こんなやり取りがしたかった。
こんなふうに他愛のないことを話し、なんてことないことを喜び合い、ふたりで日々を過ごしていきたかった。
俺の『願い』は叶った。
――いや、まだだ。
まだまだこんな日々を続けるんだ。
オッサンになってジジイになってもずっとこうして過ごすんだ。
彼女と一緒に。ずっとふたりで。
「大好きだよ」
ポロリと気持ちがこぼれた。
「愛してる」
勝手に身体が唇を重ねていた。
「ずっと一緒にいてね」
「うん」
ぎゅうっと抱き締めた彼女は俺の背中に腕を回し、抱きついてくれた。
それだけで『俺が好き』だと『一緒にいたい』と伝わって、愛おしいが爆発してさらにぎゅうぎゅうと抱き締めた。
しばらくそうやって互いのぬくもりを分かち合っていた。
黙っていても気まずくなることも焦ることもない。穏やかで静かな空気に、気持ちがやわらいでいくのを感じる。
愛おしい。大好き。
そんな気持ちが時々表に出てきて、抱いた彼女の耳や頭にキスを落とす。そのたびに彼女がうれしそうにするものだからさらに調子に乗ってキスを降らせる。好き。好き。俺の妻。俺の最愛。ずっと一緒だ。これからもずっと。
そうやって彼女を愛でていたら、ふと彼女の気配が変わった。
………またなんか余計なこと考えてるな。
「………今日ね」
「うん」
「………お父さんとお母さんが、……来たの」
………それか。
「そっか」と相槌を打つ俺に彼女は黙った。
続きを話してくれるまで待っていたら、ようやく彼女は口を開いた。
「……お父さんのこともお母さんのことも、忘れてたから、――びっくり、した」
「そっか」
守り役の言うとおり、忘れてたのか。まあこのひとうっかりだしな。俺も両親のことよく忘れてるからこれに関してはあまりひとのこと言えない。
「俺も両親のことよく忘れてるよ。離れてるとそんなもんだよね」
そう言うと彼女は少しホッとしたようだった。
少し離れて俺を見上げる彼女がかわいくてニマニマしていたら彼女も安心したように微笑んだ。
そのまま俺にもたれる彼女をゆるく抱き、話しやすくなるようにと願って背中をゆっくりと撫でた。
その効果があったのか、彼女はポツリと言葉を吐き出した。
「『連れて帰る』って言われて―――」
そこで口を閉じ、言葉を探す彼女。
やがて一言。
「―――びっくりした」
………なるほど。
目を伏せ俺を見ない彼女の表情を探る。夜に活動することの多い退魔師なので夜目は利く。
彼女はわかりやすく感情を顔に出していた。
「………嫌だった?」
ズバリそう言えば迷うように黙っていた。が。
「……………うん」
ちいさく、肯定した。
「家に帰りたくない?」
直球でたずねる俺に彼女は目を伏せたままうなずいた。
「………もうあそこに帰っちゃいけないと、思ってる……」
「………そっか………」
どこか寂しそうに言う彼女。きっと『自分は「災厄を招く娘」だから』とか『迷惑かけられない』とか考えてるぞ。
でもまあ彼女を実家に帰すのは俺も反対だ。そんなことになったら一緒に暮らせなくなる。
俺は彼女と一緒に暮らしたい。
もう離れるなんて、できない。
だから、わざと明るく言った。
「貴女の帰るところは俺のところだもんね」
「約束、したもんね」
キョトンとして俺を見上げる彼女に「ね?」と念押しすれば、彼女はパカリと口を開けた。
ポカンとしていた彼女だったが、じわりじわりとその頬が染まっていった。
開いていた口を閉じた彼女は、それはそれはうれしそうに微笑んだ。
「―――うん」
染まった頬を両手ではさみ、彼女の額に自分の額をくっつけた。
「忘れちゃダメだよ」
「貴女の帰るところは俺のところだからね」
「絶対に俺のところに帰るんだよ」
しっかりと目を見つめ、言い聞かせる。
忘れないように。諦めないように。
そんな俺に彼女はうれしそうに目を細めた。
「うん」
「わすれない」
「がんばる」
愛しいひとは手を伸ばし、頬を包む俺の手にその手を重ねた。
「約束だよ」
「うん。約束」
どちらからともなく顔が近づく。唇が重なる。頬を包んでいた手は互いの背中に回された。
互いの霊力が循環する。互いのぬくもりが、抱き合う感触が互いの存在を主張する。主張しながらもひとつになる感覚に溺れる。
角度を変え、一瞬離れてはすぐ重ね、思う存分彼女の唇を堪能した。
ぎゅうぎゅうと抱き締めてキスの余韻に浸っていた。愛おしい。大好き。俺の妻。俺の最愛。もう離さない。ずっと一緒だ。
そう考えていたとき、ふと、現実的なことに気が付いた。
どこで暮らそう?
普通に考えたら鳴滝の俺ん家だよな。元々一人暮らしだし。部屋はあるし。ばーさんの結界が生きてるらしいから防犯的にも問題ないし。田舎だから高霊力とか気にしなくていいだろうし。
でもこのままこの離れに住まわせてもらうのも悪くないよな。彼女はもう慣れてるし。アキさん達もさみしくないだろうし。安倍家の用事するにも都合がいいし。
それで言ったら安倍家の敷地内に新しく家建てて暮らすのもアリだよな。この離れの近くで、黒陽と三人で暮らせる程度の大きさの家ならどっか建てられるんじゃないかな。
「現実問題、どうするのがいいかなぁ」
ポロリと落ちたつぶやきに彼女が顔を上げた。
「? なあに?」
かわいくたずねてくれるから正直に答えた。
「どこで暮らすのがいいかなー、って」
「? どこ?」
「うん」
意味がわからないらしい彼女に詳しく説明する。
「貴女と黒陽と三人で暮らすのに、どこがいいかな、って」
「………三人で………」
ポカンと復唱する彼女に「うん」と答え、さらに説明する。
「俺ん家で一緒に暮らすのと。このままこの離れで世話になるのと。どっか新しい場所に家を探すのと。
今考えられるのはこんなところかなぁ。
―――あ。宗主様のところに世話になるのもいいかもね」
「またハルやオミさんに相談してみようか」と言う俺に彼女がおずおずと話しかけてきた。
「―――トモさんは」
「ん?」
「今のおうちでなくても、いいの?」
ああ。俺の心配してくれてるのか。やさしいなぁ。かわいいなぁ。
愛しい妻にへらりと笑みが浮かぶ。
「俺はどこでもいいよ」
「貴女がいれば、どこでもいい」
そう。彼女がいてくれるならばそこが俺の家。俺の居場所。
どれだけ慣れ親しんだ場所でも彼女がいないのならば意味はない。
断言する俺に彼女は口を震わせた。
その口をきゅ、と引き結んだと思ったら生真面目に俺をまっすぐに見つめてきた。
「―――私も」
「私も貴方がいてくれたら、貴方のそばなら、どこでもいい」
―――天使!
そんな、そんなに俺のこと好きでいてくれてんの!? うれしい! 俺、愛されてる!!
感動にうち震えていたら彼女は俺から手を離し、自分の膝に乗せた。
「――私には、ね」
そっと目を伏せ、はずかしそうに、彼女は言った。
「貴方がいてくれるのが、何よりうれしいの。なによりのご褒美だと思うの」
そして意を決したように俺を見上げ、真摯に訴えかけてきた。
「貴方のそばにいられるだけで、貴方がそばにいてくれるだけで、うれしいの。しあわせなの」
か わ い す ぎ か ー !
なんだよソレ! 俺がご褒美とか! かわいすぎんだよくそう!
かわいいひとをぎゅうっと抱き締めて撫でくりまわす。
「俺も」
「俺も、しあわせ」
「貴女といられるだけで、貴女がそばにいてくれるだけで、しあわせ」
「なによりのご褒美」
俺の言葉に彼女は「えへへ」と照れくさそうに笑い、抱きついてきてくれる。かわいい。愛おしい。ずっとそばにいたい。一緒に暮らしたい。
「ずっと一緒に暮らそうね」
「うん」
かわいい彼女に勝手にふくらんでいく『願い』を口にした。
「朝起きたら貴女がいて。一緒に話して。一緒にメシ食って。一緒に寝て。
そうやって一緒に日々を重ねていきたい」
「楽しいこともうれしいことも。悲しいことも苦しいことも。
貴女と一緒に分かち合いたい。貴女と一緒に歩いていきたい」
俺の言葉に彼女は顔を上げ、それはそれはしあわせそうに微笑んだ。
「――それ、いいなぁ――」
「でしょ?」
フフン。と笑う俺に彼女も笑う。
ああ。いいな。しあわせだな。
「これからもそうしていこうね」
「うん」
「すぐに仕事終わらせるからね」
意気込む俺に彼女は途端に心配そうな顔になった。
「無理しないでね」
「……………」
………多少無理しないと彼女との時間が確保できないんだが………。
黙る俺に彼女はなにか察したらしい。
が、言っても無駄だと思っているのかそれ以上は言わなかった。
「私もがんばるね」
代わりのようにそう言って、ツイと顔を上げた。
キスしてくれようとしているとわかったけれど待てなくて俺から唇をついばんだ。
「がんばろうね」
「うん」
「一緒に暮らそう」
「うん」
「ずっと一緒だよ」
「うん。約束」
ベッドに横になって何度も約束を交わし唇をついばみ夢を語っているうちにいつの間にか眠りに落ちていた。