第二百二十話 目覚め
食事を終え歯を磨き彼女の部屋に入る。
暗い室内に苦しそうな息遣いがかすかに聞こえた。
そばに寄って顔をのぞき込むと愛しい妻が暗い中でもそれとわかる赤い顔で荒い息をしている。つらそうな彼女を見ていると俺もつらくなる。が、同時にそばにいられる喜びが全身を駆け巡る。
どれだけ疲弊しても、どれだけすさんでも、竹さんの顔を一目見るだけで癒やされる。
生きてる。それが確認できるだけで心底安心する。
竹さんはまだ熱が下がらない。苦しそうに眠っている。
それでもその頬をそっとなで、呼吸を感じるだけで癒やされる。
「竹さん」
返事はない。それでもいい。
彼女のぬくもりがある。生きてる。
それだけでいい。それだけで、満たされる。
「大好きだよ」
「ずっとそばにいてね」
勝手に気持ちを、願いを口にのせ、その唇に唇でそっと触れる。ああ。しあわせだ!
と、見つめていた彼女の瞼が動いた。―――起きる?
起こしたほうがいいのか起こさないほうがいいのか迷っていると、彼女は苦しそうに顔をしかめた。
そして。
ふ、と彼女が目を覚ました。
―――ああ。やっと逢えた。
目を開けた彼女に何故かそんなことが浮かび、胸をぎゅうっと鷲掴みにされた。
そんな俺を視界にとらえた竹さんはぼんやりしていた。が、次第に俺を認識したのだろう。弱々しくだが、ふんわりと微笑んだ。
やさしい微笑み。俺の好きな。
愛おしくて愛おしくて、そっと唇を重ねた。
ゆっくりと離れ、彼女と視線を合わせる。
彼女は俺が愛おしいのを隠しもしないその目を細め、やわらかく口角を上げた。
『……会い、た、かっ、……た』
声にならない唇の動きがそんなかわいいことを伝えてくれる。
愛おしさで胸が爆発しそうなのをなんとかこらえ「俺も」と答える。
ちゅ、と唇にキスを贈ると、うれしそうに、それでもはずかしそうに彼女は笑った。
か わ い す ぎ か !
かわいいが過ぎて死ぬ。
すかさず布団に潜り込み愛おしいひとにのしかかるように抱きしめる。彼女も俺の首筋に頭を擦り寄せた。
ああ。しあわせだ。
竹さんがいる。生きている。
抱き締めているだけでひとつに戻る感覚。
それだけで満たされる。元気になる。なんだってできる気がする。
ふと彼女の身体がまだかなり熱いことが気になった。
額は冷却シートがあるから首筋に触れる。やはりかなり高い。
「………熱、高いね」
指摘すると素直にうなずく彼女。
彼女の隣に寝転がり、腕枕をして抱き締める。
熱い頬の熱を吸い取るつもりで手を当てた。
「つらいでしょ」
「……………」
いつもなら抱きついてくれる彼女は身体を動かすのもつらいらしい。ただうなずき、俺に甘えて目を閉じた。
「そばにいられなくてゴメンね」
そう言うと彼女はゆるりと首を横に振り、やさしく微笑んだ。
「―――、ッ」
なにか喋ろうとした彼女が「コホッ」とむせた。苦しそうな様子にようやく水を飲ませることを思いついた。
あわてて起き上がりアイテムボックスから彼女のために常備している聖水を取り出しコップに注ぐ。
彼女の身体を抱き起こし俺にもたれさせ、背中を支えコップを口に当てた。
ゆっくり、ゆっくりと聖水を飲み、彼女は息をついた。
「大丈夫?」
「うん」
赤い顔でそれでも「あり、がと」と言ってくれる彼女が愛おしい。俺の妻、天使。
さらに思いつき、アイテムボックスからやはり常備している黒陽の作った氷を取り出した。
「竹さん」
小ぶりの氷を彼女の口に押し込む。冷たさに一瞬震えた彼女だったがすぐになくなったらしい。
「もう一個、どう?」
「ん」
もう一個氷を口に入れてやる。それも口内から消えたらしく「あ」「あ」と喉の調子を確認する妻。かわいい。
そうして俺にもたれたまま彼女は目を閉じた。まだ熱が高いのに無理させたか?
心配で頬に手を当てる。彼女はうれしそうに口角を上げた。
「トモさん、いなくても、がんばる」
「約束、した、から」
―――天使!
くそかわいい。愛おしい。爆発しそう。
愛おしいが天元突破しそうでぎゅうっと彼女を抱き締めた。
「好き」
「わた、し、も」
「がんばるね」
「わたし、も」
愛しい妻の唇をむさぼりたかったが彼女に負担をかけるわけにはいかない。触れるか触れないかくらいのバードキスを落とし、彼女を抱いて横たわった。
もう一個氷を彼女の口に含ませる。
そうしてぎゅうっと抱き締め霊力を循環させた。
「わかる?」
「うん」
「俺達はひとつだったんだよ」
「うん」
「俺が貴女の熱を吸い取るから。早く良くなってね」
言いながら頬に耳にとキスをし頭を撫でる。ああ。竹さんだ。生きてる。抱いてる。しわあせ。
そうやって構い倒しているうちに彼女はすうっと眠りに落ちた。どこか安心したような寝顔に俺も安心して、いつの間にか眠っていた。
翌日。木曜日。
「姫の熱が下がった」
迎えに来た黒陽が顔を合わせるなり言った。余程嬉しかったらしい。
「いつから?」
「今朝からだ」
朝様子を見に行ったら明らかに容態が良くなっていた。熱を計ったら三十七度台前半まで下がっていた。前夜までは四十度を行ったり来たりしていたのに急に熱が下がって、黒陽も蒼真様もアキさんも安心したという。
「ゆうべの聖水と氷が効いたかな」
そうつぶやけば「口から飲ませられたのか!」と驚かれた。
「やはりお前のおかげだな。ありがとうトモ」
生真面目に頭を下げる守り役に「いいって」と笑った。
飯を食いながら黒陽が教えてくれたところによると。
今日の彼女は昼前に目を覚ました。蒼真様特製栄養剤と解熱剤を口から飲んだ。それだけでも薬師と守り役が大喜びした。ハルが宗主様からもらったという桃をアキさんが冷やして一口サイズに切って出してくれた。甘く冷たい桃は彼女の口に合ったようで三口四口と食べた。
桃を食べただけで疲れた彼女はまた眠った。
微熱になったからか眠りも深くなったようで、夜までしっかりと眠った彼女はまた桃を食べ薬を飲んで寝たという。
「宗主様のところの桃か。それはなによりの薬だな」
「ああ。時間停止の箱に保管しておいてよかった」
なんでもこの前の『災禍』滅亡に伴う高霊力放出のとき『宗主様の高間原』にも高霊力を送るようにしたらしい。そのお礼としてハルが桃をもらってきたと。
宗主様のところの桃は『仙桃』と呼ばれている。甘くて果汁たっぷりで、『こっち』の高級贈答用の桃と比べても負けない美味さ。それだけでなく霊力もたっぷりと含まれている。蒼真様が「薬の材料にもなる」と言っていた。「桃そのまま食べるだけでも効果あるよ」とも。
これまでは高熱で意識がなかった竹さんには液体を直接胃に注ぐしか生命をつなぐ手段がなかった。蒼真様が治癒術をかけてもあまり効果はなく、それでもと毎日治癒術をかけてくれていた。一度は梅様も上級の術式を展開してくれたが熱は下がらなかった。
「『賢者の薬』の副作用だからかしら。超高霊力保持者の竹だからかしら」と梅様も頭をひねっていたが解決策は出ず、イザとなったら「『半身』を呼び出そう」と言っていたらしい。
そんな中、ここ数日、短時間とはいえ『半身』がくっついていたことで彼女は回復した。
薬が飲めた。水分補給と栄養補給ができた。桃が食えた。これなら今日よりも明日はもっと回復しているだろう。
「今日も頼むぞ」とよくわからない激励を受け、彼女の部屋へと向かった。
竹さんの部屋に入る。彼女は穏やかに眠っていた。黒陽の言うとおり熱が下がってよく寝ているようだ。
かわいいなあ。愛おしいなあ。
そっと首筋に手を当てて熱を計る。
まだ少し熱いが、微熱の範囲だろう。よかった。
とりあえず。
ベッドに上がり布団に潜り込み、彼女の横にころがる。
そっと腕を彼女の首の下に入れ、ぎゅうっと抱きしめる。
ああ。竹さんだ。
癒やされる。愛おしい。
抱きしめるだけでパワーがチャージされていくのがわかる。
このひとのためならなんだってできる。大好き。ずっとそばにいたい。ずっとそばにいてほしい。
抱きしめるだけでひとつに戻る感覚。
彼女のぬくもりが、香りが、俺を刺激する。
『半身』だと。唯一だと。
すうう、と彼女の香りを堪能する。ぬくもりを、やわらかさを満喫する。
生きてる。そばにいる。しあわせ。
耳に、頬にとキスをしまくる。頭も髪も撫でまくる。かわいくて愛おしくてとにかく触れていたい。生きていると実感していたい。
頭を少し動かして唇にもキスをする。鼻先に、閉じた瞼にキスをする。これまで逢えなかった分を補充する勢いであちこちキスしまくった。
そのせいか、彼女を起こしてしまった。
「んん…」とちいさく声をもらし、俺に抱かれているのに気が付いた彼女。
そっと顔を上げてきたので、目をあわせる。
「……ゴメンね。起こした」
「ううん」
彼女はしあわせそうに微笑んだ。
「起こしてくれて、うれしい」
「会いたかった」
――かわいすぎる。
きゅ。と抱きついて俺の胸にすりすりと頭をすりよせる彼女が愛おしくてたまらない。
なんだこのひとかわいすぎか。もう、これ以上好きになるとか、あるのか!
好きが過ぎて止まらない。
身体の中にエネルギーが充填されすぎて過剰放出されそうだ。
ぎゅ、と抱きしめてそっと顔をうかがう。
彼女はしあわせそうに俺にもたれかかっていた。
――しあわせかー!!
なんだコレ。こんなしあわせでいいのか!?
ああ。もう、しあわせが過ぎる。
抱き合っているだけでひとつに戻る感覚。
それだけで満たされる。元気になる。なんだってできる気がする。
ふと彼女の身体がまだ少し熱いことが気になった。額は冷却シートがあるから首筋に触れる。
「まだ熱があるね?」
指摘すると正直に「うん」と答える彼女。
「薬飲んでる?」
「うん」
「ごはん食べてる?」
「ごはんは、まだ。桃食べた」
「美味しかった?」
「うん」
かわいくて愛おしくて、頭を、頬をなでまわしながら質問を重ねる。
そんな俺に彼女はしあわせそうに微笑む。
「トモさんは? ごはん、ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
心配してくれるのうれしい。
「そばにいられなくてゴメンね」
そう言うと「ううん」と彼女はやさしく微笑んだ。
「トモさんにしかできないお仕事なんでしょう?」
「トモさんが私よりも、やるべきことを優先できるひとで、うれしい」
……そう言われるとちょっと後ろめたいけど……。
散々駄々こねた自覚があるので黙っていたら、彼女はクスクスと笑って俺の顎をツンとつついた。
「ウメボシ、できてる」
「……………」
かわいい手首をつかんで、その指先にキスをする。
ビクリと跳ねる手をつかんだまま、唇にもキスをする。
「……………ホントはずっとそばにいたいんだ」
ぎゅっと抱きしめて本音を暴露すると、彼女は「うん」と言ってくれた。
「私も、ホントは、そばにいてほしい」
「うん」
素直に本音を言ってくれるようになった彼女が愛おしい。かわいい。大好きだ。
「でも、貴方ががんばってるから、私もがんばらなきゃ、って、思うの」
「貴方に早く会いたいから、早く元気にならなきゃ、って、思うの」
『えらいでしょ』『褒めて』
そう言いたげな様子が愛おしくてたまらない!
もう、もうこのひとは!
「……………そっか」
そっと撫でる俺の手に頭を擦り寄せる彼女。かわいい。
「ありがと」
ちゅ。頬にキスを贈る。
「がんばって、えらいね」
唇にもキスを贈る。
うれしそうにしあわせそうに微笑んだ彼女は「うん」とちいさく答えた。
「トモさん」
「ん?」
「お仕事、がんばってね」
「うん」
「私も、がんばる」
「うん」
「早く元気になるね」
「うん」
愛しい妻をぎゅっと抱きしめた。
彼女も抱きついてきた。
俺の腕枕で、腕の中におさまる彼女。
しあわせすぎて叫び出したくなるのをなんとかこらえる。
「……俺が熱吸い取れたらいいのに」
ポツリとそうつぶやいたら、彼女はクスリと笑った。
「じゃあ私は、貴方のお疲れを吸い取るね」
そう言ってぎゅっと抱きつく。
かわいすぎか! 天使か!
そうしてふたりぎゅうぎゅうと抱き合いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
目が覚めたらスッキリと元気になっていた。
ホントに竹さんが疲れを吸い取ってくれたのかもしれない。
時計をみるときっかり一時間。
寝落ちる前に話してイチャイチャしてたから、実質寝たのは三十分といったところか。
それでもしっかりと充電されているのがわかる。
すやすや眠る彼女の呼吸も安定している。
そっと頬を撫で、唇を重ねてから起き出した。
――仕事なんかさっさと終わらせる! それで彼女と一日中イチャイチャするんだ!
気合を入れ、仕事に戻るべく部屋を出た。