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第三十九話 仁和寺門前にて 1

 金曜の夜はホワイトハッカーの仕事があった。


 いつものように仕事のあとの検討会と会社への報告をさっさと済ませ、三人でだべった。


 今日はそんなに大した相手じゃなかったこともあり、雑談まじりに仕事をし、そのまましゃべっていた。


 今日の話題はラーメン。

 東京在住のフジが昼メシにラーメンを食べに行き「どこのラーメンを食べようか迷った」という話から、それぞれ贔屓(ひいき)のラーメンの話になり、地元のラーメンの話題になり、即席麺のラーメンの話になったところでお開きになった。



「ふう」と一息つき、天井を仰ぐ。


 ………ラーメン食いたい。


 台所に下りてストックをあさる。

 ……ない。

 即席麺もカップラーメンもない。


 パスタはあったが、今食いたいのはこれじゃない。

 ラーメン。ラーメンが食いたい。


 時間は深夜一時をとっくに過ぎている。

 コンビニでラーメン買ってきて帰って食うか?

 ……面倒くさい。

 同じ出かけるのなら、店で食いたい。


 深夜営業のラーメン屋……。木屋町あたりならどっかやってるか? 京都駅まで出るか?


 夕方から降り始めた雨が激しく屋根を叩いている。

 春の嵐が吹き荒れているらしい。


 この雨じゃあ自転車は無理だな。

 歩き……。暗いから縮地使っても平気かな……。


 雨の中ラーメン食いにわざわざ出るか!? 馬鹿じゃないのか? さっさと寝ろよ!

 自分で自分にそうツッコミを入れる。

 でも食いたい。ラーメン食いたい。


 くそう。フジのせいだ。

 あいつが仕事中ずーっとラーメンラーメン言ってたせいでラーメン食わないと寝られない。


 ちょっと玄関を出てみる。

 どしゃ降りだった。

 これ、雨じゃないだろう。滝だろう。

 くそう。天気が俺の邪魔をする!


 諦めるか? パスタで手を打つか?

 ……無理!



 念の為の着替えと靴をアイテムボックスに、タオルと財布をリュックに詰めて背負い、覚悟を決めて自転車用の雨合羽を着、長靴を履く。

 傘は意味を成さないな。


「よし」とひとり気合を入れて大雨の中を飛び出す。

 バッと飛び出した途端、雨粒が機関銃のように叩きつけてくる!


 うおぉぉぉ! 寒いぃぃ!!

 ビシビシと雨粒が顔に当たる! 痛い!

 こんな天気の中走ってラーメン食べに行くとか、馬鹿じゃないか!? 諦めて寝ろよ!

 でもラーメン食わないと寝られない!


 進行方向に障壁を展開して雨風を防ぎつつ「ぐわあぁぁぁぁ!」と叫びながら縮地で駆ける。

 一瞬で仁和寺の山門が見えた。

 すぐさま通り抜けようとして――足が止まった。


 ドジャアァァァ!! と叩きつけるような雨の中、山門の階段にナニカいた気がした。

 気のせいか? とも思ったが、どうしても気になる。


 念の為気配を消し、そっと山門まで戻る。


 誰かが階段に座っていた。


 こんな深夜に、こんなどしゃ降りの雨の中座っているなんて――。

 幽霊か? それとも妖魔か?

 いぶかしく思いながらそっと気配を探る。


 ――ん? この気配は……


 もしやと思いながら、もう少し近づく。


 暗くてよく見えないが、天を仰ぐように座っているのは、着物の女性。

 この気配は。もしや。


 ドザアァァァ! 

 雨が激しく叩きつけ、水しぶきが煙のようにあたりに漂っている。


 その中にいたのは。


「――竹さん――?」


 山門前の石段に座っていたのは、竹さんだった。

 あわてて駆け寄るも彼女は俺に気付かない。

 あ。気配消してるからか。


 消していた気配を戻し、彼女の目の前にしゃがみ込む。

 正面から彼女の顔をのぞきこむ。

 竹さんだ。間違いない。

 でも、どうして? なんでこんな時間にこんなところに?


 竹さんはいつもの巫女のような服だった。

 頭の天冠と領巾(ひれ)は外した、着物に千早と袴姿。


 現実味がなくて、夢か幻のようで、両腕をのばしてそっと肩に触れた。


 触れられた。幻じゃない。

 彼女は肩の俺の手に反応することなくボーッとしている。


「竹さん……?」


 もう一度呼びかける。

 愛しいひとは俺の声にのろりと顔を動かした。


 じっと彼女を見つめる。

 彼女も俺をじっと見つめていた。

 が、よく観察すると、ただ俺のほうを向いているというだけで目に光がない。

 虚ろな目に、ぞわりと恐怖心がおこる。


 どうしたんだ。なにがあったんだ。なんでこんな目をしているんだ。

 まるで、世の中のすべての不幸を押し付けられたような。



 と、突然ハッと気がついた!

 肩! 冷たい!

 叩きつけるような雨にさらされているんだ。当然だ!


「竹さん!? なにしてるんです!?」

 俺の呼びかけにも彼女はボーッとして無反応だ。どうしたんだ!?


「と、とにかく、雨宿り! 屋根!」

 彼女の手を取り立ち上がり、ぐっと引く。

 その勢いに従うように竹さんがのろりと立ち上がった。

 それでも無反応な様子にゾッとする。

 なんで。なにが。


 言いたいことも聞きたいこともあったがぐっと飲み込み、彼女をお姫様抱っこで抱きかかえて山門の屋根の下で下ろす。

 とりあえず雨宿りはできた。


 ライトアップされた山門の中に入ると彼女の様子がはっきりと見えた。

 顔色が真っ白だ。

 いつもはサラサラの髪は水を含んで重そうになっている。


 ババッと雨合羽を脱ぎ捨て、背負っていたリュックも下ろす。

 中からタオルを取り出して彼女の頭にバサリとかける。

 そのままわしゃわしゃと頭を拭いてやる。

 髪がぐしゃぐしゃになるけど気にしていられない! 後回し!


 顔も拭いてタオルをはずすと、ぼうっとした彼女の顔に少しだけ血色が戻った気がした。


 服もびしょびしょだ。風の術で乾かすか?

 でも風あてたら風邪ひかないかな?

 しまったな。苦手なんて言わずに火の術もっと練習しとくんだったな。


 せめてもと肩にタオルをかけ、手櫛で顔にかかった髪をどけてやる。

 アイテムボックスからバスタオルを取り出してびしょ濡れになったタオルと替える。

 もう一度頭と顔を拭いて、タオルを肩に掛け叩くようにこする。


 どうする?せめて千早と袴は脱がせるか?

 それとも家に連れ帰って風呂に入れたほうがいいか?


「――大丈夫、大丈夫だよ」


 ゴシゴシと彼女をタオルで拭きながら、不安からそんなことを口にのせる。

 大丈夫。そう、大丈夫だ。

 なにがあったか知らないが、会えたから。

 あんなところでひとりで雨に打たれてる状況からは助けられたから。


 虚ろな彼女に涙が込み上げてくるようで、不安で喉が締め付けられる。

 ふといつもそばにいる亀の姿がないことに気が付いた。

 サッと辺りを見渡したがやはりいない。

 そう理解したら不安から腹が立ってきた。


 なにしてんだよ黒陽。守り役だろう!?

 あんなひとりで雨に打たれていたら風邪ひくだろう!? 守れよ! 連れて帰れよ!


 不安をごまかすように心の中で悪態をつく。

 バスタオルは水を吸って重くなってしまった。

 アイテムボックスから次のバスタオルを取り出してまた肩にかける。


「大丈夫。俺ん家に帰ろう。大丈夫」


 不安が消えない。

 ごまかすように「大丈夫、大丈夫」と繰り返し、彼女の頭を、肩を、腕をさすっていた。


 と。


 すうう、と、彼女の目に意思が戻った!


「……トモ……さん……?」


 ポツリと声が出たことに自分でも大袈裟だと思うくらいにホッとした。


「うん。トモだよ」


 よかった。意識が戻った。

 ホッとして、泣きたくなった。


 それをごまかすようにそっと頭をよしよしとなでる。


「どうしたんですか? なんであんなところに座ってたんです?」


 彼女はボーッとしている。覚えていないのか? なんにしても。


「とにかく、俺ん家に帰りましょう。風呂に入って温まらないと、風邪ひくから。

 転移できます?」


 彼女の転移が使えたら濡れなくてすむ。

 そう思ってたずねたのだが、口を開いた彼女は違うことを言った。


「……桜を、見にきたの」

「……桜?」


 うん。と、幼い子供のようにうなずく彼女。


「どこも散ってしまったけど、ここの桜は遅咲きだから、咲いてるかなぁって思って……」


 そこまで言って、へにょりと眉を下げる。


「……でも、みんな散ってたの……」


 まあそうだろうね。この雨だしね。

 昨日までは満開だったか散り始めだったはず。

 この雨で全部散ったろう。


 しかし、なんで急に桜が見たくなったんだ?

 しかもこんなどしゃ降りの夜に。


 まあなんでもいい。連れて帰ろう。

 転移は……無理か? なんかボーッとしている。

 仕方ない。障壁で包んで運べば、まだそこまで濡れないだろう。


「竹さん。俺が抱えて連れて帰りますよ?

 とりあえず、なんか服……」


 アイテムボックスにコートでも入っていなかったか?

 目を閉じて思い出していると、突然『ドン!』と衝撃がきた!


 驚いて目を開けると、彼女が抱きついていた!


 竹さんが! 俺に抱きついてる!!


 うれしいやらしあわせやらがブワッと立ち上がったが、すぐにシュンと冷静になった。


 おかしくないか?

 どうしたんだ?


 そっと彼女の肩を抱く。

 冷たい身体。かけているバスタオルも水を吸って重く冷たくなっている。

 それでも彼女をこの腕の中に包み込んでいるというだけで、胸がギュウゥゥゥ! と締め付けられる! しあわせな気持ちが身体中でぐるぐるしている!


 彼女もギュッと俺に抱きついている。

 かわいい。かわいい。

 かわいすぎてギュウッと彼女を抱きしめる。

 それだけでひとつに溶けるようで、しあわせでいっぱいになる。


 ああ。これが『半身』か。


 タカさんが、晃が話してくれていた。

『ひとつに戻るような感覚』

 ああ。まさに。ふたりの言ったとおりだ。


 抱き合うだけで欠けていた部分がカチリと戻ったような感覚。

 ひとつに溶け合う感覚。

 この人だと魂が叫ぶ。

 やっとひとつに戻れた。

 この人だ。この人だ! もう離さない!


 そんな感情が湧き上がり、ギュウッと彼女を抱きしめる。

 片手で彼女の後頭部を支え、俺の肩に押し付けるように抱きしめた。


「………で……」


 ふと、彼女の声が聞こえた。

 なんと言ったのかわからなくて抱く力をゆるめると、彼女は俺に抱きついたまま、もう一度言った。


「なまえを、呼んで」


 ――― か わ い す ぎ る か !


 愛おしいが過ぎて爆発四散しそうだ。

 かわいい! かわいい! なんだこのひと! 俺を殺そうとしているんだろうそうだろう!


「――竹さん」


 そっと愛しい名を呼ぶと、彼女は「うん」とちいさく答えた。


 かわいすぎる。


 なんだコレ。俺の妄想か? 夢か?

 俺、死んだのか? それでこんな幻を見ているのか?


 あまりにもしあわせで、あまりにも彼女がかわいすぎて、自分でもおかしいとわかるくらいおかしくなっている。


 それでも彼女が腕の中にいて、甘えてくれているとわかる態度で、しあわせで満たされてかわいくて、もう、叫びだしたい!


「竹さん」

「うん」


 甘えた、幼い子供のような受け答えがまた愛おしい。


「さがしてたの」

 俺の首元に顔を埋めたまま、ぽそりと彼女は言った。


「さがしてたの。ずっとさがしてたの」


 その言葉に、様子に、察した。

 彼女が抱きついているのは『俺』じゃない。

 前世の、前前世の俺だ。


 ハルが話していた。『半身』を探して眠っている間出歩いていたと。

 ずっと『半身』を探していたと。


 彼女は記憶を封じられているから『半身()』のことはわからないとも言っていた。

 眠っているから封印がゆるんだ?

 それとも、眠っているからこそ『半身』がわかった?


「ずっと会いたかったの。会いたかったの」


 甘えた声で一生懸命に訴える。

 かわいい。愛おしい。

 でもそれは『俺』に向けられたものではない。

 ツキリと胸に棘が刺さる。


 それでも愛おしくてうれしくて、抱く腕にさらに力が入った。

 彼女も俺の背に回した腕にぎゅうっと力を入れた。

 二人がひとつに交じるようで、彼女のかすかな熱を感じるだけで脳味噌がとろける。


 この人だ。この人だ! 魂が叫ぶ。

 もう離さない。ずっと一緒にいたい。

 強く強くそう感じて、さらにぎゅうぎゅうと抱きしめる俺に彼女は甘えるように顔をすり寄せた。


「ぎゅうって抱きしめて。大丈夫って言って。よしよしってなでて。がんばれって言って」


 甘えた声でそんなことをねだる。


「そしたら、がんばれるから」


 まるでちいさな子供のように。


「がんばるから」


 ぎゅうっと、俺に抱きついて。


「だから、言って。

 大丈夫って。がんばれって。

 言って」


 ――彼女が甘えているのは『俺』じゃない。

 わかっている。わかっている。それでも。


 それでも、『今』彼女を支えられるのは『俺』しかいない。

『俺』で彼女を支えられるなら。

 少しでも彼女が楽になるなら。


「――大丈夫」


 彼女が望むなら、いくらでも言ってやる。


「大丈夫だよ」


 彼女の支えになるなら。

 彼女が楽になるなら。


 俺でない男のフリをするくらい、大したことじゃない。

 彼女がそれで救われるなら、いくらでも道化を演じてやる。


「大丈夫。大丈夫だよ」


 彼女が『半身』にたくさんそう言ってもらっていたことが伝わってきた。

 彼女がその言葉を支えに長い時間がんばってきたことも。


 きっとつらいことがたくさんあった。

 苦しい気持ちもたくさんあった。

 それでもがんばってきたのは、『半身』の言葉があったから。

『半身』との思い出があったから。


 でも、こんなにがんばっているひとに『がんばれ』と言うのは、なんか違わないか?

 そう感じて、考えた。


「――竹さんは、がんばってる」


 考えて、そんなふうに言った。

 彼女は何も言わない。

 ただ、きゅっと、俺に抱きつく腕に力が入った。


 ダメ出しされなかったことに気を良くしてもう一度言った。


「竹さんはがんばってる」


 そっと、頭をなでた。

 抱いた肩がちいさく震えていた。


「がんばってるよ。だから、大丈夫」


 何度も何度も言葉を重ねた。

 少しでも彼女が楽になるように。

 彼女を支えられるように。

 祈りを込めて。


「俺もいるよ。だから、大丈夫」


「大丈夫、大丈夫だよ」


「がんばってるよ。大丈夫だよ」



 激しい雨は止む気配を見せない。

 煙立つほどの雨に、まるで世界中に俺達二人しかいないような気がした。


 二人だけで世界に取り残されたような気がした。

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