閑話 はるかかなたのひとつ星ー保志カナタと私ー 9(三上視点)
目が覚めてから「夢だったのかな」とぼんやり思った。
おかしな夢。『バーチャルキョート』が崩壊して保志が死んで『安倍家』なんておとぎ話みたいな存在が来て不思議なふたりになんかされたなんて。我ながら想像力豊かだわ。
そう思いながらいつものクセでスマホを手に取ると、メールもメッセージも着信も山と入っていて、ついでに通知欄には最新ニュースとして昨日あったことの続報がたくさん表示されていた。
夢じゃなかった!
飛び起きて支度をし、飛ぶように会社に向かう。そこから報告を聞き、目黒さんと話をし、佐藤くん達と打ち合わせをし、社内へ、社外へ報告をあげていく。あちこちに頭も下げる。次々に上がる報告を確認し、指示を出す。
夕方には目黒さんの息子さんも顔を出してくれて手が届いていなかったところを指摘してフォローしてくれた。
夜には目黒さんの息子さんと目黒さんと三人で近くの葬儀場へ行った。ちいさな部屋で保志の通夜を執り行った。保志は昨日社長室で見たときと同じ、これまでにみたことのない穏やかな顔をしていた。やっぱり篠原の社長さんにそっくりだと思った。
保志に身寄りはないから私がこのままついていようと思ったけれど、目黒さんの息子さんに止められた。「三上さんはとにかく休んで」「明日も大変だから」「休めるときに少しでも休んだほうがいい」「保志社長にはぼくがついています」
「なんでそこまでしてくれるのか」と聞けば「父の代わりです」と息子さんは笑った。
「ホントは父がついていたいみたいですけど、父は今手が離せないので」「なので、息子のぼくが代わりにつきます」「それで父の気が済みますから」
「なんで目黒さんがそこまでしてくれるのか」と問えば目黒さんはどこかさみしそうに笑って言った。
「友達だから」
その答えに、不思議と納得した。
翌日の葬儀には野村くんと芦原くんと佐藤くんも参列した。目黒さんと私の両親も入れた少人数のお見送り。世界的な存在にまでなった『バーチャルキョート』の開発者の葬儀としてはさみしいと思うけれど、現状で会社を止めることはできない。それにたくさんのひとが押しかけたら保志はいやがりそうな気がした。
せめてとお棺にこれでもかとお花を詰めた。「うっとうしい」「邪魔だ」って保志は怒るかもしれないけど、かまわない。保志が文句言うのはいつものことだから。
一緒に写真も入れた。保志の大事にしていた家族写真とあのお庭の桜の写真。あの世でご家族に再会して一緒にお花見を楽しめることを願って。
ちいさな箱に納まった保志を会社に連れて帰り、みんなに報告した。みんな保志の冥福を祈ってくれた。
六階のご家族のご位牌を安置している飾り棚に保志と保志の遺影を置く。
並んだ遺影に「やっとみんな一緒にいられるね」と不謹慎にも思えることをつぶやいた。
保志の葬儀を執り行ったことをあちこちに公表し。今後の方針を決めて公表し。保志の死亡にまつわる手続きもし。やることは次から次へと出てきた。保志の死を嘆く暇も悲しむ余裕もなかった。
葬儀の翌日にあたる土曜日から助っ人が来てくれた。目黒さんの息子さんと目黒さんの弟子というコウくん、そしてなんとあの日崎さん。
「私、『転生者』なんです」
日崎さんがこっそりと教えてくれた。
『転生者』なんてホントに存在すると思わなかった。きっと少し前の私だったら『胡散臭い』とか『思い込みが激しい』『おかしなひと』と思っていただろう。でもあの目黒さんの息子さんや安倍家の能力者だという不思議なふたりに対峙した今となっては『転生者』くらい『いても当然』という感覚になってしまっている。慣れってこわい。
「タカさんは今生の父の友人で以前から親しくしていたんですが、とあるきっかけで私が『転生者』だとバレてしまいまして。それからはタカさんの会社の事務やらなんやらの手伝いに駆り出されるようになりました。ちゃんとバイト代出してくれるからいいんですけどね」
「今回もタカさんからの依頼です。バイト代はタカさんからもらいますのでお気になさらず」
にっこり微笑むその表情は『頼りになる』としか思えないもので、まだ若い娘さんなのにすがってしまいたくなった。なるほど確かに『転生者』だと納得した。
ふと、思い出した。いつだったか前川さんから聞いた『自分のせいで死んだ』『頼りになる先輩』の話。若くして亡くなった、そのひとの名前は確か――。
『ひな先輩』
『ひな』
『日崎 雛』
「………もしかして、前川さんが言ってた……」
私のつぶやきに日崎さんはにっこりと作った笑顔を浮かべた。
「あの阿呆、なんか余計なこと言ってましたか」
「いえその」
何故か前川さんの身の危険を感じて濁したけれど日崎さんはそれはそれはイイ笑顔で「あいつシメる」とぼそりとつぶやいた。
『前川さんゴメンナサイ』と心の中で陳謝していたら、日崎さんは諦めたように話してくれた。
「……………お察しのとおり、その『日崎 雛』です」
「―――!」
「前川くんは前世で会社の後輩でして」
「タカさんの用事で出向いた先でたまたま遭遇して。で、色々あって、私が『日崎雛』だとバレました」
「まあ泣くわ怒るわ。しまいには『その後の自分の仕事を見ろ!』とか言って会社見学とデジタルプラネットの納品への同行を提案されまして。
ちょうどタカさんから『バーチャルキョート』の調査協力依頼を受けていたので、ホイホイとこちらにお邪魔したわけです」
「なるほど」と納得する私に日崎さんはニヤリと笑った。
「前世ではアラフォーで死にました。今生と合わせたら私の年齢はアラ還です。三上さんより年上です。見た目小娘ですが、遠慮なく頼ってください」
あまりの頼もしさに背負っていたものが一気に軽くなった。安心から情けなくエグエグと泣いてしまった私を日崎さんはやさしく励ましてくれ、その包容力にすっかり堕ちた。
そうして私の私設秘書みたいになった日崎さん。
とにかく頼りになる。一を言えば十の指示を出してくれ、雑多にくる報告をわかりやすく簡潔にまとめてくれる。愚痴を聞いてくれる。迷う私を叱咤し、励ましてくれる。私だけじゃない。社内のあちこちで日崎さんの信奉者が生まれていた。「新たな『日崎雛の伝説』が生まれたね」と笑う目黒さんを笑顔で睨みつける姿も頼もしいとしか思わなかった。
そんな日崎さんにべったりくっついて離れないのがコウくん。黒縁メガネのもっさりした青年。日崎さんの指示を受け小間使いのように働いてくれているけれど、基本日崎さんから離れない。結婚を前提にお付き合いしているそうで、日崎さんに男性が近づくのを必要以上に警戒している。
「ヒナは素敵な女性ですから」「いつ誰に惚れられるかわからない」
その気持ちはものすごくわかった。聞いた事務方の女性全員が深く深くうなずいた。ギロリと室内を見回すコウくんに独身男性だけでなく既婚男性までサッと顔を逸らせていた。「誰彼構わず威嚇すんな」と日崎さんに殴られたコウくんはニコニコしていた。お似合いのふたりにほんわかした。
保志の手続き関係で六階に行く。社長室では目黒さんの弟子のテンくんがパソコンにかじりついている。いつのぞいても鬼気迫る様子でキーボードを叩いていて、声をかけることもできない。
保志がいたときにはキーボードとモニタと水晶玉しか置いてなかったデスクには写真立てがこれでもかと並べてある。全部テンくんの奥さんの写真だと日崎さんが教えてくれた。
「奥さん私の友達なんです」「ついこの間結婚式をしたばかりなんですよ」
日崎さんが見せてくれたスマホの画面には、目の前の青年とはとても同一人物だと思えないやさしい笑顔のテンくんが穏やかそうな花嫁さんと見つめあっていた。
学生結婚とは。最近の子はすごいわね。
新婚さんなのに目黒さんにウチの仕事を押し付けられて機嫌がものすごく悪いから「声かけなくていいですよ」と日崎さんが言ってくれる。
だからいつも感謝と謝罪の気持ちを込めて頭を下げるだけで立ち去っている。
必要書類を探していたらアルバムをみつけた。つい手に取って開いてしまった。
幼稚園に入る前の私達が他の子供達と一緒にあのお庭で遊んでいた。かわいい。懐かしい。
あの頃は楽しいことばかりだった。篠原家の皆様があんなふうに亡くなることも、会社が無くなることも、考えることすらなかった。なにもかもが順調で、たのしくて、幸福に満ち溢れていた時代。
「懐かしい」こぼれた声にコウくんが首をかしげた。
「『懐かしい』?」
『どういうこと?』と顔中に書いてあるコウくんについ笑みが浮かんで答えた。
「これが保志。で、これが私」
「「え?」」
指差す私にコウくんも日崎さんも驚いた。
「え? これ、二歳くらいですよね!?」
「そうね」
「え? そんな昔からの知り合いだったんですか!?」
「そうなのよ」
なんだか聞いてほしくなって思い出話をした。父が怪我をして母が働かないといけない状況になり、祖母が勤めていた保志のお祖父様の会社に就職したこと。「カナタがいるから」と赤ん坊でも幼児でも連れて出勤させてもらっていたこと。仕事中は奥様とカナタくんママが母屋でカナタくんと一緒に面倒をみてくださっていたこと。幼稚園までは一緒に過ごしていたけれど小学校に上がってからは疎遠になったこと。毎年の篠原家のお花見では見かけていたけれど話をすることはなかったこと。
「高校で再会したときに声かけたんだけど、保志ったら全然覚えてなかったのよね」
「まだ子供だったからね。多分私のことなんて忘れちゃったんでしょうね」
多分保志は最後まで私がちいさいときに一緒に遊んだことを思い出すことはなかったに違いない。別に覚えていなかったことに苛立つことも薄情だとも思うことはない。私達が過ごした時期はあまりにも幼かった。覚えている私が記憶力がいいだけだろう。
そう言ったら、コウくんは私をじっと見つめ、じっと写真を見つめた。
「この子が、三上さん?」
幼い私を指差すコウくんに「そうよ」と答えた。
ショートヘアでオーバーオールを着た子供。ちいさい頃の私はしょっちゅうこけては両膝をすりむいていたとかで母は基本オーバーオールを着せていた。髪を短くしていたのは当時の女性アイドルにショートヘアが多く流行っていたから。
そんなことを話していたら、コウくんが「もしかしたら」とつぶやいた。
「もしかしたらカナタさん、この頃の三上さんを『男の子』だと思ってたんじゃないかな………?」
その言葉に――絶句した。
日崎さんまで「可能性は高いわね」なんて言う。
「え? だって『カオルちゃん』て呼ばれてたわよ確か」
「それって周りの大人が『カオルちゃん』て呼んでたからカナタさんも呼んでたんですよね?」
「この頃保志社長はなんて呼ばれてたか覚えてますか?」
え? そりゃ―――
「―――『カナタくん』とか――『カナタちゃん』、と、か―――」
自分で答えて絶句した! そうだ!『カナタちゃん』て呼ばれてた! 篠原の奥様は男の子でも女の子でも『ちゃん』付けで呼ぶ方だった! 他にも男の子に『ちゃん』付けで呼ぶひといた!
「――え!? 保志、私のこと忘れてたんじゃなくて!? 別人だと思ってたってこと!?」
驚く私に「その可能性があるだけです」と日崎さんが苦笑する。
「でも多分そうでしょうね。
幼い頃遊んだ『カオル』という名の『男の子』のことは、もしかしたら覚えてたかもしれないですね」
「保志社長に言わなかったんですか?『子供の頃篠原の家で遊んだよね』って」
「……………『幼稚園で一緒だった』ってしか、言ってない、か、も……………」
それからポツリポツリと言い訳じみた話をした。その頃はまだ篠原家を狙った『タチの悪いひと』があちこちでイチャモンをつけては問題を起こしていて、少しでも『篠原家に関わりがある』と思われるような言動をしないようにしていたこと。
元々篠原家の皆様から『自分達と関わりがあると思われないように』と頼まれていたこともあって、近所のひともお友達も元従業員も極力篠原家のことは口にしないようにしていたこと。
再会した保志にもなにも伝えていないこと。祖母と母が元従業員だったことも。あのお花見に私も参加していたことも。
「そういえば最近篠原家のことをあちこちで聞き回ってるひと達がいるって聞いた」
「あれってもしかして―――」
目黒さんの息子さんが言っていた。『バーチャルキョート』を調べるために『安倍家が多方面から調査をしていた』と。もしかしたらどこかで保志の祖父母である篠原の社長さんと奥様のことを知って調査のために聞き込みをしていたの?
言葉を口から出す直前でハッと気付きゴックンと飲み込む。あぶない。『制約』に引っかかるところだった。このふたりはあの場にいなかった。ナニが、ドコまでが『情報開示』に当たるかわからない。ふたりを巻き込まないためにも気をつけなくちゃ。
「三十年経った今でもその篠原家に親しかったひと達は少しでも『篠原家に関わりがある』と思われるような言動をしないようにしている、ということですか?」
口を閉じた私の様子に日崎さんが先回りして問いかけてくれた。安倍家の話はしなくてよさそう。よかった。
「じゃあ今言われた『最近篠原家のことをあちこちで聞き回ってるひと達』が手に入れたと思っている情報は『隠された』『正しくない』情報の可能性が高いですね」
「そうかも」
私の母と亡くなった祖母が元従業員と知って話を聞きに来たのかもだけど「『たいした付き合いはなかった』ってあまり話をしなかった」と両親言ってたし。私にはそんなひと来たことないし。
そう答える私にふたりは笑顔を作ろうとして失敗したような、どこか脱力した苦笑を浮かべていた。なんだろう?
と、フッとコウくんの表情が変わった。なにかに気が付いたみたいにハッとして、歳に不相応な穏やかな笑顔を浮かべた。
「きっと三上さんはカナタさんの『助け人』だったんだ」
「『助け人』?」
「そう」とうなずき、コウくんが教えてくれた。
「にっちもさっちもいかないほど困っているときに現れる、仏様やお地蔵様がそっと寄り添ってくれるように助けてくれる人のことです」
「困っているひとを助けるために神様仏様がそっと指し示してくれる『光』です」
それはまるで、我が家にとっての篠原の社長さんと奥様のようじゃない。
そうか。あの方々は神様仏様から遣わされたひと達だったのか。妙に納得。
「ただ、誰が『助け人』なのかは誰にもわからない。困っているひとにも、『助け人』本人にも。
そして『助け人』の差し伸べた手に気付けるかどうかもわからない」
コウくんの言葉に日崎さんも思案しながらうなずく。
「――『バーチャルキョート』を広めるために三上さんが『助け』になった。三上さんがいなかったら『バーチャルキョート』はここまでの存在になってないし会社もこんなに大きくなっていない。それは間違いない」
日崎さんにきっぱりと断言してもらえて嬉しいし誇らしい。がんばってきた三十年を認められた気分。
「そういう意味では三上さんは間違いなく保志社長にとっての『助け人』だった。きっとそのことは保志社長も自覚してたと思う」
そうかな。保志、そう思ってくれてたかな。
「単に『都合のいい』『おせっかいな』『便利屋』くらいにしか思ってなかったと思うけど」
苦笑で答える私にふたりは「そんなことないと思いますよ」と言ってくれる。そうかな。そうだと嬉しいな。
「でも、もしかしたら三上さんは『本当の意味』での保志社長の『助け人』になり得たのかもしれない。――あくまでも『その可能性があった』という話ですが」
日崎さんの言葉に、あの夜に聞いた話を思い出した。
あの夜に聞いた。保志は『ひとりで戦っていた』と。『他の人間を巻き込まないように外部との接触を完全に断っていた』と。
そんなところまで篠原の社長さんに似なくていいのに。
そして日崎さんの言葉が本当だったとしたら、私が保志を『悪しきモノ』とやらから助けられたのかもしれない。
あの夜の目黒さんの息子さんみたいな、不思議なおふたりのような、そんなチカラ、私にはないはずだけれど。
でも、もしコウくんと日崎さんの言うように私が保志の『助け人』だったのだったら。
私には、もっとできることがあったのかもしれない。
いつも胸に下げているネックレスにそっと触れる。保志のゲームを売り出すときからつけている、ちいさなちいさなダイヤモンドのネックレス。
かなしいとき。不安なとき。負けそうなとき。このネックレスに触れてパワーをもらってきた。
だからつい弱気になると無意識に触れてしまう。
私が保志を助けられなかった?
もっとできることがあった?
私がもっとがんばれば、保志を助けられた?
過ぎたことを悔やんでもどうにもならない。『あくまでも可能性』日崎さんもそう言った。それでも。
それでも。
「―――三上さんにとって保志叶多という人物はどんなひとでしたか?」
突然そんなことを問われて日崎さんに目を向けた。顔を上げたことでうつむいていたことに気が付いた。
「異性として『好き』でした?」
ズバリそんなことを聞かれ「そんなんじゃないわ」と即答した。
「保志を『異性』として――『恋愛対象』として意識したことは一度もないわ」
「一度も?」
「一度も」
「この頃も?」
そう言って写真を指差す日崎さん。「もちろん」とうなずき、ふと気が付いた。
これまで何度も聞かれた。親も親戚も友達も付き合った男も言った。「そんなに保志が好きなのか」「カナタくんと結婚したいの」
そんなんじゃない。私と保志の間に恋愛も親愛もない。保志は私を見ていない。私も保志を見ていない。私達が見ているのはずっとずっと先。同じ方向を見て横に並んで走っている。
かなた先にある輝くひとつ星。そこを目指して私達は走っている。
それだけ。それだけの関係。
でも、そうだ。
私と保志はこの頃からそうだった。
篠原家のあのお庭があの頃の私達の『世界』の中心だった。『うれしい』も『楽しい』もすべてあそこにあった。その『うれしい』や『楽しい』を感じるとき、いつも隣にカナタくんがいた。
あの頃から私達は同じ方向を見て横に並んで走っていた。そこに性別も恋愛感情もなく、ただただ『気の合う友達』で『同じ目標に向かう同志』だった。
一緒に笑い合える『友達』だった。
「―――私にとっては、保志はずっとこの頃から変わらない」
そっと写真に触れる。満面の笑みを浮かべた子供がふたり並んでいた。
「保志は―――カナタくんは」
「甘えん坊の甘ったれで。家族が大好きなお坊ちゃんで。楽しいことを見つける天才で。目標を決めたらそこに向かって黙々とがんばれる根性のある子で」
枯れ葉にダイブしたいと庭中の落ち葉を集めた。かまくらを作ろうと雪を固めた。周りの大人が手助けしてくれたおかげで完遂できたと今なら理解できるけれど、あの頃はふたりで真剣に取り組んだ。他の子達が飽きて投げ出してもカナタくんと私は最後までやり通した。
「頑固で言葉が足りなくて。ぶっきらぼうで自分のことしか考えない。協力とか協調とかとは無縁の人間」
「自分のやりたいことを押し通してやり通す人間」
そうだ。こんなちいさい頃からカナタくんにはそんなところがあった。「これがしたい!」と言い出し、ひとりで突っ走っていた。「おもしろそう!」と後を追った私が「これムリ」と他の子を巻き込み大人に協力を要請して完遂させていた。
なんだ。私、あの頃からずっとカナタくんの『やりたいこと』のサポートしてたんだわ。
屈託なく笑う子供達。楽しそうに。しあわせそうに。
はるかかなたのひとつ星を目指して。
「なにしても『ありがとう』なんて絶対言わなくて。いつも文句ばかりで。いつまで経ってもワガママで駄々っ子のままのお子様」
ぶすっと機嫌の悪そうな保志が浮かぶ。ホント手のかかる男だった。でも、どれだけワガママ言われても文句言われても憎めなかった。それって、なんで?
―――根っこに善良なお坊ちゃんがみえていたから。
―――単純に保志を気に入っていたから。
―――私にとって保志は。
「私にとって保志は、上司て同僚で仲間で」
ゲームを作った。会社を作った。ふたりでずっと駆けてきた。保志の指し示す未来に向かって。
「幼馴染でわがままな弟みたいな存在で――」
私にとってカナタくんは。
「―――ただの、気の合う友達」
「男も女も、恋も愛もない。利益も欲もない。ただただ同じ目標に向かって走ってきた同志」
「かなた先にある輝くひとつ星を目指して一緒に走りぬけた――ただの友達」
言葉にするとどこかスッキリした。
顔を上げ晴れやかに笑う私に日崎さんもコウくんも優しい笑みを浮かべた。
もしかしたら篠原家のお花見に行ったときに毎年もっと構いにいけばなにか変わったのかもしれない。もしかしたら高校で再会したときに『篠原家で遊んだカオル』だと言えばなにか違ったのかもしれない。そうしていたらきっと保志は『ひとりで闘う』ことはなかったのかもしれない。
もっと違う形で仲良くなれたのかもしれない。
もっともっと親しくなれたのかもしれない。
でも。
三十年前。あの安アパートの狭く薄暗い部屋で、保志は『未来』を見ていた。
今でも思い出す。あの興奮。あの昂り。
全身に鳥肌が立った。ゾクゾクと奮い立った。
あのとき、あの瞬間。自分はこのために生まれたのだと確信した。
保志の創り出すこの『世界』を世の中に広げるために生まれたのだと。この天才を活かすために生まれたのだと。
私は保志を活かし支えるために生まれた。
きっとそれは間違いない。保志の夢見ていた『世界』が世界中にこんなにも受け入れられていることがなによりの証。
そんな私を表すとしたら。
『補佐役』『右腕』『腹心』―――『助け人』
私は保志の『助け人』。
私が『助ける』ことで保志は駆け抜けた。
はるかかなたのひとつ星に向かって。
三十年、がむしゃらに走ってきた。ようやくここまできた。まだまだ先があると思ってた。
でも、保志はもっとがむしゃらに走ってたんだね。私達を守ろうとひとりで闘ってたんだね。私、気付かなかった。ゴメンね。
言えばよかったのかな。『篠原運輸で一緒に遊んだカオルだよ』って。ご家族の遺影に『お久しぶりです』って。納骨のときや法要のときに思い出話でもすればよかったのかな。
「―――これまでに三上さんが『篠原家で一緒に遊んだカオルちゃん』だと話す機会は何度もあったはずです」
まるで私の考えを見透かしたかのようにコウくんが言うからびっくりした。
「それが今日まで話さなかったのはきっと、神様仏様が『黙ってようね』って三上さんの口を押さえてたんでしょう」
「『ナイショにしとこう』ってカナタさんのご家族が言ったんでしょう」
「―――なんで、そんなこと―――」
思わずこぼせばコウくんが「多分」と答えた。
「カナタさんがどこで気が付くか、みてたんじゃないですか?」
「―――は?」
「『男の子だと思ってた思い出の友達が実はずっとそばで支えてくれてる女の子だった』ってわかったときのカナタさんの反応を楽しみにしてたんじゃないかな」
「そんな」
反射的にそう口に出していた。
「そんな、―――」
そんな、黙っていて反応を楽しむなんて―――。
「―――気の長い『ドッキリ』か!」
ツッコミを入れて、なんか納得した。そうだ。きっと神様仏様に遊ばれてたんだ私達。どこで保志が気が付くか。気が付いた保志がどんな反応するか。だって私だってみてみたい。私があの『カオル』だと理解したときの保志の顔を。
ああ。だから言えなかったのね。だから保志はひとりで闘うことになったのね。苦しんだのね。ああもう。納得しすぎて笑いが出ちゃうわよ。
頭を抱えたまま「なにそれ!」「そりゃ見たいけど!」とツッコミを入れながら叫びたいだけ叫び、笑った。
「絶対保志フリーズするじゃない!」「むしろ節穴でしょあいつ!」「こんなかわいいのになんで『男の子』だと思うのよ!」「思い込み激しいんだから!」
「ああ。あっちに突っ走っちゃったのも思い込み激しいからか。なるほど」なんて日崎さんがブツブツ言ってる。コウくんは騒ぐ私に声を立てて笑った。
「だから三上さんが『言えばよかった』とか『救えたかも』とか思うことないですよ。――三上さんは神様仏様や亡くなったカナタさんのご家族による『ドッキリ』のネタにされただけですから」
「……………そうかな」
つぶやけば「そうです」とコウくんがにっこり笑う。困ったようなその笑顔にまた納得して、なんか吹っ切れた。
「―――まあでも、きっと、保志が思い込みが激しい性格だからここまで来れたのよね………」
三十年、がむしゃらに走ってきた。ようやくここまできた。まだまだ先があると思ってた。
保志を支えることは私の生き甲斐だった。今ならわかる。
「保志を助けることが私の使命。保志の夢を叶えることが私の夢」
保志叶多は私の人生だった。きっと保志はまだまだ先をみていた。保志のみていた『世界』を見たかった。
「――もっと、もっともっと、一緒に走りたかったな――」
「走るんですよ」
こぼれたつぶやきに返事があり、驚いて顔を向けた。日崎さんがずいぶんと年上のような表情で私を見つめていた。
「まだまだ三上さんは走るんです」
「保志社長が亡くなっても『バーチャルキョート』は残ります」
「保志叶多の遺した『バーチャルキョート』を守り導くこと。それがあなたがこれからすべきことです」
「それが保志社長の『願い』です」
「あなたならできると。あなたなら託せると。
信じていたに違いありません」
「保志社長はあなたのココロのなかにいます」
「これからも一緒に走ってください」
やさしく諭され、なんだかココロが軽くなった。まるであの不思議なふたりが振りまいていたキラキラした光の粒が私に降り注ぐように感じた。
そっと胸を押さえてみる。あたたかい。なんだか太陽が宿っているみたい。
「……………そっか。保志はココにいるのか………」
私は保志の『助け人』。
私が『助ける』ことで保志は夢に向かって駆け抜けた。
はるかかなたのひとつ星に向かって。
「……………なら、これからも私が助けてやらないとね」
笑う私にふたりも笑った。
「そうですよ」
「まだまだやることはたくさんあります。しっかり走ってください」
発破をかけられ奮起した。