閑話 はるかかなたのひとつ星ー保志カナタと私ー 7(三上視点)
「――いくつか確認してもいいですか?」
佐藤くんの声にどうにか顔を上げる。
目黒さんの息子さんは変わらぬ穏やかな表情で「はい」と答えた。
「まず貴方が『安倍家の方』という証明をしていただきたいのですが」
失礼と取られてもおかしくない意見に目黒さんの息子さんは「ごもっともですね」とうなずいた。
「こちらを」と机の上に出されたのは一枚の名刺。『目黒 弘明』とだけ書かれたそこには住所も電話番号も所属もなにも書いてない。
目黒さんの息子さんが「佐藤さんなら発動できると思います」とよくわからないことを言う。
視線でうながされ、佐藤くんが「……失礼します」と名刺を手に取った。
「その名刺に集中してください。霊力を注ぐイメージで」
『霊力』? て、なに?
そう思ったのに佐藤くんにはなにか理解できたらしい。眉間に皺を寄せて手にした名刺をじっと見つめた。
と、突然名刺がポゥと光った!
びっくりした佐藤くんが机の上に落とした名刺には星柄が浮かび上がっていた。
五芒星――私でも知っている、安倍家の家紋。
唖然とする私達に目黒さんの息子さんは「これで証明になりましたでしょうか」とのんきに微笑んでいる。
「もっと霊力を注いだら伝達用の式神に変化します」
そう言いながら目黒さんの息子さんはもう一枚名刺を取り出した。と思ったらその名刺があっという間に白い小鳥になった!
額に五芒星をつけた小鳥は目黒さんの息子さんの指に止まった。
目黒さんの息子さんが反対の手の指をパチンと鳴らした次の瞬間には小鳥は元の名刺に戻り、ハラリと机の上に落ちた。
なにが起こったのかわからない。
わからないけれど、信じられないことが目の前で起こったのは理解した。
そんなことができるのは―――伝説の―――。
信じられない気持ちで目黒さんの息子さんの顔を見つめる。芸能人ばりにハンサムな青年はニコニコと穏やかな微笑みを浮かべていた。
「……………マジシャンでも同じことはできます」
「ですよねえ」
絞り出すようにそう言いにらみつける佐藤くんを私がたしなめるより早く目黒さんの息子さんはへらりと笑い同意する。
「では、これでどうでしょう」
そう言って目黒さんの息子さんが手のひらを上にして腕を伸ばしてきた。
なんだろうとその手のひらを見つめた。綺麗な顔に似合わない、皮の厚そうな手のひらだった。
それは突然だった。
なんの予告もなく、目黒さんの息子さんの手のひらの上に水の塊が現れた!
ソフトボール大の球体が私達の目の前でゴポリゴポリと揺らぎながらみるみる大きくなっていく!
「「えええええ!?」」
「「うわあぁぁ!!」」
容れ物なんてないのになんでこんな塊が保ててるの? ていうか、どこから出たの!? 今の今までなにもなかったのに!!
驚く私達と違い目黒さんの息子さんだけでなく目黒さんも平気な顔をしている。
人間ひとり入れそうなほどにまで大きくなった水塊は目黒さんの息子さんの手の動きに従ってポヨンと動き――。
「!」
「佐藤くん!」「佐藤!!」
あっと言う間もなく佐藤くんを飲み込んだ!
それだけでなく、水塊は佐藤くんごとプカリと浮き上がる。水塊の中の佐藤くんが苦しそうにもがいている! ゴポゴポと口から空気の泡が漏れる!
助けようと芦原くんが水塊に手を突っ込もうとしたけれど、ゼリーのようにグニャンと動くだけで手を入れることができない! 野村くんも、私も水塊の表面をペチペチと叩くことしかできない!!
このままでは。このままでは佐藤くんが!!
パチン。
指を鳴らす音がしたのと同時に水塊が消えた。
さっきまでのが夢だったんじゃないかというくらい呆気なく。
ソファにドサリと落ちた佐藤くんはゲホゲホと咳き込んでいる。「佐藤!」芦原くんと野村くんが両側から佐藤くんの背中をさすっている。
パチン。
次の瞬間にはずぶ濡れだった佐藤くんの身体もソファも綺麗サッパリ乾いていた。まるでさっきまでのことなんか無かったかのように。
おそるおそる振り返り、佐藤くんから目黒さんの息子さんへと視線を動かした。
茶髪のハンサムな青年はニコニコとしたまま私達の視線を受けていた。
「手荒な真似をしてすみません」
そう言う青年はあくまでも穏やかな表情を崩さない。――つまりは彼にとってこの程度のことは『大したことではない』ということ―――。
―――ゾゾゾゾゾ―――ッ!
得体の知れない存在に、鳥肌が立った。本能的な恐怖が全身を襲う。
これが、『安倍家』。
じゃあ、さっき聞いた荒唐無稽な話も全部、本当――?
――なにか言わなきゃ。なにか。――なにを?
震える手を動かそうとするけれど指一本動かない。口も動かない。呼吸が浅くなる。
と、佐藤くんがヨロリと立ち上がり、深々と頭を下げた。九十度の最敬礼だ。
「……………大変、失礼を致しました」
「イエイエ。こちらこそ手荒な手段を取ってすみません」
目黒さんの息子さんも立ち上がってお辞儀をする。こちらは四十五度の最敬礼。綺麗なお辞儀だとぼんやり思った。
「ご納得いただけましたか?」の質問に「はい」と佐藤くんが答える。
「大変失礼致しました」と重ねて謝罪する佐藤くんに目黒さんの息子さんは「イエイエ」「当然の疑問かと」と鷹揚に答えている。きっとよくある質問なんだろう。
目黒さんの息子さんがソファに座るのにつられるように全員が再びソファに座る。
チラリと目黒さんに目を向けた佐藤くんが息子さんにたずねる。
「……………目黒さん――お父様も安倍家の関係者なのですか?」
それに対して答えたのはやっぱり目黒さんの息子さんだった。
「誰が安倍家の者かを明かすことは許されておりません。
ぼくが申し上げられるのは、父は『能力者ではない』ということだけです」
「……………それにしてはかなりの霊力をお持ちのようにお見受けしますが……………」
「おわかりになりますか? ――さすがは『藤家』の方ですね」
よくわからないことを口にしながら目黒さんの息子さんはニコニコと微笑む。佐藤くんは「………ご存知でしたか……」とつぶやいて、困ったみたいに眼鏡を押し上げた。
「こんな規格外の息子を持ったせいで、父もこんなになっちゃいました」
「あははははー」とのんきに笑う青年の話を理解できない。でも佐藤くんにはなにか納得できるものがあったみたいで苦笑を浮かべていた。
「………『姫』様と『守り役』様が実在するとは、正直思いませんでした……」
佐藤くんのため息まじりのつぶやきに目黒さんの息子さんは「一応ナイショにしといてくださいね」と茶目っ気たっぷりに人差し指を唇に当てた。
「………それって、アレですか?
『不思議なチカラで京都を守ってくれてる』っていう、ちいさな女の子と黒い亀の……」
おずおずと発言する芦原くんに目黒さんの息子さんは「ご存知でしたか」とあっさりと認めた。
「母が『曾祖母から聞いた』と」
「あー」とどこか納得したように苦笑を浮かべた目黒さんの息子さん。
「思ってた以上に広まってる可能性がありますねぇ」なんてため息を落とした。
「その『姫』様と『守り役』様の手によって、保志社長に取り憑いていた『悪しきモノ』は消滅しました。
その消滅時に霊力が開放され、上空の大気に影響を与えてしまい、結果桜の花びらの形をした雹が降ったというわけなんです」
あの桜の花びらが『上空の大気が不安定になり局地的に降った雹』で『偶然桜の花びらに似た形だった』というのはお昼のニュースで解説されていた。こんな真夏には『よくあること』だと。
霊力がどうとかいう話については私には理解できないけれど、芦原くんと佐藤くんは「なるほど」なんて納得している。野村くんはただただポカンとしているから私と同じで理解が追いついていないんだろう。
「ゲームの『バーチャルキョート』で桜が降ったのは保志社長の発案だそうです。『子供の頃の思い出を再現したかった』とおっしゃっていたそうです」
その説明は納得できた。あの篠原家の桜がすぐに頭に浮かんだ。
「ですので、現実に桜の花びらの形をした雹が降った件は、デジタルプラネットも『バーチャルキョート』も無関係、単なる偶然だとご説明いただければと存じます」
目黒さんの息子さんの説明に「わかりました」と四人で了承する。
「システム崩壊は保志社長の手によるものです」
目黒さんの息子さんの言葉に反応できない。
保志が? 壊した? あんなに手塩にかけて作った『バーチャルキョート』を、保志が?
「なんでそう言い切れるんですか」
「安倍家の能力者が保志社長のご遺体に遺っていた残留思念を読みました」
佐藤くんの問いかけに目黒さんの息子さんはあっさりと答えた。
そんなことができるのかと驚いているのは私と野村くん。佐藤くんと芦原くんはなんか納得してる。
「検死のときですか」と佐藤くんが質問すれば「そうです」と目黒さんの息子さんが答える。
そのまま目黒さんの息子さんは話を続けた。
「身体を乗っ取られていた保志社長は、『悪しきモノ』が『バーチャルキョート』のシステムに干渉していたことを知っていました。今回のバージョンアップで二百人を『異界』に連れて行ったことも、これまでにたくさんのひとの生命を奪ったことも」
「父と日崎さんと話を終えて一眠りした保志社長は、目が覚めてそのことを思い出しました。
そしてシステムを確認し――『悪しきモノ』が忍ばせている陣が消えていないことに気が付いた」
「陣をそのままにしていてはまた誰かが『異界』に連れて行かれて殺される。そう考えた保志社長はどうにか消去しようと最後まで足掻いたようです。でも保志社長をもってしてもそれはできなかった」
「このまま『悪しきモノ』に『バーチャルキョート』を利用されるくらいなら――これ以上生命を奪われるくらいなら、『利用されないように壊してしまおう』と、システム全体を一度崩壊させることを選択したそうです」
「社長がシステムを壊しても、父がいれば修復は可能だと信じて実行した、と」
『ね』というように目を向けられた目黒さんが私達に向けうなずいた。
「システム崩壊を止めたあと、確認しました。
『悪しきモノ』が忍ばせていたというシステムは残っていません。
カナタがUSBに情報を入れてくれていたので確認できました」
「こちらです」とUSBを出されたけれど私達にはどうしようもできない。
目黒さんもそれはわかっているらしい。「確認されますか?」と問いかけられたのは野村くん。
その野村くんはじっとUSBをにらみつけていたけれど、結局は横に首を横に振った。
「目黒さんが『ない』とおっしゃるならそうなんでしょう」
「ないものがあるかを探すよりも、今は一日でも一時間でも早くシステムを復旧させるほうが重要です。――ですよね」
「おっしゃるとおりです」と目黒さんはUSBをポケットに戻した。
「オレは最後まで協力します」
「カナタの遺した『バーチャルキョート』を元通りにする。カナタが作ったものよりも強い防御システムを搭載させる。
崩壊前よりもいいシステムにして、カナタに『どうだ! まいったか!』って自慢してやりましょう」
「ニヒヒッ」と笑う目黒さんに野村くんも泣き笑いで応える。
「やる気になるのはいいけど、無茶はしないでよ」
呆れたようにため息を落とした目黒さんの息子さんが目黒さんに目を向ける。
「父さんが倒れたら母さんが泣くよ?」
「それはまずい」
一瞬前までの笑顔を消して真顔でそんなことを言うからおかしくなって笑っていたら「皆さんもですよ」と息子さんにたしなめられた。
「皆さんはデジタルプラネットの『柱』なんですよ?
確かに今は無理をしてでも踏ん張らないといけない時期ではありますが、無茶をしすぎて倒れては本末転倒です。
しっかりとごはんを食べて、少しでも横になって寝てくださいね」
にっこりと微笑んでそんなことを言ってくれるから、じぃんと胸を打たれた。
芦原くんが両手を組んで「おかん……!」とつぶやいた。ホントね。このコ立派な青年なのにおかんくさいわね。お昼ご飯も夕ご飯もこのコが社員食堂に指示を出してくれて食べやすいものになってたし「手の空いたひとからどうぞ!」なんて声をかけてくれたし。
芦原くんのつぶやきに同意の首肯をする私達に目黒さんの息子さんは「ゴホン」とわざとらしい咳払いをし、にっこりと微笑んだ。