閑話 はるかかなたのひとつ星ー保志カナタと私ー 5(三上視点)
廊下に出るとすぐにエレベーターの扉が開き、救急隊が来た。
「こっちです!」と保志の前に案内する。
心臓マッサージを続けてくれていた黒髪の青年と救急隊のひとりが交代した。別のひと達は声をかけたり脈を取ったりしている。
私はそれを見守るしかできない。
見守りながら両手を握り合わせ、神様仏様に必死にお祈りした。
どうか、どうか保志を助けてください。
こんな急に死ぬなんて。嘘だと言ってくたさい!
やがて救急隊のひと達は顔を見合わせ、首を振った。
「――残念ですが」
残念? なにが?
なんで? なんで?
ガクリと膝が崩れた。
目黒さんの息子さんが支えてくれて倒れることはなかったけれど、足に力が入らない。
そのまま支えられながら床に座らされた。
「なんで」
ポロリともれた言葉に救急隊は答えない。「警察に連絡する」と言う。
その救急隊に目黒さんの息子さんがなにかを耳打ちした。途端に気配を変える救急隊に目黒さんの息子さんは黙ってうなずいた。
「三上さん」
声にどうにか顔を向けると、目黒さんの息子さんが真剣な顔を向けていた。
「これから警察が来ます」
「……なんで」
ポロリと言葉がこぼれた。
なんに対する疑問か自分でもわからない問いかけに目黒さんの息子さんは丁寧に答えてくれる。
「医師の立ち会いのない死亡については、事件性がないか念の為に警察が調べるんです」
「別に『誰かに殺された』とか『事件性がある』というわけではありません。他の方の場合でも、誰がどう見てもご高齢で亡くなったとわかる場合でも、同じようにします」
「諸々の手続き上必要な調査をするだけです。ご安心ください」
「そちらの対応はぼくにお任せください」
なんでそんなことをいってくるのかと呆然とする頭で思った。
それでも自信に満ちた表情に「よろしくお願いします」と頭を下げていた。
穏やかに微笑んで「お任せください」と言ってくれる青年に、不思議なくらい安心感を抱いた。
このひとなら大丈夫。このひとなら任せられる。なんだかそう感じて、同時にこのひとならこの疑問も不安もぶつけても大丈夫だと思えた。
他のひと相手だったらきっと『甘えちゃ駄目だ』と自制することも『このひとなら大丈夫』だと思えるのが不思議だった。私よりずっと若いのに。たった今初めて会ったばかりなのに。
「―――保志は―――死んだの―――?」
「―――はい」
「―――なんで―――?」
「―――詳しくはまた後程。今は『バーチャルキョート』がお忙しいでしょうから」
目黒さんの息子さんは優しく微笑んだ。
「現場検証が終わったら保志社長のご遺体は検死に向かいます」
「なんで」
「これも特別なことではありません。先程申し上げました『諸々の手続き上必要な調査』のひとつです」
「何故亡くなったのか、事件性はないか、念の為に調べるだけです」
穏やかに説明してくれる目黒さんの息子さん。
けど、ひとつの言葉が引っかかった。
「保志は」
「保志は、どうして死んだの?」
「―――後程ご説明します」
目黒さんの息子さんは変わらない調子で穏やかに答えてくれた。
その穏やかさがごまかされているように感じて、彼に食ってかかった。
「なんで今じゃ駄目なの?」
「言えないこと?」
「私に言えないこと?」
「なにかあるの?」
肩をつかんで問いかける。
無礼な私の手を目黒さんの息子さんは優しく肩からはずし、そのまま両手で包んでくれた。
「―――今は、警察の調査前です」
「死亡診断書が出ましたら、ご説明します」
『死亡診断書』
現実的な単語に、本当に保志は死んだんだと突き付けられた。
「―――だって」
首を振ってポロリとこぼす。
「だって、さっき、電話で話して」
「―――なにを話されましたか?」
「―――『目的はついえた』って」
「『じゃあな』って」
そうだ。『じゃあな』って言った。
まるでお別れするみたいに。
「―――『ありがとう』、って」
ボロリと、言葉が落ちる。
「『私の好きにしたらいい』って」
ボロボロと言葉がこぼれる。
なんで。なんで。なんで。
勝手に震える手を目黒さんの息子さんはしっかりと握ってくれた。
その力強さに甘えて彼にすがりついた。
「なんで」
「なんで」
「なんで保志は死んだの?」
「なんで『ありがとう』なんて言ったの?」
「三上さん」
目黒さんの息子さんに訴えていたら日崎さんが声をかけてきた。
どうにか顔を向けると日崎さんは厳しい顔をしていた。
「しっかりしてください」
「この窮地を乗り越えるためには貴女が必要です」
「『バーチャルキョート』が無くなってもいいんですか?」
その言葉にハッとした。
そうだ。『バーチャルキョート』は今もデータ消失の危機にさらされているんだった。
「貴女にしかできません」
「貴女が守ってください」
「『バーチャルキョート』を――保志叶多の創り上げた『世界』を、守ってください」
日崎さんの言葉が道筋を示す。やるべきことを示す。
そうだ。今は『バーチャルキョート』と会社を守らなきゃ。保志がいないなら尚更、私がやらなくちゃ!
目黒さんの息子さんが私の手を離した。『もう大丈夫』と思ってもらえたのかもしれない。
まっすぐに日崎さんに向き直る私に日崎さんは強い眼差しで指示を出した。
「急いでください」
「マスコミ各社には『謎のサイバー攻撃を受けている』と説明してください。現在対処していることも」
「復旧するまではログインしないよう改めて周知徹底してください」
うなずく私に日崎さんもうなずく。そしてさらに指示を出す。
「実際に桜吹雪が降ったに関してはデジタルプラネットは無関係を貫いてください。デジタルプラネットが計画し実行したのは『バーチャルキョート』の中の桜吹雪だけ。実際に桜吹雪が降ったことには関与していないと――『偶然』だと説明してください」
「保志社長のご遺体が戻ってくるまでにはそちらもある程度の目処がつくと予想します」
「そのときにはすべてお話できるはずです。――ですね?」
日崎さんに目を向けられた目黒さんの息子さんがうなずいた。
日崎さんの言葉に嘘はないと信じられた。
だからしっかりと日崎さんの目を見つめてうなずいた。
そんな私に日崎さんはふっと表情をゆるめた。
「『貴女の好きにしたらいい』というのはきっと『自分が死んだあとはすべて貴女に任せる』という意味です」
日崎さんの言葉を理解しようと何度も頭の中でつぶやいてみる。
そんな私に日崎さんはさらに続けた。
「貴女は保志社長に信頼されているんです」
「たとえどんなことが起きても、システム消失なんてことが起きても、貴女がいればデジタルプラネットは持ちこたえられると。『バーチャルキョート』は守られると」
「貴女ならば『新しいバーチャルキョート』を善く運用してくれると。『生まれ変わったデジタルプラネット』を善く導いてくれると」
「貴女は『保志叶多のすべてを預けるに足る人物だ』と、信頼しているんです」
「だから貴女に電話をかけた」
「『最後』を頼むために」
その目に。気配に。
励まされる。鼓舞される。
私は『保志叶多が信頼する人間』。『保志叶多のすべてを預けるに足る人物』。
『天才』保志叶多の創った『世界』を守らなければ!
私が『バーチャルキョート』を導かなくては!!
コクリとうなずく私に日崎さんはニヤリと笑った。
その雰囲気がなんだか随分と年長の格上の人物のように感じて、思わずまばたきを繰り返した。
「―――さあ。話はあとです!
今は『バーチャルキョート』を守ってください!」
そう明るくけしかける日崎さんは見た目通りのお嬢さんで、さっきのは気のせいだったのかなと思った。
そんな私に「急いで!」と発破をかける日崎さんに「はい!」と答え、私はその場を飛び出した。
それからは無我夢中だった。
鳴り響く電話に対応し、取材に応対し、あちこちに指示を飛ばした。
どうにかその日の明るいうちにシステム崩壊は止められたけれど、その影響は大きかった。
謝罪に謝罪を重ねた。ホームページでもテレビラジオでももちろん対面でも謝罪をした。再発防止策は目黒さんが作ってくれた。システム復旧も目黒さんが中心になってくれた。どうにか目途が立ったのはもう夜中だった。それでもその日のうちにここまで持ってこれたのは優秀だと言えるだろう。それもこれも目黒さんのおかげ。あのひとがいなかったらなにもかもが後手後手にまわっていただろうことは想像に難くない。
そんな目黒さんから「話がしたい」と声をかけられたのはもうすぐ二十三時になろうという時間。
なんの話かと聞けば「カナタの死因と遺言について」と言う。
そんなことを言われたら眠いとか疲れたとか言っていられない。
「明日にしますか?」と聞かれたけれど「今から行きます」と答えた。