閑話 はるかかなたのひとつ星ー保志カナタと私ー 3(三上視点)
「大学進学しない」「ゲーム一本で食っていく」
そう宣言した保志に会社設立を提案した。
そうして生まれた『デジタルプラネット』。
『保志=ほし=星=プラネット』という安直なネーミングをつけたのは私。当の保志は「好きにしろ」とどうでもよさそうだった。
保志の自宅で保志と私のふたりだけで始まった会社は少しずつひとが増え、広いところに引っ越すことになった。
それまでのアパートはそのまま保志の自宅として残して会社の部屋なり建物なりを借りる案も出たけれど、保志が「おれは自宅から出ない」と宣言して聞かなかった。なので、新しく借りた部屋を自宅兼会社事務所兼作業場とした。
その頃はまだ一緒に食事を摂っていた。
放っておくと保志は食事を摂らないから私が食事を用意した。保志以外はみんな通いで最初は各自で食事を用意していたけれど「一人分もみんなの分も変わらないから」と三食みんなで食べていた。
そこも手狭になり、保志が「スパコンが欲しい」といい出したこともあり、新しく自社ビルを建てることにした。
どこがいいかと土地を探す。
私にはひとつ候補があった。
昔、篠原家と篠原運輸があった場所。
近所では『呪われた土地』扱いになっていた。更地にされて以来誰も買い手がつかず、不動産屋も処分に困っていた。だからだろう。思っていたよりは安かった。
保志はそこがどうなったのか、知らなかったらしい。
野村くんに勧められて土地を見にいったとき。
保志はただ立っていた。
あの池も家も桜の木も無くなった、ただの更地の真ん中に立ったまま、保志はなにも言わなかった。
その背中に、迷子の子供のようだと思った。
私達は二十代半ばになっていてどこからどう見ても大人なのに、怒りもかなしみも表に出さずただ黙って立っている保志の背中はあの頃のちいさなカナタくんを思い出させた。
いくつか候補地を挙げたけど、保志が選んだのは当然というかあの元篠原家の土地だった。
「社長がこういうことに口を出すなんて、意外ですね」芦原くんが言った。
「いつも三上さんに任せきりなのに」
そうね。いつもなら「お前の好きにすればいい」って投げてきてたわね。今回も最初はそうしたのよ。
でも候補地のひとつがあの場所だと理解した途端に顔付きが変わったの。「ここがいい」ってすぐに言ったの。
それだけ保志にとってあの場所は大切な場所だったの。もちろん私にとっても。
幸福が詰め込まれた、今にして思えば夢のような場所だった。世の中の綺麗なものと善いものを詰め込んだような場所だった。保志――ううん、カナタくんにとって、『世界』のすべてだったの。
――そんな場所が手に入ったのもなにかの『お導き』かもしれない。
あの善良な方達が、カナタくんを慈しみ愛していたあの方達が、カナタくんのためにあの場所をくださったのかもしれない。
カナタくんのために。
カナタくんの『夢』のために。
幸福が詰まっていた場所から『世界』にむけて『未来』を発信する。
はるかかなた先にある、輝くひとつ星に向かって。
「珍しく保志が決めたんだから、間違いなくいい場所だわ」
そう言うと芦原くんも佐藤くんも他の事務方も笑った。
「新社屋になったらますます忙しくなるわよ。さあ! 今のうちにできることはやってしまいましょう!」
発破をかけるつもりで発した言葉だったけど、本当に新社屋に移ったら大忙しになった。
パワーのあるスパコンを何台も入れたことでできることが増えたらしく保志が次々と計画を出してきた。そのなかの最たるものは『オンラインで「バーチャルキョート」を展開する』というもの。
その頃はまだ夢物語でしかなかったそれを実現可能にするシステムを出してきた保志は、それを支えるために必要な環境を求めてきた。
あちこちと調整し、調査をし、共同研究や開発の根回しや下準備をした。展開できると断言できるようになってからは広報活動やマネジメントに大忙しになった。
満を持して始まった『オンライン版バーチャルキョート』は大好評。私達は大成功に喜んだのに保志は「当然」という姿勢を崩さなかった。保志はさらに先を見ていた。
「もっと『現実世界』と同じにしたい」
「本物の京都よりももっと京都らしい『キョート』にしたい」
スパコンをさらに増やした。新しく開発されたそれを並べ、保志はさらに先を見る。
「もっと近づけなくては」「もっと」「もっと」
まるでなにかに取り憑かれたように、生き急ぐようにのめり込む保志に、時々こわくなった。
「ごはん食べなさい」「ちゃんと夜寝てるの?」声をかけるけれど「うるさい」と一蹴されてしまう。
それでもしつこく構い続け、ごはんを三食食べることだけは徹底させた。
三十代後半になり、自分も同級生達もそれなりの外見になってきた。野村くんは元からふくよかだったお腹がさらに出たし、佐藤くんも頭髪を必要以上に気にしだした。
そんな周囲と比べて、保志は明らかに老けていた。
天使の輪っかが光っていた黒髪はグレーヘアになり、顔にもシワが増えた。肌艶もまるで老人のようだし、袖からのぞく腕も細くなった。
新社屋に移ってから保志は自宅から一歩も出たことがない。それは見事なほどに。
「たまには外食しようよ」と誘っても「インタビュー受けてよ」と言っても「嫌だ」で終わり。いつ見ても社長室でパソコンにかじりついている。
運動もしない。外の空気にも触れない。お風呂は入ってるみたいだけどスキンケアとかに気を使うことなんて当然ない。
一応栄養バランスに気を配った食事を届けているけれど、日によっては私が持って行けない日もあった。保志は私以外には絶対に顔を見せたがらないから、そんなときは事務所の子に頼んで部屋の前の宅配ボックスに食事やパンや牛乳を入れてもらった。宅配ボックスに保冷機能をつけていてよかった。それだけしても食べていないときもあった。
そんな不健康の極みみたいな生活をしているからどんどん老けていくんだろうと思った。
「人間ドックとか健康診断とか受けてみない?」そう言ったこともあるけれど「無意味だ」で終わった。
「そんな時間があったらログを書く」「一日でも早く『願い』を叶えたい」そう言ってただただパソコンにかじりついていた。
新社屋に移ってから保志は掃除をしなくなった。登場したばかりのお掃除ロボットを導入したのがマズかったらしい。
勝手に掃除してくれるロボットに任せきりで保志はパソコンにかじりついていた。
「たまには掃除しなさいよ」と言えば「掃除をしなくても死なない」「社長室だけ使えればいい」と聞かない。仕方なく食事を届けるついでに軽く掃除するようになった。
新社屋に引っ越すにあたり保志のご家族のための仏壇も置くことにした。「どれがいい?」と保志にカタログをみせたら現代風のものを選んだ。保志の自宅にした六階の一番いい部屋に遺影やご位牌と一緒に安置した。
一応毎日お参りしているらしい。火を着けたとわかる蝋燭とお線香。綺麗な水がいつも置いてあった。
「掃除しなくても死なない」と豪語していたのに、そこだけはいつもホコリひとつなく綺麗だった。
お花と御仏飯は私が替えていた。そうして手を合わせる。
カナタくんを守ってください。
カナタくんの夢を叶えるために助けてあげてください。
きっとご家族は今でもカナタくんを見守ってくださっていると思った。
保志のご両親と伯父様の納骨は私と両親が手伝った。
まだ高校生だった保志には納骨の発想がなかった。
「お墓に入れてあげたほうがいいよ」と説明し、お寺さんとお墓の場所を聞いた。
篠原家の親戚のひとを探したけど遠縁レベルのひとしかいなかった。かろうじて見つけたそのひと達にお墓をお願いしたけれど、誰もが難色を示して引き受けてもらえなかった。
一周忌、三回忌と我が家が手助けする形で行った。せめてもの恩返しのつもりだった。その後のお彼岸やお盆のお参りや回忌法要は保志の名代として私が行った。
毎回保志に「やろう」「行こう」と声をかけるけど、何故か保志は「行かない」「合わせる顔がない」と言って出向こうとしなかった。
きっと自分が身体をこわしたことがきっかけで皆様が亡くなったと、会社が潰れたと思っているんだろう。
十代でそんな重荷を背負ってしまった保志が可哀想だった。
回忌法要もお墓参りも行かない保志だったけど、毎日のお参りは欠かしていないらしい。
短くなった蝋燭を替え、少なくなったお線香を補充する。そうして私も手を合わせる。
カナタくんを守ってください。
カナタくんの夢を叶えるために助けてあげてください。
その願いが叶ったのか、ついに大きなバージョンアップの目処が立った。
保志の語った『夢』にまた一歩近づいた。
真っ白になった保志の髪を切ってやる。
高校生の頃から保志の髪は私が切っていた。
床屋にも行かず無造作にくくっているだけの髪を「切ったら?」と声をかけたら「時間がもったいない」と答えが返ってきた。
「じゃあ私が切ってあげるわよ」と切ってやったのが始まり。手先が器用なのが功を奏してそれっぽくできた。
それから三十年。保志の髪は私が切り続けていた。
何度か理容師さんや美容師さんに出張に来てもらったけど、話しかけられたり「上を向いて」「下を向いて」と指示されるだけで保志はイライラしてしまい、最後には「時間の無駄だ」と途中でも逃げ出してしまった。
じゃあなんで私は平気なのかといえば、私が勝手に保志の髪を切るから。
保志が本を読んでいようが考えごとをしていようが関係なくチョキチョキやっちゃうから。遠慮がないとも言う。
私にとって保志は『おおきな駄々っ子』なので、いちいち気を遣ったり痛くないように配慮したりしない。切った髪の毛が服に入ろうが目に入ろうが構わずチョキチョキやっちゃう。
髪を切ったあとは保志が自分でお風呂に行き、シャワーを浴びて髪を洗い服を着替えてくる。
文句も言わないけどお礼も言わない。それが保志。
保志はそういうヤツだと思ってるから別に腹も立たない。
そうやって三十年、一緒に走ってきた。
今日も今日とて髪を切ってやっていた。
バージョンアップまであと三日の日曜日。
外は快晴。かなり暑そうだけどエアコンの効いた室内は快適。
「もうすぐバージョンアップだね」
「ああ」
「ねえ。そろそろなにが起こるのか教えてよ」
「あ?」
「言ってたじゃない。『注連縄切りに合わせてびっくりすることが起きる』って」
「ああ。それか」
バージョンアップの公表と同時に保志はそう発表していた。
その『びっくりすること』がなんなのか、何度聞いても教えてくれなかった。
もう目前になった今なら教えてくれるかと声をかけてみたけれど、なにを言っても保志は楽しそうに笑うだけだった。
「まあ楽しみにしてろよ」
そう言われていたからそのときを今か今かと待っていた。
日本時間七月十七日午前零時。
「新しい『バーチャルキョート』、オープンです!」
本社二階食堂を使った特設会場でのオープニングイベントには深夜にもかかわらずたくさんのひとが来場してくれた。
四階ではエンジニア達が問題が起きないか必死でチェックしてくれている。なにも起こらないことを祈りつつ来場してくださった方々にご挨拶をしマスコミ各社に対応する。
特設会場限定グッズを販売している一階も順調。
あちこちに対応していて、保志のことはすっかり頭になかった。
イベント終了後一旦自宅に帰宅し仮眠を取り、すぐに出社する。朝のニュースから始まり各局の情報番組に中継で出演する。分刻みのスケジュールの合間にシステムやハードに問題は起きていないか確認。今のところ問題は報告されていないみたい。
そうして迎えた注連縄切り。
ふたつのテレビモニタには現実の祇園祭山鉾巡行実況生中継と『バーチャルキョート』での山鉾巡行がそれぞれ映し出されている。並べて見ると同時進行で行われているのがよくわかる。
「なにが起きるんですかね」
「楽しみですね」
テレビの生中継と『バーチャルキョート』の同時視聴枠、それぞれのMCが軽快なトークをまじえながら実況する。それを事務方みんな集まって観ていた。
そしてついに。
―――タンッ!
お稚児さんが注連縄を切った。
「わあっ!」
つい歓声を上げ、拍手をする。
手を叩きながらもなにが起きるのかとワクワクしながら画面を見つめていた。
と。
ひらり。
『バーチャルキョート』の画面になにかが横切った。
なんだろうと見つめていると、ひらりひらりとさらになにかが横切った。
―――あれは―――。
「―――桜―――?」
つぶやく間も白いなにかが舞い落ちる。ひらひらと。
最初は一枚二枚だったのが次第にその量を増やしていき、はっきりとした桜吹雪となった。
「―――これが『びっくりすること』―――?」
なんで真夏の『バーチャルキョート』に桜を降らせるの? そりゃ山鉾と桜吹雪ってカッコイイけど。そもそもどこから桜降らせてるの?
呆然と画面を見つめていたら「三上さん!」と隣の子が指を指した。
その画面には現実の山鉾巡行の生中継が映し出されている。
ギシリギシリと巨体が動く。軽快な祇園囃子が響く。その画面の中、桜吹雪が舞っていた。
「信じられません!」実況者が興奮を隠すことなく叫ぶ。
「真夏に桜の花びらが降ってくるなんて!」
「一体どこの桜でしょうかね」
「見てください!『バーチャルキョート』でも桜が降っていますよ!」
「ということは、この桜吹雪はデジタルプラネットの演出でしょうか」
「三上さん! あちこちから問い合わせ来てます!」
「この桜吹雪、デジタルプラネットの演出かって」
「『バーチャルキョート』のコメントもすごいです!」
「三上さん!」
あちこちから叫び声がするけれど、私はなにも反応できなかった。
呆然とふたつの画面を見つめる。現実の山鉾巡行も『バーチャルキョート』の山鉾巡行も桜吹雪を受けながら進んでいた。
真夏の強い日差しを受けてキラキラと光る花びらはとても幻想的で、それでいてどこか楽しそうに見えた。
あの篠原家のお花見。桜吹雪に両手を広げて花びらを追いかけた幼い日を思い出した。
「三上さん!」
袖を引っ張られ指差される方向に目を向ける。
窓の外にも桜吹雪が舞っていた。
「―――すごい―――」
思わずふらりと足を運び、窓に手を当てた。
誰かが窓を開けた。風に乗って数枚の花びらが室内に入ってきた。
反射的に花びらを取ろうと手を伸ばす。
手のひらに乗せた途端、花びらは雪のように消えた。
「え―――」
「なにこれ」
「なんで」
あちこちで驚きの声が上がる。
「―――これが社長の言っていた『びっくりすること』ですか!?」
誰かの叫びに『そうだ』とわかった。
これが保志の言っていた『びっくりすること』だ。
なにをどうやったのか全然わからない。でも実際に桜吹雪が舞い落ちていて、その花びらは触れたら消えてしまう。
すごい。すごい! すごい!!
興奮にテンション上がる!
叫びだしたい! はしゃぎたい!
息を吸ったそのとき、スマホが鳴った。
保志からの着信。すぐに応答画面にする。
「保志!」
私の叫びに他のみんなが注目する。
『どうだ三上。驚いたか?』
得意気なその声に、やっぱりこれが保志の言っていた『びっくりすること』なんだとわかった。
「驚いたよ! すごい! すごいよ保志!」
「どうやって桜降らせてるの!? なんで触ったら消えるの!?」
興奮のままにたずねたけれど、保志は「ククッ」と笑っただけだった。
「保志!」
『三上』
詳しく説明してもらおうと思ったのに突然呼ばれて口を閉じた。いつものように自慢気に説明をはじめると思った。
『ここまで来れたのは、お前のおかげだ』
『ありがとう三上』
「―――保志……?」
―――今、保志はなんて言った?
『ありがとう』?
保志が『ありがとう』と言った? 保志が?
いつもと違う保志の声に、なんだか違和感を感じる。
なに? なにが違う?
『あとは、お前の好きにしたらいい』
『あとは』ってなに?
なにを言ってるの?
なんでそんな穏やかな声してるの? 保志もそんな声出せたの?
言いたいことも聞きたいこともたくさんあるのに、なにひとつ声にならない。
なにから話せばいいのか迷っていると保志が勝手に続けた。
『おれの目的は潰えた』
『じゃあな』
それだけ言って保志は一方的に通話を切った。