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閑話 はるかかなたのひとつ星ー保志カナタと私ー 1(三上視点)

デジタルプラネット副社長の三上香織みかみかおる視点です

『注連縄切りに合わせてびっくりすることが起きる』

『バーチャルキョート』創始者 保志 叶多はそう発表していた。

 その『びっくりすること』がなんなのか、何度聞いても教えてくれなかった。


「まあ楽しみにしてろよ」

 そう言われていたからそのときを今か今かと待っていた。




『バーチャルキョート』

 天才 保志 叶多が創り出した『世界』。


 初めてその話を聞いたとき、目からウロコが落ちるのがわかった。

 ポロポロポロポロとウロコが落ちた視界はキラキラと光り輝いていた。

 安アパートの狭い部屋。薄暗いそこで、保志は『未来』を見ていた。


「すごい! すごいよ保志!」

 心の底から叫んだ。



 それまで『自分は優秀だ』と思っていた。

 官僚になって世の中を動かすか、医者になって人々を救うか、法律家になって正義の番人になるか。そんなことを漠然と考える程度には勉強ができた。


 でも、違った。


 自分は『ただ優秀なだけ』だと知った。

 本当の意味で『優秀なひと』というのは『ゼロから一を生み出せる能力』のある人物。

『誰も見たことのない世界』を具現化できる人物。


 自分にはできない。

 自分は『一』を十にも百にもできる。それだけの能力があると自負している。だからこそ優秀だと思っていた。

 でも、私には『一』を生み出すことができない。


 自分は『ただ優秀なだけ』の人間。

『ただ優秀なだけ』の凡人。

 本当の『優秀な人間』は『未来』を創り出せるこの男。


 天才。

 天賦の才を持った人間。


 今でも思い出す。あの興奮。あの(たかぶ)り。

 全身に鳥肌が立った。ゾクゾクと奮い立った。

 自分はこのために生まれたのだと確信した。

 保志の創り出すこの『世界』を世の中に広げるために生まれたのだと。この天才を活かすために生まれたのだと。


「ねえ!私にも協力させて!」

 気が付いたらそう叫んでいた。

「そんなすごいもの、世の中に広めるべきよ!」


「保志の考えていることが現実になったら、それは世界を変えるものだわ!

 常識を、文化を、歴史を変える。間違いない!

 私にもその手伝いをさせて! お願い!」


 その手を握り熱く乞う私に、保志は喜ぶことも感謝することもなかった。

『めんどくさいヤツにからまれた』顔中にそう書いていぶかしげにしていた。




 自分は優秀だと自負していた。

 だから私が協力を申し出たら保志は喜ぶと思っていた。

 泣いて喜んだり両手(もろて)を上げて『こちらこそ!』なんて喜んだり。『キミが協力してくれるなら百人力だ!』なんて感謝してくれると無意識に思っていた。


 ところが実際の保志はいぶかしげに私をにらみつけてきた。

『なんでそんなこと言うんだ』『おれを利用しようとしてるんじゃないか』猜疑心と不信感しかない表情と目に、ここまでの保志の苦労と苦しみを垣間見た気がした。




 ちいさい頃の保志は――カナタくんは『甘ったれのボンボン』を絵に描いたような子供だった。

 太っちょではないものの子供らしいまんまるふくふくほっぺ。髪は黒々艶々していて天使の輪っかがかかっていた。肌艶はもちろん良くて、ふくふくのお手々を誰彼構わず振る子供だった。血色のいいほっぺをさらに赤くしておひさまみたいに笑う子供だった。

 家族から無条件に無償の愛を与えられていた。おじい様の会社のひと達も、近所のひと達も、誰もがカナタくんをかわいがっていた。

『世界のしあわせな子供ランキング』があったら絶対トップテン入りしてるわ、なんて当時から優秀だった私は考えていた。


 保志のおじい様の会社の事務員として最初に働いていたのは祖母だった。保志の伯父様と私の叔母が同級生で、色々あっておばあ様に「ウチで働かないか」と誘われたという。

 産後が落ち着き、私の預け先と就職先を探していた母も「おいで」と誘ってくれた。

「ウチもカナタがいるから、赤ちゃんでも子供でも連れてきても大丈夫」と。


 今では当たり前の短時間勤務や子連れ出社にも対応してくれていた。

 家にたくさんある美術品や骨董類も助けを求めたひとが担保にと置いていったものだと聞いた。

「売りに出したり質に出したりするよりも篠原さんのところにお願いするほうがいい」と評判だった。「がんばって」「いつでも買い戻しにおいで」と鷹揚にお金を貸してくれると。

 本当のお金持ちとは心構えからして違うものだと子供心に感心した。


 そんな家で育ったカナタくんは、子供から見ても素直ないい子だった。愛情をたっぷり注がれていると一目でわかるような満面の笑顔を浮かべていた。甘やかされて育ったボンボンにありがちな(おご)りや我儘は無く、ひたすらに善良で素直な子供だった。

 家族のことが大好きで、家族が働く会社も大好きで、そこで働く従業員もその家族も大好きな子供だった。


 従業員の子供達はカナタくんの遊び相手でもあった。

 会社エリアは大きなトラックが出入りして危ないからとご自宅のお庭で遊ばせてくれた。池で水遊びをした。枯れ葉を集めて飛び込んだ。雪遊びをした。かけっこもかくれんぼもおままごともした。お座敷で絵本を読んだりお昼寝したりもした。

 三時には奥様がおやつをふるまってくださった。みんなカナタくんと同じもの、同じ量だった。えこひいきすることはなかった。

 毎年春には大きな桜の木を取り囲み全社員とその家族でお花見をした。奥様とカナタくんママが巻き寿司を作ってくれて、桜を見ながらみんなで食べた。


 あのお庭には『たのしい』が詰まっていた。『しあわせ』が詰まっていた。笑顔があふれてキラキラと輝いていた。


 カナタくんと同い年の私は特に仲良く過ごした。幼稚園も同じで「ついでだから」とカナタくんママが私も一緒に会社に連れて帰ってくれた。そうして母の仕事が終わるまでカナタくんと遊んでいた。

 物心ついたときから優秀だった私はしっかり者でもあったので、いつもカナタくんのおねえさん的立場にいた。カナタくんも「カオルちゃん」と慕ってくれた。


 残念ながら住んでいる場所は学区が違ったので、私達は違う小学校へ進学することになった。

 幼稚園時代は会社に連れて帰ってもらっていた私だったが小学校に入ったら放課後は児童館に行き、篠原運輸に行くのは年に一度のお花見のみになった。


「カナタくん、危ないんだって」

 だから母から話を聞いたときは驚いた。

 私は五年生だった。

「どういうこと?」

 詳しい話を聞いたけど、母も、カナタくんの家族も、もちろんカナタくん本人にも「わからない」という。


「ありとあらゆる病院に行って検査してるらしいんだけど、どこも原因がわからないんだって」

「すごく高い熱が続いたり、急に息ができなくなったり、突然気を失ったりするらしいわ」


 あのおひさまみたいに笑う子がそんな目に遭ってるなんて。四月のお花見で見かけたときにはそれまでと変わらずニコニコしてたのに。子犬みたいに社長さんにくっついてたのに。


「早く良くなるといいね」

 そう言ってたけど、母から伝え聞くカナタくんはどんどん具合が悪くなっていった。

 六年生の秋にはカナタくんの家族はあちこちの神社仏閣にすがり出した。中にはアヤシイところもあったらしいけど、カナタくんを助けたいと必死になる皆さんに社員達はなにも口出しできなかった。逆に「ここが効くらしい」「ここにこんなひとがいるらしい」なんて情報を提供していた。


 そんな神仏へのお祈りが効いたのか、カナタくんは中学に上がれた。やっぱり学区が違った私達は違う学校だったからカナタくんのことは母から伝え聞くしかなかった。

 四月のお花見にカナタくんはいなかった。

 顔も出せないくらい具合が悪いのかと心配だったけど、お見舞いに行くほど親しくもないし――というか小学校に上がってからお花見で会ってもお互いそれぞれの家族と過ごすことが多くて話をしたり遊んだりということはなくなっていた。だから心配しつつも何も言わず帰宅した。


 事態が変わったのは中学一年生の冬だった。


 社長さんが知り合いの保証人になった。

 その代償として受け取った『願いを叶える霊玉』のおかげでカナタくんは具合が良くなったと。

「良かったね」そう言う私に「そうでもないのよ」と母は顔をしかめた。


 なんでもその知り合いはちょっと『問題のあるひと』だという。具体的には反社会的勢力の主催する賭博にハマっていると。

 そんな噂はこの京都ではすぐに広まる。社長さんだって絶対知ってたはず。

 それでもカナタくんのために保証人になった。


「よくないことにならないといいんだけど」

 母の懸念はすぐに現実になった。


 年末に社長さんが保証人になった途端、その知り合いは消えた。社長さんに莫大な借金を押し付けて。

「信じられない!」「非道い!」いろんなひとがそれぞれにそのひとのことを探した。けれど誰一人としてそのひとを見つけることはできなかった。

 そのひとの家族まで逃げるように消えた。

 そうして社長さんが全部の借金を背負わされた。


 これまでに篠原家に助けられたひとはたくさんいて、お友達もたくさんいて、みんなすごく怒って「許せない!」って動いた。

 でも借金した本人も家族も見つからなくて、法的手段を取りたくても書類なんかは完璧でくつがえすことはできななくて、結局は借金を払うことしか方法はなかった。


 莫大な借金を背負わされたという噂はあっという間に広がり、会社への融資がなくなった。ちょうど年度末に差し掛かったところで、売掛金なんかも請求が相次いだ。

 社長さんも奥様もあちこちに頭を下げているという。でも『問題があるひと』と知られているひとの保証人になったために背負った借金だということも知られていたから、誰も社長さんを助けなかった。

「こうなることはわかっていただろう」と馬鹿にした。「先見の明かない」と。


 それはそうかもしれない。悪いのは保証人になった社長さんかもしれない。

 でもなんで保証人になったかっていえば死にそうなカナタくんのためで。これまでに病院も最新医学も和漢方も、神頼みもアヤシイ術者もなにもかも頼んですがってお金もいっぱいかけてそれでもダメだったからで。


 たとえば私のお父さんが、お母さんが死にそうになっていたら。「このひとの保証人になれば救われますよ」「ただしあなたはどうなるかわかりませんけどね」なんて言われたら、きっと「なります!」って言う。

 だって見捨てるなんてできない。誰だってそうじゃないの?


 社長さんを馬鹿にするひとの話を聞くたびに悔しかった。悔しくても悲しくても私にはなにもできない。それがまた悔しかった。

 母や祖母も同じ気持ちだと言った。「なにかできることはないか」って社長さんにも奥様にも言ったけど「大丈夫だから」と言われたと悔しがっていた。


 どうにか三月を乗り切った社長さんだったけど、事態はますます悪くなっていった。

 五月にはたくさんの社員が辞めることになった。

 おばあちゃんはもう定年退職していたけれど、お母さんはまだ勤めていた。そのお母さんもクビになった。

「沈む船からは早く逃げたほうがいい」そう言って養わないといけない家族のいるひとから辞めさせた。


 篠原家に助けられたひとはたくさんいて「最後まで恩返しさせて」って言うひとはいた。ウチのお母さんもそう言った。「お給料なんてなくていいから」って。でも「それはいけない」って社長さんも奥様も受け入れなかった。

「働いてくれたひとにお給料を払うのは最低限の義務です」

「でも私達にはもうお給料が払えない」

「助けると思って受け入れてください」


「退職金も満足に出せなくて申し訳ない」そう言って奥様の帯留めや指輪をひとりひとりにくださった。

「これは私個人の持ち物だから。まだ借金のカタにはなってないから」と言って。

 そうして「こんなことになって申し訳ない」と、こちらが申し訳なくなるくらい謝ってくださった。 そんな話を母は泣きながら祖母にした。

 聞いた祖母は泣いた。父と祖父は泣きこそしなかったものの何も言わなかった。

 母はちいさなちいさなダイヤモンドのついたネックレスを受け取っていた。



 篠原家に助けられたひとはたくさんいて、こっそりと協力を申し出るひとも確かにいた。でも社長さんは金銭面での援助は一切受け取らなかった。

 社長さんが協力を申し出てくれたひとにお願いしたのは、やむなく辞めてもらった社員達の受け入れだった。

 そうして母は退職後一週間も経たずに次の職場を見つけた。他の社員さん達もすぐに再就職がかなったと聞いた。


 金銭面での援助は受け入れなかった社長さんだったけど「預けていた骨董を買い戻させてくれ」「お宅のあれを買い取らせてくれ」そんな申し出なら受け入れていた。

 そのころには『たちの悪いひと達』が会社やご自宅に出入りするようになっていて、ある日買い取りに来た社長さんのお友達がからまれ怪我をした。

 そのことに社長さんと奥様はひどく責任を感じたそうで、それからはお友達との交流をきっぱりと絶ってしまった。

 もちろん元社員も、近所のひとも、ありとあらゆる交流を絶った。巻き込まないために。迷惑をかけないために。


 社長さんのことを「見る目がない」「お人好し」と馬鹿にするひとも多かった。確かに結果だけ見ればその通りだと言えるだろう。でも私達は、篠原家と親しくしていたひと達は、カナタくんのためにそう選択したと知っていた。

 どれだけカナタくんを大切にしていたかを知っていた。どれだけ手を尽くしたかを知っていた。だから私達は社長さんの選択を馬鹿にすることはできなかった。ただただこの荒波を乗り越えてくれることを祈るしかできなかった。


 そのカナタくんがどうしているか気になったけど、学校が違うから様子を知ることはできなかった。

 ただ母の聞いた噂によると、元気になって毎日学校に行っているらしい。学校では必死に勉強していると。休憩時間もなにかの本を読んで勉強していると聞いた。


 きっとご家族に心配させないようにできることをがんばっているんだろうな。

 そう思えて、『私もがんばろう』と自然に思った。



 その次の春。

 中学三年になった私に、母が信じられない話を聞かせてきた。



 桜の開花が進んできたある日。

「今年は篠原家のお花見できないね」

 ポツリと言った。


 前年はかろうじてお花見をした。

 みんなが篠原家に食べ物を持ち寄って、遠慮する皆さんと一緒に飲み食いした。

「これまでずっとご馳走になってたんだから」「今年くらいは私達にご馳走させてください」「場所だけ提供して」そんなふうに言って、みんなで桜を見上げた。

 社長さんも奥様も、カナタくんの両親も伯父さんも、恐縮しながらもうれしそうにしていた。

 カナタくんも顔を出した。元気そうだった。

 誰もがこの事態を招いたのがカナタくんの体調不良だと知っていたけれど、誰一人カナタくんを責めなかった。ただ「元気か?」とか「食べてる?」とか声をかけるだけで、カナタくんも「はい」とか「まあ」とか言うくらいだった。

 あのニコニコ顔がなくなっていたのが気になったけど、中学生男子なんてそんなもんだし、今はお家が大変そうだし、無理もないよねと思っていた。


 そのお花見が終わった翌月に母を含む大量の社員の解雇があった。

『もう社員じゃないからお花見に行けない』そういう意味で言ったのに、母は「そうね」と寂しそうに言った。


「もう会社も倒産して、あのお家も人手に渡ったからね」


 ――倒産!? 家が人手に、って、どういうこと!?


 驚いて母を問い詰めた。

 上半期を乗り越えることができず、やむなく廃業したこと。残っていた社員さん達は再就職したこと。あの『たちの悪いひと達』がすぐにやって来て、社長さん達は追い出されるように家を手放したこと。

 その後社長さん達がどうなったのかは誰も知らなかった。ただカナタくんとご両親は元々別に家があったからそこにいるのだろうという話だった。


「………せめてお花見弁当くらい差し入れできないかな」

 そう言うと「カオちゃん天才!」と褒められた。


 母も祖母も篠原家がどうしているか気にかけていて、でも失意の内にいるだろうひとになんて声をかけたらいいのかわからなくてモヤモヤしていたという。

「そうね。お花見。毎年してたもんね」

 そうしていそいそと弁当を作り、篠原さんをたずねた。



 昼過ぎから準備をしたから向かったのは夕方になってしまった。「夜桜もいいわよね」「夕食にしてもらってもいいし」と母とふたりで出掛けた。

 カナタくんの家は母が知っていた。昔カナタくんママに聞いたのを覚えていた。

 あの篠原家からは考えられないくらいのちいさなアパートだった。

「ホントにここが?」と思いながら呼び鈴を鳴らそうとしたとき。


「あ」

 ちいさな声に顔を向けると、女性が立っていた。

 すぐには誰だかわからなかった。

 カナタくんママだった。

 明るくて若々しくて子供から見てもかわいい女性だったのに、なんだかやつれて疲れ果てて見えた。

 ――薄くなった。

 そう、感じた。


「中はカナタがいるから」と近くの公園に行った。

「社長さんはお元気ですか」とたずねた母にカナタくんママは答えた。


「父は亡くなりました」

「――いつ」

「昨年末に」

「――奥様は」

「母は、その一月前に」


 それからカナタくんママに根掘り葉掘り話を聞いた。

 十月に家を出た社長さんと奥様は近くのアパートで暮らし始めたこと。奥様が体調を崩し亡くなったこと。社長さんも後を追うように亡くなったこと。

 お二人の保険金で借金は無くなったこと。カナタくんパパと伯父様は別の運送会社で働いていること。借金は無くなったけどカナタくんの大学進学のためにカナタくんママも働いていること。

 カナタくんは元気なこと。毎日学校に行っていること。ゲーム開発に興味を持って一生懸命勉強していること。


「社員の皆様には申し訳ないことをしました」

 頭を下げるカナタくんママに母は「そんなこと気にしないで!」と泣いた。

「なにか手助けできることがあったらいつでも言って」「一緒に働いてきた同僚じゃない」「愚痴を聞くだけでもするから」

 母はそう言ったけど、カナタくんママは「私達と関わらないほうがいい」と言った。

「まだあのひと達が見張っているかもしれない」と。


 あの『たちの悪いひと達』は保険金が入ったことを知っている。それで借金を返したから。

 借金を返したからお金は残ってないけれど『まだお金があるに違いない』としつこくつきまとっているらしい。

 もう借金はないし、そもそも社長さんがカナタくんママと伯父さんを絶縁したから借金返済義務はない。だからカナタくんママがつきまとわれるのは筋違いで、むしろ犯罪なんだけど、警察にも何度も相談しているのだけど、やっぱりそういうひとにつきまとわれているという事実は周りから見たら『問題がある』『近寄りたくない』と思わせるのには十分で、だから「関わらないほうがいい」とカナタくんママはかなしそうに笑った。


「せめて」と持参したお花見弁当を強引に渡した。

「ありがとうございます」と笑ったカナタくんママはとても(はかな)く見えた。


 それがカナタくんママに会った最後だった。



 冬に入ってすぐ、大きな事故がニュースで報じられた。

 被害者の名前を見て驚いた。カナタくんパパと伯父様だった。

 すぐにカナタくんママの家に行ったけどマスコミがいっぱいいて近づけなかった。

 お仕事も辞めていた。多分辞めさせられた。

 それでも「別の知り合いのところで働くように紹介した」と聞いて、そのうち会いにいこうと母と話していた。



 高校の入学式。

 張り出されたクラス名簿に、その名前があった。


『保志 叶多』


 カナタくんだった。


 母とふたりカナタくんママを探した。きっと入学式には来ていると思った。でも見つからなくて、それならと教室に向かった。

 教室にもカナタくんママはいなかった。カナタくんはどこだろうと探して、黒板の席次表を頼りにその男子を見つけた。


 ―――あのカナタくんの面影はどこにもなかった。


 ふくふくのほっぺを赤く染め、いつもニコニコとしていた天使のようなカナタくんはいなかった。

 そこにいたのはげっそりとやつれ、目の下には隈を作り、ムッツリと機嫌の悪い男子だった。

 天使の輪のかかった整った髪は艶をなくし、ひとつに結んでいた。長くなって邪魔だからとくくっているだけだろうとわかる雑な感じだった。

 キラキラと輝いていたまんまるお目々は消え、すさんだ、とがった目つきをしていた。


 どこからどう見てもガラの悪い男子は、浮かれる教室の中でただひとり別世界にいた。

 友達を作ろうとかクラスに馴染もうとかまった考えていないの丸わかり。ただ専門書らしき雑誌を読んでいた。


「カナタくん」

 思い切って声をかけた。――無視された。

「私、カオル。覚えてない? 幼稚園で一緒だった、三上香織」

 尚も話しかけるけどやっぱり無視された。

 どうも専門書に集中しているらしい。『これはダメだ』と判断して自分の席についた。


 入学式が終わったあと、先生に声をかけられた。

「ちょっと時間が取れないか」と言われ、母とふたり相談室に同行した。


「三上さんは保志くんのお知り合いですか?」と聞かれた。「入学式前に話しかけていたのを見た」と。

 正直に幼稚園で一緒だったこと、母が彼の祖父の会社で働いていたことを話した。


「じゃあ彼の事情もご存知ですか?」

「まあ、多少は」と答えた母に先生はホッとしたように「そうですか」と苦笑した。


「あの年齢(とし)で天涯孤独というのは可哀想としか言いようがないですが、本人のあの態度では友達もできそうにないでしょう? 三上さんが以前からの知り合いならば彼とできるだけ関わってあげて欲しいと思いまして――」


「「―――は?」」


 うんうんとうなずき勝手に喋る先生にあ然とした。

 今なんて言った?『天涯孤独』? だってカナタくんママは。――カナタくんママは?



「――カナタくんのお母様は――」

 母の声は震えていた。

 昔は今みたいに個人情報についてうるさくなかった。先生は呆気ないくらい簡単に答えた。


「先月亡くなったそうです」


「「―――は?」」


 信じられなかった。どういうこと? だって今年もお花見弁当を持っていこうと母と話していた。入学式が終わったら行こうと。カナタくんも高校入学だからきっとカナタくんママは忙しいだろうからと。



 知らないうちにカナタくんはひとりぼっちになっていた。

 

「きっといいひとすぎたんだ」祖母が泣いた。

「神様はいいひとが好きだから連れて行ったんだ」


 その言葉はなんだか腑に落ちた。

 篠原家の皆様は本当にいいひと達だった。あたたかくて、上品で、いつも社員やその家族のことを第一に考えてくださっていた。

「まるで仏様のようなひとだ」という話をよく聞いた。あちこちに寄付も寄進もしていた。お手伝いもボランティアもよく参加されていた。

 ああ。あんなひと達ならば神様も仏様も欲しがる。だからこんなに早く連れて行ったんだ。連れて行ったひとがさみしくないように、遺されたひとの苦しみが長引かないように、次から次へと連れて行ったんだ。

 カナタくんが遺されたのはきっと皆様が守っているからだ。皆様は本当にカナタくんをかわいがっていたから。身を削るとわかっていて保証人になるくらい守りたがっていたから。


 私達はただ泣くしかできなかった。

 旅立ったひと達を想って手を合わせるしかできなかった。

 皆様が守りたかったカナタくんがしあわせであればいいと祈ることしかできなかった。

カナタは家族が周囲に迷惑がいかないよう対応していたことも、近所のひとや知人がどうしていたかどう感じていたかも、なにも知りません。

家族がカナタに心配かけないよう隠していました。

知っていたらきっと彼の『願い』も未来も変わっていました。

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