閑話 『願い』の終焉(しゅうえん) 1―カナタと『オズ』
時間をもどして
『異界のなかの異界』からトモ達が出ていったあと
カナタと『災禍』のやり取りです
カナタ視点です
『バーチャルキョート』の『ミッション』をすべてクリアされた。
絶対の自信があった策をすべてぶち壊された。
『願い』を破棄したおれに「ここにいろ」と命じ、姫と守り役と他の連中は姿を消した。
辺りは静寂が戻った。
シンと静まった周囲はいつもどおりの庭が広がる。
ここは『異界』の中の『異界』。
おれが作った『篠原の家』。
おれの思い出。幼いころのおれの『世界』のすべて。
春に満開の花を咲かせる桜の樹は今は緑に茂り池の水にその姿を映している。ツツジはこんもりと山を作り、他の草花もその生命力を見せつけるかのように青々としている。
わかってる。これは言わば幻影。
『アレ』が作り出した箱庭。
実際に庭を散策できても、垣根から外へは出られない。
季節が移ろい庭の景色は変わっても、虫一匹すらいない。
それでも、作り出したかった。
あのころの思い出を残しておきたかった。
ただじっと庭を見つめていた。
『アレ』はそんなおれを黙って見ていた。
なんだか疲れを感じ、座った。
座ったら余計に疲れが押し寄せてきて、ゴロンと寝転がった。
大の字でぼんやりと天井を見つめていた。
ああ。子供の頃もこんなふうに寝転がったな。
そんなことを思い出した。
子供の頃。
『しあわせ』だった頃。
家族がいた。この庭のあるこの家でみんなで暮らしていた。毎日は楽しいことばかりで、苦しいことも悲しいこともなかった。眩しいくらいにキラキラと輝いていた。
あの頃はそれが当たり前だった。みんなでごはんを食べてみんなで笑って、なんの心配もなく眠りについた。
当たり前のように次の日が来て当たり前のようにみんながいた。
そんな当たり前が、崩壊した。
苦しかった。悲しかった。悔しかった。
ただただ家族の敵討ちがしたかった。
『アレ』に『願い』をかけた。無我夢中でゲームを作った。『贄』を集めた。あと少しだった。あと少しでおれの『願い』は果たされるはずだったのに。
京都の人間をすべて抹消できるはずだったのに。
あの男。
西村。
あいつがおれの邪魔をした。
あいつがいなければすべてうまく行っていた。京都の人間をこの『世界』に連れてきて鬼に喰わせることができた。
だがそれは『間違い』だった。
おれは『罪』を犯した。
あの男が気付かせてくれた。
日村が、タカが教えてくれた。
おれは間違っていた。
京都の人間すべてが『悪人』なわけじゃない。三上も野村も他の連中も死んでいい人間じゃない。
おれはそんなこともわからなかった。
おれの『願い』は、おれの三十年は、あの女によって破棄された。
そのことを悔しいとか憎いとか思ってもおかしくないと思うのに、どこかスッキリしている。きっと日村がくれた炎がそういう悪感情を燃やしてくれたのだろう。
それと、タカの存在。
『同じだ』と。『大丈夫だ』と。言ってくれる存在。支えてくれて、理解してくれる存在。
あれからずっとひとりだった。
ひとりでやらないといけないと思っていた。
今ならわかる。あの頃のおれは苦しいとか悲しいとか感じる余裕がなかった。だからわからなかった。
でもタカが手を差し伸べてくれた。『ひとりじゃない』と教えてくれた。
そのことがなんだかうれしい。苦しいのが軽くなった気がする。
やっと息ができた気がする。
目を閉じて、すうう、と息を吸い込む。
身体の中に空気と一緒に綺麗なものが入ってきた気がする。
息を止め、ゆっくりと吐き出した。
はあぁぁぁ、と吐き出すと身体の中の悪いものが一緒に吐き出された気がする。
何度かそうやって深呼吸を繰り返した。
こんなふうに心が穏やかなのはいつぶりだろうか。
ゆっくりと目を開けると昔のおれが立っていた。
この姿を取らせたのはおれじゃない。
「希望する姿を取ります」と言われたが何も思いつかなかった。
「なんでもいい」と言ったら「希望がない場合は『発願者』の出会ったときの姿を取ります。よろしいですか?」なんて言われた。
別にどうでもよくて「好きにしろ」と答えたらこうなった。
それだけ。ただ、それだけ。
でも、まるであの頃のおれが現在のおれを見つめているように思える。
なんの感情も見せず、ただおれを見下ろしている。
本当にあの頃のおれが現在のおれを見たらなんて言うだろう。
「すごい」と言う?
『願い』破れたおれにがっかりする?
考えてみるが、目の前の若者はなにも言わない。なんの感情も見せない。
こいつは昔のおれじゃない。
『願いを叶える霊玉』だ。
―――いや。さっき聞いた。
異世界で作られた人工知能。『願い』を叶えるための機械。名は―――『オズ』。
『オズ』
………そうか。
昔読んでもらった絵本が頭に浮かぶ。
なるほど。『願い』を叶えてくれるモノにふさわしい『名』だな。
おかしくなって思わず「クククッ」と笑いが出た。
そんなおれに『アレ』は―――『オズ』は不思議そうに首をかしげた。
「………お前……『魔法使い』だったんだな……」
ひとり納得してそう言えば『オズ』は淡々と返してきた。
「私は『魔法使い』ではありません」
四角四面なやつめ。こいつはずっとこうだった。
そんなことを思い出し、またおかしくなった。
「『オズ』といえば『魔法使い』と相場が決まってるんだよ」
「それは物語の登場人物の話です。この世の『オズ』と名付けられたものすべてが『魔法使い』であるとは限りません」
「いいんだよ」
笑うおれに『オズ』は黙った。
「おれにとってお前は『魔法使い』だったんだから」
『願い』を叶えるために色々してくれた。時間が足りないと言えば『異界』を展開し時間停止の結界を展開してくれた。情報が足りないと言えば異世界であった色々なことを教えてくれた。『願い』を叶えるために必要な陣やシステムを教えてくれた。
それを『魔法』と言わずして何と言う。
「不思議な術を使って『願い』を叶えるなんて、『魔法使い』そのものじゃないか」
ニヤリと笑うおれに『オズ』は納得したようにうなずいた。
「その意見には賛同できます」
生真面目にそんなことを言う。こいつはずっとこうだった。こうして三十年、ずっとおれのそばにいてくれた。おれの『願い』のために手助けしてくれた。
―――ああ。そうだ。
ふと、気付いた。
時間停止をかけていた。『異界』で過ごしていた。
もしかしたら、三十年よりもっともっと長い時間を過ごしていたんじゃないのか?
「―――なあ」
なんとなく思いついて、聞いてみた。
「おれはあとどのくらい残り時間があるんだ?」
「現状ですと、およそ三か月です」
その答えに、息を飲んだ。
「―――そうか―――」
それで今回のバージョンアップですべてに片を付けるべく計画したのか。
これまで積み上げてきた集大成として。おれの『願い』を果たすために。
「そうか………」
不思議と穏やかな気持ちだった。
焦りも恐怖も怒りもない。
告げられた言葉を事実としてそのまま受け入れていた。
ごろりと寝転がったまま天井を見るともなしに見つめ、ただぼーっとした。
これまでのこと。これからのこと。浮かんでは消えるそれらをただぼーっと眺めていた。
じいちゃんの仇をとりたかった。じいちゃんを陥れたクズどもを一人残らず始末した。
京都の人間すべてを抹消しようと思った。そのためにこの三十年必死に取り組んできた。『バーチャルキョート』を作った。『異界』を作った。実験をした。陣を張り巡らせた。あと少しで完成だった。
あの女は言った。『おれの「願い」は潰えた』と。
タカの記憶を視た。日村が火をくれた。これまでおれがしてきたことが『罪』だと指摘を受けた。
『願い』の破棄に同意した。『降参』した。
おれの前から姿を消した『姫』と『守り役』。このまま『呪い』を解くのだろう。
『バーチャルキョート』に召喚した二百人のプレイヤーも、連れて来たエンジニア達もすぐに『現実世界』に戻る。
おれ達が集めた霊力も、おれ達が作ったこの『異界』も陣もなにもかも、あと数時間ですべて無くなる。エネルギーに変換されて京都を満たす。
これまでの三十年が、いや、三十年以上が無に帰すのに、そのことに対する苛立ちも悔しさもなかった。
残りわずかしか生きられないとわかったのに、焦りも恐怖もなにもなかった。
ただぼんやりと、空虚な気持ちで天井を眺めていた。
「―――お前は、これからどうするんだ……」
ポツリとたずねる。
『アレ』はいつものようにあっさりと答えた。
「『管理者』の命令を遂行します」
『管理者』。
あの女。
あの女が言っていたのは―――。
「――ぜんぶ戻してぜんぶ壊して、お前は死ぬのか――」
「『死ぬ』という表現が正しいかはわかりかねますが」
おれのつぶやきに『アレ』は淡々と答えた。
「私を形作るこの身体は元素にまで分解して、他のものと同じくエネルギーに変換させ、京都の結界の中のエネルギーとして使用します」
「私を私たらしめているこの意識がどうなるのかはわかりません」
そうして『アレ』は色々なことを淡々と教えてくれた。
「……そうか……」
ぼんやりと答え、ぼんやりとしているうちにひとつの案が浮かんだ。
「―――なあ―――」
その案を相談すると「不可能ではありません」と返ってきた。
「そうか……」
それなら悪くないかもしれない。
おれが犯した『罪』のつぐないとしては悪くないかもしれない。
「―――なあ」
そう思って、たずねてみた。
「まだ、おれの『願い』を叶えてくれるか?」
『アレ』はやはり淡々と答えた。
「あなたの『願い』を破棄するように指示されましたが、あなたの前の発願者達の『願い』を破棄することは命じられていません」
「あなたの前の発願者達の『願い』
『保志叶多のしあわせ』『そのために保志叶多の「願い」を叶えて欲しい』」
「その『願い』はあなたが生きている限り有効です」
「そうか―――」
やさしい家族の顔が思い浮かぶ。
いつもおれの『しあわせ』を願ってくれていた。大事にしてくれていた。愛してくれていた。
ありがたくて、改めてその愛情を感じて、涙がにじんだ。
「―――じゃあ、最後の『願い』だ」
そしておれは『願い』を口にする。
「叶えてくれるか?」
「はい」
「ありがとう」
「頼むな」
自然に感謝を口にして、ふと気がついた。
「―――お前にこんな言葉、初めて言ったな……」
これまでたくさん世話になったのに。
いつも命じてばかりだった。わがままに感情をぶつけてばかりだった。
「非道い『発願者』だな」
苦笑を浮かべるおれに『オズ』は黙っている。いつもこうだ。こいつはいつも黙ってただそばにいた。
そばに、いてくれた。
「―――ありがとう」
ポロリと言葉がこぼれた。
これまで三十年以上、ずっとそばにいてくれた。
ふたりで共通の目的に向かって邁進してきた。おれの『願い』のために考え、協力してくれた。
「ありがとう」
顔を合わせていたらとても照れくさくて言えないことでも、天井に向けてつぶやくならば言えた。
『アレ』がこちらを見ていることに気が付いていたけれど無視してじっと天井を見ていた。
「………あなたは」
ぽつりと。
『アレ』が問いかけてきた。
「あなたは『しあわせ』ですか?」
『しあわせ』か。どうかな。
家族を喪った。人生を賭けた『願い』は潰えた。最後の最後で思うようにならなかった。だが。
夢だったゲームクリエイターになれた。開発したゲームは世界中に広がった。会社の社長になった。たくさんの従業員を従え、取引先には有名な企業や個人もいる。きっとおれは『成功者』だ。
それに。
最後の最後で『罪』に気付いた。止めてくれるひとがいた。「同士だ」と理解してくれる友人ができた。
それって、『しあわせ』なことじゃないか。
だから、答えた。
『しあわせか』という問いに、自信を持って。
「ああ」
おれは『しあわせ』だ。
こんな穏やかな気持ちになれるなんて、考えたことなかった。
なにもかもうしなったのにそう思えるなんて。不思議だな。
「あなたの『願い』は叶いましたか?」
淡々とした問いに「――そうだな」と考えてみる。
「叶ったものもある。叶わなかったものもある。 でも、そうだな………」
じいちゃんの仇は討てた。
じいちゃんを陥れ会社をつぶした連中は一人残らず『贄』にした。その『願い』は叶った。
ちいさな頃。父さんとおじちゃんと三人でパソコンをいじっていたあの頃。『毎日パソコンをいじっていたい』そう思っていた。
じいちゃんの会社が危なくなった頃。『売れるゲームを作ってたくさんお金をもうけたい』そう思っていた。
そうだ。
あの頃抱いていた『願い』は確かに叶った。
「おれの『願い』は、叶ったな」
そう答えると「安心しました」と『アレ』は納得した。
「あなたの前の『発願者』の『願い』は満願となったのですね」
「そうだな」
じいちゃんは、ばあちゃんは、父さん母さんは、おじちゃんは、喜んでくれるかな。
きっと喜んでくれると思えて、胸の奥があたたかくなった。
「―――少し、眠る」
「はい」
きっと目が覚めたらこれまでのおれとは違うおれになっている。
なんとなく、そんな気がした。
眠るつもりで瞼を閉じたが、色々と浮かんできた。
目が覚めたらタカの言っていたことを検討しよう。そういえばゲームでも山鉾巡行するんだった。注連縄切りのあと『びっくりすることが起きる』って予告してたんだった。予定では『隠しエリアが開放された』ってアナウンスするつもりだったんだが、それは使えないよな。じゃあどうするかな。
うっすらと瞼を開けると、庭の桜の樹が目に入った。
そうだ。桜の花びらを降らせたらどうだろう。『アレ』が前に『霊力を花びらに固めて降らせた』と言っていた。おれ達が集めた霊力をエネルギーに変換するなら花びらに固めて放出すればいいんじゃないか? そうだ。現実にあり得ないことが実際起きて、それがゲーム内でも同時に起きたらびっくりするんじゃないか?
昔。まだ幼い頃。
あの桜の樹の下で降り注ぐ花びらを浴びた。
すごく綺麗ですごく楽しかった。
あれを再現しよう。
京都中の人間に。『キョート』のナカの人間に。
おれが楽しかったことを分けてやろう。
きっと綺麗だぞ。
きっと誰もが驚くぞ。
そう思ったらなんだか楽しくなった。
さあ。どんなシステムを書こうか。
おれはシステムエンジニア。
みんなが喜ぶゲームを創るゲームクリエイター。
最後の最後までシステムを書こう。
最後の最後までみんなを驚かせよう。
それがおれの『夢』。
それがおれの『願い』。
少し眠ろう。
眠って頭をリセットしよう。
目が覚めたらきっとすっきりしている。
新しいシステムも思いつく。
そう思いながらもやっぱりどんなシステムにするか考えていたのに、いつの間にか眠りに落ちていた。