第二百十六話 菊様の告白
突然走り去った晃達を呆然と見送る。
なんだ? やはり何かあったのか?
そんな疑問が口をつく前にヒロが問いかけた。
「『災禍』は滅びたのですか?」
「ええ」
あっさりと、簡単に菊様は答える。
感動も感傷もなにもない。至ってごく当たり前のことを答える口調に、逆に『ホントかよ』と思ってしまう。
「『災禍』は滅びた」
「皆、よくやってくれたわね」
その言葉に、守り役達がザッと片膝をついた。
右手を胸に当て頭を下げる守り役達に続き、あわてて俺達も片膝をつく。
「大願成就、おめでとうございます」
ヒロの言葉に続きナツと佑輝と三人で「おめでとうございます」と唱和する。
「ありがと」と菊様は偉そうに微笑んだ。
「梅。蘭。竹」
他の姫達に声をかけた菊様はやはり偉そうに言った。
「これで私達の責務も『呪い』も終わりよ」
その言葉に愛しい妻が涙をにじませながらうれしそうに笑った。
めずらしく『やりきった!』と言いたげな笑顔に見ている俺まで誇らしくなった。
梅様も蘭様も「ああ!」「やったわね!」と喜んでいる。
なのに菊様の表情がフッと陰った。
その変化に誰もが口を閉じた。
顔を伏せた菊様の表情は読めない。
全員が見守る中、菊様はらしくない細い声を出した。
「………ずっと、言いたかったことが、あるの」
この場面で何を言い出す気だ? やはりまだ何かあるのか!?
警戒して菊様の言葉を待った。
「―――ごめん」
―――なにを言われたのか、わからなかった。
それほど意外な言葉を落とし、女王は顔を伏せたまま続けた。
「私が読みきれなかったから、アンタ達を苦しめた」
「こんな、五千年も『呪い』と責務に縛り付けることになった」
「ごめん」
血を吐くような女王の告白に、誰もが息を飲んだ。
「違います!」
そんな中、愛しい妻が叫んだ。
「違います! 菊様はなにも悪くありません!
悪いのは私です!『災禍』の封印を解いてしまった私が――」
「違う! 竹をムリヤリ森に連れてったオレが悪いんだ!」
「元はといえば私が森に行きたがったからじゃない! アンタ達は悪くないわよ!」
「私が」「オレが」と言い合う姫達の影で黒陽までが「そもそも私が姫を支えられなかったから…」とブツブツ言い出した。どうすんだよコレ。どう収集つけるんだよ。こんな場を収めてくれそうなひなさんもタカさんもいないのに誰がまとめるんだよ。
とりあえず俺は妻を止めよう。
「竹さん」
隣に立ち肩を抱く。俺を見上げるその目が赤くなり潤んでいる。すがるような眼差しに、こんな場面なのにズキュンと胸をつらぬかれた。
口を閉じた妻は目を伏せ、そっと俺に身を預けてきた!
くっっっ………そかわいいぃぃぃ!
あまりのかわいらしさに鼻血出そう。いやここでそんなモン出したら後でなにを言われるかわかったもんじゃない。落ち着け俺。落ち着け。
ぎゅむ、と愛しい妻を抱き締める。と、妻も俺に抱きついてきてくれた!
ああもう! こんな人前でそんなかわいいことしないでくれ! 俺の忍耐力試してんのか!? 理性の限界試してんのか!?
ぎゅうぎゅうと愛しい妻を抱き締めていたら。
「もういいじゃないですか」
穏やかで軽やかな声に全員が動きを止めた。
ヒロだった。
すっくと立ち上がり、いつもの穏やかな笑顔を浮かべていた。
「もういいじゃないですか。誰が悪いとか悪くないとか、言い出したらキリがないですよ」
「でも」とベソをかいて蘭様が言おうとするのを笑顔で制し、「それよりも」とヒロはぐるりと全員を見回した。
「『よかったこと』を数えましょう」
その言葉に愛しい妻はようやく顔を上げた。
俺に抱かれたままヒロに顔を向け、呆然と次の言葉を待っていた。
顔を伏せていた菊様もおそるおそるといった様子で顔を上げた。
そんな姫達に向け、ヒロはうれしそうに語った。
「皆様がこの『世界』に来てくださって、ぼくはよかったです」
「竹さんがいてくれたから、昔のハルは救われました」
「ハルが救われたからその後たくさんのひとが救われました」
「ぼくだってそうです」
「竹さんが霊玉を作って、霊玉守護者が生まれた。霊玉守護者に選ばれたから仲間達に出逢えて、そのおかげぼくは『十四歳まで生きられない』なんて『先見』をくつがえすことができた」
「竹さんがいてくれたからトモが――ぼくの親友が『しあわせ』になれた」
わざと茶化すようにウインクしてくるヒロ。
うなずいたらおかしそうに微笑み、菊様をのぞき込むように首を少しかしげた。
「ね?」
「きっとなにもかも『必要なこと』だったんですよ」
「ぼくらが皆様に出逢うために必要なことだったんです」
「ヒロ………」
白露様が涙ぐんでいる。
蒼真様は梅様と肩を寄せ合い、緋炎様は蘭様を抱き寄せ頭をなでていた。
愛しい妻がヒロから俺に視線を向けた。
すがるような眼差しにキスしたくなったがどうにかこらえ、にっこりと微笑んだ。
「ヒロの言うとおりだ」
「きっとなにもかも、俺が貴女に出逢うために必要なことだったんだ」
俺の言葉に妻の目に涙が浮かぶ。
今までだったらマイナス思考が出ているだろうに、その目に映るのは俺への愛だけ。
『しあわせだ』と、『俺に逢えてしあわせだ』と、その目が言っている! 俺、愛されてる!!
抱き締め、そっと耳打ちした。
「好きだよ」
「大好き」
俺に抱きついてくれた妻は黙っていた。黙って何度もうなずいていた。
『自分も俺が好きだ』と態度で示してくれた!!
ああもう! 好きだ!
こっそりと耳にキスする。「好き」と勝手に口からこぼれる。
ああもうこのまま帰りたい。ふたりきりでいちゃいちゃしたい。後始末とか関係各所への連絡とか放棄してしまいたい。
そこまで考えてようやく思い出した。そうだ。『災禍』を滅したあとでやることをひなさんが指示していた。
何だったっけと考えながら顔を上げると、丁度ヒロが菊様の前にひざまずきその手を取ったところだった。「触れてもいいですか?」と許可を取るところは流石だ。
「三歳のときから貴女はぼくの支えでした」
「貴女ががんばっているからぼくもがんばれた」
「ぼくが今こうして生きていられるのは、貴女の存在あってこそです」
それでも顔をしかめたまま何も言わない菊様にヒロは困ったように微笑んだ。
「貴女のことだから『災禍を滅するまでは謝罪しない』って決めていらしたんでしょう?」
「『災禍』を滅した今だから、これまで言いたくても言えなかったことをおっしゃったのでしょう?」
梅様が息を飲んだ。
怒鳴ろうとしたのだろう。怒りの形相で大きく口を開けたがすぐにパクンと閉じた。ヒロに任せることにしたらしい。
菊様はなにも言わない。ただ無言でヒロが握る自分の手を見つめていた。
下からその顔を見上げているヒロにはバッチリ表情が見えているのだろう。励ますように、支えるように、触れたその手に力を込めた。
「貴女はご立派です」
「今も昔も。立派な女王です」
真摯な言葉だった。
それでも何も言わない菊様。
しばらく待っていたヒロだったが、また困ったように微笑んだ。
「誰だって失敗のひとつやふたつあります」
「この国では神様だって失敗したりケンカしたりするんですよ? 人間ならなおさらあって当たり前じゃないですか」
その言葉に、ようやく菊様の視線が上がった。
目が合ったヒロがニコリと笑う。
「貴女は人間なんですから」
「神様じゃないんですから」
「間違いも、失敗も、あって当たり前です」
「それが人間です」
ヒロの言葉に菊様はどこか呆然としていた。
これまできっと完璧な女王として生きてきたのだろう。間違いも失敗もすることはできなかったのだろう。その気持ちは多少なりとも理解できる。
俺も妻に出逢うまでは『自分は優秀だ』と『デキるヤツだ』と思っていた。なのに妻に出逢ってからはポンコツになった。自分は優秀ではなかったと、むしろダメなヤツだとヘコみまくり落ち込んだ。『優秀でない自分は彼女にふさわしくない』とも考えた。
きっとこの女王も『優秀な自分』を誇っていたのだろう。
ところがその自信を、誇りを根底からぶち壊す事態が起きた。
それでもそれまでの自分が弱音を吐くことを許さなかった。女王としての誇りと責任感が彼女を奮い立たせた。
―――そうか。だからか。
だからこそ今、謝罪をしたのか。
自分にけじめをつけるために。
自分自身の誇りのために。
この女王もなかなか面倒くさいひとだな。自分の罪を見ないふりで済ませたり誰も気付いていないからと黙ってなあなあに済ませることもできただろうに。ていうか本当に関係者全員『菊様に責任がある』なんて微塵も考えたことすらなかっただろうに。
それを許さなかったのは彼女の誇り。
ここまで黙っていたのは彼女の矜持。
もしかしたら『必ず滅する』と『誓い』を立てたのかもしれない。そのために成就するまでは『絶対に弱音を吐かない』『謝罪しない』とでも願掛けをしていたのかもしれない。
『強い』ひとだな。
そして誰も気付かなかった女王の『強さ』と『弱さ』にヒロは気付いていたな。ハルとヒロが三歳、女王が二歳からの付き合いだと言っていたが、それでも気付けたのはヒロだからこそだろうな。さすがヒロ。
そんなヒロに菊様はムスッとしている。それでもどこか照れくさそうに見えるのは気のせいか。
「……私のことを知っていて『ただの人間』扱いするなんて」
目が赤くなってるぞ女王。
「無礼よ」
「すみません」
不敬を叱られてもヒロはニコニコしている。
「ぼくにとっては貴女はずっと『尊敬する女王』であると同時に『健気にがんばる女の子』でしたから」
「貴女ががんばっているからぼくもがんばれたから」
「二歳からの付き合いに免じて、許してください」
いたずらっぽくそんなことを言うヒロに菊様は押し黙った。じっとヒロをにらみつける。にらみつけられてもヒロはニコニコしている。
「……………仕方ないわね」
先に折れたのは菊様だった。
長いため息を吐き出し、ようやく顔を上げた。
もういつもの女王だった。
「特別よ」
「ありがとうございます」
フン。と偉そうな女王にヒロはやはりニコニコしている。
手を離し立ち上がったヒロが一礼するのを女王は腕を組んで偉そうにうなずいた。
「今後も私のために働きなさい」
「はい」
クスクスと笑いながらヒロは答える。そんなふたりのやりとりに白露様が困ったように笑っていた。
「では早速働きますね」
ヒロの言葉に、誰とは言わないが何人かが「え」と声をもらす。
「今後の対策をしないと」と言われ『そうだった!』とハッとする数人。おいおいしっかりしてくれよ。愛しい妻もオロオロしはじめた。かわいいから許す。黒陽あんたはしっかりしろ。
「竹さん。黒陽様。結界の状況はどうですか?」
ヒロに問われ、ようやくうっかり主従が動き出した。なにかを探っている様子のあと愛しい妻が「今のところ問題なさそうです」と答える。守り役もうなずいていることから大丈夫そうだ。
「白露様。例の花びらはまだ残っていますか?」
「ほぼ配り終わったわ。今舞ってる細かいのも回収する?」
その回答にヒロは菊様に目を向けた。
「……この程度なら放っといていいでしょう」
菊様の判断にヒロも白露様も了承した。
「式神で確認する限り、今のところは妖魔の活性化は見られませんね」
「さっきの花びらがあちこちに浸透したら、もしかしたらがありそうね」
「白楽様のところの皆様はどうなりましたかね」
「連絡取ってみますか?」
続けてヒロを中心にやり取りを重ねる。どこも問題なさそうだ。あとなにを確認するんだったか?
ああだこうだと話をし確認をし、現段階ではやることは全部済んだと判断された。問題が出てくるとしたら今後。例の花びらを受けた『ヒトならざるモノ』が活性化する可能性が残っている。
「じゃあ一旦晴明のところに戻りましょうか。あそこが一番情報が集まってくるでしょうから……」
そう話していたとき。
電話の着信音が響いた。
「はい」
『ヒロさん!』
着信があったのはヒロのスマホだった。
すぐに通話に出たヒロの手から悲鳴のような声が上がる。――ひなさん?
ひなさんがこれほどの声を上げる事態。
ピリ。と再び場が緊張感に包まれる。
『六階社長室です! すぐ来て! トモさんと! 来て!』
………俺?
なにかわからないがヒロが「了解」と答え通話を切ってしまった。
視線で『行くよ』と言われては仕方ない。
「……よくわからないけれど、ちょっと行ってくる」
愛しい妻にそう言えば「私も行く」と言う。
決意の込められた表情に浮かぶのは『俺を守りたい』という想い。俺、愛されてる!
「白露。アンタはここで状況把握につとめなさい。他は全員行くわよ」
菊様がさっさと決めてしまい、白露様を除く全員で六階社長室へと向かうことになった。