第二百十四話 『災禍』の姿
「アンタの本当の姿をみせなさい」
「はい」
『本当の姿』? どういうことだ?
菊様の発言の意味がわからず黙っていた。と、顔を伏せた『災禍』の身体がパッと光った!
先程の陣と同様に光は細かい粒子となり、花びらになりあたりに散った。そして――。
――そこにあったのは、銀色に光る球体だった。
ボーリング玉サイズの球体が先程までいた高校生男子の胸の高さに浮いている。どういう構造なのかわからないがパッと見金属に見える球体が音もなく浮かんでいる。その表面をなにかの回路らしき光が走る。不規則に動いたり点滅したり。
『災禍』は異世界で作られた機械だと、人工知能だと聞いた。どんな材質なのか、どんなシステムが搭載されているのか、どうやって宙に浮いているのかまったくわからない球体。なるほど異世界の存在だと嫌でも理解させられる。
そしてどう見ても無機物。こんな機械がこれまで聞いたあれやこれやを引き起こしていたのか。
さっきまでの高校生男子の姿は霊力やエネルギーを使って作った幻影もしくは着ぐるみ的なものだということか。だからこそこれまでも好きな姿を取れたし、その姿を解除したときに桜の花びらが発生したのだろう。
「―――これが―――」
ポロリと、梅様が言葉をこぼした。蘭様は呆然としている。守り役達も息を飲んで銀色の球体を見つめていた。
俺の愛しい妻はただ黙っている。笛を握ったままの手で俺の左腕をつかみ、すがってくれている。
不安から揺れる眼差しを銀色の球体に向け、少しでもくっついていたいというように俺に身体を預けてくる。かわいい。かわいすぎる。そんな場合じゃないのに庇護欲も独占欲も刺激されてテンション上がる。
誰もがただ銀色の球体を見つめる中、菊様はフンと偉そうに笑った。
「―――長い間、よくやってくれたわね」
その言い方がなんだかねぎらいが込められているように感じ、思わず菊様の顔を見た。
慈愛に満ちた、それでも女王然とした態度で目の前の球体を見つめていた。
「善悪とか、結果とか、どうかと思うことも色々あるし、個人的に言いたいことも色々あるけど―――」
なにやらブツブツ言っていた菊様。瞼を閉じ息を吸い込み、「はあぁ…」と大きなため息を落とした。
束の間黙って顔を伏せていた菊様だったが、次に顔を上げたときにはさっぱりとした威厳のある表情を取り戻していた。
「アンタは使命を果たした」
「『管理者』として宣言する。―――よくやった」
女王然とした眼差しできっぱりと告げる菊様に銀色の球体はなにも答えない。それでもその表面を走る光跡が早くなり、あちこちピカピカと点滅した。
「そんなアンタに、滅びる前にご褒美をあげる」
またなにを言い出したのかこの女王は。
「竹」
西の姫の声に妻はちいさく「はい」と答えた。
「これを抱いてやってくれる?」
「え」
思いも寄らない提案にそれしか声が出ない妻。俺も守り役も唖然とするしかできない。
が、すぐに怒りが沸き起こる。
なんでそんなこと言い出した!? なんで俺の妻がそんなことする必要があるんだ!?
怒鳴ろうとしたその時、菊様が面倒くさそうに息をついた。
「アンタが触れるだけで封印が解けたでしょ?
万が一こいつの自滅に制限ロックが発生しても、アンタが触れてれば突破できるんじゃない?」
………なるほど。
『災禍』は誰かに作られた機械だと言っていた。ならばどんなシステムが搭載されているかわからない。
妻は『災禍』の封印を解くことのできる存在。そんな妻ならば『災禍』の自滅を妨害するシステムが存在したとしても介入したり突破したりできると西の姫は判断したらしい。
だが組み込まれたシステムをそんな霊力とか能力とかで突破できるのか? そもそも妻に危険はないのか!?
「……危険では?」
にらみつける俺に西の姫は「大丈夫でしょ」と軽く言う。ホントかよ。
「爆発したり」
「する?」
問いかけられた『災禍』は「しません」と答えた。
「私を構成する部品すべてを元素レベルにまで分解します。塵も残しません。
分解した後は他と同様、エネルギーを極微量ずつ桜の花びらの形に固め、すべて放出します」
淡々とした『災禍』の説明に合わせ「ですって」と菊様が軽く俺に言う。
「……そのことで妻に影響は」
「ある?」
「特にないと判断します」
「ですって」
……………。
この女王………。
憎々しくにらみつけても平気な顔の女王にさらに問いかける。
「……高霊力がゼロ距離で解き放たれるんでしょ?『影響はない』と断言できるのですか?」
俺の質問を女王は「どう?」と『災禍』に丸投げする。
「できます」と『災禍』がやはりあっさりと答えた。
「開放される霊力はすべて桜の花びらに形を変え、京都を囲む結界内を漂い、山に、川に、土地に還元されます」
「至近距離にいるからといって直接的な影響はないと考えます」
「ただし、意図的に放出される霊力を取り込もうとした場合は別です」
「ですって」
西の姫の大雑把な態度に『大丈夫なのかよ』と不信感を抱く。が、『災禍』の説明は納得できるものではある。
検討していたら愛しい妻が「トモさん」と呼びかけてきた。
可愛らしい声に顔を向けると、彼女は困ったように微笑んでいた。
「私、やる。大丈夫」
「でも」
「大丈夫。いつもの結界展開してるし」
そういえば彼女は常に結界を展開してるんだったな。彼女自身が『触れよう』『触れられてもいい』と思わない限りは触れられない結界。例外は守り役からの『承認』を受けた者。
俺が触れられるのは『境界無効』の特殊能力のおかげか『半身』だからかと思っていたら前前世で守り役がしてくれた『承認』が生きていたからだった。
それならなにかあっても大丈夫か? ゼロ距離で高霊力が放出されても影響受けることはないか?
迷っていたら愛しい妻が熱心に見つめてきた。
コテンと小首をかしげ、言った。
「やらせて?」
………くそう。かわいい。
「お願い」とかわいくすがられては折れるしかない。
「………わかった」としぶしぶうなずく俺に彼女はホッとしたように微笑んだ。
彼女は自己評価が低い上に罪の意識が強いから『自分にできることはなんでもやる』と常日頃から考えている。そして実際頼まれたらなんでもやってしまう。お人好しの善人の彼女らしいと思うが、それではいつか彼女の負担が積み重なってしまう。うまく利用されて使われてしまう。そんなことは許せない。彼女は俺が守る。
これまでは過保護な守り役が守っていたというが、この守り役も基本お人好しだからな。
とりあえず今は『災禍』のことだ。
『災禍』に近寄り手を伸ばす彼女を制し、俺が先に触れることにする。
背に彼女をかばい、浮いている玉に指先でツンと触れてみる。特に抵抗も痛みもない。
警戒しながらさらに触れる。弾かれることも攻撃されることもない。無抵抗なただの玉に感じられる。
『紫吹』を脇に挟みおそるおそる両手でつかんでみる。金属特有の冷たさを感じる。が、特に問題はなさそう。
そこまでしてようやく納得できた。
西の姫から『さっさとしろ』といいたげな視線を感じる。
視線だけでなく「竹へ」と指示されてしまった。
手にした玉と愛しい妻を交互に見つめる。生真面目な愛しいひとはふんすとやる気をみなぎらせている。かわいい。
………仕方ない。
「……妻に危害を加えたら許さない」
ボソリと脅しをかけると手の中の玉は「『管理者』の命令にないことはしません」と答えた。
その言い方になんだか腑に落ちた。
それでようやく彼女に玉を手渡した。
見た目はボーリング玉のようだが重さはバスケットボール程度。物理法則どうなってんだ? 素材がこの『世界』と違うからか? なんにしてもこれなら非力な妻でも持てるだろう。
愛しい妻は俺が差し出した玉を両手で受け取り、その胸に抱きかかえた。
「重くない?」
「大丈夫」
心配で声をかけると笑顔を向けてくれる妻。
すぐに視線を抱きかかえた『災禍』に向ける。その目に困惑が浮かんでいた。
脇にはさんだままだった『紫吹』を左手に持ち、そっと彼女の右ななめ横に陣取る。
後ろから抱きしめる要領で右腕で『災禍』を抱きかかえる彼女の腕を支える。
「なにかあったら、俺がすぐに『災禍』はじくから」
で、『紫吹』で一刀両断にしてやるから。
見つめる俺に視線を合わせた彼女はほにゃりと笑った。安心しきった表情に胸を鷲掴みされる。クソかわいい。
絶対に守る。最後の最後まで油断しない。
彼女の抱えた『災禍』も、周囲も、最大限に警戒し、なにかあれば即対応しなければ!
《頼むな》と心の中から呼びかけると『紫吹』が《まかせろ》と張り切っているのを感じた。
と、彼女が俺にもたれてきた!
そっと背を預けてくれる。
絶大に信頼されているのも甘えられているのもわかってテンションおかしくなる!
ああもう! ここでそんなかわいい態度取らないでくれ! 邪念が出そう!
抱きしめたい。キスしたい。いやダメだ人前だ。最終局面だ。まだ安全じゃない。警戒しなければ。そうだ。警戒。何が起きてもいいように緊張感を維持しなければ!
そっと彼女の表情をうかがうと、困ったような複雑な表情をしていた。
「……大丈夫?」
つらいならやめさせるかと考えていると、彼女は「うん」とちいさく応え、そっと『災禍』の表面を撫でた。
「………五千年、ずっと『滅しないと』って思ってた存在を、こうして、持っているっていうのが……なんか……」
言葉を探し、彼女はつぶやいた。
「ヘンなかんじ」
まあな。感情の遣りどころに困るよな。
こいつのせいで彼女は五千年苦しんだ。
こいつのせいでたくさんのひとが死んだ。
『願い』をかけた『宿主』や『災禍』自身がどんなつもりだったとしても、その事実に変わりはない。
彼女はおそらく元々『災禍』自体に『憎しみ』は抱いていない。ただただ自分が封印を解いてしまった責任感だけで『封じなければ』『滅しなければ』と思ってきた。そこには好意も憎悪もなかった。
とはいえ、こうして抱くことになにも感じないかと言われるとそんなことはない。
それでも生来の善良さがこれから滅び逝く存在に対して敬意と哀悼を抱かせている。そのせいで警戒とか敵意とかをうっかり失念している。お人好しのうっかり者の彼女らしいといえば彼女らしい。
そしてそんな彼女の性質を理解しているからこそ菊様はこんなことを命じてきたのだろう。いいように利用しやがって。くそう。
そうは思うが俺には文句を言うだけの立場も権利もない。お人好しの彼女と守り役は文句を言うことすら思いついてない。
………仕方ない。今回は飲み込もう。
だが妻に危険が迫ったら即刻ぶった斬る。
覚悟を決め、彼女の腕のなかの『災禍』をにらみつけた。
「竹」
菊様に声をかけられ、ふたりで顔を向ける。
菊様はなんてことない顔で簡単そうに言った。
「歌でも歌ってやってよ」
「歌?」
またなに言い出したこの女王は。
意味がわからず文句を言おうとしたら先に妻が口を開いた。
「なんの歌がいいですか?」
「そうねぇ…」
細い指をおとがいに添え、菊様はしばし考えていた。が、すぐに思いついたらしい。
「あれがいい。ホラ。高間原にいたときによく歌ってた子守歌」
そう言って一節歌う西の姫に「ああ」と妻はうなずいた。
「『おやすみ おやすみ』って、『魂送り』によくない?」
「たしかに」と妻は納得した。
「葬送曲を竹が歌う。数多の神々の『愛し児』である竹がアンタを送る。―――これが滅び逝くアンタへのご褒美」
………確かに妻の歌は『褒美』になると思うが………。
それなら笛のほうがいいんじゃないか? 抱く必要はどこにあるんだ?
「さて『オズ』」
疑問をぶつけようとしたのに菊様が話を進めてしまった。聞けよ! 言わせろよ! くそう!
「『管理者』として命ずる」
妻の腕の中の球体はなんの反応もしない。ただ冷たい表面を脈打つように光が走るだけ。
「最後の命令よ」
「竹の歌が終わったら、アンタは滅びなさい」
「その身体のひとかけら、ネジのひとつも残さず、すべてを元素に返還し、この『世界』のエネルギーとなりなさい」
「了解しました」
あっさりと『災禍』が答える。
そういえば音声回路どうなってんだ? どこから音声発してんだ?
なんとなく銀色の球体をじっと見つめていた。いくら見てもなにもわからない。滅する前に分解してみたらどうかな。いやいや駄目だ。この機会に確実に滅しないと何が起こるかわからない。
そんなことを考えていたら菊様がそっとつふやいた。
「アンタはよくやった」
「十分に使命を果たした」
「安心して滅びなさい」
―――これまで五千年の長きに渡って苦しめられた元凶に対して、そんな言葉をかけられるのか―――。
これは器が違う。
慈愛に満ちた女王の笑顔に、完全に降伏した。