第二百十三話 『災禍』の説明
真夏の真っ青な空から桜の花びらが舞い落ちる。
季節はずれの光景に京都中が湧き立っている。
愛しい妻と手を繋ぎ、空を見上げた。
舞い落ちる花びらは霊力の塊。とはいってもほんの極微量しか含まれていないから霊力のほとんどない者にとっても害はないだろう。菊様が立体地図を出し白露様に指示を出して花びらの塊を『風』で運ばせている。ほとんどは神社仏閣や『要』の地に持っていっている。安倍家の山にもかなりの量を運んでいた。
その途中でこぼれた花びらがあちこちに舞い落ちる。手に触れたら消えてしまう幻想的な花びらに、ほとんどの人間はなにかの演出だと思っている。
「ゲームの『バーチャルキョート』でも桜の花びらが降っています」
報告と同時にスマホの画面を全員に見せるひなさん。確かに『現実世界』と同じようにゲーム画面の中も桜の花びらが舞っていた。
やっぱりなんかやらかしてんじゃないか。いつの間に。
………ん? 待てよ?
そういえば以前報告書で見たな。
『バーチャルキョート』のバージョンアップは「七月十七日、午前0時」の予定だと公式発表があったとき。現実の巡行にあわせて『バーチャルキョート』内でも山鉾巡行を行い、そこで「びっくりすることが起きる」と書かれていたと。
それか? 最初から桜吹雪をゲーム内に降らせるつもりだったのか?
判断がつかず黙っていたら菊様が『災禍』にたずねた。
「これもアンタの仕業?」
「はい」
あっさりと『災禍』は答える。
「最初からゲームに組み込んでたの?」
「いえ」
埒のあかない『災禍』にイラ立ちを感じる。ホント聞かれたことしか答えないなこいつ。
「詳しく説明しなさい」の菊様の命令に「はい」と『災禍』は説明を始めた。
「最初にゲームに組み込んでいたのは、プレイした人間から自動的に霊力を集める術式です。その後、プレイヤーの情報を入手するためのシステム、『異界』でプレイヤーデータを具現化するための術式を順次組み込みました」
「二年前にゲーム内に組み込んだのは京都中に張り巡らせたものと同じ陣です。『現実世界』と『異界』に陣を展開する前に実験的にゲームに展開して稼働可能かテストをしました」
「本日零時のバージョンアップで、召喚対象者二百人に対して転移陣が発動するようシステムを組み込みました」
「本日零時のバージョンアップ時点では、このバージョンアップで二百人、その後注連縄切りと同時に数百人を『現実世界』から『異界』へと移動させる計画でした。
『異界』へと転移した人間のゲーム上のアバターは、転移した時点でゲーム上から消去するようシステムを組んでいました」
「『選ばれた人間だけが特別な隠しステージに移動した』と、『隠しステージ』の存在を発表することが『びっくりすること』でした」
「そうして段階的に数百人ずつを『異界』へと移動させ、鬼に喰わせ、最終的には『京都のすべての人間を抹消する』計画でした」
ここまでの話が理解できたことを確認するように『災禍』が菊様をうかがう。うなずき無言で『続けろ』と命じる菊様に『災禍』は再び口を開いた。
「今回『管理者』により『保志叶多の願いを破棄し、そのために作った陣もなにもかも破棄せよ』という命令が下されました」
「京都の人間を『異界』に連れて行き、鬼に喰わせるという計画も破棄となりました」
「そのために注連縄切りと同時に京都の人間を『異界』に連れて行く必要はなくなり、同時に、当初の予定であった『隠しステージの存在を発表する』ことはなくなりました」
「つまり、当初予定していた『びっくりすること』がなくなったということになりました」
「しかし公式発表している以上、なにかイベントなりミッションなりをおこさなければならない」
「そこは別にスルーでよかったんじゃない?」
菊様がツッコんだが『災禍』はそれを無視し話を続けた。
「そこで保志叶多が考案したのが『桜吹雪を降らせること』でした」
なんでだよ。
そもそもなんでそんなこと思いつくんだよ。
「昔、ここではない『世界』で、エネルギーを雨として降らせたこと、凝縮させて花びらや葉としたことなどの事例を話したことを保志叶多が覚えていました」
「『異界』を構成していたエネルギー及び術式のためのエネルギーその他を『現実世界』に開放するならば、極微量を固め花びらとして降らせたほうが『現実世界』への影響も少ないと判断しました」
「『現実世界』と同様にゲームでも桜吹雪を降らせたならば、それはきっと『びっくりすること』になると判断しました」
そりゃ確かにびっくりだろうよ。真夏に桜吹雪が降るなんて。それも現実で。ゲーム上ならなんでもありだろうが。
「そんなこといつ設定したのよ」
「先程の保志叶多のリラクゼーションスペースで待機している間です」
「どうやって」
「あの部屋にパソコンなかったでしょう」
「ゲームのシステムは保志叶多の持っていたスマートフォンで修整しました。『現実世界』に関しては『異界』をエネルギーに変換したときに術式を修整しました」
やられた! まさかスマホでシステム修整するとは! パソコンがないからと油断した!
そしてやっぱりやらかしてやがったかこいつ。ほかにもなんかしてんじゃないのか?
菊様もそう思ったのだろう。ジロリと『災禍』をにらみつけ問いかけた。
「ほかになんかしてない?」
「? 具体的にお願いします」
淡々と返され、菊様が言葉に詰まる。
しばらく黙ってなにか考えていた菊様だったが、探るように言葉を出した。
「……『異界』も、『異界のなかの異界』も破棄したのよね?」
「完了しています」
「『鬼の世界』とのつながりは?」
「切れています」
「門も、『鬼寄せの香』も破棄してる?」
「完了しています」
「『異界』に展開していた陣も破棄したのよね?」
「はい」
「さっき言ってた『ゲームの中に組み込んでた陣』っていうのは?」
「先程破棄しました」
「コンビニやら官公庁やらに展開していた術式やらシステムやらも破棄したのよね?」
「完了しています」
「それでなんでここで桜吹雪降らせられたのよ」
「注連縄切りを『鍵』として設定していた一連のシステムを修整する形で組み込みました。
組み込んだシステムは術式やシステムが破棄されても『鍵』が成立する限り発動するようになっています」
とりあえず命じられたことはすべて完了しているようだ。おかしなところも、やらかしが介入している可能性もないように思える。
菊様もそう判断したのだろう。じっと『災禍』を見つめていたが、口を開いた。
「………で? ほかには?」
「具体的にお願いします」
「ほかに展開している術式やシステムは残ってない?」
その質問に『災禍』はしばらく口を閉じた。なにかを考えているようだった。が、再び菊様に向け淡々と話し始めた。
「注連縄切りを『鍵』とするシステムは自動展開となっているので、すでに私の介入はできません。自動展開が設定されたシステムは『残っていない』と判断してもいいですか?」
質問に菊様が一瞬詰まる。が、すぐに立て直した。
「……そうね。いいわ」
……いいか? 本当に?
そう感じ、自分なりに検討してみる。
だが確かに自動展開が設定されているなら誰も介入できないし、展開完了したら術式自体は消えるだろうし……。
なら、放置でいいか………?
考えている間にも菊様と『災禍』のやりとりは進む。
「その条件ですと、術式やシステムとして現時点で残っているものは、この京都の街中に展開してる陣が最後です」
「それを破棄するのは今からするわよね」
「はい」
「さっき命じた『保志叶多の願いの破棄』、『そのために作った陣もなにもかも破棄』。
この命令は完了直前、ということで合ってる?」
「はい」
はっきりと答える『災禍』を菊様はじっと見つめた。その目が黄金色になっている。
『災禍』の真意を探ろうと、隠しているものがないかを探ろうとしているのだとわかった。
「……残っている陣の破棄が完了したら、『保志叶多の願い』に関するものは全部終わる?」
「はい」と答えた『災禍』だったが、それでもなお無言でにらみつけてくる菊様に答えが足らないと判断したのだろう。言葉を足した。
「注連縄切り後にすべてのエネルギーを放出、のちに京都中に張り巡らせた陣を破棄。
それで先程『管理者』に命じられた分の『保志叶多の願いの破棄』はすべて完了します」
……………ん………?
………なんか、ヘンなこと言わなかったか……?
なにかがひっかかる。なにが?
『災禍』の発言ひとつひとつを噛み砕くように検証する。
『先程』『「管理者」に命じられた』『保志叶多の願いの破棄』『すべて完了』
なんだ? なにがおかしい? なにがひっかかる?
考えている間に菊様が「ならいいわ」と話を終わらせてしまった。いいのか? 止めるべきじゃないか?
チラリと晃を、ひなさんを、タカさんをうかがう。他の姫達を、守り役達をうかがう。誰もが異論なさそう。
………気にしすぎ、か………?
「差し当たり」
俺の迷いに気付かない菊様が話を進める。
「保志叶多の『願い』を破棄し、そのために作った『異界』も陣もなにもかも破棄した結果できたエネルギーは、今さっきのですべて放出したの?」
「はい」
「すべて桜の花びらの形を取り、京都に展開している結界の中に放出しております」
その言葉に嘘はないと判断したのだろう。菊様はうなずいた。
「じゃあ、最後の『京都の街中に展開してる陣』も破棄しなさい」
「はい」
返事と共に『災禍』はフェンスに身体ごと向き直り、両手を前に差し出した。
改めて『風』を展開して俯瞰で『視る』。
『災禍』が両手を突き出してすぐ、京都中に張り巡らされた陣がパアッと光った。
周囲の誰も、能力者達すら気付かない。夏の日差しに光がまぎれているだけではなさそう。元々陣に隠蔽かなんかかけられていたのかもしれない。
光る陣はそのまま地表から浮き上がり、ぐんぐんと高度を上げていった。
やがて六階建てのビルの屋上にいる俺達も見上げるほどの上空に到達し、京都の空一面が光る陣に覆われた。
空を見上げる俺達の前で光る陣は動きを止めた。次の瞬間。
カッ!
強く光を放った陣がパアッとちいさな粒子になりほどけ散った。
ちいさな粒子は桜の花びらを形取り、ひらひらと空を舞う。
「完了しました」
あっさりとした『災禍』の報告に「ご苦労」と菊様が答える。
菊様はチラリと白露様に視線を送る。おそらくは新たに出現した花びらを『風』で分配するよう指示したのだろう。
白露様のうなずきにうなずきを返した菊様は『災禍』と改めて対峙し、言葉を続けた。
「最後の命令よ」
その言葉に。これから起こるであろう事柄に。誰もが表情を固くした。
逆に注目を一身に浴びる菊様は余裕の表情で淡々と告げた。
「アンタは滅びなさい」
真夏の強い日差しが照りつける屋上に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちる。
動いているのはひらひらと舞う花びらだけ。ひなさんと晃が手にしたスマホから祇園囃子がかすかに流れる。
「アンタを構成するすべてを元素に変換し、この『世界』を運用するエネルギーとしなさい」
理不尽とも言える命令。『死ね』と言われても『災禍』の態度は変わらない。ただ淡々と「了解しました」と答えた。
「そのまえに」
『災禍』がなにか行動に移すよりも早く菊様から声がかかった。
「アンタの本当の姿をみせなさい」
『本当の姿』? なんのことだ?
意味がわからない。なんのことを言ってるんだ?
俺や周囲の動揺など気にも止めない『災禍』は「はい」と答えた。そのまま瞼を閉じて顔を伏せた。