第二百十一話 『現実世界』の手配と晃の浄化
屋上に出ると眩しい陽射しに思わず目を細めた。
まだ朝といっていい時間なのに太陽はジリジリと強く照っている。今日も暑くなりそうだ。
「さてと」
屋上の中央に陣取った菊様が気楽そうにぐるりと周囲を見回した。
その眼が黄金色になっている。これまでの様子から推察するに、どうやら菊様は能力を発現させているときには眼の色が変わるようだ。つまりは今もナニカを探っているということ。おそらくは妻が補強した京都の外側に展開している結界の確認か、その京都の結界内の霊力の流れを確認しているんだろう。
俺も風を展開してザッと京都の街を確認する。安倍家の能力者だけでなくあちこちの能力者が警戒に当たっている。神使をはじめとした『ヒトならざるモノ』も様子をうかがっている。鉾町は巡行に向け賑やか。山鉾巡行ルートの通りはすでに多くの観光客でごった返していた。
現時点では大きな問題はなさそうだ。
守り役達がなにやらボソボソしていたが、すぐに菊様にゴーサインを出した。
「まずはアンタがこのデジタルプラネットに展開している結界をすべて破棄しなさい」
「はい」
一言返事をした『災禍』が目を伏せた。一呼吸ののち瞼を開けた『災禍』はあっさりと言った。
「完了しました」
「……………」
………ホントかよ。
あまりにも簡単すぎる。以前突入したときどれだけ大変だったと思ってんだ。
が、鏡に手をかざした菊様が満足気にうなずき「ご苦労」と言っている。きっと本当に破棄されたんだろう。
「………わかる?」
こっそりと妻にたずねてみると「わかる」と答えが返ってきた。
「なんかなくなったかんじがする」
結界や封印に特化した『黒の一族』だからこそ感知するナニカがあるのだろう。念のためにと側に立つ守り役に目を向けたら黙ってうなずいた。どうやら黒陽も『展開していた結界がなくなった』と断言できるようだ。なら間違いないか。
そう納得していたら菊様が「竹」と妻を呼んだ。
「結界展開して」
人遣い荒いなオイ。そのくらい自分でやれよ。アンタなら間違いなくできるだろう。
内心文句タラタラな俺に気付かない妻は「はい」と素直に応じる。
「どの程度の結界にしますか」
「晴明が御池にかけてる程度のでいいんじゃない?」
「わかりました」
オイオイ。ハルレベルならこの京都でも上位だぞ?
そりゃ神域やらなんやらには劣るだろうが、会社や住宅としてみたら強固に過ぎるくらいだぞ?
だが愛しい妻には一般常識がない。なので指示されたとおりの結界を展開していく。
『異界』と違って『現実世界』は能力に制限がない。だからだろう。妻は笛を吹くことなく結界陣を展開させ、ビル全体を包んだ。
「これでどうですか?」
「………ウン。いいんじゃない?」
「さすがね」と褒められ妻がうれしそうにはにかむ。かわいい。
「アンタもこれでいい?」
問われた『災禍』は「はい」と答えた。
「じゃあ次ね」
そう言った菊様は白露様に目を遣った。無言の指示に白露様が動き、先程と同じように『災禍』に霊玉を渡した。
無造作に屋上のいちばん北側のフェンスの前に移動した『災禍』が霊玉をぽいっと外に放り投げた。
先程と同じく、霊玉がパアァン! と大きくはじけ、ドッと水の塊が中空に広がった。水しぶきが雨になり地面に落ちて吸い込まれる様子を『災禍』はじっと見つめていた。
黒陽特製の『水』だからか、なにかの術が込められているのか、ビルの真下の歩行者も車も雨が降ってきたことに気付いた様子はない。誰にも気付かれることなく『水』は地面に吸い込まれ、『災禍』が京都中に展開した陣に注がれていった。
しばらくじっと中空を見つめていた『災禍』だったが、くるりと菊様に向き直った。
「完了しました」
「『異界』『現実世界』それぞれの陣に水が行き渡りました」
「これでふたつの『世界』を繋げることはできる?」
思いもよらぬ菊様の提案に『災禍』はしばし逡巡していた。が、「可能です」と答えた。
どうやら黒陽の『水』が媒介になれるらしい。
本来ならば『注連縄切り』という共通の行動を媒介としてふたつの『世界』を繋ぐまたは逆転させる計画だった。それが高霊力の込められた特別な『水』を両方の『世界』に巡らされた陣の隅々にまで行き渡らせることで同調を可能にしたということのようだ。
「……これもひなさんが?」
こそりと黒陽に問えば「発案は晃らしいぞ」と答えが返ってきた。
これも晃か。すごすぎて言葉が出ないんだが。
「じゃあ、命令よ」
菊様が偉そうに告げた。
「ふたつの『世界』を繋ぎなさい」
「了解しました」
菊様の言葉に『災禍』が黙礼する。
再び外側に身体を向けた『災禍』は両手を前に突き出し、そのまましばらくじっとしていた。
体感で二、三分くらいした時。
『災禍』は両手を下げた。
「完了しました」
ケロッと、まるで当然のことを告げるような口調に『ホントかよ』とツッコみたくなる。が「ご苦労」と当然のようにうなずく菊様に間違いなく実行されたと納得させられた。
「まずひとつ済んだわね」
そうひとりごちた菊様がそのまま『災禍』に声をかける。
「『異界』で課せられていた『ミッション』は全てクリア。
『異界』に展開していた市内中心部の結界と鬼を呼び寄せる門は破棄済。『鬼の世界』との繋がりも断った。
そして『異界』と『現実世界』両方に展開している陣に同じ『水』を注ぎ込み同調させた。―――ここまで、間違いない?」
「はい」と『災禍』は素直に答える。
「今ならコンビニや官公庁に展開している術式やシステムを破棄することはできる?」
「可能です」
あっさりと答え、『災禍』は論拠を明かした。
「『バーチャルキョート』のミッションが完了していること、今後『異界』は破棄することが決定していること、ふたつの『世界』が一部分ではなくすべてにおいて繋がっていること。
以上の理由から現時点で『異界』と『現実世界』の京都の結界内すべてのコンビニに展開している『同調の術式』及び情報入手のために官公庁に導入しているシステムの破棄に問題はないと判断します」
『異界』で「できるか」と確認したときには「注連縄切りのときでないとできない」と『災禍』が答えていたが、条件が変わったことで可能になったらしい。
「じゃあ、命令するわ」
菊様が偉そうに告げる。
「コンビニや官公庁、インフラ関係その他、アンタが展開している術式やシステムをすべて破棄しなさい。――もちろんゲームの『バーチャルキョート』に組み込んでるものもよ」
「了解しました」
答えた『災禍』は目を伏せた。しばらくじっとしていたが顔を上げ「完了しました」と言った。
それ、どうやって確認するんだよ。そもそもどこのどんなシステムにどの程度侵入していたか誰もわからないんじゃないのか?『災禍』の介入していたシステムが無くなったことによる不都合は起きないのか?
今更ながらそんなことが浮かんできた。が、もう済んだことを掘り返しても無駄か? 黙っていたほうがいいか?
そう考えていたら晃が「あの」と申し出た。
「どこのどんなシステムのどの部分に侵入していたか、とか、確認することはできませんか?」
晃に目を向けた菊様が『災禍』に顔を向け「できる?」とたずねた。ちいさく首を傾げた『災禍』は黙っていた。なにかを考えているようにも見えた。
と、『災禍』が右手を胸の高さに上げ、拳を握った。
菊様に向けて差し出された手のひらにはUSBメモリが一本あった。
「介入したシステムの情報をこちらに入れました」
「西村智ならば解析可能だと判断します」
どうやら『異界』で本拠地のパソコンへの攻撃を撃退していたのが俺だとバレていたらしい。そのときの応酬で俺の実力がわかったと。で、俺なら解析できるものを用意したと。仕事増やしやがってコノヤロウ。
まあ俺ができるならタカさんもできるということだ。ならタカさんに丸投げしよう。
そう結論づけ、菊様がUSBメモリを受け取るのを見守った。
「あとは?
『異界』を破棄するのはやっぱり注連縄切りのときでないと無理?」
菊様の問いかけに「はい」と『災禍』は答えた。
「注連縄切りまでを組み込んでいます。
それが終わらない限り『異界』の破棄は不可能です」
その説明に菊様は眉を寄せながらも納得した。
「……仕方ないわね」
そうボヤきため息をひとつ。
それだけで菊様は気持ちを切り替えた。
「じゃあ巡行が始まるまで待ちましょう」
腕を組み偉そうに告げる菊様に梅様蘭様も守り役達も同意した。一区切りの雰囲気に愛しい妻もホッと息をつく。
そこでふと気が付いた。
「同調してるなら『異界』破棄と同時に『現実世界』にエネルギーを放出することになりますか?」
「あ」という顔をした守り役達とヒロ。菊様は変わらぬ表情で「どうなの?」と『災禍』に問いかける。
「元々注連縄切りを『鍵』としてふたつの『世界』を繋ぐ計画でした」
「発願者の『願い』が破棄され、『管理者』から『それまでの計画の破棄』と『異界の破棄』が命じられました」
「そのために当初組み込んでいた術式を変更しています」
「注連縄切りを『鍵』として『異界』の破棄が完了したと同時に、陣を通じてこちらの『世界』にエネルギーが放出されます」
やっぱりか。
「『異界』を破棄したときに『異界』に展開している陣も破棄となります」
「破棄した陣及び破棄したときに発生するエネルギーはすべてこちらの『世界』の陣に反映されます」
その回答に菊様は顔をしかめた。
「……一気に放出したらどんな影響が出るかわからないわね……」
「どうしようかしら」とつぶやく菊様に「考慮しております」と『災禍』が答える。
「放出したエネルギーを少しずつこの『世界』に取り込むよう、術式を組みました」
「あら。気が利くわね」と菊様は機嫌を直した。
「じゃあそれで」なんて簡単に指示している。
………それでいいのか? どんな術式組んでどんな現象が起こるのか確認が必要だろう。こいつ何やらかすかわからないんだぞ? 聞かれたことしか答えないんだぞ?
そう思い口を開こうとした、まさにその時。
「あの」
晃が声を上げた。
無言でジロリと目を向けた菊様に発言の許可が出たと判断したらしい晃が続ける。
「もしよかったら、この時間でおれとひなで清めの儀式をさせてもらえませんか?」
「は?」「儀式?」「え?」
意味がわからず戸惑いの声が上がるのに構うことなく晃は菊様をまっすぐに見つめ、さらに言った。
「少しでも『場』が清らかなほうが、いろんなことがうまくいくと思うんです」
……………。
まあ確かに。
これまでに聞いた『災禍』絡みのあれこれでも、ホンの少しの運が足りなかったばかりに取り逃がしたり多くの死傷者を出したりといったことがあった。そんな不運を招かないためにも念には念を入れてこの『場』を清めようというのは確かにいい考えかもしれない。
菊様もそう考えたのだろう。「好きにしなさい」と簡単げに許可を出した。
「アンタもいいわね?」と菊様に顔を向けられた『災禍』も「はい」と同意する。
「ありがとうございます」と喜んだ晃が「皆さんちょっと広がってください」とうながす。
屋上の中央を広く空け、全員が晃とひなさんを取り囲んだ。
そのふたりの服が一瞬で変わった。さっきも着ていた『赤』の神職の衣装。そういえば宵山でもこの衣装で舞ってたな。あのときの舞を舞うのか。
そう納得していたら晃がアイテムボックスから鈴を取り出しひなさんに渡した。
当然のように受け取ったひなさん。ふたりはじっと見つめ合い、力強くうなずき合った。
「―――それでは、始めます」
「よろしくお願い致します」
ぐるりと全員に目を向けたふたりが同時に会釈した。つられるように全員が会釈を返す。
ふ、と。
空気が変わった。
晃とひなさんの雰囲気が違う。
なんというか―――威厳がある。格が違う。
浮世離れした、厳かな雰囲気をまとっている。
一体なにが、と疑問が浮かぶ。
と、寄り添っていた妻がさらに身を寄せ手を繋いできた!
チラリと目を向けると不安そうな顔でふたりをじっと見つめていた。だから『大丈夫』と伝えるつもりで繋げた手をぎゅっと握った。
晃とひなさんはその場で正座し、柏手を打ったあと深く平伏した。
頭を下げたままひなさんがなにかブツブツ言っている。祝詞だろう。内容まではわからない。真摯に唱えるひなさんを中心に厳かな空気が広がる。
続いて晃がなにかブツブツ言い、最後にふたりが揃ってなにかを告げた。
見守る俺達の前でふたりは立ち上がり、再び深々と頭を下げた。
そうしてふたり揃って頭を上げ、晃が半歩下がった。
ひなさんが呼吸を整え、ゆっくりと手にした鈴を持ち上げた。
シャラララララ…。
清らかな音が響く。
四方に向け鈴を鳴らし、天に向かって鈴を鳴らしたひなさん。そのまま晃とふたりで見事な舞を披露する。
「清める」と言っていたからいつもの晃の『火』の儀式をするのだと思っていたが、違った。すごいなひなさん。こんなこともできるひとだったのか。
舞うひなさんの周りを晃の『火』が取り囲む。まるでひなさんが『火』を操っているかのよう。
ひなさんが鈴を鳴らすごとに金平糖のようなちいさな光がこぼれる。その光が晃の『火』に吸い込まれる。
「―――すごい………」
ちいさなつぶやきが妻の口からこぼれた。俺も黙ってうなずく。
え? ひなさん、ただの晃の幼なじみじゃなかったのか? いや元社会人の転生者とは聞いてたけど。事務仕事とか戦略立てるとかできるのは知ってたけど。けどまさかこんな神事を執り行えるひとだったなんて。
神事に明るくない俺から見てもこの神事が特別なものであると理解できる。そしてひなさんが主体になっていることも。
晃はあくまでもひなさんの補助に徹している。ひなさんの足りない霊力を補い、ひなさんの望むよう動いている。
なんなんだこのひと。もしかしてトンデモナイひとだったのか!?
「……知ってたか?」
明らかにあ然としている妻は知らなかったとわかるから守り役にこっそりと聞いてみた。
主語もなにもない問いかけにも優秀な守り役は正しく質問の意図を理解してくれた。
「いや」と答える黒陽の顔もよく見ればこわばっている。
チラリと他の面々の様子を確認。梅様蘭様はひなさんとは初対面と言っていいからか平然としておられる。菊様は当然といった顔。白露様緋炎様も知ってたっぽい。ヒロは驚きながらもどこか受け入れているからなにか知っているんだろう。
蒼真様は妻と同じくあ然としている。「え?」「ひな、普通の娘じゃなかったの?」なんてブツブツ言っていることから俺達同様なにも知らされていなかったと思われる。ナツと佑輝もポカンとしているから同じだろう。
なんだかトンデモナイ神事を繰り広げるふたりを中心にどんどんと『場』が清められていく。炎が踊り、光の粒子が飛び散る。
シャンシャンシャン!
三度鈴を鳴らし、ひなさんと晃の動きが止まった。
す、と両腕をひなさんが広げる。右手に鈴を持ち、鈴の持ち手から伸びる五色の鈴緒を左手で支えて。
その鈴に晃の『火』が吸い込まれていく。ひなさんの光の粒子も。
広がっていた『火』と光の粒子がすべて鈴に吸い込まれたタイミングでひなさんがチラリと白露様に目を向けた。
ちいさくうなずき合ったふたり。と、ひなさんを中心に風が吹き上がり広がった。
その風に乗せるようにひなさんが鈴を揺らす。
シャララララ……。シャララララ……。
涼やかな音と共に金平糖のような光の粒が風に乗り広がっていく。
東に、南に、西に、北に。それぞれの方角に向け鈴を鳴らし光を振り撒くひなさん。その光の粒子が白露の風に乗り京都の街中に降り注ぐ。
そうしてひなさんが鈴を天に向け高く持ち上げた。
シャララララ………! シャン! シャン! シャン!
より一層光の粒子を撒き散らし、ひなさんは動きを止めた。
そっと『風』を展開し街の様子を確認する。どこもかしこも明らかに先程よりも清浄になっている。
妻が京都を取り囲む結界を強めていたおかげで白露様の風で広げられたひなさんの光の粒子が余すところなく街中に注がれたらしい。
式神を扱える守り役達や姫達にもそれはわかったようだ。それぞれにひなさんを見つめていた。
やがてひなさんが鈴を持つ手を下ろした。
すぐさま寄り添う晃と共にその場に正座し、最初と同じように柏手を打ち平伏した。
誰もが身動きひとつ取れず一言も発せられない。
清浄で緊張感立ち込める空気の中、晃とひなさんが頭を上げた。
立ち上がりふたり同時に深々と頭を下げる。
再び頭を上げたふたりは一瞬で元の服装に戻っていた。晃は安倍家の仕事の装備。ひなさんはパンツスーツ。
そしてふたりの雰囲気も普段のものに戻っていた。
菊様に対し「ありがとうございました」とふたりが頭を下げる。受ける菊様は「ご苦労」と偉そうだ。
「皆様、お時間をいただきありがとうございました」
ペコリと頭を下げるひなさんに晃も合わせて頭を下げる。
いやいや言うべきはそれじゃないだろ!? なんだよ今の。なんでひなさんそんなことできるんだよ。
俺の心のツッコミは精神系能力者の晃には伝わっているはずなのに、いつもなら反応を示す晃は完全無視を決め込んでいる。
たまらず声をかけようとしたが、それより早くひなさんが反応した。
「そろそろ山鉾が動き出しますかね」
「そうね。そろそろね」
「ゲームの『バーチャルキョート』も確認します」
「そうね」
「ヒロさん。能力者の皆様の配置はいいですか」
「確認します。警察や官公庁も合わせて確認します」
「お願いします。あとは……」
バリバリ働き出したひなさんにはもう話を聞けない。ヒロも駄目だな。なら晃に聞こうと思ったのに。
「竹さん。黒陽様。念の為に京都を取り囲む結界におかしなところがないか注意しておいてください。あと高霊力が放出されたあとに結界が壊れるところがないか気をつけておいてください。なにか異変があれば報告お願いします」
「トモさんは風を展開して全体の確認をお願いします」
やるべきことを言いつけられて話を聞くことはかなわなかった。